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2013年4月 5日 (金)

沢田研二 「Deep Love」

from『Pray』、2013

Pray

1. Pray~神の与え賜いし
2. Uncle Donald
3. Fridays Voice
4. Deep Love

--------------------

ジュリーの今年の新譜『Pray』の楽曲考察記事も、いよいよ最後の1曲となりました。

『Pray』収録曲のタイトルが発売に先立ち発表され、その時点で、今年もまた昨年同様に考察記事の執筆が大変な作品であろうことは、覚悟していました。
実際に曲を聴いてそれは確実となり、1週間に1曲ずつじっくり腰を据えて書いていこう、と決めました。そして、3曲目「Fridays Voice」への敬意も込めて「毎週金曜日の更新」を自分へのノルマとして課すことに。
ここまでの3曲・・・歌詞について、演奏について、ヴォーカルについて・・・といった感じで、考察の項目ごとに日程を組んで計画的に下書きしながら記事を仕上げてきました。

ところが先月の終わりに、勤務先の直属の上司である勤務先会社の部長が緊急入院するアクシデントがあって、いきなり忙しくなってしまって・・・。
新譜最後のお題「Deep Love」の下書きになかなか集中してとりかかれなかったばかりか、頂いていたコメントへのお返事すら遅れ気味になってしまいました・・・。

僕以外にもそういうジュリーファンは多いかもしれません・・・新譜4曲の中で一番胸に突き刺さり、ジュリーの深い思いを感じながら聴いている曲、それが「Deep Love」。
それだけに、執筆にはじっくり時間をかけたいところだったのですが・・・止むを得ません。
今日の記事は、これまで更新してきた新譜3曲の記事と比較しますと、バ~ッと一気に書いているような感じです。そのぶん考察が行き届かず、粗い記述になっている箇所などありえるかと思いますが、とにかく『Pray』から最後の1曲・・・全力で書かせて頂きます。
「Deep Love」、僭越ながら伝授です!

今回僕はこの新譜『Pray』を銀座の山野楽器さんまで買いに出かけ、帰宅途中の電車の中でまず何度か繰り返して聴いたわけですが・・・歌詞カードに目を通したのは家に着いてからのこと。
ジュリーの明瞭な発音、流れるような歌声もあって、車中でほとんどの歌詞が聴き取れた中(いや、「Uncle Donald」の改行まではさすがに分かりませんで、普通に「人は変われる♪」と聴き取っていましたけど)で、「うん?これは何と言ってるんだろう」と迷った箇所が、この「Deep Love」の

♪ 深情けだ 動画が悲しい ♪
     Dm7         G          Csus4   C

という一節です。
1度目に聴いた時には、「深情け」すら聴き取れず。「動画」のフレーズに至っては、歌詞カードを見るまでサッパリでした。

曲を最初に聴いた時点で
「あぁ、今回は最後の曲で一番キツイのが来たなぁ」
とは感じていて・・・いざ歌詞カードの「動画」というフレーズを確認してすぐに頭に浮かんだのが、僕の中でトラウマのようになっている、あの震災直後にテレビで見た、泣き叫びながら母親を探し求める女の子の映像でした・・・。
まさかあの映像が動画になって公開されているなんて思いませんが、そのいたたまれない映像が脳裏に甦ったのは、昨年の「恨まないよ」を初めて聴いた時にも体験したことです。
「うっ!」と胸がつまって目も耳もそむけたくなるような感覚が、今年の新譜からもやはり襲ってきました。

しかしそこで立ち止まるわけにはいきません。
ジュリーが何を思い、何を伝えようとして歌っているのか少しでも理解しようと、何度も何度もCDを通して聴きました。その度に、最後の「Deep Love」で胸が締めつけられるようでした。

なんとか平静を保てるようになってきて、詞と曲が同時に頭に入ってくるようになった頃、ようやくこの「Deep Love」のタイトルが、「深情け」というフレーズをジュリーなりに英訳したものなのだ、と気がつきました。「深情け」の反対の意のフレーズとして「薄情」と歌っていることも、追ってすぐに分かりました。

「深情け」というのは普通、あまり良い言葉としては使いません。言うまでもなくジュリーはそれを承知で敢えて歌っているのですが、「深情け」の対義語を「薄情」とするなんて、いかにもジュリーらしい感性だなぁ、と考えていたら・・・。

突然、ストンと腑に落ちました。

こうして記事を書いている今でも、その瞬間が胸に甦ってくるようです。
「そうか!」という感覚。とても悲しい歌なのに、それがむしろ救われていくような閃き。
ジュリーの歌っているテーマとはかけ離れた個人的な勝手な思いが、この曲の歌詞とメロディー、歌声に何故かリンクして、「すべてが分かった」と思ってしまった、その感覚・・・。
これがもし京極夏彦さんの小説『鉄鼠の檻』作中であれば
「大悟。ただいま大悟いたした」
と、高らかに宣言してしまっていたところです。

これまで何百曲ものジュリー・ナンバーを聴いてきて、「そうか~」と僕なりに思うことは何度もあったけど、ここまで鮮烈な感覚は初めてでした。しかもそれが、歌詞の内容とはまるっきり関係のない個人的な体験、思いが映し出されたような感じだっただけに、本当に驚きました。
僕はそのことから、ジュリーが「Deep Love」に込めて歌った「絶対に忘れない」という思い、「薄情になんてなれない」というその心情が真に「分かった」ように感じられるのです。最も、曲本来のテーマの根っこのところまではまだまだ辿り着いていませんけどね・・・。

このことは、記事に書くべきかどうか迷いました。
でも、僕が「Deep Love」という曲にどんな思いを持ったのか・・・純粋に楽曲考察を含め、そのことを簡単にでも説明しておかないとその先の話が全然伝わらないと思いますので、少しだけですが書くことにします。
ジュリーの歌詞の本質とは解釈が逸れますが、まずは先にそのお話から始めさせてください。

僕には、昨年の初夏を最後に連絡をとり合うことがなくなってしまったジュリーファンのある先輩への思い入れが、ずっととり残されたままになっています。
その先輩は昨年の『3月8日の雲』リリースを機に、ジュリーから離れていきました。僕は最後まで、先輩をなんとか引き止めようと必死でした。時間が経てば戻ってこられるかもしれないと思い、自分に考えうる限り、出来うる限りのことをしようとしました。
しかし先輩の傷は僕の想像が及ぶ以上に深く、僕が精一杯傾けたつもりだった思いは届くことなく、先輩は去っていきました。

その後僕は、「何故忘れられないのか」「何故あきらめられないのか」「何故ふっきれないのか」と苦しむことになりました。
今思えば、考え方が逆だったんですね・・・。
僕のその苦しみは、「忘れなきゃ」「あきらめなきゃ」「ふっきらなきゃ」と無理に思い込もうとするものだったのです。

