沢田研二 「青春藪ん中」
from『告白-CONFESSION-』、1987
1. 女びいき
2. 般若湯
3. FADE IN
4. STEPPIN' STONES
5. 明星-Venus-
6. DEAR MY FATHER
7. 青春藪ん中
8. 晴れた日
9. 透明な孔雀
10. 護り給え
--------------------------------
福島のことを思うと、何故か同時に自分の故郷を重ねて思うようになっているこの頃・・・。
先日、トッポファンの先輩から頂いたコメントで、トッポが鹿児島に縁のあることを教わり、何となく故郷に思いを馳せておりましたら・・・。
故郷・鹿児島の高校で同級生だったN君から突然電話がありました。
なんでも、毎年夏に行われている母校の卒業生主催の同窓会・・・今年は僕等の学年が幹事なんだそうで。
その件で何人かの同級生が集まって打ち合わせしている飲みの席で、ふと思い立って電話してきたみたい。
例年、幹事年度組の同窓生は出席率が高くて
「(自分達の学年)みんなが一同に揃うのは、これが最後かも」
とのことでしたが・・・。
開催日が8月7日って!
日曜やん・・・次の日の仕事をどうすれば~!
お盆前のタイトなスケジュールの時期だからなぁ。簡単に有給とれないよ・・・。
そりゃあ、みんなに会いにいきたい。
20年くらい会ってない奴等が、結構な人数いますしね。
警察官になった奴、教師になった奴、地元で会社を興した奴、これまた地元でお好み焼き屋を始めた奴・・・。
会ってないなぁ、20年。
「あのマサシが結婚したらしいぞ。相手は何考えてんだ」
(註:クラスメートに同姓がいるので、下の名前で呼ばれてるんです)
な~んて皆に言われてるに決まってるから、イチから顛末を説明しとかにゃならんような気もするし・・・。
N君は持ち前の豪快な口調で
「ちった~無理しっせ~け!」
(翻訳:「少しは無理してでも来い!」)
と言い放っていました。
どうにかならんか、少し考えてみるか・・・。
ということで、今回は
”20年ぶりの友人に、抜き打ちで会いに行く”
というテーマの名曲がジュリー・ナンバーにあったことを思い出しましたので、お題に採り上げさせて頂きます。
アルバム『告白-CONFESSION-』から。
「青春藪ん中」、伝授!
『告白-CONFESSION-』は、全曲ジュリー自身による作詞。オリジナル・アルバムとしては、『JULIEⅣ~今僕は倖せです』以来になりますか。
そして作曲は当時のバンド、CO-CoLOのメンバーが担当という中で、「青春藪ん中」だけは作曲もジュリーなのですね。
♪ 20年ぶり手紙が届いたから
E F#
返事も出さず車を飛ばして ♪
B E
え~と、最後の歌詞は「飛ばして」ではなく「飛ばした」なのかもしれません。
僕はこのアルバムの歌詞カードを持っていないんですよ・・・(涙)。だからこれまで、『告白-CONFESSION-』収録曲の記事執筆率が低いとも言えるのです。
ジュリーのヴォーカルは、他の歌手やバンドに比べて圧倒的に歌詞は聴き取りやすいのですが、この『告白-CONFESSION-』というアルバムは、ジュリーの作品の中で唯一と言っていいかもしれない・・・「た・ち・つ・て・と」が「つぁ・つぃ・つ・つぇ・つぉ」な感じで発音されているんですよね・・・。
これは80年代邦楽ポップスの流行り。
先日「Tell Me...blue」の記事で書きました大澤誉志幸さんも、そう。
まぁ大澤さんは今でも
「逢えてよかっつぁ♪」
と歌っていらっしゃいましたが、ジュリーがこの手の発音を連発するのは『告白-CONFESSION-』だけじゃないかなぁ。
ですから上記箇所のヴォーカルが「た」なのか「て」なのかハッキリ分からないんです。
CDが再発されたら、絶対購入し直します。僕のようなリスナーにとって、歌詞カードというのはとても重要なものなのですよ~。
いずれにしても、この導入部の歌詞には大きな共感を覚えます。
懐かしい友人・・・10代半ばの友人でしょうね。20年ぶりに「手紙が届いた」ことを受けて、ジュリーはいてもたってもいられなくなり、返事を書くより先に直接会いに行ってしまう、という歌です。
心躍るナンバーですよ!
