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2010年7月

2010年7月31日 (土)

沢田研二 「居酒屋」

from『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』、1978

Love

1. TWO
2. 24時間のバラード
3. アメリカン・バラエティー
4. サンセット広場
5. 想い出をつくるために愛するのではない
6. 赤と黒
7. 雨だれの挽歌
8. 居酒屋
9. 薔薇の門
10. LOVE(抱きしめたい)

 

------------------------------

 

いよいよ明日は川口です。

今回のワイルドワンズとのコラボ、最初にスケジュールを見た時には
「2回行けばいいかな」
くらいに考えたのですが・・・あの素晴らしいステージを目の当たりにしてしまいますとねぇ。
結局僕は5会場も参加、ということに。
色々、他のことで節約していかないとね。

川口リリアは、僕にとって最後の参加となるジュリワンLIVEということで、彼等のステージをしっかり目に焼き付けておきたい、と思っています。
メチャクチャ集中するでしょうし、残念ながら”川口の熱視線ギャル”をガン見する余裕はなさそうです。
しかし、個人的な見所でひとつだけどうしても見逃せないポイントがございます。
それは

果たしてYOKO君は、シャララで踊るのか?

彼は川口公演が最初で最後のジュリワンです。
修行僧のように数ヶ月間のネタバレ禁止を貫き、セットリストを知らずにに臨みますから(ワンズの曲だけ予習させた)、ジュリーの好きな”ビビッドな反応”を一手に請け負ってくれるはず。

そんな彼が・・・会場一体となった「渚でシャララ」を観て、どんな状況に陥るのか。
楽しみです~。
あ、YOKO君は175cm以上あるけど、たぶん立っちゃうと思います。
後ろのみなさま、どうか許してあげてくださいね。僕と違って、彼は仕事や自身のLIVEスケジュールの関係上、1年に1度コンサート参加できるかどうか、というジュリーファンなのです・・・。

さて一方、セットリストを知り尽くし今ツアーも完全にリピーターと化したDYNAMITE。
7月には長野にまで遠征の機会を得る、という僥倖にも恵まれました。
見知らぬ土地で夕食の場所に困りウロウロしていた僕とカミさんを(駅前の大きなお店は何処も混んでいたのです)、地元のジュリーファンであるどーも様が助けてくださいました。
わざわざ連絡をくださり、おち合った後案内してくださったのは、路地裏の和食系の小じんまりした居酒屋さん(お店の名前チェックするの忘れました)。
木造りのカウンターとテーブル。お客さんの年齢層は高め。

ここが、美味しかったのよ~!
ニラもやし炒めが一番旨いのは「世界の山ちゃん」だと今まで思ってたけど、上には上があるものですね。
しかもね。
一品一品のお値段はまぁ、東京の普通の居酒屋さんとそう変わりない。・・・でも、運ばれてきたお皿を見てビックリ。
超・山盛りです!
どの料理を注文しても、通常の倍くらいの量がありました~。

そんなシアワセな状況の中、初対面にも関わらず気さくにジュリーのお話をしてくださったどーも様・ご指定のナンバーを、今日はお題に採り上げたいと思います。
アルバム『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』から。
ズバリ「居酒屋」、伝授!

とにかく、『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』の話題が出たというのが、まず嬉しかったのですよ~。
僕がこれまでこのアルバムについて熱く語り合ったのは、YOKO君くらいのものでしたから。
「冬に聴くのが最高」
と、どーも様が仰ってくださっただけで、瞬時にアドレナリンが出ましたね。

で、喜び勇んで
よ~し、どの曲のお話で盛り上がったろか~!
と、僕が一瞬思案した隙に、どーも様がすかさず最初に挙げた収録曲は・・・。
「居酒屋」!

し、ししし渋い~!!

参りました。
僕の中ではまったく心構えのなかった意外な曲の登場に
「ほ~っ!居酒屋できますか~!!」
と素っ頓狂な声を上げてしまいましたがな。

思えば、YOKO君と初めて『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』について長電話した時、彼も”「居酒屋」が意外とイイぞ”と言ってたっけ・・・。
僕はそれに対して
「好きだけど、あのラインナップの中では印象が薄いな」
みたいな返事をしたような。

しかし、実際に『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』・絶賛トークを交わしたお二人までが、揃って「居酒屋」を推すとなると・・・こりゃあ考えを改め、もう一度気合を入れて聴き直してみるしかありません!

ということで、帰京してから聴きましたよ~。
気温35度超えの真夏日に、このアルバムを。
こんなに「冬の冷たさ」をダイレクトに感じる名盤は他に無い。聴けば確実に涼しくなるはず・・・という考えは甘く、かえって汗ダクになったりして。

やっぱり凄まじい作品です。
ジュリーの重厚かつ美しいヴォーカル、大野さんの流麗でツボを押しまくるメロディー、船山さんの的確なアレンジ。
それらすべてを凌駕してしまうような、阿久さんの”超絶”としか言いようのないフレーズ乱舞。

そして8曲目「居酒屋」。
ひえ~!
だ、大名曲ではないですか~!!

