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2012年3月20日 (火)

沢田研二 「恨まないよ」

from『3月8日の雲』、2012.3.11

38


1. 3月8日の雲
2. 恨まないよ
3. F.A.P.P
4. カガヤケイノチ

------------------------

密林さんから、ようやく発送メールが来ました。
これで週末には、YOKO君も『3月8日の雲』を聴けるでしょう。早く語り合いたいものです。彼独特の感想が今から楽しみです。

揺るぎないのは、『3月8日の雲』というアルバムは、4曲の中でリスナーそれぞれの好みがありながらも、その4曲をたて続けに聴かねば意味がない、ということ。
誰しもが、4曲全曲に何らかの化学反応を起こす・・・そんなアルバム。
どの曲も違った形で胸を打ち、4曲全体でひとつのコンセプトが完成します。1曲だけ抜け落ちることなど、あり得ない。
4曲という少ない収録曲数がこれほどまで効いている作品はそうそう無いでしょう。それはまるで、クラシック作品の楽章構成のように感じられます。

化学反応と言えば・・・僕が初めてアルバムを聴いた際に「素晴らしい曲だと理解しているのに、耳を塞ぎたくなった」という何とも激しく不思議な反応を体験させてもらった曲・・・。
今日は、アルバム2曲目「恨まないよ」がお題です。

伝授・・・と言うにはあまりにも切ない、この曲ばかりは。
記事構想を練る段階から、辛い思いと戦いました。自分に嫌気がさすこともありました。
しかし、思いのほか筆が進み早めに更新できたのは、やはり真剣に曲と対峙したからでしょう。気力というのは大事ですね・・・。

さて、あくまで男性から見て、というお話になりますが・・・女性というのは「弱さ」「脆さ」の象徴であったりします。
だから男性は、女性を護ろうと思ったり、場合によっては避けたり・・・と、おそらく女性の側からすれば「一体何やってんの?」というような迷走を見せることがあります。
僕が今対峙し、自分の迷走を自覚しなければならないほどに崇拝し、畏怖し、或いは拒絶と紙一重のところで気持ちが行き来している、あまりにも「女性」的な曲・・・それが、『3月8日の雲』2曲目収録のラウド・ロック・バラード「恨まないよ」ということになります。

アルバム『3月8日の雲』を聴き終えてまず考えたのは
「自分はこの作品全曲の考察記事を書こうと公言してしまっているのか・・・」
という、戦慄、困惑の感情でした。
全曲について考察する、それを文章として書く、ということにこれほどまでに大きいプレッシャーを感じたのは、初めてのことです。
「プレッシャーとは、その人の持つ器に対してかかるものだ」とは、将棋棋士のトップ中のトップとして今なお君臨する羽生善治さんの言葉ですが、やはり『3月8日の雲』のコンセプトに正面から向き合うには、僕では器が足りていないのでしょうね。
正直僕の器では、特に「恨まないよ」については「なんとか立ち向かう」のが精一杯となっている状態です。

僕にとって、圧倒的に「女性」の弱さを感じさせる曲。
男子たる自分が「護る」という気持ちで高揚するのか「避ける」という気持ちに従い退散するのか・・・迷い躊躇う曲。

作曲が、女性のGRACE姉さんです。
その時点で単純に「辛かっただろうなぁ」と考えてしまう。聴き手たる自分の余計な思い込みが作曲クレジットの時点で勝手に加味されるわけです(そんな人は僕だけかもしれませんが)。

ジュリーの歌詞で一番辛いのは何と言っても冒頭の2行で、この箇所についてはさすがに最初に耳にした時
「そこまで言ってしまうのか、ジュリー!」
と、怖くなってしまったほどでした・・・。

みんな      流され  
      E♭m  E♭m7    E♭m6

君がひとり   残さ  れ
      A♭m7   B♭7    E♭m

この箇所については本当に辛いことを書くけれど・・・ごめんなさい。
僕はこの冒頭の歌詞をジュリーの声とメロディーで耳にした瞬間、昨年3月13日にテレビで観た、行方の分からない母親を探し求める幼い少女の映像が、突然頭に甦ってきたのです。

身体が無意識に忘れようとしていたのでしょうね・・・この1年間、自分の中で封印していたと言ってもよいシーンが、「恨まないよ」によって鮮明に引き起こされてしまいました。そして、離れてくれない・・・。
聴くたびにあの映像が頭をよぎり、胸がつぶれそうになり、涙が出ます。これは、曲を聴き慣れてきた今でも変わらないことです。

あの日、その映像を観た時、隣にいたカミさんは小さな悲鳴を上げてテレビから目を背けました。
一方僕は・・・「何を撮ってるんだ!」と、テレビに向かって怒った・・・。
しかし、僕のような者が勝手に怒って、それが何になったというのでしょうか。
単なる卑屈な心の裏返しではないのか、それは。

僕らは遠く離れた場所で、こたつに入ってそのシーンを観ていたに過ぎないのだ・・・。

客観的に見れば、そういう絵になります。
この「恨まないよ」の記事の下書きを始めてすぐに、「ホテル・ルワンダ」の話を先輩のブログで拝見しました。
僕は、本当に折れそうになりました・・・。
これは、あの日の僕のことだ、と。

地獄それ以上
B           G♭

この世界 終わるのを見たんだ
  E                             B♭7

こんな感情を突きつけられて・・・僕などに、一体何が分かると言うのでしょう。
今自分が書こうとしていることは何なのか。
書いて何になるというのか。
わざわざ書いて、それで傷つく人が増えるだけなのではなかろうか・・・と。

迷い・・・苦しみ・・・。
そして、だからこそ、僕はジュリーの歌を聴く。

心を乱しながらも、こうしてどうにかこうにかこうして執筆できているのは、この「恨まないよ」が、聴き手の迷いを断ち切るほどに、真に大名曲だからです。

この曲の素晴らしさの根本は、まずGRACE姉さんや、幼い少女や・・・世に女性の存在ありきであった、と僕は個人的に思っています。
「女性的な曲」なんていう感想を抱くのは、ジュリーナンバーでは初めてのことなんですけどね・・・。

