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2013年3月

2013年3月29日 (金)

沢田研二 「Fridays Voice」

from『Pray』、2013

Pray

1. Pray~神の与え賜いし
2. Uncle Donald
3. Fridays Voice
4. Deep Love

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先週の日曜日に新宿サザンシアターに足を運び、音楽劇『哀しきチェイサー2 雨だれの挽歌』を観劇してきました。
日を改めてレポート記事を書くかどうかは・・・すみません止めておきます(汗)。
みなさまにとってはお馴染みのキャスト・・・でも僕はなにせ音楽劇への参加自体初めてのことで、登場人物と役者さんのお名前の一致すら難しく・・・観劇後にカミさんに聞くまで、すわさんの配役すら判別できず、という情けない状態にあります。

でもせっかく参加したのですから、ほんの少しだけでも感想を書いてから、本題に入りますね・・・。

舞台を観ながらずっと筋を追っていて・・・この物語がどうやって「雨だれの挽歌」という曲の世界(阿久さんのエキセントリックなフレーズ遣いも含めて)に帰結するのかなぁ、と考えていたものですから、エンディングで唐突に「ホテルの~♪」とジュリーが歌い始めてちょっとビックリしました。

でも、オリジナル通りの歌詞で「雨だれの挽歌」の生歌が聴けたことはやっぱり良かった!
お芝居のストーリーは「ホテル」とも「虫」とも「メトロ」ともまったく関係ありませんでしたが・・・。
(註:のちに、「雨だれの挽歌」の歌世界は舞台の物語のその後・・・つまり新さん逃走中の情景描写ではないか、とのお説を教えて頂きました。なるほど!)
それと、やっぱりジュリーは帽子が似合いますね~。

あと、大変失礼ながら、南野陽子さんってあんなに歌が上手かったですっけ・・・?
音程がしっかりしていましたし、何よりジュリーとのハモり部が良かったです。ジュリーが主旋律で、南野さんはアルト・パートですよね?
お姿のみならず声がとても美しかったのには驚きました。ジュリーのヴォーカルと相性の良い声質だ、とも感じました。

そうそう、三田村代議士役の俳優さんが歌ったブルースっぽいナンバーが良かったです。
ジュリーも1曲、ラグタイム・ブルース風のナンバーを歌いましたね。期せずして、こんなところでラグタイムが(汗)。


さて。
つい最近、東京メトロの副都心線が東急東横線と相互乗り入れになりまして、横浜方面から新宿まで観劇にお越しのみなさまは、「揺れながらメトロまで♪」・・・ということで、「雨だれの挽歌」を脳内リピしながらのお帰りにも、早速ご利用なさったかと思います。

僕は通勤などで副都心線をよく利用するのですが、24日にサザンシアターを目指して利用した際、最近聞き覚えが無くなっていた車内アナウンスがふと耳に止まりました。
「節電のため一部車内の電気を落とし、ご迷惑をおかけしております」
と・・・。

今さらながらに思います。
一昨年は、どの電車に乗っても同様のアナウンスを耳にしました。それが最近、ほとんど聞く機会がありません。
いや、ひょっとすると、アナウンスを聞いても心に留まらなくなってしまっていたのか・・・だとすれば僕は自分を恥じなければなりませんが・・・


24日の車内アナウンスを聞いて、少なくとも東急東横線の車両については、今なお節電対策に取り組んでいらっしゃることが分かりました。
しかし他路線はどうなのでしょうか。震災前の状態にに心構えが戻ってしまっていることがありはしないでしょうか。
僕自身への自戒と共に今改めてそんなことを思うのは、ドナルド・キーンさんの言葉を知ったからですし、ジュリーの新譜を聴いたからです。

今日のお題は、新譜3曲目。
政治や思想と関係なく・・・あれから2年が経ち、節電すら意識から遠ざかることがあり得る僕のような非・被災者にとって、痛烈なメッセージがこの曲に込められていることを決して見逃してはなりません。
「Fridays Voice」、僭越ながら伝授です!

前回記事でドナルド・キーンさんの連載についてご紹介した『東京新聞』は、僕の知る限り、あの原発事故について最も腰を据えて報道を継続している新聞です。
2011年3月に開始された『レベル7』というタイトルでの一連の原発事故検証記事は、長期に渡りトップ1面での連載でした。
その後も機を見るたびに掘り下げた検証記事が掲載され、『レベル7』は今も、『二年後の迷走』というまた新たな切り口で連載が続けられています。検証は多角的で、反原発の立ち位置のみならず、原発マネーに支えられてきた地域の財政危機や推進派の果てない苦悩についても網羅。そういうことを知った上でこの問題をどう考えるのか、というのはとても大事なことではないかと思います。

一方、今回ジュリーが「Fridays Voice」の題材とした「毎週金曜日の声」について、当初に限っては『東京新聞』での報道がありませんでした。
しかし、「これだけの人が集まって声を上げているのに、まったく報道がなされないのはどういうことか」という読者の声が紙面に寄せられたのを機に、謝罪と今後の方針表明が掲載され、その後詳細な報道が開始されました。

僕には、『東京新聞』を読んでいなければ知りえなかった情報がたくさんあります。
電源立地地域対策交付金の仕組みや現状(運転が停止された今も、満額の8割が国から支払われています)など・・・。そして先日、まだ厳しい寒さの続く頃でしたが・・・毎週金曜日の集会とは少しだけ離れた場所で、オリジナルの脱原発ソングを雨の日も雪の日も毎日坂道の路上で歌い続けている方々の存在を紙面で知りました。
「花は咲く、とは歌っていられない」人達がいる・・・そんな文章をそこで目にしました。

いえいえ、僕は何も「花は咲く」をはじめ幾多生まれている「復興支援ソング」を否定しようなどという気持ちは、いささかもありません。
特に「花は咲く」・・・歌詞もさることながら、素晴らしいメロディーに心から感動し胸をしめつけられます。

しかし・・・しかしです。
その一方で、僕の愛する”ロック”というジャンル・・・その担い手たる現在の日本のアーティストやバンドについて、物足りない
気持ちがあることも事実です。「復興支援ソング」とは別の役割がロック・ミュージシャンには課せられているはずだ、という思いが消えないのです。

それは何もロック・ミュージシャン皆が皆、脱原発を歌って欲しいなどということではなく・・・全然別のメッセージ、ことによれば真逆のメッセージもあるかもしれませんが・・・あの未曾有の大震災や、あれだけの事故が起こって、それについての自身の考えや思いをそれぞれの立ち位置から自らの楽曲に託し世に問うことが、何故こうも避けられているのか、というやるせないような気持ちです。

もちろん、ジュリー以外にも何人かのロック・アーティストやバンドはそうしています。ロック以外のジャンルでも、さだまさしさんがLIVEで原発問題に言及したとも聞きました。
でも、「ロック」というジャンルでのトップ・アーティストの総数から考えると、あまりにも作品での発信が少ない・・・。
確かにそれは、勇気の要ることです。僕のような何の力も持たない末端の者にとっては、今回この程度の記事を書き発信することすら、勇気を振り絞って臨まねばなりません。
ただ・・・ロック音楽で名実を為したトップの人達ならば、色々な考え方、色々な角度から自らの思いを作品に託してくれる・・・そしてそれら多くのメッセージが公に飛び交うことになる・・・そう思っていました。
ところが現状はそうではありません。

原発事故の後、真っ先に「ずっとウソだった」と歌い動画を公開した斉藤和義さんも、「後に続く人達がいる、と思っていたのに」と後に語ったそうです。斉藤さんはむしろ、正反対の考えを持ったロッカー達の登場すら覚悟、想定していたかもしれませんが、それも無い・・・。

このように、意を表し発信した「当たり前の」創作姿勢を持つロッカー達が、世間からは単にレッテルを貼られるのみ、ロック界では無反応の中に沈み込んでいる・・・そんなふうに感じられる時もありました。
無論、僕にとってそれはまず他でもない、ジュリーのことになるわけです。

本来、邦洋問わず、成熟したロック・ミュージシャンがその時々の自国の社会問題について曲の題材とし、自らの考えを歌に託して世に出すというのはごく自然な、当たり前の姿勢と言えます。

例えば1972年、北アイルランド問題から派生した”血の日曜日事件”に揺れたイギリス。
ビートルズ解散後間もない頃で「犬猿の仲」と言われていたジョン・レノンとポール・マッカートニーが、揃ってそのテーマを自作曲で採り上げました。
まず、ウイングスを結成したポールが「アイルランドに平和を」というシングルを素早くリリースし、曲は放送禁止問題に発展します。

Fridays1


「GIVE IRELAND BACK TO THE IRISH(アイルランドに平和を)」メロ譜。
『YOUNG SONGS』昭和47年7月号より。
ちなみにこの号の『YOUNG SONG』の表紙は、ズバリこれ


それまで互いの作中においてもポールといさかいの絶えなかったジョンは、この曲について「歌詞が稚拙」とひとくさりしながらも、ポールの創作、リリースの姿勢に対してはエールを送ると共に、自らも「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」という、アイルランド問題を採り上げた曲をリリースします(アルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に収録。このアルバムにはもう1曲、ズバリ「血まみれの日曜日」というタイトルの、同じテーマを扱った曲も収録されています)。

Fridays2


「THE LUCK OF THE IRISH(ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ)」
ギターコード付ピアノ3段譜。
『LENNON THE SOLO YEARS』より。


「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」の歌詞には

「もしあなたがアイルランドに生まれていたならば、死んだ方がマシだと嘆くでしょう」

という過激な一節がいきなり登場します。
「重い」どころではありません。
この歌詞を、当時正に渦中にあったアイルランドの人達が実際に聴いたら・・・。
多くのリスナーがそう考え、あまりの直球表現に曲に対峙することができなかったかもしれない・・・と、昨年からのジュリーの新譜を体験している方々ならば、誰しもが想像できるところでしょう。

ジョンの「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」の詞は確かに当時、聴き手が正面きって向かい合うにはキツい、しんどいものだったと考えられます。
でも、当時まだ6歳、80年代にさしかかろうかという頃にようやくビートルズ・ファンとなった僕の場合、この曲を初めて聴いた時に心に残ったのは、穏やかで心安らぐワルツのメロディーでした。詞の内容とその背景を知ったのは、アルバムの歌詞カードを熟読してからのことです。それでも「あぁ、いい曲だなぁ」という考えに変わりはありませんでした。
僕は「ワルツの穏やかなメロディー」という共通点から、今回のジュリーの新譜1曲目である「Pray~神の与え賜いし」を、将来そういう曲としてあらゆる世代に知られていって欲しい、と願っています。たとえ今は、聴くことすら辛いという人達が多かったとしても・・・。

また、ポールの「アイルランドに平和を」で先に添付紹介させて頂いた『YOUNG SONG』でのこの曲のスコア冒頭には、こんな一文が添えられています。


(本文まま転載)
この曲、イギリスで放送禁止になった。「アイルランドはアイルランド人へ…」という内容のためだ。そうでなくても、南北アイルランド問題で頭の痛い英国政府。こんな歌を歌われたんでは、反体制派のヤングが増える、と恐れたわけ。ところが、政府の処置は逆効果。かえって、アイルランド問題に興味をもつミュージシャンやファンが増えてしまった。

文章通りをそのまま鵜呑みにはしないまでも(”血の日曜日事件”への言及がまったく無いなど、ある意味不完全、不自然な記述とも言えます)、聴き手それぞれの受けとり方がどうあれ、少なくとも世間での「無関心が問題」という状況は避けられていたということでしょう。
(ちなみに、詞についてはジョンからひとくさりされてしまった「アイルランドに平和を」ですが、ポールはこの曲で、自ら出しうる限りの高音のメロディーで絶唱しています。それこそがポールの思いなのだ、というのは僕が以前から考えていたことで、それが昨年リリースされたジュリーの『3月8日の雲』収録曲への考察に繋がっています)

また、邦楽のタイムリーな体験で言うと、正に原発の問題・・・忌野清志郎さん率いるRCサクセションが「さっぱり分かんねぇ」「電力は余ってる」「もういらねぇ」と歌った「サマータイム・ブルース」をリリースした時。
厳密には話が前後しますが、何せネット情報など無い時代。僕が実際に体験した順序に話を進めていきますと・・・。

まず、愛読していたロック雑誌に掲載されるはずだったRCサクセションの広告が、急遽強引に差し替えられた、といういきさつがロックファンの間で話題となりました。
清志郎さんの歌詞の内容が、レコード親会社にとって不利益をもたらすものとされアルバムの発売が中止となった、という事実がほぼ公となり、僕も含め多くのロック少年のアンテナはそのことにより逆にフル稼働を始めます。
すぐ後に僕らは、RCサクセションの『カバーズ』というアルバムが、内容に問題有りとされレコード親会社にリリースを拒否された「サマータイム・ブルース」「ラブ・ミー・テンダー」の清志郎さんの歌詞をそのまま生かした形でレコード会社を変えてまで発売に踏み切ることになったらしい、という情報をキャッチ。
「さすが清志郎!カッコイイ!」
ということになります。
結果、RCサクセションのキャリア中唯一オリコン・チャート1位を獲得することになるアルバムは、日本ロック界の絶賛を持って迎えられたのです。

もちろんこれは、分別の確立していない一般の少年の「カッコイイ!」という一言で済ませてよいテーマではありません。
ただ、ロックを愛する少年達はそういうバンドやアーティストに触れることで成長し、最終的にどのような考えを持つに至るにしろ、無関心とは手を切り、「自分で考える」ことを学んでいきます。
いやいや、「学ぶ」なんて言うと天国の清志郎さんはきっと怒りますね・・・。
「”教えた”なんてつもりはない。一緒に考えた、ってことだ」・・・
と、これは『ロックジェット』の杉山章ニ丸さんのインタビューをお読みになった方なら、ニュアンスを分かって頂けるのではないでしょうか。
でもやっぱり「考える」ということは「学ぶ」ことに繋がるはずですし、要は「自分はこう」というところを自然に目指していかないと、難しい問題にはなかなか正面から向き合うことができません。

僕が何故こんなことを長々と語っているか・・・それはジュリーの昨年からの創作テーマというものが、ロック・アーティストとして決して特別なことではない・・・いやいや、もちろん特別な人こそがそういうことをできるわけなのですが・・・正攻法だと言いたいがためなのです。自然なことなのだ、と。

日頃親しくさせて頂いている長いジュリーファンの先輩方の中にも
「何故ジュリーはそうまでしてまでそのことを歌わなければならないのか」
と、ジュリーの苦しみを想像して自らも苦しんでいる、というかたがいらっしゃいます。
でもそうではないと思うのです。
無論ジュリーは大きな苦しみと、それに打ち勝つ想像を絶する気力をもって作品を生み出しているのでしょうが、それがジュリーにとって自然なロック音楽の創作姿勢なのです。

『ロックジェット』で佐藤睦さんがジュリーの『Pray』『3月8日の雲』について、また編集後記にて書いていらしたことは、正に今僕が考えているようなことと本質的に近いような気がします。
「東日本大震災について、ハッキリ日本語にして歌った」(佐藤さんの文中の言葉です)ロッカーがいなければ、今のロックを聴く若者は一体どうすれば・・・。

いや、ロックを諦めるな、ロックを嘆くな。
日本には沢田研二がいる!

