沢田研二 「東京五輪ありがとう」
from『三年想いよ』、2014
1. 三年想いよ
2. 櫻舗道
3. 東京五輪ありがとう
4. 一握り人の罪
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関東では暖かい日が続くようになりましたが、みなさまお住まいの地域はどうですか?
こちらの桜はぼちぼち、といったところですね。「爛漫桜」となるのは来週でしょうか。
ジュリーから「櫻舗道」という新曲が届けられたこともあって、今年は桜を見るにも例年とは違う感動や切なさがあります。みなさまもきっとそうでしょう。
さて、音楽劇『悪名』公演が始まりましたね。
実は僕はまだいつ参加するのか決めかねている(ポール・マッカートニーの再来日が正式に告知されて、財布の紐がきつくなってる説もあり・・・汗)んですけど、まずは初日に参加されたみなさまの感想を楽しみにしています(僕は音楽劇に関してはLIVEと違ってネタバレは全然平気)。
個人的には、ジュリーの歌う様子や、柴山さんをはじめとするバックの演奏がどんな感じだったのかが気になるところです(演奏者が客席からどのくらい見えるのか、どんな楽器構成になっているのか、ジュリーやキャストの歌のシーンが何曲くらいあるのか、など)。
また、最近のジュリー絡みの情報ですと、『ロックジェット』の発売も楽しみですね~。
4月発売の56号は、『THE TIGERS 2013』ツアー・レポートを軸とした”ザ・タイガース再結成保存版”とも言うべき内容だそうですから、これはもう一家に一冊。
みなさまには申し訳ありませんが、僕は今回もいち早くフラゲしたいと思ってます(汗)。
そして、56号、57号と連続でソロのジュリー特集も組まれるそうで・・・いやぁ本当に嬉しい!
きっと、多くのジュリーファンが『ロックジェット』編集部に寄せた声がこの企画へと繋がったのでしょう。何と言っても『ロックジェット』には、『3月8日の雲』以降のジュリーの作品について素晴らしい文章を書き続けてくださっている佐藤睦さんがいらっしゃるのが心強いです。
連続特集の内容は、「シングルとアルバムに分けてジュリーの歴史を振り返る」ということだそうで(56号は、まずシングルなのかな?)、いかにも『ロックジェット』らしく、”ロックなジュリー推し”を掲げて告知。
まぁ僕個人は今でこそジュリーが”歌謡曲”と評されることにまったく抵抗はありませんが(どうカテゴライズされようとジュリーはジュリー。ジャンルなど超越している、と今は考えています)、『ジュリー祭り』直後に本格堕ちした頃は、「ジュリーこそロック!」と何度も書いていましたからね。当然、ロック視点のジュリー評は大歓迎です。
実績のある色々な評論家さんやミュージシャンの方々がそんな視点でジュリーを語ってくださることを、僕はずっと心待ちにしていました。その気持ちは、これまで何度もブログに書いてきましたし。
今こそ、僕がタイムリーで見逃してしまっていた時代のジュリーのロックを教えて欲しい、と・・・それが『ロックジェット』の56号、57号で叶えられそうな予感がします。
特集はきっと、単なる過去作品の列記に留まらず・・・そして必ずや佐藤睦さんが、今回の新譜『三年想いよ』についてもページを割いてくださるはずです。
本当に楽しみです!
あと、これはもうご存知のかたがほとんどかと思いますけど、Eテレさんの再放送リクエストが話題になっていますね。
http://www.nhk.or.jp/e-tele/onegai/detail/30530.html
ジュリーファンがリクエストするのは、もちろん『みんなのうた』。『みんなのうた』と言えば、「あなたが見える」。ジュリー、サリー、タローのユニット、TEA FOR THREEのシングル「君を真実に愛せなければ他の何も続けられない」のカップリング曲です。
ここは是非ファンの力を結集し、再放送決定に期待!