本当は、そんなことを考えるまでもなく、忘れられるはずがないのですよ・・・。

ならば、たとえ深情けであろうと、忘れないでいることが自然、それが当たり前。
「深情け」というのが一般的にあまり良い言葉として使われないのは、それが双方にとって辛い情けであるからなのでしょう。しかしジュリーは「Deep Love」でこう歌います。
深情けだ・・・でも「忘れる」なんてのは薄情なんだ、と。

僕のこの思いは、ジュリーの詞の内容とはまったく関係のない個人的なものです。でも僕はその先輩のことを考えたおかげで、この曲本来のテーマに一歩強く踏み込んでいくことができた・・・それは確かです。

その上で、聴く人によっては深く踏み込むのを躊躇われるかもしれないほどの、ジュリーの鮮烈で、深情けで、真っ正直な歌詞・・・「Deep Love」の真のコンセプトについて、及ばずながら改めて考察してみましょう。

「人を失う苦しみ」で最も大きいのは、やはり肉親や、親しい友人を亡くすことだと思います。
僕はまだ若造ですが、すでに母親の死に立ち会っていますし、高校時代の同級生や、自分よりもひと回りも若い友人を亡くす、ということも体験していますから、それは分かります。

母親については、「どうしてもっと長生きしてくれなかったのか」という思いが消えることはありません。
生きていてくれれば・・・と思うことが、当たり前ですがたくさんあります。母は、カミさんのお母さんとはメチャクチャ気が合いそうなタイプだし・・・何より、僕がジュリーファンとなるのを待たずに旅立ってしまった、というのが残念でなりません。
僕にほんの少しの、いくばくかの音楽のセンスが仮にあるとすれば、それは間違いなく母親から受け継いだものです(父親はリズム感も音感も皆無)。母はよく自宅でオルガンを弾いていたし、歌がとても好きだったのです。
「ジュリーの歌のこういうところがね・・・」といったことを一度でも話してみたかったですし、母の世代を考えても、ザ・タイガースの話など思いもよらぬ共通の話題が生まれていたかもしれないのに・・・。

高校の同級生の友人は、今でも故郷に帰って彼の自宅を訪ねれば、まだそこにいるような感じがしてます・・・。彼については以前、「青春藪ん中」の記事にて少しだけ触れました。

仕事絡みで出逢った若い友人の突然の死については、「そっとくちづけを」の記事にいきさつを書いたことがあります。残された奥さんや子供さんのことを考えると、いたたまれなくなります。

いずれにしろ、「忘れる」ことなどできません。

ただ、僕の場合は実際に「お別れ」はしているわけで・・・その点がまず「Deep Love」でジュリーが歌った人達の思いとは、大きく違います。

♪ 一縷の望みは捨ててない
     Fmaj7            G


  帰らぬ君を理解すれば ♪
     E7               Am      

「帰らぬ君を理解する」とは、「大切な人が亡くなったことを受け入れる」ということでしょうか。
「理解すれば・・・」という表現に、「それはできない」という、後に続く言葉を敢えて飲み込む・・・歯を食いしばるようなジュリーの意志を僕は感じます。

♪ 薄情になんてなれない
     Dm7            G7

  区切りなんてつけない ♪
        Em              Am

亡くなっているのか、いないのかすら分からない家族、友人。「区切り」などつけられるはずもない・・・。
僕などには想像すらできない悲しみや葛藤を、ジュリーは正面きって歌っているのですね。

(註:余談ですが、先述の「帰らぬ君を」の箇所のコード表記について、ここでは一応「E7」としましたが実は自信がありません。
実際にCDと一緒に弾いて歌ってみて、ルートは「ミ」の音で合っているようですし、ギター1本での伴奏で一番流れが自然だった「E7」で弾き語ることに問題はありませんが・・・メロディーに「ファ」の音が登場するのが気になるんですよね・・・。
もしかしたら「Fdim」か「Ddim」が正解かもしれません。僕のつたない実力ではその辺りの特定は無理でした。プロが採譜したスコアを見てみたい、という思いはこの曲に限らず募る一方なのですが・・・)

さてそれでは、泰輝さんの作曲についてはどうでしょうか。
僕は先の楽曲内容予想記事でこの「Deep Love」を、「短調だけど穏やかに聴こえるバラード」と予想しました。泰輝さん作曲の過去のジュリー・ナンバーで言うと「涙色の空」のような曲だろう、と・・・。

予想は半分当たり、半分外れたという感じです。

まずこの曲は果たして短調なのか・・・歌メロは「ラ・ド・ミ」の和音から始まりますからイ短調なのかと思えますが、イントロ、そして歌メロの各着地和音やメロディーから紐解いていきますと、これはどうやら全体的にはハ長調のようです。
しかし、こんなに悲しいハ長調ってあるものでしょうか・・・。ハ長調でこの切なさの極みのような表現って、もうビートルズの「レット・イット・ビー」の域にまで行ってますよ!
(カミさんは、サビのコード進行でビージーズの曲を思い出す、と言っていましたが・・・)

もちろんこの曲のメロディーが深い悲しみをたたえているのは、ジュリーの歌詞によるところが大きいです。
でも泰輝さんはきっとこの曲を、ピアノを弾きメロディーを口ずさみながら作曲したはず・・・。つまり、作曲段階のピアノのフレーズがそのままレコーディング作品に残されている、と考えるべきなのです。
歌の出だしの

♪ Deep Deep Deep Love 忘れ  られないさ ♪
  Am   G              C          Fmaj7   G      C

のピアノのタッチから既に、この曲は悲しみの歌詞が載る運命を背負っていたのでしょう。

ただ、個人的には「涙色の空」との共通点はやはり強く感じるところです。
これはまた後述もしますが、収録曲4曲の中で唯一、泰輝さんの演奏がピアノ1本のトラックに絞られていること・・・これは、泰輝さんがこの曲を作曲した時点で、メロディーとピアノ演奏が完全に関連づけられていたことを意味します。
鉄人バンドの他のメンバーの演奏についても、結果としてリード・ギターの追加トラックがありますが、まずは「涙色の空」のような「完全一人1音体制」を目指してアレンジが練られていったのではないでしょうか。
今回の新譜収録曲のアレンジで、「ひとつだけ鉄人バンドのメンバーにアレンジ秘話を尋ねてもよい」という望みがもしも叶うなら、僕はこの「Deep Love」について泰輝さんにその辺りを聞いてみたいところだなぁ・・・。

では、その鉄人バンドの演奏やアレンジについて・・・今回もすべてのレコーディング・トラックを書き出してみましょう。

泰輝さん・・・ピアノ
柴山さん・・・エレキギター(右サイド)
下山さん・・・エレキギター(左サイド)
GRACE姉さん・・・ドラムス
エレキギター(リード・ギター)・・・柴山さんか、下山さんか・・・特定ができません。とてもよく似た音色設定のトラックが2つあって、ひとつはセンター、ひとつは左サイドのミックスとなっています

