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2012年4月

2012年4月28日 (土)

沢田研二 「モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド(巴里にひとり)」

from『KENJI SAWADA』、1976

Kenjisawadafrance


1. モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド(巴里にひとり)
2. ジュリアーナ
3. スール・アヴェク・マ・ミュージック
4. ゴー・スージー・ゴー
5. 追憶
6. 時の過ぎゆくままに
7. フ・ドゥ・トワ
8. マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス
9. いづみ
10. ラン・ウィズ・ザ・デビル
11. アテン・モワ
12. 白い部屋



日本語版「巴里にひとり」
from『沢田研二/A面コレクション』

Acollection


disc-1
1. 君をのせて
2. 許されない愛
3. あなただけでいい
4. 死んでもいい
5. あなたへの愛
6. 危険なふたり
7. 胸いっぱいの悲しみ
8. 魅せられた夜
9. 恋は邪魔もの
10. 追憶
11. 愛の逃亡者
12. 白い部屋
13. 巴里にひとり
14. 時の過ぎゆくままに
15. 立ちどまるな ふりむくな
16. ウィンクでさよなら
disc-2
1. コバルトの季節の中で
2. さよならをいう気もない
3. 勝手にしやがれ
4. MEMORIES(メモリーズ)
5. 憎みきれないろくでなし
6. サムライ
7. ダーリング
8. ヤマトより愛をこめて
9. LOVE(抱きしめたい)
10. カサブランカ・ダンディ
11. OH!ギャル
12. ロンリー・ウルフ
13. TOKIO
14. 恋のバッド・チューニング
disc-3
1. 酒場でDABADA
2. おまえがパラダイス
3. 渚のラブレター
4. ス・ト・リ・ッ・パ・-
5. 麗人
6. ”おまえにチェック・イン”
7. 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
8. 背中まで45分
9. 晴れのちBLUE BOY
10. きめてやる今夜
11. どん底
12. 渡り鳥はぐれ鳥
13. AMAPOLA
14. 灰とダイヤモンド

----------------------

少し更新の間隔が開いてしまいました。
今週はまず、火曜のあの夏日に仕事で超大物商品の発送を社員総動員でやりまして・・・全員Tシャツをグショグショにして頑張りました。と、思ったらその後は雨が続いたり・・・忙しさと相俟って、さすがに体調を崩してしまったのでした。
それでもなんとか踏ん張って、仕事を欠勤することなくゴールデン・ウィークへと突入できて、ホッとしたところです。

そんな最中、『3月8日の雲~カガヤケイノチ』ツアー後半のインフォメーションが届けられたのは、何よりの薬。
ファイナルは渋谷ではなくフォーラムにしたんですねぇ・・・。還暦以来のジュリー人気もまだまだ右肩上がり、という証明でしょう。

それでは・・・「Snow Blind」「気になるお前」と続けてまいりました、『ジュリー祭り』セットリストからのお題シリーズ、ひとまずのシメとして今回は有名シングル曲を採り上げたいと思います。
『ジュリー祭り』序盤のヤマ場となった、タイガース→PYG→ソロのヒット・シングル攻勢の中から。
「巴里にひとり」、伝授です~。

まぁこの曲にはフランス語ヴァージョンと日本語ヴァージョンがあり(その他にもあったんでしたっけ?)、『ジュリー祭り』ではフランス語ヴァージョンが選曲されたわけですが、当記事では2つのヴァージョンの比較考察なども語っていきます。曲のタイトルは大ざっぱに「巴里にひとり」で統一することになりそうですが、その点御了承くださいませ。

さて、シングル版「巴里にひとり」がリリースされたのは、仏日ともに1975年のこと。
アルバム『KENJI SAWADA』は翌年のリリースなんですね。
先日の「気になるお前」の記事でご紹介したスコア『沢田研二/ビッグヒットコレクション
』のオマケひとことコーナーでのジュリーの言葉に

仕事の面でも最高の状態にあるとき、ボクは結婚したい

というものがあり、まさにそれを実践、さらなる不動の飛躍を誰もが予感していたのが1975年という年だったのでしょうか。
渡辺プロダクションさんも、結婚をさらなるステップにジュリーを本物のアーティストにすべく、大プッシュ状態だったと聞きます。

ここで、まさにそんな折に発行されたお宝情報紙をご紹介しましょう。お持ちの先輩方も多いのかな?
僕はこれが何という情報紙であるかすら分からない状態で先輩からお預かりしているのですが、とにかく1975年のジュリーの動きが一目で把握できるような充実の内容になっていますね・・・。

Pari1

表紙はもちろん、当時ヒットの最中にあったシングル、「巴里にひとり」をドド~ンと前面に押し出しております。しかも、コード付のメロ譜がフツ~に掲載されているではないですか!何と大らかで素晴らしい時代でしょうか・・・。
ただしこの譜面、日本語版「巴里にひとり」とは採譜のキーが違います。何故そんなことになったか、については僕なりに思い当たっている理由があるのですが、そのお話はまた後で。

この表紙を開くと・・・

Pari2

伝説の『JULIE ROCK'N TOUR '75』の公演広告が。

まぁ、70年代のROCK'N TOURはすべて伝説なんですけどね。この時は特に盛り上がった雰囲気があります。
写真の下には、ジュリーのツアーに臨んでの言葉が添えられています。


(本文抜粋)
全国縦断コンサートは、僕の今年一番のメインの仕事になるだろうし、昨年のコンサートが成功したから。今年もその勢いにのってという安易な気持ちは決してない。このところ芝居とかドラマが続いていたけれど、幸い新曲の「巴里にひとり」がヒットしたことからも、ここでもう一度”歌手・沢田研二”というものを見てもらいたい。結婚したからといって、そのために僕の音楽に対する姿勢がこれまでのものと変わるものではないし、仕事に対して冒険心とか情熱は決して失ってはならないものだと思っています。
沢田研二

また、このページは見開き折り込み式になっていて、さらに頁を拡げますと

Pari3

Pari4

Pari5

Pari7


それぞれの土地で、たくさんの先輩方がこのツアーに参加なさったのでしょうね~。
さらに裏表紙は、これこそ伝説中の伝説・・・。

Pari6

これまで何人の先輩から、この時の興奮を聞かせて頂いたことでしょう。1975年とは、そんな年だったんですね。

さぁ、それではこの素晴らしいメロディーライン・・・その楽曲構成の真髄に迫ってみましょうか。

まず・・・実はこの曲、日本語ヴァージョンとフランス語ヴァージョンでは、キーが異なります。
日本語ヴァージョンは、ご覧の通り♭2つの変ロ長調。

Sn390306


ドレミ楽譜出版社・刊 『ピアノ弾き語り 沢田研二/ベスト・アルバム』より

対してフランス語ヴァージョンは何と・・・。
変イ長調とイ長調の間!この世の誰にもキーを特定することはできません。
80年代前半までは、こういう設定になってしまっているレコードプレスって、結構あるんです。レコーディング後に「もう少しテンポが速い方が(或いは、遅い方が)いいんじゃあない?」ということになれば、レコーディングテープのピッチを少し上げたり下げたり。その結果、鍵盤には存在しない音階が登場してしまうのですね。
ちなみに、『ジュリー祭り』で歌われたフランス語ヴァージョンのキーはイ長調でした。この場合ですと、日本語ヴァージョンよりも半音だけ低いということになります。
演奏のしやすさで採譜するなら、このイ長調が最適でしょうね。

以下、この記事ではその日本語ヴァージョンの変ロ長調表記にて、考察を進めて参ります。
この曲の美しさは、サビ部の三段転調にトドメを刺します。

Aメロ・・・変ロ長調でしっとりと流れてきた穏やかなメロディーが、サビ部でまずは変ニ長調へと転調。

♪ パリ  ラ・セーヌ 今で    は
     E♭m7  A♭7     D♭maj7   D6

  遠く   の   人 ♪
   E♭m7  A♭7    D♭maj7

そして間髪入れずに、今度はハ長調へ。

♪ 帰ら ぬあの日が ♪
  Am7  D7   G6

「えっ?」と思う間もなく(ハ長調であるにもかかわらず、「C」=ド・ミ・ソのトニック和音が登場する暇すら無い!)、変ロ長調へと帰還し

♪ 心に痛い ♪
   Cm7  F7

で、華麗に着地。
有無を言わせず、オシャレ。これはロック的とは言えない作曲手法で、僕は作曲者や作曲のいきさつ、経緯などをまったく知らないのですが、明らかに「フランスで売るぞ!」という狙いを感じます。

では、「巴里にひとり」のこの優雅な転調によるフランス戦略を踏まえつつ、一歩下がってアルバム『KENJI SAWADA』の特徴について考えてみますと・・・。
このアルバムって、フランス語のナンバーを軸にしながらも、日本語、英語の既発表曲が差し込まれる収録曲構成は、一見とっ散らかったようなイメージも受けますが、全曲通して聴き込んでみると不思議な統一感があります。
これは一体どういう理由によるものなのでしょうか。

ここで、ジュリーとも縁の深い、佐野元春さんのアルバム制作秘話をご紹介したいと思います。
佐野さんは”アルバムの収録曲構成の統一感”ということに並々ならぬこだわりがあるようです。僕が高校生の頃に読んだインタビュー記事(『ミュージックマガジン』だったように記憶していますが、自信がありません)で
「リスナーは(細かい理屈は解らずとも)、例えばキーが「E」の曲から「A」の曲を連想したり、キーが「C」の曲なら「F」の曲を連想したりということがあると思う。『バック・トゥ・ザ・ストリート』(佐野さんのファーストアルバム)は「E」、『サムディ』(同サード・アルバム)は「C」が基調になってる」
と、斬新な手の内について語ってくれていました。

随分深いところまで突き詰めて作っているんだなぁ、と感心したものですが、佐野さんは続けて
「(アルバムの統一感については)まだまだ他にも秘密がある(笑)」
と語っていました。

ならば、と僕はその後リリースされた佐野さんのアルバムについて、隠された「秘密」を解き明かそうと色々研究した結果、『カフェ・ボヘミア』(オリジナル・アルバムとしては5枚目)という作品では、いくつかの収録曲について、まったく同じ理論に基づく転調が取り入れられていることをつきとめました。
うち、「ヤングブラッズ」と「シーズン・イン・ザ・サン~夏草の誘い」の2曲はシングル曲でもあるので、ご存知のかたも多いでしょうか。
近い時期にリリースされたこのシングル2曲を、「何か雰囲気が似ているな・・・」とお感じではありませんでしたか?

「ヤングブラッズ」の「偽りに沈むこの世界で♪」の部分。
「シーズン・イン・ザ・サン」では、「長い夜が明けてゆく♪」の部分。

この2つの転調部がその感覚の正体で、これはまったく同じ理屈の転調になっているのです。
同アルバム収録のナンバーでもう1曲「虹を追いかけて」にも同様の理論に基づく転調があり、それぞれ全然違う曲の隠れた共通点の提示により、リスナーは知らず知らずにアルバム全体に統一感を覚えるわけです。
佐野さん、これは明らかに狙っていますね。

そして、そんな佐野さんの『カフェ・ボヘミア』リリース(1986年)から遡ること10年以上も前、ジュリーのアルバム『KENJI SAWADA』に同じ手法を見出すことができるのです。
例えば「巴里にひとり」と「フ・ドゥ・トワ」が何か似てるなぁ、と漠然と感じていらしたジュリーファンの先輩方は、きっと大勢いらっしゃると思うのですがいかがでしょうか。
まぁこの2曲の場合はイントロのアレンジや、3連符バラードの曲想なども共通しており類似点も多いのですが、他のフランス語ナンバーについても、何となく似た雰囲気を感じる曲がありませんか?