見逃してたなぁ。
世の中すごく便利になって、新しいスタイルでの音源の楽しみ方も色々あるけれど、iPodを始めとするシャッフルの魅力に慣れてしまった弊害ってあるんですね。いや、シャッフルって凄く楽しいんですけどね。
やっぱり、じっくり歌詞カード読みながらアルバムを通して聴くというのは、大切なことなんだなぁ・・・。

『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』収録曲すべてに言えることですが、阿久さんのこの歌詞に、よくぞこの曲がついてるなぁ、という感動。
大野さんという人は、王道のマイナーコード進行に抑揚とエッジの効いた美しいメロディーを載せる天才なのだ、と再確認いたしました。

それにしてもこのアルバムの阿久さんの詞は、改めて聴いても凄まじいです。
前作『今度は、華麗な宴にどうぞ』で、「探偵~哀しきチェイサー」「スピリット」など、壮大なスケールの物語創作というスタイルを確立させた阿久さん。
本作『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』では、とにかく刺激的なフレーズ(固有名詞含む)を歌詞の隅々にまで散りばめ、良い意味で”やり過ぎ”ている、ということは、「雨だれの挽歌」の記事にて以前語らせて頂きました。

「居酒屋」も例外ではありません。

♪ タータンチェックのジャケットの老人は
     Dm                                    Gm

  昔、「カサノバ」と呼ばれていたという ♪
     Dm               C                    Dm

出だしからして、非日常。
「タータンチェックの♪」というジュリーのヴォーカルを追って、リスナーは描写通りの老人の姿をなんとなく頭に描きますが、彼が「昔カサノバと呼ばれていた」とか言われると、現実問題、想像力が追いつかなくなるワケです(爆)。
その瞬間「凄ぇな阿久さん・・・」という苦笑に見舞われた人は多いはず。これが決してマイナスの苦笑ではなく、圧倒された証し=賛辞であるというのが、アルバム全体を通して大きな魅力ではないか、と僕は思っています。

そんな荒唐無稽なイメージの怪しげな老人が、たまたま隣席になった若いカップルに声をかけながらくだを巻いている、というのが僕のように平凡な一般人の想像力の限界。阿久さんの目は、まったく違う世界を見ているのかもしれません。

ただ、シチュエーションとしてこのパターンは、実生活でもあり得ますね。
20代の頃、バンド仲間の佐藤哲也君と武蔵関の焼き鳥屋さんに入った時、カウンター席の隣で飲んだくれていたオジサンに話しかけられたことがあります。
僕等は二人ともギターケースを抱えていましたから、これを見て
「お前達バンドやってんのか。俺は昔、フォークギター弾いて店で歌ってたことがあるんだよ」
とか。
最初は、オッサンが適当な話を作って若い奴の気を引こうとしてるのかな、と思い、そっけなく返事してたのね。
そうしたらオジサンはそんな僕等の雰囲気を察したのか、
「嘘じゃねぇよ。触ってみな」
と、自分の指先をさしだしたのです。
針を刺したら「プスッ」と行ってしまう、ギタリスト特有のカチカチの皮膚に覆われた指を触った僕等二人は、急遽直立姿勢になったという・・・。
本当に、ギターの先輩だったワケです。
まぁ「一杯奢れよ」とは言われなかったけど、カサノバ老人並みの人生指南は受けましたね・・・。

おっと閑休話題。
フレーズの突飛さという点で言いますと、「居酒屋」で最も強力なのは
バラライカ
ですな~。

Bararaika

ザ・ジェノバ「さよならサハリン」の歌詞にも登場するこの”バラライカ”という楽器。日本語の歌詞の中に混ざると、何故こうも強烈な語感を主張してしまうのでしょうか。
阿久さんのそういった嗅覚は、「赤と黒」の”エトランゼ”や、「想い出をつくるために愛するのではない」の”イーグルス”にも表れていると思いますが・・・「待てよ」と、ここでちょっと考え直してみます。

「バラライカ」「エトランゼ」「イーグルス」・・・他にも「トラボルタ」とか「メトロ」とか「スーパーマン」とかあるけど・・・突飛とは言え、そこまで(笑うほど)おかしな単語か~?
これ、実は大野さんの付けたメロディーが、フレーズの突飛さを増幅しているんじゃなかろうか。

つい先日、大野さんの作曲は詞先であるという事を、先輩のコメントで教わったばかりです。
「やはり」と納得しましたね。
例えば、阿久さんの追悼番組で色々なエピソードを披露してくださった都倉さんの場合は、お話を伺っているとどうも曲先らしくて。
刺激的で突飛なフレーズが多用されるのは、他アーティストの阿久さん作品も同様かと思います。でも、大野さんとのコンビ(=ジュリーナンバー)での自由度の高さは突出しているように感じるのです。

