沢田研二 「F.A.P.P」
from『3月8日の雲』、2012.3.11
1. 3月8日の雲
2. 恨まないよ
3. F.A.P.P
4. カガヤケイノチ
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すっかりお待たせしてしまいました・・・。
先週の土曜日からずっと、この曲の記事で悩み続けていました。その間、みなさまから頂いていたコメントへのお返事すらできず、迷走を続けてしまいました。
何度書いても納得がいかず、纏め上げたものを読み返しても自分の言いたいことが分からず、主旨がハッキリせず・・・イチからやり直し。
そんなことを繰り返しながら、これはもう本当に書けないかもしれない、とあきらめかけた時・・・。
「あ~あ・・・」
といった感じで呻き、ちょっと曲について考えるのをやめてしまって・・・何故だかふと、単純に福島のことを考え始めました。
学生時代の個人的な想い出を辿ったり、今住んでいる人達のことを考えたりしているうちに
「あれっ?そういえば僕は一度だって、こうしてシンプルに、少しでも福島のことを考えようとしていたっけ・・・」
と、気づかされました。
ジュリーの曲のことは考えた。詞の意味も考えた。コードもメロディーも採譜した。数えきれないほど何度も聴いたし、自分でも歌ってみた。
でも僕は・・・純粋に福島のことを、自分なりにでも考えようとしたか?
何と、全然考えてなかった・・・。
僕は、誤魔化そうとしていたんだな、と思いました。
ずっと気にかけていたことを、ハッキリと書かずオブラートに包んで、それで済まそうとしていました。
その、楽曲考察とは別の僕の思いを書かなければ、結局この曲への僕の思いを伝えたことにはならないんだ・・・福島のことを考え出したら、そんなふうに思えてきました。
そして再度、イチから書き始めたら・・・不思議なことにスラスラと、驚くほど素直に文章が走り出しました。
それが、今回更新したこの記事です。
バ~ッと書いてバ~ッと仕上げで更新してしまいましたから、誤字脱字のチェックはこれからです。どうかその点はご容赦くださいね・・・。
☆ ☆ ☆
僕は福島県に、親戚などの身寄りがおりません。
敢えて言うと、弟の嫁さんの親御さんが、元々福島の出身だったとのこと。
あと、バンド仲間の友人でタブラ奏者の佐藤哲也君が、福島の出身。北国から一旗揚げに(?)上京してきた彼と、同じように南国鹿児島から上京してきた僕とはお互いが20歳の時に出逢っています。長年の付き合いですから、気心は知れています。
僕のよく知る彼は日頃タフな男だけに、昨年の震災後の心労が、逆にハッキリ目に見えるようでした。
彼は父親を亡くして、残された母親を東京に呼び寄せ一緒に暮らすことを提案したのですが、お母さんはやはり住み慣れた福島の地を離れがたく、生家の伊達市で暮らしていく道を選択したそうです。
その後彼は、自分なりに色々と勉強したり情報収集をしたりしながら、機会を見つけては、普通に一人息子を連れてお母さんの様子を見に、福島に度々遊びに行っています。
本当に福島を応援する、というのは彼のような行動のことなのかなぁ・・・と、僕はここ数日でそんなふうに考えたりします。
そしてもう一人。ジュリーがきっかけで出逢った大好きな先輩が、福島にいらっしゃいます。
僕が勝手に思っているだけかもしれないけれど、僕のことも、その先輩はいつも気にかけてくださっていました。
時々僕のことを「オトート」とか「若者」とか呼んでくださいました。
特に「オトート」と呼ばれた時は、なんだかくすぐったくも、とても嬉しかったものです。まぁ、僕が甘ったれな性分だからなのでしょうね・・・。
お気づきの方ももしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、今回のジュリーの新譜『3月8日の雲』収録曲の考察を始めてから、実は僕は記事中で、たったひとりのかた・・・その先輩に、振り向いて頂きたい、戻って頂きたい、反応して頂きたい、と躍起になっていた部分が多々あるのです。
この言葉を読んで頂きたい、ここの文章の言外の意を汲み取って頂きたい、などとそんなことばかり考えて書いていましたから、過去2曲の記事は、今読み返すとなんだかチグハグな文になっているように自分で感じます。
ハッキリ書いてはいませんでしたから・・・コソコソとオブラートに包むようにして書いていたことを自分で分かっていますから・・・そう感じるのでしょう。
何故もっと、ストレートに行けなかったかなぁ・・・。
僕は愚かで、とんだ自信過剰でした。無力で、無知でした。
その先輩が、大変なご心労の中にありながらも、最後の最後に
「私のことは気にせず、DYさんはDYさんの思うままの記事を書いてください」
と連絡してくださった優しさが、ほんの昨日のことのように忘れられません。
でも、先輩がその連絡をくださってから先は、僕にとってはあれよあれよというか・・・「ちょっと待って下さい!」と叫ぶ間もなく、事が進んでしまいました。
そしてとうとう、先輩が執筆していたブログのうちひとつは、いつの間にかリンクが外され、アドレスを知らない僕は拝見することもできなくなってしまいました。
あんなに優しい人が、心を鬼にして発信し始めたことを、僕はやっぱり真剣に受け止めざるを得ません。
だとすれば・・・もう書かない方がいいのか、この曲の記事は・・・。
何度もそう思いました。
今日のお題、「F.A.P.P」のことです。
はじめに書いたように、そんな悩みに明け暮れた数日間の末、ようやく心は決まり、僕は直球の記事を書くことにしました。
先輩への気遣いをコソコソと小出しにしてみたりとか、そういう小細工は一切ナシにします。
僕はこれから、この今回の記事で、「F.A.P.P」という楽曲を絶賛します。名曲だと断言します。
「F.A.P.P」は、間違いなく問題作ではあります。
僕の周りの多くの先輩の間にも、賛否両論あります。気持ちが退いてしまってまともに聞けない、と仰るかたもいます。
それはねぇ・・・やっぱりテーマがテーマだから。
この曲を好きなかたも、どうも語りにくそうにしています。
このテーマそれ自体を語るのが怖い?