僕だって、同じ状況ならそうしたい。
でも、ジュリーは京都でしょ~?それに比べて鹿児島は・・・やっぱり遠いですよ~。
『告白-CONFESSION-』は私的なアルバムと言われ、ちょっと内にこもったような印象が確かにあります。
しかし「般若湯」「STEPPIN' STONES」「透明な孔雀」と共に、「青春藪ん中」のカラリとした等身大の明るさは、ジュリーがこの頃最も表現していきたかったテーマ、曲調なのではないでしょうか。
先程、ジュリー全収録曲作詞の作品として『JULIEⅣ~今僕は倖せです』を挙げましたが・・・ジュリーのスタンスは何ら変わってはいない(と言うか、独立を機に本来のスタンスに戻ったのでしょうか)・・・その純粋な志に驚きます。
身の回りの些細な出来事を歌に託す・・・その中で「友情」というファクターが、デビュー当時からずっと大きいのでしょうね。
特に「青春藪ん中」は、作詞・作曲ともにジュリーということで、『JULIEⅣ~今僕は倖せです』の制作コンセプトに近い、と考えてしまうのは僕だけでしょうか・・・。
さてさて、導入部の話はまだ続きます。
この「E」→「F#」→「B」→「E」というAメロのコード進行について。
音階で言いますと「ミ・ソ#・シ」→「ファ#・ラ#・ド#」→「レ#・ファ#・シ」→「ミ・ソ#・シ」ということになります。
2番目に配置されている和音「F#」=「ファ#・ラ#・ド#」が、まぁ珍しいというほどではありませんが、一般的にさほど使用頻度の多くない、ちょっとひねった進行なのです。
トニック・コードから始まって、次にいきなり1音分跳ね上がる、というね。
ジュリーがこの「E」から「F#」へと移動する進行を会得したのは、キーは違いますがおそらくローリング・ストーンズの「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」かな?
或いはビートルズの「ユー・ウォント・シー・ミー」かもしれない。
とにかくジュリーはこの進行が気に入っているようです。何故そう言えるかというと、
♪ 寒いくらいにエアコンきかして
E F#
おまえが来るのを待ちぼうけ ♪
B E
ね?
「E」→「F#」→「B」→「E」。
アルバム『A WONDERFUL TIME』に収録されている、ジュリーの作曲作品「ZOKKON」でも、全く同じ進行が採用されているんですよ!
で、いきなり話を僕の同窓生・・・電話をくれたN君に戻します。
N君は高校時代、極真カラテの猛者でした。
さらに言うと彼の弟さんは格闘技通にとっては超有名人で、極真カラテのトップクラスとして名を馳せ、また長○剛さんの親友としても名高いN保師範なのです。
N君の方は大学進学と共に空手をやめてしまったので、弟さんとは差が開きましたが、当時相当強かったことは確かです。
で・・・強くて悪かった(笑)。
でもそれは、タチが悪いという類のものではなく、”カラッとした粗暴”な感じの愛すべき友人でした。
僕の好きな言葉”粗にして野なれど卑ではない”を地で行く男。
ジュリーが高校時代に空手をやっていた、ということから、何となく僕の中ではN君のイメージが「青春藪ん中」の主人公(=ジュリー)とダブったりするのです。当然ながら容姿はずいぶん違いますけどね。
♪ 真面目なおまえ ハンパな俺とが 何故
E F#
仲がいいのと 街中の噂で ♪
B E
まぁ、N君がハンパで僕が真面目だったとは言い難いですが(汗)、二人揃っていると周囲からデコボコでアンバランスに見えていたことは間違いないでしょうね。
仲が良かったのは、主にプロレスの話で盛り上がっていたのですが(二人とも、維新軍団が好きだった)。
N君とは、少し前に20年ぶりの再会を果たしています。それが何と、2008年の年末ですよ。
あの、僕が『ジュリー祭り』直後の熱病のような状態にあった、あの年です。
遠方ということもあってずっとゆっくり帰省もしていなかった(母の命日に時々帰って、すぐにトンボ帰りをするくらいでした)僕が、久しぶりに年末年始の数日間を故郷・鹿児島で過ごしたのは、初めて同級生の訃報を経験したからです。
クラスのリーダー的存在だったH君が、突然亡くなってしまったのでした。
今回のような「同窓会の幹事」なんてのは、本来H君の役割だったはず。
その志を、N君が引き継いでいるのです。
♪ 友よ 驚けよ 笑う 顔を見せろ ♪
A E A B7
懐かしい友との再会は、お互いが生きていればこそ。
20年ぶりの友との再会を歌にしたジュリーは、そのまた20年後に、今度は約40年ぶりという友との再会を果たすことになりました。「歌」がきっかけで・・・。
それも、生きていればこそ・・・だったのですね。
「青春藪ん中」は、そんな心躍る詞とメロディーが一体となった、隠れた名曲。
アレンジもカッコイイです。
でも初めて聴いた時は、イントロで後ずさりしちゃった。ベースが入ってきて、シンセの刻みが噛み込んできた瞬間
「JUMP」かよ~!!
