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2013年4月16日 (火)

沢田研二 「不良時代」

from『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』、1972

Julie4

1. 今 僕は倖せです
2. 被害妄想
3. 不良時代
4. 湯屋さん
5. 悲しくなると
6. 古い巣
7. 
8. 怒りの捨て場
9. 一人ベッドで
10. 誕生日
11. ラヴ・ソング
12. 気がかりな奴
13. お前なら

---------------------

申し訳ありません!
今日は楽曲考察記事ではなく、旅日記シリーズです。

これは数ヶ月ほど前・・・母親の13回忌の日程がハッキリした時から、この曲のお題で僕の故郷のことを書こう、と決めていたのです。
そして、去る13日~14日の1泊2日で、我が故郷・鹿児島県は隼人町(現在は市町村統合して「霧島市」の一角となっていますが)に帰省して参りました。

『ジュリー祭り』でも採り上げられたこの大名曲「不良時代」のお題がこのような記事になり、また怒られるかもしれませんが・・・たぶん男性ジュリーファンなら少し分かってくださるような気がします。ジュリーの「不良時代」に自分の10代を重ね合わせ、当時のことを思い返してみたくなるこの心境・・・。

さらに僕のように高校生までを田舎で過ごし、上京してその後ずっと都会に暮らす、という人生を歩んでいる者にとっては、10代の思い出と重なる「不良時代」という曲がそのまま故郷の風景や懐かしい友人達との日々・・・そんなイメージに染められているのです。

しょうもない記事となりますが・・・ゆる~い感じでおつき合い頂ければ、と思います。
よろしくお願い申しあげます!


☆    ☆    ☆

僕の故郷、鹿児島県霧島市隼人町。
九州の南の果ての県とは言え、交通の便には恵まれている方だと思います。羽田から飛行機で2時間弱、これで空港から実家まで距離があると不便極まりないのですが、鹿児島空港の山を下れきればすぐそこが我が町、隼人町。

ズバリ「隼人」という地名出身ということもあってか、僕は「九州男児ですね」と言われるより「薩摩隼人ですね」と言われる方が全然嬉しい。まぁこれは、鹿児島県出身の男性ほとんどがそうなのかもしれない・・・のですよピー先生。僕はこの点、トッポのこだわりがよく分かるなぁ~。

今回も、天気に恵まれた2日間だったことは何よりでした。考えてみれば、1周忌、3回忌、7回忌とも素晴らしい晴天で・・・この13回忌も相変わらず、76歳になるというのに調剤薬剤師としてバリバリ現役の元気な父親の仕切りで無事とり行うことができました。
前回7回忌の時と違うのは・・・僕と次弟が妻帯者となり家族が2名増えていることのみ。

実家に寄りしばし歓談の後、午後3時からの13回忌法要は、実家から車で5分・・・母や祖父母が眠っている、錦織寺別院にて行われました。

130413_1


現在の住職は、僕の中学校の2年後輩。まぁ、今は僕の方が全然若く見える・・・と思いますけどね!
お寺はその中学校のすぐ近くにあり、懐かしい場所です。この近辺は、僕が中学生だった頃と景色もほとんど変わっていないのが嬉しいです。

法要は滞りなく終わり、父、僕等長男夫婦、次男夫婦、三男夫婦と子供2人の計9名は地元の有名焼肉店『なべしま』で会食。
で、本来長男夫婦はその後実家に泊まるべきところ、長年父一人の生活の場となっている実家はとてもそういう状態ではなく。
母が健在だった頃はキレイに片付いていたんですけどねぇ・・・。まぁ、この息子にしてこの父親あり、といったところでしょうか。

結局僕ら夫婦は、車で15分ほどの隣町、日当山(ひなたやま)というところに泊まりました。

日当山は霧島市においても有名な温泉街です。過疎地でひなびたところですけどね・・・それが良い。九州は宮崎県にお住まいのジュリーブロガー、J一郎様が見事”泉人”の称号を得るまでの過程で、何度もこの日当山温泉街を訪れていらっしゃいました。
そのJ一郎様のブログにはまだ登場しておりませんが、僕らが今回の宿とした『清姫温泉』も日当山温泉街宿のひとつです。