さぁ、そこでジュリーのヴォーカルです。
「恨まないよ」のヴォーカルは凄い。本当に凄まじい。
「慟哭」という表現がズバリなのですが、かといって大げさに泣き叫ぶような歌唱があったり、感極まってメロディーを大げさに震わせたり、という表現はありません。
どちらかと言うとジュリーは、淡々とメロディーを歌っているのです。
驚くべきことです。この胸をしめつけられるような悲痛な歌声が、淡々と歌っている・・・?「そんな筈は!」と何度も聴いてみて・・・それでもその印象は崩れない。
ジュリーの低音は理知的ですらあり、高音は勇壮ですらあります。決して、悲しみを押しつけようとはしていません。
だからこそ滲み出るのは、ジュリーの本気。

これは、本物の気魄だ・・・本物の歌だ。

そう思います。
ジュリーのヴォーカル・テイクを聴いて一番打ちのめされたのは、ひょっとしたら作曲したGRACE姉さんだったかもしれませんね。

ここで、「恨まないよ」という曲をタイトルと作曲クレジットだけを頼りに、リリース前に書いた記事内で僕がどんなふうにこの楽曲内容を予想していたかを、振り返ってみますと・・・。

雰囲気的には「バタフライ・ムーン」や「海に還るべき・だろう」のような、可愛らしいリズム、メロディーとアレンジをイメージします。ジュリーの詞も恨み節ではなく、カラッとしたものでしょう。

なんと、見事なまでに真逆!
大ハズレもいいところで・・・恥ずかしくなるほどです。

考えてみれば僕はまず、GRACE姉さんについての考えが途方もなく浅かった・・・。
彼女のような繊細な詩人の魂を持つ女性が、あの1年間を踏まえて1曲作る、となった際に「楽しい裏打ちのレゲエ・リズムのドラムを叩きたい」なんていうだけの曲を作るはずがないではありませんか!

「恨まないよ」のメロディー、和音進行は、70年代後半から80年代のハード・ロック、或いはヘヴィー・メタルにおける、重量感のあるバラードでよく見られるパターンです。僕自身はそれらの洋楽を好んで聴いてはいませんでしたが、同じバンドでギターを弾いていた友人の佐藤哲也君によく聴かせてもらっていたその手の楽曲を、すぐに思い起こしました。

徹底してハードな、変ホ短調バラードです。
これはGRACE姉さんにとっての直球だったのでしょう。
ハード・ロック系のバラードはポップス系以上に短調が好まれます。「重さ」が求められますからね。
GRACE姉さんにとって、2011年の出来事を受けて作る曲としてこれ以上の曲想は無かったのでは、と考えられます。

メロディーを聴いたジュリーに、感ずるところは大きかったはず。

ジュリーも渾身の直球で、詞を返しました。あまりにも重く、美しく、あまりにも聴く者の心をさらされる名曲の誕生です。

ジュリーのヴォーカルについては、メロディー最高音の高い「ソ#」=「ラ♭」の登場に触れないわけにはいきません。
前回記事の繰り返しになりますが、近年のジュリー・ナンバーは高い「ファ#」や「ソ」を最高音として設定して歌われていたようなのです。
それがこの新譜でいきなりの引き上げ・・・これはジュリーの覚悟、気持ちであると僕は受け取りました。
このアルバムだけは、自分の限界ギリギリの力を尽くして伝えたい作品だったのだと思うのです。それが「恨まないよ」の最高音「ソ#」(=「ラ♭」)、そして「F.
A.P.P」「カガヤケイノチ」でのさらに高い「ラ」の音での、強烈なヴォーカルに表れているのです。

♪ きっときっと 立ち直れるはずさ
        E♭m      D♭

  恨まないよ 海 よ ♪
     B       B♭7   E♭m

この強烈過ぎるサビ部2回し目の「立ち直れるはずさ♪」の「れ♪」が最高音です。
高い・・・!
凄いのは、この最高音部は曲中で3度するのですが、ジュリーのヴォーカルのせり上がり方が、1度目より2度目、2度目より3度目の方が「パ~ン!」とジャストで最高音に到達するのです。
特に3度目の抜けの素晴らしさ。普通にサラッと声が出ているように聴こえますけど、一般男性にとってはそう簡単に歌える高さではないのですよ・・・。おそらく声が出ず歌えない人の方が多いでしょう。
ジュリーの場合単に「歌える」だけでなく、このド迫力、この存在感ですからね。本当に素晴らしいヴォーカルです。

ちなみにこの曲のサビは、1回し目が6小節で叩き斬られ、すぐに2回し目に移行します(普通ならば8小節)。この変則的な小節数は、「めぐり逢う日のために」の譜割りに通じるところがあります。
これはGRACE姉さんのアイデアだったのでしょうか・・・。僕には、鉄人バンドの面々がスタジオリハで
「ここで、すぐ次に行くところがいいよね」
と、サビの小節数について語り合っている光景が浮かんできますね~。

ということで、GRACE姉さんを中心とする鉄人バンドのアレンジ、演奏にも目を向けてみましょう。
ここでもGRACE姉さんの「寄り添って欲しい」「包んで欲しい」という渇望を推察することができます。。

メロディーについては70~80年代的な「恨まないよ」ですが、アレンジについては、80年代から90年代にかけての様々な洋楽の要素が入り組んでいます。これらは、演奏者としてのGRACE姉さんがタイムリーで吸収し、身体に馴染ませてきたサウンドでしょう。
ここで前回記事同様、ヴォーカル以外のすべての演奏トラックを書きあげてみます。例によって、柴山さんと下山さんの役割が逆である可能性もありますが、僕なりに判別してみました。

おおよそ左サイドから右サイドへの順で列記します。

・エレキ・ギター(重厚な歪み系エフェクト、たぶん下山さん)
・エレキ・ギター(LOSER時代を彷彿させるいぶし銀の単音バッキング、下山さん)
・オルガン(泰輝さん)
・ベース(電子鍵盤による疑似音、泰輝さん)
・ドラムス(GRACE姉さん)
・エレキ・ギター(サスティン深めのリードギター、たぶん柴山さん)
・エレキ・ギター(コーラス・エフェクトが効いた裏リード的フレーズ。たぶん柴
山さん)
・エレキ・ギター(重厚な歪み系エフェクト。たぶん柴山さん)