そう書いていらっしゃるのでは・・・と僕は解釈します。

タイムリーな社会的問題を詞のテーマとし、自分の思うところを曲に託す。
震災を歌うことにしろ原発を歌うにことにしろ、それはきっとジュリーにとって、ごくごく当たり前で自然なことなのでしょう。
先頃ファンの間で話題となった新聞記事の中で、「反原発の旗手となること」を問われて、「いやいや」とジュリーが首を振ったのは、「自分は当たり前のことを当たり前にやっているに過ぎない。特別なことをしようとしたつもりはない」ということではないでしょうか。

後追いファンの僕が言うのもおかしいですが・・・思えば、ジュリーが自らの意志でそういう創作活動ができるようになるまで、長い時間がかかりました。
ただ、ジュリーの辿ってきたこれまでの歴史を俯瞰すれば、今のジュリーの創作姿勢は必然とも感じます。

本当は今、もっと他のロック・バンドやロック・アーティストがそれぞれの立場からそれぞれの考えを託した曲をどんどん発信していく・・・あれだけのことが起こったのだから、そういった流れこそが自然なことだ、とジュリーは泰然と考えているように僕には思えます。
(その一方で、もしかするとジュリーは、多くの若いロック・アーティスト達が声を上げるようになれば、原発事故のテーマで作品に取り組むことから一度はスッと退くのかもしれない、とも思うのです)

ですから、『3月8日の雲』『Pray』収録曲の歌詞の内容や、その思想のあり方についてリスナー同士が議論するのはともかく、ジュリーの創作姿勢そのものを是か非か、と言いたてるのはまったくナンセンスではないか、と僕個人は思っています。

昨年の「F.A.P.P」、今年の「Fridays Voice」。
まず素晴らしい曲ではないですか。そして、凄まじいまでのジュリーの感性ではないですか。

僕のような凡人の感性では、TVに映る東京電力福島第一原発の現在の映像を観ると、「怖い」「いたたまれない」という気持ちが先走り、目をそむけようとします。
でもジュリーはガキッと目を見開いて、そんな映像を直視しているようです。目をそむけたり、映像を観て頭に浮かぶことから逃げたりはしていません。
それは「Fridays Voice」の詞でハッキリと分かることです。

♪ 可哀想な原発 行き場のない原発
        E         G#m7      C#m        E7

  危険すぎる手におえぬ  未来
                 A          G#m7   C#m

  止めるしか原発 ♪
    F#m7         B


視覚的には、特に3号機と4号機でしょう。
無残な姿を晒すそれらの映像からジュリーが感じとったのは、放射能の呻き声。

♪ 放射能は呻いた こんな酷い支配を
        E           G#m7       C#m      Emaj7

  意に介さぬ人が嗤う 何故怖れない ♪
          A            E         F#m    B

「何とかしてくれ」「俺達をもっと恐れてくれ」
そんな呻き・・・いや悲鳴です。

ただ、これはまず音楽です。楽曲やアレンジ、演奏が優れていなければ、いくらジュリーの感性が素晴らしかったとしても、話にはなりません。
昨年に引き続き、原発をテーマとしたジュリーの歌詞を担うことになった柴山さん・・・またしても期待に違わぬ名曲を誕生させてくれました。

リリース前の新曲内容予想記事で僕は、作曲が柴山さんということと、「Fridays Voice」というタイトルから受けるイメージとして、力強くも軽快なポップ・ロック・チューンであろうと予想しました。
また、昨年の「F.A.P.P」や、『ROCK'N ROLL MARCH』収録の「やわらかな後悔」で魅せてくれた、ギタリスト・柴山さんならではの目まぐるしい転調構成にも期待して新曲を待っていました。

予想はまったく外れました。
一度も調号変化の無い、直球王道のバラード・・・!今年のジュリーの新譜で柴山さんは、渾身の豪速球・ストレートを投げ込んできたのです。
そして、鉄人バンドの演奏とアレンジも、ジュリーと柴山さんの意気に応えた直球勝負となっています。

♪ We Are Fridays Voice ♪
       A        F#m   C#m

最後、このサビのフレーズが延々と繰り返されます。
この構成に「なんだかサビが長いな」と意表を突かれたかたもいらっしゃるかもしれませんが、実はこれも王道です。バラードの大作で採り入れられることの多い楽曲構成なのです。
ジュリー・ファン、タイガース・ファンのみなさまにお馴染みの曲で例を挙げますと、ビートルズの「ヘイ・ジュード」がそうです。これなら分かりやすいですよね。

このサビ部、1番では1回のみ、2番では2回のリフレイン、そして最後に何度も何度も繰り返す、という構成になっています。
初めは少数だった「声」が次第に数を増やし2倍となり、遂には数えきれないほどの重なりとなっていく・・・柴山さんの作曲段階で、エンディングの延々と続くリフレインのアイデアは既にあったかと思いますが、1番を1回、2番を2回、と決めたのはジュリーの歌詞が完成してから後のことかもしれません。

全体通して直球のコード進行の合間で、「ちょっと捻っているかな」と思う箇所は、Bメロに登場するオーギュメントの和音。

♪ この国が いつか変わるため 今夜集まろう
             E                          Eaug            A

  OH 静かに熱い覚 悟 ♪
       F#m     B       G#  G#sus4 

(「あぁ♪」と歌っていますが、歌詞カードでは「OH」なのですね)

「変わるため 今夜♪」の箇所です。

オーギュメント・コードには主に大きく2通りの使い方があって、ひとつは曲のルート音への帰還の際に、ちょっと宙に浮いたような雰囲気を持たせる手法。この新譜では「Pray~神の与え賜いし」の「嗚呼♪」と歌う箇所にオーギュメント・コードが使われています。過去のジュリー・ナンバーで言うと、『JULIEⅥ~ある青春』収録の「二人の肖像」でやはり「アァ♪」と歌う箇所で登場していたり。

しかし「Fridays Voice」で採り入れられているのはもうひとつの手法で、これは「渚でシャララ」の「傷つけ合うより♪」の箇所で登場するポップ・チューン向きなやり方です(2通りの手法の紹介で、偶然にも加瀬さんの名曲が時代を超えて2曲並びました)。
ゆったりとしたバラードでこの進行が採用されるのは珍しいパターンじゃないかなぁ。じっくりと上昇していく感じ・・・はからずもジュリーの載せた歌詞で、多くの人の声が次第に集っていく雰囲気を表しているかのようですね。


さぁ、それでは今回も、鉄人バンドすべての演奏トラックを書き出してみましょう。

柴山さん・・・エレキギター(右サイド)、エレキギター(センター)
下山さん・・・エレキギター(左サイド)
泰輝さん・・・キーボード2種(ピアノ、ストリングス)
GRACE姉さん・・・ドラムス、タンバリン

最初に、柴山さんの右サイドのバッキングについて。
まず1番Aメロ2回し目。それまで泰輝さんのピアノ1本で進行していたところに、柴山さんの撫でるようなアルペジオが絡んできます。
音色は、ユラユラとした幽霊サウンド(←本当はちゃんとした呼称がありますが忘れました)の設定。
これはひと昔前ならば、ボリューム・コントロールを懸命にブルブルさせて作り上げるところですが、その後マルチ・エフェクターのパッチ一発で設定可能な音色となりました。巷でも、バラード・ナンバーをエレキギターでバッキングする際にはよく使われています。
ここでのアルペジオは基本、1小節の2拍目までを8分音符で弾きます。小節内の最後の音を「ポロン♪」と突き放すように弾いている箇所で、残響音が「揺れている」感じ・・・これは注意していればすぐに聴き取れるかと思います。

そしてBメロへと移行すると、柴山さんのギターが実は幽霊サウンドのみならず、ディストーションをも加えたハードな音色だったことが判明します。一体それまでどれだけ優しく弾いていたんだ!と驚くほどの変貌。
ここから全楽器がガ~ン!とフォルテで噛んでくるわけですが、直前、「いくぞ!」とばかりに必殺の「きゅきゅ~ん!」というフィルが炸裂していますね。
(その直後に演奏が一瞬途切れる箇所で、下山さんが「オッケ~!」とばかりに「ぎゅ~ん!」と言ってオイシイところを持ってってますが)

2番Aメロでの4弦~6弦のダウン・ピッキングも武骨でカッコイイです。この辺りはバラードはバラードでもハード・ロック寄りのアレンジ手法です。
これはベースレスを補う意味もありますが、おそらく柴山さんの好みなのでしょう。

センターにミックスされたリード・ギター・・・こちらについては考察の関係上、後の泰輝さんの演奏と併せてたっぷり語ります。
ここではひとまず、このリード・ギターの音色設定そのものが直球であることだけ、まず書いておきましょう。ロックでエレキと言えばまず基本この音、という音色。
最後のサビのリフレインで、4分音符の1拍ずつで重厚なフレーズを繰り出す箇所がありますが、本当にシンプルな音色設定だからこそ説得力があるんですよね・・・。自身の曲作りに合致した、柴山さんのセンスです。

一方、下山さんの左サイドのギターも基本はバッキングなのですが、音の表情はクルクルと変化します。2番Aメロはアルペジオですしね。
何と言ってもこの曲の下山さんのギターは、ほんのちょっとした箇所で細やかな単音を繰り出してくるのが大きなポイント。これがまた素晴らしい演奏なんですよ!
ヘッドフォンで左サイドから時折聴こえてくる単音のフレージング。僕は購入何度目かの鑑賞時、下山さんの音を注意して聴いていて
「この感覚は、つい最近生で体感したことがある!」
と思いました。そして何度も繰り返し聴くうち、それが先の老虎ツアーでの「淋しい雨」で下山さんが華麗に魅せてくれた演奏であることに気づきました。
うぅ・・・最早懐かしい・・・DVD観よ。

この曲の下山さんの単音で僕が最も感動したのは、「放射能に罪無し、人間こそ罪あり」と歌われる2番Aメロ(歌詞としても重要な箇所ですね)の直前、1’40”くらいのフレーズです。低いところでせり上がる、渋い音色・・・このたった4音(ニュアンス的には3音)の音階移動が素晴らしくも独特!
すぐ後にアルペジオを弾くことになりますから、下山さんとしてはフィル・イン的にサラリと挿し込んだ、という感じなのでしょう。聴く側は、「えっ、これ和音と合ってるの?」という感触に一瞬ゾクリとしますが、いやいやキチンと合ってるんですよこれが・・・。

この音階は、コードに合わせて適当に弾いただけでは出てきません(普通は、「次節のアルペジオを少しだけ早めに始めてみました」という感じのフィル・フレーズになるでしょう)。かと言って、論理的に考え組み立てようとしてもなかなか出てこないと思います。理屈から考えて捻り出した音階なら、この場合はもっとあざとくなるんじゃないかなぁ。
とすればこれはもう天賦の霊気・・・もとい、才気としか。

これが下山さんなんだ、と思います。これこそがルースターズ時代、超メジャーな某ライバルバンドをしてその才能を怖れられたという、下山さんのギターなのでしょう。
ホント、もの凄く細かいトコなので、なかなか伝え辛いのがもどかしい。
まぁ、下山さん本人としては涼しげに「あ、ここんとこ結構うまくいったな。できれば気づいて欲しいな」くらいの感覚でしかないのかもしれませんが・・・。

他にも、2’58”に登場する一瞬の経過音や、エンディング近くの5’06”で、柴山さんが作曲段階から構想していたであろう”テーマ”(泰輝さんの項で詳しく語ります)を追いかけるようにして挟み込まれるフレーズ等々・・・目立たないようですが、今回の新譜の中で僕が選ぶベスト・オブ・サポート・プレイは、「Fridays Voice」での下山さんのこのトラックです。

続いて泰輝さんのキーボード・・・こちらがまた正に直球、うなるストレートです。
音色設定は、ド真ん中ズバリ!のピアノとド真ん中ズバリ!のストリングス。泰輝さんは完全に正攻法の音色を採用し、このバラードに挑んでいます。

ストリングスの方はさほど前面に押し出す感じではなく、縁の下の力持ちに徹しています。イントロ途中でピアノに噛んでくる箇所が一番目立つでしょうか。
そう、この曲はまずピアノとストリングスの音のみ、という泰輝さんの独壇場からスタートするのです。
ちなみにこの2トラックは別録りというだけではなく、さしもの泰輝さんも手が3本無いと同時演奏が不可能なアンサンブルです。ですからイントロに限っては、LIVEではピアノのみの演奏となるでしょう。

この曲のピアノはとても重要です。楽曲全体でも主役級の活躍と言えます。
中でも最も重要で、聴き手にとって強く印象に残るのが

「シド#レ#ファ#ソ#~、ファ#ファ#ファ#ミレ#ミ~、ド#ド#ド#シラミ~♪」

という、曲の”テーマ”とも言うべきフレーズです。
これは曲中で、イントロ、間奏、エンディングの3度に渡って登場します。僕はこのフレーズを、ある程度まで柴山さんが作曲段階で練っていた音階だと考えています。
フレーズ後、最後の最後に優しく手を置くように演奏される「シ・ラ・ド#・ミ」という輪郭のボンヤリした和音構成も、柴山さんの「1弦開放、2弦2フレット、3弦2フレット、5弦2フレット」というフォームから導き出されたものかもしれません。

では、何故僕がそう考えるのか。
3度登場する”テーマ”のうち、まず間奏部を注意して聴いてみてください。この間奏部では、泰輝さんのピアノに柴山さんのリード・ギターがユニゾンするアレンジとなっているのです。
僕は常々、柴山さんのリード・ギターのフレージングについて、ストイックな求道者のイメージを持っています。
今回の「Fridays Voice」のような直球のバラードであれば、作曲段階で単音フレーズをも充分練っていたと考えられます。そしていざ鉄人バンドでアレンジの仕上げという時、そのフレーズを泰輝さんに託すことになった・・・特にイントロについてはピアノ1本で演奏した方が良い、という結論です。

さて問題の間奏。
1番の力強いサビが終わり曲がいったん静けさを取り戻す、という流れを考えると、イントロとは微妙に変化を持たせたいところです。ギターはバッキングに徹しピアノのフレーズを変える、或いはピアノとは別のギター・フレーズを考案する、など選択支もあったのでしょうが・・・柴山さんが選んだのは、ピアノとのユニゾンでした。
ここで思い当たるのは、これまで書いてきた「Pray~神の与え賜いし」「Uncle Donald」にも採り入れられている、ユニゾン・アレンジの手法です。
「Uncle Donald」の記事で書いたように、それを僕は「寄り添う」「共にある」というジュリーの歌詞に呼応した鉄人バンドの新譜全体に及ぶアレンジ・コンセプトではないか、と考えています。

「Pray~神の与え賜いし」では、GRACE姉さんのスネアと柴山さんのバッキング・ギター。
「Uncle Donald」では、下山さんのリード・ギターと泰輝さんのオルガン。
そして「Fridays Voice」では、泰輝さんのピアノと柴山さんのリード・ギターです。
ここまでユニゾン・アレンジのアイデアが重なると、これはもう鉄人バンドの統一された意志があってのこととしか思えないではありませんか。

柴山さんは間奏で泰輝さんのピアノに合わせ、自ら練りこんでいた”テーマ”を演奏します。
と・・・ここで、鍵盤楽器と弦楽器の特性の違いから、思いもよらぬ(いや、最初から計算されていたのかもしれませんが)素晴らしい効果が生まれました。

ピアノとギターのユニゾンということを踏まえた上で、みなさま改めて間奏部を聴いてみて下さい。
フレーズの途中、ピアノよりもギターの方が演奏されている音数が多いことにお気づきになるかと思います。

紐解きますと・・・ピアノが
「ファ#ファ#ファ#ミレ#ミ~♪」
と弾くところで、ギターが
「ファ#ファ#ファ#ソ#ファ#ミレ#ミ~♪」
と演奏されている箇所があります。
これは、泰輝さんが「ファ#ミレ#」と弾く間に、柴山さんが速弾きで「ファ#ソ#ファ#ミレ#」と演奏しているという仕組みになっていて、この微妙なズレにより、”テーマ”のフレーズがまるでヴォーカルのダブル・トラックのような不思議な効果を得ていて、僕は何度も何度も聴き惚れています。

この柴山さんの演奏は、”速弾き”とは言っても超絶プレイではなく、ハンマリング・オンとプリング・オフという基本中の基本テクニックを組み合わせたものです。
これはもうギタリストであれば誰しも手クセのようになっているテクニックで、「E→B→C#m」の進行に載せて「ファ#ミレ#」と弾こうとすると、フレット移動の利便性もあって、思わず指が勇み足してしまうという・・・。弦を指で強く叩く時に出る音と、強く離す時に出る音を繋げる感じで音階に組み入れているのですね。
もしこれがリード・ギターだけのフレーズなら、音数の多い上記音階がそのままそういうものとして聴き手に認識されることになるのですが、ここではピアノとのユニゾン。しかもイントロでピアノ1本の同じ音階を一度聴かせている、という構成もあって、その効果は絶大です。
本当に何てことないテクニックなのに、採り入れ方によってこうまで刺激的なものなのか・・・と僕などはただただ感心するばかり。

泰輝さんの弾くピアノの”テーマ”は、エンディングにもう一度繰り返されます。
ここでの柴山さんは、泰輝さんの音数にピタリと合わせた完全なユニゾンでリード・ギターを弾きます。
何故間奏とは違いキチンと合わせたのか・・・それは柴山さんが、先述したピアノの隙間で”テーマ”の旋律を追いかけるようにして演奏される下山さんの素晴らしい単音を最大限生かすために、自分は一歩退いたのではないでしょうか。
柴山さんのリード・ギター・トラックは、せ~の!で録ったベーシック・トラックをリプレイしながらの後録りでしょうから、全体の音を聴きながら最適なアレンジを選んだ、ということなのだと思います。さすがはバンマスです!