うん・・・確かにそれも、あるにはある。
僕はこのアルバムを聴いて、いよいよ全曲の記事を書くんだなぁ、と考えた時、まずはその点に思いを巡らせたものでした。
「原発」とか書くだけで、何か変な人に検索されて因縁をつけられるんじゃないだろうか、とか、色々な考え方の方々がそれぞれの意見をくださる中で、結局僕自身が色々な主張に押し潰されるような事態に発展してしまうのではないか、とか、そういったことをね・・・大げさに考えました。
このテーマはちょっと怖いなぁ、と。
ところが、すぐにそんな「怖さ」はどうでも良くなりました。
思想?政治?
原発について書くとどんな内容でも荒れる?
それがどうした。
どうなろうとそれはジュリー・ナンバーにとっての本質とは関係ないし、広い視野に立てば本当に些細なこと。
僕はそんなことより、このアルバムを、「F.A.P.P」についての僕の解釈を、世にたったひとりのかたに伝えられないまま去られてしまうことの方が、何百倍も何千倍も怖くなってきました。
思いあぐねている間に僕のブログもほんの数日ですが更新が途絶え、様々な方からご心配や激励のメッセージを頂きました。
その中で・・・今回初めてメッセージを頂いたある先輩は、こう仰っていました。
「この曲最大の不幸は、ジュリーの歌声で届けられる前に、新聞記事によって聴く側に先入観が生まれてしまったことです」
また、いつもお世話になっている先輩は、こう仰ってくださいました。
「音楽作品としては日本で異例かもしれませんが、これだけのことが起こったら、どこの国でもそれに関して”作品”が作られるのは当たり前です。そんな”作品”ひとつ持てず、それに対する賛否が出ない国だったら、かえって情けないです」
いずれの先輩も、僕がどういうことで行き詰まり凹んでいるかを理解してくださった上での激励です。感謝の言葉もありません。
僕は間違ったことを書くかもしれない。自分に都合よく考えているのかもしれない。
一般の人々から見て
「ジュリーが好きだからそんなふうに考えるんでしょ?」
と言われてしまえば、それまで。
ただ、もうこうなったら、素直に、ストレートに書くしかないと思いました。
僕は、この曲のテーマに関しては無知もいいところです。自分なりに勉強はしているつもりだけれど、実際に当事者となった方々の、万分の一もその概要は見えていないと思います。
僕が見て、考えて、掴みとっているとハッキリ言えるのは、ジュリーの歌だけ。そこで僕がどんなふうに考えたかを、今日は書いてみたいと思います。
ジュリーだから何でもオッケ~・・・僕がそんなタイプでないことは、福島の先輩も知っていらっしゃる。
何故僕がそんなにこの曲を支持するのか、理由を考えあぐねていらっしゃるかもしれない。
「発信することは、それがどんな立場での発信であろうと、立場の違う人を傷つけるリスクを常に持っている」
・・・これは、毎日新聞の記事が話題になった時に、ある別の先輩が仰っていたこと。
今思えば僕にとってそのお言葉は、まさに予言でした。
どういう巡り合わせなのか分からないけれど、ほとんど最悪のタイミングで、僕は「F.A.P.P」の記事を書くことになった。何故こんな時にこの曲に順番が回ってくるのか・・・と正直恨めしく思います。
僕が今、どんな立場でどういう筋道でこの曲を語ろうと・・・例え文中でこの曲を肯定しようと否定しようと、ただ「F.A.P.P」という曲を語るだけで、僕はひとりの先輩のことを傷つけてしまうのです。
曲について語る、というたったそれだけ行為で。
そして、それはそのまま、書いている僕自身も傷つくということでもあります。
・・・いやいや、僕がそれで傷つく、凹むというのは、まぁどうでもいいことです。
本人的にはどうでもよくはないのだけれど、所詮は身勝手な思い込みですからね。ジュリーの楽曲とは関係ない。
そう、大事なのは楽曲の解釈なんです。
僕はまだ全然、その部分を誰にも伝えていません。それをせずして、何も始まりませんよね。
これから書くことは、あくまでも個人的な見解と考察です。間違った考えかもしれませんが、自分に偽りなく、福島の先輩が最後にくださったお言葉に従って、「思うままに」書いてみます。
あ、でも、「私のことは気にせず」なんてお願いは、聞くのは無理ですから。そこだけ、ごめんなさい・・・。
その先輩は、今はもう僕のこのブログは読んでいらっしゃらないと思うんです。
僕が「F.A.P.P」という曲を記事で絶賛するのを読むのは辛いから・・・最後にあんな優しい言葉を残して、区切りをつけられたのでしょう。
そういうかたなのです。
でも、いつかこの記事が書かれているのを目になさる日があったとしたら、先輩は目を逸らすかな・・・。
それとも「相っ変わらず、文、長ぇ~な!」と苦笑いしながら普通に読んでくださるでしょうか。
今日は、あくまで個人的考察ながらも、文字通り「伝授」の気構えで書かせて頂きます。
よろしくお願いいたします。「F.A.P.P」、伝授です!