そこで、フランス語収録曲を具体的に検証してみますと

「巴里にひとり」の「Paris la Seine♪」の箇所。
「スール・アヴェク・マ・ミュージック」の「Dans Chaque ville♪」の箇所。
「フ・ドゥ・トワ」の「Je n'ai pas le droit♪」の箇所。

これら3つの転調箇所はすべて同じ理屈によるものです。例えば全曲ハ長調へと移調して揃えてみますと、採譜表記はどの曲も変ホ長調への転調となるのです。
また、「マ・ゲイシャ・ドゥ・フランス」の「Parfois elle♪」の箇所も、厳密には違いますがこれら3曲とよく似ています(例えば転調連結部が「ド・ミ・ソ」→「ラ♭・ド・ミ♭」の和音になっているのは、「フ・ドゥ・トワ」とまったく同じ)。

当時のスタッフは、これらフランス語ナンバーにさりげなく共通の雰囲気を作って、ジュリーという歌い手のイメージを固めようとしていたのではないでしょうか。
そしてアルバム制作の際には、収録の英語ナンバーを敢えてロック色の強い曲にすることにより、優雅なフランス語ナンバーを引き立てようとした・・・そんな策略も見えてくるのですが・・・。
いずれにせよ、『KENJI SAWADA』は単なる企画盤としてではなくひとつのコンセプト作品として、僕の中で評価は高いです。通して聴くと不思議と日本語ナンバーの配置にも違和感はありませんし、何と言ってもフランス語の7曲の完成度が非常に高いですからね。

それでは、ジュリーのヴォーカルについて。
ジュリーのフランス語発音の魅力については、以前の「フ・ドゥ・トワ」の記事で語りまくりましたから、ここではそれ以外のお話・・・そう、むしろ発音がネイティヴでないことによる魅力を掘り下げたいと思います。

もちろん日本語版「巴里にひとり」のヴォーカルも素晴らしいのですが、僕は圧倒的にフランス語ヴァージョンのヴォーカルの方が好きです。言い様のない色気を感じるのです。
ただ、盟友のYOKO君などは逆に日本語ヴァージョンの方が好きだということで・・・突き詰めていけば、単にそれぞれの好みの問題なのでしょう。
あと、絶対音感をお持ちの方はひょっとしたら、先述したキーの曖昧さのせいで、フランス語ヴァージョンを居心地悪く感じたりするのかもしれません。才の無い僕には想像できないことですけれど・・・。

みなさまは、どちらのヴァージョンがお好きですか?

フランス語ヴァージョンのこの曲のヴォーカルの魅力について考えた時、僕は「他国の人が自分の国の言葉で歌った曲」の方が、例え発音にたどたどしさがあったとしても、曲によってはかえってグッとくる、というパターンが彼の地フランスで起こり、それがヒットチャート第4位というセールスに繋がったのではないかと想像しています。

僕の場合、「外人さんが歌った日本語の曲」ということで、同様に思い起こすある名曲があるので、ジュリーがフランスで受け入れられたのはその逆パターンなんじゃないか、と以前から考えていました。
その名曲とは・・・イタリア人歌手、ファウスト・チリアーノが歌った「私だけの十字架」。
ご存知の方も多いでしょう。社会派の刑事ドラマ『特捜最前線』のエンディング・テーマとして有名だった曲です。

その国の言葉のニュアンスについての完全な理解が足りておらず、それがかえってベタベタした感情移入を取り払い、真っ直ぐに歌詞とメロディーの良さに直結して聴こえる・・・そんなパターンの曲。
きっとフランスのリスナーにとって、ジュリーの「巴里にひとり」はそんなふうに聴こえたんだと思います。
このパターンの絶対条件は、シンプルなフレーズの言い回し(外国人でも発音には困らない)ながらも深い味わいのある歌詞であること。
「巴里にひとり」にはそれがありました。僕は大学で2年間だけ親しんだだけで、フランス語の心得は無いに等しいのですが、それでもこのフランス語の原詩は素晴らしいと思います。
まぁ、ジュリーに言わせると
「ナンパかましてる歌」
になっちゃうわけですが・・・(2003年『明日は晴れる』ツアーでの発言)。

ジュリーは感情たっぷりのヴォーカルも素晴らしいけれど、この曲のように「いわば、歌わされている」「手探りで歌を模索している」といったようなヴォーカルで信じられないほど無垢で崇高な声を出します。
その透明感、気高さは、やっぱり若きジュリー最大の魅力だと思います。

最後に・・・別の話になってしまいますが、先程半ば強引に『特捜最前線』の話を出しました。
実は、この素晴らしい社会派刑事ドラマの初期メンバーだった荒木しげるさんが、先日亡くなられました。
荒木さんはフォー・セインツのドラマーだったんですよね。でも僕はミュージシャン時代の荒木さんを知りません。僕にとって荒木さんは、細菌風船爆弾から街を護って殉職した「津上明刑事」なのです。

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↑ 第146話『殉職Ⅰ・津上刑事よ永遠に!』より

この場を借りまして、ご冥福をお祈りいたします・・・。

さて、早いものでもう5月がやって来ようとしています。
次回更新からは”絶対に今年のツアーでは聴けそうもない曲”シリーズを開催予定。
それを5月いっぱいまで続けて、6月に入ったら”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズへとなだれ込んで行こうと考えております。

よろしくお願い申し上げます~。

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2012年4月22日 (日)

沢田研二 「気になるお前」

from『JULIEⅥ ある青春』、1973

Julie6

1. 朝焼けへの道
2. 胸いっぱいの悲しみ
3. 二人の肖像
4. 居酒屋ブルース
5. 悲しき船乗り
6. 船はインドへ
7. 気になるお前
8. 夕映えの海
9. よみがえる愛
10. 夜の翼
11. ある青春
12. ララバイ・フォー・ユー

----------------------

唐突ですが・・・。
ジュリーが自分の持ち歌で一番好きな曲って、何でしょうかね?

 

最近だと「緑色のKiss Kiss Kiss」とか?
覚和歌子さんの作詞作品は好きな曲が多そうですが、中でも抜きん出て、となると「銀の骨」かな?
建さんプロデュース期だと、「単純な永遠」。
オールウエィズ期の「彼女はデリケート」、エキゾティクス期なら「ジャスト・フィット」?
では、それ以前の70年代のナンバーで考えてみると・・・。
コバルトの季節の中で」や「不良時代」は好きそうですよね。ジュリー自身が作詞や作曲に関わっていますし。「これだ!」という本人の感覚がありそう。
でもそれらを凌ぐほどに、やっぱりこれが一番好きなんじゃないか、と考えられる曲は・・・。

それが今日のお題です。
『ジュリー祭り』セットリスト完全記事制覇に向け、これが42曲目の記事となります。
アルバム『JULIEⅥ~ある青春』から、ZUZU=加瀬さんコンビのゴキゲンなロック・ナンバー「気になるお前」、僭越ながら伝授~!

 

後追いファンの僕は、数年前までこの曲のジュリーの中でのスタンスというものを軽く考えていました。
それこそ、アルバムの1収録曲。隠れた名曲。
そう認識してしまっていたのです・・・。

 

LIVEに参加したこともないクセに、「自分はかなりマニアックなジュリーファンである」などと自負していた(恥)時期・・・だいたい2005年から2006年頃のことでしたか。
ポリドール時代のアルバムをすべて聴き終えた僕とJ友・YOKO君は、その後何故か近年のアルバム収集へとは進まず、「次はDVDにシフトしてみようか」ということになりました。
YOKO君が『快傑ジュリーの冒険』と『ジュリーマニア』、僕が『ZUZU SONGS』と『REALLY LOVE YA!!』の購入を受け持ち、それぞれ持ち寄って鑑賞したわけですが、『ZUZU SONGS』の感想を語り合う中で

「有名シングルでもないアルバムの収録曲をサプライズでやってくれてるのがイイよなぁ。それでお客も盛り上がってるのが凄ぇよなぁ」

などと言っていたものでした。
それが「気になるお前」だったというわけ(知らない曲については無視して話しをしていた
←「ライラ」汗)。
まったくもって、無知でしたね・・・。

 

その後、どうやら「気になるお前」はLIVEの超定番曲であるらしい、ということが分かってきて、『ジュリー祭り』参加時には二人とも「やっぱり歌ってくれた!」と感激するくらいまでにはなんとか成長しておりました。
特にYOKO君は直前のセットリスト予想で、
アルバム『JULIEⅥ~ある青春』からだと”「気になるお前」と「ある青春」希望!”と言っていましたから、ドームでは興奮していましたね~。懐かしい。
(ちなみに僕は”「朝焼けへの道」と「船はインドへ」希望!”と言っていました。YOKO君の完勝です・・・)

 

僕はこれまで「気になるお前」を2度、生で聴くことができています。
まずは『ジュリー祭り』、そして2010年のジュリーwithザ・ワイルドワンズのツアー『僕達ほとんどいいんじゃあない』。
ジュリワンではセットリストの大トリということで、大変盛り上がりましたね~。あまりにそのインパクトが強かったので、それ以来僕は「気になるお前」の音源を聴くと、脳内にジュリーと植田さんが並んで暴れているシーンが再生されてしまうほどです。

 

ただ、ジュリーファンの先輩方はもう何度もLIVEでこの曲を体感なさっているでしょうから、思い起こすシーンも数多いのでしょうね。
ジュリーも若い頃、「ステージでこの曲は外せない!」という意識があったようですし・・・。

ここで、1973年と1974年当時のジュリー自身の言葉を、2冊の資料本から抜粋してご紹介しましょう。
これら本をすでにお持ちのジュリーファンの先輩方も多いかもしれませんが・・・。

まずは、1973年の資料。
僕が昔から、機会を見ては神保町などの古書店を巡ってかき集めている、雑誌付録歌本の中の1冊。

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『明星』昭和48年12月号付録 『YOUNG SONG』

これはジュリー堕ち以降に購入したもの。表紙はご覧の通り郷さんですが、87ページから107ページにわたり、『沢田研二大事典』と銘うって、ジュリーの歌を特集している号なのです。

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タイガース時代の大ヒット・ナンバーから、最新アルバム(!)収録「胸いっぱいの悲しみ」までを総特集。
僕にとって残念だったのは、すべての曲にスコアまたはコード譜がついているわけではなく、歌詞だけの紹介にとどまっている収載曲が多いということ。
ただ、結構写真を多めに載せてくれているので、当時先輩方の間では話題になっていたのかも・・・と想像しています。
それぞれのページの掲載写真がどのくらい貴重なものなのかが僕には分からないのですが、例えば

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こんな感じで、カラーページもたくさんあるんですよ~。

で、ご紹介したいジュリーの言葉というのは、モノクロページにひっそりとある『ジュリーはこれからどこへ行く?』という記事から。

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(本文抜粋)
タイガースの熱狂時代から、PYGのサウンド創造時代へ。そしていま、ひとり立ちのソロ・シンガーに。ジュリー=沢田研二は、長い道のりを歩いてきた。この4月『危険なふたり』ですばらしい人気を集め、その地位を不動のものにした沢田研二は、これからどこへ行こうとしているのか?
「べつに。どこへ行くいうたかて、マイ・ペースや。ま。これまでいろんなことやらされてきたんやけど、あまりアチコチ行かずにおこう思うんや、これからは」
「タイガース時代のいちばんの曲は、なんていったかて「花の首飾り」や。あのころのかつみは最高やった」
「このごろフッと思うんやけど、自分のステージを、全部自分自身で作っていきたいんや。曲だけでなく、向こうの曲は詩を自分で書いたりして・・・むずかしいけど、これができたらすごい快感やで」
「よく他人(ひと)が言うけど・・・”大人の歌手”なんて、ワシは、意識するのはマチガイやと思うんや。人はどんどん若くなるもんやで」
「ことしのクリスマス・イヴは、日大講堂(東京・両国)で、そりゃあすごいショーをやるで。期待しといてや!」

興味深いインタビューです。
その後のジュリーの歌手人生は、決して「アチコチ行かんとこ」とはいきませんでしたが、基本的なジュリーの考えというのはまったく今に至っても変わっていませんし、自分のステージを自分で、という望みは完全に達成されています。”人はどんどん若くなる”という言葉についても、当時読み流していたジュリーファンの先輩方が、今こそ噛みしめていらっしゃる言葉でしょう。

また、この時点でトッポの「花の首飾り」を称賛しています。老虎ツアー武道館のレポの同曲の項でご紹介した、トッポがジュリーに贈った言葉・・・あれもまた1973年の言葉なのです。
きっと、何年か周期でこの二人は感性の波長が合う時期が訪れるんじゃないんですか~。
期待して見守りましょう!