思えば・・・2011年にEテレさんが『みんなのうた』リクエスト企画を募った際にも、「あなたが見える」は多くのジュリーファンの票を集めたようで、翌2012年の2月~3月に待望の再放送が実現しました。
2011年の、まだ寒い時期でしたね。みなさまがこぞって投票なされていたすぐ後・・・ほんの10数日後に、あの痛ましい震災が起こってしまったのでした。
僕にとって東日本大震災は、「あなたが見える」の記事を書いた頃の記憶とリンクしているのです。
あれから3年。
今日も拙ブログは、ジュリーの新譜『三年想いよ』からのお題での更新です。
採り上げるのは、3曲目収録「東京五輪ありがとう」。
ある意味、収録曲中最も一般リスナーへのハードルが高く、評価を得ることが難しいナンバーかもしれません。しかしそこには、ジュリーの身近さ、男らしさがあることを僕らは知っています。
そしてこの曲には「懐かしさ」「楽しさ」もあります。
今回も色々と難しい問題について書かせて頂くことにはなりますが、ひとしきり考えた後には心をまっさらにして、夏からのツアーでは、真っ直ぐな目と感受性で素直にノッて楽しみたい痛快なロック・ポップ・チューンだと思っています。
僭越ながら、伝授!
僕の事前の楽曲内容予想は、半分当たり、半分ハズレ・・・といった感じかな。
16ビートのロック・サウンドという点だけは当たりましたが、歌詞の内容は微妙に予想とは違いました。真正面から反原発、という内容を予想していたのです。そこまで限定的ではありませんでしたね。
いや、ジュリーの歌詞の根底で原発の問題がメインになっている、とは言えるのですが・・・。
最初に語りたいのは、純粋に楽曲、演奏、アレンジの完成度と爽快感です。この曲を「明るいロック・ナンバー」と言い切ることに、僕は躊躇いはありません。
短調(「Am」)の曲なんですが、冒頭からバ~ン!と来るサビ部はその都度長調(「C」)に着地しているのです。柴山さんは当初「希望の祈り」を頭に、この曲想に取りかかったと思いますよ。コード進行も、王道中の王道です。直球の作曲ですね。
今回も、鉄人バンドのすべての演奏トラックを書き出して色々と考察してみましょう。
柴山さん・・・エレキギター(センター&右サイドのリード・ギターと右サイドのバッキングの2トラック)
下山さん・・・エレキギター(左サイド)
泰輝さん・・・シンセサイザー(パワー・ブラス、疑似エレキ・ベースの2種)
GRACE姉さん・・・ドラムス
アレンジは正に鉄人バンドのLIVEでの基本スタイル=真骨頂とも言うべきもので、明快な曲想もあって、他収録曲と比べて「これで行こう!」とメンバーが最終決断するまでにかかった時間は短かったんじゃないかなぁ。
ズバリ、「いつもの沢田さんのLIVEのようにやろうよ!」というアプローチだと思います。
それだけに、「歌詞には意表を突かれたけど、音はすんなり耳に入ってくるなぁ」と感じたファンが多いのではないでしょうか。
そして同時に、「なんだか懐かしい感じだな」という印象を抱いたかたもいらっしゃるかな?
特に泰輝さんのシンセに、70年代後半から80年代に流行した音作りのような感触があるのです。
阿久=大野さん時代からエキゾティクス期のジュリーがお好きなかたや、エイティーズの洋楽ロックを好むかたの琴線に触れやすい演奏、アレンジになっていると思うんですけど、いかがですか?
ヴォーカルの合間合間に切り込んでくる泰輝さんのシンセサイザーは、上記しましたが「パワー・ブラス」というパッチの音色かと思われます。
最近ではトランペットやトロンボーン、サックスなどのブラス系管楽器もシンセサイザーでそれぞれそっくりな音は出せるんですけど、こうした「敢えて生音とは違う、シンセっぽい」響きの音色が、16ビートのロック・ナンバーとの相性抜群。
今となっては確かめる術は無いのですが、泰輝さんは『ひとりぼっちのバラード』で演奏された「ダーリング」で同じ音を使っていたように僕は思うんですよね。
以前のようにツアーがDVD化されれば、そんな比較の楽しみも後から出てくるのになぁ・・・ツアーが終わるごとに毎回思うことながら、あの素晴らしいステージが映像に残らないというのはとても残念です。
またこの曲では、泰輝さんが弾く「擬似エレキ・ベース」のアレンジを採り入れている点も見逃せません。
『3月8日の雲』収録の「恨まないよ」や、次回執筆の新譜4曲目「一握り人の罪」にもシンセベースが登場しますが、それらは曲中ずっと鳴っているわけではなく、限定的な登場です。それが「東京五輪ありがとう」では完全に「もしエレキベースの演奏者がいたら」と想定したフレージング・トラックとなっています。
この曲、CDのレコーディングについては別録りの可能性もありますけど、LIVEでは、泰輝さんの”神の両手”が縦横無尽に駆け巡るであろうこと、まず間違いありません。下段左手がベースでしょうね。
GRACE姉さんのドラムスも入魂です。
収録曲中唯一のパワー・ロック系の曲想ということで、”鬼姫ロール”が炸裂しまくっていますね。何の気なしに聴いていると目立つのは最後の1箇所だけですが、実はこのロール、2’52”、3’08”、3’12”と3箇所で登場していますよ~。是非注意して聴いてみてください。
これまた、LIVEでの再現が楽しみ!