まずは、泰輝さんのピアノ。
先に述べたように、今回の『Pray』収録曲中、泰輝さんのキーボード・トラックがただ1つだけ、という構成になっているのは、この「Deep Love」ただ1曲のみです。他の3曲ではそれぞれ異なった音色に分けて2トラック以上をレコーディングし、アレンジに幅を持たせる役割を担った泰輝さんが、自作のこの曲だけはピアノ1本のトラックに絞って熱演している・・・これはやはり必然性あってのことだと思います。

「Pray For East Japan」の思いを込め、泰輝さんは自身のピアノでこのバラードを作曲しました。
いざレコーディングで、どうアレンジしていくのか・・・そこで泰輝さんは自分のピアノ1本の音以外を、鉄人バンドの他のメンバーにすべて託したのでしょうね。
この曲で泰輝さん自身の出したい音、というのはピアノだけで完結していたのだと僕は考えます。
その意味でも泰輝さんの「Deep Love」の作曲、アレンジ手法は、「涙色の空」にかなり近いものと言えると思います。

ピアノは、基本的に1小節の中に3つの強いタッチを意識している箇所が多いようで、それが1拍目、2拍目、そして2拍目の裏の裏に配され、3拍目にシンコペーションする感覚があります。同じ直球の音色でも、縦にキッチリ強弱を配分した感じの「Fridays Voice」とイメージが随分異なるのはそのためでしょうか。

次にギターです。
まずは演奏者がハッキリしている左右2つのバッキング・トラックから考察していきましょう。

柴山さん、下山さん・・・お二人の左右のバッキングについては、音色を完全に違えて役割を分担していますね。

柴山さんは、ハードなディストーションとサスティンで設定したコードの突き放しがメインとなっていて、主に小節の頭で「ジャ~ン!」と重い音を出します。これはベースレスをカバーすると同時に、暗鬱とした悲しみを表し、海のうねりをただ立ち尽くして眺めている・・・そんな情景をも連想させます。
悲しみをたたえた海・・・「恨まないよ」の歌詞にもあるように、あの日を境に嘘のように穏やかに静まり返った海。

そう言えば、今回の『Pray』歌詞カードの見開き3ページは、すべてバックが海の写真ですね。1ページ目は午後、2ページ目が夜、3ページ目が朝・・・という見方で合っているのかな・・・。

一方下山さん
は、薄く歪み系の設定を加味したコーラス・エフェクトでしょうか。左サイド、キラキラとした「光」の音で奏でられるアルペジオは、右サイドの柴山さんのハードなバッキングとは対照的です。
ちなみにこの音色は、「Pray~神の与え賜いし」にもよく似た設定で登場します。
穏やかな音色ですが、スリーフィンガーを駆使して(いや、下山さんならフォーフィンガーかもしれない)ヴァースによって異なる弾き方のアルペジオが繰り出されます。跳ねるリズムに変わるサビ部のアルペジオには、激しさも感じます。

で、問題はリード・ギター・トラックなんです。
先の列記の通り、どうやらリード・ギターのトラックは2つ存在するようです。
まずひとつは、イントロと間奏。
もうひとつは

♪ 君の涙を瓶に集めたい ♪
     Dm7     G         C        A7

というジュリーの絶唱に呼応するように、左サイドから狂おしく噛み込んでくるトラックです。

この2つのトラック・・・音色設定がソックリなんです。
歪み系の音に深めのディレイを足し、コンプレッサーのサスティンを効かせたリード・ギター。

最初にこの曲のイントロのリード・ギターを聴いた時、僕は迷わず「おおっ!柴山さんカッコいい!」と感動しました。完全に柴山さんの音だ、と思ったのです。
だってこれ・・・通称”いい風ギター”の音じゃないですか?白いボディーで、『世界のカブトムシ図鑑』にも載ってるやつ
(←載ってません)
『燃えろ東京スワローズ』初日が終わった後に、「(「いい風よ吹け」などで柴山さんが弾いていた)あのギターは何ですか?」とカズラーのみなさまに尋ねられて僕の頭に浮かんだのは、何故かヘラクレス・オオカブトだったという・・・情けない。
実際は、フェルナンデスのギターみたいです。

とにかく・・・柴山さんのあのギターの音だ、と何の疑いもなく思ったんですよ。間奏を聴いても変わらずそう思いました。
しかし何度か繰り返し聴くうち全体のアレンジに気持ちが行くようになって、ふと、ジュリーの絶唱に絡む左サイドのリード・ギターに耳を奪われます。

左・・・?
左サイドならばこのギターは下山さん?
じゃあ、同じ音色のイントロと間奏も、同一トラック下山さんの演奏なのか・・・それをミックス段階でPANを振ってる・・・?

これには悩みました。
自信が無いなりに至った結論は、わざわざミックスのPANをセンターと左に分けているくらいなのだから、いくら音色設定が似ていても、この2つは別トラック。そして演奏者も、柴山さんと下山さんに別れているのではないか、という大胆な推測です。

ここまでの『Pray』収録の3曲の記事で僕は「ユニゾン」のアレンジ・アイデアについて何度も書いてきましたが、この「Deep Love」では、「ギター兄弟の音作り」がユニゾン・・・とは言えないまでも、ハッキリとした意志をもってほぼ同じ音色設定になっている、というものです。
バッキングのトラックでは両極とも言える設定。しかしリード・ギターについては完璧に二人のギタリストの音色がシンクロしている・・・。
下山さんが柴山さんに「その音、どういう設定で弾いてる?」と尋ねtりとか・・・想像するだけでワクワクするではありませんか(僕だけかな?)。

そう考えながら聴くと、イントロと間奏は”いい風ギター”の音で、ジュリーのヴォーカルに噛んでくるところはストラトに聴こえる・・・何も根拠は無いんですけどね。
ただ、LIVEではすべてのリード・ギター・パートを柴山さんが「いい風ギター」で演奏することになるのでは、と予想しています。

GRACE姉さんのドラムスは、派手さこそありませんがエモーショナルな演奏です。泰輝さんのピアノの強弱のニュアンスを受け、常に「跳ねる」感覚を持ったテイクとなっています。
例えば、ロール気味に優しくも悲しげに曲の始まりを告げる、冒頭のフィル・イン。
さらに間奏部では、裏打ちで跳ねるキックが効いています。
このキックはベースレスであるが故にかえってアレンジで強調されているような印象があります。間奏が始まったばかりの2’49”あたりでは、キックが2拍目裏の裏で「突っ込む」感覚がモロに伝わってきて、最初に聴いた時にはドキリとさせられました。

こういった鉄人バンドの演奏は、泰輝さんの剥き出しのメロディーやピアノに添うものです。ただ、泰輝さん達鉄人バンドのその志が、ジュリーの歌詞とヴォーカルによってひと回りもふた回りも増幅されていることは確実です。

