« 沢田研二 「夜明けに溶けても」 | トップページ | 沢田研二 「Good good day」 »

2011年4月 1日 (金)

沢田研二 「エピソード」

from 『女たちよ』1983

Onnatatiyo


1. 藤いろの恋
2. 夕顔 はかないひと
3. おぼろ月夜だった
4. さすらって
5. 愛の旅人
6. エピソード
7. 水をへだてて
8. 二つの夜
9. ただよう小舟
10. 物語の終わりの朝は

-----------------------------

今回のお題は、アルバム『女たちよ』からです。

『ジュリー祭り』以降、600曲を超えるジュリー・ナンバーについて、少しずつではありますが楽曲考察を重ねてまいりました。
これまで記事にした曲数は、タイガースやPYGも合わせますと、いつの間にやら170曲。
ここまで来ると自分でも、LIVE盤や企画盤を除いて、すべてのジュリーのオリジナル・アルバムから最低1曲は既に書いているような気になってしまいますが・・・。実際は、まだ1曲も手をつけていない作品が5枚もあるんですよね~。

『THE FUGITIVE~愛の逃亡者』
『ミスキャスト』
『TRUE BLUE』
『A SAINT IN THE NIGHT』
そして・・・『女たちよ』。

『TRUE BLUE』はともかくとして
(←コラ)、他の4枚は積極的に好きなアルバムなのにね・・・。

理由として挙げられるのは、やっぱり僕自身の不勉強、知識不足ということ。

『ミスキャスト』は井上陽水さんについての考察も必要になるでしょうし、あのアルバムはアレンジがかなり高度でして、なかなか考察ハードルが高いのです。
『A SAINT IN THE NIGHT』は、原曲の知識がハッキリ足りません。
『THE FUGITIVE~愛の逃亡者』については、そのうち何か書こうという意識がありながらたまたまこれまで執筆機会を逸していたわけですが、昨年いわみ先輩の解説記事を拝見して、「軽い気持ちで書かなくて良かった・・・」と胸を撫で下ろしたものです。自分、全然知識が無かった!

でも、『THE FUGITIVE~愛の逃亡者』『ミスキャスト』の2枚は、今年中には何かのお題にて着手する予定です。

さぁ、『女たちよ』です。
今回初挑戦となるこの作品がまた、難しい・・・。

僕はこのアルバムが大好きです。
ベストテンに入るかどうかは微妙な位置ですが、聴けば聴くほどクセになる・・・「好き」のベクトルは、『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』に近いでしょうか。
アルバムを通して一気に、ということに重きを置いて聴いています。下手に編集盤とかに好きな曲を単独で入れられないタイプの名盤なんですよ・・・。特殊な一体感を持つ楽曲群といった趣です。

まずは自分の不勉強を露呈しておきますと。
僕は”ジュリーの『源氏物語』”をまったく知りません。古典の原作本『源氏物語』は20代までにひととおり読んでいますから、収録曲について「あぁ、これはあの登場人物に対応しているな」とか、「あの場面を引用しているな」というのは理解できる曲もあるのですが・・・それを、ジュリー=源氏の視点で噛みくだくことができません。
要は、リアルな映像がシンクロしてこないのです。勿体無い話だとは常々思っているんですけどねぇ。

ただ、今回お題として採り上げる、僕がアルバム『女たちよ』の中で一番好きなナンバー「エピソード」は、原作中のワンシーンに特化して呼応した楽曲ではなく、物語そのもの、つまりアルバム・コンセプト紹介したような内容と思われますから、ことさら”ジュリーの源氏”に精通していなくても何とか手管を尽くして考察できそうです。

MTV時代の申し子のようなアレンジに載せた艶やかな詞とメロディーが、ピタリとジュリーにマッチした奇跡の名曲、「エピソード」。
ちょっと脱線して個人的な思い出も書いたりしつつ、伝授・・・になれば良いのですが(汗)。
頑張ります!