エレキギターのトラックは、何と5つ。
このことだけとっても、前作『涙色の空』とはアレンジに対する鉄人バンドのベクトルがまったく違っていることが分かります。

さらに、楽器構成の列記段階で気がつく重要事項が、二つあります。
今回のアルバム『3月8日の雲』収録曲のうち、唯一アコースティック・ギターを使用していない曲であること。
この曲はあくまでハードな路線で纏め上げたい、という理由によるものでしょう。

そしてもうひとつ・・・2006年『俺たち最高』以来、ベースレス体制の新譜リリースが続いてきたジュリーのソロ作品に、初めて泰輝さんによるベース音が登場したこと。

ベース音の導入は、ちょっとした事件ですね。
電子鍵盤の進歩により、プレイヤー感覚を持たない聴き手からするど、エレキベースなのか鍵盤なのか判別すらできないほどに、現代の音楽には「疑似ベース」が溢れています。ただ、「生」の感覚を追求する者にとってそれは邪道とされ、おそらくジュリーも同様のスタンスに立っていたものと僕は考えていました。
それが、ここへきて突然の、疑似ベース採用。何があったのでしょう?

僕の推測は、GRACE姉さんがアレンジ段階でベースの導入を切望したのでは・・・というものです。
ベースとは本来、ドラムスと一心同体のリズム・セクション。ジュリーの詞を汲み取ったGRACE姉さんは、ベース音が恋しくてたまらなくなったのではないでしょうか。
そして打診を受けたジュリーもGRACE姉さんの気持ちを重視し「やってみたら」と優しく言ったのではないかと思います。かくして、、疑似ベース・サウンドを採り入れたジュリー・ナンバーが、2012年に例外的にリリースされることになりました。
このアルバムでなければ、このコンセプトでなければ、実現しなかったことかもしれませんね。

さぁそれでは・・・前回記事同様、この曲での鉄人バンドの演奏の見所を、LIVEでの担当楽器配置予想と併せて解説してみましょう!
(もし、柴山さんと下山さんが逆だったらすみません~)

柴山さん・・・エレキギター
間奏リードギターに注目。サスティンが強く、ワンコード(E♭m)に載せて自在に、感情的な揺さぶりを思わせるフレーズ・・・これは柴山さんの演奏でしょう。
また、「あなたへの愛」のリードギターを思わせる、コーラス×ディストーションの緊張感ある音色の単音も、柴山さんが担当するでしょう。特に「みんなのぶんも♪」から始まる「救い」の歌声、メロディーに絡む箇所では、柴山さんの入魂度も増すはずです。

下山さん・・・エレキギター
何と言ってもAメロからBメロにかけて炸裂する、残響音を複雑に利用した単音バッキング。僕が20歳の時に初めて生で聴いた下山さんのギターの音、印象に残ったのが正にこの音でした。泉谷しげるさんを聴く方は、「春夏秋冬」のLOSER時代のヴァージョンでのギターを思い起こしたのではないでしょうか。
下山さんがこの刀をジュリー・ナンバーで抜くことは珍しく、僕がまず想起するのは『1999 正月コンサート』で、オリジナル音源のイメージを一新した「Courage」の演奏です。GRACE姉さん好みの音でもあるでしょうから、この奏法の採用についてはGRACE姉さんから下山さんへのリクエストがあったのかもしれません。
僕にとっては郷愁が同居するギター・サウンド。生で聴くのが今から本当に楽しみです。

泰輝さん・・・オルガン、ベース
幸い今回のアルバム収録曲では、泰輝さん作曲の「3月8日の雲」以外の3曲については、キーボード・アレンジの自由度が高いのです。
先に列記した各トラックで、この曲に限っては泰輝さんの演奏が1トラックで済ませられた可能性もあると僕は思っています。オルガンが登場する箇所と、ベースが登場する箇所がハッキリ分けられているからです。
当然、LIVEでも泰輝さんはベースを弾くことになります。これまでは過去のナンバーの音色再現という役割に留まっていたシンセ・ベースが、いよいよ今年は新曲で披露される・・・そのバンド・アンサンブルへ及ぼす影響に注目してみたいです。

GRACE姉さん・・・ドラムス
聴き所としてイチオシしたいのは、サビ部のオープン・ハイハットです。
ここではハイハットのペダルは全開にされ、通常は重ね合されている二重のシンバルが大きく開いて遠く離れてしまっているため、ジャストのアタックよりもコンマ数秒遅れて「シャ~、シャ~、シャ~」と重厚に擦れ合います。
サビのシンバル音をCDでお聴きになれば、その「遅れる」感じはさほど苦労せずとも、みなさまにもお分かり頂けるはずです。
こういったパターンの「アトノリ」はロック・ミュージック独特のものです。ベース音と重厚なギターに寄り添われ熱演するGRACE姉さんの、この曲に込めた思いを是非感じとりたいと思っています。

ところで「恨まないよ」では、アレンジのみならずミックスについてもひとつ工夫があります。
1番AメロとBメロまでのヴォーカル以外の演奏トラック全体にエフェクトがかけられ、音が圧縮されたような雰囲気を出しているのです。
これは、アフター・ネオ・モッズから進化したパワー・ポップ系のバンドがよく使う手で、エフェクトが解除された瞬間に「バ~ン!」という迫力の効果を狙っています。「恨まないよ」で言うと

♪ もっともっと   立ち直るまでは ♪
               E♭m           D♭

のサビに入った瞬間に、音量がバン!と上がりますよね。もちろんベースや2本のギター・トラックが噛み込んでくる、というのもあるんですけど、一番効果的なのは、その瞬間にトラック・エフェクトが解除されている、ということなのです。

ある先輩がね、この曲を聴いて『明日は晴れる』収録の「100倍の愛しさ」に似ている、と仰ったんです。
なるほど、と感心しました。僕は思い当たることができずにいましたからね。
2曲の共通点は、和音の構成音のうち1音だけをクリシェ進行させるギター。或いは、自らを責め悔恨の感情を晒した歌詞です。
しかし実は・・・「100倍の愛しさ」にも「恨まないよ」と同様のエフェクト効果が採用されているのです。受ける印象を似通わせている要素としては、これがとても大きいんです。