GRACE姉さんの演奏については、上記でドラムスとタンバリンを分けて書きましたが・・・これは、この曲でのタンバリンの採用を強調したかったためで、ドラムス、タンバリンは合わせて同一のトラックのように思います。
ハッキリ断言できないのですが・・・タンバリンが最初に登場するのは、先程柴山さんのバッキング・トラックでも触れた1番Bメロ部。そこでよ~く聴くと、オカズの箇所でほんの1打だけタンバリンの音が消えているように聴こえる部分があります。
タンバリンのパートが消える瞬間も、もし後録りの別トラックならばもう1打叩いた方が据わりが良いだろう、というところで終わっているのです。
ということはおそらく、ハイハット付近にタンバリンをセッティングしての一発演奏じゃないかなぁ、と
LIVE本番でもこのドラムス・アレンジが再現されるとすれば、GRACE姉さんのセッティングに注目して観なければ・・・。

それにしても、ハードロック寄りのバラード・ナンバーのこの最初のフォルテ部での8分音符の重要なテンポの刻みを、ありがちなオープン・ハイハットではなくタンバリンに託したGRACE姉さんの意図・・・「民衆」のひしめく「手」と、重なり合う「声」の躍動をイメージしてしまうのは、僕の深読みでしょうか。

この曲でのドラムスの目玉は・・・これはもうみなさまお気づきでしょう。4’35”あたりで豪快に炸裂するフィルですね。
これは本当に凄い。曲を盛り上げる、というだけでなくキチンと歌詞に呼応しているのが素晴らしいのです。
それまで「We Are Fridays Voice♪」と繰り返していたのを、「Fridays、Fridays Voice♪」と「私たちの声が聞こえるか?
」という思いでジュリーが変化させた箇所に応えての「ここぞ!」というフィルになっていますから、歌詞との連動性を意識しての演奏であることは間違いなさそうです。

あと、続く4’45”あたりから始まる、スネアの裏打ちを次々に繰り出すフィルもカッコイイですよ!


そして、ジュリーのヴォーカル。
「Deep Love」のような慟哭はありません。サビも力強く高らかに歌います。
しかしAメロでの、語尾を「フッ」と抜くようなヴォーカルには張りつめた緊張感があり、悲しみが込められているようにも感じます。無残に姿を崩した建造物の悲しみでしょうか。

「Fridays Voice」は『Pray』収録曲の中で、抜きん出て音域の広い曲です。
最高音は、「さぁ♪」とジュリーが力強く呼びかける箇所で登場し、これは高い「ファ#」の音。「Uncle Donald」の最高音と同じです。
それで音域が抜きん出て広い、ということは・・・そう、おそらくこれも聴いた感触だけでみなさま既にお気づきかと思いますが、この曲のAメロって、メチャクチャ低音域なんですよ!

1番で言いますと
た」「を」「わう」

太字で記した箇所が、低い「ソ#」の音になっています。これが曲の最低音。
僕などは、低い「ラ」の音すらなかなか発声できないというのに、さらにその半音下まで・・・。
思いを絞り出すようにして歌われる、ジュリーの低音。今のジュリーのヴォーカルの魅力が、このAメロの低音域ではバッチリ発揮されていると思います。

この曲はAメロからBメロへの流れが特に美しいのですが、音域だけをとってみると、まるでそれぞれ別の曲を合体させているかのような高低の開きがあります(ジュリーのヴォーカルが滑らかなので、それがとても自然に聴こえます)。
これは、作曲者の柴山さん自身がかなりの広音域の声の持ち主であることも物語っていますね。

最後に。
ジュリーの創作姿勢については100パーセント支持する僕自身と言えど、ジュリーの社会的な物事の考え方には、とてもよく似たところもあればまるで違うところもあります。
ただ、ジュリーが自らの思いを託し新曲に取り組んだ”当たり前の”志と、2年続けて難しいテーマを担うことになった柴山さんの名曲にも
最大の敬意を表したく、今回の新譜『Pray』の楽曲考察記事については、毎週金曜日の更新とすることを当初から目標と定めていました。
なんとか達成できそうな感じになってきました。

残すは1曲「Deep Love」。
この曲が一番、書きたいことを纏めるのに時間がかかりそうなのですが・・・引き続き全力で頑張ります!


昨年からの新譜の記事は特に、毎度毎度の大長文におつき合い頂くこととなり、申し訳ありません・・・。


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追記にて恐縮です。
この記事は本日の更新に備え、昨夜の時点でほぼ書き上げておりましたが、今朝ほどとても悲しいニュースが・・・。
僕にとっては『池中玄太80キロ』のアッコ姉さん・・・このブログでも、いわゆる「少年時代の憧れの存在」としてはただおひとり過去にお名前を挙げたことのある女優さん、坂口良子さんが突然亡くなってしまいました。

タイガース世代の先輩方にとっては『前略おふくろ様』でしょうか。
また、市川昆監督の映画・金田一耕助シリーズでのコミカルでキュートな役どころや、エド・マクベインの87分署シリーズを日本で刑事ドラマ化した『裸の街』で、主演の古谷一行さんの奥さん役を熱演されていたのも、僕には強く印象に残っています。

再婚なさって、これから第2の人生を末永くお幸せに、と応援していたのに・・・あまりに早い旅立ちに、驚き悲しむばかりです。
心よりご冥福をお祈り申しあげます。

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2013年3月22日 (金)

沢田研二 「Uncle Donald」

from『Pray』、2013

Pray

1. Pray~神の与え賜いし
2. Uncle Donald
3. Fridays Voice
4. Deep Love

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ジュリー主演の音楽劇『探偵~哀しきチェイサー2 雨だれの挽歌』が始まっています。
先週末から今週はじめにかけて、拙ブログで過去に執筆した「雨だれの挽歌」の記事を多くの方々が検索ヒットしてくださっていたようです。ありがとうございます。

僕もいよいよ今週末、音楽劇デビューを果たします。
これまでさほど音楽劇に興味が持てず参加を躊躇していた僕が今回の観劇に踏み切ったのは、大好きな曲「雨だれの挽歌」のジュリーの生歌が聴けるかもしれない!という思いがあったからです。
そして、みなさまのレポや感想をチラッと拝見しますと、どうやらそれは実現の運びとなっているようです!

「雨だれの晩歌」の楽曲考察記事に書いたように、僕はこの曲の歌詞に強く惹かれていて、まぁ今のジュリーがあの歌詞を舞台で歌う、というのは通常のソロLIVEツアーではちょっと望めないんですよね。
今回の音楽劇は、その意味で本当に貴重な機会だと思います。楽しみです!


さて本題・・・ジュリーの新譜『Pray』について。
今日のお題は2曲目「Uncle Donald」です。今回も、今の僕が出来うる限りの全力で伝授させて頂きます!

まずは歌詞について語りたいと思いますが・・・これは多くのジュリーファンのみなさまの予想通り、ドナルド・キーン氏について歌ったものでしたね。

ドナルドおじさん・・・ジュリーよりもはるかに年上の90歳になろうというドナルド・キーン氏は、「愛する日本を放ってはおけない!」という思いもあって、日本国籍の取得(東日本大震災以前からそのことについては考えていらしたようですが)を決断。昨年3月8日に遂に日本人となりました。

「私はこれまで日本という国を悪く言ったことはない。しかしこうして日本人となった以上、これからは愛する日本のために、自分も言うべきことを言わせてもらう」

キーン氏は会見で、そう語ったのでした。
正に日本人となったばかりのキーン氏の言葉については、先輩ジュリーブロガーのaiju様が、詳しく記事に書いてくださっています。
みなさまも是非今一度、お読みになってくださいませ。

ある先輩が、新譜のリリースよりも少し前の段階で、こう仰っていました。
「昨年のキーンさんの言葉に胸を突かれたことを思い出します。ジュリーもそうだったのでしょうか」
と。
「Uncle Donald」という曲を聴けば・・・間違いありません。ジュリーもそうだったのです。キーン氏の言葉は、ジュリーの胸に突き刺さっていたようですね。
そしてジュリーはキーン氏の言葉を受け、日本人としてもう一度気持ちを新たにし、「愛するがゆえに言うべきことを言う」というスタンスをとった「ドナルドおじさん」に深い敬愛の念を抱いたのでした。

そして今回僕がこの記事でご紹介したいのは、ジュリーの以下の歌詞に絡めてのことなんですが・・・。

♪ あなたの言葉  の続き  知りたい
  A       A(onG)  A(onF#)Dm(onF)   

  手繰って紡げば糸にな   る ♪
           A        B       Esus4  E

ジュリーが曲中で「知りたい」と歌った、キーン氏の「言葉の続き」。
今年3月3日付『東京新聞』の1面記事にそれがありました。

「Uncle Donald」のジュリーの歌詞が完成したのは遅くとも今年の初め頃でしょうから、3月付の新聞掲載となったキーン氏の言葉は、ジュリーが求めた「続き」の言葉のひとつと言えるでしょう。

Uncledonald1

Uncledonald2

Uncledonald3

Uncledonald4


僕は自分が流され易いタイプだと自覚しているので、新聞については社説などの方向性が異なる複数のものを読むように心がけていますが・・・『東京新聞』には地方紙ならではの切り口があり、特に震災後は丁寧に読んでいます。
このキーン氏の記事は、上記3月3日付の第1回を皮切りに、1ケ月単位で連載されていくことになるようです。震災や原発事故のその後を徹底的に検証し報道してゆく、という紙の姿勢において、キーン氏の言葉は重要なコンテンツなのでしょう。

そして僕は、3月3日にこの記事を読みキーン氏の言葉を知ったことで、1週間後にリリースされる新曲「Uncle Donald」がキーン氏のことを歌った曲だ、とほぼ確信していたのでした。
キーン氏のような人の志に何も感じないジュリーではありませんからね。

さらに、いざ新譜を購入し曲を聴いてみますと・・・。

♪ 忘れちゃいけない 3. 11
  D    E    F#m        D   E    A   A(onG)

  「頑張ろう 日本」は  F.O.   終息 ♪
  D         E   C#    F#m  Esus4   E

これは・・・ジュリーはまるで「あなた(キーン氏)の言葉の続き」を予見していたかのようです。
”怒鳴門”キーン氏の怒りは、2013年になっても消えていません。「日本人は、被災者への気持ちを忘れていないか?」と。

「終息」などという言葉で、キーン氏を失望させた日本人。
そこでジュリーは、宣言するように歌います。

♪ Don't Cry Donald 僕たちに  失望しても
  A                G     D        A   G     F#m   D  E

  Uncle Donald 僕たちは 
  A           G     D       A

  あなたを愛し 敬     う ♪
  G         A      Esus4  E  A

キーン氏の言葉を胸に刻むことは、「被災地の人に歌を残す」というジュリーの発言(それは同時に、ジュリー自身にも向けられたもの・・・だと思います。ジュリーは、ここ2枚の作品が本当の意味で評価されるまでに時間がかかることも踏まえ、素直な気持ちで歌に向かっているように感じられます)、ひいては今回の新譜のトータル・コンセプトにも繋がり、収録曲の中で、「Uncle Donald」の歌詞に最も分かり易い形で投影されています。

「僕たちは決して忘れない」・・・そんなメッセージを力強く歌う曲。
今回の鉄人バンドが作った4曲中、ただ1曲明るいテンポとポップ性を持つ下山さんのメロディーにジュリーがこの詞を載せたことは、必然だったのではないでしょうか。

さぁ、それではこの下山さん作曲の素晴らしいポップ・チューンについて、メロディーやコード進行、アレンジの考察へと移っていきましょう。

「Uncle Donald」以外の3曲がすべてバラードということで、この曲の存在感、CD全体の流れに対する貢献度はとても大きく感じられますね。
リズムやメロディーなどの曲調ですが・・・無謀にも僕が事前の記事で「ラグタイムではないか」とした予想は見事に外れました。さすがは”全然当たらない”男です(涙)。無論、「ゆかいなまきば」とも何ら関係はありませんでした・・・。

これは過去の下山さん作曲のジュリー・ナンバーで言いますと、「心の宇宙(ソラ)」や「エメラルド・アイズ」の流れを汲むものです。
予想の段階で「Uncle Donald」というタイトルから僕の頭に浮かんでいた曲調とは違い、最初は意外に思えたけれど・・・なるほど、キーン氏のことを歌うには、ジュリーにとって明るいメロディーとハキハキしたエイトビートのリズムが最適だったのですね。

アルバム『タイム』以降のエレクトリック・ライト・オーケストラを彷彿させる、ポップ・ロック・チューン。加えて、ザ・ポリスや10CCといったバンドが持つクールな構成をも併せ持っています。
「Esus4→E」の和音に載せたリード・ギター部の感じは確かに何処かで聴いたことがあるように思うんだけど・・・現時点では曲名を特定できません。

とにかく、耳あたりが爽快で、何度も聴くうちにクセになってしまう曲。「エメラルド・アイズ」のような大胆な転調は登場しないのですが、いざ和音を紐解いてみますと、耳あたりの良さに反して、素直じゃない(褒めてます!)捻ったコード進行です。この辺りがいかにも下山さん流と言えましょう。
日頃から洋楽においても”変態ポップ”な曲調を好む僕としては、曲の持つコード感に最も惹かれるのは、新譜の中ではダントツでこの「Uncle Donald」です。ただギターで繰り返しコードを弾いているだけで、「うわ、こんなんなってるのか!」という感動があり、とても心地良いのです。

では今回も、鉄人バンドのレコーディング・トラックをすべて書き出し、演奏とアレンジの検証をしてみたいと思います。

下山さん・・・アコースティック・ギター、エレキギター(左サイド)、エレキギター(イントロ、センター)
柴山さん・・・エレキギター(右サイド)
泰輝さん・・・キーボード3種(エレクトリック・ピアノ系の音、コズミック系のオルガン、イントロ部に一瞬登場する浮遊感のあるオルガン)
GRACE姉さん・・・ドラムス

