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2014年2月

2014年2月26日 (水)

沢田研二 「Don't be afraid to LOVE」

from『パノラマ』、1991

Panorama

1. 失われた楽園
2. 涙が満月を曇らせる
3. SPLEEN~六月の風にゆれて~
4. 2人はランデブー
5. BACK DOORから
6. 夜明け前のセレナーデ
7. STOIC HEAVY~盗まれた記憶
8. テキーラ・サンセット
9. 君の憂鬱さえも愛してる
10. 月の刃
11. Don't be afraid to LOVE

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今日はちょっと長めの枕となります~。

まず、みなさまもうご存知と思いますが、デイリースポーツの北村泰介さんがまたまた素晴らしい
記事を書いてくれました。
思い出すのは、昨年の『Pray』ツアー座間公演の北村さんのレポート。ファンならば一読で分かるジュリーへの深い知識と愛情。的確な文章。
その時には拙ブログでも北村さんのレポートをリンク紹介し(今はもう読めなくなっています)、「今後きっとポイントポイントでジュリーを語ってくださるであろう人」ということで「お名前、しかと覚えました」と書きましたが・・・期待通り、今回の『ひとりぼっちのバラード』について書かれた北村さんの文章も実に素晴らしい!

北村さんは間違いなくジュリーのキャリア(もちろん、現在に至るまで)に詳しいかたです。しかしその文章は決してファン寄り一辺倒にならず、ジュリーとサリーとの関係をメインの切り口に、誰もが知る大ヒット・ナンバー「時の過ぎゆくままに」の話の流れから、あくまでも一般読者に分かり易いように、現在のジュリーの志を伝えるべく記事を纏めていらっしゃいます。
セットリストから「時の過ぎゆくままに」と対比するような感じで「我が窮状」「F.A.P.P」の2曲をピックアップし、それがどういった内容の曲なのかということまで簡潔、的確に伝えてくださっていますね。さらに今後のジュリーの活動予定も紹介。これぞプロの文章、これこそが真の「伝授」というものでしょう。
いつもひとりよがりな長文を書いて悦に入っている僕などは、「襟を正さねば」という気持ちにさせられます。才が無いので、北村さんに倣うことはできませんが・・・。

また、『ロックジェット』55号掲載の佐藤睦さんによる『THE TIGERS 2013』『ひとりぼっちのバラード』レポートもとても素晴らしい、と聞いています。
僕はまだ購入していないのですよ。今買ってしまうと、ストーンズ(メイン特集)のLIVEに行けないのが一層悔しくなりそうでね・・・(本日初日です!ちなみに昨夜は、BSで菅原文太さんが「ローリング・ストーンズなど来やせん!」と言ってました笑)。
どのみち今は仕事の決算期で、平日の早退どころか定時上がりすら無理だし、絶対行けないんですけどね。それに、節約。ジュリー夏のツアーで関西遠征を企んでおりますので、今は我慢です。
この『ロックジェット』は世間のストーンズ熱が通り過ぎるのを待って、いずれ購入はするつもりです。

そして。
何と言ってもジュリーファンの間では今、ニュー・マキシ・シングルの話題でもちきりです。
今年も3月11日にリリースされることになったジュリーの新譜。タイトルはズバリ『三年想いよ』。
テーマが3年目の「PRAY FOR EAST JAPAN」であることは明白ですよね。曲タイトルから、1&2曲目がバラード、3&4曲目がロック或いはポップ・チューンと僕は予想してみました。

それにしてもジュリー、つくづく、ブレない人です。
東日本大震災について、その後の日本のあり方について、歌いたい、伝えたいことは尽きないのでしょう。いや、むしろ時の経過、風化を思わせる社会の動きに逆らい、ジュリーの思いは溢れる一方なのでは。
夏からの全国ツアーでは、震災で大きな被害を受けてしまった地での公演も決まっているそうです。ジュリーは、どんな歌を携えて被災地に赴くのでしょうか。

ジュリーのことですから、『三年想いよ』の「想い」は、「重い」とかけていますよね。
「発売が楽しみ」とは軽々しく言えないような・・・いや、もちろんメチャクチャ楽しみなんですけど、身が引き締まる思いと言うのか、収録曲のタイトルを見ただけで、今年もまたファンはジュリーの豪速球を受け止めることになるんだなぁ、と。
ホント、色々なことを曖昧なままにはさせない、というジュリーのメッセージでしょう。
聴き手は、じゃあ自分はどう思うんだ、と考えざるを得ませんし、僕などはジュリーのメッセージに自分なりの「答」を持って、また考察記事を書くことになります。
まず、しんどい、キツい・・・でも、とても有り難い。
『ジュリー祭り』参加以来、ジュリーは僕にとって、ズボラな欠点を機を見て正してくれる人。それは、本当にそうなんですよね・・・。

僕は、『ひとりぼっちのバラード』渋谷最終公演で、「レコーディングはこれから」というジュリーのMCがあったと聞きまして、てっきり「そうか~。今年の新譜は夏くらいなのかなぁ」なんてのんびり構えておりました。
でもちょっと考えてみると2012年、1・24日本武道館公演を終えたジュリーが、「細かいことからコツコツと」の宣言通り節分を機にトッポにラブコールを送り続け、「仲直り」のきっかけとなった電話がトッポからかかってきたのが「ちょうど(『3月8日の雲』の)レコーディングの最中だった」と語ってくれていたんですよね。「あぁ、2月中頃の話だったんなんだなぁ」と思ったものです。
お正月のLIVEを終えてすぐレコーディング、3月11日リリース、という早業は、例年通りのスケジュールだったということなのですね。凄いなぁ。ジュリーも凄いけど、一気に音入れする鉄人バンドも凄い。
おそらく『THE TIGERS 2013』ツアーが終わるまでに鉄人バンドのメンバーそれぞれが1曲ずつを作り、年が明けてからジュリーが詞を載せたのかな?いや、作曲、作詞についてはもっと早めに動いていたのかも。

いずれにしても、今年もジュリーの思いをしっかり全身で受け止めなければ・・・。
とりあえずアマゾンさんに予約。
アマゾンさんが今回も発売日以降の発送となてしまった場合はお店に直接買いに行き、遅れて到着した商品はYOKO君に引き取ってもらう、という恒例のパターンとするつもりです。
もちろん拙ブログでは、3月11日を起点に完全『三年想いよ』モードへと突入し、全4曲の考察記事を気合入れて執筆しますよ!


といったところで、それでは本題です。
”『ひとりぼっちのバラード』セットリストを振り返る”シリーズも、今日で4曲目。当初6曲を執筆の予定でしたが、新譜リリースがあることが分かったので、今は「なんとか3月11日まで書けるところまでは書こう」と考えています。

さて、毎回”振り返る”シリーズで採り上げる曲には、一応それぞれ自分なりの(ヒヨッコなりの)執筆テーマがあったりします。

鼓動」では、「こんなにイイ曲だったか!」という、LIVE体験で改めて得た新鮮な再評価を。
涙のhappy new year」では、「苦手」と思い込んでいた壁曲を悠々と乗り越えてしまった驚愕を。
緑色の部屋」では、個人的に大サプライズのセットリスト入りで機会を得た、リクエスト曲としての執筆を。

そして今回は・・・これは、僕が完全ジュリー堕ちした2008年12月3日、『ジュリー祭り』で「ポカ~ン」と聴いてしまい、その後のじゅり勉で大好きになった曲のリベンジ!”振り返る”シリーズ恒例のテーマです。
本当に、ツアーの度に”『ジュリー祭り』ポカン曲”との再会があるんですよね~。
今日採り上げる曲は、早くも5年待ったことになりますが・・・『ジュリー祭り』以来久々、今回満を持してセットリスト入りを果たした珠玉のジュリー・バラード。

アルバム『パノラマ』から。
「Don't be afraid to LOVE」、伝授です!

作曲は平井夏美さん・・・5年前、CDを購入し最初に歌詞カードを見た時、どこかでよく見かけるお名前だなぁ、と思っていましたら、井上陽水さんの「少年時代」の共作者でいらっしゃったのですね。仕事柄、「少年時代」の作曲クレジットはしょっちゅう目にするものですから・・・。
なるほど「Don't be afraid to LOVE」とは、”説得力のある美しさ”というメロディーの共通点が見出せます。

さて、この曲については当初、ヒヨッコならではの勘違い・・・と言うか失態がありました。
『ジュリー祭り』に参加してこの曲が歌われた時、僕は先述した通り「初めて聴く曲だ・・・」とポカ~ンとしてしまったのですが、これが実はとんでもない間違い。僕はその時点で、DVD『REALLY LOVE YA !!』を持っていたのですよ。にもかかわらず、これだけの名曲を認識できていなかったという・・・ドームのレポを読んだYOKO君に指摘されて初めて「ああっ、確かにそうだ!」と(恥)。
まぁ、あの時書いたレポは、他にも様々な点でヒヨッコ感丸出しでした。
僕としては”本格ジュリー堕ち”のちょっとほろ苦い出発点でしたね・・・。だからこそ、あの時の自分の気持ちにいつまでも思い入れがあるのですが。

もちろん、その後のじゅり勉で「なんという名曲を軽視していたんだ!」とすぐに認識を改めましたよ。
あの不勉強なレポにコメントをくださった先輩が、「LIVEが終わって帰宅しすぐに聴いたアルバムは『パノラマ』でした」と書いてくださったことで、「Don't be afraid to LOVE」がセットリストに採り上げられたのはきっとジュリーとジュリーファンにとって特別なことだったんだ、と想像しながら改めて曲を勉強できたことが大きかったのです。

明けてお正月の『奇跡元年』のレポートで僕は、「約束の地」か「Don't be afraid to LOVE」を聴きたい、と思っていた・・・と書いています。我ながら、ヒヨッコとしてはなかなか正しい成長(?)を短期間で遂げたのではないでしょうか。
その『奇跡元年』で「約束の地」のリベンジは叶えられましたが、「Don't be afraid to LOVE」の方は5年待たされました。

この曲はやっぱりジュリーの自作詞、それに伴う「自分が歌いたいのはこういうこと!」という思いからくる圧巻のヴォーカルが際立っていると思うのです。
それはこの1曲だけで考えるのではなく、その後幾多のジュリー作詞作品、セルフ・プロデュース時代へと移行するジュリーの歴史を俯瞰した時、とても重要な曲だと感じます。

「歌いたいことを歌う」・・・ジュリーの自作詞への渇望は厳密にはCO-CoLO時代に始まっていたのでしょう。しかしそれはアルバム『彼は眠れない』での吉田建さんプロデュース期への移行に伴い一度宙に置かれました。
再び(良い意味での)”スーパースターの虚飾”を纏ったジュリー。それは『単純な永遠』、そして今回採り上げているアルバム『パノラマ』にもコンセプトとして引き継がれています。
そんな『パノラマ』にただ1曲・・・ラスト収録の「Don't be afraid to LOVE」で、ジュリーの激しい、切実な自作詞曲への渇望の再燃を見るのは僕だけでしょうか。

何故『パノラマ』の曲順は、「Don't be afraid to LOVE」で締めくくられるのか・・・単に「バラードで美しく完結させた」というだけのことではない、と僕は思うのです。
それは、「後に続く曲」が見当たらなかったからではないでしょうか。曲作りのベクトルが他の収録曲とは違うのです。それほどこのタイミングでの”ジュリーの自作詞”というのは重かった、意味が深かったのでは・・・。

ビートルズの『(通称)ホワイト・アルバム』という2枚組の作品をご存知でしょうか(ジュリーはかつて、ビートルズならこのアルバム、ストーンズなら『スティッキー・フィンガース』、と自身の好みを語ったと聞いています)。
『ホワイト・アルバム』は、メンバーが自らの好みのままに個別に作曲したものが多く、それぞれのソロ作品を集めたようなラインナップとなったことで、プロデューサーのジョージ・マーティンはアルバム収録曲順に頭を悩ませました。結局A面、B面、C面、D面それぞれのラストに「後に続く感じの曲が無さそうなナンバー」を配することから全体を纏めあげていったと言います。そういう”アルバム曲順の決め方”って、あるんですよ。

同じ意味で、あれほどの豪華な作家陣を集め、文字通り”パノラマ”な世界観を構築する楽曲群の中にあって、シンプルだからこそアルバムの中で異の光を放つ名曲、バラードの中のバラード・・・それが「Don't be afraid to LOVE」だと僕は考えています。

まわり道ばかりの  色んな日々を過ぎ
Bm                C#m  Bm                  A

僕は決めたけれど 君は自信がないと言う
Bm                   C#m     Bm                E

Don't be afraid to LOVE 二人なら
              A

プラトニックなエクスタシー
       F#m

Don't be afraid to LOVE 飛び込んでくれ ♪
              Bm                E                 A

2番以降になると、ジュリーのカタカナ遣いに「?」な部分が実はあるのですが、それは単にフレーズ一語一語についてのこと。歌われている内容、意図・・・ジュリーのシンプルな気持ちは、歌詞全体からヒシヒシと伝わってきます。絶品のヴォーカルに「演じる」という要素を感じないのは、アルバム中この1曲だけです。

僕はこの詞に、後に覚和歌子さんが作詞した2曲のジュリー・ナンバーへの道筋を見ています。
いずれも、ジュリーの「こんなことを歌いたいんだ!」という意志を汲み取って覚さんが書き、間違いなくジュリーも気に入っているであろう内容の2曲。
ひとつは「Don't be afraid to LOVE」のテーマを一歩押し進めて解釈したような「僕は幸せおそれない♪」なるカッコ良いキメのフレーズが登場する、「銀の骨」。
もうひとつは、「君の愛以外は不要!」と断言する究極の断捨離ソング、「グランドクロス」です。
「銀の骨」は分かり易いかと思いますが、「グランドクロス」については、僕なりに考えていることを語る必要があるでしょうね。

僕は「Don't be afraid to LOVE」を歌うジュリーに、いわゆる「シンプルさ」へと向かう意志、生き様の魅力を感じています(それは『ひとりのっちのバラード』ツアーで体感したこの曲のヴォーカルにも感じたことです)。
何故生きるのか。何故歌うのか。
飾りを取り払い、完全にその基本に立ち返ろうとするジュリーがこの詞に見えるような気がします。「飾り」というのはこの場合、皮肉なことに『パノラマ』のようなアルバム・コンセプトを指すとも言えます。