「F.A.P.P」のジュリーの詞についての僕の考察で、まず2点だけ先に書き、筋道だてて立証したい重要なフレーズがあります。
それは
・「死の街」
・「校舎」
この2つです。
歌詞については・・・正にこの2つのフレーズのことを書くために、僕は今回の記事に向かっているのかもしれません。
これから書く考察を「そうじゃない」と多くのみなさまに言われてしまえば、僕はもう本当に黙るしかない・・・。
でも、僕はこの曲に関しては珍しく、自分の考察に自信があります。自分が真剣にジュリーファンでなければ行き着けなかった考えだとも、思っています。
まずはこの「死の街」「校舎」というフレーズ2点についての考察によって、ジュリーの歌詞全体像に迫ってみましょう。
まず、「死の街」について。
この「死の街」という言葉は、昨年大きな社会問題になった言葉です。
みなさまもその件については覚えていらっしゃるとは思いますが、簡単に説明いたしますと・・・。
事の起こりは・・・本来、被災地地元の支えとなるべき経済産業相という重要なポストにあった鉢呂吉雄氏が、東京電力福島第一原発周辺の地域を「死の街」と表現したことが明るみとなったことから始まります。
後に、鉢呂氏側にもそれなりの正当性があったことなども採り上げられましたが、とにかくその不謹慎な表現に対し、福島の方々始め、世間は激しく怒りました。
(註:人々の怒りの理由については、「恨まないよ」の記事へのコメントにて別の意見も頂いていますが、やはり僕はその表現のあまりのデリカシーの無さに怒った人が多かったのだ、と考えます。現に、その「死の街」という言葉そのもので傷ついているかたが多くいらっしゃるのです)
「死の街」発言は大変な社会問題となり、職に留まり福島の方々と接する、ということなど到底不可能な状況となった鉢呂氏は、辞任に追い込まれます(もちろん鉢呂氏にもそれなりの事情があり、後にそれも指摘されていますが、結局「死の街」発言が氏の辞任の直接要因となったことは間違いありません)。
さて、みなさまもご存知の、この一連の問題・・・それをジュリーがまったく知らないでいた、とみなさまお思いですか?
知っているに決まっていますね。
とすれば、「死の街」などという言葉がどれほど福島の方々を傷つけ、悲しませたかを、ジュリーは当然分かっているということになります。
その上でジュリーが「F.A.P.P」の歌詞に登場させた「死の街」というフレーズが、「かけがえのない大事なふるさと」のフレーズと対極の表現として使われていることは、自明の理。
「死の街だと?違う、死ぬものか。大事なふるさとだ」
そう歌うために、ジュリーは敢えて「ふるさと」の対極として一番「キツイ」言葉を選んだのではないでしょうか。
僕が以前「言葉がキツイ」といったのは、そういう意味なんです。
そうでない、とすれば
「ジュリーは福島の方々をわざと傷つけるために、意地悪で”死の街”などと歌ったのだ」
というバカげた結論に至るしかありません。そんなはずがないでしょう?
ここまでは、よろしいでしょうか。
それでは、第二点。
「子供はみんな校舎の中育つ」。
この、歌詞中の「校舎」とは何であるか、何処の校舎のことであるか、どういうふうに他部の歌詞と繋がっていくか、ということについてです。
この歌詞部のすぐ後に「死の街」のフレーズが続きます。
そこで、先述の鉢呂氏が「死の街」と表現した場所は何処であったかをまず思い出してみましょう。
新聞によるとそれは、「東京電力福島第一原発周辺地域」とされています。
そこに暮らしていた方々が、強制的に我が家から引き離されざるを得なかった・・・そんな場所のことです。
原発周辺地域に暮らしていた人達は「大事なふるさと」を離れ、どんな暮らし、どんな場所へと生活を変えたのでしょうか。
避難なさった方々が居を落ち着けた幾多の場所の中で、ジュリーが必ずや思いを寄せているに違いない、一例の町があります。
ここでみなさま、お手元のジュリーの6月からのツアー『3月8日の雲~カガヤケイノチ』のインフォメーションをご覧になってください。
ツアー前半のスケジュール・・・その中に
「おやっ?この場所での公演は初めてじゃないかな・・・」
という場所が、ひっそりと記載されていますね。
「パストラルかぞ」
僕はインフォメーションを見てすぐに「あっ!」と思いました。
いやいや、それは僕がことのほか想像力に長けている、とかそういうことではありませんよ。
実は、個人的に「かぞ」という地名に馴染みがあったのです。
(註:いつもお世話になっている先輩方から、早速のご指摘を頂きました。『パストラルかぞ』での公演は、少なくとも2008年に1度開催されていたようです。何でもその際には、「近隣の人は普通に”かぞ”って読めるけど、馴染みのない人が普通に読んだら”かず”だよねぇ・・・」なんてお話で、盛り上がっていらしたそうな・・・)
・・・さて今日はここで、こんなことにならなければブログなどにはまったく書く気のなかった、昨年の僕の少しばかりの体験について語らなければなりません。
少しの間、おつきあいくださいね。
僕は昨年のある日まで、「加須」(かぞ)という地名の読み方すら知りませんでした。