ということで、ジュリーは73年時点から、「自分で作る」ということに心を砕き、そういった曲でステージを埋め尽くすことを望んでいます。
一見、加瀬さんの提供曲の立場は・・・などと考えてしまいますが、そこで、続いて翌74年編纂と考えられる資料からの言葉を。

今年の始めに老虎ツアー・鹿児島公演へ遠征(帰省)した際に、親切な先輩からお預かりさせて頂いた、素晴らしく貴重なスコアです(発行年月日記載が見当たらないのですが、収載曲がアルバム『JUEL JULIE』までとなっていますので、少なくとも浄書・出稿は74年に為されたものと推測できます)。

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シンコーミュージック・刊 『沢田研二 ビッグヒット コレクション』

 

まぁ、「気になるお前」自体のスコアは他に持っていたのでさほど珍しくはないのですが(採譜もかなり粗いしね。ただ、粗い採譜の方がむしろ、自分でそれを参考にしながらああでもない、こうでもないと取り組めて、勉強になったりしますが・・・)、とにかくジュリー・ソロ・デビュー間もない最初期のシングルB面曲がズラリと掲載されているのが、圧巻なのです。

拙ブログでは5月に入りましたら”絶対に今年のツアーでは聴けそうもない曲シリーズ”というのを開催する予定ですから、このスコアに収載されている珠玉のシングルB面曲からも、1曲採り上げたいと考えています。

 

それはさておき、このスコアには嬉しいオマケがありまして・・・本を開いて右ページの下余白部に、「ジュリーのひとこと」コーナーが設けられているんですよ~。
その中にこんな一文が。

Sn390275

読めますかね?


・コンサートで必らず歌う曲は、”気になるお前”です。

 

と、断言しちゃってます。
70年代のジュリーLIVEに参加されていた先輩方は、毎回「気になるお前」を堪能できたのだ、ということが分かりますね・・・。
ならば、先の『YOUNG SONG』のインタビューでジュリーが最後に触れていた「日大講堂」のクリスマス・コンサートでも「気になるお前」が歌われていたのでしょうね。実際このステージを観に行かれた先輩、拙ブログをお読みの方の中にいらっしゃるかなぁ・・・。

ジュリーは自作曲への渇望を感じながらも、「作曲家さんの提供曲の中で、自分に合ったものはどの曲か」ということも真剣に考えていたでしょう。
「気になるお前」は、大いにジュリーの目に敵ったナンバーということになります。

 

ちなみにこのスコアの他のページ掲載の「ひとこと」コーナーで、興味深いものをいくつかご紹介しておきましょうか。

・初恋は小学5年の時、ずっと想い続けていたけど何もいえなかったのです。
・タイガースの時は、ファンのことや曲のことでメンバーといつも議論していた。
・性格は短気で、すぐにカッとするが素直なのですぐにカラッとした気分になれる。
・高校時代の空手着は部屋で普段着の代用として着ている。
・今のボクが人気にのまれないのはタイガースがあったからこそです。
・寝る時はいつもパンツ1枚で、部屋をまっ暗にして寝る。
・将来の夢は、自費出版でレコードを作り、自分のスタジオを持つこと。
・左頬に大きなホクロがあるけど他にも襟足に沢山ある。

 


ね?スコアとしてだけでなく、このコーナーにザッと目を通すだけでもなかなか楽しいのです。

さぁそれでは、ジュリーが何故「気になるお前」をそんなに好きなのかということを、突っ込んで考察してみましょう。

四月の雪」の記事にも書いたんですけど、やっぱりジュリーは当時からずっとローリング・ストーンズが大好きだったと思うんです。
歌いながらミック・ジャガーのようなアクションを披露している映像が多く残っていますしね。

で、「気になるお前」ですが・・・これは別に”モロにストーンズ”という曲ではありません。色々な洋楽の要素がミックスされ、その上で加瀬さんの明快なメロディー、日本人好みのリズムが丁寧にあてがわれている、和洋折衷の名曲と言えます。


ただ、やはり強烈なのはイントロです。
単音ではなく、コード弾きに近い複音のリフ。
しかも音を叩き斬って、シャキシャキと歯切れの良く、鋭く尖ったフレーズとなっていますよね。

このイントロのギターこそが、ミック・テイラーを迎えて以降のストーンズに象徴される音、そのものなのです。
複音リフでカッコ良く切り刻むギターのイントロが流れてくるだけで、「あぁ、これはストーンズだなぁ」と分かる、そんな”ズバリ”の音。

このパターン、ストーンズの曲で挙げると、「ブラウン・シュガー」「ロックス・オフ」「イフ・ユー・キャント・ロック・ミー」「スタート・ミー・アップ」・・・まだまだたくさんあります。
元をストーンズのデビュー当時まで辿れば、「ルート66」のカヴァー・アレンジ解釈あたりにその根本を見出せそうですが、いわゆる一般的にストーンズ=カッティング・リフ・イントロと言わしめた
本家本元、すべてはここから始まった、とされる曲は「ブラウン・シュガー」です。
ジュリーファンならば、お馴染みの曲ですよね。

ジュリーはかつて「もし無人島に持っていくならどのレコード?」という仮定のインタビューに答えて、ストーンズの『スティッキー・フィンガーズ』を挙げていたそうですね。
その『スティッキー・フィンガーズ』のA面1曲目を飾る「ブラウン・シュガー」が、ジュリーの中で特に思い入れのあるストーンズ・ナンバーであることは、間違いないと思います。

また、『スティッキー・フィンガーズ』はブラスを前面に押し出したアルバムとしても有名(代表格の曲は、B面1曲目の「ビッチ」)。
ジュリーはソロ・デビュー後大ヒットさせた「許されない愛」について、ブラス・ロックとしての手応えを語っているように、この手のアレンジが好物だったはずです。
『JULIEⅥ~ある青春』には、この「気になるお前」と「悲しき船乗り」・・・2つのブラス・ロック・ナンバーが収録されています。

僕が『JULIEⅥ』というアルバムの構成に惹かれる点として、似通った楽曲コンセプト(詞も曲もアレンジも、ということです)をZUZU=加瀬さんコンビと、山上路夫さん=森田公一さんコンビがまるで競作しているように収録されていること。
その一例が、2つのブラス・ロック「気になるお前」と「悲しき船乗り」。2曲が対になっている関係のように僕には思われます。
スマートな「悲しき船乗り」。
ラジカルな「気になるお前」。
僕はいずれも大好きですが、ジュリーはきっと「気になるお前」の方を気に入っていたに違いなく、そこにストーンズへのリスペクトの気持ちが同時に介在していたのでは・・・というのが僕の推測です。

「A→D→A→G→E7」のコード・リフは、おそらく加瀬さんの作曲段階からキメのフレーズとして出来上がっていたでしょう。
レコード音源では左サイドのリズムギターがこのリフを弾き、右サイドのリードギターは単音部以外シンプルなバックアップに徹します。このギター2本のミックスがキレイに左右に分かれて絡み合うのも、70年代のストーンズっぽい処理と言えます。
ただ、加瀬さんはモロにロックンロールの尖がったコード進行にはこだわらず、サビ部では

♪ きっといつかは 誰れの手にも
  A                     Bm

  渡さないで  僕のそばにいるんだ ♪
  D    A    F#m   D            E7

と、「Bm」「F#m」といった甘めの和音も挿入し、いわば「ロッカ歌謡曲」のような当時の日本でのヒット性要素にも配慮しているようです。これは「危険なふたり」のコード進行にも言えることで、加瀬さんの”愛情を持つ策士”ぶりがよく反映しています。加瀬さんは常に「ジュリーに合ってる!」という主観的信念(愛情)によって、楽曲提供をしてきたのだと思います。

ジュリーのために「気になるお前」を作曲してから、数十年。
加瀬さんは何度となくジュリーがステージでこの曲を歌うシーンを観てきたでしょうが、還暦のドーム公演でセットリストのラスト近くに歌われて、いっそう感激していたのではないでしょうか。
特に、ジュリーが伸び伸びと本当に楽しそうに歌う曲というのは、加瀬さんにとっても特別な曲になっているでしょうからねぇ・・・。

そうそう、『ジュリー祭り』のDVDって、極端に言うと「基本ジュリーしか映ってない」状態ですから、僕にしては珍しくあんまり演奏に耳が行かないまま観ちゃうんですけど、ただ1曲「気になるお前」だけは別です。
この曲だけ、鉄人バンドの大胆な映像露出がありますよね。
まぁ、リードギターが下山さんに切り替わっったシーンで、花道に進出した下山さんをカメラが追いきれていなかったりもしていますが・・・。

で、鉄人バンドの「気になるお前」って、何故かストーンズの雰囲気ではなくなるんですよね・・・この辺りが音楽の面白いところです。
僕が有名なシングルしか知らずにドームに参加していたら、ひょっとしたら「気になるお前」を最近の曲だと勘違いしたかもしれません。
それだけ普遍性のあるナンバー、特定の演奏表現に縛られない自由度の高い名曲、ということも言えるのでしょう。

とにかく。
ドーム以降に聴きだした近年のアルバムの楽曲ばかりでなく、「気になるお前」のような、ドーム以前から「よく知っている」つもりになっていたポリドール時代の曲についても、『ジュリー祭り』をDVDなどで振り返る時、「あぁ、自分は本当にヒヨッコだったなぁ・・・」と感慨に浸りながら観てしまう、というのも不思議なものです。これは僕にとって『ジュリー祭り』唯一に限る感覚です。

ヒヨッコついでに、この機会に2つほど先輩方にお尋ねしてしまおうかな・・・。

まず・・・「気になるお前」って、僕の知る限りではすべて、レコード音源よりLIVEの方が長尺になっていますが、LIVEヴァージョンのダメ押しのサビ部(ヴォーカルとドラムスだけが残る)って、昔からあんな風にアレンジされていたのでしょうか。

そしてもうひとつ。
東京ドームの方での『ジュリー祭り』ですけど・・・僕はこの「気になるお前」の後半部で・・・たぶんギターソロ直後かその次のAメロ頭で、ジュリーがヴォーカルの入るタイミングを間違えて、かなり突っ込んだ箇所から歌い始めてしまって慌てて正しい箇所から歌い直した、という記憶が残っているんです。
でも、DVDではキチンと歌っている・・・。
これは僕の記憶違いなのか、それとも映像制作時に修正されているのか・・・。

どうか逆伝授のほど、よろしくお願い申し上げます!