もちろん僕は「作られた」ジュリー像から成る楽曲も大好物ではありますが、ジュリー自身には「そうじゃないんだ」という気持ちが、特にこの頃はあったんじゃないかなぁ。そこまでハッキリ意識していなかったかもしれませんが・・・。
そんなアルバム作品同士のせめぎ合いが、ラスト収録のバラード「Don't be afraid to LOVE」で浮かび上がってくるように僕は思います。ジュリーのアプローチの突発的な変化・・・だからこそ、『パノラマ』というアルバムはとても興味深い、重要な1枚なんですけどね。

このことは、次作『Beautiful World』での、「覚さんの詞をコンセプトに」という制作スタンスへと繋がっていき、そこで一旦雄伏したジュリーの作詞欲が、『REALLY LOVE YA !!』収録の「Child」でじわじわと頭角を現し、後のセルフ・プロデュース期に幾多のジュリー自作詞の名曲群を生んでゆく・・・僕にはそんなふうに思えます。
そうした過程で、ジュリーの生き様、意志にシンクロするようにして作られたのが、覚さんの「グランドクロス」ではないか、と僕は位置づけています。

結局、「シンプル」な気持ち、ということなんですよ。
愛へ向かう、歌へ向かう、人生へと向かうジュリーの、潔さ=シンプルさ。
凡人ならいざ知らず、ジュリーほどの人が「シンプルであれ」と自らを解き放った時、生み出される作品が素晴らしくないはずがありませんからね。それが、現在まで続いているジュリーの大きな魅力、多くのファンを一層虜にしてしまう大切な部分ではないでしょうか。

こうして考えると、まるで『パノラマ』収録曲の中で「Don't be afraid to LOVE」だけがジュリーのセルフ・プロデュース作品のようで、吉田建さんの思惑から外れている、と結論づけたくなりますが、いやいや実はこの曲には建さんの色も強く出ているんです。その点がまた、この名曲の面白いところでもあります。
それは、アレンジャーとしての建さんの主張。

最も強烈なのは・・・これは分かり易いでしょう。変則的、かつ淡々としたタイミングで放たれるスネア・ドラムですね。
曲に慣れないうちは、このドラム・フレーズに「おっとっと!」とつんのめってしまった、という方々もひょっとしたらいらっしゃるのかな?

これは、「不変なるもの」「永遠の決意」といったジュリーの意を汲んでの建さん流のアレンジではないか、と僕は考えていますが、何故変則的に聴こえるのかというと、キック(バス・ドラム)が同時演奏されていないからなのです。実はこのスネア・ドラムのタイミング、基本通りの打点にキックを絡ませると、結構よくあるパターンの演奏なんですよ。
例えばジュリー・ナンバーで言いますと、『ひとりぼっちのバラード』での熱演も記憶に新しい「耒タルベキ素敵」がそうです。

つ、つ、たん、つ、たんたん、たん!

というドラムスが登場しますよね。
この「つ」の部分(キック)全てと、一番最後の「たん!」(スネア)を1コだけ抜いて脳内再生してみてください。
そのまま「Don't be afraid to LOVE」のあのドラムス・フレーズに早変わり!
「Don't be afraid to LOVE」のLIVEでGRACE姉さんは、きっとスネアのみを打ちながら頭の中ではしっかり「つ」を入れて演奏しているんじゃないかな~。言わば、柴山さんの「ちゅくちゅく♪」というブラッシングの役割を、GRACE姉さんの脳内の「つ」が果たしているわけです。
フレーズは2小節ごとに丸々全休符の箇所を経て噛んでくるので、かなりトリッキーな印象にはなるんだけど、スネアの打点自体は王道と言っても差し支えないと思います。

建さんのアレンジでそれ以外に目立っているのは、細やかな音同士の噛み。手を変え品を変えといった感じで、「1箇所入魂」の音が次々に登場します。
「Don't be afraid to LOVE」は全体的にはもの静かなイメージがあるので、演奏楽器のトラックが少ないように聴こえるのですが、聴き込んでいくとそれがとんでもない!様々な音が散りばめられているのです。音の「圧」は薄いのですが、音の「数」が非常に多いということです。
例えばこの曲を現在の新曲として鉄人バンドがまったくの無の状態からからレコーディングしたら、おそらく「涙色の空」のようなアレンジになるでしょう。それはそれでとても良くなると思いますが、『パノラマ』では建さんの完璧な「音の装飾」が楽しめます。
ジュリーはシンプルに、建さんはきらびやかに。スリリングなせめぎ合いあっての名曲です!

全体を通して継続して鳴っている音は2つだけ。
先述のスネアドラムと、ヴォイス系の音色で淡々とコードを弾くシンセサイザーです。このシンセ・コードはおそらく左手の演奏。何故なら、「小さな背中♪」のブリッジ部で、同音色の高音部アルペジオが登場するからです。それを右手で弾いてワン・トラックなのではないでしょうか。
浮遊感のある音色ですよね。

鍵盤は他に3つのトラックがあります。
まず、ピアノは分かり易いですね。あとは、本当に限定箇所入魂の登場となる、オーボエ系のロングトーンと、ストリングス。
ストリングス・トラックは右サイドにミックスされているので聴き取り易いはずです。最初の登場は、2番「ありきたりじゃないね♪」の直後で、チェロの音色のソロで噛んできます。これはシンセだと思うなぁ。このアルバムには生ストリングスのクレジットもあるんですけど、それは「SPLEEN~六月の風にゆれて」を指しているものと考えられます。

次にギターです。
明快なのはアコースティック・ギター。2番から、左サイドのミックスで渋く演奏が始まります。
問題はエレキ・ギターです。何気なく聴くと、この曲のCD音源にはエレキは使われていないんじゃないかと思ってしまいますが、さにあらず。「もう離さない♪」からアレンジが最後の盛り上がりを見せる箇所で、僅か数秒のディストーション・ギターの音が聴こえます。この音が登場するのは本当に、楽曲全体でただこの1箇所のみなのです。建さん、徹底しています。
さらに・・・イントロとエンディングで薄~く絡んでくる柔らかい音色。これはシンセサイザーではなくペダル・ギターだと僕は思うのですが、どうでしょう?
いずれにせよ、こちらも登場箇所は局地的。

最初のサビ部から導入して以降、静かに音の深みを受け持つベースや、おそらくスネア・ドラムと同時のトラックとも考えられる効果的なシンバル、タンバリンのパーカッション・アレンジ(ポンタさんの隠れた名演です)と併せ、「Don't be afraid to LOVE」にはこれほど多くの音数が散りばめられているのです。
必要な時、必要な音色で様々なトラックが挿入されている・・・建さんのアレンジでなければ、また「Don't be afraid to LOVE」のような曲でなければ、こうはならなかったでしょう。

そんな多彩な音が乱舞するこの曲を『ひとりぼっちのバラード』で演奏した鉄人バンドの再現力、構築力もさすがでした。
さすがに(ベースも含めて)泰輝さんの1人6役は無理ですから、そこで大活躍となったのが柴山さんです。ベースのパートとストリングスのパートを上手く融合した単音弾きで全体の低音域をカバー。その合間にピッキング・ハーモニックスで新たな高音部のアレンジ解釈を加えていました。
下山さんも、CD音源のアコースティック・ギター・パートの再現に加え、途中からは厚みのあるストロークも交えながら、徐々に盛り上がっていく曲想をサポート。

『ジュリー祭り』の参加段階では、ヒヨッコ故の「ポカン曲」・・・そこまで細かい演奏にまで耳が行きませんでしたから・・・ジュリーの生のヴォーカルとの再会と同じくらい嬉しく、鉄人バンドの演奏も堪能しました。

こうして、生のLIVEで聴いたばかりの曲を、レコーディング音源を改めて紐解きながら比較していく作業は本当に楽しいです。
そして、気がつけば僕の”『ジュリー祭り』ポカン曲”・・・その後参加のツアーでのリベンジがまだ果たされていない楽曲は、何と残すところ「Snow Blind」ただ1曲のみとなりました。
「近いうちに」と予感していますよ!


それでは・・・予定通りあと2曲書ききることができるのかどうか分からなくなってきましたが、少なくとも次の記事は”セットリストを振り返る”シリーズとしてどうにか更新にこぎつけられそうです。

次回お題予定曲執筆へ僕が定めたテーマは
「今にしてようやく、これはジュリーLIVEの定番曲だったんだな、と認識したナンバー」
というもの。
さぁ、どの曲でしょうか。お楽しみに!

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2014年2月19日 (水)

沢田研二 「緑色の部屋」

from『sur←』、1995

Sur

1. sur←
2. 緑色の部屋
3. ZA ZA ZA
4. 恋がしたいな
5. 時計/夏がいく
6. さよならを待たせて
7. あんじょうやりや
8. 君が嫁いだ景色
9. 泥棒
10. 銀の骨

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まず、今回大雪の被害に逢われた方々にお見舞いを申し上げます。
各地のJ先輩やJ友さんも大変な苦労を強いられていらっしゃる方々が多数。今週になって仕事でも物流のトラブルが相次ぎ、改めて深刻な状況を実感しています。
みなさまの無事、ご不便の復旧をお祈り申し上げます。

さて今日は・・・前回、前々回に引き続きまして、”『ひとりぼっちのバラード』セットリストを振り返る”シリーズとしての更新です。
まだ深い余韻の残る、あの素晴らしいステージで採り上げられた名曲群から6曲を執筆する予定でシリーズ開催中。今日はその第3弾となります。

お題は偶然にも、ブログの相互リンクをさせて頂いておりますJ先輩、aiju様より昨年記事執筆のリクエストを頂いていた曲でもあります。
僕も大好きな曲でしたが、いかにもアレンジ考察や採譜が大変そうな印象で、じっくり腰を据えていつの日か・・・と考えていました。そこへきて今回の(個人的には)アッと驚くセットリスト入り。これはもう、「今が書く時だ!」と思わざるを得ません。
難解な楽曲構成を、頑張って紐解きましたよ~。

アルバム『sur←』から。
「緑色の部屋」、伝授です!

それにしても、何というセットリストだったのでしょう。ジュリーのヴォーカルは常に素晴らしいのですが、今回はその真髄、MAXの魅力が味わえる曲が次々に繰り出されました。
初日、「緑色の部屋」が歌われて
「うわ、ジュリー、一体何処まで突き抜けるつもりなんだ!」
と思いましたからね。
しかもそれはまだまだ序の口だったという・・・。ジュリーのバラードづくしのセットリストがこれほど強力だったとは。分かってはいたけれど、想像以上でした。

そして・・・この一見すると風変わりな変化球ナンバーが多くの先輩方に熱烈な支持を得ていたことに、まずは驚きましたよ。「緑色の部屋」は、意外や人気の高い1曲だったのですね。
初日公演終了後にロビーでお会いしたりんだ様が、大変な感激のご様子で
「私、あんなおどろおどろしい曲が大好きなのよ・・・おかしいでしょ?」
と仰っていましたが、いやいやおかしくなどありませんよ。名曲ですから!

でも考えてみますと、「緑色の部屋」は確かに「とっつきやすい」曲とは思えません。
ところがジュリーはこれまでの歌手人生で、キャッチーな曲ばかりを歌っていたわけでは決してなく、時代時代にこうした「緑色の部屋」のような、いわゆる「気難しい曲」
(←byジュリー)を少なからずリリースし続けているんですよね・・・。
以前aiju様が「緑色の部屋と印象が重なる」と書いていらした「影絵」などは正にその好例で、しかもそういった「一般ウケしにくい」と思える曲が、ファンの間では自然に支持され、しっかりジュリーの名曲として認知されている・・・やはりジュリーは只の歌手ではありません。

「影絵」もそうですが、「緑色の部屋」は曲想、アレンジ、演奏に暗い炎のような衝動を感じます。聴き手はその混沌とする衝動の中を彷徨いながら、ジュリーの「生身」を求め、聴こえてくる歌声にひたすら縋るのです。
それこそがジュリー・ヴォーカルの肉感的魔力なのだ、と思います。

それでは、何故僕がこの曲を「この先LIVEで採り上げられることはないだろう」と考えてしまっていたか、という点から話を進めてまいりましょう。
これには2つの大きな理由があります。

第1点は、歌詞です。
後追いファンの宿命・・・短期間に近年のジュリー・ナンバーやLIVEセットリスト情報を一気に吸収したことで、幾多の収録アルバム曲に登場する歌詞の中、「あぁ、ジュリーにとってこの言葉は特別なんだな」と認識させられたフレーズがいくつかあります。
代表的な例は、やはり「平和」。
『ジュリー三昧』の中でジュリー自身は、「アルバム『忘却の天才』あたりから(自作詞曲で意識的に)そうした言葉が入ってくる」と語っていましたね。

他、いくつか重要と考えられるフレーズが挙げられますが、その中に「緑色」というのもあると思います。
緑色とはおそらく「平和」の色、「少年」の色、「高原」の色・・・ジュリーが普段からの思いを持つ様々な言葉とシンクロする、自らの志、心のありようを象徴する色、なのではないでしょうか。
みなさまも、「緑色のkiss kiss kiss」「greenboy」といったジュリー作詞作品をすぐに思い浮かべるでしょう。

ところが、本格ジュリー堕ち前の僕には、「緑」という色に何かおどろおどろしい、不吉なイメージが実はあったのでした。
そしてそのイメージは「緑色の部屋」の無気味な(褒めていますよ!)曲想と重なり、「あぁ、自作の詞ではないし、この曲の”緑色”というフレーズはちょっと異色だな」と感じていたのです。

僕の「緑色」へのイメージはおそらく幼児体験・・・まずは少年期に読んだいくつかの本の影響があります。
江戸川乱歩の『緑衣の鬼』、ジョン・ウィンダムの『トリフィドの日』、ピーター・ディキンスンの『緑色遺伝子』・・・特に『緑色遺伝子』などは社会性の強いテーマからくるその閉塞感がそのまま「緑色の部屋」のイメージとダブり、この歌詞に何らかのインスパイアがされているのではないか、と当初は勘ぐってしまったほどです(アルバム1曲目の「sur←」がウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』にインスパイアされているのは確実なので、最初に聴いた時、「このアルバムは、SF小説がモチーフなのか?」と考えた、ということもあります)。