初夏・・・今思えばそれは、いよいよ老虎ツアーの全容が明らかとなった頃だったのかな。僕は当時、被災されたジュリーファンの先輩方から逆に励まされるようにして、とにかく可能な限り多くのジュリー・ナンバーを採り上げてブログを書く、ということに懸命に取り組んでいた頃でしたか・・・。
ある日、勤務先のパートのお姉さまからのつてで、加須に避難していらした福島県双葉郡双葉町のみなさんから、SOSを受け取ったのでした。
それは
「冬の寒い中、その時の暮らしのままの状態で避難してきてしまったため、夏服の用意がまったく無く、これからの暑い季節を憂慮している」
というものでした。
詳しく聞くと、双葉町のみなさんは、加須の旧騎西高校校舎で避難生活を送っていらっしゃる、とのことでした。
騎西高校は数年前に廃校となり、校舎がドラマ撮影に使用されるなどしてそのまま残されていたところに、双葉町のみなさんがやって来られたのです。
幸い、ささやかながらお役に立てることがありました。
僕の勤務先では、以前創刊した雑誌の販売促進用としてロゴ入りTシャツを大量に制作したことがあり、そのTシャツの在庫が手つかず新品状態で、まだいくらか残っていたのです。
僕らはその在庫すべてを、騎西高校校舎に暮らす双葉町のみなさんに送らせて頂く運びとなりました。
その中で、大変な分不相応ながら・・・僕は社を代表し、双葉町のみなさんに宛てた手紙を書く、という大役を担うことになったのです。
こういうことは、ジュリーファンの宿命でもあるかもしれません・・・もしジュリーと出逢っていなければ、僕だってそんな手紙は、何をどう書いていいものか分からず・・・ビビって、尻込みしたでしょう。
実際、他の社員はそんな感じでしたし。
ただ、ジュリーファンはこういう時、素直に自分の気持ちを、それこそ”邪気無く”そのまま書く、というよく考えれば当たり前のことを、何となく身につけてしまっているのですね。
正直に、心をこめて綴りました。
今度のことに、すべての人が胸を痛めていること。
誰もが、何かできることはないかと日々考えていること。
己の無力を思い知る日々の中で、今回のようなご縁を頂いたことが、どれほど自分達にとって感激の出逢いだったかということ。
ただ・・・最後の締めくくりに書いてしまった1行が、僕を今、強い自責の念に駆りたてています。
「双葉町のみなさんが無事にこの夏を乗り越え、1日も早く故郷に帰還できることを祈っています」
・・・僕はそう書いてしまったのです。
現実には。
夏が過ぎ冬が過ぎ、あれから1年が経ち、春が来ようとしています。しかし僕が最後に書いてしまった1行は・・・未だもって叶えられていません。
話を「F.A.P.P」に戻しましょう。
ジュリーの歌う「校舎」は、「我が家」の対極として使われたフレーズであると僕は確信しています。
だって・・・ジュリーが決めているんですよね?どの町にツアーの公演に行く、というのは。
何も知らないまま
「”パストラルかぞ”から公演依頼があったから、どんなトコだか知らないけど一度行ってみようか」
・・・そんなことで公演を決めてしまうような軽薄なジュリーではありません。それはファンならば誰しもが分かることですよね。
今回のツアーで加須に行く、というのは当然ジュリーに思うところがあってのことでしょうし、ジュリーが加須公演で、今その地元に住む人達の中で特に観に来て欲しいと思っているのが誰なのか・・・言うまでもないことです。
そう、少し冷静に考えれば、ジュリーファンならば誰しも分かると僕は思うんですよ・・・。
「F.A.P.P」の詞というのはね。
しかし・・・政治だ、思想だ、団体だ・・・そういうことに関連づけて考えているうちは、この曲は逆に分からないんじゃないかな。
暴言ですか?
原発周辺に暮らしていて、強制的に避難を余儀なくされてしまった方々は、「あと10キロ我が家が原発から離れていれば・・・」と、どうしてもそう考えてしまうそうです。
想像するに・・・無事に故郷に残って生活できている人や、避難区域の見直しによって我が家へ帰還できることになった故郷の同志達を、羨ましくも心強く頼りに思うのでしょう。
それが福島への、故郷への誇りというものではないでしょうか。
「それにしては、”バイバイ原発”だなんて安直にそのまんま言っちゃって、ジュリー、ちょっと身も蓋もないんじゃない?」
そんなファンの声も、今回は多いように感じられます。
何故そんなストレートな表現になったのか・・・僕はその点もしっかり考えましたよ。
これまでに執筆した2曲「3月8日の雲」「恨まないよ」とは違い、「F.A.P.P」はそのテーマを原発事故に絞っています。
ジュリーはその上で、この歌をどんな人達に捧げたようとしたのか。どんな人達に共鳴し、代弁しようとしたのか。
それはやっぱり、一番しんどい目に逢ってしまわれた方々、ということだと僕は思うのです。
原発事故で多くの方が苦しみ、哀しみの中にいるけれど、ジュリーが焦点を絞って目を向けたのは、馴染みある土地での日々の普通の暮らしを奪われた人達・・・つまり「原発事故で強制的に我が家を離れなければならなかった人達」だったのではないでしょうか。
加須公演が開催されるという時点で、ジュリーはそこに双葉町のみなさんが暮らしていることを知っている。