それでは・・・次回もう1曲だけ、『ジュリー祭り』セットリストからのお題での更新が続きますよ~。

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2012年4月17日 (火)

沢田研二 「Snow Blind」

from『greenboy』、2005

Greenboy
1. greenboy
2. atom power
3. Snow Blind
4. 永遠系
5. 笑う動物
6. ふたりの橋
7. GO-READY-GO
8. リアリズム
9. MENOPAUSE
10. 君の笑顔が最高

-------------------

いやぁ・・・世間では6月からのツアー『3月8日の雲~カガヤケイノチ』の初日チケット抽選の落選通知が送られてきているそうですね。
何人かの先輩方が、落選の憂き目に逢っていらっしゃいますが・・・僕の自宅にはまだ何も届いていません。
大丈夫かなぁ・・・。

しかも、今の時点で落選通知が来ているかたは、第二希望を記入していないか、もしくは第二希望まで落ちてしまった、というパターンに限られているわけですから、現段階ではまだ僕も初日に当選しているかどうかは分からないのです。第二希望に回ったかどうかは、チケットが送られてくるまで明らかになりません。
毎度のこととは言え、スリル満点ですねぇ・・・。

それもまた、ツアーを待つ楽しみのひとつと考えることにします。6月に入ったら完全にLIVEモードのスイッチを入れますが(お馴染み”全然当たらないセットリスト予想”シリーズの記事を開始するってことね)、それまでは粛々と、様々なジュリーナンバーに思いを馳せながらゆっくり朗報を待つとしましょう。

それでは。
今回から3曲ほど続けて、『ジュリー祭り』セットリストからのお題を採り上げようと思います。
ジュリーの70越えまでに、僕がジュリー本格堕ちを果たしたあの宝物のような『ジュリー祭り』のセットリスト全曲をこのブログで記事として網羅する・・・ささやかながらも大きな、個人的目標です。そのために、『ジュリー祭り』セットリストから年に10曲前後をピックアップして執筆していく、というノルマを自らに課しているのです。
まぁ単純計算だと、もう年に5、6曲のペースで充分間に合うところまで来ているんですけどね・・・。

今年はこれまで『ジュリー祭り』セットリストから「君だけに愛を」「勝手にしやがれ」という超有名なナンバー2曲を執筆しました。
6月からはツアーが始まります。そうなるとなかなか自由課題の執筆時間がとれなくなる可能性も出てきますから、この4月にまとめて3曲ほど書いておき、今年前半の5曲、ということでノルマのメドをつけておこうと思います。

まず今回は・・・。
前回記事「四月の雪」からの「雪」繋がりでもあり、「ジュリー作詞作品」繋がりでもありますバラードを選びました。
アルバム『greenboy』から「Snow Blind」、伝授です~。

まぁ一応「伝授」などと言ってはみたものの、僕としては冷や汗モノのお題です。
かなり以前から拙ブログへお越しくださっているみなさまは、僕がそう書いていたことを覚えていらっしゃるかもしれませんが・・・実は僕は少なくともドーム直後くらいまでは、この「Snow Blind」という曲がどうにも苦手だったんですよ~。

近年のジュリー・ナンバーへの圧倒的知識不足の状態で臨んだ『ジュリー祭り』で生で聴いた時には「へぇ~、面白い進行、アレンジの曲だな~」と思いました。その後の大人買い期でも、この曲との再会は楽しみにしていたのです。
ところがいざCD『greenboy』を購入し、初めて歌詞の細かい部分を把握して・・・歌詞カード読みながら聴いていると、とにかく

「まじ I love you」
  

このフレーズをどうしても受け入れることができず、途方にくれました。
今となっては、「何故そんな細かいことに引っかかっていたんだろう」と不思議にすら思うほどですが、当初は本当に違和感バリバリで。

思うに、自分のヒヨッコ加減・・・つまり、ジュリーを全然知らなかった、ってことなんだと思います。

まず、『ジュリー祭り』以前の僕にとって、ジュリーは”往年のスーパースター”でした。
もちろんずっと現役でいることは承知していたけれど、僕の認識の中では、阿久=大野ナンバーで歌謡曲のトップに立ち、その後エキゾティクスを率いてカッコいいロックをド派手にカマしていた、良い意味で偶像、虚飾を貫いたジュリーの姿があったのです。ですから『ジュリー祭り』に臨んでも、80年代までのバリバリの時代の曲でほとんど固められることを期待していました。
なにせそれまで全くLIVE参加の経験が無く、ほんの数枚を除いて、熱心に聴いていたのはポリドール時代のアルバムばかり。とにかく「人間・ジュリー」を知らなさ過ぎたこと・・・それに尽きます。

つまり当時の僕の感覚からすると、あのスーパースター・ジュリーが「まじ」なんて俗っぽい言葉を使うわけがない、というわけ。
僕の中にいたジュリーは「まじ、好き」などと言って女性を口説くなんてあり得ない・・・女性には愛されるのが必然、自分から愛を訴えることなどしない。そんな必要はない、と。
・・・なんという勝手なイメージですかねぇ~。
でもそんな感じで、ジュリーのことをよく知らずにイメージ固定している僕と同世代の人は、きっと多いんじゃないかなぁ。

しかも「まじ」ですからね。
そんな下々の言葉(というイメージでした)をまさかジュリーが、と考え、スーパースター像とのギャップに僕は悩んだワケです。
さらに言うとこれがもし「超・アイラヴユ~♪」だったら、「まじ」の数倍凹んだでしょう。ジュリーには、いわゆる僕等世代より後の若者から派生した言葉は似合わないと決めつけていました。

先述の通り、アルバム『greenboy』を購入した頃の僕は激しい大人買いの真っ最中で、ジュリーの話ができる唯一の友人(だったのよ、この頃は)であるYOKO君に、聴いたアルバムの感想をその都度真夜中の電話で報告する、というのがお決まりのパターンになっていました。
それまでは、『サーモスタットの夏』を聴いては「凄ぇぞ!」と騒ぎ立て、「PEARL HARBOR LOVE STORY」の歌詞全文をメールに書き起こして送りつけたり、『sur←』を聴いては「時計/夏がいく」の勝手な脳内振り付けを細かく説明したり、という怒涛の「オマエも聴け!」攻撃が続いていたのですが・・・。

『greenboy』の時は、だいたいこんな感じの会話になりました。

D「今度は『greenboy』を買ったんだけどさ・・・」
Y「ん?テンション低いな。どうした?」
D「”Snow Blind”って、ドームでやった曲が入ってて・・・」
Y「あぁ、シングル攻勢の後にやったヤツね。イイ曲だったじゃん」
D「うん・・・イイ曲だとは思うんだけど・・・ジュリーが”まじ、アイラブユー”って言ってるんだよ~」
Y「は?」
D「だから、これはジュリーの詞なんだけど、ジュリーが”まじ”って言ってるのが、素っ頓狂な感じで受けつけないんだ・・・」
Y「何だそりゃ?」

まぁ、その後なんだかんだと言いまして、僕の言ってることは伝わったと思うのですが、YOKO君にしてみれば自分が音源を聴いていない状態なわけですから、何のこっちゃ感はあったんでしょうね。
最終的に彼は、しょげかえるDYNAMITEをこう一喝しました。

ジュリーが”まじ”だっつ~なら、マジなんだろ!100回聴いて乗り越えろ!

で、100回・・・聴いたかな?
数えていたわけではないのでひょっとしたら50回くらいなのかもしれないけど、YOKO君の言う通り、何回も何回も聴きましたよ~。
ちょうど『ジュリー祭り』の年が明けた2009年お正月、僕は幸運なご縁があって、参加をあきらめていた『奇跡元年』に行けることになり、2000年代のジュリー・ナンバーを必死で予習した時期があります。「Snow Blind」もその頃に相当集中して聴いたんですよね・・・。

2009年末には、もうすっかりこの曲が大好きになっていました。完全に乗り越えたのです。
今では、いかにもジュリーらしい歌詞だなぁと思えてきています。
一途に、その身を相手の中に深く沈みこませよう、という詞ですよね。

前回記事「四月の雪」で、ジュリーは季節外れの雪に違和感、とまどいを覚えながらも、「たったひとつ信じられるもの」「自分の中に存在する確かなもの」として愛を描き、相手(聴き手)に無防備なまでに身体を預けるという、ジュリー作詞の今も変わらぬ本質を考察しました。
「Snow Blind」の50代のジュリーも、20代の若きジュリーと全く本質は変わっていないと思います。

♪ 降り積もるよ  君の 謎が
  Fm     B♭m7   E♭7  A♭

  愛のように 雪のように ♪
  Fm   B♭m   C7       Fm

「謎」とは、ジュリーが抱くちょっとした違和感。それが降り積もる雪にシンクロしています。
ほんの少しのすれ違いが、「君」の中に雪を重ねる瞬間をジュリーにもたらし、確かな「愛」も謎となって深く積もっていったのでしょうか。
しかし

♪ 君の知らない僕も    いるよ
  F    C           B♭m  F

  僕の知らない君がいようと ♪
  G    C          B♭    Am G(onD)

「君」が謎であろうとどうであろうと、「僕」はこうなんだ、という強い意志ですね。
「僕」の思いは確かであるということ。君の知らない僕がいたとしても、「僕」は「僕」の愛が確かであると知っている。
ならば「君」もそうに違いない、という歌なのでしょう。

相手のことをすべて知ってから好きになるなんてあり得ない、とジュリーは言っているのですね。
「知る」ことよりもまず、「まじ I love you」の気持ちの方が先。それが当たり前だし自然だろう、ということなんじゃないかなぁ・・・。

歌詞の作り的には、Aメロで謎を投げかけサビで悟る、という仕組み。
これがまた、伊豆田洋之さんの作曲とマッチしまくっています。

「Snow Blind」は基本ヘ短調ですが、サビ部だけヘ長調に近親移調しています。転調の理屈としては、「魅せられた夜」や「追憶」と同パターン。サビのメロディーでいきなりでパ~ン!と視界が開けたように明るい感じになるのです。
いざ好きになってみると、何と素晴らしい曲かと思います。

まず、伊豆田さんの曲が最高に良かった、という『ジュリー祭り』の生の感想へと立ち返り、さらにそこから、自分がこれからずっと勉強していこうと決めたジュリーという人間は、こんな人なんだ・・・そんな思いがプラスされれば、「Snow Blind」ほど無敵なバラードというのもなかなかありません。
ジュリーが「ドームで歌いたい」80曲にこれを挙げたのも、今となっては大納得なのです。
そして、ここまで「信念」あるが故に心を晒せるのがジュリーの強さ、優しさだと思いますし、だからこそ今年の新譜がああいう作品になったのだ、とも・・・。

こうして、今では大好きになった「Snow Blind」。
ただし白状しますと、僕にはこの曲の他に、乗り越えなければならない曲がまだ残っていたりします・・・。
これまでにも何度かコソッと書いたことがあるのですが、不肖DYNAMITE、未だに好きになれていないジュリー・ナンバー・・・通称”三大壁曲”と呼ばれるものが3曲存在するのです。

まず1曲目は、この曲がダメだ、と言うと多くの先輩方から「え~っ?!」とブーイングを浴びまくるというナンバー・・・おそらくジュリー界ではかなり人気の高い「素肌に星を散りばめて」。
ただ、名曲であることは認識していますから、1度でも生のLIVEで聴くことができたら必ず好きになるだろう、とは思っています。
とにかく僕みたいな奴の悪いクセ、というか陥りやすいことなんですが・・・どんな曲でも、初めて聴く際にはまず全体の作曲構成やアレンジに耳を向けてしまうんです。
で、初めて「素肌に星を散りばめて」を聴いた時
「あれっ?これは光○○NJIの「パラ○○ス銀河」にそっくりの構成じゃないか?」
と思ってしまって・・・。
無論、作曲の順序は銀次兄さんの方が全然先であることは分かっています。でも不幸にして僕は知る順番が逆でした。
以来、この曲を聴くと脳内にローラースケートをはいた少年達が登場してしまって・・・大変困っているのです。誤った脳内映像を払拭するには、直に、強烈に「これはジュリーの曲なんだ!」という新たなシーンを植えつけるしかありません。
いつか、生で体感できますように・・・。

2曲目は「お気楽が極楽」。
これは、なんだかバックでビョンビョン言ってる雰囲気と、ちょっと長尺なのが引っかかっているだけ。
要は、聴き込みが足りていないのでしょう。アルバム『いい風よ吹け』はこの1曲を抜くとちょうど通勤時間にピッタリの長さになるので、そうやって編集して聴いていた時期(2008年末)があってね・・・印象がそのままになっちゃってます。
生で聴いたらたぶん普通に盛り上がるかな・・・自信はないですけど。

そして3曲目・・・「涙のhappy new year」。
こちらも先輩方の人気が高い曲なのに、僕はどうも落ち着いて聴くことができません。そしてこの曲がダメな原因が、かつて「Snow Blind」がダメだった理由にとても近いんです。
つまり、歌詞に馴染めていないということ。特に
「携帯の機種が古すぎるから」
ってのが、どうもイカンのですよ。
何故イカンのかは、自分でもよく分かりません。ただ、こんなドラマティックなメロディーにその歌詞はないだろう!と感じた初聴の印象を、未だにずっと引きずっているのです。
これも、100回聴いたら乗り越えられるのかな・・・?