このアルバムはまず『源氏物語』のコンセプトありきで制作されていることはハッキリしていますよね。
まごうことなきコンセプト・アルバム・・・そして、それはそのまま全作詞を担った高橋睦郎さんの世界とも言えるでしょう。
確証は無いのですが、収録曲はおおむね詞先で作られているんじゃないかと思うんですよ。
高橋さんの詞には、曲がつくという想定を逸脱するほどの自由度を感じさせます。こうなってくると、並のスタッフでは太刀打ちできない、ということなのかどうか、作曲も筒美京平さん、編曲が大村雅朗さんと、それぞれ”究極のプロ”である一人きりの制作に委ねられています。

歌詞カードにある高橋さんの序文が示すように、『女たちよ』もうジュリーのアルバムとしては異端というのか桁外れというのか・・・。
ジュリーの美しさを文学的に表現しようとした作家さん多しと言えど、高橋さんの詞にこめられた「美」は、それまでのジュリーのある種「清廉な妖美」とは趣を異にした、徹底的に「糜爛な退廃美」で。
しかも、それをしても飲み込んで作品世界に没頭できるジュリーのヴォーカル能力は、見事としか言いようがありません。

序文で、高橋さんが「名前は忘れた」と語っている詩人が誰なのかメッサ気になったりもしますが、まぁそれはこの際置いといて。
締めくくりに、高橋さんはこんなふうに書いていらっしゃいます。


女たちは男たちへの忍従の中でせめてもの権利として結婚の神聖を哀訴したが、自立を始めた今、皮肉にも離婚の自由を主張し始めた。そのうち、逆に男たちが女たちに対して結婚の神聖を哀訴するようにならないとも限らない

これが、1983年の言葉ですからねぇ・・・。
時が経つこと20年以上。そんな時代はかなり微妙な形で確かに到来しているように思われます。男がだらしなくしていると、容赦なくオミットされるような時代がね。
とすれば、源氏というのは実は気持ちが骨ばった「男」らしい男だったのかもしれない。美しい容姿の奥に潜む「男」の荒ぶる魂。
そう考えると、僕の中のジュリーのイメージと「源氏」がダブってきたりもしますが・・・。

そんな中、「エピソード」は糜爛な印象は他収録曲に比べて薄く、アルバム中最もとっかかりやすいナンバーでもあります。唯一「ポップチューン」と表現しても差し支えなさそうです。
ただ、それは限定つきで。究極の「80年代ロックにおけるポップチューン」である、という(笑)。

いわゆるMTV時代ね。
軽快なポップチューンには、ちょうど「エピソード」のようなアレンジがつきものでした。
ある意味能天気、そしてクール。
それを、「情念」に重きを置く日本人がやると、どうしてもマヌケな感じがしてしまうパターンが多かった中、ジュリーがこんな破天荒な方法論で名盤をリリースしていたとは・・・後追いの僕にとっては大きな驚きでした。

アルバムのコンセプトはそれこそ「情念」の塊りのような題材なわけで。
そこへもってきて、当時最先端のエイティーズ・ロックの手管を融合させるという・・・。「エピソード」はポップであるだけに、逆にに実験的な名曲とも言えるのですね。
ジュリーのヴォーカルもさることながら、筒美さん&大村さん、素晴らしい仕事ぶりです。
これこそプロの技、その神髄でしょうか。

さて、僕はまず「エピソード」から想起する80年代洋楽ロックとして、ポール・マッカートニーの「PRESS」をイメージしたのですが、これは『女たちよ』よりも数年後にリリースされている曲ですからオマージュ元ではありえません。
結局のところ僕は、「プレス」に重ねて、ヒュー・パジャム・サウンドを連想したということでしょう。
「エピソード」で言うと、イントロからひっきりなしに鳴っている「チャカポチャカ♪」というあの音ね。あれこそ、ヒュー・パジャム、ひいてはエイティーズ・ロックの象徴とも言うべき音ですから。

ただ、筒美さんが噛んでいるからには何か特定のオマージュ元がありそうだ
(←コラコラ)とは考えてしまうわけで、しかしCD購入当時には結論には至らず。
YOKO君は、「これはロバート・パーマーあたりじゃないか」と言っていましたけどね。僕はロバパーってあまり詳しくないんですよ~(泣)。
どちらかと言うとピーター・ガブリエルの「スレッジハンマー」とかそっちじゃないか、などと考えてみたり・・・。

そんな中、まさにこの曲の記事を書こうと決めた日、本当に偶然隣の部屋でカミさんがエイティーズのPVをつべで漁り聴きしていて、ふと流れてきた曲に僕は「ハッ!」と耳ダンボになりました。

トーマス・ドルビー「彼女はサイエンス」。
・・・いや凄まじい邦題だなぁ・・・ということは置いておいて・・・この曲はかなり「エピソード」のアプローチに近い。これは相当怪しいような気がする~。
特に、2番以降の雰囲気がね。

「彼女はサイエンス」にも登場するような、ちょっとオリエンタル・サイケみたいな音階の「テーマ」メロディー。
そう、「エピソード」の一番の肝は

シド#ミ~レ~ド#ミレ~ド#~♪

というシンセサイザーのリフレインです。
これが何とも効いていて、繰り返すごとにクセになるんだなぁ。
変化球っぽい作りの曲なので初見ではわかりにくいのですが、冒頭から「エピソ~♪」と歌いだすあの部分が、この曲のサビなのですね。頭からサビ炸裂、という配置の作曲なのです。