まず、下山さんと泰輝さんのイントロ(一瞬ですが)・トラックについて書いておきましょう。
下山さんのギター、泰輝さんのキーボード共に、このイントロ数秒では他トラックとは違ったエフェクト設定、音色で演奏されています。この曲では間奏のリード・ギターも左サイド(下山さんの立ち位置)に寄ってミックスされていますが、イントロのギターだけはセンターにPANが振られています。
泰輝さんの一瞬のキーボードも含め、おそらくたった数小節のイントロ・トラックのために、本トラックとは別にレコーディングされ、後のミックス作業の段階で編集されているのではないでしょうか。こういった導入部を擁する楽曲は巷に多く例がありますが、それらについてもそうしたミックス手法が主流ですから・・・。

それでは、楽曲本編の演奏トラックについてはどうでしょうか。
下山さんは「Pray~神の与え賜いし」に続き、アコギとエレキの2トラックを担当しています。皆でせ~の!の時にはアコギを弾き、後からエレキを追加レコーディングした、という順序かと思われます。

「Uncle Donald」は収録曲中唯一のフェイド・アウト・エンディングとなっています。
歌詞中では「フェイド・アウト」をキーン氏の怒りの言葉になぞらえて歌ったジュリーですが、曲がフェイド・アウトというのはまったく逆の意図で、「忘れちゃならない、何年経っても♪」という「この先もずっと」という決意を表しているかのようです。下山さんのリード・ギターが「Esus4→E」という繰り返しの進行で終わりなく続いているのがその象徴。
ちなみに柴山さん、下山さんに限らず、今回の新譜のリード・ギターについては、1曲目「Pray~神の与え賜いし」とこの2曲目「Uncle Donald」はアドリヴに近い演奏で、3曲目「Fridays Voice」と4曲目「Deep Love」は作曲或いはアレンジ段階でじっくり練り込まれたフレージングの演奏、といった感じでハッキリ2つのアプローチに分けられている、というのが僕の推測です。

LIVEで下山さんはアコギ、エレキいずれのトラックを再現するのか・・・これは「Pray~神の与え賜いし」と違い、予想に迷いはありません。おそらく下山さんはこの曲でエレキギターを持つでしょう。
「エメラルド・アイズ」のLIVEと同じ編成になるのではないでしょうか。

ただ、それだけにこの記事で熱く語っておきたいのは、アコースティック・ギター・トラックの素晴らしさです。
下山さんは、ただエイトビートのコード伴奏をしているだけではありません。

まず「Don't Cry Donald♪」から始まるAメロ部では、小節の最後から次小節の頭に向かってアクセントをつけるようにストロークを振り下ろします。

続く「忘れちゃいけない♪」からのBメロ部は、何とアルペジオによる伴奏です!
その音色の優しさ、緻密さ、美しさ、カッコ良さ・・・素晴らし過ぎます。
そしてこのアルペジオ奏法で最大に生かされるのは、「3.11」と歌われる箇所の直後の和音移動。
「A」→「A(onG)」と進行しますが、ここは本来「A」→「A7」と移動するのが一般的なアレンジです。
「A7」というのは「A」(=ラ・ド#・ミ」)に7th音の「ソ」の音を加えた和音です。下山さんはその加えるべき「ソ」の音をルートに配し、アルペジオで弾いた際に最も強調される6弦の音で演奏できるように工夫しました。それにより聴き手は、ジュリーのヴォーカルの隙間でアコギの音が「ラ」→「ソ」と下がっていくスリリングなカッコ良さを楽しむことができるのです。
これは、鉄人バンドがベースレスという特殊な編成だからこそ生まれたアレンジ・アイデアなのかもしれません。

そしてサビ。ここで満を持してガッシャンガッシャンと弾きまくります。
LIVEでこのアコギを聴きたい気持ちもあるけど・・・やっぱりこの曲のソロは下山さんがエレキを持って弾くべきでしょうからね。アコギについてはCDでじっくり味わう、ということで・・・みなさまも是非、左サイドの下山さんのアコギ・アレンジに注目して聴いてみてください。

一方柴山さんは、この曲では黒子のバッキングに徹しています。
4~6弦のダウン・ピッキングでエイトビートを強調したり、細かいカッティングでリズムに起伏を持たせたり、ジュリーの歌メロの抑揚に合わせたストロークに転じたり・・・。何てことはないトラックかもしれませんが、正に職人技。
縁の下の力持ち、頼れる兄貴といった役どころでしょうか。

しかし・・・それだけでは終わらないのが柴山さん。
みなさま、この曲のフェイドアウトが近づくに連れて、何か飛行機が飛び立つ際の轟音のような音が曲全体を包んでいくように聴こえませんか?
実はこの音が、右サイド(数日間、「左サイド」と誤って書いたままupしていました。すみません・・・)で柴山さんが弾いているギター(その残響効果を上手く楽曲全体のトラックに馴染ませたミキサーさんにも拍手!)なんです。
フランジャーというエフェクターを使って設定されたこの独特なエレキギターの音を、ロックでは”ジェット・サウンド”と呼びます。

1曲目「Pray~神の与え賜いし」は「ぎゅわわわわ♪」というワウ、2曲目は「ぎゅい~ん♪」というフランジャー。
それぞれのエフェクターの特性を最大に生かした、”ムックリ・サウンド”(←命名しました)と”ジェット・サウンド”・・・リードギターばかりではなく、バッキング・トラックにおいても柴山さんはひと味仕掛けてくれますね。

ちょっと話が逸れますけど、「Pray~神の与え賜いし」の記事で、柴山さんのワウ・ギターの音色に絡んで少しだけ触れた「ムックリ」という楽器について、先輩ブロガーさんの御記事(大先輩のTOMO様が僕の記事を読んでくださって、とても嬉しかったです!)を拝見した後で色々と思うことがあったので、ここで書いておきます。

僕が「ムックリ」という楽器の存在を知ったのは、まだ幼い頃・・・佐藤さとるさんのコロボックル・シリーズを読んだ時のことでした。
シリーズ5
作目の『小さな国のつづきの話』(個人的には1作目、3作目に次いで好きな話です)の作中に、「ムックリくん」というあだ名の少年が登場します。
その少年は、自分の心にしまっている大切な思いを否定されたことをきっかけに、10人ほどの友人達とケンカをします。もちろん多数に無勢・・・しかし、いくら突き飛ばされても、少年は無言で何度も何度もムックリと起き上がってくるので、ケンカ相手もとうとう音をあげてしまいます。
それが少年の「ムックリ」というあだ名の由来となったわけですが、物語はその後、主人公の正子先生とムックリくんの交流の中で、「ムックリ」という名前のアイヌ民族の楽器がある、という筋に繋がっていくのです。

どんな逆境でも、何度も立ち上がる・・・。
「よみがえれ僕たちよ♪」とジュリーが歌うまさにその箇所から柴山さんの「ムックリ」の音色に似たワウ・ギターが絡んでくるというアレンジは・・・まったくの偶然なんでしょうけど、困難に直面している人々が寡黙に立ち上がる姿、「何度もキュンとさせて」くれる姿と、佐藤さとるさんの名作に登場するムックリくんの姿とが僕には重なり合うように思えてきて、改めて感動をもって「Pray~神の与え賜いし」の柴山さんのギターに聴き入った次第です。
(ちなみに僕はつい昨年、栗コーダー・カルテットさんのLIVEで初めて、生のムックリの演奏を体感しました)

話を戻しまして・・・「Uncle Donald」については、CDのフェイド・アウト・エンディングをLIVEでどのように再現するか、というのも夏からのツアーのひとつの見所だと思いますが、それはすなわち、柴山さんのエンディング部でのエフェクト設定がどの程度再現されるのか、されないのか、ということでもあります。
せっかくですから、柴山さんのジェット・サウンドを生で聴いてみたいなぁ。
この音はマルチではなく単体のフランジャーをセットして作り上げているように思えます。その辺りも確認してみたい・・・もの凄い神席でなければ、そこまでは見えませんが。

で、カズラーのみなさん!
柴山さんならば、この曲はほとんどフレットに視線を落とさずに演奏可能です。
つまり、顔を少し上に向けた状態の柴山さんがにこやかにお客さんチェックをするのは、新譜の中ではおそらくこの曲・・・こちらからも要・逆チェックですよ~。

泰輝さんのキーボードは、イントロを別にすると2種類の音を使い分けています。
AメロとBメロで渋く活躍するのが、エレクトリック・ピアノ。軽快に跳ね回る、ちょっとヤンチャでオシャレ、という感じの音ですね。泰輝さんがリスペクトするビリー・ジョエルの曲で言うと、「ロスアンジェルス紀行」のエレピの音色に近いかなぁ。
昨年、同じようなテンポとビートを擁した「F.A.P.P」では、ハッキリしたピアノの音で力強さを表現した泰輝さんですが、今年の「Uncle Donald」ではいかにもエレピ、といった音色を採用し、軽やかさを重視したアレンジとなりました。
しっかりとジュリーの歌詞、下山さんの曲調に呼応した音色設定は、さすが泰輝さんです。

もうひとつの音色は、コズミック系のオルガン。こちらについてはまたまた熱く語らねばなりません。
僕は、今回の新譜での鉄人バンドのアレンジで、「ユニゾン」というのがひとつ大きなキーワードになっていると感じています。
先日の「Pray~神の与え賜いし」の考察記事では、あの激しい間奏でのGRACE姉さんのスネア・ドラムに、ユニゾンのリズムでそっと寄り添う柴山さんのバッキング・ギターについて書きました。
この「Uncle Donald」にも、鉄人バンドのユニゾン・アレンジもアイデアがあります。

この曲のサビ部は「A」→「A(onG)」→「A(onF#)」とコードが進行していきます。「A」(=ラ・ド#・ミ)の和音はそのままに、ルート音だけが「ラ→ソ→ファ#」と下降するのです。

サビ部で下山さんは、「A」コードの構成和音に基づいて、エレキギターで「ド#ラシラ、ド#ラシラ・・・」と単音のリフレインを弾きます。このエレキギターのリフとまったく同じ音階で寄り添っているのが、泰輝さんのオルガンなのです。

各収録曲でここまでユニゾン・アレンジの手法が重なっていることは、やっぱり鉄人バンドがメンバー全員で、ジュリーの歌詞を解釈しつつ編曲作業に取り組んだ結果としか思えないのです。それは、「忘れない」「寄り添う」「共にいる」というコンセプトではないでしょうか。
ですから今回の『Pray』収録曲は、各メンバー個人の作曲→ジュリーの作詞→鉄人バンドによる編曲、という流れの順で制作されたのでは、と僕は推測しています。

当然、この先の「Fridays Voice」や「Deep Love」の記事でも、こうしたユニゾン・アレンジ(「Deep Love」の場合は若干ニュアンスを異としますが)について書かせて頂く予定でいます!

GRACE姉さんのドラムスは、エイトビートの正攻法です。ただ、同じ正攻法の「Pray~神の与え賜いし」が、LIVEでもCD音源とほぼ同じフレージングで演奏しないと成立しないテイクであったのに対し、「Uncle Donald」の方は自由度が高いテイクと言えます。

「だん、つ、だ、だん♪」というキックの音も良いですが(特にBメロ)、僕がこの曲のドラムスで一番惹かれるのはライド・シンバルですね。
それまでハイハットで刻んでいたエイトビートが、サビ部でライド・シンバルに引き継がれます。そこで無機的に8つ打ちをするのではなく、表拍にアクセントを持たせています。一瞬4つ打ちに聴こえるくらいの、ハッキリした強弱の正確な表現です。
それが一転、サビ後の「Esusu4→E」の循環する和音に載せたコーラスとギターソロの間奏では、ライド・シンバルのトリッキーな裏打ちの強調が繰り出されます。1’49”あたりの打音が聴き取りやすいでしょうか。
このあたりはフレーズを決めての演奏ではないでしょう。LIVEでどのように変わってくるのか、というのも興味深い見所です。

最後に、ジュリーのヴォーカルについて。
この曲の最高音は、Bメロに登場する高い「ファ#」の音。これはジュリーが気合を入れずに(と言うのもおかしな言い方ですが)自然に発声できる音域の上限くらいの高さなのかな。
その半音上の「ソ」になると、さすがのジュリーにも苦労するシーンが見受けられます(昨年ツアーでの「ス・ト・リ・ッ・パ・-」のサビ部など)。
まぁ最高音がどうあれ、「Uncle Donald」を音源と同じキーで通しで歌ってみて分かるのは、聴いた印象以上に男声にとってはかなりキツイ音域の曲だということです。この曲でのジュリーの声は、本当に自然で力みが無いように聴こえるんですけどね。

みなさま同じことをお感じと思いますが・・・この曲のヴォーカルの白眉は何と言ってもBメロ「忘れちゃいけない♪」の語尾の「い」ですよね~。ジュリー・ヴォーカルの得意技、最強の表現でしょう。
この表現はオールウェイズ期、エキゾティクス期に多く見られることもあって、伊藤銀次さんあたりが大喜びしそうなヴォーカル・テイクなんですけど・・・銀次さん、ジュリーの新譜聴いてるかなぁ。

個人的にこの曲は、生のLIVEで先輩方が客席でどう反応するか、というのも楽しみにしているんですね。僕としてはその場で先輩方のリアクションに合わせるだけなんですけど、手拍子なのか、じっとしているのか・・・まったく予想がつきません。
1週遅れで参加となった『BALLAD AND ROCK'N ROLL』では、「エメラルド・アイズ」のイントロを機にお客さん総立ち、と意表を突かれるパターンがありましたが・・・ひょっとしたら今年のツアーでは、それまで着席状態だったのが「Uncle Donald」で一気にスタンディング、なんてこともあり得るかな?

下山さんの軽快なポップ・チューンに載せた、ジュリーの妥協なき流儀。
ドナルド・キーン氏のことを歌ったこの歌詞が、「僕はこう!」というジュリーの主張が新譜収録曲の中で最も激しく表に出ているのでは・・・と僕は感じています。

ただ僕は、「絆は消えゆく傷」という表現に、まだ戸惑いを持っています。もちろんジュリーが意図したところは何となく分かるような気がしているのですが・・・ストン!と落ちる明快な解釈が僕の中では降りてきていません。
LIVEで聴けば、何か掴めるかな・・・。


さて、冒頭に書いたように僕は今週末、初の音楽劇を体感する予定でが、そちらのレポート(自分がお芝居のジュリーにどういう感想を持つか、まったく予想できません。本当に初めてですから・・・)は、『Pray』全曲の考察記事を書き終えた後にしたいと考えています。
次回、「Fridays Voice」の記事でお会いしましょう!


(追記)

僕は普段テレビドラマとか全然見ないんですが、昨夜放映の『最高の離婚』で、主役の瑛太さんが「君をのせて」を歌うシーンがあったそうですね。
『サマー・タイムマシン・ブルース』の映画版で知った瑛太さんは、個人的に好きな俳優さんの一人。

昨年僕は、とある結婚パーティを迎えた新郎から「新婦に向けて1曲歌いたいのでアコギで伴奏してくれ」と依頼され、「ジュリーを歌え」と条件をつけて承諾したことがありました。
となると、曲は当然「君をのせて」ということに落ち着きますわな~。

新郎の彼はメチャクチャ歌が上手いヤツなんですけど、まぁそんな完璧にカッコつけさせるのも癪だし面白みに欠けるじゃないですか。
伴奏はアコギ2本。単音(リードギターね)を担当することになった後輩と2人でしめし合わせて、ちょっとした悪企みをやらかすことに。

前々日のスタジオのリハーサルでは何食わぬ顔でオリジナル通りのハ長調で演奏していたのを、本番ではいきなりニ長調(ハ長調より1音高い)からスタート。しかも最後のサビは半音上がりではなく1音上がりの転調にアレンジしました。
そうすると最終的なキーはホ長調となり、最高音は高い「シ」の音まで跳ね上がります。そんな高音、ジュリーですらそうそう簡単には出せません。

最高音が登場するのがまた、「ああ~ああ君を~♪」という、曲中で一番イイところなんですね~。
新郎君、「こんなハズでは・・・!」と顔を真っ赤にして熱唱・・・いや絶唱するも、最後の「ああ~ああ♪」では、期待通り2回のリフレインとも見事なまでに声をひっくり返して、場内は爆笑に包まれたのでした。

でもね・・・新婦さんは笑いながらも感激の涙を見せてくれましたよ。
要は、この「君をのせて」という曲・・・当然ながら皆がジュリーのように美しく歌えるわけではないんだけど、どんなに下手であろうと、高音が出なくとも、シンプルに愛を表現しようとする時必ずその気持ちが伝わる歌なんだ、と思うんです。

こんな不朽の名曲がソロ・デビュー・シングルだったというのは、ジュリー奇跡の歌人生において、やっぱり特別なことですよ!