ちなみに私事ですが、今のDYNAMITEの使用している携帯は機種が古すぎ、今年の7月に強制的に通話が不可能になることが決まっています。それまでに機種交換しないと、それこそ猫や犬までに馬鹿にされそうです。
面倒な操作を覚えることが苦手なので、今時「携帯から携帯への機種変」などという稀有なパターンをやってしまいそうですが・・・一応お尋ね申し上げます。
みなさま、スマホって正直どうなのですか?
メリットあります?

「涙のhappy new year」の話に戻りますけど、思えば昨2011年は大変な1年で、年が変わる際も厳粛な雰囲気と、やりきれない思いと、祈りがありましたね。お正月といっても、浮かれた感じではいられませんでした。
そんな年の迎え方をした中で・・・ツアーを控えたジュリーの頭の中に「涙のhappy new year」という楽曲がもしかすると浮かんでいるかもしれませんね。
「Snow Blind」がセットリスト入りしたなら、今では大喜びの僕も・・・「涙のhappy new year」が来たとするなら、これは正直かなりの試練です。

でも、きっとその後、何とか好きになろうと100回でも200回でも必死に聴くでしょう。
だって・・・僕は「まじ I love JULIE」なんですからね!
降り積もる謎が解けていくほどに、どんどん好きになっていくのかもしれませんし・・・。

さて、最後に。
多くの先輩方はとうにご承知でしょうが、「Snow Blind」はいくつか映像作品が残っていますね。
『ジュリー祭り』の「Snow Blind」ももちろん素晴らしいのだけれど、僕は2004年のクリスマス・コンサート『師走-ROMANTIX』でのこの曲のシーンが大好きです。
翌2005年リリースのアルバム『greenboy』から先がけて披露されたこの「Snow Blind」には、いかにもクリスマスらしいステージ演出があって、歌うジュリーに雪(材質は紙?発泡スチロール?)が降り注ぐのです。

大量の雪にちょっととまどったような表情で熱唱するジュリー、本当に愛をむき出しにして晒すようなヴォーカルです。
まぁ「大量の雪」とは言っても、夜ヒットの「ダーリング」の紙テープほどではありませんけどね・・・。
まだ観ていらっしゃらない方々は、是非!

それでは次回も、『ジュリー祭り』セットリストからのお題更新です~。

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2012年4月13日 (金)

沢田研二 「四月の雪」

from『JEWEL JULIE 追憶』、1974

Jeweljulie_4

1. お前は魔法使い
2. 書きかけのメロディー
3. 親父のように
4. ママとドキドキ
5. 四月の雪
6. ジュリアン
7. 衣裳
8. ヘイ・デイヴ
9. 悲しい戦い
10. バイ・バイ・バイ
11. 追憶

---------------------

『3月8日の雲』全曲記事を書き終え、ホッとひと息ついておりましたもので・・・久しぶりの更新となります。
今日のお題から、またまたジュリー・ナンバー自由課題期間として再スタートです!

ジュリー界も何かと騒がしいこの頃です。
そういえば・・・
「どうしてジュリーのブログを書くの?」
と、そんな事を改めて尋ねられたのは、僕が『ジュリー祭り』の記事を書いて少しずつジュリーファンのみなさまと交流するようになってから、初めてのこと。
今、「ジュリーを語る」ということはそんなに特殊な状況なのでしょうか。僕には正直、よくは分かりません。

でも、何故書くのかと問われれば、答えは簡単。
僕自身が幸せな気持ちになるからです。

僕はこれまで、ビートルズに始まって色々な音楽を突っ込んで深く聴いてきたつもりですが、一人のアーティストについて「考える」「語る」ということが、これほどの歓びを伴うものだとは気づかずにきてしまいました。
ですから、僕にとってジュリーは「初めての人」ということになります
(変な意味ではありませんよ~)

ジュリーを考察する場合、自分がそれまでつちかってきた僅かながらの音楽知識を一応の土台とはしながらも、逆にジュリーの本質たる部分については「ほとんど何も知ってはいない」というゼロに近いところから無心でスタートしたことが、結果この歓びを知ることへと繋がったと思っています。
それは、僕の気づかなかった「音楽の深さ」を知ることでもありました。「本物」を語る時、音楽の知識だけではとても通用はしないのです。
楽曲の分析という点だけとってみても、ある程度の年齢に達して以降の自分が、いかに音楽の勉強をサボっていたかを実感させられます。

『ジュリー祭り』のレポートを書いて、持っていなかった近年のアルバムを次々に大人買いして、初めてブログに見ず知らずのジュリーファンのかたからコメントを頂いて、それが日常になってきて、自分で考えたことを記事に書くと、先輩方がそれについて色々と教えてくださるようになって・・・僕はまるで子供が言葉を覚えていくようなスピードでジュリーを知っていきました。
ジュリーをどんどん深く知ることは、何よりの新鮮な歓びでした。
40歳を過ぎて、勉強・努力をするというのは本来楽しいことなんだ、と再び思い出しました。ジュリーを考えることから派生して、ジュリーのことだけではない、色々な知識欲が向上していったのです。

今もその途中です。

ジュリーの膨大な楽曲群、エピソードと歴史の深さを考えれば、誇張ではなくこれはライフワークを見出したと言ってもよい・・・それをして、一生かけて打ち込めるものに出逢えたとするならば、こんなに幸せなことはないでしょう。
それが、僕がジュリーの記事を書き続ける理由かなぁ。

それをしないと、「言葉を覚えるスピード」がガクンと落ちちゃいますからね~。その分ライフワークにも支障をきたします。
昨年の震災以来あらためて何度も考えることなんですけど、やっぱりブログでは楽しい記事を書いていきたい、と思います。本来ジュリーのことを語るというのは楽しいこと、明るいことなのですから。
読んでくださるみなさまにおかれましては、これまで通り厳しくも楽しく叱咤して頂ければ・・・なお嬉しいです。頼もしく思っております。

よろしくお願い申し上げます!

さて再スタート、今回のお題は・・・。
アルバム『JEWEL JULIE 追憶』から、一見美しいフォーク・タッチのナンバー、しかし実は・・・という名曲を採り上げます。
この曲についても、僕が全然知らない逸話があるんだろうなぁ、とは思いますが・・・。
「四月の雪」、畏れながら伝授です~。

このお題については前回記事「カガヤケイノチ」下書きの時から決めていました。
『3月8日の雲』という新譜を聴いて・・・ジュリーの数多い才能の中でも、やっぱり最大の魅力はヴォーカルなんだなぁ、と再確認。
是非次も、ジュリーのヴォーカルの素晴らしさについて語れる曲をお題に・・・と考えていたら、折り(季節)も良し、「四月」とタイトルにつく名曲があるではございませんか。

ただ、まさか本当に今年「四月の雪」が降るとは思ってなかったんですよねぇ・・・。
おかげで各地の先輩ブロガーさん達がこぞって「四月の雪」を語っていらっしゃったばかりか、先の僕のブログ記事「カガヤケイノチ」に頂いたコメントの中でも、この曲が旬の話題に。
すっかり遅れをとってしまったDYNAMITEなのです。

それにしても先週の”春の嵐”には驚かされました。
関東圏では、4月3日の午後に嵐がやって来ました。僕はその日会社でたまたま大きな仕事があったもので、早退などできるはずもなく・・・帰宅時刻はまさに暴風の最中。
いざ帰宅、となった際に後輩社員が「傘をさそうなどと考えてはダメです!」と言い放ち、大きなゴミ袋の底を丸く切り取ったものを用意してくれて、皆それを頭からかぶって帰路に着きました。
これが大正解で・・・傘をふんばってさそうとしてズブ濡れになっている人々を横目に、僕はまったくと言って良いほど濡れませんでした。格好は恥ずかしかったですけどね・・・。

まぁ僕はそんな程度で済んでいますけど、各地で雨風による深刻な被害も出ていますし、北海道では「四月の雪」どころか「四月の外は吹雪」くらいの天候になってしまったとか・・・。
地震のこともそうだけど・・・ここ数年の乱れた気候の変化も、やはり「地球が怒っている」ということなのでしょうか。

 

ジュリーは20代の頃から、そういった空気には敏感だったのでしょうね。
僕のような平凡な者は、例えば「四月の雪」というフレーズを何気なく味わった時に、”何か趣のあるもの”というイメージで安易に咀嚼してしまうわけですが、実はこの1974年の作詞の時点でジュリーはすでに、季節外れの天候に際して違和感を覚えているようです。
何か落ち着かない、何かしっくりこない。四月に降る雪を目にして、そんなふうに歌っているように感じられます。

♪ 風がやんだ夜の 時は速くすぎる
  D              Em                 D

  窓をあけてみたら 雪が降ってた ♪
  D             Em       G    A       D

そんな漠然たる違和感の中で、ただひとつ信頼できる「愛」に対しては、無垢なまでに身体をあずけ、相手(聴き手)が思いもかけないほどの激しい情熱をもって深く入り込んでいこうとする・・・。この主人公は、やはりジュリー自身の投影でしょう。

クールな視点と激しい感情が入り乱れる若きジュリーの危ういほどの美しさは、何も容姿に限ったことではありません。そしてその本質的な美しさは、僕が『ジュリー祭り』以降に聴く始めた、近年から最新の作品に至るまでずっと変わっていないんだなぁ、とも思えます。

さて「四月の雪」は作詞のみならず作曲もジュリー自身の作品ということで、後追いファンとしては、色々と当時ジュリーが好んで聴いていた音楽のことを想像したりして、考察も楽しいです。
レコーディングされた完成形は70年代セメント・フォークのような仕上がりになっていますけど、ジュリーの作曲の骨子となっているのは3連符のブルースのようです。リズムを分解してみると、同アルバム収録の「親父のように」や「ヘイ、デイヴ」と同じパターンになるのです。

以前の考察記事で書いたように、速水さん作曲の「親父のように」はローリング・ストーンズの「アイ・ガット・ザ・ブルース」を思わせるナンバー。
ジュリーと井上バンドの間にどっぷりとしたストーンズ・サウンドのムーヴメントがあったとするなら、この『JEWL JULIE』は格好の考察材料になると僕は思っています。
「四月の雪」同様にジュリー自身の作詞・作曲作品である1曲目「お前は魔法つかい」がモロにストーンズ風であることなどから、当時のジュリーのストーンズへの傾倒は大きかったと言えるでしょう。とすると、ジュリーの作曲段階での「四月の雪」は、そのリズムとメロディーの載せ方(言葉数に比して声を伸ばす音が多い)から、案外「Love In Vain」あたりを参考に作られたのではないかなぁ・・・。

ただ、ジュリーの作曲が面白いのは、メロディーやコード進行が一筋縄ではいかない、という点ですね。

♪ 四月だというのに 風が冷たい夜 ♪
  D             Em                    D

この部分の進行とメロディーについては、古くからあるポピュラー・ミュージックの王道。歌謡曲でも童謡でもポップスでもフォークでも、そしてもちろんロックでもイケる、万人の胸をくすぐる旋律です。
有名な曲の例を挙げると、僕が初めてこの手の進行とメロディーに出逢ったのは、「ビューティフル・サンデー」のサビ部ですかね~。テンポや雰囲気は全然違うけれど、あの有名なサビを歌ってみると「あぁ!」とお思いになるはずですよ。
「四月の雪」とは、どっちが先ですっけ・・・?