また、僕の世代なら少年期に絶対観ている『ウルトラセブン』。その第2話に「緑の恐怖」という名編がありました。
”ワイアール星人”という森林のお化けみたいな宇宙人が夜の住宅街を闊歩するシーンがあり、まぁ今ならばツッコミながら楽しく観れますが、子供時分は無性に怖かったものです。
さらに映画だと『マタンゴ』。これは今でも怖い!
いずれも、「緑色」=怖い色、なのだと幼い少年に植えつけてしまう大きなインパクトがあったわけです。

ジュリーの「緑色の部屋」には、そんな「緑色」を僕に勝手に想起させるものがあり(浅く聴けば、ですよ)、「これは今のジュリーが歌いたい”緑”とは違う。勿体無いけど、もうジュリーはこの曲の”緑”は歌わないだろうなぁ」と思えてしまいました。

第2点は、演奏面です。
昨年末、記事を書かせて頂きました「銀の骨」・・・リクエストをくださった先輩、ちこ様からは、「ドラムスについての解説を」ということでポンタさんの名演について語りましたが、さすがはドラムスの音に耳聡いちこ様、『ひとりぼっちのバラード』閉幕後に、過去のLIVEで採り上げられた「緑色の部屋」について、ドラムス演奏についてのお尋ねがございました。
僕はうかつにもDVD『21世紀三大都市公演』が手元に無い状況だったので、てっきり「緑色の部屋」は1995年のツアー『あんじょうやりや』でしか過去に採り上げられていないと思い込んでいたんですけど・・・その『あんじょうやりや』でのこの曲のドラムスは、いわゆる「打ち込み」ではないですか?というのが、ちこ様の抱かれた疑問でした。
そして、それは正にその通りなのです。

「緑色の部屋」はまず、アルバム『sur←』収録のレコーディング音源が打ち込みのドラムスを使用したテイクです。これは、歌詞カードにもハッキリと朝本浩文さんのプログラミング・クレジットが明記されています(当然、生のドラムス・クレジットはありません。ドラムス演奏に重きが置かれているアルバムであればこそ、その異色のアレンジは際立っています)。
これは、アルバム『生きてたらシアワセ』や『ROCK'N ROLL MARCH』で白井良明さんが採り入れた”擬似ドラム”的な打ち込みとは似て非なるもの。敢えて”リズムボックス”的なプログラミングが施されているのです。

さらにリリース同年のツアー『あんじょうやりや』のこの曲では、レコーディング音源と同一の「打ち込み音」がバックに流れています。おそらく朝本さんのプログラミング・テイク(レコード・ノイズS.E.も含めて)がそのままツアーに流用されたのではないでしょうか。

僕はもちろん95年のツアーを生で観ていませんから、打ち込みをプレイバックとした上でポンタさんが何かしらの演奏を行っていたのかどうかまでは判断できません。
音と映像、セットリスト曲順配置から推察しますと、ポンタさんは完全に演奏から離れているように思えますが・・・いずれにしてもこの年のツアーでの「緑色の部屋」が、打ち込み音の自動演奏を採り入れた、ジュリーLIVEとしては逆に貴重な1曲であったことは確かです。
もちろんそれは楽曲コンセプトに沿って、究極の悲しみ、別れの曲であればこその硬質、無機的な表現を狙っての英断だったのでしょう。

ところが今のジュリーLIVEは、特に2010年以降の鉄人バンドとの音源制作段階からの一体感、信頼関係もあり、あくまで「生音」に拘っているように思います。
ですから僕は「打ち込み」での表現が求められる「緑色の部屋」は、今後もう採り上げられることはないのではないか、と思ってしまったのでした(実際には、2001年にGRACE姉さんの生ドラムで演奏されていますから、これは僕の明らかな「うっかり」なんですけどね)。

しかし、そんな僕の考えは本当に甘かった。
ジュリーの凄さを基本に立ち返って考えれば、ジュリーはたとえどんな歌詞、どんなフレーズであろうと、その時々の自身の「思い」によって曲へのアプローチを変化させる・・・と言うか自在に表現できる歌手なんですよね。
ツアー・タイトルの「ひとりぼっちのバラード」が、正にそうだったではありませんか。

今のジュリーが、「緑色の部屋」を歌おうとした理由はきっとあるはず・・・それは何だったんだろう?

僕などのレベルで考えが及ぶのは、稚拙きわまりないところでしかないのですが・・・「そっとくちづけを」の前に配されている、というセットリストの繋がりから、ジュリーなりの「レクイエム」だったのかなぁ、と推測するのが精一杯。
「別れの悲しみ」「やり場の無い寂しさ」「無力」「不条理」などを表現していたのかな、と。
LIVEに実際参加して確かに言えることは、Aメロでの囁きかけるようなヴォーカル、テンポアップしてからのほとばしる感情の叫びが、ビンビンに客席に伝わってきた、という実感。
前回記事の「涙のhappy new year」同様に、後になってから色々考えてしまうことはあるけれど、『ひとりぼっちのバラード』でのジュリーのあのヴォーカルを生で体感して受けた感動こそがすべて・・・なのでしょう。

では、この一見複雑怪奇な変化球ナンバー「緑色の部屋」が、何故多くのジュリーファンの心を掴んでいるのか・・・拙ブログとしましてはここで、その名曲たる所以、秘密をいくつか、楽曲構成を紐解くことから考察してみましょう。

まずは、(リズムボックスの硬質なリフレインも手伝って)無気味なほどにクール、かつ暗い情念を以って聴き手に迫ってくるキーボード・アルペジオに載せたAメロ部について。
キーは、ホ短調です。

それで 君はどう したいの
Em      Em(onD#)  E
m(onD)  C#m7-5

長かった沈黙   ah 終わりにしなければ
              Cmaj7  B7                 E

冒頭の「Em」から「Cmaj7」までの進行は「クリシェ」と言って、和音の一部が半音ずつ下がっていく、という理屈になっています。
前回記事「涙のhappy new year」のAメロでは、逆に半音ずつの上昇。比較すると、いずれも美しい進行ながら、聴き手が受けるイメージの明暗がずいぶん違うことが分かりますね。

で、この「Em」からの半音下降、鍵盤を使う場合の音階で記すと、右手が「ミ・ソ・シ」のまま、左手を1小節ごとに「ミ」→「レ#」→「レ」→「ド#」→「ド」と下げて弾いていけば再現できます。
この時の和音構成から、みなさまよくご存知の有名な胸キュンなナンバーのAメロとの一致が見出せます。
それは他でもない、ザ・タイガースのデビュー・シングル「僕のマリー」です。

「僕のマリー」のAメロは
「Em」→「Emmaj7」→「Em7」→「Em6」
これは「緑色の部屋」の「Em」から「C#m7-5」までの進行とまったく同じ理屈なのです。コードネームが異なるのはこの場合、ベース(『ひとりぼっちのバラード』では泰輝さんが左手で演奏)が下降しているかギターが下降しているかの違いに過ぎません。
「僕のマリー」の記事で僕はこのクリシェを「万人に訴える胸キュンな進行」だと書きましたけど、「緑色の部屋」で鳴っているおどろおどろしい楽器の音色(?)の裏には、「僕のマリー」からみなさまが受ける「キュン」とする感覚・・・それとまったく同じ理屈が隠されれているのです。
みなさまは、無意識にその進行の美しさを感じとっていらっしゃるのではないでしょうか。

さらに・・・「ミ・ソ・シ」の和音のままベースだけが半音ずつ「ド」の音まで下がってきた「Cmaj7」の次のコードは「B7」。
これはルート音が「シ」の音ですから、厳密にはここまでがクリシェ進行となります。その「B7」をドミナント・コードとして「終わりにしなければ♪」の「ば」は突如ホ長調へと着地します。
ホ短調からホ長調へ。こうした「一瞬の」同主音近親移調の手法については、これまで「ルナ」や「幻の恋」の記事で触れたことがありますが、まだブログでお題に採り上げていない名曲で、もっと「緑色の部屋」に近い曲想を持つ例があります。
『JEWEL JULIE -追憶-』収録の「衣裳」です。
「緑色の部屋」がお好きなかたは、きっと「衣裳」も大好きに違いない!というのが僕の論理的(?)推察なのですが・・・その点いかがでしょうか?

そして曲は激しいリズムチェンジと共に、今度はとんでもない転調が登場します。ここでガラリと雰囲気が変わるのは、テンポや演奏だけに限らない・・・実はキー自体がまったく別物になっているんですよ。

もうこのまま 追いかけられず
G#m

もう明日を 塗りかえられず
E

色    は   こんな   に 褪せてゆく
D#m  G#m  C#m7 F#7      B

緑色のままで
D#7       G#m   G#

この部分は嬰ト短調です。
ホ短調とも、ホ長調とも完全に分離独立したキー・・・転調と言うよりも、全然別個の2曲を繋ぎ合わせたかのような構成に、聴き手はただただ飲み込まれるしかないのです。

ここまで斬新な転調となると、元のホ短調への回帰も容易ではありません。朝本さんが繰り出したアイデアは、キーボードのクロスフェードで2番Aメロへと戻っていく、という非常に凝った構成。
これ、絶対音感の無い僕などでは、CDと一緒に歌った時、2番の冒頭でうまく音程を合わせることすらできませんからね・・・。これまたジュリー・ヴォーカルの、この場合は技術的なレベルの高さを物語っています。

しかし・・・そんな難解な構成を擁しつつ、「緑色の部屋」でのジュリー・ヴォーカルの聴き手との「近さ」は本当に凄い。
非情とも言える別れの曲なのに、ジュリーに

「それで・・・君はどうしたいの?」

な~んて耳に息をかけられるように歌われると、おそらく女性ファンはもう「好きなようにして~」と身を投げ出したくなることでしょう。
「別れ」がテーマの曲で歌詞や歌に自己投影して浸れる、というのは世の楽曲にも多くあれど、歌い手に向かって「イヤ!別れない!」と駄々をこねたくなる曲なんて、そうそう無いと思いますよ。

その意味で、今回の『ひとりぼっちのバラード』の「緑色の部屋」で悶絶した女性ファンはきっと多くいらっしゃったはずです。

最後に・・・作詞は、いつもジュリー・ヴォーカルにピッタリな詞を書いてくれる朝水彼方さん。朝永(ともなが)さんではありません。朝水(あさみず)さんです。さすがに今ではもうしっかり覚えました(汗)。
僕は朝水さんの作詞作品ですと、「愛しい勇気」や「夜明けに溶けても」といったハートウォームな名編をまず思い出すのですが、この「緑色の部屋」のような悲しい詞も良いですね。
主人公は男性なんですけど、いかにも女性らしい達観、潔さがあって、それがまたジュリーのような男性ヴォーカリストに素晴らしく似合っているという。

朝水さんは、どんな思いでこうした別れの情景を「緑色」というイメージに託したのでしょうか・・・。
もっともっと、ジュリーの曲作りに関わって欲しかった作家さんの一人です。


さて次回のお題・・・これは、いわゆる”『ジュリー祭り』ポカン曲・リベンジ”シリーズでもあります。
「ポカン曲」というのは、畏れ多いことながら拙ブログで生まれた、ヒヨッコ・ジュリーファン用語だったりするんですよね~。

あの2008年の二大ドーム公演がジュリーLIVE初参加、或いは久々の参加、という方々はとても多いと思います。
そんな後追いのヒヨッコ新規ファン、或いは出戻り組のみなさまならでは!という大きな楽しみのひとつ・・・それが、ドームで「知らない曲だ・・・」とポカ~ンとしてしまい、その後のじゅり勉で素晴らしさを再確認した曲達の改めてのツアー・セットリスト入りです。
僕も2009年お正月の『奇跡元年』以来、毎回ツアーの度にそんな名曲達と再会しています。もちろん今回の『ひとりぼっちのバラード』にも該当曲がありましたよ。5年後のリベンジ成就です!

今月末は仕事の決算で忙しくなるため、更新が遅れてしまうかもしれませんが、例によって語りたいことは山積み状態となっております。
気合入れて書かせて頂きます~。

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2014年2月13日 (木)

沢田研二 「涙のhappy new year」

from『俺たち最高』、2006

Oretatisaikou

1. 涙のhappy new year
2. 俺たち最高
3. Caress
4. 勇気凛々
5. 桜舞う
6. weeping swallow
7. 遠い夏
8. now here man
9. Aurora
10. 未来地図

---------------------

長いジュリー枯れに耐える季節が始まると共に、寒い毎日が続いていますね。
先週の南関東平野部の大雪には驚きましたが、なんと明日の予報も雪・・・。しかもかなりの積雪が見込まれる、とか。
みなさま、充分お気をつけください。

雪降るほどのこのところの寒さもあってか、勤務先でもインフルエンザが大流行してるんですけど、僕はなんとかまだ大丈夫のようです。
大丈夫でないことがあるとすれば、やっぱり『ひとりぼっちのバラード』が終わってしまいどこか気が抜けている、ということかな・・・それほど素敵なステージとセットリストでした。

しかし拙ブログとしましては、脱力ばかりもしていられない・・・ジュリー枯れ期間だからこそ「数あるジュリーの名曲を暑苦しく語る」という本来のコンセプトに沿って頑張っていこう!ということで、現在”『ひとりぼっちのバラード』セットリストを振り返る”シリーズを開催中。
今日はその第2弾です。

これまで何度か”素肌極楽ハッピーニューイヤー”などと謳って、「苦手な曲」とアピール(?)してきた「DYNAMITE三大壁曲」の一角が、今ツアーのジュリー入魂のヴォーカルによって、見事崩されました。崩された先に開けた地平の、何と素晴らしき眺めよ・・・。

ということで、遂にこの曲の記事を書く時が来ました。
アルバム『俺たち最高』から「涙のhappy new year」、懺悔絶賛伝授です!