と思ってしまったのです。ヴァン・ヘイレンのね。
曲が進んだら、全然違うことが分かってすぐに安堵しましたけど。
(でも、イントロに限っては相当似てますね・・・)
ジュリーのヴォーカルでグッとくる箇所は、先述した「友よ、驚けよ 笑う顔を見せろ♪」の部分。
「驚けよぉぉ♪」の「ぉぉ」、それに「見せろ~イエェェ♪」の「ェェ」・・・この語尾音階を段階を踏んで下げる歌唱は、ジュリーの得意技のひとつ。
この唱法をジュリーが使うたびに、僕はジョン・レノンを思い出すのです・・・。
ジョン・レノンを思い出すということは、まぁ僕の青春の大部分と重なると言って良いかなぁ。
♪ Brother、I wanna see you 青春は
C#m G#m B C#m
Brother、I wanna talk to you タバコの匂い ♪
C#m G#m B C#m
ハハ・・・確かにタバコの匂いだわ。
この「青春藪ん中」という曲は、男性ファンに人気のあるナンバーなのかもしれませんね。
「不良時代」以上に、男度数が強いような気がします。
それでは。
次回更新、例によって3日後ですから、「父の日」1日遅れですが・・・父親に捧げる記事を予定しています~。
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コメント
お久しぶりです~ご無沙汰ばかりですみません。
今日は「告白ーCONFESSIONー」にひかれてホイホイとひっかかりました。(ゴキです)
比較的何でも好き嫌いなく頂きますが(ゴキなので)
特にCO-C0LO期は大好物です。
うまく言えませんが、あのだら~っとした感じが好きです。
やはりLIVEじゃないと、あの隠微な明るさは味わえないですね。
さて「青春藪ん中」、イントロ ドンでインクにトリップ、アヘアへですわ~。
投稿: ぴー子 | 2011年6月17日 (金) 16時36分
DYさん、楽曲の感想の前に、詞の解釈そのものに物言いをつけさせてもらいます。これは、ジュリーがお兄さんとの良い意味でのつかず離れずの関係と絆を書いた詞ではないでしょうか?ジュリーのお兄さんは、ジュリー以上に真面目で地味な方で、ジュリーが10代の頃は優等生として評価されていました。それを踏まえて聴くと♪真面目なお前 半端な俺とが なぜ 仲がいいのと街中の噂で♪とは、まぎれもなく澤田兄弟のことだと思うのですが…少なくとも、私はずーっと、そう思ってきました。
投稿: 74年生まれ | 2011年6月17日 (金) 17時15分
ぴー子様
早速のコメント、ありがとうございます~。
そうでしたか~、CO-CoLO期がお好きで…。
ダラ~とした感じ、というのは分かる気がします!
淡々としているとも。
そんな中にドキッとする箇所があるのもこの時代の特徴です。
しかし…さすがに先輩のことを「ゴキ」などとは思えませんよ~
☆
74年生まれ様
え~~~っ!