例えば双葉町のみなさんが「F.A.P.P」の詞を読めば、まず「校舎」というのは騎西高校のことだ、と普通に感じるでしょうし、「我が家へ帰れない」の歌詞部では、自分の子供達をふるさとで育てられない無念さが、こみ上げてくるでしょう。
たとえ大多数のリスナーに誤解されようとも。
「バイバイ原発」なんて言って、ただの広告塔ではないのかと揶揄されようとも。
ジュリーはたった一握りの苦しんでいる人達のために、「こんな気持ちだよね」と共感し合える詞を書いたのだと僕は考えます。
僕だって最初は「え~っ?!」と思った「F.A.P.P」の歌詞。
初めてこの曲を聴いた時には、「この表現はないんじゃあない?」と、退いてしまった・・・僕も確かにそうだったんです。
甘かったです。
繰り返し聴いて、ジュリーに惚れ直しました。まずはメロディーを採譜して、高い「ラ」の音を出してる!という発見に始まって・・・とうとう最後には、この歌詞の魅力に辿り着きました。
ジュリーは「F.A.P.P」という曲で、自らの思想を主張したのではありません。
政治だとか思想だとか特定の団体だとか・・・そんなこととはまったく別の次元で考え、この詞は書かれています。
校舎の中で暮らす子供達が今何を考えているのか、想像してみました。
幼い子らには、難しいことは分からない・・・ただシンプルに「僕の家を返せ!原発のバカヤロー!」だと思うんですよ。
では、そんな子供達に、親はどう接するのか。
苛立ったり、怒ったり、悲しんだりしている顔を見せるわけにはいかないですよね。
心の奥底では「こんなにしたのは誰だ」「何を護るのだ国は」と憤懣やるかたない中で、傍にいる家族や同郷の仲間の前では、笑顔で生きていくしかないのです。
腹に、色んな思いをグッと押さえ込んでね。
それが次曲「カガヤケイノチ」での「寡黙に」という表現に繋がっていくのではないでしょうか。
寡黙に笑顔でいることは・・・結局そうするしかないんだ、と分かっていても、辛いことでしょう。
大人だから我慢しているけど、時には子供のようにシンプルに「原発のバカヤロー!」と叫びたくなる時があるでしょう。
だからジュリーは、彼等の腹に押さえこまれている気持ちを代弁したのです。ごくごく僅かな人数の人達の、不条理に我慢しなければならない思いを、社会に吐き出したのです。
だから、3番の「当然♪」は、1番、2番の明瞭な発音とは違うのでしょうね。
双葉町の人達は
「現場で決死の復旧作業をしている人もいるんだ。『東京電力』でひとくくりにして責め立ててはいけない」
と、そう自らにグッと言い聞かせていると思います。
それが”腹に押さえ込んだ声”のひとつであるならば。
「押さえている気持ちを解き放って、乱暴にそう言ってしまいたい時があるよね」と、ジュリーは「当然♪」というフレーズの「Z」の発音を「D」に変えて・・・敢えてそう歌っているのだと僕は考えます。
今さらなんですが、「福島」って「幸福」の「福」に「島」って書くんですよね・・・。
僕は今まで、単なる漢字二文字を無機質に認識していただけでした。
でも改めて・・・ジュリーってこういう語感には敏感な人なんですよねぇ。「福島」からすぐに「福」「島」と連想したのでしょう。
福島は「HAPPINESS LAND」だと、僕はジュリーに教わりました。
「福島」=「HAPPINESS LAND」というのは、ジュリーが今回のツアーで最も気合を入れて伝えたいフレーズになるでしょう。
それは、気持ちだけでなく、技術的なことでもね。
さぁ、ここからは楽しい伝授だ。
僕は「F.A.P.P」の詞についてここまで重々しく語ってきたけれど、この曲が重い曲だとは、実は思っていません。
ゴキゲンなメロディーと、卓越した転調構成、ポップなアレンジ、そして最高のヴォーカルが届けてくれる、楽しい音楽だと思っています。
楽しい曲調だからこそ、この詞なんだ、とも思っています。このジュリーの詞がヘヴィーな曲に載っていたら、逆にわざとらしい。
その場合は、ひょっとしたら僕でも完全に退いてしまっていたかな・・・。
詞と曲どちらが先なのかは分かりませんが(譜割りとメロから推測すれば、曲先で間違いないとは思いますが、断言はできません)、詞先ならば柴山さんの意気たるや凄まじいものですし、曲先とすればジュリーの嗅覚、センスはやっぱり凄い。
「BYE BYE 原発」という言葉数が、「ド#・ド#・ド#~レ#・ファ~♪」のたった5音節に載っている、切れ味。
この部分だけに関して言うと、絶対に曲先だと思うなぁ。ジュリーが冴えているんだと思いますよ。
それでは・・・先程の「福島=HAPPINESS LAND」の話の続きから、まずはジュリーのヴォーカルについて語っていきましょう。
♪ BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
A C#
哀しみは ひとりひとりで違うよ 当然
F#m B7 D E A E
BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
A C#
HAPPINESS LAND へこたれないで 福島 ♪
F#m B7 D E F A