「三大壁曲の中でも、これだけはたとえ生のLIVEで聴けても、好きになるのは難しいんじゃないかなぁ」
などと考えてしまっていたバラード。

実は”素肌極楽”の2曲を苦手曲に挙げているのは僕としても確信犯的な部分があって、「まぁ、LIVEで聴いたら一発で乗り越えられるだろう。その時の自分の豹変ぶりを自分で楽しもう」と思っていました。
でも、「涙のhappy new year」については、それはまず無理だろう、と。
今となっては、何故自分がそんなふうに決めつけていたのかよく分からない、というのが正直なところです。壁を乗り越えたどころか、素晴らし過ぎるヴォーカルに打ちのめされたツアー初日、渋谷公演。
新年早々、ジュリーに「たわけ!貴様は浅いわ!」と強烈な一発をお見舞いされたような気分ですよ・・・。

それにしても、「掌を返す」とは正にこのこと。我ながら呆れる思いです。
元々僕がこの曲を「苦手」に思っていたのは、ジュリーの作詞にどうにも気持ちが入り込めなかったためで、それが一転今回の記事では、ジュリーの歌詞を絶賛し語りまくろう、と意気込んでいるわけですからね・・・。

まぁ、最初から飛ばし過ぎてもなんなので、まずは、ジュリーの作曲や白井さんのアレンジについての考察から始めていきましょうか。

楽曲自体が良いということは、たぶん僕も分かってはいたのです。ただ、これまで聴き込みが足りていなかったため、『ひとりぼっちのバラード』参加後にじっくり音源を聴いて改めて確認したことがたくさんあります。

カウントダウン イルミネーション
C                    Caug

星も輝く 横浜ハーバーナイト
C6          C7

君はいない 特別な時に ♪
      F               G      C

荘厳なイントロに引き続いての、耳に直接注ぎ込まれるようなジュリーの「バラード」ヴォーカル。
アルバム『俺たち最高』冒頭のこのワクワク感を長い間ずっと気づけずにいたとは、僕はなんとも勿体無い聴き方をしていたものですよ・・・(恥)。

このAメロ冒頭の伴奏は、和音の3番目の構成音が半音ずつ上昇していくという、胸キュンなメロディーに載せるコード進行の常套パターンです。
「涙のhappy new year」の場合ですと、「ド・ミ・ソ」(=C)→「ド・ミ・ソ#」(=Caug)→「ド・ミ・ラ」(=C6)→「ド・ミ・シ♭」(=C7)と鍵盤で弾いてみれば分かり易いと思います。
CD音源、また『ひとりぼっちのバラード』での泰輝さんの演奏(ツアー初日、一瞬ポール・マッカートニーの新曲「クイーニー・アイ」のイントロとイメージがダブったりしました)ともに、シンセサイザーでこの半音上昇部を強調しています。特に、1番のアレンジはほとんどシンセサイザーのみの伴奏で歌われますから、ジュリーの声、メロディーの凛々しさとあいまって、進行の美しさが際立ちますね。
ちなみにこの進行は、他のジュリー・ナンバーでは、「渚でシャララ」の「傷つけ合うより♪」の部分(「ラ・ド#・ミ」からの半音上昇)などの曲で採り入れられています。

白井さんのアレンジについては、(聴き込み不足のせいで)ずいぶん見逃していた点が多いなぁ。
最たる例は、エンディングのあのギターの音ですよ。歌詞をキチンと吟味していれば、あれが汽笛、或いは歌の主人公の不安や淋しさを表現したものだと気づけたはず。
ただ、CD音源での白井さんの演奏は、S.E.っぽくはあるんだけど、どこかオブリガート風に弾いています。「ギターの音」であることから逸脱していないのです。
ところが『ひとりぼっちのバラード』での下山さんは、5弦と6弦のゆったりしたスライドを弾く際に、完全に「汽笛」の音を再現していました。オリジナル音源での演奏の歌詞解釈を、さらに押し進めて完璧な表現をしてくれたのです。
ツアー初日、突然この曲の魅力を思い知った僕にとって、下山さんの名演は特に印象に残り、忘れられないものとなりましたね・・・。

それではいよいよ・・・僕が完全に見誤り、「苦手」だと思い込み軽視してしまっていたジュリーの歌詞についての考察へと進んでまいりましょう。
「涙のhappy new year」という物語を自分なりに改めて紐解く作業は、本当に新鮮な驚嘆と発見に満ちたものでした。

僕は『ジュリー祭り』以降、物凄い勢いで主に90年代以降の未聴のアルバム・怒涛の大人買いへと突入していきましたが、『俺たち最高』はかなり後回しの末に購入しました。近年のジュリー作詞のナンバーにどういうものがある、ということも把握し、ある程度は吟味も始めていた時分の話です。
で、遅れて手にした『俺たち最高』・・・作詞クレジットを確認しつつ、1曲目「涙のhappy new year」を聴いてまず身構えてしまった時のヒヨッコの感想は

出たなッ!動物シリーズ!

という・・・(笑)。

君が嫁いだ景色」や「エンジェル」で登場する、「キツネ」「タヌキ」といったフレーズの使い方を、「涙のhappy new year」で
の「猫」「犬」に投影してしまった、というワケです。
全然違うのにね・・・。

『ジュリー祭り』でようやく”本格ジュリー堕ち”を果たしたばかりのヒヨッコは、ジュリーが自宅でワンコやニャンコと共に暮らしていることなど知る由も無し。何故歌詞中に犬やら猫やらが登場するのか、まったく意味不明で・・・「これはまた、ずいぶん奇をてらったフレーズだなぁ」という誤った感想を持ったのです。

しかも

携帯の機種が古過ぎるから
Fmaj7           Am

猫に犬までに馬鹿にされるよ
G(onD)        C

メール送っても圏外ばかり
F                  Am

誰も  彼もが愛し愛し愛してるのに ♪
C#dim  Dm      G               F      F(onE) F(onD) C

全っ然、意味分からない・・・いや、よく考えれば意味は分かったのかもしれないけど、初聴の段階で
「携帯の機種が古過ぎる・・・猫に犬までに馬鹿にされる・・・メール送っても圏外・・・こんな言い回し、スーパースター・ジュリーには似合わないよ!」
と浅はかにも考えてしまった僕は、そんなイメージを引きずったまま、その後「涙のhappy new year」をじっくり聴くことを、自ら避けてしまっていました。
「ちょっと苦手な曲」と頭から決めつけて・・・。

さて、数年が経ちました。
僕にとって今回のこの曲の再評価への伏線だったのかもしれないなぁ、と今だから思うことなのですが・・・偶然にも、J友・YOKO君に初めて「涙のhappy new year」を聴かせてみたのが、つい昨年のことでした(彼はアルバム『俺たち最高』を所持していません)。
「曲はイイと思うんだけど、歌詞がちょっとさ・・・」
と前置きして聴かせたところ、YOKO君は最初にポツリとひとこと感想を。

「なんか、すげぇ愛だな・・・」

その後はすぐに、オーギュメント・コードの進行例の話に移行してしまって、僕の中でYOKO君のそのひとことは未消化のままとり残されていました。

そして、運命の(←大ゲサ)2014年1月19日。
『ひとりぼっちのバラード』初日の渋谷公演、初めてこの曲をあのジュリーの凄まじい入魂のヴォーカルで体感した僕の感想というのが、正に

「ジュリー、なんかすげぇ愛だな!」

というものだったのです。
もちろん肯定的な、大絶賛の意味において、です。
YOKO君は凄かった・・・のだと思います。たった1回聴いただけで、「涙のhappy new year」という歌の本質に漠然と近づいていたのですね。僕にはそれがまるでできていなかった・・・。

この曲がジュリーのプライベートな生活を題材にしたものなのかどうか、それは分かりません。そう思うのは聴き手の勝手な思い込み・・・でもあるのでしょう。
しかし、『ひとりぼっちのバラード』で「涙のhappy new year」が歌われた時、僕にも見えたような気がしました。ジュリーの住む街・横浜の風景と、ジュリーの暮らす部屋が・・・。
犬と猫と・・・コタツで一人、旧い機種の携帯と格闘するジュリーです。ちょっと想像が逞し過ぎますかねぇ。

ここで、2006年あたりの自分とその周囲の携帯電話事情のことを考えてみますと・・・。
僕は本来アナログな奴ですから、携帯を持った時期も人より遅かったです。まぁそれでも2000年には持っていたかな。でも、ほとんど使ってなかったです。自宅に普通に電話もあったし、ちょっと親兄弟や友人とメールするくらいで。
必然、”機種変更”などまったく考えも及びませんで、長々と”J-PHONE”ってヤツを持ち続けていましたね・・・。変更したのは、突然「お手持ちの機種はもうすぐ使用できなくなります」な~んて言われてしまってからのこと。
それまで不便を感じていたこともありませんでした。

あと、YOKO君ね。彼が初めて携帯を持ったのは、『ジュリー祭り』より少し前のことだったはずです。僕はポリドール期のジュリーのアルバムを買うたびに、彼にPCでメール打って、夜中に黒電話をコールしてましたからね!
僕以上に頑なでしたね、彼は。

ちょうど2006年・・・とは言わずとも、ジュリーも結構それに近い時期くらいまでは、そんな感じだったんじゃないかなぁ、と勝手に想像するわけです。
家族や友人に「機種変しとかないと、どんどん不便になるよ」と言われても、「必要ないやん」とね。
なんだか分かるような気がするんだなぁ、その感覚。

で、いつの大晦日かは分からないけれど、事情あって大事な人と離れて過ごさなければならなかった際に「メール送っても混み合ってるし」という状況が実際に起きてしまった、と。
「だ~から、早く機種変した方がいいって、何度も言われてたにゃん!(わん!)」
と、猫や犬にまで馬鹿にされたように思えて、コタツで「しゅん」と小さくなっているジュリーの姿。

いや、書いていて自分でも「あまりにジュリーに失礼だろ!」とは思いますし、ホント勝手な妄想ですよ、これは。
だいたい、歌詞の整合性を考えるならば歌の主人公がいるのは屋外であるべきだし、「圏外」なのはどちらかと言うと思いを伝えたい相手の方かもしれないですしね。
ただ、『ひとりぼっちのバラード』の「涙のhappy new year」の渾身のヴォーカルで、僕にはジュリーのそんな状況、情景がありありと見えてしまったのです。
そしてトドメは

涙でホテルのビルがゆがんで見える
F                                          C

僕のことを想う君がかわいそう ♪
D♭                               G


(ジュリーの作曲、このD♭の挿入は斬新!)

これでもう、完全に堕ちた・・・「すげぇ愛だな」というのはこの部分のヴォーカルを聴いて感じたこと。背中にビリビリと電気が走りました。

僕が初めてタイムリーで新譜として購入したローリング・ストーンズのアルバム『刺青の男』の中に、「ウォリッド・アバウト・ユー」という曲がレコードB面1曲目に収録されていました。それを聴いて
「あぁ、”君が心配”って歌詞は単に”君が好き”よりもグッとくるな。究極の愛の表現だな」
と、詩人・ミック・ジャガーの才能に大いに入れ込んだものでした。

初日に歌われた「涙のhappy new year」で僕は

「ジュリーは、”僕を心配している君が心配”という二重の”君が心配”でその愛情を歌っていたんだ

と気がつきました。
なるほどなぁ・・・それで「かわいそうなのは君のほうだよ♪」なのか。どれだけ僕を心配しているのかが分かる、ってことなんだろうなぁ。

話したい。会いたい。正に「究極の愛の歌だな・・・」と。
リリースから8年、初めて曲を聴いてから5年。
遅ればせながら僕も
”涙のhappy new yearを過ごしているジュリーが心配”
という境地に達しました。「心配」=「”好き”の∞」です。僕はとうとうこの曲が好きになった!

初日のレポにも書きましたが、終演後お会いした何人かの先輩方が開口一番
「涙のhappy new yearやりましたね!」
とお声がけくださいました。
無論、僕の「壁」をご存知でのお言葉です。「DYNAMITEは、この曲が来て思いっきり退いてしまったのではないか、と心配」してくださっていた先輩方にも、感謝です。いや、この場合の”心配”は愛情と言うより、面白がられていたのでしょうが・・・。

こうして僕は”素肌極楽ハッピーニューイヤー”という三大壁曲の中で最も大きな山、聳え立つ障壁を、たった一度のジュリーwith鉄人バンドの生のヴォーカルと演奏を体感したことで楽々と乗り越えてしまったわけですが、これでようやく「涙のhappy new year」について語ること・・・その最初のスタート地点に立ったに過ぎません。元々この曲を高く評価していらした先輩方のお話を伺うと、まだまだ奥は深そうです。


今回のツアーが閉幕して何日か経った頃、ある先輩がこの曲についての感想で、ご自身の携帯に残っている「どうしても削除できないデータ」を思う、とお話していらっしゃいました。
ハッとさせられるお言葉で、「あぁ、僕にも心当たりがある・・・」と思いました。亡くしてしまった母親と年下の友人の、電話番号とアドレス。
そこまで考えると、ジュリーのあの「絶唱」と言う他なかった『ひとりぼっちのバラード』でのヴォーカルに、僕一人の感想ではまったく辿り着けなかった別の意味も見えてくるような気がします。
曲をリリースした時とは違った「思い」だったのかもしれないけれど、ジュリーが今回「涙のhappy new year」を採り上げた特別な理由があったのでは、とも考えてしまうなぁ、と・・・。

いずれにせよ、特に僕のような後追いのファンが、CD音源を(浅く)聴いただけでは味わえなかった感動を、今回体験することができました。
後になってあれこれ考えてはしまいますが、本来その感動こそがすべてなのでしょう。強烈なジュリーのヴォーカル、鮮烈な鉄人バンドの演奏には感謝と驚嘆しかありません。
「涙のhappy new year」・・・素晴らしい名曲でした!

ただ・・・「大好きな曲」とは言えるようになりましたが、カラオケで歌うのは、まだちょっと恥ずかしいかも
(←カラオケにこの曲があるのかどうかは未確認)
ある意味、「ジュリーにしか歌えない歌」だと言えるのかもしれませんね。


それでは・・・次回は、昨年たまたまリクエストを頂いていて「いつか書きたい」と考えていた曲を採り上げます。
まさか、こんな絶好のタイミングが早々に訪れるとは思ってもいませんでした。何故なら「この先ジュリーがLIVEで採り上げることはないだろう」と勝手に考えてしまっていた曲だからです。
僕が何故そう考えていたか、そして何故今回ジュリーがこの曲を採り上げたのか・・・その辺りのことを中心に記事を書くことになると思います。

多くの先輩方が、『ひとりぼっちのバラード』で歌われたこの曲に大感激のご様子。
気合入れて書かなければ・・・頑張ります!