そしてギター。
左サイドの下山さんは基本「ずんずん、ちゃ~、ちゅく、ずんずん、ちゃ~♪」というカッティングがメイン。ディストーションの引っかくようなブラッシングが随所に見られます。音や弾き方は、昨年お正月の『燃えろ東京スワローズ』ツアーで魅せてくれた「everyday Joe」のカッティング部に近いかな、と思いました。
柴山さんは2トラックだと思います(セカンド・リードが追加トラックの場合は3トラックですが、リードギターは1発弾きで、ミックスで位置を振ってるような気がする)。
まず右サイドはバッキングと、ディストーションに強めのフランジャーを掛けあわせたセカンド・リード。「ジェット・サウンド」というヤツですね。
おそらくこの右サイドのバッキングのフレーズが、柴山さんの作曲段階の構想に近い演奏ではないでしょうか。
センターのリード・ギターはディレイが強め。柴山さんらしい王道のフレージングで、これはSGじゃないかな。
一番の見せ場である間奏ソロでは他楽器が刻みだけになりますから、LIVEでは柴山さんの主役タイム確定。ステージ前方までカッ跳んできて、身体を振ったり伸び上がったりしながら演奏する柴山さんの雄姿が、今から目に浮かぶようです。
このように、柴山さんの作曲や鉄人バンドの演奏だけとってみると、いかにも明快なロックナンバーで、LIVEではノリノリ!の曲と言えそうなのですが・・・さぁそこでジュリーの歌詞についてはどうなんだろう、と。
これはねぇ・・・他の収録3曲以上に色々と考えてしまうんですよ。ファンではなくてね、夏からのツアーで「観に行ってみようか」と参加された一般のお客さんの受け取り方が、どうなのかなぁと考えるのです。
新譜の他3曲は、良くも悪くもストレートな反応があるでしょう。でも、「東京五輪ありがとう」だけは、その点想像がつきにくい。LIVEで客席がいきなりノリノリになるのか、じっと固まった反応になるのか・・・まったく分からないのです。
オリンピックって、4年に1度の開催の度に毎回、各テレビ局とのタイアップでいわゆる「応援歌」としてのテーマソングが何曲かリリースされますよね。
僕はそんな音楽戦略を全然否定はしません。普段はまったく見向きもしないバンドやアーティストでも、仕事絡みでいち早く聴いた時に、「これは爆発的にヒットしそうだ」という明るいエネルギーを感じる曲も過去にたくさんありました。そうした純粋さは多くの人達に力をもたらしてくれると思いますし。
ただ、そうした曲が巷に多いだけに、パッとタイトルだけ知ったら、ジュリーの「東京五輪ありがとう」もそんな並びの曲として受け取られる可能性はあります。
いや、LIVEで実際にこの曲を生で聴いても、歌い始めでは普通にそういう解釈で耳に入ってくるのかもしれません。
では、一般のお客さんは、曲が進んでどの辺りで「あれっ?ちょっと待てよ」と考えるでしょうか。
東京五輪万々歳 東京五輪おめでとう
Am F G E7 F Dm G C E7
被災地を救うため 東京五輪ありがとう
Am F G E7 F Dm G C E7
普段からジュリーの発信に触れていなければ、「被災地」というフレーズだけで「気づき」に至ることは難しいでしょう。「一般論」的な「被災地のために」と受け取られてもこれは仕方のないところです。
一方ジュリーファンであれば、冒頭の「東京五輪万々歳」の時点で早速「これは」と考えることになります。
「万歳」と「万々歳」では明らかにニュアンスが違いますからね。言葉が適切ではないかもしれませんが、「万々歳」には「本意ではないけど」という雰囲気があるように感じるのです。
ここで、昨年9月7日の『Pray』渋谷公演でのジュリーのMCについて振り返ってみましょう。
それはちょうど、オリンピック&パラリンピックの7年後(当時)の開催国がいよいよ明日決する、というタイミングでの公演でした。実際にそのMCを生で聞くことができた僕は、LIVEレポートでジュリーの言葉についての感想も書きました。畏れながら、ここで少し僕のその文章から引用します。
