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2013年3月 9日 (土)

沢田研二 「護り給え」

from『告白-CONFESSION-』、1987

Kokuhaku

1. 女びいき
2. 般若湯
3. FADE IN
4. STEPPIN' STONES
5. 明星-VENUS-
6. DEAR MY FATHER
7. 青春藪ん中
8. 晴れた日
9. 透明な孔雀
10. 護り給え

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(註:今回は、まったく個人的な思いから書く記事ということもあり、大変申し訳ありませんが、コメント欄を閉じています。身勝手なことをしてごめんなさい)

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3月11日のジュリーの新譜リリースを前にして、いくつか考察記事を書こうと準備していた楽曲があったのだが、そうはいかなくなってしまった・・・。


数日前、日頃から親しくさせて頂いていたジュリーファンの先輩が、重大な病に倒れられた。
彼女の娘さんが、看病で疲れていらっしゃるだろうに「お母さんの友人と思われる人達」を気遣って、知らせてくださったのだ。
お話では、先輩の病状はとても深刻らしい。

一度もお会いしたことはないが、その先輩は『ジュリー祭り』後の割と早い段階からこのブログを読んでくださっていたようで、メールでのご挨拶もくださり、これまでに何度かコメントも頂いている。ユーモアのセンスが抜群、特に食について詳しいかたで、ジュリーのこと以外でも日頃から気軽にやりとりのできる、頼もしい先輩だ。


実は僕は最近、「無事を祈る」ということについて自分を見つめ直す機会があった。
少し長くなるが、そのいきさつとはこうだ。

僕は年明けの1月半ばから、これまでに経験の無い体調不良に見舞われた。胃のあたりの鈍痛が続いたり、しつこい吐き気が襲ってくることがあった。
初めは、年末年始に寝込んでいたカミさんの風邪が感染ったのだと思った。しかし、喉の痛みなどの風邪の症状は一向に表れず、「これはおかしい」と思い市販の胃薬を飲んだが改善の気配がない。

仕事関係の目上の人に相談すると、「ストレス性の胃炎ではないか」と言う。「働き盛りの男なら誰しも通る道だ」と。
・・・「自分がストレス?」。果たして僕はそんなタイプだろうか。
確かに、いわゆる”中間管理職”の苦労はあるにはあるが、気持ちの切り替えはパッとできる方だし、家庭円満、仕事好き、結婚してからは食事も睡眠も規則正しくとっている。
無意識にでも、ストレスなど感じているだろうか。

だが症状はいかんともし難く、結局病院に行った。
初診時は若い先生の問診、触診のみで、「胃炎でしょう」ということになり薬を処方された。
3種類の薬を1週間服用しても症状は相変わらずだった。薬が切れた段階で、また同じ先生に再度診てもらった。
今度は、処方が1段階強い薬に変わり
「これで改善が見られない場合は胃カメラを飲みましょう」
と言われた。
怖くなってきた。

今はネットの時代だから、自分の症状などから病名や対処法をたやすく検索することができる。しかしそこには、「特別に心配はない」というものから「一刻も早い精密検査、治療を」というものまで、いくつもの「答」が無数に用意されていた。
胃カメラを飲むのがイヤな根性無しの僕は
「大したことはないに違いない。あっても胃潰瘍だろう」
などと自らを安心させようとするが、一方で「命にかかわる重病」という「答」の存在が大きく心にのしかかる。

その翌日。会社で昼休みに入った直後、信じられないほどの激しい胃痛(だとその時には思い込んでいた)が来た。鋭く刺されるようなその痛みに、身体はくの字に折れ曲がった。
10分間くらいだっただろうか。まったく身動きができなくなり、真冬の寒さの中だというのに大量の汗が噴き出た。

しばらくして痛みはおさまったが、これは明らかに異常事態だと悟り急遽その日の夕方、同じ病院に駆け込んだ。
今度はベテランの先生に診てもらった。

症状を話し触診が終わると、先生は「おかしい」と何度も首を捻っている。後で考えると、それはそうだったろう。先生が「ここは痛い?」と胃のあたりや背中、横腹を強く押すのだが、僕はそれらの箇所は全然痛くなかったのだ。
長い問診が始まった。その中で「会社の健康診断で胃に所見があったことは無い」と話している時にふと思い出し、「ただ、数年前から胆石は見つかっていますが・・・」とつけ加えると、すぐに先生が「それは」と手を打った。

胆石の症状と言うと、「脂っこいものを食べたら突然の激痛が襲い、そのまま病院にかつぎ込まれるしかない」と考えている人が多いのではないだろうか。僕もそうだった。
しかし人によっては稀に、我慢できないほどではないが腹部に鈍い痛みが数ヶ月続く場合や、発熱の症状が出る場合があるのだと言う。病院にかかって症状を話しても、胆石症とは分からず、胃炎や風邪の薬を処方され、そのうちなんとなく治まってそのままになっているケースがあり得るのだとか。