それは…僕は大変な読み違いをしていたようです
だって~。
青春はタバコの匂い、とくれば僕にとってはズバリ薮ですもの…。
下校途中の竹藪なんですけどね…友人数人でその…。
あと、男の友人同士で「悪さを共にした奴」を「同罪だからな!」という意味で「兄弟」って言ったりするじゃないですか…それでてっきり
僕は、ジュリーのお兄さんについて、ほとんど何も知らないのです…。
投稿: DYNAMITE | 2011年6月17日 (金) 19時24分
DY様
こんばんは〜
アルバム『告白』の中では初めて聴いた時から、この曲が一番好きでした〜。
おっしゃる通り『男度数』が高い曲ですからね〜
ただ過去形なのは、所持している音源がカセットテープしかなく、壊れたテープレコーダーを買い替えない限り、二度と聴けないからです…。
2週間前の『ジュリー2』に続いて、今日も密林さんからGWに見つけて狂喜して注文した『愛まで待てない』が入荷目処立たずでキャンセルされましたが(泣)、さすがに、今さらテープレコーダーを買うのは躊躇しますんで、これも再発を激しく希望します(ジュリー作品を『CD』で初めて買ったアルバム『TRUE BLUE』は持ってるんですけどねぇ…)
追伸
初期作品のご紹介ありがとうございました。次はお薦めいただいた2枚から攻めてみますo(^-^)
投稿: Mr.K1968 | 2011年6月17日 (金) 22時39分
ココロ期は2度LIVEに足を運びました。2階席が空席の某大ホール、そしてインクスティック芝浦のスタンディングLIVE。ファンの数は双方共少なかったです。ただ皆熱かったです。この頃のジュリーの怒りや内省的な雰囲気がそのままLIVEで見せつけられた感じでした。次回、ココロ期の楽曲伝授の際はツインドラムの考察をお願いします。
投稿: クリングル | 2011年6月17日 (金) 22時46分
DY様 こんばんは
ジュリーはファザコンでブラコンです。(笑)
お兄ちゃんが幼稚園へ行くようになると「ワイも行く~」と聞かず1歳半で入園。お兄ちゃんが卒園すると中退(?)したそうです。いつもお兄ちゃんと同じ服を欲しがるのでお下がりがきかなかったそうで、親は大変だったかも。
私はこの歌は中学時代の悪友達とのことだ思ってました。岡中三羽ガラスと呼ばれていたケンカ仲間達。ジュリは何処へいっても「弟キャラ」みたいですが。
でも言われてみれば話を聞く限りあとの二人がジュリーよりマジメとは思えないので(ゴメンナサイ)74年生まれ様のおっしゃる通りお兄さんなのかな。(お兄さんは間違いなくジュリーよりマジメです。)
「車を飛ばして」で間違いありません。すんごい見づらい歌詞カードで確認しました。「明星」と「護り給え」が印象に残りましたね。
投稿: nekomodoki | 2011年6月17日 (金) 23時13分
お兄ちゃんか友達か?
私はこの曲聞いた時、へ~真面目な友達もいたんだ
受験勉強必死こいたんだもんね。勉強教えてくれたりしたのかな なんて思いました。
本人は絶対言わない事ですが当時学校でスンゴイ人気あったそうですよ。
特に女子にという事は男子にも好かれていたんじゃないでしょうか
告白 タイトルもジャケット写真もすべてが衝撃でした。知らなかったよ
この時期を共に過ごしたファンの方達に感謝
ジュリーを応援して支えて下さってありがとうございます。そんな事言える立場じゃないのも重々承知しておりますけど・・・
ホントにありがとう
友達っていえば加藤順さん
美味しい漬物ありがとうございました。
昔は京都行った時は必ず寄ってたし、お取り寄せもしたけどすっかりご無沙汰してしまい
出戻り後ふと思い出し二十ん年ぶりにネットで探したら代が変わっててびっくり順さんはどうされたのでしょうか?
でも代が変わっても漬物はおいしいです。
今後ともご贔屓さんでいさせて頂きます。
ってこんな事書いても通じないのにね
友達という言葉に反応してしまいました。
加藤順漬物店 左京区二条大橋東三筋目東です。
投稿: キミちゃん | 2011年6月18日 (土) 09時33分
DY様こんばんわ。お久しぶりでございます。
COCOLO三作の中でも一番厳しい(週刊誌の餌食となっていた)時代の作品で、当時はとても穏やかな気持ちでは聴けませんでした。でもこの一曲だけは重く垂れ込めた雲の隙間の一点の青空のような存在でした。
当時のインタビュー記事でこのことを指してだと思いますが「山陽高速道を飛ばした」とおっしゃっていたように覚えています。いつもつきあっている友人ではないけれど、四面楚歌状態を心配してそっと手をさしのべた方がいらしたのかな?などと勝手に想像しておりました。
とにかく前記事の「鳩時計」もそうですが、超私小説作家さんですからつい想像をめぐらしてしまいます。
とにかくこの当時はCOCOLOの良さは解りませんでした。石間さんはなんでリズムを刻んでくれないの?、なんでツインドラムなの?疑問ばかりでした。
だってちょっと前まで縦乗り街道大ばく進だったのにあまりの変化に対応出来ない私でした。
そんな時代を支えたのはやっぱりライブでした。CDでは解らなかった大きなうねり、違う高揚感がなんとなくですが感じられましたから。
最近音源だけで聴き直してハッとしました。それぞれの楽器が歌っている!今なら素晴らしさが解りそう。そんな気持ちです。ぜひ続きのご伝授よろしくお願いいたします。
それから、ちょっと失礼いたしますが、キミちゃん様、京セラドームに100人のお友達が来てくれたというお話のときに亡くなった友達も・・とおっしゃっていて私もそっと思い出しておりました。合掌です。
投稿: m.u | 2011年6月19日 (日) 00時15分
DYさま
この場をお借りします。
m.uさま ありがとうございます。
そうですか 順さん早すぎますね。
遅ればせながらご冥福お祈りします。
ジュリーと仲良かったのに・・・淋しいな
m.uさまずっとファンでいて下さって感謝します。
ファンでいる事がどんなに辛かったかと思います。
本当にありがとう
投稿: キミちゃん | 2011年6月19日 (日) 09時07分
MR.K1968様
えっ、『愛まで待てない』ももう入手が厳しくなっているのですか?