ところが一転、サビ部は王道どころか・・・ジュリー・オンリー道。
堯之さんや大野さんも大いに意表を突かれたであろう、ニ長調からホ短調という風変わりな転調が登場します。

♪ 愛は何故に君を引き止める ♪
  Em            C    G       D

使用するコードからして、ジュリーに「転調」の意識はないのかもしれません。
と言うのも「引き止める♪」の部分では
「あれっ?D(ニ長調のトニック・コード)に戻ってきたのに・・・何か落ち着かない、変な感じだな」
という、メロディーの居心地の悪さが感じられるのです。
それが、逆に斬新で素晴らしい。普通の作曲者であればここは「D→B7」とコードを載せて、ホ短調へのキレイな着地を目指すところ。
ところがジュリーはポ~ンと放り出すようなメロディーを残し、まるで歌の主人公の不安を煽るように、リフレインへと這い戻ってゆくのです。
粘り強く我慢強い、孤高のメロディーだと思います。

ちなみにジュリーが「四月の雪」で採用したニ長調からホ短調への転調アイデアは、後のアルバム『チャコール・グレイの肖像』冒頭収録の「ジョセフィーヌのために」で踏襲され、素晴らしい完成度をもって到達点を迎えることになります。
ジュリーは若い頃から「自分の言葉で作ることができれば上手く歌える」と発言していたらしいですが、それは詞のみならず曲についても言えることだったのでしょうかね・・・。

さぁ、それではいよいよ「四月の雪」最大の魅力・・・ジュリーのヴォーカルについても少し語っておきましょう。
この曲で堪能できるのは、美しい中に「静かな咆哮」を感じさせてくれる、独特のヴォーカル・スタイルです。

 

僕が今回、ジュリー・ヴォーカルの魅力溢れるナンバーとして「四月の雪」をピックアップしたのは、やはり昨年から今年にかけて体感した老虎ツアーの影響が大・・・つまりザ・タイガースのジュリー・ヴォーカルを見出せる曲、という理由によるものです。
まぁ、70年代のジュリー・ナンバーには特にそんな曲が多いんですけどね。

 

僕の個人的なイメージかもしれませんが、2つほど他の曲例を挙げてみますと・・・。

 

まずは老虎ツアーでまさか!のセットリスト入りを果たし、ジュリーのヴォーカル、サリーとピーのパッションに多くのタイガース・ファンが酔いしれたハードなロック・ナンバー「割れた地球」。
この曲のヴォーカルは、アルバム『JULIEⅣ~今僕は倖せです』収録の「怒りの捨て場」に引き継がれていると思います。
独特のシャウトのタイミングや、ブレスの激しさ・・・そして何よりこの2曲は曲想やアレンジ、歌詞のコンセプトにも共通するところがあり、僕などは6月からのソロ・ツアー『3月8日の雲~カガヤケイノチ』のセットリスト・サプライズとして密かに期待しているほどです。

 

もう1曲は、残念ながら老虎ツアーでは歌われなかった後期タイガース・珠玉のシングルB面の一角、「はだしで」。
この曲でのちょっと気だるそうな、太陽に焼かれるような息遣いのヴォーカル・スタイルは、アルバム『JULIEⅥ~ある青春』収録の「船はインドへ」後半のヴォーカルに引き継がれているように僕は感じます。
この考察については以前異論も頂戴したことがありますが・・・声の出し方や、60年代末から70年代初頭のアメリカン・ロックの流れを汲んだような抑制の効いた歌声が、そっくりだと思っているんですよね・・・。

 

では、お題の「四月の雪」のヴォーカルで僕が想起するタイガース・ナンバーとはどの曲なのか、と言いますと。
これは、アルバム『自由と憧れと友情』の中で僕が最も好きなナンバー、「誰れかがいるはず」なのです。
みなさま、意外に思われるかもしれませんね。「四月の雪」と「誰れかがいるはず」とでは、曲調もテンポもアレンジも全然違いますから。

しかし、ですよ。
僕は以前「誰れかがいるはず」を聴き込んで、ジュリーは”叫ぶように囁く”ことのできるヴォーカリストだと書きました。
ハスキーと単純に言うのとは違う、地声と裏声のギリギリ狭間のような発声で、男声としてはかなりの高音域を歌う「誰れかがいるはず」でのジュリー。
そのジュリーが、「四月の雪」にはさらに美しさを増した形で現れていると思うのです。
歌い出しいきなりの最高音(「ファ#」)で、そんなジュリー・ヴォーカルに引きつけられます。

この声であの容姿なわけですからね。若き日のジュリーというのはそりゃもう反則レベルだったでしょう。
カミさんが最近DVD『夜のヒットスタジオ』disc-2収録「サムライ」の、ラストシーンでジュリーが涙を流すシーンを激賞しまくっているのですが・・・まぁ確かにあれは、男性から観てグゥの音も出ません。
そのせいでしょうか・・・僕が脳内で「四月の雪」を歌うジュリーの映像を空想再生すると、そこでもジュリーは涙を落として歌っているんですよね~。そんな雰囲気を感じさせるヴォーカルだと思います。

淡々としているのに、慟哭や切なさを感じさせる歌声。
そしてこの時のジュリーは、確かに2012年の新譜にも現れている気がします。何処がどう、とハッキリとは言えないのですが・・・。
ただ、現在のジュリーの発声表現の方が、地に足がついていて優しくなっているのかなぁ。
その分、「危うい美しさ」が減っていると言えるのかもしれないし、そうではなく、すべてがそのまま残っているのかもしれない。でも、優しく温かくなっているのは確かだと思います。

そんなわけで・・・。
このところは、ようやく四月らしい気候に恵まれた暖かな日々です。
桜舞う季節に母親を亡くしてから、早いもので12年が経ちました。以来、やはり毎年この時期になるとそのことを思い出します。
ですが、前回「カガヤケイノチ」の記事に頂いた先輩のコメント・・・本当にその通りで、たとえ僕が、或いは様々な人がそこに何を見ようとも、桜はただただきれいですね。

そこで本日のオマケは・・・先週から今週にかけて僕があちこちで出逢った、今年の桜達です~。

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さて次回更新では、『ジュリー祭り』セットリストからお題を採り上げる予定です。
ジュリー70越えまでに『ジュリー祭り』セットリストを拙ブログ記事で完全網羅する!という目標に向かって、今年も「1年に10曲前後執筆」のノルマを少しずつ果たしてまいります~。

せっかくだから、ジュリーの作詞作品の考察をもう少し続けてみようかな・・・。

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2012年4月 4日 (水)

沢田研二 「カガヤケイノチ」

from『3月8日の雲』、2012.3.11

38


1. 3月8日の雲
2. 恨まないよ
3. F.A.P.P
4. カガヤケイノチ

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『3月8日の雲』全曲記事執筆シリーズも、今回で最後です。当初、3月いっぱいに書き終えるという目標を掲げておりましたが、予想外の大変なエネルギー消費に、達成には至りませんでした。
それはそのまま僕自身の力不足ということでもありましょうが、最後の曲まで入魂度は落ちませんでした。自分にとって、それは良かったなぁ、と思っています。

有終の美、となればよいのですが・・・いよいよ今日のお題は「カガヤケイノチ」です。

オフィシャル・サイトでは「シングル曲」としての追記があったナンバー。「シングル曲」の明確な表示が何に繋がるかと言うと、例えばアルバム・ヒットチャートのラジオ番組でこのCDがラインクインした時に、CDを代表してオンエアされるのが「カガヤケイノチ」になる、といったようなことです。
今のところ、そういう情報を僕は得ておりませんが・・・。

僕は今回の新譜を何度か聴いた段階で、すぐにこの「カガヤケイノチ」が一番好きになりました。
それは今でも変わっていません。
ただ・・・どういうふうに好きか、という個人的な思いについては、どんどん変わっていきました。
最初は、「こんなキレイな音は初めて聴いた!」と感動したアコースティック・ギターのワルツ・ストロークと、ジュリーのヴォーカルに惹かれました。
次第に、ジュリーがオフィシャルサイトに「この曲がシングルだよ」と追記した気持ちがそのまま伝わってくるような歌詞と、見事なまでに詞とシンクロした楽曲構成に心を奪われていきました。

発売前に執筆した楽曲予想記事の中で、唯一当たっていた(と自分で思った)のが、「カガヤケイノチ」について書いた


ジュリーの詞は、これが一番泣けそうな予感がします

という1行。
歌詞カードを見ながらエンディングのコーラスを一緒に歌うと・・・自然と涙がこみ上げてきていました。
この曲が4曲目で本当に良かった・・・ジュリーの歌詞を味わいながら、何度もその感動に浸っていました。

しかし、今。
同じ箇所を聴いた時にこみあげてくる涙と感動の意味合いが、少し違うものになってきています。

「ジュリーが自分に向けて歌ってくれているような感じ」

多くのジュリーファンが、色々なジュリーナンバーに抱いていらっしゃる感覚ですよね。
でも、僕にとってはこれ、結構珍しいことなんです。

僕が今回、そんな予期せぬ感覚に触れて、突然書きたくなったこと・・・それが今日のお題の最大のテーマであり、『3月8日の雲』レビューの締めくくりです。
またしても今回個人的な思いに偏りながらも・・・みなさまに心からお伝えしたいことがあります。

感謝を込めて。
「カガヤケイノチ」、伝授です!

これまで3曲の記事で、僕は繰り返し
「このアルバムは4曲でひとつ。通して聴くべき作品だ」
と書いてきました。
コメントをくださった多くの方々も、同じ感想でいらっしゃるようでした。でも、今の僕の考え方は、かなり変わってきています。

実は僕は、このアルバムの3曲目「F.A.P.P」までの記事を書き終えた後、何か虚脱状態のような感覚に陥ってしまいました。
そして・・・こんなことは初めての経験だったのですが、ジュリーのこの新譜をしばらく聴きたくない、という気持ちになりました。聴くのが辛くなってしまったのです。

救ってくれたのは、「カガヤケイノチ」でした。


思いもしなかった感情に戸惑いながらも
「もう1曲記事が残っている・・・頑張れ!」
と、自らを鼓舞しつつ「カガヤケイノチ」だけを抜き取って、1曲だけ繰り返し聴きました。

♪ 頑張ら ないでいい 泣いていいのに
  B    F#  G#m   D#m  E       B        F#

  笑って 生きて行くしかないのですね
  B    F#  G#m  D#m  E       F#       B

  イノチアルモノ ♪
  Em             B

今の僕にはこのジュリーの歌詞、メロディーと歌が、ほんの半月前とはまったく違って聴こえています。

「頑張らないでいい♪」
この言葉は、ジュリーファンにとっては新譜発売のずっと前から、すでに馴染みの深いフレーズだったと言えるでしょう。
「頑張ってる人に”頑張って”と言ったらイカン!」
というのはジュリーがLIVEのMCでよく語ってくれることですし、昨年の震災を受けての発言の中にも、「頑張らなくていい。ゆっくりゆっくりでええんや」と、ジュリーは被災地の復興にそんな思いをかけていたのでした。

僕は・・・そしておそらく多くのみなさまも、「カガヤケイノチ」の先述の歌詞・・・「頑張らないでいい♪」が、被災者の方々に向けられたものだと思っていますよね。
それは、たぶん間違いないことでしょう。

しかし今、被災者ではない僕が
「オマエ、そんなに無理して強くなろうとするなよ」
とジュリーにこの曲で言われているような気がしているのです。
ジュリーが「頑張らないでいい♪」と歌うのを聴くたびに、少し前までとはまったく別の感動に襲われ、涙が溢れてきます。

今だから言える本心を吐露すると。
ここまで3曲の考察記事執筆は、ジュリーの素晴らしさを語るにふさわしい楽曲ばかりで大いに気合も入り、張り切りましたが・・・一方ではとても辛かったのです。
どれも文句なく大好きな曲なのに、いざブログで語ろうとすると、何やら無性に怖かったです。
しかもその「怖さ」は、1曲目から3曲目へと進むに従って、加速度的に大きくなっていきました。