このサビ部、普通にギターで弾き語るとしたら、サビすべてE7でかき鳴らし続けておけば一応は合うわけです。でもここはひとつ、アレンジの肝であるシンセのテーマメロディーを加味して引き立たせるために

♪ エピソード 物語ではなく
     E7

  物語の裂かれた1ページ エピソード ♪
     E7

これを、「E7」ではなくノーマルの「E」のコードを押さえつつ、リフの音階のタイミングに合わせるように小指で2弦2フレット(E6=ド#の音)と3フレット(E7=レの音)を行き来させながら、細かく弾きたいところです。

Aメロではアクセントを変えて(半分のテンポで弾く)

♪ 女たちは かがやいていた ♪
     B                            C#m      A

と渋く引き継ぎ、続くBメロではメロディアスになりつつもエイトビートで歯切れ良く弾いて盛り上がる。
「F#m7→G#m7」を粘っこく繰り返すのが、Bメロ最後の和音「C#m」の突き放しを際立たせるのです。なかなか着地点に到達せずに、焦らしているわけですね。

いやぁ、さすが筒美さん!
複雑なアレンジ抜きにギター1本で表現すると、この曲の素晴らしいメロディーラインがヒシヒシと分かります。
アレンジの陰で、メロディーの方が隠し味になっているという凄味。「エピソード」はやっぱり、筒美さんのキャリアにおいても野心的大名曲だと思います。

そして、ジュリーのヴォーカルにも触れなければなりません。
『女たちよ』収録曲では、「夕顔 はかないひと」や、「さすらって」などのナンバーで、エロティックなジュリー・ヴォーカルを堪能できますよね。
一方で、この「エピソード」や、曲間無しにミックスされた次曲「水をへだてて」では、アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R」』を彷彿とさせる、いかにもエキゾティクス時代なロックヴォーカルをも披露。
それは、歌詞や曲調によって自在にヴォーカルニュアンスを変化させるジュリーの才能がそうさせているように思います。
コンセプトやアレンジが統一されている中、ジュリーは楽曲表現の幅を最大限に拡げ、すべてを融合させようとしているように感じられるのです・・・。

そんなジュリーのヴォーカルだけを採っても、『女たちよ』は80年代の傑出した名盤だと言えるのではないでしょうか。

それでは最後に、『源氏物語』に絡んで甦った個人的な思い出話など書きたいわけですが・・・。

僕には高校時代、恩師と呼べる先生がいました。
末増省吾先生といって、クラス担任ではありませんでしたが、3年間続けて現代文と古文を教えてもらいました。
結構怖い先生で、最近では考えられないことですが、授業には竹刀を持ち込んでいましたね・・・。まぁさすがにそのスタイルは、数年後にはおやめにならざるを得なかったでしょうけどね。

不精な僕は、卒業後1度だけ学校に挨拶に行ったきりその後連絡もとっていませんから、先生はもう僕のことなど覚えていらっしゃらないと思います。

で、何も知りもしないくせに『源氏物語』のことを
「あんなのはエロ本レベル」
と公言してしまっていた僕のような者の性根を、叩き直してくださったわけです。
今考えると、頑固で規律に厳格ながら、好きな文学のこととなると少年のような表情を見せる・・・そんな先生は、まるで今の僕が「男の手本」と仰いでいる人と、ずいぶんイメージが重なるではありませんか・・・。

とにかく末増先生の『源氏物語』への傾倒は半端なものではありませんでした。
3人の娘さんがいらして、そのお名前というのがね・・・上の娘さんから順に「あおい」さん、「むらさき」さん、「ゆうがお」さん・・・という気合の入りようですから。
ここまでくると「学校の先生」の域を超えていますね。

授業では特に『源氏物語』と『こころ』に激しい情熱を注いでいました。
最初はその熱さが暑苦しくもあり竹刀が怖くもあり、気のない感じで対峙していたのですが、1年生の時の夏休みの宿題を機に、一気に僕は末増先生を慕うようになりました。

どんな宿題だったと思います?
『羅生門』の続きの小説を書いてこい、という破天荒なお題だったんですよ!