瑛太さんは歌は本業ではないし、決して上手く歌えてはいないと思うんです(見てないけど)。
でも、絶対伝わる。
「君をのせて」ってそういう曲なんです。選曲を担当されたドラマのスタッフさんには、大きな拍手を送りたいですね~。
瑛太さんが歌う「君をのせて」、見てみたかったな・・・。

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2013年3月15日 (金)

沢田研二 「Pray~神の与え賜いし」

from『Pray』、2013

Pray

1. Pray~神の与え賜いし
2. Uncle Donald
3. Fridays Voice
4. Deep Love

-------------------

新譜『Pray』。
今年もまた、ジュリーの祈りが届けられました。

聴き手の身体に直接ぶつかってくるような、圧倒的なジュリーの歌声。
適当な言い方ではないのでしょうが、ジュリーに「分かってんのか!」と諭されたような感覚が、まず最初はあって・・・。
なかなか真っ直ぐ向き合う体勢に持ち込めない凡庸な自分がもどかしいながらも、何度も何度も聴くうちに、少しづつ何か確かなものが心に積もっていくような・・・今はそんなふうに感じています。

これまで、ジュリーを語る時に僕はよく「矜持」という言葉を使ってきました。
これは僕自身が20歳くらいあたりから父親に何度となく「矜持を持て」と言われてきたこともあって、身近な言葉だったからかもしれません。
ただ、その言葉の意味を完全に掴んでいたかと言うと、甚だ心もとない状態で。
「信念」と言うと少し違う気がしますし、「プライド」と言うと全然違う気がする・・・そんな曖昧な考えのもとに、自分に無いものを持っているジュリーを見て「矜持」「矜持」と僕は容易く連呼していたように思います。

新譜を初めて聴いて、まず最初にガツン!と飛び込んできたジュリーの歌詞は・・・。

♪ 澄み渡る 矜持あり
  E     C D      C    D

  誰  かに      示すことではな    く ♪
  C#m  C#m7(onB) A       C      Bsus4  B7

「矜持」とは、誰かに示すことではない。
ひけらかすようなものじゃない。

ただ・・・「澄み渡れ」、と。

凡人の身にはなかなか届かない境地ではありますが、ジュリーの歌詞の一節から、その言葉の真の意味に少しだけ近づけたような気がします。


僕は今年も、ジュリーが届けてくれた新曲の1曲1曲を、僕なりのベストを尽くして記事に書いていきます。
ただ、今日の記事は新譜について書く第1回ということになりますので、アルバム全体の印象、購入までのいきさつなどに触れてから本題に入ろうと思います。前置きが長くなりますが、どうかおつき合いくださいませ。

ジュリーの新譜『Pray』を、僕はアマゾンさんで予約していました。
しかし結局、発売日を前にした1月10日の正午過ぎ、僕は銀座山野楽器さんで平積みされていた中の1枚を購入していたのでした・・・。

昨年の『3月8日の雲』は・・・おそらくアマゾンさんで初回入荷設定数の読み違いがあったのでしょう、予約した多くの人が、発売日から数週間経たないと発送されないということがありました。僕もその一人で、待ち切れずに翌12日に店頭で買い求め、遅れて届いたアマゾンさんからの商品を、そのままJ友のYOKO君に引き取ってもらいました。
今年はさすがに去年のようなことはないだろう、と考えていたのですが・・・。

発売日前日の10日になっても、アマゾンさんからの発送メールが来ません。
(註:実はこれは自業自得・・・と言いますか完全な自分のミス。デヴィッド・ボウイの新譜と同時に予約注文し、うっかり2点同時発送の設定にしてしまっていたのです・・・。アマゾンさんが後から発送してくださったCDは、封を開けずにYOKO君に引き取ってもらいます

(後註:デヴィッド・ボウイの新譜の方も素晴らしかったです。80年代以降のボウイのアルバムの中では一番好きです!)


とにかく、どうしても3月11日に聴きたい、という思いがあったので焦りました。
そして、9日の時点で購入を済ませていらっしゃる方もたくさんいらして、そのお一人、keinatumeg様が「1曲入魂」とのレビュー記事を書かれていたのを拝見するに及び、遂にいてもたってもいられなくなってしまいました。
「通常のCDは流れを考慮し、個々の曲に押し引きありで構成されているが、今回の新譜は1曲完結の印象」
と、keinatumeg様は感想を書いていらっしゃいました。

これは・・・鉄人バンドメンバーの作曲アプローチがバラードに片寄ったか!
・・・などとあれこれ想像するうち、「一刻も早く聴きたい」という欲求に抗えなくなった僕は、フラリと『Pray』を求めて街へ出かけてしまったのでした(ちょうど帰る頃にあの凄まじい砂嵐に出くわし、電車も止まってしまい大変でした・・・)。

銀座山野楽器さんで無事に購入。

Yamano


(銀座山野さんで新譜を購入なさったジュリーファンの方々は多かったと思いますが・・・さすがのディスプレイでしたよね!)

本来、翌11日になってから聴くべき作品かとは思いましたが、実際手にしてしまうともう我慢がききません・・・。丸の内線で銀座→池袋を地下鉄で移動する間、ちょうど4曲すべてを1度聴くことができました。

最初の1回を聴き終えた時点での感想は、去年とほぼ同じでした。
ジュリーの歌声、歌詞にただただ圧倒されるばかり。受け止めるのに必死。
そして何度か繰り返して聴くうち、やっと和音構成やアレンジ、そして素晴らしい演奏に耳がいくようになり・・・。

凄い!
まさに1曲入魂です。
その演奏、アレンジは、ジュリーと鉄人バンドでなければこうはなり得ない、というレベルにまで達しています。
何でしょう、この一体感は・・・。

ジュリーは今、世間のどんなバンドよりも、バンドとしての音楽に取り組めている・・・そう思えます。

ぴょんた様が「今回は編曲のクレジットが無いですね」と気づかれました。
昨年までは、作曲者の鉄人バンドのメンバーが編曲のクレジットも兼ねていましたよね。それが今年は無表記となりました。
これはもう、「編曲・ジュリーwith鉄人バンド」ということに他ならないでしょう。

すべてのメンバーの音が繊細に、エキサイティングに重なり合い、ジュリーの歌と一体となる完成度。もちろん伊豆田さんのコーラスもその域にあります。
『涙色の空』から前人未踏の地へと踏み出したジュリーと鉄人バンドはとうとう、ここまでのバンド・サウンドを築き上げたのです。
何の無理も何の誇示もない・・・ジュリーが「歌いたいことを歌う」ことで、誰も届かないほどの高みに自然と駆け上がった、ジュリーと鉄人バンドの音楽。

ジュリーのヴォーカルと歌詞はもう・・・いくらジュリーが自分を「普通の人」と言っても、やっぱり普通じゃないですよ。
こんなに凄い、特別な歌人生を歩み続けている人はいない、と思ってしまいます。

おそらく、「今年も”Pray For East Japan”のテーマで」とのジュリーの依頼を受けた鉄人バンドの曲が出揃ったのは、昨年末から今年始めにかけて・・・あたりでしょうか。
それを受けてジュリーが取り組んだ作業は、「作詞」という感覚ではなかったかもしれませんね。鉄人バンドの作った新しいメロディーを聴いた瞬間、ずっと心に留めておいた思いが開放されて、言葉となって溢れ出す・・・そんな感じだったのではないでしょうか。

そして僕らジュリーファンは、魂の大名盤をまた今年も聴ける。これからまだまだ、聴くたびにきっとどんどん凄くなる。

本当は、それを真に実感するまでじっくり時間をかけてから楽曲考察に取り組みたいところですが・・・そこまでに至るのは、いずれ生のLIVEで体感してからのこと。
今は今の僕が出来うる限りの力を注いで、今年の4曲に対峙し記事にしようと思っています。

今日はその1曲目。
女性らしいGRACE姉さんの優しいメロディーに、ジュリーと鉄人バンドの切実な思いが荘厳にシンクロしたバラード。
「Pray~神の与え賜いし」・・・至らぬ考察ではありますが、とにかく全力で伝授させて頂きます!

♪ 寡黙な人の声 耳済ませば
  E           B       A          E

  復興を 宴に  するなと嘆く ああ ♪
  C#m       F#m7  A            B  Baug

「寡黙な」と言うと思い出されるのが、昨年の「
カガヤケイノチ」のフレーズ。
とすれば今年の新譜1曲目「Pray~神の与え賜いし」は、「カガヤケイノチ」で歌われた人達の続きを描いた歌なのでしょうか・・・。

新譜4曲すべてについて言えますが、ジュリーが歌っているのは「今」。2011年3月11日を踏まえての、人々の「今」です。
僕は、「復興を宴にするな!」と嘆いていた方を知っています。もうその方の声は何処にも残っていません・・・残されたのは、寡黙。

「カガヤケイノチ」を連想したのは、歌詞のフレーズばかりではありません。この「Pray~神の与え賜いし」も「カガヤケイノチ」と同じ、祈りのワルツ・バラードなんですよね。
しかし今回は、ハッキリした「ブン、チャッ、チャッ」のワルツよりも、ロッカ・バラードの譜割りに近いです。でも、「12/8」のロッカ・バラードとも言えません。
スコア表記するなら、「6/8」のワルツでしょう。
僕は新譜の楽曲内容予想記事で、GRACE姉さんは穏やかな長調のバラードを作曲したのではないか、と書きましたが、それは当たりました。でも、ワルツという想像以上に穏やかな曲調までは、考えていませんでしたね。

そう、この曲はとても穏やかで、優しい曲なんです。
アレンジを抜きにして、ただAメロの旋律だけを追ってみてください。まるで童謡のように穏やかで、涼やかで、優しい曲だと感じられるはずです。
同じワルツの曲で、あの震災以降多くの人に歌われいっそう愛されるようになった「ふるさと」という童謡がありますが、メロディーの持つ優しさは、本当にそんな感じです。GRACE姉さんの今回の作曲は、深い思いを土地の風景描写のようにして託した・・・そんなアプローチではないでしょうか。
この曲がアコギ伴奏とコーラスを軸として賛美歌のような出だしになっているのには、そんな意味もあるのかなぁと思います。

ただそこに(GRACE姉さんも望んだことなのでしょうが)、遅々として進まぬ復興への強い苛立ちや迷い、悲しみがまずは加味されます。それはジュリーの1番の歌詞にもあり、また鉄人バンドの間奏アレンジにもあります。

それではここで、鉄人バンドの演奏、全レコーディング・トラックを書き出してみましょう。

GRACE姉さん・・・ドラムス
柴山さん・・・エレキギター(右サイド)、エレキギター(センター)
下山さん・・・アコースティック・ギター、エレキギター(左サイド)
泰輝さん・・・キーボード3種(鉄琴系の音、オルガン、硬質なストリングス系の音)

(ツアー初日後註:どうやら鉄琴系の音は泰輝さんの演奏ではなく、GRACE姉さんのビブラフォンだったようです)


お気づきのように、昨年の『3月8日の雲』収録曲の考察記事では
「これはたぶん柴山さん、これはたぶん下山さん」
としていたそれぞれのギター・トラックを、今回はハッキリ断定して書かせて頂いています。
これは『3月8日の雲~カガヤケイノチ』ツアーに参加して「やはりそうか!」と確信を得たところによるもので、どうやら『涙色の空』以降のジュリーの4曲入りマキシ・シングルは、基本として(リード・パートが中央にPANを振られる場合はあるものの)ギタリストの演奏トラックが、LIVEでの立ち位置通りにミキシングされているようなのです。
つまり、ヘッドフォンで聴いた時・・・LIVEで上手に立つ柴山さんの演奏は右側から、下手に立つ下山さんの演奏は左側から鳴っている、というミックスです。
(ただし今回も、「Deep Love」の中にひとつだけ、自信の持てないトラックがあります。その点については「Deep Love」の記事にて書かせて頂きます)

ミキシングというのは縁の下の力持ち的な作業で、決して派手に表に出ることはありませんが・・・ジュリーと一体となり、リスペクトを持って寄り添っているのは演奏者の鉄人バンドのみにあらず。ミキサーさんもそうなのです。
ジュリーは今、本当に信頼できるスタッフに囲まれている・・・僕はこの記事の場を借りまして、左右バランスのことばかりに限らず、この大名盤を深い思いの共有とともに仕上げてくれたミキサーさんにも、大きな拍手を送りたいと思います。

話を戻します。

こうなると、この曲が夏からのツアーで演奏された時にまず注目すべきは、レコーディングではアコギ、エレキの2トラックを担った下山さんがどうやって楽曲全体の演奏を一人で再現するのか、ということ(キーボード3種の音色については、泰輝さん一人で演奏可能。柴山さんの2トラックについては後に語ります)です。
これは・・・昨年の「カガヤケイノチ」に引き続いての、下山さんのアコギ→エレキ持ち替えシーン再現も充分あり得ますよ~!

持ち替えないとしたら、全編アコギということになるのでしょうか。やはりこの曲の1番では、どうしてもアコギの音が必要でしょうから・・・。ヴォーカルとコーラス・パートを優しく先導する、暖かな伴奏ですよね。
でも、2番以降のエレキでのバッキングもしみじみ良くて、到底捨て難い・・・。
例えば、コーラス(後註:更新段階ではフランジャーと記しましたが、改めて聴き込むとどうやらコーラスのようです。アンプがジャズコなのかもしれません)に軽めのディストーションをかけ合わせた音色のアルペジオ。下山さんは今回の新譜で、他の曲でもこのエフェクト設定を採り入れています。

穏やかなメロディーに加味された、苛立ちや憤り・・・それをジュリーの歌詞同様に強く表しているのが、1番が終わったと同時に狂おしく噛みこんでくる柴山さんのリード・ギターでしょう。
昨年の「恨まないよ」をも上回るような、激しい慟哭のギターです。

この曲はホ長調ですが、Bメロではト長調のニュアンスが加わります。「ド・ミ・ソ」(=ト長調のサブ・ドミナント)→「レ・ファ#・ラ」(=ト長調のドミナント)と進行する箇所です。
この2つの和音は、ホ長調の穏やかな曲調をその一瞬だけ尖らせる効果があります。そして柴山さんのリード・ギター部は、そのBメロと同じ和音進行の長尺となっていて、溜まりに溜まった思いを一気に吐き出しているかのような印象を聴き手に与えます。
今から、ステージの柴山さんに当てられる照明と、渾身に猛るソロを奏でる雄姿がとても楽しみです。

また間奏のリード・パート以外では
「よみがえれ僕たちよ♪」
と最後のBメロを今度は希望の祈りに替えて歌うジュリーの後ろで、密かに炸裂するワーミーな情念のバッキングにも、是非注目したいと思っています。
(後註:先輩のブロガーさんも、この音が気になる、と書いていらっしゃいました。確かにムックリみたいな音!その実は、柴山さんのワウ・ギターの音です)

出だしのアカペラっぽい構成を引き継ぐかのような、泰輝さんの荘厳なオルガンがまた素晴らしい。
柴山さんの間奏部では、Bメロの旋律をこのオルガンが復唱するようなアレンジになっていますね。

さらに、硬質なストリングスの音・・・ストリングスとは微妙に違うんだけど、オーケストラのように曲を包み込む音(1番Aメロの2回し目から薄く噛みこんできます)があります。エンディングでたったひとつこの音色だけが美しくも優しく残るので、このキーボードの音に強い印象をお持ちのかたが多いのではないでしょうか。
もちろん1番に登場する鉄琴系の音やオルガンと、このストリングス系の音は同時弾き(ストリングス系の音が下段のセッティングになるかな?)。
泰輝さんの”神の両手”が今年も間違いなくステージで炸裂することでしょう。
加えてこの音は、楽曲全体の低音をカバーする役割も果たしているようです。

そしてGRACE姉さんのドラムス。
間奏部のスネアのアタックから、ヴォーカル部では正統派の刻みへ。とりたてて難しい演奏をしているわけではないのに、この力強さと優しさはどうでしょう。
全収録4曲の中で、自らの作曲作品が最も女性らしい演奏で、最も上品で正攻法なのです。心を晒した直球です。
これこそが、詩人の魂と歌心を持つGRACE姉さんのドラムスですよ!