結局、この際徹底的に全て調べた方が良いということになり、血液検査、日を改めての胃カメラ、そして胆嚢超音波検査も行うことになった。先生は最短の日どりで予約を入れてくれた。

検査までの日々を僕は、「原因が胆石やピロリ菌であればいい」と切に祈るようになった。これがもし胃の病気なら相当深刻な事態であることは、先生の様子からもネットの検索結果からも察せられたからだ。
僕は常々「自分はハートは強い」などと公言したりしていたが、とんでもない思い違いだった。僕はとても弱かった。「重大な病気かもしれない」と考えこむと夜も眠れないし、最悪の事態だった時が怖くて、カミさん以外のほとんど誰にも、胃カメラを飲むことを事前に話すことができなかった。
その分、カミさんには散々弱音を吐いた。情けないことだ。そうやって心配し出すと、余計に胃が痛むような気がした。

検査当日となった。
駆け込み予約をした時のベテランの先生が、自らの手ですべての検査を行ってくれると言う。これには少し安心した。

まず先生は血液検査の結果を手渡し、「肝臓の値など含め、血液からは何の異常も見当たらない」と教えてくれた。

次に胆嚢の超音波検査をしてもらった。
僕は会社の健康診断の時でも、この検査が最も苦手である。バリウム検査の数倍嫌だ。身体の肉が薄いせいか、とにかくこそばゆいのだ。それをジッと耐え続けなければならない。
この日の先生の超音波検査は、会社の健診とは比較にならないほど念入りだった。身体を右横にされたり左横にされたりして、耐える時間が長く「何をそんなに診ているのか」といぶかしんだが、後から聞くところによれば、先生はいち早く胆石を発見し(会社の診断よりも個数が多かった!)、僕が身体を動かすことによってそれらの石のひとつひとつが胆嚢内で移動するかどうかを見極めていたのだった。

そして遂に、人生初の胃カメラである。
麻酔をしたり色々と準備している最中、これから自分の体内に入ってくるのであろう管の太さを見て驚いた。そんな太い管が本当に入るのか、と。
だが容赦なくその時は来た。最初はスッと入っていくように感じたが、喉を通過する瞬間から本気で嘔吐した・・・いや、この日に備えた食事制限で胃は空っぽだから、吐き出されるものは何も無い。ただただ、本気の嘔吐反射を繰り返し、僕はまともな思考や受け答えが全くできなくなってしまった。

先生の声だけが聞こえていた。
「胃はキレイですよ。何処にも何も無い」
「十二指腸も大丈夫」
「念のため、胃の組織をちょっと採るからね」
等々。
僕はモニターを見ることすら出来ず、看護婦さんに励まされながら深呼吸を繰り返すのが精一杯だった。

管を抜く途中で、先生は食道も診てくれた。そこで思い出した・・・ネットで検索した時、桑田佳祐さんが入院された時とよく似た症状が自分にあることにも気づいたのだった。それで、食道の重大な病気かもしれない、と不安になったりしたのだ。
「食道も問題ないですよ」
もうすぐ検査も終わるんだ、という思いも手伝ってか、先生のその言葉はとても有り難いものに感じた。

検査後には止血剤を打ってもらい(胃から組織を採取した際に微量の出血があるため)、最後に改めて先生と話をした。
診断は胆石症だった。
中でも、一度だけあったあの刺すような激しい痛みは、胆石症の典型症状と言えるようだ。今となっては、その痛みに感謝しなければならないかもしれない。それがあってこの先生に診てもらえたのだし、先生も胆石症に思い当たって「そちらも徹底的に調べよう」と言ってくださったのだから。

話は逸れるが、もしみなさんの中に「胃カメラなどの検査では何の問題も無いのに、慢性的な胃痛に悩まされている」という方がいらしゃったら、精神的ストレスによるものと決めつける前に一度胆石の検査をお勧めしたい。胃痛と胆石症は、本人でもなかなか区別がつかない場合があるのだ。僕が正にそうだった。

超音波検査によれば、僕には3つの胆石があって、うち小さい石が2つ並んで胆嚢の出口付近に留まって動かないままの状態になっていると言う。これが症状を起こしている原因だった。
もうひとつの大きめの石は、僕が身体を横にする度にゴロゴロと下に転がり、現時点で悪さはしていないと考えられるそうだ(最も、脂っこいものを食べて刺激されたその大きい方の石がいざ出口で詰まった場合には、よく聞く「病院にかつぎ込まれる」事態となるわけだが)。
小さい2つの動かない石も、胆管にまで出ているわけではないので、緊急の処置を要するほどの状態ではないらしい。ただし
「いつかは手術して胆嚢を摘出する事態になるかもしれない。全身麻酔の手術で1週間ほどの入院になるからなかなか決断できないだろうけど、若いうちにやっつけておいた方が良いよ」
ということだった。
薬で砕く、とか色々と実体のよく分からない方法も聞いたことがあるけれども、結局胆石は胆嚢ごと取ってしまうのが最も手早く確実な治療法のようだ。
胆嚢という臓器は、肝臓から排出された胆汁をいったん取り込んで懸命に濃くして貯めておき、いざ食べ物が通過する際に丁寧に混ぜ合わせる、と簡単に言えばそんな働きをしているらしい。
先生が言うには、「従って、胃が空っぽで食べ物が降りてこない状態の時は、貯めこまれた胆汁で胆嚢がパンパンに膨れているはず。でも君の胆嚢は(出口付近で動かない2つの胆石の影響で)ほとんど膨れていなかった」そうだ。胆嚢は頑張って胆汁を取り込もうとするもののうまくいかない・・・それが軽度の症状を引き起こしていると考えられる。