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この『清姫温泉』は敷地内に宿泊場、食堂、宴会場、そして大衆浴場の4つのこじんまりした建物から成っていて、昔ながらのレトロな雰囲気が楽しめます。
良くも悪くも「レトロ」・・・もちろん「悪くも」というのはそれも込み込みで旅情を満喫できるという意味で、夜中にすぐ近くからひっきりなしに牛の鳴き声が聞こえてくるという・・・。これはむしろ田舎旅の本懐と言うべきでしょう。

写真を撮り損ねましたが、湯、朝食ともに素晴らしかったです。

大衆浴場の湯は小さく3種類に分別されていて、僕はもっぱら「あつ湯」にじっくりつかりました。近所(たぶん)のオジサン達がお湯だけ入りに次々に「こんばんは~」と声をかけながら入ってきて、何とも言えないのどかな雰囲気。

朝食のオススメは何と言っても味噌汁です。僕にとっては懐かしい味・・・他地方出身の方々は一瞬ビックリするかと思いますが・・・かなり甘みの強い味なのです。僕は朝からそんなにバリバリ食べられない性質なのですが、カミさんはご飯をおかわりしていました。食堂のオバチャンは何の疑問も持たずに僕の前におかわりのご飯を持ってきていましたけどね!

翌朝、飛行機の時間までどう過ごすかをあれこれ考えながら、まずは近辺を散歩。
写真に思いっきりカミさんが写っているのでupは控えますが、すぐ近くに『野鶴亭』という温泉宿があり、敷地の一角にある足湯を道ゆく人に「ご自由にお入りください」と解放してくれています。無論、今回僕らもそちらで足湯を堪能してきました。

少し歩くと

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これが天降川。「あもりがわ」と読みます。
霧島から降り錦江湾に至るこの川は、僕の少年時代とは切り離せない原風景のひとつです。

さて、宿に置いてあったパンフレットなど検討し、肥薩線(肥後人吉と薩摩隼人を結ぶ、一応JR線。ちょうど空港に近づく感じで山を登っていく路線です。まぁ近づく、とは言っても空港のそばに駅があるというわけではないのですが・・・)の『嘉例川(かれいがわ)』駅の駅弁が有名、という情報を得ました。
これは地元出身の僕も初耳で、昼食はそれにしようということになり、肥薩線に乗車することに。

肥薩線出発駅である『隼人』駅すぐ近くの実家で育った僕ですが、実は肥薩線にはほとんど乗ったことがありません(電車と言えばおもに、鹿児島市内へと至る日豊本線を利用していました)。
初めて乗ったのが、高校生の家出の時ですよ!と言っても1夜だけのことでしたから、家族は家出なんて思いもしなかったでしょう。バンドにうつつを抜かしていた僕は、親に無断で音楽仲間の家に泊まることも多かったですから・・・。

ただ・・・今日はジュリーの「不良時代」のお題で執筆しているわけですが、そうやって無断外泊を繰り返したりする僕の素行を、当時母親は「このままだと不良になってしまう」と父親にこぼしていたらしいです。
心配する母に父は「俺とお前の子供が不良になるはずないだろう」と言い切ったのだとか。何を今さら女房を口説いてんのか、って話ですが、そんないきさつを初めて聞いたのは母が亡くなった直後だったので、何か胸に来るものがありました。
ちなみに家出の理由は、祖父が母をどうでも良い理由でいじめていたので、僕が祖父に喧嘩を仕掛けたら、逆に母に酷く怒られてしまいイジケた、というものでした。
この家出のことについては、今日のお題「不良時代」と共に「遠い旅」を聴くたびに何故かまざまざと思い出されるのです・・・。

そんな思い出のある肥薩線。
『隼人』を始発に、『日当山』『表木山(ひょうきやま)』『中福良(なかふくら)』『嘉例川』」と、どんどん標高が上がっていきます。
当然今回は実家近くの有人駅『隼人』ではなく、次の無人駅で宿の最寄りである『日当山』から乗車することになりました。

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日当山駅。
閑散とした空き地の中に忽然と駅舎がある、という感じ。

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こちらが駅構内。
人っ子ひとりいません。「ホントに電車来るの?」と不安げなカミさんでしたが、しっかりと定刻に、ワンマン運転のディーゼル1両編成の列車がやってきました。
後部ドアから入り、整理券を取ります。「バスかよ!」なんて言わないでください。それは都会の理屈ですよ~。肥薩線はほとんどが無人駅ですから、これが無いと乗車成立いたしません。
さらに、乗客は僕ら2人きりです!
珍しくこんな時間の乗客を迎え、車内アナウンスをする運転手さんの声が心なしか張り切っているような気が・・・。