「明日の夜明けには、落選が決まるでしょう」
とジュリーがおどけるように言ったものですから、会場からは「え~~~っ?」という反応。
でも僕は、その後のジュリーの言葉を待たずとも、ジュリーが今回のオリンピック招致についてどんなふうに考えているか分かりました。
(中略)
たまたまLIVE前日、例の「コントロールされている」発言報道について
「ジュリー怒ってると思うよ。でも渋谷(のMC)でその件には触れないだろうね」
とカミさんに話していたのが・・・意外やMCでも採り上げた、ということは「みんな、考えてみ」というメッセージだと思うのです。
ジュリーは決して開催自体が悪いと言ってるわけではないので・・・結果、招致が決まったからには、僕ら一般の人達もそれぞれ考えることがあるはず。「やっぱりダメです」というのは許されない状況になったのですから。
このことは、招致が決定したその後、トークショーでもジュリーは話題に採り上げて
「決まったからには、被災地のためにやるべきだ」
と熱く語ってくれたのだそうですね。
あの町を 忘れないで
Am G C A7 Dm
思 い出して
F#m7-5 B7 E7
「東京五輪ありがとう」の詞では、そんなジュリーの素直な思いがズバリ直球で書かれています。ひょっとしたらトークショーの頃にはもう、歌詞のアイデアがハッキリジュリーの頭にあったのかもしれません。
「これは今歌わなイカン!」と。
招致決定前夜のMCでは、「原発事故のことがあるから、日本には行きたくない、という人だっている(外国選手や観客を指しているのではないか、と思いました)」との言葉もありました。
そもそも、対ファン限定の場であるトークショーはともかくとして、ジュリーはLIVEのMCで自らの社会的な考えを語るというのはそう多くはありません。僕も新規ファンとは言え、『ジュリー祭り』以降は数十回のステージ(まだ100回までは行ってない・・・と思う)を観てきた中で思い出して考えますと、ハッキリそれを感じたのは、たったの2回です。
ひとつは今語っている、五輪招致について。
もうひとつは、「かの人」が東京都知事を辞職し国政への参入を表明した時。
僕の参加していない会場でまだ例はあるのでしょうが、そんなに多くはないはずです。
これをして、ジュリーがLIVEのMCでそうしたことを語るのは、「黙っていられないほど腹の底から怒っていてる時」なのではないか、と思います。
ならばジュリーは、オリンピック&パラリンピック招致前夜の渋谷公演で、何に対して怒っていたのか。
答は、「東京五輪ありがとう」の歌詞中にあります。
I. O. C. 完全ブロック 表 なしね
Am G C A7 Dm F#m7-5 B7 E7
アンダーコントロール 騙す訳 ない
Am G C Dm C E7
新譜『三年想いよ』リリース直前の毎日新聞夕刊記事は、みなさまご存知ですよね。その中に、こんな一文がありました。
「東京に五輪を呼ぼうとした人は、『原発事故はやっかいだな』と思っていたに違いないよね」とぽつりと漏らした
I.O.C.の「原発事故のその後は大丈夫なのか?」という至極当然なアタックを、日本は「表なし」の「アンダーコントロール」という言葉で完全ブロックしたのだ・・・それが「東京五輪ありがとう」という曲の主旨です。
この2行が歌詞の根幹。ジュリーが歌いたかったことの本質を表しているのではないでしょうか。
僕もそうでしたが、最初に歌詞カードを見ずに曲を聴くと、ここは普通に「おもてなし」に聞こえます。それがいざ歌詞を読むと、「表なし」。さてどういうことでしょう。
ジュリーは昨年流行語となった「おもてなし」を否定しているのでは決してなく、「アンダーコントロールって言い方は、表じゃない」と言っているのです。
いや「表」だ、と誰かが言うならば。
言ったからには騙すわけないよね、コントロールするんだよね、あと6年・・・本当にやるんだよね・・・。
強烈です。