さすがに他の生徒皆、退いていたのですが・・・僕は大層張り切り、指定の原稿用紙枚数の5倍くらいの大作を書いていきました。
下人が長屋の屋根裏で蝋人形を作ったり、何故か時代が錯乱して侍相手に立ち回ったりする、という支離滅裂な話で、最後の1行が

「下人の行方は、やっぱりわからない」

と、かなりふざけたものでした。
自分としては洒落たつもりでしたが、先生は怒ったかもしれません。
ただ、僕の気合だけは受け止めてくれたのか、それを機に随分と打ち解け(と言うか僕の方が一方的になついた感じでしたが)、その後も色々と面倒を見て頂きました。

僕の通っていた高校では、末増先生の他に久米先生という方がおり、さらにはその二人の先生の師にあたる脇本星浪先生も合わせ、田舎の高校にしてはあり得ないくらいの相当ハイレベルな俳句会も行っていました。
僕もずいぶん下手な句の添削を受けました・・・。
最終的にはまったくモノになりませんでしたが、僕が一時文学を志し、そういう進路に向かったのは間違いなく末増先生の影響です。

まぁそんな中で、末増先生の指導があって僕は『源氏物語』(本の方ね)に興味を持つようになった、という経緯があったのです。

で、本当に今思えば・・・なんですけど。
ちょうどアルバム『女たちよ』がリリースされた1983年に、僕は先生と出逢っているわけです。
その頃僕がジュリーを聴いていれば・・・と思うんですよねぇ。間違いなく『女たちよ』を先生に聴かせていたはずです。

そして、先生に尋ねたい。
歌詞カードの裏表紙に記載のある


女たちよ 美しい敵よ 俺を刺せ

これ、どういう意味だと思いますか?・・・と。

☆    ☆    ☆


P. S.

今回の記事を書くにあたって、アルバム『女たちよ』を何回か通して聴きました。
「さすらって」の詞が、これまでとはまったく違って聴こえました。

昨日TVで、被災地の早咲きの桜の花びらを鳥がついばんでいる映像を見て、胸がしめつけられるような思いがしました。

杜の都は
春になりましたか

遠い地に何気なく手紙を送るような気持ちで、普段どおりの記事を書きました・・・。

|

« 沢田研二 「夜明けに溶けても」 | トップページ | 沢田研二 「Good good day」 »

瀬戸口雅資のジュリー一撃伝授!」カテゴリの記事

コメント

DY様こんばんは
お待ち申しあげておりました。

「源氏物語」に本格的に興味をもったのは大和和紀さんの「あさきゆめみし」を読んでからですが、たくさんの登場人物をからませた「エピソード」を連ねながらストーリーを展開させていく手法は現在のテレビドラマやストーリー漫画に通じている気がします。心理描写の巧みさ、構成力のすさまじさは全く天才としかいいようがありませんが。
「宇治十帖」は、一説には紫式部ではなく、娘が書いたのではないかと言われているみたいです。私もそんな気がします。
書いている間にモデルとされている道長とうまくいかなくなったり、いろんなことがあってキャラのとらえかたや作風に変化が出てきたのかもしれませんが、母親が書き散らかした終章を娘が後にエピローグとして書き足したのが「宇治十帖」だったんじゃないかと、勝手に想像しています。
「女たちよ」を聴きながら妄想をふくらましていると優雅な乙女になった気分になれます。電気もお金もかからないのでお試しを。(なるべく暗くして生々しい生活用品は片づけておくこと)
P.S あ、エピソード大好きです。

投稿: nekomodoki | 2011年4月 1日 (金) 23時36分

伝授、ありがとうございます!


「LOVE~愛とは不幸をおそれないこと~」
のずどーーんと重ーいアルバムは
ちょいと苦手だったのですが、
さらにこのアルバムは、
「うっ、詩は雅で格調高すぎなのに、
どうも曲があわない…」と、
スルーしていたのです。

襟を正し、もう一度聴きなおしてきます!

>末増先生
いいお話ですね。
自分にもソシュールの言語論を
徹底的に解説してくれたお師匠さん的存在の人がいました。
60歳の春、西行の
「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」
という詩のように夫婦で自殺されました。

