沢田研二 「ジュリアーナ」
from『KENJI SAWADA』、1976
1. モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・モンド(巴里にひとり)
2. ジュリアーナ
3. スール・アヴェク・マ・ミュージック
4. ゴー・スージー・ゴー
5. 追憶
6. 時の過ぎゆくままに
7. フ・ドゥ・トワ
8. マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス
9. いづみ
10. ラン・ウィズ・ザ・デビル
11. アテン・モワ
12. 白い部屋
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え~、まずはジュリー界の時事ネタを少しだけ。
『鴨川ロマンス』からの情報で僕が一番萌えたのは、サリーの「デビュー曲は20テイクくらい演った」というお話でした。「僕のマリー」のことですね(それともB面「こっちを向いて」も含めてそういう感じだったのかな?)。
バンドが一発録りだったので、誰かが間違うとまた最初からやり直し、ということだったようです。
1967年初めと言えば、まだまだ4トラック・レコーディングの時代。そりゃあ、少なくともベーシック・トラックは一発録りのはずです。
おそらくバンド演奏とジュリーのヴォーカルをPANで2トラックに振ってまず1発。残りの2トラックがコーラスかなぁ・・・。あくまで想像ですけど。
年末が近づいたら、そのあたりにも気をつけて初期のタイガース・ナンバーをじっくり腰を据えて聴き返してみたいものです。
それでは本題。
拙ブログでは現在、「みなさまからのリクエストにお応えする週間」ということで頑張っております。
今日は、昨年執筆した「巴里にひとり」の記事へのコメントで頂いたリクエスト曲(nekorin様ありがとうございます!)を採り上げましょう。
「ジュリアーナ」、伝授!
このアルバムのフランス語ナンバーは、全7曲中5曲までもが転調構成を採り入れています。
しっとりとしたいかにも「シャンソン風」の曲想から転調のアイデアを多用しているのかと思いきや、「ジュリアーナ」のような軽快なポップ・ロック・チューンでもそれが見られるのは少し意外のようですが、これがまたカッコイイ転調なのです。
ちなみにこのアルバム、収録曲のいくつかについてはキーの特定ができません(テープのピッチが演奏通りではなくマスタリングの段階で上下されているため。60~80年代のレコード音源には、ジュリーに限らずこうした例が数多くあります)。
「ジュリアーナ」の場合も、「A♭」(=変イ長調)と「A」(=イ長調)の間のピッチとなっています。
マスタリングされたピッチはどちらかと言うと変イ長調のキーに近いのですが、イントロでフィーチャーされるアコースティック・ギターの「トニック→add9→sus4→トニック→add9→トニック」のリフがロー・コードでの演奏になっていますから、僕はイ長調でこの曲を採譜することにしました(変イ長調だと、このアコギ・リフはチューニングを半音移動させない限りロー・コードでの演奏が不可能なのです)。
イ長調の採譜ですと、転調移行部含め、いかにもギターで作曲したんだなぁ、という感じもしますしね。
転調の繋ぎ目を見ていきますと
♪ sur toutes les routes de la vie
A C#m7
j'etais seul et je n'ai rien appris
F#m D
Aujourd'hui Juli Juliana
B7
Je Voudrais revenir chez toi ♪
E
Aメロ2回し目のここまでがイ長調。王道の進行です。
続いて
♪ Juliana J'ai besoin de ton amour
C E7
Juliana sans toi je compte les jours ♪
Am F G
ここはハ長調。
イ長調からハ長調、という転調の理屈は、移調比較しますとこのアルバムの他のフランス語ナンバーと同じなのです。違いは「Dm7」「F」といったサブ・ドミナントの和音を経過せずにいきなり「C」に跳んでいること。穏やかに流れていくような転調ではなく、豪快な力強い転調と言えます。
そしてサビ部の最後
♪ Juli Juli Juliana Juli Juli Juliana
C F C G7
Juli Juli Julia na ♪
C E7 A
の「na~♪」でイ長調へ帰還。
そのまま、イントロと同じ「A→Aadd9→Asus4→A→Aadd9→A」のリフへ。
で、このコード・リフなんですが、イントロは完全なアコースティック・ギター・ソロであるのに対し、1番と2番の間、その後のエンディング部はいずれもエレキ・ギターとオーケストラが左サイドから助っ人に入ります。
このエレキのミックス音量が、うっかりすると聴き逃してしまうくらい小さいんですよね(ピアノはさらに小さいですけど)・・・。アコギの方はリフ部になると「えいっ!」とフェーダー上げてるっぽいんですけど。
ともあれ、バラード調の「巴里にひとり」ではアコギが不在で、ロック調の「ジュリアーナ」がアコギ強め、というアレンジにはとても好感が持てます。
アレンジと言えば、これはおそらくレコーディング本番での咄嗟のアドリヴなんでしょうけど・・・2’21”あたりから突如炸裂するドラムスのフィル・インが素晴らしい!