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2014年2月 8日 (土)

沢田研二 「鼓動」

from『いい風よ吹け』、1999

Iikazeyofuke

1. インチキ小町
2. 真夏・白昼夢
3. 鼓動
4. 無邪気な酔っぱらい
5. いい風よ吹け
6. 奇跡
7. 蜜月
8. ティキティキ物語
9. いとしの惑星
10. お気楽が極楽
11. 涙と微笑み

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虎ロス、そして”『ひとりぼっちのバラード』ロス”のみなさま。本日は各地大雪の中、いかがお過ごしでしょうか。

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↑ 我が家のベランダより。関東の平野部でこんなことになってるくらいですから、豪雪地帯の積雪はいかばかりかと…。

それぞれの思い出と、次なる楽しみを胸に粛々と日常を頑張っていらっしゃることと思います。

僕は先日、ピー先生の夏のツアー・初日の申し込み(一応第2希望も記入しましたが、気持ち的には「初日一本!」です)を済ませました。
意外ですか?僕としては「当然」ですよ。

僕は、アーティストやミュージシャンが、常に新たな音楽的展開に挑んでいく、という姿勢こそを好むのです。
ジュリーの「毎年新しい曲を作る」というスタンスはその最たるもの。そしてザ・タイガースの他メンバーですとそれは圧倒的にピー、ということになります。
40年近くも芸能界を離れていたドラマーが、還暦をゆうに超えて新たなバンドを結成し、しかも全国ツアーを決定。「歌うぞ!」「叩くぞ!」「奏でるぞ!」とは・・・そんなパワフルな挑戦は普通あり得ないですよ。

もちろん、「タイガースのピー」だからこそ実現可能なことかとは思いますが・・・ピー自身がまったく受け身ではない、というのが痛快ではないですか。長い間音楽業界から離れていたからこそ、「ロック少年のイノセンス」がそのまま残っちゃっているのでしょうね。
これをして、ピー最大の魅力は「何をやらかしてくれるのか分からない」(良い意味ですよ!)ということだと僕は感じていますから、やっぱり参加したいのはツアーの初日なんです。
バンド自体がまだ発展途上段階であろうと、いやいやむしろそれだからこそ、「第1歩のステージ」には大きな意味がある、と思っています。

さて「初日」と言えば・・・『ひとりぼっちのバラード』初日の渋谷公演は、本当に素晴らしかったです。ジュリーはもちろんですが、鉄人バンドの気合、尋常ならざるものがありました。

これまで参加してきたジュリーのソロ・ツアーで、「鉄人バンドと言えども、やっぱり初日のステージはどこか手探り状態なんだなぁ」と感じたことが何度かありました。『歌門来福』や『3月8日の雲~カガヤケイノチ』ツアーでは、特にそれを感じました。
もちろん僕はそういうことも含めて「ツアー初日」の雰囲気が大好きなんですが・・・『ひとりぼっちのバラード』初日の鉄人バンドの演奏は、そんな「手探り感」を一切感じさせない、いきなり全開で、いきなり完璧で、いきなりの一体感。

これ、何だと思います?
ザ・タイガース復活ステージの大成功と関係無いはずがない、と僕は思うんですよ。

日本武道館、東京ドーム・・・あの大観衆の熱狂と文句無しのイベント成功は、単に歌や演奏の巧拙、各メンバーの人気だけでは為し得なかったことでした。すべてが理屈を超えていたのです。
その様子を目の当たりにして

「音楽って何だ?」
「ロックって何だ?」
「バンドって、一体何なんだ?」

改めてそう考え、刺激を受け、自ら胸に手を置き問いかけるプレイヤーこそが、一流のロック・ミュージシャンなのではないでしょうか。
ザ・タイガースの復活は、そういうステージだったと思います。
「オリジナル・メンバー5人だけでやる」・・・それを実現し成功させたことの意義や効果は、何もザ・タイガースだけに限ったことではなく、各メンバー個々のその後のステージやバンドに反映されてしかるべきです(だからこそ僕は、ピーの新しいバンドのツアーも観にゆくのです)。
そしてその点、さすがはジュリーと鉄人バンド!です。見事に先陣を切りましたね。

ザ・タイガース復活ステージを挟んで、鉄人バンドの凄まじい気合が『ひとりぼっちのバラード』へ向けた稽古段階からジュリーにビシビシ届いていたからこその、ジュリーのあの歓びのMCや、鉄人バンドへの賞賛だった・・・みなさま、そう思われませんか?
考え過ぎでしょうか・・・。

といったところで、枕が長くなりましたが・・・拙ブログでは今回から、恒例”セットリストを振り返る”シリーズとしまして、こちらも大成功・大盛況に終わったジュリーの2014年お正月コンサート『ひとりぼっちのバラード』で歌われ、鉄人バンド気合漲る名演で魅了させられた名曲群の中から、まだ楽曲考察記事未執筆のナンバーをお題に採り上げてまいります。
本当に素晴らしいセットリストでしたから・・・「あんなことを書きたい、こんなことも書きたい」と色々な思いが溢れて、現時点では6曲分もの執筆構想を持っています。3月に突発的にジュリーの新譜がリリースされない限り(まぁ無いですね。ファイナル渋谷公演のMC情報によりますと、レコーディングがこれから、ということでしたから・・・)、予定通り書いていこうと思います。

まずは、『ひとりぼっちのバラード』1曲目・・・2014年、ジュリー最初の1曲となったこのナンバー。
アルバム『いい風よ吹け』からのシングル・リリースということで、ジュリーにとってどんな意味を持っていたのか、そして今なお持っているのか・・・大変興味深いセットリスト1曲目となりました。
「鼓動」、伝授です!

僕は、『いい風よ吹け』というアルバムにはかなり特別な思い入れがあります。
『ジュリー祭り』に参加した直後、熱病にうかされたようになった僕は、主に90年代以降の未聴のジュリー・アルバムの大人買いを開始。

『忘却の天才』・・・何と素晴らしい!
『サーモスタットな夏』・・・うわっ凄い!
と、猛烈に勢いづいたところで『いい風よ吹け』・・・

んん?これはちょっと波長合わないか?
こんなアルバムもあるのか・・・。

というのが、初聴時の正直な感想。
収録曲の中ですぐに大好きになったのは「インチキ小町」と「いい風よ吹け」の2曲だけ。残りの曲は「よく分からないなぁ」と思ってしまいました。

それでも、当時僕は「老い」や「死」といったテーマにジュリーが真っ直ぐに向き合った「いい風よ吹け」の詞に凄まじく感銘を受けていて、「ジュリーはこんな志を持った人だったのか!」と、『ジュリー祭り』の感動そのままに、”人間・ジュリー”を崇拝しきった時期だったこともあり(いや、今でもそれは続いていますが・・・とにかく2008年暮れから『奇跡元年』にかけての僕は、その入れ込み方が半端ではなかったのです。新規ファンなら必ずそういう期間はあると思います)、「いい風よ吹け」1曲に浸りきるために、よく仕事の移動中などにアルバムを通して聴いていました。
すると・・・間もなく「鼓動」「奇跡」が、ジュリーの生き様にシンクロし、なおかつキャッチーなポップチューンであることに驚嘆(最初は「なんだかギターがやかましいなぁ、なんて表面的な聴き方しかできていなかった)、そして「涙と微笑み」の難解な構成がどうやら紐解けはじめ、「真夏・白昼夢」の能天気な歌詞にも惹かれ、さらにしばらく経つと「無邪気な酔っ払い」「蜜月」「ティキティキ物語」あたりは、「どうにもやめられない止まらない」中毒状況に陥り、2010年になって『秋の大運動会~涙色の空』ツアーで「いとしの惑星」の魅力をジュリーに教えられ・・・気がつけば、『いい風よ吹け』は、とんでもなくいとおしい1枚となっていました。

あ、ただ1曲だけ「壁」曲が残っていますけどね。
まぁそれも、この先ジュリーが1度でも生のLIVEで歌ってくれたら、楽々乗り越えられるでしょう(『ひとりぼっちのバラード』を終え、今後はツアーの直前に叫ぶ言葉が、「どんと来い、素肌極楽!」と、大層短くなりました笑)。

とにかく『いい風よ吹け』は、「初聴の印象だけでジュリーのアルバムをあなどってはいけない!」ということを僕にしっかり植え付けてくれた、最初の1枚となったのです。そんな体験があったからこそ僕は、すべてのアルバムを「好き」と言える大変幸せなジュリーファンになることができた、と思っています。

さて、お題の「鼓動」です。
作詞・GRACE姉さん、作曲・白井良明さん・・・セルフ・プロデュース期(現在もセルフ・プロデュースに変わりはありませんが、僕の中では『涙色の空』以降は”鉄人バンド期”とカテゴライズされています)の黄金コンビと言って良いでしょう。このコンビの作品では、「不死鳥の調べ」「Pleasure Pleasure」など、個人的に「日替わり!ジュリー・ベスト曲」にランクインしている名曲があります。
そして、生で体感したことにより、今回一気にその中の1曲に加わったのが「鼓動」。
この感覚は『歌門来福』での「光線」以来。いやぁ、素晴らしい曲ですよ!詞、メロディー、アレンジや演奏構成、ジュリーのヴォーカル・・・感動的なロック・ポップ・ナンバーです。

シングル曲に選ばれたほどですから、ジュリーの中でも特に大切な1曲かと思いますが、LIVEのセットリスト入りとしては久々だったようですね。
僕はツアー初日後、『祝・2000年大運動会』で採り上げられたこの曲の映像を観てみました。Aメロ部の依知川さんの重厚なベースが印象的です。

では今回、ジュリーが「鼓動」を採り上げた意図を勝手に推測してみましょう。

ジュリーって、ひとつのツアーで何か曲並びに関連性を持たせるのが好きですよね。
過去の例ですと、例えば「渚のラブレター」と「きわどい季節」を続けて歌ったりとか・・・こういうのは明らかに聴き手の意識に訴えるイメージ戦略だと思うんです。

今回は、「鼓動」「ひとりぼっちのバラード」「涙のhappy new year」という冒頭の3曲でオーギュメント・コードが登場する、という共通点があります。長3度の循環和音。「鼓動」のイントロで、「じゃら~ん♪」と鳴っているのが「Gaug」(G・オーギュメント)です。
オーギュメントは「次の和音に繋がる」という感覚を持っているコードです。「鼓動」のような使われ方・・・イントロにこの和音を配するアレンジ・パターンは、ビートルズの「オー・ダーリン」が有名。
しかしながら、ジュリー・ナンバー数多しと言えどオーギュメント・コードが登場する曲はさほど多くはありません。それが一気に3曲続くというのはかなり珍しい。
意図的なのかなぁ、とも思えますが、さすがにジュリーもそこまでは考えてはおらず、単なる偶然だったのかな。

まぁこのオーギュメント並びは偶然だとしても、次に「歌詞」の点から考えた時、「果たして偶然だろうか」と思わせることがあります。それは、セットリスト冒頭の「鼓動」と、フィナーレを飾った「単純な永遠」2曲に登場する歌詞フレーズの共通性。
これは多くの方々が気づいていらっしゃるでしょうね。

「単純な永遠」の歌詞には

予測してなかった宝石の時間
シンプルだけど満更じゃないメロディー

という一節があります。
サエキけんぞうさんが、正に「単純な永遠」という吉田建さんの作った曲の魅力をそのまま歌詞に反映させたような、素敵なくだりですよね。

ここで登場する「宝石」「メロディー」の2つのフレーズが、「鼓動」のGRACE姉さんの歌詞にも使われているのです。

「宝石」は、Aメロ冒頭。

     君   それはあいまいな
(Gaug)  C  Cmaj7    Am        C7

夢   遠い日々たちの
F  Fmaj7  Fmaj13   Fdim

美  しく   甘い宝  石 ♪
Em  Am   Em  Am  Fmaj7  G

「メロディー」は、サビのリフレイン部。

不確かな  現実  
A        C#7  F#m  F#m(onG)

形を変える   毎日
  Bm      Bmmaj7  Bm7   E7

立ち止まり ふと 君の匂い探すよ
      C                  Bm    E7   Am

このメロディーを 伝えよう ♪
Bm       E7         C#m   F#7


(採譜、細かい部分で自信無し・・・泣。サビの方の「Am」のトコ、楽器1本で歌うとイイ感じなのに、CD流しながら弾くと微妙に鳴りが違うんだよなぁ・・・才の無さを痛感します)

もちろん、サエキさんとGRACE姉さんの作詞時点でのフレーズ使用は、単なる偶然の一致です。
しかしジュリーが、少なくとも2014年の『ひとりぼっちのバラード』でこの2つのフレーズに込めて歌った「思い」は、それぞれ同じだったのではないでしょうか。

「宝石」とは、今現在のジュリーの心、生活の中に確固として持っている、大切なもの。愛すべきもの。
「メロディー」とは、「歌」そのもの。ジュリーの「歌いたい」という気持ちを具現化してくれる、魔法の響き。

「山あり谷ありだったけど、今は高原にいます」と語った(昨年の『Pray』ツアーのMCより)ジュリーにとって、「宝石」「メロディー」とはそんなフレーズなのではないか、と僕は想像します。
いやぁ、こう考えるとこの2曲がLIVEセットリストの最初と最後、というのはとても魅力的でカッコ良いですし、かつて「単純な永遠」のシングル・リリースを望み、「鼓動」をシングル(ヴァージョンはアルバムと同一)と決めたジュリーの大局観は素晴らしい・・・いざ自分のこととなるとどうしても俯瞰できなくなるのが人間だと思いますが、ジュリーって、こういうところも「ブレない」人、と言うのか・・・稀有な資質を持っていますよ!