「Deep Love」のジュリーのヴォーカルは、慟哭です。
前作で言えば「恨まないよ」に最も近い・・・これは多くのかたがそう思われたのではないでしょうか。
1度目にこの曲を聴いた時、「モニュメントなどいらない」のところで「ジュリーが泣いている!」と強く感じました。不思議なことに、その後繰り返して聴くうち「泣いている」ように歌うジュリーに慣れた(というのも変な言い方なんですけど)のか、自然に歌とメロディーを追えるようになっていったけど、最初の頃はその部分のジュリーの声を聴くのに、グッと力を入れて心の準備しておかなければなりませんでした。

この曲のヴォーカルの最高音は、高い「ミ」の音です。
これは「Pray~神の与え賜いし」と同じ。「Uncle Donald」や「Fridays Voice」よりも1音低い音。
しかし、例えばサビ部の「見つけたい」「集めたい」の語尾でのロングトーンの絶唱などは、実際の高い「ミ」よりもさらに高い声で歌っているように聴こえます。
そんなふうに聴こえるのも、ジュリーが長い時間かけて身につけたヴォーカルの実力であり、現在のジュリーの大きな魅力。それが味わえる「Deep Love」は、やはりジュリーの代表曲となるにふさわしいでしょう。


そして、被災者ではない僕のような人間にとって何より大事なのは、大きな苦しみの中で試練に立ち向かって今この瞬間を生きている人達がたくさんいることを決して忘れず、気にかけ、思うことなのだ・・・と、僕はジュリーの歌からそんなことを考えさせられます。

それはまた、被災地のことに限らずとも常にそうなのだ、とも思います。人の痛み、苦しみを知った時、どう思うのか。どう声をかけるのか。
最近特に身の周りで、そういうことを考えさせられる出来事が多いのです。

冒頭で少し触れましたが、3月末に会社の直属の上司が心筋梗塞で倒れ入院、しばらくの間治療に専念することになったり・・・。
あと、つい先日には、常々応援していた将棋の元奨励会の若者が、27歳という年齢にして深刻な病を宣告されてしまいました。
QOLの著しい低下を承知で、僅かな可能性に賭けて手術を受けるか、それとも残された時間を苦しみを少なくする処置を受けながら有意義に過ごすことを選ぶか・・・想像を絶する葛藤の中で彼は先週、『詰将棋選手権』という公式の大会に出場しました。
そこへ、彼が以前教室で将棋を教えていた時の生徒であるチビッコ達が駆けつけてくれたのだそうです。彼はそんなチビッコ達の顔を見て勇気を振り絞ることができたのでしょうか・・・12時間にも及ぶという大手術と、その後の過酷な闘病生活に挑戦することを決断しました。

僕に何が出来るわけではありません。
しかし僕は、想像を絶する苦しみや困難に立ち向かい、生きるために懸命に頑張っている人に対して何も感じない人間にだけは、絶対になりたくありません。
僕にとって、「祈る」というのはそんな思いに直結するものです。

傷つき苦しみ、そこから這い上がって生きていこうと頑張る人達と実際に向き合ったとして、どんな言葉をかけるのか・・・それはとても難しいことです。
昨年、旧騎西高校に避難していらした双葉町の被災者の方々に手紙を書いた時にも、どういうことを書けばよいのか、本当に迷いました。自分がかけてあげたい言葉をかけるのではなく、相手がかけてもらいたい言葉を推し量って選ぶ方が良いのか・・・でもそれがどんな言葉なのかすら分かりませんでした。

ただ、音楽での発信はその辺りが少し違う、と思います。
敬愛するアーティストが、その人自身の飾らない言葉で発する個人的なメッセージが、聴き手の大きな力となります。
それぞれのアーティストが、それぞれの立場から「自分の」言葉やメロディーを歌に託す。ジュリーはその中で、最も厳しい道を自然に選んでいるのかもしれません。

先日、しょあ様がブログで紹介されていた小阪忠さんのお言葉を拝読しました。

「表現とは、表に現れる、と書く。それは中に持っているものを表に出すことであって、表面を取り繕うことではない。音楽もそう。アコースティック・ギターを使っているからフォーク、エレキだからロック・・・そういうことじゃない。大切なのは、中に何を持っているかだ」

これは正に、昨年からの・・・いやもっと以前からなのでしょうね・・・ジュリーの創作活動にピッタリ当てはまるなぁ、と思いました。
飾り立てたところでどうなるものでもない・・・真に、自分の中から溢れたことを歌詞にし、曲に載せ、歌う。そういうことなんだと思います。

僕は実は、ロックというのは半分は様式美だとしても構わない、と考えています。
ですから、例えば『ロックジェット』のような雑誌で今度は「沢田研二特集」が組まれたとして・・・現在進行形のジュリーを考察する以外にも、ギンギンにヴィジュアル際だっていた時代、「この衣装やパフォーマンスが凄かった」とか「こんなふうにカッコ良かった」といったように、若きジュリーの容姿、プロモート戦略などをロック的に捉えて語る人もたくさん出てきて欲しい、と思います。いや、きっと出てくるでしょう。僕はその時代のジュリーについてほとんど何も知らないに等しいですから、色々と教わりたいです。
当時「ロック」としてジュリーを語ることが躊躇されていたことに鬱憤を持つ著名人の方々、たくさんいらっしゃるはず。星のかけら様も書いていらしたように、ジュリーファンであることを何の躊躇いもなく世間に大いに誇れる時が、今間違いなく来ています。

でも、そうしてジュリーの全時代についてをロックに語れるのは、今現在のジュリーが最高にロックだから・・・ですよね。今、日本で一番ロックしているのはジュリーだ、と僕は堂々と言うことができます。

これから各界の様々なプロフェッショナルが、様々な分野、角度からジュリーのロックを語り始めるでしょう。
そうなったら僕のブログなどはまっ先にお役御免状態となるわけですが、せめて「語った楽曲の数」だけでもある程度の域には達せられるように、ひたすら頑張り続けるのみです・・・。「数だけでジュリーを語るようなさみしい男♪」を敢えて目指します!

最後に。
昨年、今年の作品の本質とは違うところを語ることになるのかもしれませんが・・・今のジュリーは自らと同世代、またはそれに近い年齢の聴き手を想定して創作やLIVEに打ち込んでいるように僕には思えます。
『ジュリー祭り』以前にジュリーが公に語った言葉がどのようなものであるか、僕はほとんど知りません。でも僕が本格的にジュリー堕ちしてから、ジュリーのちょっとしたMCや、新聞記事などのインタビューで発せられる言葉は、「長年共に歩いてきた」世代への思い、というかエールがあるような・・・。
僕よりもひと回り以上年長の世代・・・ジュリーはその人達を見ている、と感じることが多いです。

歌詞で言いますと、例えば本日のお題「Deep Love」の

♪ 君 生きた日々 風化  させないさ ♪
  Am G       C          Fmaj7  G       C

この一節(特に「君」という語りかけの部分)などは、僕よりずっと年上の人の気持ちを歌っているのかなぁ、と思います。
その世代の被災者の方々というのは、一番辛い方々かもしれない、とも思います。家族を失い、家を失い、それでも寡黙に、多くの被災者を先導して色々なことを立て直さなければならない・・・そんな世代なのではないでしょうか。

いつか僕がその世代の年齢に達した時、ジュリーの昨年、今年の2枚のCDから響いてくるものは、今の僕が感じているものとは大きく違っているかもしれません。
『3月8日の雲』『Pray』ともに、これから一生かけて聴き続ける作品になるんだろうな、と今は考えています。

ということで・・・どうにかこうにか『Pray』全曲の記事を書き終えました。

次回からはまた、自由お題での更新となります。
6月に入ったら恒例の”全然当たらないセットリスト予想”シリーズに突入しますが、今年はそこでなるべく明るい曲を採り上げるつもりでいます。
その前に、ジュリーのいろいろな時代の、タイプの異なるお題を少しずつ書いていければ・・・と考えています。よろしくお願い申しあげます!