確かに、間奏部のリードギターとドラムスは、ジュリーの歌詞「不公平すぎます」「理不尽です」といったフレーズを受け、やり場のない感情が溢れる、不穏なフレージングとなって表現されています。
しかし、GRACE姉さんのその不穏なスネアのリズムは、「3月8日の雲」や「恨まないよ」で聴かれた”どうしようもない””ただただ悲しい”といった負のイメージよりも、優しさや健気さの方が上回っています。
これはもちろんGRACE姉さん自身の思いによるところもあるのでしょうが・・・ひとつ、鉄人バンドのさりげないアレンジの工夫があることにみなさまお気づきでしょうか。

バンド唯一の女性であるGRACE姉さんの不安や悲しみに、そっと影から力強く寄り添う音。

間奏部、右サイドに注意して聴いてみてください。
柴山さんが、GRACE姉さんのスネアのアタックと寸分違わないリズムで、ディストーション・ギターでのユニゾンのバックアップをしているのです!
ヘッドフォンに不慣れですとなかなか聴き取りにくいかもしれませんが、このアレンジは「Pray~神の与え賜いし」で最も感動的なアイデアだと僕は感じています。
不安の中にいる人を、決して一人にしない。寄り添い、祈る・・・そんな柴山さんの演奏ではないでしょうか。

つまり、柴山さんも下山さん同様に、この曲で追加ギター・トラックの重ね録りをしていることになります(おそらく間奏リード・ギターが一番最後の録音。ジュリーのヴォーカルよりも後のレコーディングであった可能性もあります)。
LIVEでは、この間奏部右サイドのバッキング・トラックはどう再現されるのでしょうか。下山さんがサッとエレキに持ち替えてフォローするのか、それとも割愛されてしまうのか・・・。

いずれにしても、この「Pray~神の与え賜いし」という曲は、優しく穏やかな祈り、寄り添う思いを感じさせるアレンジをまず目指しているのではないか、と考えているところです。

そして、ジュリーの歌詞もきっとそうなんです。
1番で歌われる苦しみ、悲しみ、不安を受けての間奏からいざ2番に入ると、詞の内容はガラリと変わります。長い道のりではあるけれど「粘り切り拓ける、時は味方」なんだ、とハッキリ希望を指し示しています。
時は味方・・・「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」ですね。その気持ちを少しでも多くの人が持つこと、なのでしょう。
1番で憤りや苦しみを歌ったからこその、2番の希望。

1番の「憤り」という点で言うと・・・歌詞中に、「かの人」の「天罰」なる発言が登場します。
実は僕は「かの人」石原氏については、複雑な思いを持っています。

福祉都政について・・・氏の、この場合においての「強き者が弱き者を助けるのは当然」という信念は、尊敬しています。

(先の都知事選で、応援していた宇都宮氏が、前任者石原氏の都政を「福祉切り捨て」と発言したと知った時は「これは勝てない」と思ってしまいました。他都道府県を凌ぐ石原氏の福祉政策に助けられ感謝している社会的弱者の方々とそのご家族・・・そんな多くの都民の浮動票がこれで望めなくなった、と考えたからです。宇都宮氏ほどの人がそんなスタンスに立たねばならないのが選挙戦というものなのかもしれませんが、「前任者の良いところは良いところとして認め引き継ぐ」とひとまず明確にした上で、氏本来の政策を掲げて戦っていれば、投票結果は大きく違ったのではないか・・・と、これはあくまで私見です)

しかしながら石原氏の、「天罰」「些細なこと」「単なるセンチメント」「戦争するぞ」等の発言は、僕にとってはまったく受け入れ難いものです。それこそ、氏が「弱者切り捨ての人だ」と思われたとしてもこれは仕方ない・・・。
ただ「Pray~神の与え賜いし」でのジュリーの歌声を聴くと、「それを怒っているだけではダメなんだ」と言われているように感じます。
怒ることよりも大切な感情があるだろう、と。

僕は昨年の「単なるセンチメント」発言の時は、烈火の如く怒りました。ジュリーの気持ちを「単なる」などと言い捨てるのか、と。
でもそのすぐ後、ジュリーならば「単なるセンチメントの何が悪い?」と涼やかに応えるのではないか、と考え直しました。これは、どの曲のお題の時だったかなぁ・・・記事にも書いたことがあります。
ジュリーについてそう考えるのは、僕自身が「これが僕の気持ちだもの」と言えるかどうか、ということにも繋がっていくのかもしれません。

神が罰など与えるものか。
ジュリーに澄み渡る矜持あり。

それにしてもジュリー、「のたもうた」とはまた、かなり強烈ですよね。
現代で「のたもうた」と言うとそれは、「偉そうに言ってくれやがった」くらいの意味なのでしょうから・・・。

さて、予言しておきます(と、僕などが言わずとも・・・ジュリーファンのみなさまの感性はそれを逃がしはしないでしょうけど)が、CDで聴いた時と生のLIVEを体感した時とで、今回の収録曲中最も印象が変わるのは、この1曲目「Pray~神の与え賜いし」だと僕は考えます。

CDリリース直後の段階で、いくら僕がここで「この曲は優しい曲だ、穏やかな曲だ」と語っても、やはり1番の歌詞や、間奏の荒ぶるリードギターのイメージは相当強く、ある意味「怖さ」を感じながらこの曲に聴き入る方々も多いと考えられます。
それが生のLIVEで歌われ演奏されると、ジュリーのヴォーカルは何処までも優しく、激しい間奏はむしろ美しさをもってすべての人に聴こえるのではないでしょうか。
「Pray~神の与え賜いし」はきっとそういう曲だ、と僕は思っていますが・・・考察が甘いでしょうかねぇ。

今回の新譜では、昨年の『3月8日の雲』収録曲のような、驚異的な高音のメロディーは登場しません。
例えばこの「Pray~神の与えし」の最高音は、高い「ミ」の音。男声としては高いことは高いですが、ジュリーならば余裕で歌える音域です。
長いツアーを通して「歌いきる」ことを重視してそういう設定にしたのか、それとも鉄人バンドの作ったキー通りに歌って結果的にそうなったのか・・・それは分かりません。
しかしこれで、夏からのツアーでの新譜4曲が、最大の表現力と最大の感情と至高の歌声で届けられることは間違いないでしょう。
特にこの「Pray~神の与え賜いし」では、お客さんの様々な不安が癒され、会場全体が穏やかな感動に包まれることを期待しています。

「遂げる日」とはどんな日か。
ジュリーは最後にこう歌います。

♪ 神の与え賜いし 運命だと
  E           B         A        E

  いつか思える日を 与え賜 え
  C#m          F#m     A    B  E

  いつか思える日を ♪
  C#m          F#m


現状では、とてもそんなふうには思えない。でも、そう思える、遂げられる日がいつかきっと来ますように・・・。
それがジュリーの「Pray」=復興への祈り。そして聴き手へのメッセージ。
やっぱりこの曲は、「カガヤケイノチ」から続く、希望を示した歌だと僕は思うのです。

「祈り」と言えば・・・僕はつい先日、「護り給え」と祈る記事を個人的に書かせて頂きました。
病と闘っていらっしゃる先輩は、まだまだ難しい病状ながらも、その後お医者さんが「峠は越えた」と言ってくださった、と娘さんが再度近況をお知らせくださいました。
会話での明確な意志疎通や、身体を動かすことなどは未だなかなか難しいようですが、娘さんがジュリーの新譜を聴かせてあげると、先輩は笑顔を見せていらしたそうです。

多くの人が強い思いを重ねれば、祈りが届いて叶うことがある・・・ジュリーの「祈り」という曲への思いも合わせ、僕はそう信じます。

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2013年3月13日 (水)

『ロックジェット』 51号!

前回記事でコメントを閉じる設定にさせて頂いていたからでしょうか、なんだかちょっとお久しぶり・・・な感じがしています。

みなさま、もうジュリーの新譜『Pray』はお聴きになりましたか?
僕はもう軽く50回以上は聴きました。昨年に続き、素晴らしい大名盤です。確かに重い・・・でも素直に「これは凄い!」と思います。

今、東日本大震災後を採り上げたテレビ番組では、風化の問題が報じられています。
阪神の震災を経験しているカミさんは、「震災からたった2年で風化の問題なんて、あの時は聞いたことがなかった」と驚いています。
それが今回は・・・。

何故でしょう。人の心が変わってしまったのでしょうか。

そんな時、もし自分がジュリーファンでなかったら、とハッとする思いがよぎります。でも、少なくともジュリーファンにとっては、東日本大震災の風化などありえません。
風化する世間の流れに立ち向かった新譜・・・ひとことでは言えませんが、『Pray』にはそんなコンセプトがあるのかな、とも思います。

その分、楽曲考察記事を書くのは大変です。
今、1曲目「Pray~神の与え賜いし」の下書きに取り組んでいます。書きたいことも大体固まってきて・・・記事完成まで、もうひと息といったところ。
いずれにせよ、この先の新譜4曲のお題記事は、やはりそれなりに重い内容になるかと思っています。

今日はその前にひとつ、楽しい話題で一旦更新をしておきますね・・・。

明日14日の発売日を多くのタイガース・ファンに待たれている、『ザ・タイガース再結成』を巻頭特集に組んだシンコー・ミュージックさん発行のムック。

『ロックジェット』 51号!


この素晴らしい本を、強力プッシュいたします!
(註:本の具体的な記事内容や掲載フォトについて、ここではネタバレしておりません。その点、安心して読み進めてくださいませ)


Rockjet51

僕はいち早く入手し、読むことができました。
この若造が畏れ多いことではありますが、音楽書籍に関してだけは、仕事上の恩恵に預かることができます。先輩方に先んじてしまい、申し訳ありません。
今日のうちに市場流通されたという情報を得ましたので、僭越ながらいざご紹介!とさせて頂きます。

『ロックジェット』というのはかなりカルトな本で、タイガース・ファンの先輩方の間では馴染みが薄いらしく・・・特集内容や記事構成について不安視のお声も聞きますので、僕なりにその辺りを簡単に説明して、払拭できれば・・・と。

まず気をつけて頂きたい点・・・これは、決して若虎の写真やデータが満載、という類の本ではありません。カルトなロック雑誌の巻頭特集にタイガースが採り上げられている、という感じ。
全体のページ数の3分の1ほどが特集として組まれていて、そのほとんどがロック・パーソンなプレイヤー、アーティストやライターさんのインタビュー、評論です。
それぞれの観点から浮かび上がるタイガース像は、これまで僕がタイガース関連の書物で目にしたことのないほど、ロックに特化した記事となっています。

後追いの僕には信じられないことですが、タイガースは活動当時「あんなのは音楽じゃない」などと大人達から言われていた、と先輩方から聞いています。
しかし今・・・こうした形で”ロックバンド、ザ・タイガース”が正当に評価される時がやってきました。当時”少年”だったロッカー達が”大人”となり、少年のままの熱い思いをもって語り始めたのです。

『ロックジェット』のカルト性について少しお話しますと・・・例えば我が家には『クイーン特集号』(31号)がありまして。

Rockjet31_2

これがただ単にクイーンについて、という切り口ではなく、トコトンまでファースト・アルバムについて考察、検証しているという・・・。
『オペラ座の夜』でも『華麗なるレース』でも『世界に捧ぐ』でもなく、またマニアックなクイーン・ファンの間で支持の集中するセカンド・アルバムや『ジャズ』でもなく、ファーストを語り倒す・・・これをカルトと言わずして、何と言えましょうか。

『ロックジェット』って、そういう本なんです。
ですから、タイガース特集号の告知には正直驚きや不安もありましたよ・・・。でもいざ読んでみて、何も心配することはなかったんだなぁ、と。
ザ・タイガースは、『ロックジェット』の切り口で語られるにふさわしいバンドでした。まぁ、当然と言えば当然なんですけどね。

さて、今回の『タイガース再結成特集号』・・・もちろん目玉は、我らがピー先生のロング・インタビューです。
インタビュー自体も読みごたえ充分ですし、現在のピーの写真がカラー、モノクロ合わせて14枚。老虎武道館でのショットに加え、”哲人・ピー”といった印象の、撮り下ろしと思われるショットも数枚掲載されています!
今回の特集のきっかけになったであろう、ピー監修の『赤盤』『青盤』のみならず、ピーのソロ・ワークス3枚のCDがしっかりディスコグラフィー紹介されているのも嬉しいんですよね~。

ピーのインタビュー記事以外で僕が特にみなさまにお勧めしたいのは、名うてのロック・ドラマーお二人がタイガースについて語っているインタビューです。


お一人は、河村”カースケ”智康さん。
ジュリーのアルバムにドラマーとして参加されている、あのカースケさんです。「インチキ小町」や「ゼロになれ」「1989」「オーガニック・オーガズム」などのハードなナンバーでゴキゲンなドラムスを聴かせてくれたカースケさんが、少年時代、タイガースというバンド、ドラマーとしてのピー、そしてジュリーにこんな思いをお持ちだったとは・・・。
ザ・タイガースに憧れた少年は成長し、プロのドラマーとなり、遂にジュリーのアルバムに参加することになりました。その時カースケさんは・・・というお話。
カースケさん、熱いですよ!

もうお一人は、杉山章二丸さん。
タイガースについてのお話自体は少ないんですが・・・とても素敵なインタビューです。
忌野清志郎さんが中心となって結成された、GSパロディ・バンドの”タイマーズ”をみなさまご存知でしょうか。彼等の「デイドリーム・ビリーバー」カバー・ヴァージョンは、今でもCMなどでよく耳にしますね。
”タイマーズ”から”タイガース”を連想することは容易く、加えてタイマーズのメンバーにはそれぞれ、いかにもそれっぽい”愛称”がついていました。ドラムの杉山さんの愛称は「パー」。言うまでもなく、「ピー」をもじったものです。
タイムリーなタイガース・ファンのみなさまには信じられないことでしょうが、僕は「パー」の愛称元ネタとして、かつて「ピー」というドラマーがいた、ということを初めてその時知ったんですよ。順番がメチャクチャですね。
タイマーズが活躍した頃、僕は20代前半だったのかな・・・。

ドラマーお二人の他にも、何処から見ても”ロック・パーソン”としか言いようのない名プレーヤー達が、少年に戻ったかのように熱く語るタイガース。
『ロックジェット』という本だからこそ、そうなったのです。
そして、普段からこのムックを愛読しているタイガース世代のロックなおじさま達が、この号を読んで忘れかけていた少年の魂を再び燃え上がらせ、年末のザ・タイガース再結成ツアー会場に駆けつける姿が、今から目に見えるようです。

ジュリーがお正月コンサートで
「あの当時、タイガースを見たくても見られなかった人達・・・特に男の人達が(12月のツアーでは)来てくれるんじゃないか」
と言った意味が、この本を読むと分かるような気がするのです。

さらに。
佐藤睦さんによるジュリーの新譜『Pray』についての投稿が素晴らし過ぎます(自分がブログでジュリーについて書いている文章が恥ずかしくなります)。
僅か2ページの記事ですが、僕はこの短い記事のためだけにでも、多くのジュリーファンにこの本を読んで頂きたい、と思ってしまいます。

さすがは天下のシンコーさん。
そして、さすがは『ロックジェット』!