ちなみにこのエフェクト効果を一番語りやすいジュリー・ナンバーは、『CROQUEMADAME & HOTCAKES』収録の「カリスマ」です。あの曲はジュリーのヴォーカル・テイクにまでトラック・エフェクトがかかっていますから。
「ベイベ~♪」からいきなりガ~ン!と来るでしょ?分かりやすいですよね。

最後に。
初めて聴いた時には、名曲だから故の拒否反応という不思議な体験をした「恨まないよ」ですが、ジュリーの歌詞に「時間の経過」があったことが、僕をすんなり引き戻してくれました。
「あの日境に蘇った海」への思いが、時が経つの示唆しています。

考えてみれば、「3月8日の雲」にもそれがありました。
あの曲は、「あの日から1年経った」という歌なんですよね。1年後の3月11日の空が穏やかであったことを、ジュリーは曲中で予言している・・・。

時は経ち、人々の心は少しずつ変わっていく。
ただ、忘れられない。忘れようはずがない、というのが前半2曲の役割でしょう。
そして一方の後半2曲は「これからどう生きていくか」という、1年経った3月11日(リリース日)より先のことをメッセージに込めている・・・僕はそう解釈しています。

僕が『3月8日の雲』というアルバムの作曲クレジットを考えた時・・・これまでの作風から一転、新たな刀を抜いたのが泰輝さんの「3月8日の雲」とすれば、残る3曲・・・GRACE姉さんの「恨まないよ」、柴山さんの「F.
A.P.P」、下山さんの「カガヤケイノチ」は、それぞれがジュリーのためにこれまで提供してきた作品中、最高傑作が3つ並んだ、と僕は思っています。
GRACE姉さんは重厚かつ女性らしいメロディーで、柴山さんと下山さんは目まぐるしい転調による見事な楽曲構成で真価を発揮しました。

いよいよ次回は、柴山さんの作品です。
究極のポップ・チューン。美しいメロディーと、卓越した転調理論を擁するこれまた大名曲。
しかしその一方で、やはり歌詞を考えると・・・問題作とも言えるでしょう。
ですからこの曲も、僕のような平凡な者にとっては真っ向から向き合って語ることが怖い。
特に、最初に歌詞カードを読みながら聴いた時「ジュリー、その表現は・・・!」と感じた箇所があったりして、僕はずいぶん悩みました。

しかし、僕もだてにジュリーにどっぷり遣って数年目を迎えてはおりません。
そういう時は、真剣に考えるのです。ジュリーは何故そうしたか、ということを。
ジュリーファンでいることは、考えることの繰り返し。ジュリーは必ず、ファンが考える余地を残してくれている。主張を押しつけたりせず、「考えてみ」と言ってくれる。
考えに考え、そして・・・「F.A.P.P」がどんな人に捧げられているかを、僕なりに推察するに至りました。

ヒントは、ツアーのインフォメーションにありました。

昨年の初夏、偶然のご縁から、僕もほんの少しだけ関わりを持たせて頂いた、小さな町。
ふるさとを他に持つ町。

次回記事では、そんな話をさせて頂きますね・・・。

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コメント

ダイナマイト様
私は50歳男性です。最新曲の考察に、頭の下がる思いでいっぱいです。ありがとうございます。私もこの4曲については、組曲として聴いています。聴き終えるとやはり涙が出てしまいます。今、私の地元では、ガレキの受け入れを正式に表明しましたが今尚、賛成反対で意見が分かれています。難しい問題ですが、近くには原発もありますので他人事ではありません。ジュリーの歌を通して、皆さんと一緒に考え向き合えることがとても嬉しく思います。

投稿: bat out of hell&love | 2012年3月21日 (水) 00時36分

bat out of hell&love様

ありがとうございます。

記事中でも書きましたが、このジュリーの新譜4曲について考察する、というのはとても大きなプレッシャーを感じます。
でもそこで、ジュリーの歌声に助けられていることも確かです。不思議な力だと思います。

あれから1年が経ち、まだまだ問題が山積みの中、春の彼岸中日に「恨まないよ」の記事を書き上げられたことに今は安堵し、曲の力に感謝しています。

今後とも、どうぞよろしくお願い申しあげます!

投稿: DYNAMITE | 2012年3月21日 (水) 09時20分

Dy様
 
簡単に言葉にならない曲を ご伝授 ありがとうございました。

”傍にいたのに誰も救えない‥この世界終わるのを見たんだ”で
涙がこみ上げ”みんなの分も生きようと思う‥”からは いつも 泣いてしまう

確かに こちらは暖房の効いた部屋で
好きなジュリーを聞いてる後ろめたさはあるけれど
彼らの悲しみや苦しみは 絶対わからないからこそ
このすぐれた楽曲に、黄色いリストバンドに、意味があるのでしょう。

時は流れても忘れない 絶えず思いをかの地に馳せる 
同情ではなく 共に在る そんな 私達一人一人の決意に
聴くたび 見るたびに 強い力をもらえるから。

こんなに鉄人バンドの奏でるメロディーや音色を聴き
取ろうと 耳を傾けたことも初めてです。
抑制された中にも 全ての楽器が 怒り 泣き 歌っているようです。
これが鉄人バンドの実力なのだと改めて思いました。
段々音量が上がりブツッと終わるエンディングが怖くて‥
でも 心に残ります。

投稿: 真樹 | 2012年3月21日 (水) 16時08分

DYさん、お邪魔します。
この楽曲でのジュリーは、持てる表現力を全て使い、震災による津波の被害にあった人々の気持ちにシンクロしようとしていると思います。その深さに、圧倒されます。ただ、ジュリーは、被災者の心に近づきすぎたがゆえに、かえって遠ざかってしまったのかもしれません。今日、選抜高校野球での選手宣誓で、石巻工の主将もふれていましたが、被災者の悲しみは、まだ癒えていません…。大切な人を喪った被災者の中には、海ではなく、自らを恨んでいる人が、数多く存在します。もちろん、ジュリーの歌唱は、その部分も表現しているのですが、被災した人たちにとっては、今、最もふれてほしくないことかもしれません…。そして、私は、これを聴くとき、計り知れない被災者の悲しみを想い、涙が出ます。もちろん「カガヤケイノチ」では悲しみが昇華されていて、私が流す涙も違う質のものなのですが、被災した人たちが、そこまで聴くことができるのは、いつになるのだろう…とも考えてしまいます。