同じ演奏部は曲中に4度登場しますが、このフィル・インが入るのはたった1回きりです。是非注意して聴いてみてください。
さて、「ピュア」という言葉がピッタリのフランス語ジュリー・ヴォーカル・・・この「ジュリアーナ」での一番の聴き所は、ジュリー自身が「じゅり、じゅり」と惜しげもなく連呼している、ということに尽きると思いますが・・・ここではその他に、ちょっと専門的なヴォーカル考察もしてみたいと思います。
この曲のヴォーカルは、ダブル・トラックです。
1曲目「巴里にひとり」のシングル・トラックと比較すれば歴然。ジュリーの声が二重になっているのは、みなさまもすぐに聴きとれるでしょう。
特筆すべきは、これが当時流行の機械による複製トラックによるもの(「バイ・バイ・バイ」記事参照)ではなく、ジュリーが2回歌ったトラックを重ねている(「人待ち顔」記事参照)、ということです。
何が凄いって、この曲の2つのヴォーカル・トラックにはほとんどズレが無いんです!
「同じ人が2度歌ったトラックを重ねる」手法の場合、どうしても細部に声の出し方やブレス、音の伸ばし具合に違いが出ることが当たり前です。それが逆にダブル・トラックならではの味わいになったりもするんですが、「ジュリアーナ」のダブル・トラックはそうしたヴォーカル・ニュアンスの違いを見つけることが非常に難しい。
2番Aメロになってようやく微妙な違いを辛うじて確認することができますが、これは僕が素人ながら長年のレコーディング経験があるから気づけることで、普通のリスナーが普通に聴いていたらまず聴き分けることはできないと思います。ジュリーのヴォーカルはそれほど細にまで行き届いているのですよ。
ジュリーのフランス語ナンバーの大きな魅力は、その無防備なまでの素直さ、純粋さです。
これは若き日のジュリーの特性・・・実際は全然そんなことはないのに「まだまだ自分は歌が下手だ」と思っていて、ならば、と「歌う」ことに一心になる。ジュリーは決して「自分の渾身の歌の表現でフランスの人達に気持ちを届けよう」などとは微塵も考えていません(と、僕は感じます)。
プロが作った素晴らしい楽曲を、音程に気を配り、徹底的に発音を練習し、ただただ素直に「歌」として歌う・・・余計な過信や自己主張はまるで無く、無心に歌うのです。至らぬ(と本人は思っている)歌唱力を何とか努力で補おうと全力を尽くした結果、寸分違わぬヴォーカル・テイクを何度でも繰り返し歌えるまでに身体に叩き込んだのではないでしょうか。
そうして歌われた曲は、たとえネイティヴな発音でなくともフランス人のリスナーにビシビシと伝わるものがあったでしょう。
「なんだか、東洋のカワイイ男の子が一生懸命フランス語の曲を歌っていて、凄く良い!」
という現地の感覚が、ジュリーのフランスでの成功の要因だったのかな、と僕は思います。
僕はこれまで、外国人ヴォーカルの邦楽で逆のパターンを何度も感じたことがあります。日本語の歌詞そのものを完全に理解しているとは思えないんだけど、下手に日本人が情感を込めて歌うより自然に歌詞の内容が伝わってくるなぁ、と感じる曲が結構あるのです(代表例は何と言っても「私だけの十字架」)。
ジュリーのフランス語ナンバーって、彼の地の人達にそんなことを感じさせる力があったんじゃないかなぁ。
持って生まれた美貌、アイドル的人気に胡坐をかくことなく、溺れずに「歌うこと」に対して常に真摯に立ち向かう・・・若い頃から積み重ねてきたそんな努力あっての今のジュリーなのだ、と改めて思います。
『サーモスタットな夏』ツアーDVDでのMCなどで聞かれる「これもひとえにワタシの努力!」というおどけたようにして笑いを誘うジュリーの言葉は、実は間違いなく本当のことなんですよね。だからこそ僕のような新しいファンが世代を問わず増え続けているのです。
最後に。
いつもブログで考察記事を書く際、歌詞カードを改めて熟読したりすると、それまでずっと見逃していた再発見があったり、思いもよらぬ誤植とかに気がついたりするものですが・・・今回もありましたよ~。
まず、自分の無学ぶりを思い知った細かい再発見がありました。
アルバム『KENJI SAWADA』って、フランス語曲と英語曲の収録曲については歌詞カードに日本語訳も載っていますよね。
「ジュリアーナ」の訳詞を、「いかにもこの時代ならではの日本語訳だなぁ」とか考えながら読み進めていき、ふと
(ルフラン)
ジュリアーナ ぼくはきみの愛が必要だ
ジュリアーナ きみなしでぼくは 何日もすごしてきた
という表記に気がつき、「そうか!」と。
いやぁ、日頃から仕事で知ったJ-POPのタイトルや歌詞で「ルフラン」ってフレーズを結構頻繁に見かけたりしていたのですが、意味については深く考えたことなかったなぁ。言われてみれば、これはフランス語独特のフレーズです。
「リフレイン」のことなんですね。
日本語で「くり返し」と書かずにカタカナで「ルフラン」なんて表記するあたり、ちょっと気どった歌詞カードにしたかったのかな?