次駅の『表木山』で、早速田舎の単線ならではの体験・・・「対向列車の通過待ち」が約10分間というね。

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運転手さんも一旦車外に出て、のんびりと駅の草をむしったりしていましたよ~。

その後も山、山、山・・・な景色を列車は進み、誰ひとり乗車して来ないまま、『嘉例川』駅に到着。
で、ビックリ!ホームに人がたくさんいます(と言っても7、8人ですけどね)。
皆さん乗客ではなく、『嘉例川』駅に観光に来られた人達。明治時代に建てられた駅舎がそのまま残っているという『嘉例川』駅・・・実は鉄道名所として全国的に知られているようです。NHKの人気旅番組、鶴瓶さんの『家族に乾杯』で、結構最近紹介されたのだとか。

僕らはホームに人がいるのを見てビックリしましたが、ホームの人たち(無人駅ですからホームには自由に出入りできるというわけです)も「おおっ、電車に人が乗ってる!しかも降りてきた!」みたいな感じでテンション上がってた・・・(汗)。


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味わい深い『嘉例川』駅舎。
駅構内は資料陳列コーナーもあります。

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最大の目的だった名物の駅弁は、何と品切れ。残念・・・。

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駅前の広場を出ればそこはいきなり、急傾斜の坂道。
高台から線路を見下ろすと、珍しく2両編成の列車が通過。ただ・・・それでもこの時間(お昼時)は誰ひとり乗車していなかったなぁ・・・。

その後、バスの停留所を間違えたりして冷や汗をかきながらも、無事山頂の空港に辿り着き、羽田へと帰還したのでありました。
ひょんなことで肥薩線の旅が叶い、大変有意義な帰省でした。

☆    ☆    ☆

旅日記のみではナンですので、最後に「不良時代」という曲についてのお話を少し。

先日再放送もあった拓郎さんの番組、『吉田拓郎の千夜一夜』第1回・・・ジュリーとの対談で僕が最も興味をそそられた話題は
「ジュリーは70年代初めのフォークソング・ブームをどう見ていたのか」
という拓郎さんの質問。
ジュリーは「うらやましかった」と答えていましたね。

これは少し考えてみれば、大いに納得です。
当時フォークシンガー達は自作曲で、自分の歌いたいことを歌い、それが支持されてきた・・・ジュリーはその頃から「自分の詞で歌えれば」と発言していたわけですから、そういう目で拓郎さん達に憧れの視線を持っていたのでしょう。

そして・・・僕は「不良時代」という曲は、そんなジュリーのフォークソング・ブームへの憧れが色濃く反映された代表例だと考えています。
堯之さん達のアレンジによってロックの要素が味付けされていますが、純粋にジュリー作詞・作曲の段階では、この曲はモロにフォークのアプローチで作られたんじゃないかなぁ。

例えば

♪ 仲間と一緒に ぐれていた若い日 ♪
  D          G       D   A        D

この辺りのメロディー。
フォークシンガーがこの曲をカバーしていたら間違いなく、「仲間と~♪」の「と」の部分は鼻で抜くファルセットで「とお~♪」になると思います。
そういった、いかにもフォーク、な歌い方にふさわしい旋律になっているんですよ。

また、アルバム収録曲中「不良時代」が唯一でしょうね・・・いわゆる「普通の」コード進行の曲は・・・。
他の曲では、ジュリーの採り入れたコードの組み合わせが斬新で、それがいかにもロック畑・・・鋭角的なんですが、「不良時代」だけは驚くほどに素直な進行。逆に新鮮に感じてしまうほどです。

従って、「不良時代」は採譜もいたって簡単。
ところが・・・僕の手元には4種類の「不良時代」のスコアがあるのですが、すべて表記に違いがあるんだよなぁ・・・。

まぁこの曲で採譜に苦心しそうな箇所を敢えて挙げるとすれば、「今よみがえる♪」から始まる展開部でしょうか。

その部分最後の「顔も道も家もすべて♪」のキメ部で最も的確と言うか、文句のない採譜をしているのがこちらのスコア。

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↑ 『沢田研二・イン・コンサート』より

「G→D(onF#)→Em→D」。これはベース音が「ソ→ファ#→ミ→レ」と下降していく楽曲全体のアレンジをも1本のギター・コードで表現しているという理屈です。
CDと同時に弾いてもバッチリ合います。
ちなみに「D(onF#)」は、ローコードの「D」に加えて親指で6弦2フレットを押さえるフォームがおススメです。