『ジュリー祭り』直後、「一時的に品切れ」という状態がいくつかのアルバムで見受けられましたが、そういうことではなく、本当に売り切れたっぽいですね、それは・・・。
CO-CoLO期の作品については、僕もきちんとCDを持っているわけではありません。
本当に入手できないんですよ、この時期のジュリー。
たまに見かけても凄まじい値段ですしね・・・。
『チャコール』『いくつか』名盤ですよ~♪
これから聴けるなんて、逆にうらやましいです!
☆
クリングル様
> インクスティック芝浦のスタンディングLIVE
これはよく先輩方からお話を伺いますし、生で観たことのあるクリングル様が本当にうらやましい・・・。
しかし、ツアーの通常のホールでは、お客さんが思うように入っていなかったのですね。
ジュリーはそんな中に若い男性ファンを見つけて、頼もしかったと思いますよ。
ツインドラムについては、いずれ自分の考えを書きますよ~。
(これまでその点を語るのを忘れていましたね・・・汗)
☆
nekomodoki様
ファザコンでブラコンですか・・・そうなんだ。
僕が男性ですから、ジュリーの「悪友と共に過ごした青春」については女性ファンより分かるのかもしれない、と思ってしまっていましたが、考えてみれば、決定的に違う点があることに今回気がつきました。
ジュリーは次男で、僕は長男、ということです。
僕は、「少年時代に兄貴を見る」という感覚が、まったく分からないんですよねぇ。
それは、悪友とツルむよりも、背伸びした体験をさせてくれる感覚なのかもしれない。
う~ん、やっぱり分からないなぁ・・・。
さて、親切な先輩のおかげで・・・「飛ばして」ではなく「跳ばして」だと昨夜分かりました。
「跳ばす」って車に使う~?
ジュリー、深い、深いです・・・。
☆
一度切ります~。
投稿: DYNAMITE | 2011年6月19日 (日) 15時50分
DY様
「跳ばして??」
んな、アホな~と思ってもう一度確認したたら「飛ばして」でも「跳ばして」でもないっす。「「翔ばして」ですう~。
(LPでは・・・。CDではもしかして違う?)マジ読みづらい・・・。
投稿: nekomodoki | 2011年6月19日 (日) 22時05分
CO-CoLO時代は 思い出してもなんだか胸がちょっと苦しくなるような空気があり
ました。
今も心が元気じゃないと なかなか聴けません。
>キミちゃんさん
加藤さん'91 BS25周年の特集
中学校の教室のライブにいらっしゃってました。
たくさんの同級生の中でニコニコされてて
ジュリーも嬉しそうでした。
♪あの日は雨 を聴いた時
加藤さんのことを思いました。
「耒タルベキ素敵」コンサート
京都会館で 岡崎中学校校歌が歌われたと後日知りました。
投稿: くれーぷ | 2011年6月20日 (月) 03時19分
キミちゃん様
僕はずっと加藤さんのことは知らずにいました。
「あの日は雨」の記事を書いた時でしたか…何人かの先輩に初めて教えて頂いたのです。
友への思い…解釈は違っていたかもしれませんが、今回「青春薮ん中」を改めて聴き直した際に、やはりそういう事を考えました。
僕も2008年に初めて同窓の友人を亡くしましたが…それが『ジュリー祭り』の年だったことが、友への思いを余計に強くしたような気がします…。
☆
m.u様
お久しぶりです!