投稿: 74年生まれ | 2012年3月21日 (水) 18時47分

追伸です。
「F.a.p.p」で歌われている問題に関しては、ジュリー本人も、模索中なのかもしれません。DYさん、「F.a.p.p」の伝授記事のアップを保留しませんか?遅まきながら、私も、DYさんが伝授で挙げようとしている町のことに気づきました。ただ、今のジュリーのやり方で、あの町に出向いていいものかどうか…正直、私は困惑しています。ジュリーのスタンスが定まるまで、伝授記事のアップを待ったほうがいいのでは…というのが、私の意見です。

投稿: 74年生まれ | 2012年3月21日 (水) 19時07分

DY様 こんばんは
百回以上もも聴きながら未だに感想が定まりません。聴かずにいられないのに。
私はこのCDは被災者に向けられたものではないと思うのです。
「ホテル・ルワンダ」大分前ですが、DVDで見ました。大国が利権と国際的駆け引きで対立をあおり、内戦と憎悪でボロボロにした国で行き場を失った人たち・・・手を差し出せば救えるのに政治的理由で皆手を引っ込める。災害より救いがありません。
この映画があの難民に向けて制作されたはずはありません。この理不尽に目を背ける先進国の人々への訴えなのです。正に快適な部屋で勝手に泣いたり怒ったりしている私達に対しての。
無意識に何もできない理由を探している自分がイヤになりました。
「3月8日の雲」ーこのCDも当事者でなく、テレビの前の「評論家」達への訴えなのではないかと思うのです。反発を食らったとしても考えるきっかけになればと、あえて過激な言葉も使ったんじゃないでしょうか。
ベトナム戦争を終わらせたのは一枚の写真だったと言われています。
当時はこんな写真よく平気とっていられたものだと批判もありましたが。
私もリアルタイムで見ましたが、米軍の打ち込んだナパーム弾に家族や村を焼かれ泣き叫びながら裸で逃げてくる少女の絶望の顔・・・今も目に焼き付いています。

投稿: nekomodoki | 2012年3月21日 (水) 20時38分

DY様

ジュリーはアルバム全体を組曲として制作したのは間違いないと思います。

この曲と次曲セットで「天災」と「人災」の違いを表現して、自らの意思を明確にしたのでは?と考えてしまいます。

過去の作品にも共通していますが、ジュリーには生命の起源たる海に対する畏敬の念がベースにあるように感じます。

ただ、こういったアルバム全体に関することは俯瞰的に語れても、お題の楽曲そのもの-大名曲であることに全く異論はありませんが-特に歌詞については、まだ私には語る言葉がありません…。

投稿: Mr.K1968 | 2012年3月21日 (水) 20時52分

初めまして。いつも記事を拝見してお勉強させて頂いています。私はこのCDを初めて聴いた時、皆さんのように涙は出なかった。なんとも言えぬ気持ちが心の中に渦巻く様な感じでした。感動もしなかった。43年ファンになって初めての気持ち。私はジュリーから何を伝えられたのか?こういう気持ち解るか?と問われた様な気がした。このCDを聞くと、とても疲れるけど聴かずにはいられない。何かが自分の中で解るまで。ただいつもお邪魔する福島のブログの方がとても傷付いてしまっている様子を見ると、ジュリーもその方も、こんなに心もがいて生きる日々のその意味が。という 遠い夜明け の歌詞が浮かん来ます。DYさん大変な曲の伝授となるでしょうね。
どうぞ無理なさらずに。
お礼が最後になってしまいました。
いつもありがとうございます。これから宜しくお願いします。

投稿: くーちゃん | 2012年3月21日 (水) 20時54分

真樹様

ありがとうございます!

そう、そうでした…エンディングについて書くのを忘れていました。
確かに、怖い。僕もそう思います…未だに。

ビートルズの「アイ・ウォント・ユー」を初めて聴いた時のことを思い出します。あの曲も唐突にプツリと終わるのですが、慣れるまではなんだか怖かったものです。

「恨まないよ」は、エンディング含めてアレンジにも深い必然性が込められていると思います。
GRACE姉さんはとにかく寄り添うような音を求めているように思うのです。
泰輝さんのベースも、下山さんのギターも、きっとGRACE姉さんのリクエストではないでしょうか。

本当に「寄り添う」「共にある」ことを考えさせられる曲ですね…。

すみません一度切ります~。

投稿: DYNAMITE | 2012年3月21日 (水) 20時57分

74年生まれ様

ありがとうございます。

僕も、今日ばかりはさすがにくじけています…理由は74年生まれ様お察しの通りです。
ただ、だからこそ書かなくちゃ、と思うのですよ…。
74年生まれ様の「恨まないよ」についての思い、その通りだと思います。
そして、「F.A.P.P」についても、どうしてそう仰るのか、分かりますよ。

この際ハッキリ書きますが、74年生まれ様が最も引っかかっているのは、歌詞中の「死の街」が表しているのでしょうね。
僕だって、最初に聴いた時この表現には驚きました。
しかし僕は、ジュリーについて「これはおかしい」と思った時にはトコトン考えてみるようにしています。ジュリワンの『songs』放映の一件で学んだことです。あの時は確か、74年生まれ様にも叱られましたね。それで学んだことです。

「死の街」とは元々、昨年、当時重要なポストにいた政治家が不用意に発言した言葉でしたね。それを聞いた福島の人達は当然怒り、世間で大問題になりましたね。
そんなニュースを、ジュリーほどの人が知らないわけはありません。
その酷い言葉で、福島の人達がどれだけ傷つき怒ったかを、知らないはずはないのです。

ですから「F.A.P.P」は、そんな酷いことを言われた人達の気持ちを代弁した歌だと思っていますよ。
怒りのやり場なく、発信の手立てもなく、寡黙に生きる人達の「どうしてくれる、この野郎!」という、心の奥底の声を歌ったものだと思います。

ジュリーにとって福島はフクシマではないし、まして死の街でもありません。ハピネス・アイランドです。
僕はこれまで「福島」を単なる2文字の漢字でしか認識していませんでした。漢字それぞれの意味を考えたこともありませんでした。ジュリーが歌ってくれなかったら、ずっと気づかずにいたでしょう。