続いてこちらはどうでしょうか。


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↑ 『沢田研二のすばらしい世界』より

「G→Bm→E7」となっています。
弾いてみると全然違う曲になっちゃってますが、メロディーとは合っています。アレンジの拡大解釈としてはなかなか味の良い採譜と言え、ギター1本で弾き語るのならば、この進行はアリだと思います。
ただ、CDを流しながら同時には弾けませんね。

次に、これ。


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↑ 『沢田研二 ビッグヒット コレクション』より

該当の1小節すべて「G」のコードで貫いていますね。でもこれはメロディーと合うばかりでなく、本来ジュリー作曲の時点ではこうだったのではないか、と考えることもできます。
『沢田研二・イン・コンサート』で表記された進行は、堯之さん達のアレンジ段階で練られていったものだった可能性があるのです。
ですからこの「G」で通す採譜もアリですね。

問題なのは、コレですよ・・・。


Furyou5

↑ 『沢田研二のすべて』より

いや、このスコアはオリジナル音源のニ長調をハ長調に移調して初心者向けにしてあるので、「Am」が登場するのは当然です。
ただ・・・「はじめての恋♪」の「恋」から4小節ブッ続けで「Am」で押し通すというのは・・・。
どんなに感情を込めてエモーショナルに弾いて歌ったとしても、この曲のメロディーの素晴らしさはまったく伝わらないです・・・。
まぁ、採譜ひとつとっても大らかな時代だったということでしょうね・・・。


ということで。
次回更新からは再び通常の楽曲考察記事に戻ります。
『ジュリー祭り』に選ばれなかったシングル・・・僕が生で聴いたことのない有名曲のお題を予定しております。
どうぞお楽しみに!

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コメント

DY様 こんばんは。

田舎が九州や北海道って人ちょっとうらやましいです。
帰省がプチトラベル気分になれそうだから。

私なんか実家まで電車で1時間足らず。都内だし。
まぁ、娘など、「実家まで電車で15分の私の立場は?」でしょうけど。

出版社の楽譜って曲を作った人が書いたスコアを著作権で買って出版しているのかとずっと思っていたんですが、コードを聴き分けられる方がそれぞれの出版社にいてフィーリングで採譜してるんですか?

「コレクション」と「イン・コンサート」・・・確かに微妙に違う・・・。(弾けないけど)
「不良時代」は出版されたシュリー楽譜集の中でも掲載率が高いですね。
DY様のフィーリングでのジュリー曲のスコア、楽譜になったのを手にしてみたいです。

投稿: nekomodoki | 2013年4月17日 (水) 00時05分

nekomodoki様

ありがとうございます!

楽譜は、スコアアレンジャーという人達が採譜したものを、楽曲使用としてJASRACさんに申請する、という形です。さらにアーティスト本人にそれをチェックしてもらった場合「監修」となりステータスが上がります。

ただ、ひと昔前は…普通に僕くらいのレベルの出版社社員自らが採譜していて、大らかなことになっているというわけです…。

鹿児島ともなると帰省はプチ旅行どころか、一大旅行ですよ…。
今年は13回忌の予定が分かっていたので、節約のため夏からのツアー参加申し込み会場が少なくなってます…(泣)

投稿: DYNAMITE | 2013年4月17日 (水) 08時49分

DYさん、はじめまして。

いつも楽しく拝読してます。新規ファンなので、ジュリーのアルバムを買う度に、ここで勉強させていただいてます。

実は、私の父もDYさん同様、薩摩隼人。今回の旅日記では、不良とも家出ともまだ無縁な、小学生の頃を思い出しました。幼稚園から中一ぐらいまで一年おきに、夏休みを祖父母の家で過ごしました。空港ビルを出た瞬間から感じる、南国の日差し。周りの人は皆、鹿児島弁。遠い所に来たと、幼心にわくわくしたものでした。

そうでした。鹿児島料理は、何でも甘いんですよね。お味噌も、お醤油も。

ジュリーに直接関係ないコメントになってしまい、申し訳ありません。どうぞ、今後ともよろしく。

投稿: はるか彼方 | 2013年4月18日 (木) 00時59分

はるか彼方様

はじめまして。コメントありがとうございます!