(註:サビ部の最後のコードの纏め方には曲中2種類の使い分けがあって、一旦「F」をはさんでから「A」に着地するというカッコ良さが僕が個人的に気に入っていることから、ここでは2番サビ部を採り上げました)
ジュリーが「F.A.P.P」で最も気合を入れて伝えたかったフレーズ・・・「HAPPINESS LAND♪」の頭の「は♪」の部分は、ここ数年、いや数十年なのかな・・・ジュリーがレコーディング作品で避けてきたほどの高音・・・高い「ラ」の音なんです。
ジュリーの高音と言えば・・・例えば先日放映された老虎ツアー。僕はテレビを観ながら検証したんですが、やはり「ラヴ・ラヴ・ラヴ」はオリジナル音源よりもキーを下げて演奏されているんですね。
さすがに高過ぎる、ということです。
ただ、下げたと言ってもそれはイ長調に留まっていて、転調後のサビには「ソ#」という男声としてはかなり大変な最高音(「恨まないよ」の最高音と同一)が登場します。
武道館の「ラヴ・ラヴ・ラヴ」でのジュリーのヴォーカルは、改めて聴いてみると瑞々しい少年のような声だったんですねぇ。最高音の「ソ#」もス~ッと出ていました。
今回のアルバム『3月8日の雲』では、「F.A.P.P」と「カガヤケイノチ」で、そんな「ソ#」よりも半音高い「ラ」の音を解禁したジュリー・ヴォーカル。
そうまでして伝えたい言葉があったからだ、と僕は思っています。気持ちを入れて、体力限界のところで表現したい・・・そんなジュリーの志を感じます。
この曲のサビは
「BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発♪」
という詞が、間を置いて2度登場しますよね。
先に表記した通り、実はここはコード進行も2度とも同じなのです。載っているメロディーだけが違えてあるという仕組みです。
1度目よりも2度目の方が音階が格段に跳ね上がっているのは、聴けばすぐに分かりますよね。
この素晴らしいメロディーに、「バイバイ原発」なんて、ある意味突拍子もない歌詞が載っている・・・しかし、これが驚くほど見事に詞曲でマッチしています。
近年のジュリー作詞のナンバーというのは、別の人が作曲したメロディーとの乖離が目立ちました。
それはそれで味があり、僕としてはとても好きなのですが・・・今回の新譜に関しては、詞曲の乖離や、「何だこれ・・・」というアクロバット的な不思議ちゃんフレーズは全くありません。
唯一、最初聴いた際に引っかかったのがズバリこの「F.A.P.P」での、「当然♪」というフレーズ。いきなり唐突に「当然♪」と来るのが気になりましたが・・・これは先述したように、3番での発音ありきで使われているわけですから、今となっては大納得。
今回のアルバムのコンセプトが、ジュリーの優れた作詞能力を引き出したとすれば、何とも皮肉な話なんですけど・・・。
一方、柴山さんの作曲の素晴らしさも語らないわけにはいきません。
僕はこの曲が、これまで柴山さんが手がけたジュリー・ナンバー中、最高傑作だと思っているのですから。
今回のアルバムは故意か偶然か、ヴォーカル、歌詞を度外視し曲想だけとってみても、なかなか興味深い並びの収録になっています。
まず、収録曲順にどんどんメロディー音域が高くなる。また、収録曲順にどんどん和音展開が複雑になり、難解な構成になります。
一方アレンジは、ハードからポップへと、順を追って柔らかくなっていきます。難解な曲になるほど味付けがポップになるというのは、鉄人バンドのセンスの良さですね。
これすなわち、ヘヴィーなものが好きな人は前半2曲が好きで、ハートウォームなものが好きな人が後半2曲が好き。
演奏に耳の行きやすい人は前半2曲に惹かれ、構成に耳が行きやすい人は後半2曲に惹かれる。
そんな状況がハッキリ起こってくる作品なのかもしれません。僕はどちらも全部好きなわけですが、敢えてどちらかと言うと後者なのかな。
ある先輩が、このアルバムの4曲を「起承転結」に例えました。
当然3曲目の「F.A.P.P」は「転」。歌詞の段階でもうすでに「転」ですけど、柴山さん渾身の曲想についてもやはり、そう言えるんですね。
ハードな2曲を受けての、明快なポップ・チューンです。
そう、「F.A.P.P」は僕の大好きな”パワー・ポップ”というジャンルに近いナンバーだと思っています。
”パワーポップ”はオルタナ系のバンドと類して評されることが多いけど、僕の好きなバンドやアーティストは、ちょっとその観点とは違います。
一番好きなのは”ファストボール”というバンド。ちょっと1曲紹介しますと
http://www.youtube.com/watch?v=HhjHICy5tW0
「You're An Ocean」。Aメロのコード進行に、「F.A.P.P」のサビと同じ展開があります。
明快で、ちょっと哀愁のあるメロディーを、元気良いビートでバンド・サウンドへと昇華する。これがパワー・ポップの醍醐味。
「F.A.P.P」にも、同じエッセンスがありますね。
とにかく柴山さんの作曲、というかコード感は凄い。「やわらかな後悔」よりも、斬新度では「F.A.P.P」の方が上ですね。
キーはホ長調→嬰ヘ長調→嬰ニ短調→イ長調と移行していきますが、転調部で「D」のコードが突飛な起点になっているのが、いかにもギタリストらしい展開です。