百聞は一見に如かず。
すべてのタイガース・ファンのみなさま、ジュリーファン、ピーファンのみなさま。是非、お読みくださいませ。
おススメです!

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2013年3月 9日 (土)

沢田研二 「護り給え」

from『告白-CONFESSION-』、1987

Kokuhaku

1. 女びいき
2. 般若湯
3. FADE IN
4. STEPPIN' STONES
5. 明星-VENUS-
6. DEAR MY FATHER
7. 青春藪ん中
8. 晴れた日
9. 透明な孔雀
10. 護り給え

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(註:今回は、まったく個人的な思いから書く記事ということもあり、大変申し訳ありませんが、コメント欄を閉じています。身勝手なことをしてごめんなさい)

--------------------

3月11日のジュリーの新譜リリースを前にして、いくつか考察記事を書こうと準備していた楽曲があったのだが、そうはいかなくなってしまった・・・。


数日前、日頃から親しくさせて頂いていたジュリーファンの先輩が、重大な病に倒れられた。
彼女の娘さんが、看病で疲れていらっしゃるだろうに「お母さんの友人と思われる人達」を気遣って、知らせてくださったのだ。
お話では、先輩の病状はとても深刻らしい。

一度もお会いしたことはないが、その先輩は『ジュリー祭り』後の割と早い段階からこのブログを読んでくださっていたようで、メールでのご挨拶もくださり、これまでに何度かコメントも頂いている。ユーモアのセンスが抜群、特に食について詳しいかたで、ジュリーのこと以外でも日頃から気軽にやりとりのできる、頼もしい先輩だ。


実は僕は最近、「無事を祈る」ということについて自分を見つめ直す機会があった。
少し長くなるが、そのいきさつとはこうだ。

僕は年明けの1月半ばから、これまでに経験の無い体調不良に見舞われた。胃のあたりの鈍痛が続いたり、しつこい吐き気が襲ってくることがあった。
初めは、年末年始に寝込んでいたカミさんの風邪が感染ったのだと思った。しかし、喉の痛みなどの風邪の症状は一向に表れず、「これはおかしい」と思い市販の胃薬を飲んだが改善の気配がない。

仕事関係の目上の人に相談すると、「ストレス性の胃炎ではないか」と言う。「働き盛りの男なら誰しも通る道だ」と。
・・・「自分がストレス?」。果たして僕はそんなタイプだろうか。
確かに、いわゆる”中間管理職”の苦労はあるにはあるが、気持ちの切り替えはパッとできる方だし、家庭円満、仕事好き、結婚してからは食事も睡眠も規則正しくとっている。
無意識にでも、ストレスなど感じているだろうか。

だが症状はいかんともし難く、結局病院に行った。
初診時は若い先生の問診、触診のみで、「胃炎でしょう」ということになり薬を処方された。
3種類の薬を1週間服用しても症状は相変わらずだった。薬が切れた段階で、また同じ先生に再度診てもらった。
今度は、処方が1段階強い薬に変わり
「これで改善が見られない場合は胃カメラを飲みましょう」
と言われた。
怖くなってきた。

今はネットの時代だから、自分の症状などから病名や対処法をたやすく検索することができる。しかしそこには、「特別に心配はない」というものから「一刻も早い精密検査、治療を」というものまで、いくつもの「答」が無数に用意されていた。
胃カメラを飲むのがイヤな根性無しの僕は
「大したことはないに違いない。あっても胃潰瘍だろう」
などと自らを安心させようとするが、一方で「命にかかわる重病」という「答」の存在が大きく心にのしかかる。

その翌日。会社で昼休みに入った直後、信じられないほどの激しい胃痛(だとその時には思い込んでいた)が来た。鋭く刺されるようなその痛みに、身体はくの字に折れ曲がった。
10分間くらいだっただろうか。まったく身動きができなくなり、真冬の寒さの中だというのに大量の汗が噴き出た。

しばらくして痛みはおさまったが、これは明らかに異常事態だと悟り急遽その日の夕方、同じ病院に駆け込んだ。
今度はベテランの先生に診てもらった。

症状を話し触診が終わると、先生は「おかしい」と何度も首を捻っている。後で考えると、それはそうだったろう。先生が「ここは痛い?」と胃のあたりや背中、横腹を強く押すのだが、僕はそれらの箇所は全然痛くなかったのだ。
長い問診が始まった。その中で「会社の健康診断で胃に所見があったことは無い」と話している時にふと思い出し、「ただ、数年前から胆石は見つかっていますが・・・」とつけ加えると、すぐに先生が「それは」と手を打った。

胆石の症状と言うと、「脂っこいものを食べたら突然の激痛が襲い、そのまま病院にかつぎ込まれるしかない」と考えている人が多いのではないだろうか。僕もそうだった。
しかし人によっては稀に、我慢できないほどではないが腹部に鈍い痛みが数ヶ月続く場合や、発熱の症状が出る場合があるのだと言う。病院にかかって症状を話しても、胆石症とは分からず、胃炎や風邪の薬を処方され、そのうちなんとなく治まってそのままになっているケースがあり得るのだとか。

結局、この際徹底的に全て調べた方が良いということになり、血液検査、日を改めての胃カメラ、そして胆嚢超音波検査も行うことになった。先生は最短の日どりで予約を入れてくれた。

検査までの日々を僕は、「原因が胆石やピロリ菌であればいい」と切に祈るようになった。これがもし胃の病気なら相当深刻な事態であることは、先生の様子からもネットの検索結果からも察せられたからだ。
僕は常々「自分はハートは強い」などと公言したりしていたが、とんでもない思い違いだった。僕はとても弱かった。「重大な病気かもしれない」と考えこむと夜も眠れないし、最悪の事態だった時が怖くて、カミさん以外のほとんど誰にも、胃カメラを飲むことを事前に話すことができなかった。
その分、カミさんには散々弱音を吐いた。情けないことだ。そうやって心配し出すと、余計に胃が痛むような気がした。

検査当日となった。
駆け込み予約をした時のベテランの先生が、自らの手ですべての検査を行ってくれると言う。これには少し安心した。

まず先生は血液検査の結果を手渡し、「肝臓の値など含め、血液からは何の異常も見当たらない」と教えてくれた。

次に胆嚢の超音波検査をしてもらった。
僕は会社の健康診断の時でも、この検査が最も苦手である。バリウム検査の数倍嫌だ。身体の肉が薄いせいか、とにかくこそばゆいのだ。それをジッと耐え続けなければならない。
この日の先生の超音波検査は、会社の健診とは比較にならないほど念入りだった。身体を右横にされたり左横にされたりして、耐える時間が長く「何をそんなに診ているのか」といぶかしんだが、後から聞くところによれば、先生はいち早く胆石を発見し(会社の診断よりも個数が多かった!)、僕が身体を動かすことによってそれらの石のひとつひとつが胆嚢内で移動するかどうかを見極めていたのだった。

そして遂に、人生初の胃カメラである。
麻酔をしたり色々と準備している最中、これから自分の体内に入ってくるのであろう管の太さを見て驚いた。そんな太い管が本当に入るのか、と。
だが容赦なくその時は来た。最初はスッと入っていくように感じたが、喉を通過する瞬間から本気で嘔吐した・・・いや、この日に備えた食事制限で胃は空っぽだから、吐き出されるものは何も無い。ただただ、本気の嘔吐反射を繰り返し、僕はまともな思考や受け答えが全くできなくなってしまった。

先生の声だけが聞こえていた。
「胃はキレイですよ。何処にも何も無い」
「十二指腸も大丈夫」
「念のため、胃の組織をちょっと採るからね」
等々。
僕はモニターを見ることすら出来ず、看護婦さんに励まされながら深呼吸を繰り返すのが精一杯だった。

管を抜く途中で、先生は食道も診てくれた。そこで思い出した・・・ネットで検索した時、桑田佳祐さんが入院された時とよく似た症状が自分にあることにも気づいたのだった。それで、食道の重大な病気かもしれない、と不安になったりしたのだ。
「食道も問題ないですよ」
もうすぐ検査も終わるんだ、という思いも手伝ってか、先生のその言葉はとても有り難いものに感じた。

検査後には止血剤を打ってもらい(胃から組織を採取した際に微量の出血があるため)、最後に改めて先生と話をした。
診断は胆石症だった。
中でも、一度だけあったあの刺すような激しい痛みは、胆石症の典型症状と言えるようだ。今となっては、その痛みに感謝しなければならないかもしれない。それがあってこの先生に診てもらえたのだし、先生も胆石症に思い当たって「そちらも徹底的に調べよう」と言ってくださったのだから。

話は逸れるが、もしみなさんの中に「胃カメラなどの検査では何の問題も無いのに、慢性的な胃痛に悩まされている」という方がいらしゃったら、精神的ストレスによるものと決めつける前に一度胆石の検査をお勧めしたい。胃痛と胆石症は、本人でもなかなか区別がつかない場合があるのだ。僕が正にそうだった。

超音波検査によれば、僕には3つの胆石があって、うち小さい石が2つ並んで胆嚢の出口付近に留まって動かないままの状態になっていると言う。これが症状を起こしている原因だった。
もうひとつの大きめの石は、僕が身体を横にする度にゴロゴロと下に転がり、現時点で悪さはしていないと考えられるそうだ(最も、脂っこいものを食べて刺激されたその大きい方の石がいざ出口で詰まった場合には、よく聞く「病院にかつぎ込まれる」事態となるわけだが)。
小さい2つの動かない石も、胆管にまで出ているわけではないので、緊急の処置を要するほどの状態ではないらしい。ただし
「いつかは手術して胆嚢を摘出する事態になるかもしれない。全身麻酔の手術で1週間ほどの入院になるからなかなか決断できないだろうけど、若いうちにやっつけておいた方が良いよ」
ということだった。
薬で砕く、とか色々と実体のよく分からない方法も聞いたことがあるけれども、結局胆石は胆嚢ごと取ってしまうのが最も手早く確実な治療法のようだ。
胆嚢という臓器は、肝臓から排出された胆汁をいったん取り込んで懸命に濃くして貯めておき、いざ食べ物が通過する際に丁寧に混ぜ合わせる、と簡単に言えばそんな働きをしているらしい。
先生が言うには、「従って、胃が空っぽで食べ物が降りてこない状態の時は、貯めこまれた胆汁で胆嚢がパンパンに膨れているはず。でも君の胆嚢は(出口付近で動かない2つの胆石の影響で)ほとんど膨れていなかった」そうだ。胆嚢は頑張って胆汁を取り込もうとするもののうまくいかない・・・それが軽度の症状を引き起こしていると考えられる。

さらに言うと、別に頑張って少しばかりの手助けのために濃い胆汁を作らずとも、消化自体に問題は無いそうである。だから、「消化の役に立たず悪さだけをしている状態なら、いっそ摘出してしまった方が良い」という理屈になるのだ。

後日、念のために採取した胃の組織の精密検査の結果を聞きに行ったが、悪性の所見はまったく認められず、ピロリ菌もいなかった。
先生は「ひと安心じゃないですか」と言ってくださった。

原因が胆石だったわけだから症状の根本的な解決には至っておらず、この先胆石症とどう向き合っていくのかという課題は残されたままだ。しかし検査後は、人間というのはこんなに単純なものか、と自分で呆れるほどに症状が軽くなった。
なにせ、れっきとした検査の結果、胃も十二指腸も食道も肝臓も問題無し、と分かったのである。
酷い疝痛発作も、たまらず病院に飛び込んだあの日の1度きり。念のために緊急の際だけに服用するとんぷく薬を処方され、常に持って歩いている。これだけで気持ちが全然違う。
要は、しっかり検査するまでの間、心の不安が症状を酷くしていたとしか思えないのだ。現在は問題なく日々を過ごせている。

そんなことをジュリーファンの先輩方を含めた何人かの方々にご報告できたのは、検査結果が出た後になってからのことである。
その中に、今日お話ししているその先輩もいらっしゃった。先輩からは、とても優しいお言葉を頂いた。


長くなってしまった。
何が言いたかったかというと・・・検査の直前、僕は自分のために真剣に我が身の無事を祈ったのだった。

昨年、ジュリーの「GO-READY-GO」の記事を執筆した際
「この先何か重大な身体のことに向き合う時がきたら、僕はこの曲を聴いて、生きるためにダイブするんだ」
といったような、とても生意気なことを書いた。
実際はと言うと、「GO-READY-GO」を聴いて「さぁ立ち向かおう」と心を奮い立たせる強さなど僕には無かったのだ。
検査の朝、出かける前に聴いた曲は「GO-READY-GO」ではなく「護り給え」だった。悪い診断結果を怖れた僕は、ひたすら自分のために祈った。
皮肉なことに昨年、僕は「護り給え」の楽曲考察記事を書くつもりでいたのを急遽「GO-READY-GO」に差し替えて書いた、という経緯がある。ジュリーの選挙応援演説の前と後で、書きたいことがまるで変わったのだ。

ただ・・・自分が重大な病気ではなかったことが分かってから、振り返ってようやく思うことがある。
僕は不安な毎日を過ごす間、いとも簡単に自分の無事を心底から祈った。「護り給え」と祈ったその祈りの強さは、僕自身のために向けられたものだ。
それに比して、一昨年の3月11日以降の、被災地への自分の祈りはどうであったか。自分では真剣なつもりでいたが、我が身を思う時の祈りの強さには、とても及んでいなかったと感じる。
いや、それは自分がどれほどの痛みや苦しみを持って祈ったか、ということではない。「我が身を思うように」祈ったかどうか、ということだ。
ましてや、ジュリーの歌や思いに触れていなかったら、まともに祈ることすら出来たかどうか。

僕は、自分自身や身内以外の人のために強く祈るということが、まるでできていなかった。それがやっと分かった。

ジュリーの「護り給え」。
確かにこの歌は、ジュリー自身のための祈りという面もあるのだろうが、例えば『ワイルドボアの平和』で歌われたこの曲をDVDで観ると、ジュリーが誰か自分以外の不特定多数の人のために真剣に祈っているように感じとれる。
昨年の『3月8日の雲~カガヤケイノチ』然り。今年の新譜もきっとそう感じるだろう。

先輩の重篤の知らせを聞き、こんなことになって初めて、僕も今度こそ強く、強く我が事のように祈る。
どうか・・・どうか彼女を護り給え。

もうすぐジュリーの新譜が届く。音楽劇も始まろうとしている。
夏には全国ツアーがある。
年末にはザ・タイガースが復活する。
数年後には、ジュリーの70超えも待っている。

ご本人は今、懸命に闘っておられる。
ご家族も必死の看病を続けていらっしゃる。

もし僕が同じ立場だったら・・・戻ってきた時に、ジュリーファンが自分のために祈っていたことを知ったら、とても嬉しいと思う。
だからこんな記事を書きました。

きっと戻ってきてください。待っています。

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2013年3月 2日 (土)

沢田研二 「白い部屋」

from『A面コレクション』
original released on 1975、single


Acollection

disc-1
1. 君をのせて
2. 許されない愛
3. あなただけでいい
4. 死んでもいい
5. あなたへの愛
6. 危険なふたり
7. 胸いっぱいの悲しみ
8. 魅せられた夜
9. 恋は邪魔もの
10. 追憶
11. 愛の逃亡者
12. 白い部屋
13. 巴里にひとり
14. 時の過ぎゆくままに
15. 立ちどまるな ふりむくな
16. ウィンクでさよなら
disc-2
1. コバルトの季節の中で
2. さよならをいう気もない
3. 勝手にしやがれ
4. MEMORIES(メモリーズ)
5. 憎みきれないろくでなし
6. サムライ
7. ダーリング
8. ヤマトより愛をこめて
9. LOVE(抱きしめたい)
10. カサブランカ・ダンディ
11. OH!ギャル
12. ロンリー・ウルフ
13. TOKIO
14. 恋のバッド・チューニング
disc-3
1. 酒場でDABADA
2. おまえがパラダイス
3. 渚のラブレター
4. ス・ト・リ・ッ・パ・-
5. 麗人
6. ”おまえにチェック・イン”
7. 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
8. 背中まで45分
9. 晴れのちBLUE BOY
10. きめてやる今夜
11. どん底
12. 渡り鳥 はぐれ鳥
13. AMAPOLA
14. 灰とダイヤモンド

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前回更新の「遥かなるラグタイム」と同じ、1975年リリースのお題が続きます!