あの空港ビルを出た瞬間の開放的な風景をよく知っていらっしゃるとは嬉しいですね~。空港の周りは一面のお茶畑、そこから山を降るんですよね。

はるか彼方様も、幼い頃に訪れるたび、おじいちゃんおばあちゃんの鹿児島弁を異国の言葉のように感じながら楽しく過ごされていたのでは、と想像いたします。
次に鹿児島を訪れる機会がありましたら、嘉例川駅に立ち寄ってみてください。和みますよ~。空港からバスですぐ…さらに嘉例川からは肥薩線で隼人まで行けます!

ちなみに今回、カミさんがおみやげに麦味噌を買って帰りましたので、しばらくはこちらでも甘い味噌汁が楽しめそうです。

お返事がローカルな話題で失礼いたしました。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

投稿: DYNAMITE | 2013年4月18日 (木) 08時47分

DY様

九州は景色も空気も人々の気性も独特…そして鹿児島弁は何を言ってるのかまったくわかりません(笑)!
それにしても、DY様に「不良時代」があったとは〜。そしてわが子を心配するお母様と、俺たちの息子を信頼しろ!と言い切るお父様、素敵ですね。
故郷がDY様を育み、今もDY様の体のなかに生き生きと存在していることが、伝わってきました。
ジュリーもそうみたいですよね。

「不良時代」は、メロディより高いところで自分で(ですよね?)コーラスしているのが好きです。
学校の枠に収まりきらず、しかし自分の進むべき方向も見えず…だったらしいジュリーが、仲間と音楽に出会い、これぞ天職とばかりに情熱を傾け才能を花開かせて、大スターになるわけですから、色々考えさせられます。
本人の資質と努力もさることながら、若者を型にはめようとするのではなく、のびのびと試行錯誤も失敗もいっぱいして、大きくなっていける、そんな懐の広さが今の社会にも必要ですよね…。

JULIE IVは(も)大好きなアルバムです。また取り上げてくださいね!

投稿: A.F | 2013年4月19日 (金) 22時36分

♪DY様

曲名&お題とはまるで関係なくて恐縮です。
東京生まれで東京育ちの私ですが両親の故郷で赤ん坊の時から田舎同然に行ってますので…

復活した肥薩線のSLに乗りたいよ~ つД`)
人吉の温泉にも入りたい(´-д-`)
因みに私はいとこや叔母達から送られて来る事もありますが

20年近く麦味噌と溜り醤油を人吉の馴染みの店からお取り寄せしてます(焼酎や明太子も)
(^^♪

投稿: hiko | 2013年4月19日 (金) 23時24分

DYさま、旅日記シリーズをありがとうございます。
肥薩線の単線・ディーゼル・整理券のくだり、「そうそう、あるある〜」と頷きながら拝読しました。
学生時代、鹿児島市出身の友人が、お醤油(と芋焼酎(笑))だけは実家から送ってもらっていたのを思い出しました。
火山と共に暮らすのは時に大変でしょうが、温泉という恵みがあって羨ましいです。

年長者から見れば十代〜二十代半ばは十分過ぎるほど若い。
それを重々承知した上でわずか数年前を「若い日」「今はもう昔」と振り返る、ある意味の傲慢さ。
その傲慢さこそが若さなのだなー、と思います。

私はぐれる勇気もなかったし、十代後半からあまりにも濃密な時間を送ったジュリーとは比べるべくもありませんが、「不良時代」は、自分を持て余していた十代の気持ちを思い起こさせる曲です。

投稿: だんぼ | 2013年4月19日 (金) 23時26分

DY様 こんばんは。

九州には一度だけ旅行しましたが、確かに鹿児島は遠いですね。

福岡発着の2泊3日レンタカー付格安ツアーでは大分・長崎までしか行けませんでした。

高速でネズミ捕りに引っかかり、長崎の曲がりくねった急坂で「ここホントに登れるの?」とひやひやし、帰りの空港へ向かう道路を急いでいる時、先を行っていた大型クレーン車が電線に引っ掛かって立ち往生・・・と、なかなかスリリングな旅でしたっけ。