ジュリー王朝さんのところに
お邪魔するようになったのは、
かばーじさんが西行が好きだったからです。

桜の咲く春がくるたびに、
ただ生きていてくれればよかったのになー
と、お師匠さんのことを思い出します。
今年は杜の都で耐えてるかばーじさんを
思いはせます。

投稿: ぬこ | 2011年4月 2日 (土) 00時06分

「そのきさらきの もちつきのころ」

でした。
はずかしーーー~~♪
ジュリーに殴られに逝ってきます。

投稿: ぬこ | 2011年4月 2日 (土) 00時19分

DYさん、お邪魔します。
出遅れた…大好きなアルバムなのに。私の中で「女たちよ」は、リマスタリングしてほしいアルバム第1位です。ジュリーは、リマスタリングしない主義でしょうし、大半の作品については、私も、それでいいと思っているのですが、「女たちよ」は別!初めて聴いたとき『ボーカルと楽曲は素晴らしいけど、音が古い(泣)』と感じました。当時の関係者が健在でいるうちに、リマスタリングしてほしいです!
で、楽曲そのものは、大好きで「エピソード」の軽快さや「さすらって」の切なさは素晴らしいと思います。でも、個人的に思い入れが深いのは「ただよう小舟」です。80年代後半のジュリーを暗示しているような歌詞に、涙が出そうになります。

投稿: 74年生まれ | 2011年4月 2日 (土) 01時15分

DYさん、今晩は。しばらくご無沙汰しておりました。
あれ以来生活パターンが変わり、PCに向かう時間が減りました。
今は家人の帰宅が2時間早まり、かつ節電にと、日付が変わる前に寝てしまう暮らしです。
いろんな意味で健康的かも。

平安時代の恋愛は、イケメンかどうかより香りと声だったろうと、
停電の夜には思ったものです。
月が出ていると真っ暗にはならないんだというのも実感しました。
高橋さんの詞に色濃い、闇や気配、匂いのイメージ。
そしてジュリーの艶声。
光源氏を演じた役者さんは多いですが、
美声においてジュリーの右に出る人はいませんね。

投稿: morie | 2011年4月 2日 (土) 19時51分

nekomodoki様

『女たちよ』がお好きと伺っておりましたので、最低でもnekomodoki様はコメントをくださるだろう、と安心して執筆いたしましたのです~。

仰るように『源氏物語』はいわゆる”連作”形式の長編なんですよね。
後の手直しがあった方が自然と考えられる(本人含め)部分も確かにありますね。

nekomodoki様とチャコ様がご姉妹と知った時に「水をへだてて」を引用してコメントさせて頂いたのも、懐かしい思い出です~。

ぬこ様

仰るように、この『女たちよ』収録曲の詞と曲は、およそ合っていないのです。
ただ、ではどんな曲なら良かったのか・・・と考えると答えは出ず、大野さんでも加瀬さんでもない、筒美さんの出したこの作曲手法しかないような・・・やはり只者ではないですねぇ。

人生、師に出逢えた分だけ、友に出逢えた分だけ、面白いことが待っていますよね。
祈りを忘れず、生きなければなりませんね・・・。

すみません一度切りますよ~。

投稿: DYNAMITE | 2011年4月 3日 (日) 11時42分

74年生まれ様

ありがとうございます!

74年生まれ様もこのアルバムお好きでしたか~。
僕が持っているCDは、リマスター盤ですよ!
元の音を聴いたことがないのでどの程度違うのか分かりませんが・・・。
YOKO君の持っていたリマスター前のAコレと、僕が購入したロイヤル3枚を比べる限り、高音、低音ともに改善されています。
楽器ですと、バスドラが一番違うかなぁ。

「ただよう小舟」いいですね!
名曲です。

morie様

ありがとうございます!

あの日以来、僕も少し生活が変わりました。そして街や会社も変わりましたね!
月明かりの中で軒を並べる飲食店、出来る限りのことをしていますね。

平安時代のイケメンは、香りと声ですか!
なるほど・・・、まぁジュリーなら現代も平安も通用しますね。
天は二物を与えています。
特に『女たちよ』は、ジュリーでなければ歌えない度が高い作品と言えますね!

投稿: DYNAMITE | 2011年4月 3日 (日) 19時59分

ユニバ盤は、リマスタリングされているのですか!ホッとしました。情報をありがとうございます。
ちなみに「A SAINT IN THE NIGHT」は、ひばりさんもカバーしている楽曲が、何曲かあったので、ひばりさんの音源も入手して、聴き較べをしました。少しだけ、収穫がありました(^_^)

投稿: 74年生まれ | 2011年4月 3日 (日) 21時15分

74年生まれ様

なるほど、原曲に固執せずに、他の人がカヴァーしたヴァージョンを聴いてみるというのもひとつの手ですね!

ジュリーのヴォーカルもそうですが、やはり一番の違いは歌詞・・・そんなふうに思える予感がします。

音質と言えば・・・CO-CoLO期のリマスター再発、熱望です~。

投稿: DYNAMITE | 2011年4月 4日 (月) 19時43分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 沢田研二 「エピソード」:

« 沢田研二 「夜明けに溶けても」 | トップページ | 沢田研二 「Good good day」 »