Kodou_3


↑ 諸事情あり「ジュリーファンを卒業」なされた先輩から我が家に授かった当時のシングル盤。大切にします・・・。


CD音源演奏の中でまず特筆すべきは、スネアドラムのチューニングです。「しゅた~ん!」という一般的なスネアの音ではなく、「か~ん!」という甲高い音なのです。
演奏者は、昨年『ロックジェット』誌上でザ・タイガースへの熱い思いを語っていらした、河村カースケさん。

アルバム『いい風よ吹け』収録曲だと他に「無邪気な酔っ払い」「ティキティキ物語」などでも印象的なこのチューニング、当時のジュリー、或いはアレンジャーである白井さんの好みの音だったのかなぁ。
ちなみにこのスネアドラムの音作りは、前作『第六感』収録の「グランドクロス」、また翌年リリースの『耒タルベキ素敵』に収録された「君のキレイのために」でも楽しむことができます。

ベースがルート音に拘らず、「第二のメロディー」のように自由に動き回るのも、これらの曲の特徴ですね。

アルバム『いい風よ吹け』は、白井さんの武骨でハードなギター・アンサンブルがいよいよ本格化した作品でもあり、「鼓動」のギター・トラックは計5トラックを数えます(エレキギター4トラック+アコギ)。
ベース(『ひとりぼっちのバラード』では泰輝さんが担当)、ドラムス、そして逆回転のS.E.(これがエレキギター4つ目のトラック。この曲には『himitsu-kun』のクレジットが無いので、このS.E.は白井さんのギター単音の逆回転奏法と考えるのが妥当でしょう)とキーボードを使用せず、全体の音を構成しています。
改めてトラック数を紐解いてみますと、この曲をたった4人編成で涼しい顔で再現する鉄人バンドというのは、やっぱり只者ではありません。

「演奏はハードに、メロディーはキャッチーに」という作りこみは、特に白井さん作曲作品ではこの時期多く見られます。おそらくアメリカのオルタナの影響かと思うのですが、どうかなぁ。
また、こういう作りに、ジュリーの厚みが増してきた声がメチャクチャ合うんですよねぇ。

キーは、Aメロがハ長調、サビはイ長調。
さらにイ長調のサビが最後のリフレインからロ長調へと上昇します。
こうしたヴァースごとに表情を変える転調構成は、白井さんのおハコ、真骨頂。その上で、難しいことをしているのにメロディーのなめらかさが変わらない、というのが「鼓動」の特性、名曲たる所以かと思います。

この曲のジュリーのヴォーカルはもちろん全体通して素晴らしいけど、僕が特に好きなのは、最後のサビ・リフレイン部で登場する転調の繋ぎ目のところ。
「このメロディーを♪」までがイ長調で、「伝えよう♪」が既にロ長調。普通なら次のリフレインの歌いだし「青い空を見上げ♪」から区切り良く1音上がりの転調、というのがありがちなパターンなんですが、それを前倒しでやっちゃうのが白井さんであり、それはジュリーが歌えばこそ、の仕掛けなんだよなぁ~。

さらに、『ひとりぼっちのバラード』に参加してこの曲を生で体感したことでたまらなく好きになったのが、歌詞部を歌い終えた直後の「OH~~♪」というジュリーの力強いハミングです。
すごくキレイなメロディーなのに、まるで叫んでるように聴こえましたからね。もう、完全ノックアウト状態です。
LIVE後に改めてCDで聴き直してみたら、やっぱりそう聴こえるんですよ。こうした再発見(まぁ、先輩方は最初からそこが良いことは分かっていらしたでしょうが・・・)が、LIVEに参加して初めて味わえる、得難い醍醐味です。

ザ・タイガースでのデビューに始まり、47年もの歳月を重ね、今ジュリーには確かに「誰もが知らないはずの”思い”や(いくつかの)”場面”♪」を乗り越えた自負があるのでしょう

「鼓動」・・・ザ・タイガース復活を大成功に終えたばかりの今年のこのタイミングで、セットリスト1曲目として本当にふさわしいナンバーだったのではないでしょうか。


それでは次回は

DYNAMITEは、いかにして壁を乗り越えたか?

という壮大なテーマで記事を書かせて頂く予定です(笑)。お題の曲、バレバレですね・・・。

僕としては、突然その大きな魅力に気づかされた曲ですから、好きになるのに時間がかかった分だけ「そうか!」「なるほど!」と気持ちが盛り上がりまくっております・・・相当暑苦しい内容になりますよ~。
どうぞお楽しみに!

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2014年2月 4日 (火)

2014.1.29渋谷公会堂 沢田研二『ひとりぼっちのバラード』セットリスト&完全レポ

今回は比較的サクサクと執筆を終えましたよ~。
例によりまして、更新日付を記事完成日に移行させて頂いております。今回も途中更新の加筆進行の長文におつき合い頂き、ありがとうございました!

☆    ☆    ☆

ファイナル渋谷公演にご参加のみなさま、お帰りなさいませ~(うらやまし過ぎる)。
いかがでしたか?
オマケのオマケはあったのかな~。1日の大阪公演も合わせ、みなさまのご感想、お待ちしております。


こちらは最近ねぇ・・・なんだかココログさんがアクセス解析のシステム・リニューアルですったもんだしていまして。ユーザーによりけりらしいですが、僕のブログはモロにその影響を受けてしまったみたいで・・・。アクセス解析のサイド・バーへの反映に時折不具合が生じまくっております。
アクセスカウンターが突如表示されなくなったり、『人気記事ランキング』がず~っと以前の日の結果のままになっていたり(まぁでもこれはネタバレ禁止の方々には却ってラッキーだったのかな)。かと思えば、トップページやカテゴリー閲覧が、単体の記事閲覧としてカウントされていたり・・・。
(本日2日は、アクセス地域ランキングも変)
別に記事更新にまで不具合があるわけではないので困ってはおりませんが、何とも言えない違和感が続いておりますので、そろそろココログさんにはキチンと原因究明の上、安定を維持して頂きたいところです。
ココログさんを使っていらっしゃるじゅり風呂のみなさま・・・そちらは大丈夫でしょうか?

などと、どうでも良い個人的な愚痴はこのくらいにいたしまして・・・さて、拙ブログではようやく『ひとりぼっちのバラード』セットリスト・ネタバレ禁止期間を終えることとなりました。
みなさまの長らくのご協力、ありがとうございました。

ネタバレ解禁・・・その皮切りとしまして、僕の今ツアー2度目の参加となった1・29渋谷公演のレポート記事を執筆させて頂きます。ファイナル渋谷や1日の大阪フェスが終わったばかりですから、時期を逸した古い話と言えばそうなんですけどね。
でも、もちろん29日も、初日に劣らず素晴らしいステージ、歌、演奏でした。

で、レポなんですが・・・今回はあまりくどくどと大長文にはせず速やかに書き終え、その後すぐ、今回歌われた素晴らし過ぎる曲達の中から”恒例・セットリストを振り返る”シリーズとしてなるべく多くのナンバーを採り上げ、楽曲考察記事に全力で取り組んでいくつもりです。通常このシリーズは2、3曲を採り上げていますが、今回は最低でも5曲は書きたいところです。
ジュリーの今年の新譜がいつリリースになるのか分かりませんが、やはり3・11の可能性は大です。そうなった場合、3月中旬からはそちらに気持ちが集中するでしょうから、2月にこそ『ひとりぼっちのバラード』セットリスト・ナンバー考察に心血を注がねばなりません。
頑張りたいと思います。

29日渋谷、特筆すべきは何と言っても、客席にサリーとタローの姿があったことでしょう。
お隣の先輩が「サリー達が来てる!」と気づかれ、僕がサリーの右隣の眼鏡のおじさまを見て「大竹まことか?」と騒いでいましたら、後ろのお席のお姉さま方が、山崎イサオさんだと教えてくださいました(恥)。ありがとうございました。
僕は見つけられなかったのですが、すわ親治さんもいらっしゃっていたようです。
ともあれ、サリーとタローが観にきていたことで、MCの内容はまぁ当然にしても、歌へのスイッチの入り方が初日とはまた違っていた(特に「いくつかの場面」)のも、改めて年末のザ・タイガースの大成功を経てジュリーがこの場に辿り着いていることを思わせました。

先日お話させて頂いた先輩が仰っていました。ジュリーの雰囲気が『ジュリー祭り』の後に似ている、と。
無邪気なほどに、大きなステージでの成功を糧とし自信とし、その充実の「気」を自らの「歌いたい歌」にぶつけてくるジュリー・・・ということでしょう。

僕の席は13列目の下手側最端。部分的には観にくかったりするのかな、と思って臨みましたが、いやいや結果的には素晴らしいお席でした。ジュリーも近くに感じましたし、演奏では下山さんの細かな動きを中心にじっくり観ることができました。

平日ですが会場は当たり前のように満員。初日同様、最初に入場する鉄人バンドにも大きな拍手が送られます。
少し遅れてステージ前方に進み出たジュリーの影。サリー達の見つめる前で、今回はどんな歌声を聴かせてくれるでしょうか。
開演です!


1曲目「鼓動」

Iikazeyofuke

お隣の先輩は、この日までネタバレ我慢を敢行。数曲は漏れ知ってしまったらしいですが、レアな曲はほとんどネタバレせずに臨まれたようで・・・イントロの柴山さんの「じゃら~ん♪」のオーギュメント・コードだけで「きゃ~」となってました。お~、いきなりのビビッドな反応。楽しいです。

Aメロ、泰輝さんのベースが効いています。
また、間奏リード・ギターの直前にリズムが激しさを増すリフ部がありますが、そこは柴山さんと下山さんがユニゾンで弾いていたんですね。

この日もジュリーの声は絶好調のようです。静かな部分も激しい部分も、演奏に左右されずステージ全体でヴォーカルが一番前に出ていました。
最後のサビのリフレイン部の転調ヴォーカルが特にスリリング。続く「Oh~♪」ハミングは正に絶唱で、ハードかつ美しいヴォーカルでした。初日と比べ距離の近さもあったせいか、1曲目からただただ圧倒されます。

2曲目「ひとりぼっちのバラード

Julie1

いやぁつくづく名曲です。
お隣の先輩はLIVE後、「安井かずみさんが亡くなってから、もう20年が経つんですね・・・」としんみりしていらっしゃいました。
長いジュリーファンの方ほど、この曲を今のジュリーが歌って、思いを馳せることは色々とあるでしょう。あのジュリーのなんとも優しい歌声を聴けばね・・・。

この曲、途中で細やかなフレーズのピアノだけが残って全体の演奏の音量が下がり、ジュリーの一人語りみたいな感じになるブリッジ部があるじゃないですか。
そこで
「たった一度の人生だから♪」
とじっくり語りかけるように、ジュリーが歌いながらゆっくりと下手側に歩いてきてくれて、ドキッとしました。
その後、上手側にも歩いていったんだっけ・・・いずれにしても、「一番イイところ」でこっちに来てくれて、嬉しかったなぁ。

~MC~


(例のごとく、完全に記憶だけで書いております。細かい言い回しの間違いはもちろん、最初のMCとオマケ前のMCがゴッチャになっていることもあり得ます。あくまで雰囲気と、ジュリーの発言で僕が特に心に残ったことを書き出す、ということでお楽しみくださいませ)

今思うと、初日のここでのMCは例外的なまでに怒涛に長かったんだなぁ。立ってスタンバイしていた柴山さんと下山さんも、あれは想定外だったのかも。
この日は普通に「最初のご挨拶」という感じでした。

「インフルエンザが流行っている中をお越し頂き、ありがとうございます!」
が最初のひとこと。

「昨年はザ・タイガースをやりまして、先日の1月24日に放送もありましたが・・・みなさんご覧になられましたか?」(拍手)「あれ、なんかおかしいな、って気づいたかたはいらっしゃいますか?」
(「色つきの女でいてくれよ」のトッポのコーラスのことでしょうね。あれは確かにビックリしました。明らかに、現場では聴こえていない音でしたからねぇ。しかも、ミックスはかなり強めの設定と見た!)

「にぎやかなタイガースが終わりまして・・・ひとりぼっちのバラード(笑)。しかし・・・おいらには、鉄人バンドという強ぇ味方があったのさぁ~!」
と、例のお芝居口調でゴキゲンなジュリーです。
でも続く
「淋しくなんかありません!」
と言った時は、「強がってます」みたいなニュアンスを滲ませていました。このあたりは、サリーやタローが観ていたからこそ、のジュリーだったのかな。

そうやって、タイガースが終わり、お正月コンサートも渋谷2日目を迎え・・・次々に仕事が進んでゆく。
「ここまで年をとってきてしもうたら、止まった時が終わる時やからね!」
というのは冗談でしょうが、ジュリーはさらさら止まる気は無いようで・・・
「もう、来年のお正月コンサートの日程が決まってしまったんですよ」
と。
先日発表されたという渋谷2days、名古屋、大阪2daysに加え、この日は〆が20日の国際フォーラムAで開催されることを知らせてくれたジュリーです。
なるほど、今年の例を見ても、渋谷楽日のチケットがもの凄い競争率だったみたいですからね。その点フォーラムなら、そこまでの心配はありません。

「最後までゆっくりとお楽しみください」
ということで、”新年ご挨拶”MCは終わりましたが・・・改めて、初日のあのMCの異常な長さを思いました。タイガースのインパクトが、ジュリー自身にとっても大きかったということでしょうね。

3曲目「涙のhappy new year」

Oretatisaikou_2

凄い熱唱ですよ・・・ツアー前とは思いっきり掌返したこと言いますけど、これ大名曲です。畳みかけるヴォーカルのバラード。歌声からジュリーの思いが溢れ出ています。

下手側の最端席ということで、開演前は下山さんの姿が死角にならないか心配していましたが、メチャクチャ良く観えました。
最後に汽笛みたいな音を出している部分は、左手でスライドバーをネックの上からあてがい(マイク真下から霊力で瞬時に取り出してました)、右手はピッキング・スクラッチ。ピッキング・スクラッチというのは、ジュリーwithザ・ワイルドワンズのツアー『僕達ほとんどいいんじゃあない』の時の「TOKIO」のブリッジ部で加瀬さんがやってた奏法ね。
でも、それだけじゃああんなに汽笛っぽい音までは出せないはずなんだよなぁ。下山さんがあそこでどんなエフェクターを使っていたのか気になります・・・。

4曲目「緑色の部屋」

Sur

泰輝さんの音、ピアノには違いないんだけど、例えば「ひとりぼっちのバラード」の音とは全然違うんですよね。ラジオを通して聴こえてくるような、くぐもった暗い音。どういう設定なのかはさっぱり分からないのですが、とにかく素晴らしいです。
また、あのピアノ・アルペジオを弾きながら、途中からはこの曲の重要な隠し味である「ボボボボボ♪」というベース音も同時に入れてくるという・・・泰輝さんの”神の両手”、今ツアーでも全開です!