いずれ10日位かけてリベンジしようと思ってます。

私も「不良」にもなれず、ハズレる勇気(?)のある子がうらやましかったことがあります。

投稿: nekomodoki | 2013年4月20日 (土) 00時09分

♪DYさま
立て続けで申し訳ありません。あのままではヤハリ気がひけるので、この頃のジュリ話を少々…(笑)

但し、私の記憶も怪しかったりしますので、記憶違いな部分がありましたら、どなたかフォローお願いしますネ

このLPを出した頃はあなただけでいいとか死んでもいいとかソロとしてスタートに立ったばかりで前回のLPとは違って全てが手作り風でした。

でもPYGとしての活動も何となくしてたのですね。確かこの年にガラッとイメチェンして遠いふるさとへと初めての涙の2枚をリリースしてたと思います。
お揃いのユニフォームに曲も歌い易くGSの雰囲気も残ってるような(私はこの2曲、好きでしたけど)テレビにも結構、出てましたし…

でもショーケンが太陽にほえろ!をきっかけに役者の道へジュリーもソロ歌手へと更に井上さん達も2人のサポートの如くバンド活動が本格的になり、それぞれに確立していったためPYGとしては自然に消滅していったんですね^_^

投稿: hiko | 2013年4月20日 (土) 10時33分

A.F様

ありがとうございます!

いやいや、僕の場合は「不良」というほどの気合、というか意気地は無かったのですよ…ただ、母親に心配をかけたり、真面目な生徒がしないようなことをしていたことは確かですが…。

ジュリーの「自分コーラス」は素晴らしいですね!
伊豆田さんがアルバムに参加し出して以降も、歌メロのハモリはジュリーが歌っている場合がありますし、そのセンスは抜群です。
おそらくタイガース時代に叩きこまれて才能が開花したのでしょうね~。

hiko様

ありがとうございます!

人吉はジュリーブログの先輩もいらっしゃるし、僕の故郷隼人町から肥薩線で繋がっているし、仕事絡みでお世話になっているDEVILSの相良さんの出身地であったり、そして何より高校生の家出時に辿り着いた町、ということでとても身近に感じる土地です。

人吉の醤油は有名だそうですね。鹿児島の醤油に近い味なのかな…。

すみません、一度切ります~。

投稿: DYNAMITE | 2013年4月20日 (土) 10時41分

だんぼ様

ありがとうございます!

本当に…電車に乗ってまず整理券とるなんて感覚は、都会に20年以上暮らしていると忘れてしまいますが…土地土地では普通のことなんですよね。

そして、さすがはだんぼ様!そうそう…同じことを考えたこともあるのに記事執筆中に思い出さなかった大事なこと。「若い日」というジュリーの歌詞について。
本当に仰る通りです。「若い日」と言い切ってしまう若さも、あまりに濃密な10代後半を過ごしたが故のジュリーの感覚も。
凡人には及ばぬところですね…。

nekomodoki様

ありがとうございます!

いやいや「九州」とひとくくりにすると大変ですよ。なにせ広いですから。福岡県を縦に越えるだけでも結構な旅です。
その南端が鹿児島ですからねぇ…九州旅行ついでに鹿児島まで、とはなかなかいかないですよね~。

今年はジュリーのツアー・インフォに鹿児島があったのを見た時、自分は行けないのになんだか嬉しく思ったものです。
自分の田舎にあのジュリーが!というのは地方出身者独特の感覚かもしれません…。

hiko様

ありがとうございます!

『JULIEⅣ~今僕は倖せです』のジュリー手書きの歌詞カードには、ハッキリ「PYG」の文字がありますね。
ジュリーにとって「歌」と共にPYGという「仲間」があることが「倖せです」と歌わせた素直な当時の気持ちだったのかなぁと思います。

ずいぶん前に聞いた話では、「許されない愛」の大ヒットのごほうびとして、「自由に制作してよい」とされ作ったのがこのアルバムだとか…。
ジュリーが「自分の言葉で、自分の歌を歌う」ことが初めてできた、記念すべき1枚なのですね…。