僕は、間違ったことを書くかもしれません。自分の都合の良いように考えているかもしれません。
しかし僕は、僕の考えたことをそのまま自分の言葉で書きます。
今の僕の「F.A.P.P」という曲に対する解釈を、たとえ今は届かなくても、いつか伝えたい人がいます。

それに…素晴らしいポップチューンですよ、これは!
柴山さんの、ギタリストらしい卓越した転調構成なども、語りたいのです。

どうかお許しください。長くなってすみません…。

すみません、また一度切ります~。

投稿: DYNAMITE | 2012年3月21日 (水) 22時09分

皆様、お題からそれたコメになって、すいません。
ジュリーが福島県を“ハピネス・アイランド”と思っていることは「F.a.p.p」でのジュリーの歌唱から伝わってきます。前のコメでは、てっきり、DYさんが知っていると思って書きませんでしたが、私が引っかかっているのは、楽曲のことではなく“黄色い服の人たち”のことです。正直、あの人たちが今度のツアーに出没したら、伝わるものも伝わらなくなるのではないか、と懸念しています。個人的には、楽曲と関係ないところで波紋を呼んでしまった以上、できれば、ジュリーの口から、あらためて、ファンに説明してほしいです。

投稿: 74年生まれ | 2012年3月21日 (水) 22時40分

nekomodoki様

ありがとうございます。
すみません…重いお気持ちにさせてしまいまして…。

今日、密林さんに予約していた『3月8日の雲』が届きました。ずいぶんかかりましたが、これはこのままYOKO君の元に届けます。
僕の数百倍クールで、物事を分かった彼がどのような感想を抱くか…おそらく僕は彼の感想に相当救われるところがあるんじゃないかと期待しているのです。

僕は「テレビの前の評論家」的なところも実は多々ある人間ですが、彼はそうではないのですよ…。
この辺りで、何か明快にこのアルバムを表現する明言を、彼のような男から授かりたいものです。

Mr.K1968様

ありがとうございます。

ジュリーの海への畏怖の念というのは確かに以前からあるよう感じますね…。

僕はどちらかというと、前半2曲、後半2曲の括りで今はこのアルバムの構成を紐解いているところです。
ヘヴィーな2曲と、ポップな2曲。
短調の2曲と、長調の2曲です。

ただ、1曲目から4曲目まで、どの曲の繋がりにも意味があり、密接にテーマが絡んでいますよね。
それは詞だけはなく、アレンジや曲想にもある、と思うのです。
4曲の考察記事を通して、その辺りがうまく説明できればいいなぁ、と思っていますが…。

細切れすみません~。

投稿: DYNAMITE | 2012年3月21日 (水) 22時48分

くーちゃん様

ありがとうございます。
ようこそいらしてくださいました~。

正直な感想を伺えて嬉しく思います。
実は僕の周りにも、今回の新譜を聴いた時「泣くよりも先に戸惑ってしまった」という人が多いですよ。そしてそれは、ジュリーのファン歴が長い方々に多いのです。不思議のようでもあり、なるほどなぁというようでもあり…つまりそれだけ強力な1枚だったということでしょうね。

僕もこのアルバムの記事を書き出してから、福島の先輩のことが頭から離れません。
真剣に考えるというのはそういうことなのですね。

結局、僕は僕の思ったことを書くしかないのです。そんな中で、熱心に読んでくださる方がいる、というのは本当に言葉に尽くせないほどありがたいことです。

お気遣い、ありがとうございます。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます!

74年生まれ様

あ…そうでしたか。
勘違いで申し訳ありません…お恥ずかしい。

署名運動のことでしょうか?
確か、公演の場所によってできるところとできないところがあると聞きました。

ジュリーは場所を提供しているだけでは…と思っています。
ファンそれぞれが賛同するにせよ、しないにせよ、ジュリーの意志と直接関わりは無いように思うのですが…。

ジュリーの歌はどんな状況でも伝わる、と僕などはシンプルにそう思いますよ。

投稿: DYNAMITE | 2012年3月21日 (水) 23時08分

74年生まれ様

すみません!
今、だいたい事情が分かりました。

なるほどそんな状況になっていましたか…。
ちょっとやり過ぎてしまっているのか、それともロビーが狭いのか…。
音楽劇をまだ一度も観ていない僕は、光景を想像するのがまず難しいです…。

ただ、やっぱりジュリーが敢えて説明するようなことではないように感じるのですが…。
お客さん一人一人の自覚ある対応では、乗り切れないものでしょうか。

投稿: DYNAMITE | 2012年3月21日 (水) 23時39分

DYさま

今くじけてます
涙が止まらないです
FAPPの歌詞はとっても不安でした
今頭の中整理できません
いろんな思いが悲しさでいっぱいです
ゆっくり考えます
でもFAPPは明るくてとってもいい曲だなぁって思います
今回の新曲は辛いですね
いつもありがとうございます

投稿: 由菜 | 2012年3月22日 (木) 22時59分

一人一人の自覚ある対応。

DYさま、

まさにそれが、今問われている時なのでは?と思います。
それこそが、民主主義の意味なのだし。

つらいことは早く忘れて、絆で乗り越えていこう。そんな綺麗ごとでいいの?
忘れさせようとする情報操作。なぜ?何も終わってはいないのに。

あの映像、たぶん同じものだと思います、私も見ていました。
ジュリーもきっと見ていて、
それをあえて、詩にしたはずです。

目をそらしてはいけない。
永遠に忘れないために。
刻み付けるために。
己が自覚を持ってこれからを生きていくために。
ジュリーは歌わなければならなかったのだと思います。

ホンモノのロックってえやつを、
久しぶりに聴いたな。
そんな感じ。

あたしは泣きません。
立ち上がらなければ、と思います。
ジュリーの渾身のメッセージを、受け止めて。

投稿: らいら | 2012年3月22日 (木) 23時30分

由菜様

ありがとうございます。

由菜様も悲しんでおられるのですね…。
特に「FAPP」という曲に関しては、この曲が好きな方もそうでない方も悲しい思いをなさっている…正に「悲しみはひとりひとりで違う」のですね。

僕もここ数日、色々とくじけ、迷いました。
しかし昨夜、いつも遊びに伺っている先輩ブロガーさんの記事を拝見したことを機に、僕は、傷ついておられる方々の前で笑顔でありたい、と決めました。
もちろん、無理矢理の笑顔では何も伝わりません。
ですから僕は、明るい曲調のこの曲が大好きだ、という素直な気持ちを寄りどころにして、次の記事を書いてみようと思っています。

まずは今夜、NHKさんの放送でたくさんの笑顔をチャージします!