さらに言うと、別に頑張って少しばかりの手助けのために濃い胆汁を作らずとも、消化自体に問題は無いそうである。だから、「消化の役に立たず悪さだけをしている状態なら、いっそ摘出してしまった方が良い」という理屈になるのだ。

後日、念のために採取した胃の組織の精密検査の結果を聞きに行ったが、悪性の所見はまったく認められず、ピロリ菌もいなかった。
先生は「ひと安心じゃないですか」と言ってくださった。

原因が胆石だったわけだから症状の根本的な解決には至っておらず、この先胆石症とどう向き合っていくのかという課題は残されたままだ。しかし検査後は、人間というのはこんなに単純なものか、と自分で呆れるほどに症状が軽くなった。
なにせ、れっきとした検査の結果、胃も十二指腸も食道も肝臓も問題無し、と分かったのである。
酷い疝痛発作も、たまらず病院に飛び込んだあの日の1度きり。念のために緊急の際だけに服用するとんぷく薬を処方され、常に持って歩いている。これだけで気持ちが全然違う。
要は、しっかり検査するまでの間、心の不安が症状を酷くしていたとしか思えないのだ。現在は問題なく日々を過ごせている。

そんなことをジュリーファンの先輩方を含めた何人かの方々にご報告できたのは、検査結果が出た後になってからのことである。
その中に、今日お話ししているその先輩もいらっしゃった。先輩からは、とても優しいお言葉を頂いた。


長くなってしまった。
何が言いたかったかというと・・・検査の直前、僕は自分のために真剣に我が身の無事を祈ったのだった。

昨年、ジュリーの「GO-READY-GO」の記事を執筆した際
「この先何か重大な身体のことに向き合う時がきたら、僕はこの曲を聴いて、生きるためにダイブするんだ」
といったような、とても生意気なことを書いた。
実際はと言うと、「GO-READY-GO」を聴いて「さぁ立ち向かおう」と心を奮い立たせる強さなど僕には無かったのだ。
検査の朝、出かける前に聴いた曲は「GO-READY-GO」ではなく「護り給え」だった。悪い診断結果を怖れた僕は、ひたすら自分のために祈った。
皮肉なことに昨年、僕は「護り給え」の楽曲考察記事を書くつもりでいたのを急遽「GO-READY-GO」に差し替えて書いた、という経緯がある。ジュリーの選挙応援演説の前と後で、書きたいことがまるで変わったのだ。

ただ・・・自分が重大な病気ではなかったことが分かってから、振り返ってようやく思うことがある。
僕は不安な毎日を過ごす間、いとも簡単に自分の無事を心底から祈った。「護り給え」と祈ったその祈りの強さは、僕自身のために向けられたものだ。
それに比して、一昨年の3月11日以降の、被災地への自分の祈りはどうであったか。自分では真剣なつもりでいたが、我が身を思う時の祈りの強さには、とても及んでいなかったと感じる。
いや、それは自分がどれほどの痛みや苦しみを持って祈ったか、ということではない。「我が身を思うように」祈ったかどうか、ということだ。
ましてや、ジュリーの歌や思いに触れていなかったら、まともに祈ることすら出来たかどうか。

僕は、自分自身や身内以外の人のために強く祈るということが、まるでできていなかった。それがやっと分かった。

ジュリーの「護り給え」。
確かにこの歌は、ジュリー自身のための祈りという面もあるのだろうが、例えば『ワイルドボアの平和』で歌われたこの曲をDVDで観ると、ジュリーが誰か自分以外の不特定多数の人のために真剣に祈っているように感じとれる。
昨年の『3月8日の雲~カガヤケイノチ』然り。今年の新譜もきっとそう感じるだろう。

先輩の重篤の知らせを聞き、こんなことになって初めて、僕も今度こそ強く、強く我が事のように祈る。
どうか・・・どうか彼女を護り給え。

もうすぐジュリーの新譜が届く。音楽劇も始まろうとしている。
夏には全国ツアーがある。
年末にはザ・タイガースが復活する。
数年後には、ジュリーの70超えも待っている。

ご本人は今、懸命に闘っておられる。
ご家族も必死の看病を続けていらっしゃる。

もし僕が同じ立場だったら・・・戻ってきた時に、ジュリーファンが自分のために祈っていたことを知ったら、とても嬉しいと思う。
だからこんな記事を書きました。

きっと戻ってきてください。待っています。

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