だいぶ曲が進んだ頃になって、side-Bの初日レポに頂いていたwine様のコメントを思い出し、遅ればせながら照明をチェック。アップテンポに移行した瞬間に、暗いオレンジ色がパ~ッと広がっていました。覚えているのはそこだけ・・・。

プツン、と曲が終わってからのお客さんの拍手のタイミングが、初日同様心地良かったです。ちなみに初日後にDVDで確認したら、『あんじょうやりや』(丸一日、勘違いでロッカンツアーと表記してました。ごめんなさい)のこの曲では、CDと同じくレコードの擦り切れたノイズ音まで続いて演奏を終えていたのですね。

5曲目「そっとくちづけを

Ikitetarasiawase

イントロのアルペジオ、初日はCDと同じタイミングで満を持して繰り出された柴山さんのハンマリング・オン→プリング・オフが、この日は最初の2小節目からいきなり登場。痺れました。
柴山さんがスライド・ソロに切り替えた(タイミング的には下山さんの霊力以上の早業のはずですが・・・見逃しました)瞬間、下山さんが違う音色のアルペジオのバッキングで噛んできます。完璧ですね、鉄人バンド。
エンディング最後の柴山さんの1音は、信じ難いほどのハードな慟哭のビフラートですよ!あれ、一体どうやってるんだろう?基本「横移動」のスライドバーを、縦に震わせてるのかなぁ。近くで観たかった・・・。

ジュリーのヴォーカルには、もう言葉がありません。歌声に身を委ね、じっと聴いていると・・・自分の「弱さを照らされる」ような感覚。それが何故こんなにも心地良いのか。
この日も泣かされた「そっとくちづけを」。数年後、また生で聴けるような気がしています。

6曲目「Don't be afraid to LOVE」

Panorama

「緑色の部屋」「そっとくちづけを」と続いた悲しみを洗い流す、渾身の直球、至高のラヴ・ソング。やはり「歌ありき」、なんだなぁ、ジュリーのバラードは。
この日は、一番最後の「LOVE♪」が一段と凄いロングトーンでしたよね。

もちろん、鉄人バンドの演奏も最高。
GRACE姉さんのスネアは、「つ、つ、たん、つ、たんたん!」で切る箇所と、「つ、つ、たん、つ、たんたん、か~ん!」と最後にシンバルで固い音を出す箇所とを使い分けているんですね。
最後の「I love you more and more♪」で”くノ一ロール”のシンバル・ヴァージョンも炸裂します。

Aメロでは、下山さんのアコギのクールな「じゃら~ん♪」に続いて、柴山さんが2小節ごとにピッキング・ハーモニックスと通常の単音弾きを交互に繰り出します。
ハーモニックスは、ずいぶん高いフレットで鳴らしてたなぁ。

7曲目「PEARL HARBOR LOVE STORY

Samosutatto

本当に素晴らしい、凄まじいヴォーカル。
「神にすべて♪」の「か」の発音なんて・・・「ジュリー、あなたこそ神です!」と言いたくなるくらい、打ちのめされました。

まるで長編映画を1本観たくらいの充実のヴォーカル、演奏。そして照明・・・。
この照明、僕は初日レポートで間違ったことを書いてしまいました。直射のライトが客席を鋭く照らしたのは、GRACE姉さんのドラムス乱打の箇所ではなく、「大人たちの後悔は重く」から繋がる泰輝さんの重厚なシンセストリングス・ソロ部でした。
ちょうど13列目最下手端の僕の席には、対角線に設置された上手端のライトが稲光のように閃くたび、光が直接目に飛び込んでくるようで、凄い臨場感でした。

GRACE姉さんの華麗な乱打では、最後の1打で珍しくも「おっと!」というシーンが。
僕はたまたまその時ドラムスを観ていたので気づいたけど、音自体に違和感は無かったはず。それでも、バンドのメンバーなら気づいたのかなぁ・・・。

そうそう、一番最後の「Ah~♪」のコーラスは、下山さんも全開で参加していたんですね。この日初めて気がつきました。

8曲目「我が窮状」

Rocknrollmarch

22日の大阪公演では、歌詞飛び→歌い直し→土下座というハプニングがあったと聞きましたが、渋谷では問題無し。この日も素晴らしい入魂のヴォーカルでした。

2014年が明けてすぐに、『東京新聞』にてドナルド・キーン氏がジュリーの「Uncle Donald」「我が窮状」に触れた寄稿があり、ジュリーにキーンさんの言葉が届いたのかどうか、と考えましたが・・・ひょっとしたら「我が窮状」のセットリスト入りはジュリーなりのキーンさんへの応えだったのかもしれませんね。もちろんそれだけではないでしょうけど・・・。

9曲目「時の過ぎゆくままに」

Ikutuka

後のMCでジュリーが


ここまで小難しい曲ばかり歌って・・・みなさんの気が休まるのは「時の過ぎゆくままに」くらいでしょうか。いや、むしろ「時の過ぎゆくままに」で「えっ、それやるの?」みたいな雰囲気すらありますが・・・いや、やるんですけどね!

と語ってくれました。
お正月コンサートは東京、大阪、名古屋だけだから小難しい曲ばかりでもまぁ大丈夫だろう、と。ヒット曲は少なめで・・・と考えていたジュリーが、本編『ひとりぼっちのバラード』部で唯一採り上げたのがこの大ヒット・シングル。

この日は席の恩恵を受け、下山さんのアコギのフォームを追い続けました。すべてローコードでの演奏です。「ふたり冷たい♪」の直後の「Bm」も、1弦ひとさし指2フレット、2弦中指3フレット、3弦小指と4弦薬指が4フレットのローコード・フォームで、カッコ良く突き放していました。
また、コーダ部の「男と女が♪」では、1小節と2拍だけ瞬時にアルペジオに切り替えています。ここをアルペジオにすることによって、次の最後の「堕ちてゆくのも♪」の盛り上がりにグ~ッと感情が注入されるのです。細かいことながらこれは、プロフェッショナルが共感し得る、「時の過ぎゆくままに」がリリース当時から持っている最大の演奏の肝なんだろうなぁと感じました。
楽曲へのリスペクトなくしては、そこまで細かいことはやらないでしょう。

10曲目「いくつかの場面

Ikutuka_2

初日とこの日のジュリーのヴォーカルで、セットリスト中最も印象が違っていたのがこの曲でした。
初日は美しい声で無心に歌っていたジュリーが、この日は冒頭の「いくつかの場面があった♪」からすでに感情が溢れ、嗚咽するようなヴォーカルとなったのです。
いずれも、素晴らしいジュリーの歌声です。

完全に泣いてしまうようなことは無かったものの、この日の「いくつかの場面」に涙まじりの感情が入ったのは、やはり客席にサリーとタローの姿があったからなのでしょうか・・・(いや、1日大阪公演ではさらに大きな嗚咽があったと聞きましたが)。
この曲が終わった時に、客席のサリーがひときわ大きな拍手を送っていたのだそうです。

この日も「はなれ~ない♪」で登場する最高音にスパ~ン!と届いていたジュリーのヴォーカル。
今ツアーの演奏は、オリジナル・キー通りのヘ長調ですから(下山さんのフォームを確認したので、間違いありません。下山さんはドミナントの「C」からトニック「F」への移動部では「F」をローコードで弾くので、長い指の形が美しいです)、これは高い「ラ」の音ということになります。凄いぞ、ジュリー!

柴山さん、この日は最後に定位置に戻ったので一瞬ビフラートが途切れ、改めて音を伸ばす、というシーンがありました。初日は最後の最後までせり出したままで指を震わせていたのですが・・・。

11曲目「耒タルベキ素敵

Kitarubeki

今回のバラード・セットリストは、最後にサビのリフレインがあって、そこでジュリーのヴォーカルが頂点に達する・・・そんな曲が多いように思います。そして本割〆の「耒タルベキ素敵」は、その最高到達曲。
ダメ押しの「夜に注げよ、星屑のシャワー♪」からのヴォーカルの出し切り方、表情も含めたジュリーの表現力の凄まじかったこと。ヴォーカルが終わってから、3度の咆哮も。

柴山さんの2度のソロも凄かった。「あうあう・・・」と悶えながら、フレットを見ずに弾きまくるんです。
あと、2番直前にピタッ!と演奏が止まる箇所で、たった1人残るGRACE姉さんの繊細な1打・・・あれは、タンバリンの音じゃなかったですか?
低めにセッティングしてあったのか、僕の席からは何を叩いているのかまでは観えなかったんですけど・・・。これまた気になります。

~MC~

ジュリー、着替えて再登場。
キュートな牛柄、ということでみなさまに支持されている(?)この衣装、初日レポでは「いや、あれはむしろ馬(午)なのでは?」という貴重なご意見も紹介させて頂きましたが・・・その後「犬」説、「ホワイトタイガー」説、「ロールシャッハ」説など入り乱れております(笑)。
2日渋谷千秋楽公演にご参加のみなさまのファイナルアンサーや、いかに?

さてこの日のMCは、サリー&タローを前にして多少は控え目ながらも、やっぱり「ザ・タイガース、ここだけの話」が大爆笑の中披露されました。本当に笑わせて頂きました。
ジュリーが、ピーの「老虎再来」をメロつきで丸々ワンフレーズ歌ってくれたシーンは貴重でしたねぇ。

「ここだけの話」ですから内容についいては詳しくは書けませんが・・・冗談めかしながらも、各メンバーの現在の活躍、これからの活動予定などを目一杯宣伝してくれたジュリーなのです。

では、それ以外の話題から少々、ご紹介しましょう。
まず、これはその後無事解決、のお知らせが大阪、渋谷のMCで語られたようですが、『THE TIGERS 2013 in 東京ドーム』のDVD化にあたり、ビートルズ・ナンバーの許可がなかなか下りずに往生している、というお話。
ビートルズの曲って、ただのスコア収載ですら色々と大変なんですけど、映像だとさらにややこしいみたいですね。「どういう人が歌っていて、その前後にどういう話をしているか」まで翻訳して許可をとらないといけないんですって・・・初めて知りました。
「悲しみはぶっとばせなんて、歌ってるのピーですよ・・・」
と、さも「心配」といった表情で笑わせてくれるジュリー。

スコアとかの場合だと、例えばオムニバスの中にどのくらいの割合でビートルズの曲が収載されているか、その割合によっては使用料だけでオッケ~な場合もあったり、1曲だけのために曲を差し替える必要が生じたり、様々なややこしさがあるわけですが・・・一番難儀なのは「海の向こうからの返事がなかなか来ない」という状況がよく起こるんですよね。許可が下りるのか、下りないのか、それ自体が時間が経たないと分からない、という・・・。
ジュリーもその状況に陥ることが一番心配だったんじゃないかな。「ダメならダメで、しゃ~ないじゃないですか!」とこの日語っていたのは、そういうことだったんだと思います。

でも、数日後にはめでたく「全曲収録」が決定したとのことで・・・本当に良かったですね。発売が楽しみです。

あと、個人的に「おおっ!」と思ったのは、アン・ルイスさんの「ラ・セゾン」のお話。
自作の曲がカラオケで歌われると「ちゃり~ん!」と(ふところをポン!と叩いて)お小遣いが入るらしいんですけど
「ワタシはストリッパーくらいしか(自作曲が)無くてねぇ・・・」(いや、「麗人」とか「渚のラブレター」とかまだまだあるんですけどね。最近歌ってないから、忘れちゃった、なんてことないよね、ジュリー?なんでしたら僕、今度カラオケ行った時に「恋はうたかた」とか歌ってきましょうか?
←あればね
という話から繋がって
「ストリッパーは(歌うのが)難しいんですよ。みなさん、カラオケならラ・セゾンにしてください。(歌う時に)キーを上げようが下げようが、そんなん関係なく”ちゃり~ん!”ですから」
「あれは、あまり知られていないけど、三浦百恵さんが作詞して、ワタシがそれに曲をつけたんですよ。アンちゃんに「お願い!」とか言われてね~」
と。

「ラ・セゾン」については、以前に拙ブログのコメントでみなさまと「百恵ちゃんとジュリーと、どういう作業順だったんだろうね」とお話していたことがありました。
どうやら詞が先だったようですね!
この曲は海の向こうからkeiji様にリクエストも頂いておりまして、いつか書こう、ということで楽曲のバンドスコアや70年代のジュリーとアンさんの対談など、考察資料も準備万端、用意済。
今回ジュリーのMCで触れられた、というのも良い機会です。夏のツアーのネタバレ禁止期間にでも是非採り上げてみたいと思います。

もうひとつ、今回のMCで「おお~」と思ったのが、ジュリーの「最近の土下座歴」のお話。
『財界さっぽろ』に掲載された土下座写真から、お姉さま方の間で「つむじ萌え」ブームが起こっていることも、ジュリーご本人は承知のようで(?)、この日もお辞儀をしながら頭頂をクシャクシャとかきむしって(2度、そんなシーンがありました)、お客さんの黄色い悲鳴を浴びていましたが・・・。
ザ・タイガースの札幌公演での「青い鳥」、今ツアーの大阪公演での「我が窮状」のお話に引き続いて

「あとね・・・ジュリーwithザ・ワイルドワンズというのをやってた時に・・・これはハッキリ覚えてる、八王子や!「フレンドシップ」という曲で、繰り返し部を歌っているうちに、迷子になってしまったんですよ。加瀬さんとの友情が壊れてしまうところでした」

と、あの懐かしいジュリワン八王子公演の話が~!
僕、今でもあの素晴らしい「FRIENDSHIP」を思い出してウルウルしてしまう時がありますからね。
何と言っても当時、LIVEレポート本編とは別に、その時の「FRIENDSHIP」1曲だけに絞って大長文記事を書いてしまったくらい、強烈な思い出として残っているんです。ジュリーも忘れてないんだなぁ、と・・・このMCにはメチャクチャ感動しました。

「加瀬さんは、もうすべて分かってくれていて、「いいよジュリー、好きなところで戻っていいよ」みたいな感じで待っててくれてるのに歌詞が出てこない・・・客席からは「頑張れ!」とか声がかかって、「分かっとる、今頑張ってるんやからそんな声かけんといて!」とか考えたりしてるとますますワケ分からなくなってね・・・歌が終わったら、即土下座ですよ!」

と。
いやいや、あの時の「FRIENDSHIP」は、変な言い方かもしれないけど・・・ハプニングがあったからこその素晴らしさ、得難い感動があった、と僕は今でも思っています。この顛末を詳しくご存知ない方々は、僭越ながら当時の拙ブログ記事を、この機に是非目を通して頂ければ・・・。

MCの〆は
「歌える限りは歌い続けます!と宣言いたしまして・・・ワタシの短い(爆笑)挨拶とさせて頂きます!」
からの、鉄人バンド・メンバー紹介。

「それでは、オマケです~!」

12曲目「世紀の片恋」

Kitarubeki

LIVEで聴くと、本当に語感がノリノリですねぇ、この詞と曲の不思議な絡み合い。
『ジュリー祭り』のセットリスト入りは当然、と今にして思います。これからも数年おきに採り上げられていくことになるであろう、ジュリーとジュリーファンにとっての「定番曲」でしょう。

さて、下山さんのギターモデル・・・近くで観ても実はよく分からなかったんです。僕は「スティール・ギターにはフレットの観念が無い」と思い込んでいましたから
「普通にフレットがある・・・もしかしてドブロ・ギター?でもボディーは全然違う・・・」
と。
LIVE後、「ラップ・スティール・ギターだよ」と教えて頂きましたが・・・それならなおのこと、何故だ、「君は~何故~、歯を食いしばり~、立って弾くのか~、そんなにしてまで~♪」
(←「若者たち」の節で)と思いましたが、まぁ答は簡単。曲が「世紀の片恋」だから・・・でしょうね。
下山さん自身作曲の、泥臭いロック・ナンバー。きっと、「立って弾きたい」衝動があったのでしょう。それにしても、よくスライドバーをネックの上からカマした状態でスタンディングで弾けるよなぁ・・・。

初日の反省を生かし、アウトロの”おいっちに体操”では少し体力をセーブしながらの参加。それでも疲れた~!