細切れすみません、一度切ります~。

投稿: DYNAMITE | 2012年3月23日 (金) 09時25分

DYさま

ヒントをありがとうございました
昨夜はショックが大きすぎて・・
わけわかんなくてスミマセン
少し楽になりました^^
今晩はたくさんの笑顔になれますね
また泣いちゃいますね
いっぱい感動をくれるジュリー
大好き過ぎちゃって困ってしまいます


投稿: 由菜 | 2012年3月23日 (金) 17時04分

らいら様

ありがとうございます。

あの映像は、もう二度と忘れることはないでしょう…。
「恨まないよ」を聴くまでは、自分で無理やりに意識の外へ投げ置いてしまっていたのだと思います。ジュリーの歌が呼び起こした記憶を、僕はこの先ずっと持ち続けるんだろうな、と思います。

ジュリーがあの映像を…そうでしょうか。とすればその強靭な意志の強さに僕は本当に驚きます。

僕はなかなか強くはなれません。
でも、自分で考えてみる人でありたいとは思っています!

由菜様

ありがとうございます。

少し穏やかな気持ちに戻られましたか?
さぁさぁ、もう、あと1時間ほどです!

老虎達に、「音楽とは楽しいものだよ」「自由なものだよ」「凄いものだよ」と教わったことを、放映を観ながら少しずつ思い出していこうと思っています。

投稿: DYNAMITE | 2012年3月23日 (金) 20時55分

NHK-BS観ました。
音楽は楽しいものだ、と再確認。

とにかく「シーサイド・バウンド」の「ひゃあ~~~っ!」がGRACE姉さんだったことに、一番驚きました。

武道館の記事、50箇所くらい書き直さなきゃならんかも…。

投稿: DYNAMITE | 2012年3月24日 (土) 00時01分

この春高校生になる長男とBS見ました。「お父さん、ストーンズ持ってるの?」と言われたのが何だか嬉しく思います。来年の50周年来日が実現したら一緒に行きたいなと…。東京ドームも一緒に行ったせいか、タイガースとジュリーの曲の区別がついてないらしく、今伝授中です。

投稿: クリングル | 2012年3月24日 (土) 01時09分

DY様
最高に楽しかったです!
武道館は360度が一番いいと初めて知りました。あの壺の中(?)の一体感はほかにはないですよね。
終わったあと「さあ、もう一回見ようっと」と再生したら、な・な・な・なんと半分しか入ってなーい!?!?!?。どーしてー!!!
どーしよ~どーしよ~。
でも、待てよ、予約した時確かムスメの部屋のDVDにもこっそり予約入れたはず・・・。
恐る恐る確認したら・・・入ってました~。
よかった~。
ダンナはが帰ってきてニヤニヤしながら
「なに、このモノ好きの集団は?」ってアンタもその一人だったでしょうが!

投稿: nekomodoki | 2012年3月24日 (土) 09時07分

DYさま、横レスすみません

 > nekomodokiさま

ひとつ前のコメント拝見して、大変腑に落ちることがあり、
悩ましい気持ちが少し整理出来ました。
ありがとうございます。

 > この映画があの難民に向けて制作されたはずはありません。
 > この理不尽に目を背ける先進国の人々への訴えなのです。
 > 正に快適な部屋で勝手に泣いたり怒ったりしている私達に対しての。

この部分。続くベトナム戦争の戦場写真の件、
激しく同意です。


私は日本でいつまでも、何回も、繰り返し、
あの太平洋戦争をテーマにした映画が作られる理由と、
今回ジュリーがやろうとしてることが、
どこか似通っているように思うと、自分のブログに書きました。
書きつつ、あまり自信がなかったのですが、
nekomodokiさんが、わかりやすく書いてくださっているのを読んで
そうよ、これを言いたかったのよ、と、
少しほっとしました。

ジュリーは、自分が表現出来る手段を持って、
あえて、悲劇を風化させてはいけないと、
叫んでいるのかもしれないですね。
暖かいリビングで、目を背けてはいけないのだ、と
思い直すことが出来ました。

* * * * * *

DYさま、お話しする場をいただけて、感謝です。
でも、ひとつひとつのコメントに返信されるのは、
精神的にも体力的にも、消耗しますよね。
私は、nekomodokiさんへ宛てて書かせていただいたので
お返事無用ですよ。
それより、F.A.P.Pのためのいい記事を書いてください。

投稿: しょあ | 2012年3月24日 (土) 13時38分

DY様 
横レス失礼します。
しょあ様
書くべきかどうか少し迷ったので共感いただけてほっとしてます。ありがとうございます。
私の職場には定年後週3日警備の仕事をされている方がいらっしゃるのですが、震災後機会がある度に「ボランティアツアー」に参加されているそうです。夜行バスで被災地に行き、1日目はがれきの撤去、雪下ろしなど現地のニーズに合わせて活動し、風評被害で客の激減した温泉にまっとうな料金で泊まり、翌日は観光地を回って特産品を買い物して帰る、というものです。
最初は盛況だったそうですが、2月に申し込んだら参加者が少なく中止になってしまったそうです。「1年もたたないのに、全然かたづいてもいないのにもうそんなに無関心になるのか」と嘆いていらしました。
もちろん、わずかな寄付や福島産の食品を選んで買う、くらいのことしかしていない私がとやかく言えるはずもないのですが、一番怖いのは何も解決しないまま関心が薄れることじゃないかと思ったのです。
いずれにしても今こんなCDを批判を恐れず発表できるのはジュリーしかいないと思います。

投稿: nekomodoki | 2012年3月24日 (土) 17時41分

DYさま

お返事ありがとうございます。
今頃は、3曲目の記事に心血注いでいらっしゃるのでしょうね。

強靭な意志の強さ。
何を今更おっしゃいますやら。
だってそれこそがジュリーやん!