引き続きお越し頂けているようで…嬉しいです~。
CO-CoLO期については、僕ももしタイムリーに聴いていたとしても音源だけで正当な評価ができたかどうか分かりません。
プレプレファイナルでご挨拶させて頂いたある先輩に『正月歌劇』を勧めて頂き、初めてその素晴らしさが分かったように思います。
やはり、LIVEなのですね…。
ずっとジュリーのステージを観続けてこられた先輩方には、本当に頭が下がる思いです!
☆
一度切ります。
すぐ続きます!
投稿: DYNAMITE | 2011年6月20日 (月) 12時46分
nekomodoki様
確認いたしました!
本当だ…「翔」ですね…。
う~ん、これが一番ジュリーらしいですか。
しかし、「女びいき」の「白羅ジラ」とか、歌詞カード無しでは絶対にひねりだせない漢字使いですよね…。
これだからやっぱりジュリーの作品は現物を持っていなくてはなりません…。
☆
くれーぷ様
こちらこそ、いつも色々と教えて頂きありがとうございます~。
僕は後追いですが、ジュリーファンが当時何か落ち込みがちな雰囲気だったことは想像できます。
でも、やっぱり素晴らしい作品を作り続けていたのですね。
京都で岡崎中の校歌を…それは初めて知りました~!
若くしてスターとなったジュリーにとって、純粋な普通の青春の思い出というのは、中学時代に集中しているのかもしれませんね…。
投稿: DYNAMITE | 2011年6月20日 (月) 12時56分
DYさん、あらためて、お邪魔します。
楽曲についての感想ですが、私は、この作品とシングルになった「STEPPIN' STONE」を聴いたときに『ジュリーはRock'N'Rollが好きなんだなぁ』と思いました。CO-CoLOは“Rock'N'Roll”というより“Rock”に近い音楽でしたが、ジュリー自身が気づかないところでRock'N'Rollを渇望していたのだと思います。
CO-CoLO期のライブに行った先輩方がうらやましいです。当時の私は中学1年…どうあがいても無理でした(泣)。
投稿: 74年生まれ | 2011年6月20日 (月) 19時01分
74年生まれ様
仰る通りだと思いますよ~。
ロックンロール…ジュリーにとってそれは特にストーンズ。
「青春薮ん中」は観たことはありませんが、過去映像の「STEPPIN'STONE」「般若湯」「透明な孔雀」のスタジオライヴはいずれも、身体の動き、顔の上げ下げなどミックジャガーを彷彿させます。
ジュリーはこの頃は特に、ストーンズを意識していたのではないでしょうか…。
投稿: DYNAMITE | 2011年6月21日 (火) 12時32分
DYさま
いつもジュリーの楽曲を真面目に考察して下さって頭が下がります。
私の知り合いのお若い方々も後追い能力がすごくて驚かされてばかりです。
以前ストレイ・キャッツ、ニック・ロウに反応してしまったmoromoroです。
CO-CoLO期、私は独立したジュリーの音楽に期待してましたから、鼻息荒くライブ通いしたんですよ。
インクスティックも初めてジャズ喫茶の雰囲気を味わえた気がしました。
ツインドラムについてはよくわかりませんが久々の原田裕臣さんやエキゾの上原豊(この字?)さんに会えたのがうれしかったりして。
ライブの内容は恥ずかしながらあまり記憶に残っていません。
汐留PITにいたっては行ったことしか覚えてなく…
「青春藪ん中」はタイトルがなあ、と思いました。だって日活青春映画みたいじゃん。ジュリーはあまり練らない人だから…
投稿: moromoro | 2011年6月22日 (水) 14時12分
moromoro様
引き続きお越しくださっているようで、嬉しいです!
ニックロウのLP処分を思いとどまった、とコメントで書いてくださったこと、覚えておりますよ~。
CO-CoLO時代は、『正月歌劇』を聴いて以来、ライヴを生で体感なさった先輩方がうらやましくてなりません…。
「青春薮ん中」…確かにタイトルだけ知った段階ではちょっと退いてしまうかも…。
でも聴いてみたら素敵なロックナンバーでした!
タイトルから曲調を予想出来ないのがジュリーなんですよね…。
今や「若者よ」ですから!
僕としてはジュリーのタイトルセンスがこの先どうなっていくのか…逆に楽しみだったりします~。
投稿: DYNAMITE | 2011年6月22日 (水) 16時25分