例えば
♪ かけがえのない大事なふるさと ♪
B D F# G# C#
この箇所などは、普通に鍵盤の理論で考えると反則スレスレの進行。どの部分がどの調である、と特定できません。この1行全体が、調から調への長いブリッジ部になっています。
また、ここと似た箇所で
♪ こんなにしたのは誰だ ♪
D A B C#
よく似ているメロディーなんですが、先程の箇所とは最後の「C#」の果たす役割がまったく異なっています。
「ふるさと♪」の「C#」は、嬰ヘ長調のドミナントであり、「誰だ♪」の「C#」は、すでにサビのイ長調のメロディーに同化しています。「BYE BYE 原発♪」で登場する「C#」と同じニュアンスなのです。
この、サビ直前の一度「D」(レ・ファ#ラ)を起点に使用してから「A」(ラ・ド#・ミ)→「B」(シ・レ#・ファ#)→「C#」(ド#・ファ・ソ#)のそれぞれ1音ずつの上昇を経て、躍動的なサビへと流れるコード進行、メロディーはゾクゾクするほど美しい。
これは
♪ 大人はいつも 子等を想 い ♪
E B D B C#
というAメロの「想い♪」の部分でのコード進行・・・その残像をサビ直前に再度提示する、という意味合いもあります。
「さっきはグッと押さえこんだけど、今度はバ~ン!と行っちゃうよ!」という効果があるのです。
実は・・・Bメロからの流れは特にそうなんですけど、僕は「F.A.P.P」のコード進行とメロディー、そしてドンピシャの伊豆田さんのコーラスなどの要素から、エレクトリック・ライト・オーケストラのリーダー、ジェフ・リンの作曲手法を想起してしまいます。
ジュリー・ナンバーを聴いてジェフ・リンの手法を思い浮かべるのは「確信」「心の宇宙(ソラ)」「エメラルド・アイズ」に次いで4曲目。意外と多いですね。
http://www.youtube.com/watch?v=flYPAWwQqmE
「Bluebird」。32秒あたりからのBメロに、「F.A.P.P」Bメロと同じ展開のコード進行が登場します。
「F.A.P.P」では、伊豆田さんのコーラスが本当にE.L.O.よろしく、といった感じで柴山さんのコード感をくっきりと浮かび上がらせています。
究極にポップなコーラス・・・これもまた「F.A.P.P」の大きな魅力のひとつだと思います。
ではいよいよ、鉄人バンドの演奏考察に移ります。
いつものように、CD音源の演奏トラックをすべて書き出してみましょう。
・エレキ・ギター(バッキング、たぶん下山さん)
・エレキ・ギター(リード・ギター、ギタリストの判別がつきません!)
・ドラムス(GRACE姉さん)
・ピアノ(泰輝さん)
・アコースティック・ギター(元気の良いストローク、これまたギタリスト判別がつきません・・・)
・エレキ・ギター(バッキング、たぶん柴山さん)
ということで、さて困りました。
4つあるギター・トラックのうち、2本のバッキング・エレキギターは立ち位置通りに(ミックス配置通りに)左が下山さん、右が柴山さんで間違いないと思われますが・・・残る2トラックの判別がつきません。
もしミキシングがステージでのギタリストの立ち位置に沿っているならば、ボトルネック奏法を含むリード・ギターが下山さんで、コード・ストロークで弾きまくっているアコギが柴山さんということになりますが・・・。
イメージだけで言うと、逆ですよね。これは柴山さんの曲ですし、自らリード・ギターのフレーズを考案し演奏した、というのが普通の考え方でしょう。
でも・・・この曲のリード・ギターの手クセが、僕には何となく「エメラルド・アイズ」のそれっぽく聴こえるんですよ。曲調のせいでそう思うのかな・・・。
あと、エンディングの一番最後の最後、ブルブル震えるような音でリードギターの余韻が残っていますよね?あの音が、下山さん特有のビフラートを思わせるんです。
柴山さんはどちらかと言うとエフェクトのサスティンで音を朗々と伸ばし、一方の下山さんは、ビフラートの指圧で粘って音を伸ばす・・・僕にはそんな印象があるものですから。
ギターのトラックは柴山さんと下山さんで2トラックずつの演奏なのでしょうから、どちらかがリード・ギターでどちらかがアコースティック・ギターなのだとは思います。
ただ、レコーディング・テイクをどちらが演奏しているかどうかに関わらず、LIVEでは柴山さんがリード・ギターを弾くと僕は予想します。
というわけで、それでは恒例のコーナー・・・鉄人バンドの演奏の見所を、LIVEでの配置予想と併せて解説してみましょう。
柴山さん・・・エレキギター
僕は今回のツアーで「緑色のKiss Kiss Kiss」が歌われる可能性が高いと考えています。実現すれば、「緑色~」では下山さんのスライド、そしてこの「F.A.P.P」では柴山さんのスライドと、鉄人バンド両ギタリストのボトルネック奏法競演が見られる、ということになりそうです(2曲とも下山さんだったら、ごめんなさい)。
弾き終わった後のボトルネックの行方にも注目ですね。柴山さんはこの曲ではコーラスも頑張るでしょうから、スタンドマイクに近い位置での演奏になるでしょうし、やっぱりマイクの手前にスッ、と引っかけるのかな?