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『Pray』」カテゴリの記事

コメント

DYさま 御伝授ありがとうございました

昨年と今年の新曲は いつも以上に考察に苦悩されたのではと 音楽的知識が0の私でも感じます
しかも 大変な時期に お疲れ様でした

いつもながら 歌詞以外の部分は 私に語る能力は皆無ですが DYさんの指南で ライブで押さえるべきポイントが分かった気になれます
一つの曲を いろいろな面から考察できるDYさんは 私の何倍もの楽しみ方が出来ているのですね

Deep Love の歌詞の解釈ですが
短い言葉で凝縮しているので いろいろな意味にとれると思いますが
~一縷の望みは捨ててない 帰らぬ君を理解すれば
どんな形ででも 生きてて欲しいけど~
の 帰らぬ君 は どこかで生きているかもしれない
何か理由が有って 自分の元には戻れないのかもしれない
戻れない理由を理解すれば ただ生きててくれさえすればいい
と 解釈して聴いていました
たとえ 自分の元に戻らなくても どこかで生きていて欲しい という究極の愛かと…

ジュリ―の詞は いつも難しいですね
いろいろな捉え方が出来る それが 益々曲に深さを与えている気がします
長々と 書いてしまいました すみませんm(__)m
次回からの 通常モードの伝授も 楽しみにしています♪

投稿: aiju | 2013年4月 6日 (土) 10時50分

瀬戸口様

「Pray」全曲のご伝授、ありがとうございました。
時間の制約(金曜日の夜の更新!)の中、最後の最も精神的にハードな曲の伝授を準備されたDYさま、クタクタではないですか?お疲れさまでした。

3・11をテーマに続けて、少しの緩みも無く大震災後2年経った今を鮮やかに、浮かびあがらせたジュリーと鉄人バンドの深い感性と技には最敬礼です。

この曲は4曲中、わたしにとっても一番の難曲、難問でした。
初めて聴いた時、徹頭徹尾帰らない人を探し、思い続ける嘆きを歌うジュリーの姿勢に困惑、動揺しました。
ジュリーはこれまでも「生」や「死」を他の人よりも自然に歌う歌手ではありましたが、今回のようなテーマでこれ程、真正面に、どっぷりと嘆き、未練をあらわすことはこの震災以降メディアをはじめ誰もしなかったし、これからもしないと思うのです。
立ち直ろうとしているのに、前を向いて歩こうとしているのに、出来ない、してはいけない、と思う気持ちがみんなに無意識にあるからです。
わたしの困惑と動揺もそこにありました。
そういう意味で、恐ろしい歌を歌うな、と思いました。
突き刺さる痛みの中のやさしさ、ほんとうさ、慈悲と言っていいものを感じさせる歌声の切実さはどこへ、誰に向けているんだろう。
モチロン、逝ってしまった人たちへですよね。
これは「魂鎮め」の歌だ、と思いあたりました。
大災害によって不意に、心ならずも連れ去られた魂へ祈りを込め、失った嘆きや悲しみをそのまま捧げる古代的と言ってもいい「魂鎮め」の歌が、ジュリーによって歌われている。かれ自身は無自覚であっても、これ程までの嘆き=愛を込めた歌声は、きっと「魂鎮め」になる。
「君と生きて行く」と歌われる時、魂はきっと安らぐと思える歌声です。

この大災害で愛する人を失った人を慰め、励まし共に生きることを誓う言葉は巷に溢れました。
それが大切なことだ、みんな知っているから。
でも、この歌は逝ってしまった人に呼びかけているでしょう?
心ならずも連れ去られてしまった人に向かって「深情け」のたどたどしいような、それゆえにほんとうであり、切羽詰まる気持ちを言葉にして歌っている。
「魂鎮め」の呪文のように愛のメッセージを去った人に訴えている。
これもまた、大切なことです。
でも、きっと誰もこうは歌えない。
こんな深い嘆き=愛の歌は、今この時にジュリーにしか歌えないでしょう。
これも又、佐藤睦さんの言葉を借りていうなら「人間の思惑を越えて、理窟ではないところで必要とされる表現」のひとつではないでしょうか。
このような時「必要とされる表現は」生きている人にだけではないことを含めて。

ジュリーには、もともとどこか巫女的な資質(こういうものは無自覚だからこその資質です)があると、ワタクシは睨んでおりまして、この歌を歌うジュリーの姿勢の一途さに慄いた初めの困惑が、ストンと腑に落ちたのもその部分が触媒になっています。

DYさま、次はぐっとセクシーな曲をお願いしますね!
こっちもジュリーは大得意です!

投稿: momo | 2013年4月 6日 (土) 11時13分

DY様へ

 ジュリーの存在と共に…
 今更ながら、こんなにも真摯に記事を書かれるブログ主さんに巡り会えて、DY様御本人と、神様に心から感謝です!!

 ♪『Deep Love』… 今はまだ、歌詞カードをケースから取り出してはいませんが、DY様の仰るように、発音が明瞭なジュリーなので、何十回も聴いているうちに、大方覚えて…口ずさめるようになりました。
 今、最初の気持ちと違う気持ちが、動き出しています。

 日々の暮らしに押し流されて、封印していた気持ちや思い出が、DY様の御伝授のお陰で、アラ還にして初めて繙かれています。

 昭和34年9月26日 …未曾有の自然災害に対する私の原風景は、半世紀以上も前の伊勢湾台風が潮岬に上陸した日にあります。
 阪神大震災以前、近代の我が国の自然災害に於いて、最大のものと言われる伊勢湾台風…名古屋では満潮時間が重なったことで、堤防や水門が決壊し、海に近い貯木場から、想像を絶する数の丸太や材木が流れ出し
たこともあって、海抜0メートル地帯の被害は甚大なものとなりました。
 犠牲者五千名…
 私の実家は大家族で、当時としては少ない? 2階建ての家に住んでいたためか(*水に浸からないから?)…まだ手の掛かる幼少の私の下にも、3歳と2歳の子どもが居ましたが、行政の要請で、被災地区から2家族(小中学生は転校してきて、兄達と同学年)を、一時期受け入れていました。
 あの強烈に吹きすさんだ風の“音”や、家の“揺れ”と共に、インスタント食品も、ペットボ
トルもない時代、常にも増して大勢の食事を用意するために、一日中、台所で立ち動く白い割烹着の母の姿は、幼心に忘れられません。
 そして、何故か隣近所の子ども達も混ざって、一緒に“芋の子を洗うように? ”お風呂に入っていた記憶は、今も鮮明に残っています。