13曲目「忘却の天才

Boukyaku

初日よりはジュリーの歌詞も安定・・・していたとは言え、まぁ充分怪しかったんだけれど、ジュリーのサービス・アクションを観ていますと、そんなことまったく気にはなりませんよね。
歌詞のフレーズごとに、「忘れた」ポーズ、「3歩歩く」ポーズなど、矢継ぎ早に繰り出して、楽しげに動き回るジュリー、最高です。目を奪われます。
泰輝さんのベースラインもカッコ良かったなぁ。

あとね、壁席なので気がついたんですけど、ひっきりなしに「渦巻き」照明が登場。席のすぐ横で、壁がクルクル回っているんですよ。
なるほど「忘却の天才」をコンセプトにした演出だなぁ、と思いました。こういう曲ごとの照明演出って、やっぱりジュリー側からのリクエストがあるのでしょうねぇ。

さて余談ながらDYNAMITE、この日はこの「忘却の天才」の途中あたりで「いかん、暑い!」となりまして・・・さすがに曲の途中でガバッとセーター脱ぐわけにはいかず、セーターの下からモゾモゾとシャツを引っ張り出します。
これは何かって言うとね・・・最近僕はジーンズの下にタイツ(メンズですよ!)を愛用してるんですが、実は普段、シャツまでその中にインしているんですよ。
で、初日「ポラロイドGIRL」の後でセーターを脱ぎ散らかした際にはそのことをすっかり忘れていて、しばらくの間、ジーンズの上部からシャツをインしたタイツが覗いている物凄い格好で盛り上りまくっていたという・・・(大恥)。
今日は同じテツは踏まん!という準備だったのでございます・・・。

14曲目「神々たちよ護れ

Rocknrollmarch

ということで、無事にシャツをタイツから引きずり出し、セーターを脱ぎ捨ててからこの曲。
後で気がつきましたがこの「忘却の天才」→「神々たちよ護れ」の流れは、”間奏リード・ギターでいきなり転調する曲!”繋がりでございます。白井良明さん十八番のギター・アレンジ曲を連打、ということですね。

キメのサビ部「神々たちよ~♪」をこの日のジュリーは
かあみがみたちよ~♪」
と発声していました。最初の「か」で吐息をぶつけて、続く「あ」で音に辿り着く、という感じ。
この箇所は特に高音部、というわけではないので、ジュリーの中でこの日の鉄人バンドの演奏、或いは会場の雰囲気から感化された表現が沸いてきて、それが歌い方に反映された、ということだったのでしょうか。

15曲目「F.A.P.P.

38

手拍子しているお客さん、少ないですね・・・。
確かにアンコール8曲の中で、この曲だけ雰囲気が違うんですよね。リズムだけなら、ノリの良い曲なんだけどなぁ。ジュリーの動きが他7曲と比べるとおとなしめだからなのかな。

ジュリーが今回この曲を歌おう、と決めたのはどのくらいの時期だったのかな、と考えます。『3月8日の雲』収録曲から、「カガヤケイノチ」ではなくこの曲を選んだ、ということをね。

もちろんジュリーは熱唱です。しかも、一昨年の『3月8日の雲~カガヤケイノチ』ツアーの時よりも、高音がスパ~ン!と出ているんです。
この曲の最高音は「Happiness Land♪」で登場する、高い「ラ」の音。「いくつかの場面」の最高音と同じです。もちろんこの曲も、キーを下げたりはしていません(下山さんのフォームで確認)。この最高音を出す、というのがジュリーの思いなのだ・・・と、僕は何度もそう書いてきました。

僕はこの曲を今でも、歌詞カードを見ずにスラスラ歌えますし、自力で作成したスコアも見ずにギターを弾くことができます。何度も何度も歌詞を読み、歌ってみて、ジュリーの込めた思いは何だろう、と考え、かつてないほど真剣に対峙した曲です。その時に体験したこと、考えたことは、まったく忘れることはありません。
それでも、こうしてジュリーが歌っているのを生で聴くと「忘れるんじゃないぞ」と喝を入れられているような気がしますし、自分は「あぁ、覚えてる」と再確認させられるのです・・・。

16曲目「危険なふたり

Royal

ノッケから、見渡す限りのお客さん全員が頭上手拍子の盛り上がり。「僕には、できない♪」からは手拍子が拍打ちになるもんだから、ジュリーもお客さんも走る走る!
ちなみに過去の「危険なふたり」のLIVE映像を観ますと、だいたいここで走ってますね。一番凄いのは『ZU ZU SONGS』かな。あのポンタさんがあそこまで走っちゃうんだから、お客さんの盛り上がりがどれほどのものかが知れようというもの。
もちろんこの日の渋谷も相当だったと思います。

僕自身は、初日と比べるといくらか冷静だったのかな。そのぶん、演奏にも耳が行きました。柴山さんは絶好調でしたし、泰輝さんの歌メロ部のオルガンが心地よかったです。

17曲目「ダーリング」

Konndohakareina

さぁ、これです。初日に生で観て・・・その後の大阪、名古屋公演でも引き続き披露されたと聞いていた
「だ~りん、ポポポポン♪」
の腹太鼓がこの日も降臨なるか?

いやいややってくれました。
該当箇所すべて・・・1番から最後まで(初日と比較すると多少遠慮がちにはなっていましたが)、両手交互に、例のキメポーズの瞬間の、開いていない方の手でしっかり「ポポポポン!」とお腹を4つ叩きまくるジュリー。
これ、僕としてはDVD『greenboy』の「”おまえにチェック・イン”」で”キバリ拳闊歩”を観て以来の衝撃、いや笑撃なんですが・・・みなさまはどうでしょう?

ジュリーと一緒になって張り切って真似しているのは、視界の限りでは僕一人しかいなかったなぁ・・・。
後で思い出しましたが、この日がツアー初参加のお隣の先輩に「アレ、どう思います?」と感想を伺うのをすっかり忘れておりました。

間奏で、泰輝さんのシンセから柴山さんのリード・ギターへと繋ぐソロも最高にカッコ良く・・・やっぱり何度聴いても大名曲ですし、LIVEでは一層盛り上がりますね!

18曲目「ポラロイドGIRL」

Karehanemurenai

もうイケイケです。隣の先輩も凄いことになってます。
後半のアップテンポ・ナンバーの連発・・・「この曲でセットリストは〆かもしれない」と、次々に繰り出される1曲1曲に集中して気合を入れ直して盛り上がっていた初日を思い出しますな~。

この日僕は下手最端席ということで、できるだけ壁に張り付くような位置どりで立っていました。後方のお客さんの視界を邪魔してしまう心配が無いので、腕を高々と上げてのハンドクラップ、掌ヒラヒラに参加できましたし、ジュリーや下山さんに合わせてのジャンプにも遠慮なく参加できましたね。

最後は豪快な水しぶきを数回、オマケに「つ~っ」と水芸でこの曲を締めくくったジュリーでした。

19曲目「単純な永遠」

Sinpurunaeienn

とうとう最後の曲。もちろん会場はイントロから頭上手拍子です。
まるで、前方のお客さんの熱狂的に突き上げられた両腕の上にジュリーが身体ごと乗っかって歌っているように観えました。素晴らしい光景だと思いました。

イントロが終わると、みなさん一斉に手拍子を胸の位置まで下ろし、サビで再び頭上へ・・・先輩方は長年そうやってこられたのでしょうが、本当にこの「単純な永遠」という曲のメリハリ、構成を目一杯楽しむすべを知っていらっしゃる。驚くばかりです。

と言うのも・・・どう考えても「単純な永遠」というのは”難しい”タイプの楽曲なんですよ。
アプローチはグラム・ロック・・・敢えて類似例を出すとデヴィッド・ボウイの「ジーン・ジニー」あたりが思い浮かぶのですが、いわゆる「敷居の高い」ロックなナンバーなのです。ゆったりとシャッフルで、クールな進行のメロディーとアレンジ。ロック好きにはウケても、一般的にはどうか・・・そんなタイプの曲のように思えます。
ジュリーが当初この曲をシングルに推していたのに実現しなかった、という逸話を聞いたことがありますが、それは「大名曲には違いないが、ヒット性、キャッチーさに欠けるのではないか」との最終的なスタッフの判断があったのではないでしょうか。

ところが、ジュリーが好んでステージで採り上げていることと比するように、この曲は多くのジュリーファンのお姉さま方の熱烈な支持を勝ち取っています。それこそがジュリーならではの魔力・・・「単純な永遠」、なんとも痛快な人気曲ではありませんか。

それにしても・・・みなさん、最後のダメ押しリフレイン部の頭上手拍子、疲れないのですか?
僕が情けないだけでしょうか、この日はイントロからガ~ッと飛ばして盛り上がってしまったせいか、最後には何度か左腕を下げて肩を休めてしまいましたよ。2011年夏に発症した四十肩の影響が残っているのか・・・いやいや、確か『奇跡元年』の時も途中で「いてて・・・」となっていた記憶が。
要は、根性が足りないのでしょう。
お姉さん達だって、シンドイには違いない。それでも頑張っていらっしゃるはず・・・ですよね?


曲が終わるとジュリーは改めて鉄人バンド・メンバー紹介に続いて、お決まりの「ジジ~でした!」の後、何度もにこやかに手を振り、最後はプルプルとジジイお辞儀をキメて退場。
この日も、場内の照明が灯った後も最後まで手を振ってくれたのが柴山さんでした。

僕の『ひとりぼっちのバラード』参加はこの29日でおしまい・・・淋しい。淋し過ぎる。このレポを書いている時点では既にすべての公演が大成功、大盛況に終わり、ジュリーLIVEが夏のツアー初日の7月まで待たねばならないことも分かりました。
何度でも・・・叶うならばすべての公演に参加したい、と思えた2014年のお正月コンサートでした。
セットリストが最高だったこともあるけど、ジュリーのヴォーカルが、ここ数年で特に素晴らしかったように感じました。いつもその時々で「最高」なジュリーですが、やっぱり今回は何か違った、と思っています。

「歌いたい歌」への思い、それ以上に・・・これ以上ない自信と歓びに漲る、完全無欠の歌手・ジュリーを観た気がします。僕の個人的な感想だと、「歓び」というのがキーワードだったかなぁ。
もちろん、社会性の強いメッセージ・ソングも数曲ありながら、ジュリーがそれでも楽しそうに、幸せに見えました。ザ・タイガースの成功と無関係ではないでしょう。『ジュリー祭り』を成功させ、タイガース復活を成功させ、ジュリーは今、自ら望んだ歌人生を、奇跡的なまでに自然に歩んでいるのではないでしょうか。

これからしばらく、ジュリーLIVEの無い日々を過ごさなければなりませんが(半年近くもあるのか・・・)、春には音楽劇、そして具体的な日程はまだ分かっていませんが、新譜のリリースもあるそうです。毎年新譜を届けてくれ、そのツアーがある・・・なんと贅沢なことでしょう。
そうなのです。ジュリーファンでいる、というのは他では味わえない、とても贅沢なこと、幸せなこと。
『ジュリー祭り』でジュリーLIVEデビューを果たした僕は、今回の『ひとりぼっちのバラード』で、先のザ・タイガース含め、計13回目のツアーを体感しました。2008年暮れから2014年お正月の間で、13回ですよ。ちょっと考えたら、大変なことです。有難いことです。

ですから、夏まで粛々と日常を励みます。
新譜を引っさげての夏のツアー、今度はどんなステージを魅せてくれるでしょうね。やっぱり「いつも最高だけど、今回は特に最高!」と思うのかな。

29日の会場にて、お久しぶりのみなさま、「はじめまして」のみなさま、新年のご挨拶ができましたこと、嬉しく思います。ありがとうございました。
今回お会いできなかったかたも、耒タルベキ夏のツアーでお会いしましょう。

拙ブログでは次回更新から、今回の『ひとりぼっちのバラード』で採り上げられた素晴らしい楽曲群の中から、恒例”セットリストを振り返る”シリーズの執筆に突入いたします。
今、頭にあるのは6曲です。頑張って書きます!


最後に。
ジュリーwith鉄人バンド・・・最高の歌、最高の演奏、最高のセットリストとステージをありがとう~!

20140129

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