最後のサビ直前、「当然♪」の「Z」が「D」に化ける箇所に絡みつくようにして噛み込んでくるリード・ギターが、LIVEでは特にカッコイイ演奏部になると思っています。
下山さん・・・エレキギター
個人的には、こういうアップテンポのエイト・ビートでこそガッシャンガッシャンと弾き倒すアコギを観たいなぁ、とも思いますが、おそらくLIVEではエレキギターでのバッキングを担当、と予想します。
というのも、柴山さんがコーラスで忙しい箇所については、下山さんが入れ替わって単音リードを弾く場面も若干部あるのでは、と考えるからです。この曲で下山さんがコーラスをとる姿は思い浮かばないので・・・。
もし僕の予想が外れ、下山さんが全編リード・ギターで柴山さんがバッキングに回るパターンだった場合は、エンディングのビフラート、そしてやはりボトルネックの行方に注目ですよ~。
泰輝さん・・・ピアノ、オルガン
今回のこの曲のLIVEで、泰輝さんはCD音源には入っていないオルガンの音を新たに加えてくる、という・・・これは我ながら大胆な予想です。
伊豆田さんのコーラスに負うところの大きいエレクトリック・ポップの雰囲気を、泰輝さんのオルガンで表現できるのではないか、と僕は思っているのです。
ピアノについては、イントロの「E(トニック)」→「Eadd9」→「Esus4」→「E(トニック)」という、究極にポップな和音での小節頭の突き放しに注目。
トニック、add9、sus4のコード展開は、爽快な楽曲では王道中の王道で、キーは異なりますが、ジュリー・ナンバーでは「ビロードの風」のイントロなどが同一の進行です。
そんな王道進行をこの曲のアレンジで一手に引き受けているのが、泰輝さんのピアノなのです。
(ちなみに、コードの組み合わせが「sus4」→「トニック」→「add9」→「トニック」の順序に入れ替われば、「G.S. I Love You」のイントロなどが例として挙げられます)
GRACE姉さん・・・ドラムス
音源のドラミングで僕が一番惹かれるのは、1番のサビ部最後に炸裂する、タムのオカズのフレーズですが、ここはLIVEではその日その日のノリに合わせてフレーズを変えてくる箇所だと思うので、生で聴けるかどうかは自信がありません。
サビでキックの手数(いや足数か)が増える見せ場は、LIVEでも同じだと思いますが・・・。
あとは何と言ってもコーラスです。
Bメロの追っかけは柴山さん担当と予想しますが、その他ひっきりなしに重なるブ厚いコーラス・ワークで、女声のGRACE姉さんの果たす役割は大きいでしょう。
そうそう、余談ですけど・・・先日の老虎ツアー・ファイナルのNHK放送を観て、「シーサイド・バウンド」の「ひゃあ~~~っ!」がGRACE姉さんだったのには驚きましたよ~。
本当に、大活躍の紅一点だったんですねぇ・・・。
さて、最後に。
今の福島の人達の暮らしというものを、僕はまだ自分の目で見ていません。
でも・・・先述した友人の佐藤君の話などからしても、ごく普通に、当たり前に、穏やかに暮らしていらっしゃるんですね。
ただ、本来かからなくて良いはずの心の負担が、極度にかかっている・・・そこを何とかしよう、という時期に今は来ているのだ・・・そういうことなんじゃないか、と思うわけです。
以前「Beloved」の記事で書いたことがありますが、南国鹿児島育ちの僕は、未知なる東北の涼やかな山並みに憧れ、大学入学で上京してすぐに東北新幹線の車内販売のアルバイトを始めました。
あの頃は『やまびこ』と『あおば』だけだったなぁ。
仙台駅が中継ステーションになっていて、よく社員食堂のまかないで、ご飯と味噌汁、そして初めて食べる美味しい漬物にありつきました。
車内の売店は、チーフが東北所属の社員さん、売り子が上野所属のアルバイトという関係。僕は最初、チーフの方言バリバリかつ短い言葉での指示が聞き取れずに怒られ、苦労しました。
チーフのおじさま方は、無口な人が多かったように記憶していますが、次第に、打ち解けていきました。
仙台駅でポツポツと話をしたりして、あぁ、これが東北のテンポなのかなぁ、と思ったものでした。
ただ・・・当時の記憶ながら、仙台駅や盛岡駅はよく知っているんですけど、福島駅、郡山駅というのは、勤務乗車の車内から眺めるだけだったんです。降り立ったことはありません。
一度、福島を見てみなきゃ、と思っています。
僕が行ったって、何ができる、とかいうわけではないのですが・・・フラリと歩き回ってね、ラーメンが食べてみたいんです。
別に、有名な喜多方系でなくてもいいんです。
かつて車窓から見た、ああいう雰囲気の土地は、有名でなくとも美味しいラーメン屋さんがひっそりと何軒もあるような気がする。サービスで、最高に美味しい漬物がほんの少しついてくる・・・そんなお店があるんじゃないかなぁ、と。
僕なりの、福島に寄せる思いです。
「ラーメンかよ!」って言われるでしょうけど・・・。僕は真面目にそんなことを考えています。
ジュリーが福島に思いを寄せた「F.A.P.P」は、シンプルにとても素敵な曲だと僕は思います。
確かに被災者の方々にとってはシンドイ・・・そういう側面は必ずあると思う。でも、爽快なメロディーも含めて、大名曲だと思ってます。
僕はこの曲が好きだ・・・それは、揺るがない。
でもね・・・本当に書きたい、伝えたいのは、次の曲なんですよ。
今回の更新だけで「F.A.P.P」の記事は完結しません。もちろんそれは「3月8日の雲」「恨まないよ」にも言えること。
もちろんここまでの3曲があってこそ、乗り越えてこそ、のラスト1曲、というふうにも言えると思います。
拙ブログとしても、執筆が辛いほどの3曲を乗り越えた後で・・・僕はやっと、ジュリーが「シングルはこの曲だよ」とオフィシャルサイトに追記した大名曲について書ける、という歓びに浸ることになります。
次回は、「カガヤケイノチ」です!
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