 その後、小学校の社会見学や遠足で、靴塚(*数多くの犠牲者の脱げた? 靴が流れ着いた所)や、碑(モニュメント)の立っている場所を訪れています。
 随分大人になってから、靴塚を訪れた時は、言葉に言い尽くせない気持ちに襲われ…当時、避難されていた方々が、今、どの様に暮らされているのかを考えるようにもなり…

 「9.26」…直接、災害を被っていない私でさえも、何十年経とうとも、忘れられない日となっ
ています。
 況して、東日本の被災された方々のことに思いを馳せれば、どの様な復興の仕方であっても「3.11」は絶対、絶対、風化させてはならない“日”なんです

 復興に関しては、福島の原発問題を離れて考えることは出来ない…そのことをちゃんと正面から受けとめて、☆『Pray』を聴いて、一度は、私も官邸の“金曜日の集会”に行かなくてはと思えるようにもなりました。
 多分(笑)、行きます!

 有り難うございました。

投稿: えいこはん | 2013年4月 6日 (土) 11時32分

DYさん、新譜「Pray」全曲伝授、お疲れ様でした。どれも素晴らしい考察です。
私も「Deep Love」でのジュリーの歌唱におののきました。恐ろしい歌を歌うな、と思いました。この曲でのジュリーは、メロディーの持ち味を伝えるよりも、情感を表現することを優先しています。今までのジュリーは、どんな内容の詞でも曲の持ち味を伝える歌唱をしてきました(個人的には、その集大成が『Fridays Voice』だと思っています)。しかし「Deep Love」でのジュリーは、敢えて、そう歌いませんでした(もちろん、これは泰輝さんの曲が、ジュリーの皮膚感覚にフィットしているから出来たことだと思います)。注意深く歌唱を聴くと情感がむき出しになっている部分が何ヶ所かあることに気づきます。記事でDYさんは「帰らぬ君を」の部分のコード表記について自信がない、と書かれていましたが「帰らぬ君を」の部分は、呟きとまではいかないけど、それに近いニュアンスで悲しみが歌われているので、無理からぬことです。そして「動画」の部分は、私も、歌詞カードを読むまで聞き取れませんでした。意味を知ってから、あらためて聴くと「動画」の部分には、文字通り“言葉にならない”激しい怒りが込められています(ちなみに、2番の『自分を恨めない』の“を”のところは深い慟哭を感じさせます)。そして、1番の「見つけたい」と2番の「集めたい」では、一気に情感が噴出して、オタマジャクシが吹っ飛んでいます。文字で読むと幻想的にさえ思える部分で情感を噴出させるところに、ジュリーらしさが現れていると思います。このような歌唱表現は、自分にとって想定外でした。良い意味で、ジュリーが、一気に別のステージに上がった感があります。
そして、私には、ジュリーが、震災による津波で、実際に大切な人が行方不明になっている人に憑依して、その深い悲しみを歌ってしまったように聞こえました。とても第3者の立場で歌っているとは思えません。私にとっては、物理的距離を超えたジュリーの直観力が恐ろしいです。底知れない表現力を持った歌い手です。momoさんがおっしゃるとおり、この楽曲は「魂鎮め」の意味合いを持った作品なのかもしれません。これは、あくまでも、個人的な感想ですが、最後の「君と生きて行く」は、引き裂かれた2人のユニゾンに聞こえました。

投稿: 74年生まれ | 2013年4月 6日 (土) 14時03分

DY様 こんにちは。

「深情け」
「届かないとわかっている想い」あるいは「受け入れてもらえない想い」と感じてます。

この曲にコメントするべきか迷いました。
聴くたびに普段封印している「1985年」を避けて通れなくなってしまうからです。

「御巣鷹山」が忌まわしいキーワードだったその年、私は新しい命を手にし、もうひとつの幼い命を失いました。

どれだけの愛も最新の医療も届かない・・・。
治療法が確立されていない難病の子供ばかりの小児病棟のICUは「深情け」しかない場所でした。

あの夏、TVから流れたあの悲惨な映像、ボイスレコーダーから解析された真実は、地上の人々を巻き込む最悪の事態だけは回避しなければ、という、自らの死はすでに覚悟していたであろう操縦士達の絶望的な努力が想像されてたまらない想いでした。

奇跡的に助かった二人に歓喜の声が起きましたが、家族全員を失った少女とこの航空会社のCAだった女性に喜びの表情はありませんでした。
誰もいない子供部屋で(命って何?)
そうぼんやり考えていました。

失った命を忘れた日は一日もありませんが、もう嘆いてはいません。嘆く暇無く生まれた元気だけが取り柄の娘に右往左往していたし。まさに「時は味方」です。

それに私は「輪廻転生」確信派ですので
もうあの子はとっくに生まれ変わって案外近くで出会っているんじゃないかと思ってます。

去年死んだ猫には5匹の兄弟姉妹がいて生まれた時、猫雑誌に「子猫貰ってください。」の掲示をしました。
意外なほど反響があり、6匹のうち4匹引き取り手を決め、2匹残しておこうとお断りのお手紙を20通も書きました。
ところが、投函した次の日の夜、突然たずねていらして「どうしても1匹ください。」とおっしゃる方がいたのです。
「子猫あげます」の掲示はたくさんあったのにどうして?」と聞きましたが、理由は子猫の生年月日でした。その方が可愛がっていた猫の死んだ日だったのです。
「生まれ変わりだと思った。」とおっしゃるので快くおゆずりしました。
今でもその時ゆずった猫の写真入りの年賀状を送ってくれます。

「自然の摂理」の中で人間は無力に見えますが、「大きな時間」を動かすのは「小さな想い」や「切ない願い」の静かな流れではないでしょうか。
あの子の命を奪った病も今は画期的な治療法が出てきました。
あの時の私達の涙が「瓶の中の一滴」として役立ったのであれば・・・と思います。

私的なことを長々と申し訳ありません。
DY様のお母様と真逆になんだかんだ結構長生きやん、なウチの母も「生きてりゃまるもうけ」・・・ですね。

最後に・・・
「今は受け入れてもらえない深情け」も想い続けていればいつかは届くかもしれません。
タイガースのように。


投稿: nekomodoki | 2013年4月 6日 (土) 15時37分

みなさま、早速のコメントありがとうございます!
「伝授」などと言って記事を書きながら…僕はみなさまがくださったコメントから学ぶことばかりです…。

aiju様

ありがとうございます!