最近ブログで「ヤマトより愛をこめて」や「確信」の記事を書いて、僕は改めて『ジュリー祭り』のセットリストに思いを馳せる機会がありました。
僕のジュリーLIVE出発点であるセットリスト。
当然、僕が「生のLIVEで聴いたことがある」というジュリー・ナンバーは、すべて『ジュリー祭り』含め、それ以降に歌われた曲達です。

ツアーのインフォが来る度に
「今度のツアーでは、70年代アルバム収録曲とかシングルB面曲とか、レアなナンバーを聴きたい!」
という欲望に駆られることもあるけれど、でもそれは贅沢なことだ、とも理解していて。
それに、近年の作品中心のセットリストにいつも蓋を開けてから感銘を受け、「やっぱりジュリーは凄い」と毎回のように大満足します。

ただ、ちょっと気になっていることもあって・・・。
それは、レアなナンバーはともかくとして、最近歌われていない70年代や80年代のシングル・ヒット曲のことなんです。
ひょっとしたら、ジュリーが「歌いたい」ヒット曲のほとんどは『ジュリー祭り』に詰め込まれていて、ジュリーはそれ以外の曲についてはもう歌ってくれないのでは・・・というヒヨッコならではの心配事。
この感覚は、長くジュリーLIVEに参加なさってこられた先輩方には、ピンと来ないかもしれませんね・・・。先輩方は『ジュリー祭り』以前に何回も、それらの曲を体感なさっているはずですから。少なくとも、『A面コレクション』収録のシングルは全部LIVEで聴いたことあるよ、と仰る先輩がほとんどでしょう。

『ジュリー祭り』が大成功に終わって4年以上が経ちました。
あの夢のような時間のその後、僕が「初めて聴く」シングル・ヒット・ナンバーがジュリーのツアー・セットリストに採り上げられたのは、何と2010年お正月の『歌門来福』で歌われた「LOVE(抱きしめたい)」ただ1曲、という状況です。
これは確率としても極端に低いのでは・・・。

『ジュリー祭り』で歌われたヒット曲の多くについては、その後改めて聴く機会がありました。でも、『ジュリー祭り』堕ちの僕にとって、未知のセットリストであるシングル・ヒット曲のほとんどが、4年間ずっと残されたままです。
「近いうちに生で聴けるだろう」と期待を込めながら拙ブログの考察お題に採り上げ記事執筆済みの曲だけをとってみても、「死んでもいい」「立ちどまるな ふりむくな」「ロンリー・ウルフ」「恋のバッド・チューニング」「麗人」「AMAPOLA」「灰とダイヤモンド」・・・僕はそれらの曲達をまだ体感できていないのです。

「レアな曲や、個人的に思い入れの強い曲を」というのはファンの我儘だとは思っているけれど
「最近ご無沙汰のシングル曲を歌って欲しい」
という思いはそれほど贅沢な願望ではない、これから充分あり得るはず・・・と勝手に今一度熱い期待を持ちつつ今日は、一般的にもジュリー最強アイテムと考えられる『A面コレクション』の中から1曲、渋いところをお題に採り上げたいと思います。
「白い部屋」、僭越ながら伝授!

この曲、僕の手元にはそれぞれ違うスタイルで4種類のスコアがありますが・・・今日の参考スコアとしてご紹介したいのは、これです。

Siroiheya

『明星』1975年4月号付録の『YOUNG SONG』。
いやぁイイ感じの写真ですね~。撮影されたのはちょうど今頃の季節だったのかな?

これは、僕が小学4年生に上がる直前の春休みを過ごしていた頃の歌本ということになります。
『YOUNG SONG』の場合、膨大な収載曲の中で、巻頭カラーページに選ばれた曲が「本誌イチオシ!」のトップスターの新曲という位置づけ。当然、ジュリーの新曲(!)「白い部屋」もカラーページに抜擢、収載されています。

当時人気絶頂の大スター達・・・1975年3月頃に歌謡界で話題となった新曲って、どんなのがあったんだろう?と、「白い部屋」以外の巻頭カラーページをパラパラとめくってみますと。


西城○樹「この愛のときめき」
桜○淳子「ひとり歩き」
ジャ○ーズ・ジュニア・スペシャル「ベルサイユのばら」
郷○ろみ「わるい誘惑」
アグ○ス・チャン「愛の迷い子」
フィン○ー5「華麗なうわさ」
南○織「女性」
野口○郎「私鉄沿線」
荒川務「僕を許して」
山口○恵「湖の決心」

さすがは、DYNAMITEクソガキ時代にまで遥か遡る1975年のヒット曲・・・僕、「私鉄沿線」以外まったく知りません!

てか、おひとりだけ名前を見ることすら初めてなもので、敢えて伏字にしなかった荒川務さん・・・どんな人かなぁ、と検索してみたら、ミュージカル『ヘアー』のクロード役を演じたことがある、と出てビックリしました。
後追いタイガース・ファンの僕が、一昨年にトッポ繋がりで遅まきながら知った『ヘアー』にも、多種様々な公演があったんですねぇ・・・。

とまぁこんな調子なのですから、僕が「白い部屋」を幼少時代に観た、聴いたという記憶が無いのも無理からぬ話です。

初めてこの曲を聴いたのは、『ROYAL STRAIGHT FLUSH』を3枚とも聴き終え、アルバム大人買いの”第1次ジュリー堕ち期”を軌道に乗せた頃。
YOKO君に『A面コレクション』を借りた時でした。
なんせ、「君をのせて」も「あなただけでいい」も「死んでもいい」も「魅せられた夜」も「恋は邪魔もの」も「愛の逃亡者」も「巴里にひとり」も初めて聴く、という超ヒヨッコ。
繰り出されるきらびやかな楽曲群の中にあって、どちらかというと地味な曲想の「白い部屋」は、当初あまり心に残りませんでした。

再評価に至ったのは、CD『KENJI SAWADA』購入時。
フランス語、英語の世界的戦略ナンバーが居並ぶ企画盤の中、「時の過ぎゆくままに」「追憶」と共に、リリース時期の近い日本発シングル曲として収録された「白い部屋」がラストを飾る構成・・・これには新たなインパクトを感じたものです。
『KENJI SAWADA』のオシャレな世界観、その最後の最後にスッと投げ込まれた、いかにも邦楽ならではのシンプルな短調のメロディーが光っていました。

『A面コレクション』を聴いた時、僕がまず「白い部屋」について持った感想は
「あれっ?いかにもサビで転調しそうな流れなのに、そのままの短調で最後まで押すのか・・・」
というものでした。

特に70年代のジュリー・ナンバーには、ルート音はそのままに、サビでバ~ン!と短調から長調へと転調する「同主調同士による近親移調」と呼ばれる手法を採り入れた作曲作品が、本当に数多くあります。
ちょっと切なげな導入から、躍動的な明るいサビへ。
同主調移調のナンバーは、天才的な表現力を持つジュリーのヴォーカルにはピタリと合っていて、とりわけゴージャスな歌となるのです。これはジュリーの必殺技のひとつです。
例をいくつか挙げてみますと・・・。

まずは、個人的イチオシのアルバム『JULIEⅡ』の中に、2曲も見つけることができます。

・「二人の生活」・・・ニ短調に始まり、サビ「誰も知らない♪」からニ長調へ。
・「愛に死す」・・・この曲はテープ・レコーディング時代の名残でピッチがハッキリしませんが、過去に執筆済の自分の記事を踏襲しますと、イ短調に始まりサビの「この世に♪」からイ長調という理屈。キーがどうであれ、同主張移調であることには間違いありません。

これら『JULIEⅡ』の2曲は、まぁアルバムの1収録曲という立ち位置ですが、もちろん『A面コレクション』収録のシングルにも例はありまして。

・「魅せられた夜」・・・ロ短調から始まり、サビ「あぁ、あなたはその♪」からロ長調へ。
・「追憶」・・・ホ短調に始まり、サビの「オー!ニーナ!忘れられない♪」からホ長調へ。

そしてもちろん、ずっと時を経て最近のジュリー・ナンバーにも例はあります。

・「涙色の空」・・・ト短調に始まり、「君の傷跡♪」からのサビ部がト長調。

といったように・・・どの曲も、ちょっと寂しげな曲調で切々と歌っていたのが、サビでスパ~ン!と視野が開け、漲る決意や明るい希望を感じさせるジュリーの躍動的なヴォーカルが炸裂します。
これをして、同主張移調のナンバーは基本的に(ジュリーであればこそ、の)シングル向きで豪華な楽曲構成と言えるのです。

では、何故「白い部屋」作曲者の加瀬さんは、この曲で長調への転調を避けたのでしょうか。

旋律だけとってみれば、「白い部屋」のサビを長調に移調させるにあたって、技術的に無理な要素はまったくありません。
この曲はホ短調で、サビのメロディーは

♪ (ミミミファ#ソファ#ミ ミミミレドシド)
  あなたが消えて こんなに部屋は
  Em                    Am

  (シシレ#レ#ファ#ファ#ミファ# ミフ#ァソ)
  うつろに冷たい ばかり
  B7                  Em
  

となっています。
これがもし、サビでホ長調に転調したとすると

♪ (ミミミファ#ソ#ファ#ミ ミミミレ#ド#シド#)
  あなたが消えて こんなに部屋は
  E                      A

  (シシレ#レ#ファ#ファ#ミファ# ミフ#ァソ#)
  うつろに冷たい ばかり
  B7                  E

というふうにメロディーとコードが変わるでしょう。
このように、ド素人の僕ですら簡単に「白い部屋」のサビを長調に書き換えることは可能です。

以前、”ピアノの料理人”泰輝さんのLIVEについてのしょあ様のレポートで
「この音を半音上げたり下げたりするだけで、明るい感じ、暗い感じと曲が変化する」
という実演コーナーがあったと拝見しましたが、それこそが同主調同士による移調の基本理論。
ホ短調の「白い部屋」のサビをホ長調に移行するには、その理論を応用し、和音に載せた時に「半音だけ上げなければならない音」をいくつかピックアップしていけば良いのです。残りの音階はまったくそのまま。

間違いなく、サビで転調した方がよりゴージャスになり得る曲調・・・しかし、ヒット曲の手管を知り尽くした加瀬さんは敢えて「白い部屋」ではそれをしませんでした。
理由としてまず考えられるのは、近い時期にジュリーは同様の手法によるナンバーで「魅せられた夜」「追憶」の2曲をシングル・リリースしているので、イメージが固定してしまうのを避けたのでは、という推測。
特に「追憶」は同じ加瀬さん作曲のナンバーだったわけですからね。

考えられるもうひとつの理由・・・これが個人的推測の本命なのですが・・・山上路夫さんの歌詞にシンクロさせての”完全短調進行”が加瀬さんの狙いだったのではないかと。

70年代はまだまだ詞先の曲作りが基本だったでしょうから、加瀬さんも詞の内容からインスピレーションを得て曲調を練っていたはず。
前述したように、サビ部の歌詞はAメロ部を引き継いでのやるせない孤独、後悔、悲しさに満ち、「白い部屋」というタイトルの決め手となっています。そんな箇所がが明るい長調のメロディーになるのはおかしい、という加瀬さんの思いがあったのではないでしょうか。
そう考えると、「魅せられた夜」「追憶」など先に挙げた同主調移調のナンバー達を「白い部屋」と比較した時、サビ部の歌詞が前向きな内容となっていることに改めて気づかされます。一方「白い部屋」は、サビでむしろ慟哭が深まるわけですね。

ということで、今日はここまで多少専門的な考察になってしまいましたけど・・・これは、3月11日発売のジュリーの新譜『Pray』に、同主調同士の移調ナンバーが1曲入っているんじゃないか、という思いつきからの執筆でもありました。
意外と柴山さん作曲の「Fridays Voice」あたりがそうなんじゃないか、なんて予想しながら・・・やっぱり最近の僕はジュリーの新譜のことを毎日考えずにはいられないというわけです。

最後に。
今の僕が、「白い部屋」を初めて聴いた数年前よりも、この曲のことを何倍も好きになっている・・・そのごく最近のきっかけについて少しつけ加えたいことがあります。
もうピンときていらっしゃる方も多いでしょうが、やっぱり『夜のヒットスタジオ』DVDを鑑賞できたことがものすごく大きいんです。

僕はとにかくジュリーLIVEへの参加を第一に考えて小遣いをやりくりしていますから、値の張る『夜ヒット』DVDは未だ購入できていません。
しかし昨年、そんな事情を汲んでくださった先輩方が、僕ら夫婦をDVD鑑賞会に誘ってくださって・・・disc1、5、6の鑑賞(先輩のマニアックなチョイス!)をご一緒させて頂いたのです。番組出演当時のジュリーの様々なエピソードなど、タイムリーなジュリーファンの先輩方ならではの解説付であの映像を楽しめるのですから、こんな有難い幸せなことはありません。

で、「白い部屋」ってdisc-1の初っ端じゃないですか。僕のまったく知らない頃の若きジュリーの美貌も新鮮で、当然ながらインパクトも強いわけです。
熱唱するジュリーの映像を観ながら
「まるで女優さんを撮ってるみたいでしょ?」
と仰った先輩の解説が強く心に残っています。本当にそんな感じですからねぇ・・・。

何より、あのヴォーカルです。
当たり前のことなんでしょうけど、ジュリーは楽しい歌は楽しく歌い、力強い歌は力強く歌い、悲しい歌は悲しく歌います。歌の本質に、心ごと身体ごと瞬時に入りこむことができるのです。
『夜ヒット』の「白い部屋」は、CDで聴くよりも一層の深い悲しみに満ちていました。そして、孤独や後悔の表現が伝われば伝わるほど、この曲は素晴らしい。悲しいのに、癒されるんですよね。

もちろん、2003年のLIVE『Love & Peace』でのこの曲(この貴重なアコースティック・ヴァージョンが、一番最近歌われた「白い部屋」ということになるのでしょうか。柴山さんが原曲アレンジのトランペット、ピアノ、アコギの3つのパートを一人で弾きまくるという、凄まじい神技を見せてくれますね)もとても良いですし・・・。
後追いでDVD映像を観ただけでここまで素晴らしいのですから、ジュリーの生歌で直に体感することができたら、一体どれほどの感動なのでしょう。

「白い部屋」をはじめ、未だ生で聴いたことのない『A面コレクション』収録のシングル・ナンバーの数々・・・是非、その半分くらいでもこの先のLIVEで体感したいなぁ・・・。

と、ヒヨッコファンはこんな辺境の場所からひっそりと、ジュリーに届かぬお願いをしてみるのでした。

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