「3月8日の雲」「恨まないよ」「F.
A.P.P」、これまで書いてきたそれぞれの記事中で僕は、色々と考えが至らなかったり、間違ったことを書いたりしたでしょう。
でも、僕なりに真剣に楽曲と向き合ったことは確かです。そうしないと書けないような3曲だったのです。
でも、この3曲に真剣に対峙し向き合うには、まず自分が苦しまなければならない、シンドイ思いをしなければならない・・・知らず知らずのうちにそんなふうに考えてしまいました。
そうでなければ、被災者の方々に申し訳ないような気がしていたのでしょうか・・・。

僕は、精神的にはまぁお気楽で鈍感な方だと自分では思っています。
そんな僕が、「F.
A.P.P」の記事を書き終え、改めてこのアルバムを聴いた時・・・何だか胸が圧迫されるような感覚を覚えました。音を受け入れるのがキツい、と一瞬の思いがよぎりました。

「聴けなくなった?・・・そんなバカな!」

と自分で自分に驚愕しました。
CD発売当初
「凄いと思う・・・でも凄過ぎて、だんだん聴くのが怖くなった。聴けなくなってきた」
と仰っていた先輩がいらっしゃいます。
僕は「こんなに良いアルバムなのに、何故?」と思っていました。しかし僕は、随分遅れてそのお言葉を実感することになったのでした。

何がそんなに怖かったのか。
それは・・・心の平穏が失われる、という恐怖だったと思うのです。

今回の新譜に抵抗を感じていらっしゃるジュリーファンのかたは、意外と多いようです。
「好きになりたいのだけど、聴けない」・・・それは、そういった先輩方が無意識に「自分の気持ちがどうなってしまうかわからない」という”怖れ”に気づいていらっしゃるからでは・・・。
ジュリーの激しいメッセージが発する温度、あまりのまばゆさを、きっと鋭く直感していらっしゃる。

僕などは、ブログの楽曲考察記事ということで気合を入れて、いきなり曲の核心に踏み込んでいったは良いけれど、これは言わば・・・「かけ湯」をせずに50℃近いお風呂にそれと知らず飛び込むような行為だったわけで(伝わるかな?)・・・。

このアルバムの楽曲に真剣に対峙する。僕にとって楽曲考察の記事を書く、ということがそうだったのですが・・・それは、自分の限界ギリギリくらいの精神力を投じることが必要でした。
そうしていると、辛さ、苦しさなどのマイナスの感情との戦いが生じます。それに打ち勝っていくことは何とかできるにしても・・・次第に心がささくれだって、荒んでくる瞬間が確かにあったのでした。

凡人たる自分が強く心を保つには、それも仕方のないことでしたし、それがジュリーの新譜に向き合い、作品のテーマとなっている震災や原発事故を自分で考えるために必要なことなんだ、と思っていました。

でもジュリーは、聴く人にそんなことを強要してはいなかったんですね。

「頑張らないでいい」
「強がらなくていい」
「苦しい時は、考えるのをやめたっていい」
「時には、向き合うことから逃げたっていい」

僕はここへきて、そんなふうに「カガヤケイノチ」を聴きました。

勝手な思い込みかもしれません。
それにしたって皮肉というか何というか・・・僕は自分が「頑張った」からこそ、そんな気持ちでこの曲を聴けるようになったのかなぁ、とも考えます。
その上で、若輩の身でとても生意気ながら・・・みなさまには「無理して頑張らないでください」と申しあげたいです。

もちろん、心身ともに元気な時にはジュリーのこの新譜を聴いて、ジュリーが提示したテーマを自分なりに考えるのはとても大切なことだと思います。
でも。

苦しい時は、逃げたっていいじゃないですか。
辛い時は、目も耳も、そむけたっていいじゃないですか。

このアルバムを聴くのが辛いと仰るかた・・・ならば、無理して聴くことはないのです。
聴ける時に聴けばいいし、対峙するのがシンドイ3曲を除いて、最後の「カガヤケイノチ」1曲だけを繰り返し聴いていたって良いと思うのです。

こんなことが起こったんだから、常に心を強く持っていなきゃだめだ、なんてことはないと思います。
無理して考え込んだせいで、優しい気持ち、穏やかな心を失くしてしまわないように。
本当に大切な「人の気持ち」というのが何なのか・・・ジュリーは「カガヤケイノチ」でそれを歌ってくれているんだと僕は思うなぁ・・・。

ジュリーの今回の新曲を聴いて、色々と考えて、苦しみ、悲しみ、戸惑い、悩み・・・確かにあります。
それが「ブレる」ということであれば、ジュリーは
「それでいいんだよ。それが当たり前だよ」
と言ってくれているのではないでしょうか。

そこで、逆に改めて知らされるのが、ジュリーの強さです。
ジュリーは強い・・・途方もなく強いですね。

ファンは、この新譜をただ聴く立場・・・それでもジュリーの歌を全身で受け止め、曲と対峙するには莫大なエネルギーを使わねばなりません。
とすれば・・・イチから歌いたいことを纏め上げ、作品に昇華し広く世に問うということをやってのけたジュリーの心身にかかるプレッシャー、注ぎ込まれたエネルギーは、一体どれほどのものなのか。
実際、色んなことを言われたでしょう。目にし、耳にしたでしょう。
ジュリーの心の負担は、想像を絶します。

それでもジュリーは、苦しみや悲しみを歌う以上の、大きな優しさを忘れなかった・・・穏やかな心を失うことなど無かった。
それがジュリーの強さです。それが「カガヤケイノチ」という曲です。僕はそう思います。

いつも遊びに伺っている先輩のブロガーさんが、僕の「F.A.P.P」の記事を過分なまでのお言葉で紹介してくださり
「きっと後には爽やかな風が吹いている」
と仰ってくださいました。
力を尽くして書いたことが少しでも報われたような気がして、嬉しかったです・・・。
そして、僕にとっての「爽やかな風」は、「カガヤケイノチ」という曲の中にこんなにもたくさん詰まっていたんだなぁ、と今大きな感謝の気持ちに包まれています。

僕はそう思えたから、現金なものでアッという間に復活。この大名盤をまた再び毎日ガンガン聴きまくっていますよ。
全曲通して聴いた時、最後に「カガヤケイノチ」が待っている・・・というのが、何物にも変えがたい歓びです。
人の心って、単純なのか複雑なのか、ですね・・・。

そういえば、昨年のことで少し思い出した話があります。
4月・・・仙台駅からすぐ近く、青葉通り沿い付近にある楽器・楽譜の有名ショップさんが、まだ3月11日以降の大きな痕跡の残る状況下で、お店を再オープンすることが決まりました。
店頭の商品はほとんどが傷んでしまっていたため、新たに品揃えからの再スタートです。各メーカーに、決意漲る書面と共に大量の発注が届きました。

通常メーカー側は、書籍などをダンボール箱で発送する場合、商品のサイズがまちまちだったりすると、「パッキン」といって、包装の梱包紙などを丸めたものを隙間に詰め込んで荷物を作ります。
その日、僕の勤務先はいつも通りにしてしまったのですが、あるメーカーさんは、「パッキン」の代わりにチョコレートなどのお菓子を大量に買ってきて、ダンボール箱の隙間に敷き詰めて発送なさったそうです。

後に、そのショップさんが「嬉しかった」と感動されていたというお話が伝わってきました。
「粋なことするなぁ。素敵だなぁ」
と感心したこと・・・そんなことを、今になって僕はまた思い出したのでした。

こういうことってやっぱり、普段から自然体の優しさと穏やかな心を持って被災地のみなさんに思いをかけていらっしゃる・・・そんな志のかたの、スッと思い浮かんだアイデアだったんだろうなぁ、と思うわけです。
今後、何かのきっかけで被災地の方とご縁があった際、「自分は今度のことをこう考えています」とか、「何と言葉をおかけすれば良いのか・・・」とか、そんな主張や迷いを抱くのではなく、自然にスッと日頃の思いを行動に示せる、言葉に表せる・・・そんな優しさを持つ人でありたい、と僕は今考えています。

ジュリーの「カガヤケイノチ」の歌詞に、僕は同様の思いを感じました。

♪ 歳   月が過ぎよう と 
  Dmaj7   D6    Dmaj7  D6

  待ち つづけてる人  に
  Dmaj7   D6     Dmaj7   D6

  See           温もりを あげたい
  Em Emmaj7 Em7 A    Dmaj7  D6     Dmaj7  D6 ♪

少し前まで、今ひとつ咀嚼しきれていなかったこのAメロの2回し目の歌詞が、今なら分かるような気がするのです。

でも・・・泣けるのは、歌詞だけではありませんね。

それではいよいよ、ジュリーの素晴らしいヴォーカルと、下山さん渾身の作曲、鉄人バンドの暖かな演奏などについても語ってまいりましょう。

このアルバムの曲並びが、後になるに連れてどんどん高音域になってゆくことは、前回記事でも触れました。
64歳になろうというジュリーが・・・おそらく今年が最後の挑戦になるでしょう、レコーディング作品としては本当に久しぶりに、高い「ラ」の音を解禁したのです。

♪ ブ レ つづても 貰った命 ♪
  G   A  F#7    Bm     Em    A     F#

「ブレつづけても♪」の「け♪」が高い「ラ」の音。
「F.
A.P.P」の最高音としても登場したこの音。この曲では、それは正に奇蹟のヴォーカルです。

「カガヤケイノチ」の場合は「F.
A.P.P」と比較すると全体的に音域設定が高めで、これは男性よりもむしろ女性のキーに合うのではないでしょうか。
Aメロの頭から既にメロディーがオクターブ超えということで、ジュリーは声を休める間もないほどなのです。

しかし何よりも、「カガヤケイノチ」の穏やかな曲調が、ジュリーがスッと気持ちを込められるものだったのでしょう。
そのため、そんなに高音域だとは思えないほどの自然で伸びやかな、それでいて力強いヴォーカルになっていますよね。

そこで、下山さんの作曲についてです。
発売前、「カガヤケイノチ」というタイトル、下山さん作曲、ということから僕もあれこれと予想をしまして、最初はエイトビートのポップ・チューンかな・・・とか、新調
したアコギで作曲するだろうから、「Beloved」みたいな感じかも、と思い直したりしました。
いずれも、外れました。
「カガヤケイノチ」は、アコースティック・ワルツでしたね。

ワルツとは意表を衝かれましたが・・・改めて聴くと、このリズムがジュリーの作詞のコンセプトと見事に融合しています。
穏やかに浮遊している感覚。ゆっくりと揺れながらも、安心できる確かな存在の上にしっかりと支えられているような感じです。

いつもお世話になっている先輩が、「ワルツは人間の一番の気持ちの音楽」という加古隆さんの言葉を教えてくださいました。さらに、「ジュリーが好きな”天然の
美”もワルツですね」とも。
ジュリー、あの曲が好きだったのか・・・僕はそのお話、今回初めて知りました。
ちなみに「天然の美」(=「美しき天然」)は明治時代に作られた唱歌だそうですが、曲中に1箇所だけ、転調もしていないのにとても斬新な音階が登場するところがあって、「凄い曲だなぁ」と、僕は以前から興味を持っていたものでした。
意外なところでこの曲のお話が伺えて、驚き感心させられた次第です。

さて、下山さんの「カガヤケイノチ」は、柴山さんの「F.A.P.P」に負けじと複雑な転調を駆使した、高度な楽曲です。
イントロからBメロまでが、ニ長調(部分的にロ短調への平行移調あり)。サビがロ長調。
短い伴奏部を挟んで2番(Bメロ途中からの導入)でそれを繰り返し、さぁ間奏ギターソロ!というところで突然半音上がってのハ長調へと昇華します。
「いざ間奏」で半音上がりのカッコ良さは、同じワルツ・ナンバーであるポール・マッカートニー&ウイングスの「夢の旅人」を思い出しました。

下山さんの中には、カントリーのイメージが最初にあったような気がします。
意外とテネシー・ワルツあたりの雰囲気が狙いかもしれません。アコギでそれを作る、というのがミソだったんだと思います。

仕上がった音源は、ジュリーの詞との融合や、それに伴う独特の浮遊感、浮上感を持つアレンジが施されたことで、まったく新しいジャンルのような、不思議な魅力を持ったナンバーとなりました。
例によりまして、ヴォーカル、コーラス以外のすべての演奏トラックを書きだしてみましょう。