なるほど…確かにその解釈で合っていると思います。何故自分の元に帰ってこないのか、その理由…そういうふうには考えてもみませんでした。目からウロコです!

「帰らぬ君を理解すれば」の箇所は特に、ジュリーらしい言い回しといいますか、ジュリーの「言いたいこと」がそのまま心から溢れてきた、という一節ですね。「詞を書こう」という意識とは違うと思います。

ジュリーは知れば知るほど、語れば語るほど深いですね。
そして「Deep Love」は、歌声も本当に深いです…。

momo様

ありがとうございます!

本当に仰る通りです。こんな「歌いかけ」はジュリーにしかできないでしょう。

何処にいるともしれない大切な人を思う歌…そう、これは愛の歌なんですね。
愛の歌を歌うことにかけては、凄まじいキャリアを積んできたジュリーです。今この曲がジュリーの心の真っ正直なところから生まれてきた、というのは本当に素晴らしいですし大きいです。
「歌人生」とはよく言ったものですね、ジュリー。

「魂鎮め」の「Deep Love」…この曲だけ、LIVEでのジュリーと鉄人バンドの姿が想像しにくいのです。
どんなふうに見え、どんなふうに聴こえるのか…きっと僕は、僕の想像の限界以上を予感しているのだと思います。

すみません、一度切ります~。

投稿: DYNAMITE | 2013年4月 6日 (土) 21時02分

DYさま、全曲伝授ありがとうございます。
長文から気迫が伝わってきました。

今年の新譜は、昨年のように構えることなく受け止められました。
心の準備ができていたためもありますが、何より、去年のライブを体験したことが大きいです。
どんな歌でもステージのジュリーにかかれば大丈夫、という信頼です。

通信社による配信と思しきジュリーの記事、こちらの地元紙にも掲載されました。
内容は他の地域と同じでしょうが、見出しが一風変わっており、新譜と年末のタイガースにも触れてありました。
その見出しでは新譜を「被災鎮魂CD」と表現していて、少しひっかかりました。
私は一連の歌を、今生きている人、これから生きていく人、生き残っ“てしまっ”たと思いながら生きている人に向けたものと受け止めていましたから。

でも辞書を引くと、「鎮魂(たましずめ)」はもともと、「生きている人の魂が肉体から抜け出す(抜け出した)のを呼び戻してしずめる」意味なのだそうですね。
これを読んでやっと、本来の意味で「鎮魂」する歌なのだと得心が行ったところです。独り合点ですが。

「Deep Love」はあの震災をテーマにしていますが、聴く人の個人的な記憶を呼び覚まさずにいられない歌ですね。
もちろん私の記憶も。

お忙しい毎日でしょうが、お身体にはくれぐれも留意なさって、乗り切ってくださいませ。

投稿: だんぼ | 2013年4月 6日 (土) 23時15分

えいこはん様

ありがとうございます!

辛い原風景ですね…「Deep Love」にはそんな辛い原風景を蘇らせてしまう影響力、というのか…不思議な(それも曲の魅力なのでしょうが)力がありますね。

僕も故郷の実家は結構海に近かったですし、まずは「海」のイメージとして曲を捉えました。
僕の原風景の「海」は幸い穏やかなものです。しかし海に何かしらの辛い記憶をお持ちの方々にとって、この「Deep Love
」は僕などとはまったく違う聴こえ方になるのでしょうね。

先日テレビで「海を恨んだこともあったけど、やっぱりこの町は海が無いとだめだし、仕方ないのかな、と最近は思ってる」と被災地の若者が語っていたことを思い出します…。

74年生まれ様

ありがとうございます!

ヴォーカルの表現について僕はそこまで深く考察できていませんでしたが、まったく仰る通りですね!
基本、ジュリーのヴォーカルには、曲の良さを最大限に引き出す天賦の才を感じることが多いです。
しかし「Deep Love」では正にメロディーの持ち味よりも、ジュリー自身の情感を表現することに徹底しているヴォーカルなんですね…言われてみて本当にそうだ、と思いました。無論、泰輝さんのこの作曲作品だからこそできた、ということも大きいです。やはりこれは今後もジュリーの代表曲となっていくでしょう。

「動画」の箇所ですが…僕は歌詞カードを見るまで聞き取れなかったと書きましたが、それまではその部分を「何か、ジュリーがすごく嫌なものを表現するように歌っているなぁ」と感じていました。「が」の発音に、恨みのようなニュアンスを今でも感じる時があります…。

細切れのお返事になり申し訳ありません。
また一度切ります。

投稿: DYNAMITE | 2013年4月 7日 (日) 19時37分

DY様

新譜全曲伝授、本当にお疲れ様でした。

前作より組曲性が薄れたこともあり、まだ私の中では新譜について、まとまってませんので結局コメントできませんでした。

実際にライブで聴かないと、私はコメントできないかもしれませんが、いずれは何かコメントできればとは思ってます。

ただ今回の記事に1点だけ異論があります。

「これから各界の様々なプロフェッショナルが、様々な分野、角度からジュリーのロックを語り始め」ようが、私にとっては、それは特別ボーナスなだけで、DY様のブログが「日常」であることに何ら変わりはありません。

少なくとも「ジュリー祭り」以降、ジュリーや鉄人バンドについて、継続的にウォッチして、音楽的な専門性も含めて深く考察を行っているのはDY様しかいないと個人的には思っています。

中抜け組の私に「ジュリーをロックとして」語る言葉を与えてくれ、会社の同僚や後輩他をLIVEに誘う原動力になったのは、間違いなく、このブログがあってのことです。

引き続き、「ロックな」ご伝授を楽しみにしてま〜す(^-^)

投稿: Mr.K1968 | 2013年4月 7日 (日) 20時25分

DYさま
ここ数ヶ月、DYさまのブログによくお邪魔してご伝授に感動していましたが、初めてコメします。
私は新米ファンで、昨年7月にYOU TUBEでふと子供の頃テレビで好きだったジュリーは今何を歌っているのかなと検索して「3月8日の雲」に出会い、墜ちてしまいました。
ですからジュリファン諸先輩の方々のように怖いといった受け止め方はなく。震災直後に「1人じゃない」「大丈夫」「希望」「絆」といった遠くから無責任に歌う巷の声に辟易していたので、震災のことをここまでしっかり表現してくれる楽曲に、やっと巡り会えた感動がありました。
個人的なことを言えば、両親それぞれとの永遠の別れから長い月日が経つのに今だ立ち直れず辛く悲しい思いをかかえており、ジュリーに初めて歌で慰めてもらえました。カガヤケイノチの“受け入れかねない辛さ(孤独)彼岸に届け”は聞く度に泣いちゃいます。被災された方よりずっと恵まれた状況にいる私が慰めてもらえたのだから、当事者の方々が聞いたらどんなに心慰めてられるだろうと感じました。その辺は、皆さまと受け止め方がちょっと違うかもしれませんが。
DYさまや他の諸先輩方のブログを拝見して、震災のことをはっきり歌うのは世間的に孤立すると気づくに到り、改めてジュリーの強さ優しさ清らかさを実感しました。
今年の新曲もどれも素晴らしいです。美しいメロディに乗ったジュリーのボーカルが心の奥底に響き渡ります。アレンジも大好きです。私が長いこと知らない間に、こんなにも魅力的な声とにハートフルで力強く優しいロックンローラーになっていたなんて。
DYさま、次回からまた元気な曲のご伝授を楽しみにしています。ガンガンロックも、甘く切ない歌声も、どれも大好きです!