投稿: DYNAMITE | 2013年4月20日 (土) 10時57分

DY様へ

 アルバム『今僕は幸せです』
…発売直後は? 全ての楽曲を、好き嫌いでは語れない微妙な? 気持ちになったことだけは覚えています(笑)。
 私は? まだまだ乙女だったのでしょうね(爆)。
 ジュリーの“歌”が少しでも男らしくなると? (*特に『湯屋さん』みたいな楽曲)…辛いもの
が? ありました。
 取り敢えず(!?)、あの時代は、どのアルバムも歌詞カードなしで、全曲歌えるくらい聴き倒しているので?(爆)、コンサートでイントロが流れ出した途端… 当時のジュリーへの思い入れ?や様々な出来事が、彷彿として、甦っては来るのですが…

 ところで、今回の記事により、DY様が鹿児島県の御出身と知り、意外? でもありましたが、何か嬉しくなりました。
 偶然? 記事をUPされた2日前、私が好ましく思っている陸上関係の女性も、出身地が鹿児島県で…
 御両親が他界されているにもかかわらず、名古屋に出て来ている三姉妹で、年に2回、車に乗り合わせて“帰郷”なさるということが分かり(*盆とお正月、必ず帰りたくなるそうです!)、九州は熊本までしか行ったことがない私は興味津々になって…
 休憩時間ずっと真剣に?(笑)、私の人生で初めての「鹿児島噺」に花を咲かせていたものでして。
 彼女は、常に裏表なく立ち働いて、真摯に“役目”に向き合う人で、どんなに忙しい最中にあっても、誰に対しても別け隔てなく、優しく対応出来る人なんですよ。
 お会いしたことはありませんが、多分、DY様に似ているかな?
 UPの御写真を拝見し、彼女もここの空気と水で育った人だと思うと、感慨一入(ヒトシオ)です。
 私の中で、鹿児島のイメージは、今まで以上に? upupup に、なりました!!

 DY様の人柄が偲ばれる“こういう? 記事”も楽しいですね。

投稿: えいこはん | 2013年4月20日 (土) 16時31分

♪DYさま

前文は、初めて携帯から送信したので無事に届いて嬉しかったです~happy02

そう忘れてましたが確かご褒美にと言う話をどこかで聞いた記憶があります。でもジュリー個人のオリジナルアルバムという意味では、初めてPYGが仲間として更にGS関係の皆も参加してるんですよね。誕生日ではショーケン始めディヴ平尾さん達も大騒ぎしてますヽ(^o^)丿

このアルバム発売の1ヶ月半程前の7月下旬にジュリーはライブのフィルムコンサート(多分71年12月の日生リサイタル)を東京・赤坂の都市センターホールでした時ソロになってから初のというか、たった1度のファンの集いのような催しをしてます(東京以外であったかどうかは覚えてません)確か質問コーナーみたいなのもあったような(・・?…ギター片手に出て来て数曲、歌った気がします。会場で予約受付もしてたと思います。

※話は戻りますが人吉の醤油は鹿児島と大きな違いはないと思いますよ。こちらの友達にあげた時はさしみ醤油だと思って。と説明した事があります(笑)人吉は米焼酎ですが私はお湯割りが苦手なのでロックです。因みに我家の梅酒も球磨焼酎で作ってますwine

投稿: hiko | 2013年4月20日 (土) 16時46分

えいこはん様

ありがとうございます!

何となく分かるような気がします…それまで完璧に「手の届かない人」というスーパースターの若き青年・ジュリーが、このアルバムでは男友達と普通にワイワイやっていて、いわゆる男特有の面…女性にはちょっと敬遠されてしまいそうな面をもさらけ出している…そんな感じでしょうか。
ジュリーにとっては等身大の本当に「やってみたかった」アルバム作りには違いないのでしょうが、戸惑いのあったファンも多かったのかなぁ、と想像します。

旅日記形式の記事はササッと1日で書き上げられるのがいつもと違うところです。
年に1回くらいは僕も息抜きの意味でこういう記事を書いてみたくなるのです…。

hiko様

ありがとうございます!

うらやましい…そんなイベントがあったのですか。
僕はジュリーがギター弾き語りをしているシーンをなかなか想像することができません。ジュリーは今でもギターは弾いているとは思いますが(爪が長くなるとギターが弾きにくい、というMCが2010年お正月コンサートでありました)、昔の自分の曲を弾いたり、という絵が浮かんでこないんですよね…。

さしみ醤油と似ているなら、人吉の醤油も甘口なのでしょうね。ならば鹿児島と同じです!

投稿: DYNAMITE | 2013年4月20日 (土) 20時54分

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