・アコースティック・ギター(下山さん)
・エレキ・ギター(2番から噛む、サスティンの効いたリード・ギター。柴山さんのように聴こえるけど・・・自信がありません)
・キーボード(ポワ~ンという幻想的な音色。泰輝さん)
・オルガン(イントロや間奏のキーボードとは別の、シンプルなオルガンの音色。泰輝さん)
・謎の低音(1番Bメロから噛んでくる薄い低音。オルガンのようにも聴こえるし、シンセベースの一種のようでもあります。ほとんど主張の無い音で、2番以降はトラック判別すら困難。下手するとギターの音なのかも・・・)
・ドラムス(GRACE姉さん)
・エレキギター(最右トラックで、楽曲全編に渡ってあぶくをたてているような音。この音はギターなんですよ!たぶん柴山さん)

最左のアコースティック・ギター、最右のエレキギターは、ともに楽曲全体を最初から最後まで徹底して包みこんでいます。
ワルツが人間の一番の気持ちの音楽とするならば、「気持ち」を刻むワルツがアコースティック・ギター。呼応して浮遊感を演出するのがエレキギターという役割です。
問題は、もうひとつのエレキギター・トラック・・・中央のリード・ギターが柴山さんで合ってるのかなぁ、ということ。
作曲が下山さんだから、普通は下山さんだと考えるところなんですけど、音色やフレージングが「涙色の空」のリード・ギターにそっくりなものですから・・・。ならば、柴山さんかなぁ、というのが僕の推測です。
泰輝さんは最大で3つの音色を使い分けている可能性がありますが、別録りではないように思います。泰輝くさんが別録りを敢行したのは、このアルバムでは「3月8日の雲」1曲だけではないかなぁ・・・。

さて、演奏の見所については、これも例によりまして・・・LIVEでの配置予想と併せて語っていきます。

柴山さん・・・エレキギター
イントロからしばらくは、CD音源で右サイドから聴こえているおぶくを立てるような浮遊音を再現してくれるのではないでしょうか。しかしBメロからサビにかけては、単音弾きで低音のカバーに当たると予想します。
間奏のリードギターは、おそらく「涙色の空」のようなサスティンの効いた音色設定になるでしょう。「ちゅくぎゅ~ん!」はさすがにナイと思いますけどね。
あとは、何と言ってもコーラスです。エンディングの「笑顔~で~♪」のコーラス部で、文字通りの満面の笑顔をもって歌ってくれるのは、ステージ上では柴山さん一人だけでしょう。注目です!

下山さん・・・アコースティック・ギター
この曲はアコギでしょう!
ひたすらにそれを切望いたします。繰り返しになりますが、とにかく「カガヤケイノチ」のアコギ・ストロークは、洋楽含めて、僕がこれまで聴いてきたすべての音源の中で一番キレイなアコギの音でした。ほどよくシャリッとしていて、ハイコードは硬派に、ローコードは柔らかく鳴っています。
その威力を、是非LIVEでも体感させて欲しい・・・。
見所は、ハイコードの連発となる1番、2番のサビです。結構ヘッドから遠いところまで動き回る進行になっています。
そして最後のコーラス部のサビでは一転、ローコードでの優しいストロークになるはずです。ちなみにこの箇所だけに関して言えば、ギタリストにとって、完全に目をつむっていても弾けるほどの簡易な演奏ということもありますし、ならば下山さんのコーラス参加にも期待してみたいと思います。

泰輝さん・・・オルガンなど
基本、CD音源と同じ音色設定と予想します。イントロと、1番と2番の間の間奏部が泰輝さんのソロということになりますね。
イントロにしても間奏部にしても、例えば下山さんのアコギは「Dmaj7」をずっと引っ張っての演奏。「Dmaj7→D6」の循環を表現しているのは、泰輝さんのキーボード・フレーズなのです。キーボードが消えると今度はジュリーの歌うメロディーがその役を引き継ぎます。
ヴォーカルとキーボードのかけ合い、という意味でも、ジュリーと交互にスポットを浴びるなどの、照明の工夫が為されるかもしれません。

GRACE姉さん・・・ドラムス
1曲目「3月8日の雲」の記事中では、ブレイク部で炸裂する”鬼姫ロール”に注目、と書きました。
4曲目「カガヤケイノチ」にも、GRACE姉さんのドラムロールが登場します。ただ、聴こえ方はまったく違います。
「3月8日の雲」がハードな戦慄のロールとすれば、「カガヤケイノチ」は、優雅で前向きな、マーチング・ロール。これを、”くの一ロール”と名付けましょう。だって、下山さんの曲だもの(意味分かんないかた、ごめんなさい)。
しかしジュリーLIVEでのGRACE姉さんのステージで毎回驚かされるのは、「そのフレーズを叩きながらコーラスまでとりますか!」・・・というね。
今回もそれが観られるでしょうか。
リード・ギター部の「Hoo・・・♪」というコーラスに注目です。マーチング・ロールを叩きながらコーラスまで担うとなれば、これまた凄いことですよ!

それでは、最後になりましたが・・・。
「カガヤケイノチ」は目まぐるしい転調と難解な構成を擁する高度な楽曲と言えますが、耳当たりは穏やかで、清々しいポップ・チューンです。
転調部ごとのパーツ・・・Aメロ、Bメロ、サビをそれぞれ独立して切り取ってみると、抜群にメロディアスであることが分かります。難解なのは、美しい3種類のパーツを繋ぐ手管ということです。

特にサビのコード進行は古き良きフォーク・ソングの構成に通じるものがあり、親しみやすいメロディーとなっています。
そしてそのサビ部は、1番、2番のロ長調を終えた後、半音上がりの転調でハ長調のギター・ソロへと繋がり、そのまま最後の大コーラス部へと移行していきます。
ここまで、ハイ・コードを駆使して忙しく演奏されていたアコースティック・ギターは、最後の最後に最もシンプルで最も易しい王道のロー・コード進行となり、謎が解けるように解放され地に足を下ろしたストロークに変わります。
そして、#も♭も付かない裸のメロディーが待っているのです。

最後のサビ部だけが、明解で易しいメロディーと演奏に収束していくことは、何かこの曲のテーマ、本質をそのまま表しているように僕には思えます。

この最後のサビ部・・・ジュリーは「一緒に歌ってね」と、きっとそう言ってくれていますね。そう聴こえますよね。
これまでジュリーがステージなどで「一緒に歌って」とお客さんに語りかけたナンバーが過去にどのくらいあったのか・・・新規ファンの僕には分かりません。
『ジュリー祭り』が初のジュリーLIVEだった僕にとって、それを生で体感できた楽曲は「あなたに今夜はワインをふりかけ」ただ1曲です。よく考えたら、あの曲も「ラララ・・・♪」というハミング部が最後に待っているんですね。

シンプルで、覚えやすいハミング・リフレイン。
もう余計な言葉はいらない。難しいことは考えなくていい。ただ、歌がある。
ジュリーは、「笑顔で」「寡黙に」「カガヤケイノチ」の3つのフレーズだけを最後に残し、歌に託しました。
そして下山さんの作ったメロディー、コード進行とバンドの演奏も、最後の最後に究極にシンプルな形にまで収束されました。
それが『3月8日の雲~カガヤケイノチ』という作品の、必然のフィナーレなのだと僕は感じます。

みなさまの中に、昔ちょっと弾いていたギターがケースに埃をかぶった状態で保管されている、というかたはいらっしゃいませんか?
なかなかコードが覚えられなくて挫折したままになっている、と仰るかた・・・いらっしゃいませんか?
「カガヤケイノチ」の、簡単なコードだけで伴奏できる、一番最後のサビだけ弾いて歌ってみませんか?
普段こういうことはあまりブログには書かないようにしているんですけど、この曲だけは、みなさまに実際に声を出して歌ってみて欲しいのです。

覚えるコードは、初心者用の簡易なものが5つ。
その中で「F」と「G」は、本来もっと難しい正規のフォームがあるのですが、ここでは、下山さんがアコギを弾く際に愛用している、シンプルな変則フォーム(小指を全く使わない押さえ方)を覚えてみましょう。


(ギターの弦は、構えた時に上から6弦→1弦です)

「C」
(鍵盤:左手=ド、右手=ド・ミ・ソ)
ひとさし指・・・2弦1フレット
中指・・・4弦2フレット
薬指・・・5弦3フレット

「G」
(鍵盤:左手=ソ、右手=シ・レ・ソ)
ひとさし指・・・5弦2フレット
中指・・・6弦3フレット
薬指・・・1弦3フレット

「Am」
(鍵盤:左手=ラ、右手=ド・ミ・ラ)
ひとさし指・・・2弦1フレット
中指・・・4弦2フレット
薬指・・・3弦2フレット

「Em」
(鍵盤:左手=ミ、右手=シ・ミ・ソ)
中指・・・5弦2フレット
薬指・・・4弦2フレット

「F」
(鍵盤:左手=ファ、右手=ド・ファ・ラ)
ひとさし指・・・1弦と2弦の1フレットを同時押さえ
中指・・・3弦2フレット
薬指・・・4弦3フレット

これだけ覚えれば、「カガヤケイノチ」エンディングのコーラスを永遠に繰り返し弾き語れます。世にギター初心者向けの曲多しと言えど、ジュリー・ナンバーでここまで、涙ながらにも楽しく簡単に弾き語れる曲は無いです。

それでは、いきますよ~。

♪ 笑~顔
  C

C


♪ で~
  G

G


♪ ラ~ララ~
  Am

Am


♪ ラララ
  Em

Em


♪ カガヤ
  F

F


♪ ケイノ
  C

C_2



♪ チ~
  G

G_2


♪ 寡~黙
  C

C_3


♪ に~
  G

G_4


♪ ラ~ララ
  Am

Am_2


♪ ラララ
  Em

Em_2


♪ カガヤ
  F

F_2


♪ ケイノ
  G

G_5


♪ チ~
  C

C_4


こうして歌う練習しとかないと、いざツアー本番では泣いちゃって泣いちゃって声にならず・・・なんてことになってしまいそうですからね。

といったところで。
遂に、この大名盤の全曲を、記事に書き終えることができました。
いやぁ・・・シンドかっただけに、感慨深いです。
このアルバムはずっと残っていく作品だと思いますから、何年か後に僕の記事など忘れられていようとも、その時代時代で様々な人がこの名盤を熱く評価し、何十年と確実に語り継がれていくと思います。

とにかく、収録曲について自分なりに考えることは考えました。あとはツアーを待つばかりです。
まずは、何とか初日に当選することを願うのみ。

そう言えば

Sn390250

パルシステムのチラシに、今年もジュリーのツアーが掲載されていました。
我が家で利用しているパルシステムのエリアでは、川口リリア、千葉文化会館、パストラルかぞ、栃木総合文化センター、前橋市民文化会館、結城市民文化センターの北関東6公演が取り扱われているようです。
多くの地元の方に観て頂きたい、曲を聴いて頂きたい、と思います。

それにしても何故、いつまでも2007年の写真がこうして使われているのでしょうか?
5年前のジュリー、さすがに若いですねぇ・・・。

さて・・・次回更新からは、過去のジュリー・ナンバー考察お題に戻ります。
『3月8日の雲』を書き終えた後だと、文章に臨む気持ちにも何やらギャップが生じてしまいそうで不安ですが、またいつもの感じで書いていけたら・・・と思っています。

現時点の構想でお題の予定としましては、ちょっとだけ執筆作業のお休みを頂きました後に(さすがに精魂尽き果てた感が・・・汗)、まず初期のナンバーを1曲書き、その後『ジュリー祭り』セットリストから3曲くらい採り上げるつもりでいます。

とりあえず次回記事では、瑞々しくも、静かな咆哮を感じさせるジュリー・ヴォーカルで気分一新、再スタートと行きたいところです。
よろしくお願い申し上げます!

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