投稿: さくら | 2013年4月 8日 (月) 01時21分

スミマセン、昨夜は全部入力した後に消えてしまい、書き直して投稿したら、肝心なところが抜けてしまいました。
人は、本当に辛い時悲しい時は、「大丈夫」「頑張れ」といった励ましより、真に苦しさを理解し、肩を抱きしめて一緒に涙して寄り添ってくれる人を求めるのではないでしょうか。そういう意味で、私はジュリーに救われましたし、被災された方も、きっと慰められるだろうと思います。
無念のうちに突然命を奪われた人たち、その人を忘れることなんてできずに仮設住宅で黙々と暮らす人たちを、私たち非被災者は何年たっても忘れてはならないですね。
DEEP LOVEは、亡くなられた方への鎮護、大切な人を失った悲しみと生き残った罪悪感を抱えた人たちへの寄り添いであると同時に、「もっと深情けになろうよ」と私たち非被災者に囁きかけている歌でもあると思います。
初めての投稿で熱くなり、DYさまに負けず(?)長文になりましたこと、お許しください。

投稿: さくら | 2013年4月 8日 (月) 09時03分

nekomodoki様

ありがとうございます!

そんなことがあったんですね…「そっとくちづけを」の時のコメントでほんの少しだけ書いてくださったことがありましたね。
どうも僕の記事は…nekomodoki様はじめ、みなさまの辛い記憶を呼び起こしてばかりのようで…申し訳ありません。

でも不思議と僕は「Deep Love」という曲には救われるような気持ちがあるんですよ。
みなさまもそうだと良いのですが…。

> 大きな時間」を動かすのは「小さな想い」や「切ない願い」の静かな流れ

深いお言葉です。本当にそうですね。
時の流れをそんなふうに捉えることができるなんて…さすがジュリーファンの先輩は違いますね!

だんぼ様

ありがとうございます!

今年もまた、文が長い割にはなかなか伝わりにくい記事ばかりになってしまったようですが…最後までお読みくださったみなさまには感謝しかありません…。

仰る通り、僕も「覚悟ができていた」と言うのでしょうか、昨年のツアーが本当に素晴らしかったので…ジュリーの創作するものならどんな形であろうと大丈夫、と信頼していたのだと思います。何よりジュリーは「今」を歌っている…それがとても「尊い」と感じられる今年の新譜でした。

「魂鎮め」の曲はこの新譜4曲以外にも、ツアーセットリストに組み入れられるのでしょうね。それがどの曲なのか、僕にはまるで予想がつきません。
ただ、信頼している…そのひと言に尽きます。

毎度、細切れのお返事になってすみません。
また一度切ります…。

投稿: DYNAMITE | 2013年4月 8日 (月) 22時15分

Mr.K1968様

ありがとうございます!

お言葉、とても畏れ多いことですが…有り難く肝に銘じ、今後も少しずつ頑張っていきます。
今後しばらくは、ここまでの大長文記事は控えようと思いますが

僕もMr.K様と同じく、ライブで実際に体感すると今回の新譜収録曲への思いや考え方は変わってくると思います。
まずは鉄人バンドのアレンジ配置をしっかりと確認しなくては…。

さくら様

はじめまして!
ようこそいらしてくださいました。コメントありがとうございます!

いやいや…熱いジュリーファンが今でも増えているんだなぁと実感すると共に、昨年の新譜でジュリーの思いがさくら様のようなかたにしっかり届いているのだ、と分かりとても嬉しくなります。

ある意味罪悪感を抱えながら生きていく人達への清らかなメッセージ…「Deep Love」にはハッキリとそれがありますね。
ジュリーが自分の言葉で、あの震災を踏まえた「今」を歌っているのは本当に尊いことだと思います。

長文コメント、大歓迎でございます。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます!

投稿: DYNAMITE | 2013年4月 9日 (火) 09時06分

DYさま   今年のツアーも 残すところあと二回になってしまいました。

DYさまにおかれましては 風邪などひいておられないでしょうか ?

今年復活した私としては、震災以降の楽曲を16曲いっぺんに聴いたわけですが、
このPrayだけは、、、、? でした。
Uncle Donaldって 誰? Fridays Voiceって 何? という感じで
でも、Prayの公式情報がupされてからの 皆様の考察コメント さすがです!!!
そして 私めも やっと このアルバム(あえてアルバムと言わせて頂きたい)を 本当の意味で聴く事ができました。
ありがとうございました。

さらに DYさまの考察記事で 解った点がもう一つ
Pray 神の与え賜いしで 
>彼の人のたもうた  のところを
私は 彼の人の 賜うた罰なら と聞いていて 次の 神は罰など与えないが 解せませんでした。
>彼の人 のたもうた  なんですね。  再びありがとうございました。

ところで、Davy の you're a lady もう調べはついていると思いますが、‘72 11月 発売となっています。
英語詞でリリースされて 作曲はピーター スケラン  
B面はギルバート オサリバンの作品で Who Was It が収録 (米)MGM-14458
日本版は B面に日本語詞のユア レディがが収められました。 MGM DM- 1237(ポリドール)です。

投稿: ぷー | 2015年10月30日 (金) 23時28分

追伸

ZUZUsongs の中で歌われていますが、 確信はありませんが、訳詞はたぶん湯川れい子さん
HELLO や YOKOHAMA BAY BLUES が ZUZU の詞ではないので、その可能性は十分あると思います。
あ~ わかりません!!! でも 当時の記憶では 湯川さん!!!

投稿: ぷー | 2015年10月30日 (金) 23時53分

ぷー様

ありがとうございます!

もう『Pray』の記事まで読んでくださっているのですね…。

Davyの「ユア・レディ」、聴きました。まったく知らなかったので本当に新鮮でした。日本語詞ヴァージョンにも驚きました。こんなレコードがあったんですねぇ。

ユア・レディは安井さんの詞ですよ~。僕はこの曲の歌詞を持っていなかったので、つい先日いつもお世話になっている先輩にお願いして教えて頂きました。
もちろん、ぷー様より考察のヒントを授かり、メドのたっていなかったこの曲の記事執筆にむけていよいよ本腰を入れたということです。
お正月のセトリ予想として書く予定でいますよ~。

投稿: DYNAMITE | 2015年10月31日 (土) 10時02分

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