シニカルな歌詞に込めたこのジュリーの主張は、今の被災地の現状や、過去に怒った現実の過ちを淡々と歌った他収録3曲と比べて、ハッキリと攻撃的で激しいものです。「アンダーコントロール」と歌う部分は英語発音完全無視で母音をくっつけるような感じでメロディーに載っていますが、これは「日本人が放った言葉」としてジュリーが歌詞に組み込んだ、ということではないでしょうか。英語表記にするのとでは、意味が違うんだと思います。
歌がここまで進むと、一般のリスナーも
「あれっ、これは五輪開催にうかれ喜んでいるハッピーソングではあり得ないな」
と気がつくでしょうか。
「五輪は被災地のために」と言葉で言ったり書いたりすることは簡単です。重要なのは、観る側の僕らも含めて、関わっていく一人一人が真剣なその意識を持てるかどうか。
被災地復興の遅れの具体的原因として、資材の高騰と人手の不足が挙げられています。そこへ来て、五輪招致に伴う諸々の建設計画などの実現によってその人手不足に一層拍車がかかるのではないか、と危惧する声も高まっています。
僕には、過疎地域出身だからこそ、分かることがあります。都会の華やかさに実感が持てない感覚です。
五輪開催期間中、東京は多くの海外からの観光客を迎え、秋葉原あたりで様々な国の人達がメイドさんと写真を撮ったりするのでしょう。華やかなことです。否定などしませんよ。大いに結構。それは必要なことですし明るい光景でしょう。
ただ、同じ日本の離れた田舎に暮らす人々にとって、テレビなどで報道されるそんなシーンは、現実の世界だと思えないんですよ。自分はその輪の中にはいない、という前提で観てしまうのです。それが「地方の田舎」の住人の自然な発想です。
そんな地域を、何とかする五輪にできないか。
具体的には今回はもちろん、東日本の被災地ということになります。それができれば、「東京五輪ありがとう」と皆が言える。ジュリーのこの曲に対してのリスナーの感覚もも生まれ変わる。40年を経て生まれ変わったザ・タイガースの「誓いの明日」のように、聴こえ方が全然違ってくるはず。
ただし、あと6年しか時間がないんだよ、とジュリーは言っているんですね。
と、ここまで色々額に皺が寄るようなことを書いたのだけど・・・最初にも言った通り、「東京五輪ありがとう」は楽曲自体本当に痛快な、ノリノリの曲なんですよ。
だから、いざLIVEでこの曲が始まれば、何も考える必要もなく曲に身体を任せられる・・・それができる普段の「心構え」でいたいです。僕は、夢のような非日常の歓びは、やっぱり日常の心構え次第だと思っています。
まぁ、そう言う僕がいざとなったら固まってしまってしかめ面になってた・・・なんてこともあり得るのかな?
正直それも分からない・・・でもこの曲が明るい照明で演奏され歌われるのを生で観るのは、とても楽しみです。
CD音源では伊豆田洋之さんが歌っている重要な追っかけコーラスのパートを、LIVEで鉄人バンドの誰が担当することになるのか、というのも大きな楽しみのひとつ。
普通に考えれば柴山さんでしょうか。
泰輝さんはね、シンセのキメのフレーズと歌う箇所がちょうど重なる感じになるから、難しいんじゃないかなぁ。右手で16分音符の駆け上がるフレーズ、左手でベース、さらに追っかけコーラスも担当、なんてことになったら”神の両手”どころの忙しさではありませんからね。泰輝さんは、ヴォーカルとのユニゾン部のコーラスを受け持つことになるでしょう。
一番コーラスをとり易い演奏パートになっているのは下山さんなんだけど・・・さすがにナイですかね。
それでは次回更新は、4曲目「一握り人の罪」(+隠しトラックの5曲目「みんな入ろ」)を採り上げます。
「誇大でない現実を歌う」ジュリーが、時代を少し遡って過去に歴然とあった「現実」を歌います。そう・・・「重い」と言う以前に、これは現実の物語なのだということ。
そんな歌詞が、泰輝さん作曲の繊細緻密、素晴らしいバラードのメロディーにピタリと載っています。
僕の故郷のことも、少し書くつもりでいます。
しっかり頑張らないと。
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