もうちょっと言わせてくださいね。
「死の街」という言葉についても、
>その酷い言葉で、福島の人達がどれだけ傷つき怒ったか
とうDYさまの言葉は、私の知っている限りでは、ちょっと違います。
福島の人たちは言葉に傷ついたのではありません。死の街にされた現実に傷ついていたのですよ。
言葉にされたことで怒ったのは、「ただちに影響はありません」と叫んでいた人たちの側だったのでは?

そしてジュリーは、福島の人達を思えばこそ、その言葉をあえて使った。ということなんじゃないでしょうか。

『3月8日の雲』の「誰かの想像も超えてた罰か」にしたって、
あのとき繰り返されてた「想定外」、そして東京都知事の「天罰」発言を踏まえたものであるはずです。
でなかったら。何もなしにそんな無神経な言葉を使える人ではないですからね、ジュリーは。

彼らにそんな言葉を突きつけるのか、てめーらは!!!
という詩だと、私には聴こえるのですが。

まだまだ浅いぞ、DYさま。
(あたいが深読みしすぎ?)

更新楽しみにしてま~す(o^-^o)。

投稿: らいら | 2012年3月24日 (土) 22時20分

DYさま

何度もスミマセン
訂正させてください
今自分のコメントを読み返してみたら
FAPPを聴いて悲しくて泣いている
みたいじゃないだろうか?とふと思いました
そうではありません

武道館を見て音楽っていいなぁって思いました
FAPPに対してもいろんな受け取り方があるし
ただ悲しかったけど受け止めることが出来たらと
キレイなシローの歌声を聴きながら思いました

訂正ですしお返事は無用ですm(_ _)m

投稿: 由菜 | 2012年3月25日 (日) 23時06分

ダイナマイト様 いつも素敵な、時にじわっと泣かされる素晴らしい伝授をありがとうございます。初めまして。この冬、寒い凍るような北陸の空の下でジュリー堕ちしたいち新参ファンです。こちらにはしょっちゅう来させていただいていたのですが今まで読み逃げで申し訳ありませんでした・・。にわか者のファンの自分ではありますが、今回の新作に関して言わせて(叫ばせて?)下さい。
この作品むちゃくちゃ良いです!!良すぎです~~!!
メッセージと楽曲どちらも奇跡のような高水準で同居していることに・・・驚愕とひたすら脱帽です。
ファンになって手に入れる初めての新作がこんな素晴らしい作品で自分は幸せです。自宅で聴いていても気がつくと、「ジュリーも鉄人バンドもこの人らすごすぎる・・・なんちゅー人らや!」とつい声に出してしまうこともしばしばです。
アホなコメントをお許しください。

投稿: 日本海の女 | 2012年3月27日 (火) 00時37分

DY様
連投で申し訳ないです。お伝えし忘れておりました…レスは結構ですm(__)m
季節の変わり目ですのでどうかお体大切にお過ごし下さい。

投稿: 日本海の女 | 2012年3月27日 (火) 23時22分

クリングル様

息子さんとご一緒に老虎、そしてかつてはドームでストーンズですか!
いやぁ素敵です。

僕が最後にストーンズをドームで観たのは30代前半でしたっけ…。
実はその際、同行した後輩と
「ちょっと最近、サティスファクションって飽きてきたよね…」
なんて言っていたのが、あのイントロが始まった瞬間
「やっぱり好きだ~!!」
と盛り上がった…そんな思い出があります。

nekomodoki様
しょあ様

仰る通りですね。
やはり、遠巻きに見ている被災者でない人々へのメッセージというのはジュリーの中に少なからずあるでしょう。

nekomodoki様の例えは本当に分かりやすいですし、しょあ様の迷いながらの感性も素晴らしい…。
結局、ジュリーの言うように「自分で考えてみる」というのが大切なことで、そうした時に多くの人は「目を背けてはいけない」と再確認するところからスタートするしかないのですね…。

投稿: DYNAMITE | 2012年3月28日 (水) 21時28分

らいら様

ありがとうございます。

「F.A.P.P」の記事、ようやく書き終わりました。お待たせしてしまいました。
らいら様とは違う「死の街」の考察をしてしまいましたけど、仰ることはよく分かります。

らいら様がコメントをくださった時は、ちょうど記事がなかなか納得いくように書けなくてウンウン唸っていた頃でした。
本気で悩んでいたので、「F.A.P.P」に関連するコメントにお返事できるような状況ではなくて…お返事が今頃になってしまいごめんなさい。

いよいよ次で最後の曲です。また頑張ります!

由菜様

ありがとうございます。
承知しておりますよ~。大丈夫です!

「F.A.P.P」の記事に取り組むタイミングで武道館放映が巡ってきたことは、運命的でした。
音楽は楽しいものだ、という初心を確認できましたし、自分は傷ついた人たちの前で笑顔でいるべきではないか、ということも改めて確認できましたし…。

何より、武道館レポのコメントをきっかけにやりとりするようになった男性の先輩に、大いに励まされたのです。
「人を想う気持ちから書いてみよう」と思い立ったのも、その先輩とのやりとりが偶然のきっかけとなりました。

人の縁は、本当に不思議です…。

投稿: DYNAMITE | 2012年3月28日 (水) 21時41分

日本海の女様

はじめまして!
ようこそいらしてくださいました~。

いやぁそうですか、ジュリー堕ちなさってからまだそれほど経っていないのですね。
一番楽しい時期ですよ。買いたい作品もたくさんあって、どれを聴こうか、どれを観ようか、とワクワクしていらっしゃる最中ではないでしょうか。

北陸にお住まいなのですね。
僕が東京ドームに一緒にいったジュリ友のYOKO君が、新潟出身です。北陸は寒いところだ、と聞いています。
今年の北陸は特に厳しい寒さで大変だったことでしょう。
ジュリー熱がずいぶん助けになっていらしたのでは…。

また遊びにいらしてくださいね。
あと、コメントへのお返事が遅くなってすみませんでした…。いつもはもっと早いんです~。ごめんなさい。

今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます!

投稿: DYNAMITE | 2012年3月28日 (水) 21時54分

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