ともあれ、今さらながら勉強になりました。
もうひとつ、ちょっと酷い誤植を発見。
歌詞カード冒頭・・・収録曲クレジット一覧のページです。
何処が間違っているか、お分かりになります?
日本人の作詞・作曲クレジットがローマ字になっているのは良いのですが・・・「追憶」と「白い部屋」の作詞者が逆!
単に間違っているのではなく入れ替わっている、というのは珍しいパターンかな~。
最初にクレジット作成した方が何か思い違いをして、それが校正段階もすり抜けてしまったのでしょうか。
僕などはかつて、『ROYAL STRAIGHT FLUSH 3』歌詞カードの「あなたへの愛」の作曲者表記が誤ってジュリーになっていたのをしばらくの間信じきっていたことがありましたし・・・こういうクレジット表記のミスは、再版の際にマメに修正して欲しいなぁと切に思いますね・・・。
あと、1番Aメロの最初の歌詞なんですけどね。これは誤植・・・なのか僕が無知なだけなのか。
J'ai Clhouru arres ma liberte
(訳詞は「ぼくはぼくの自由を追いかけた」となっています)
と書いてあるように僕には読めるんですけど、太字で表記した単語・・・「Clhouru」ってのはかなり不自然なスペルだと思うんですよね。子音が3つ続いてる・・・しかも最初の「C」が大文字になってるのもワケ分かりません。
ただねぇ・・・僕の手持ちの歌詞カード、ちょっとこの部分の印刷が擦れているんですよ。「Clh」という並び自体が僕の読み違いかもしれません。
何と言っても、ここ2年で急激に進行してしまった老眼(泣)。
メガネ外さないと歌詞カードが読めず、歌詞を書き写そうとすれば今度はメガネかけないとPC画面が見えず・・・という情けない状況。普段はまぁ、大体の歌詞は把握していますから、歌詞カードが見にくくてもほんの数箇所の確認だけで事足りていたのでさほど苦労は感じなかったのですが・・・今回はなにせフランス語でしょ?
スペルを1コ1コ確かめながらの書き写しでしたから、本当に往生いたしました。
そんなこんなで、「Clhouru」の謎を伝授してくださる方を切望しております(高校で英語ではなくフランス語を履修なさったと仰っていたしょあ様に期待!)。
たぶん「追いかける」という意味の過去分詞か形容動詞が来るべき箇所のはずなんですけど・・・。
それでは、次回更新からいよいよ”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズへと突入いたします。
今年の6月は仕事がバタバタしそうなので、4~5月と比べると執筆速度はかなり落ちてしまうかと思いますが、なんとか週に1回の更新をメドに4、5曲ほど書いておきたい(お題はもうだいたい決めています)。
ちょうど今、みなさまからのリクエストお題ということで3曲続けて書いてきています。せっかくですからしばらくそれは継続して、みなさまからリクエストを頂いていた多くの曲の中から、今回の僕のセットリスト予想として「これは!」と思うお題を採り上げてみることから始めていきたいと考えています。
と言いつつノッケから、「それを予想曲に挙げるとは・・・」という、みなさまア然な変化球をご用意させて頂く予定。
どうぞお楽しみに!
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