それは、どんなハチャメチャな詞を書いてもキッチリとジュリー・ナンバーの楽曲にふさわしいメロディーをつけてくる大野さんに挑むような形で、阿久さんがさらに破天荒な詞を書く、というスタンス(=大野さんとのレベルの高いライバル関係、信頼関係)への進化。『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』でのソングライティングは、そんな状況下で行われたのではないでしょうか。
大野さんが、阿久さんの破天荒に自らも破天荒で切り返しているように思われてなりません。

さぁ、仕上げにやはりジュリーのヴォーカルに触れなければなりませんね。
ここで僕が思い出すのは、こちらも以前J先輩にコメントにて教えて頂いたジュリーの言葉です。

歌われている年齢と、自分の実年齢に差があって・・・

という、歌の世界にに入り込むことからヴォーカルに対峙するジュリーらしい発言。無論この場合、歌われている年齢の方が上、ということでしょう。
とすればその意味で、最も年齢差が開いているナンバーが「居酒屋」だったと言えないでしょうか。
何と言ってもここでの歌い手は、「色男のなれの果て」=カサノバ老人ですからね。

しかし、そんな状況でマジックがかかるのがジュリーの凄いところです。
純白の夜明け」の記事でアルバム『JULIEⅡ』のヴォーカルについて語ったことが、ここでも起きているのです。
ある意味「歌わされている」状況。そこで、ジュリー本人も、スタッフも、「歌の神」の降臨に気づかないままリリースされたアルバム(いや、結局「LOVE~抱きしめたい」で最優秀歌唱賞とか取ってるんですけど、僕が感じるのはいわゆる「上手い」というのとは別の意味です)として、僕は『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』に強く惹かれています。

♪ いい女に巡り合うってのは
           B♭                  Am7

    めったに  ないもんだぜ ♪
          Gm7  C7        F

この「めったにないもんだぜ♪」の箇所など、ジュリー史上初のヴォーカル・ニュアンスなのではないでしょうか。

そんなジュリーも、もう62歳。
今だったら、カサノバ老人の言葉をどのように解釈して歌うのでしょうか。
秋のソロで「居酒屋」を歌うことはまず無いでしょうが、「居酒屋」のシチュエーションに近い、62歳のジュリーの心情・・・ひとつの答えを導いてくれそうな曲が、必ず歌われることは、確定しています。

「若者よ」。
どんな曲なんでしょうね~。

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2010年7月28日 (水)

沢田研二 「灰とダイヤモンド」

from『架空のオペラ』、1985

Kakuunoopera

1. 
2. はるかに遠い夢
3. 灰とダイヤモンド
4. 君が泣くのを見た
5. 吟遊詩人
6. 砂漠のバレリーナ
7. 影-ルーマニアン・ナイト
8. 私生活のない女
9. 絹の部屋

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うっかりしている間に、アクセスカウンター50万ヒットのキリ番が静かに過ぎ去ったようでございます。
最近、リクエスト記事を書いてないから、みなさま遠慮なさってしまっている・・・のでしょうか。
ごめんなさいね。
何かひとつでもテーマとなるネタを思いつかないとなかなか執筆にとりかかれない性分で、リクエスト楽曲は溜まりまくっております。
ついこの間は箱のお嬢さんにも、「溜まってるならいいや」と辞退されてしまいましたし・・・。何の曲を書いて欲しかったんだろう・・・。

 

少しずつでも書いていかなきゃ。

今回のお題も、ずいぶん以前にみゆきママ様から頂いたリクエストです。
先日大成功に終わったという灼熱のジュリワン名古屋、オールスタンディングで盛り上がりました!とのご報告に、この記事にて暑中お見舞いを申しあげたいと思います。
アルバム『架空のオペラ』から。
「灰とダイヤモンド」、伝授!

まずこの曲でどうしても触れなければならないのは、ヴァイオリンの存在です。
これについては、ヴァイオリンパートをご自身でコピーなさったという箱さんの超絶記事が素晴らし過ぎるので、是非ご一読を。

無学の僕としましては、こういったスタイルの洋楽例を紹介するに留めたいと思います(涙)。
弦楽器、または管弦楽器のアンサンブルが楽曲に大々的に絡むアレンジのポピュラー・ミュージック例は数多くありますが、「灰とダイヤモンド」の場合はヴァイオリン・ソロ1本です。しかも、イントロや間奏などのインスト部分に限らず、歌メロ部にもガンガン噛んできます。
このパターンは洋楽でもそれほど多くは見られません。

スタックリッジなどの特殊な編成のバンドを別にしますと・・・僕がすぐに思い起こすのは、ボブ・ディランの『欲望』というアルバムですね。
ディランは基本、ギター弾き語りの歌メロの間を縫うようにハーモニカを吹き、それを骨子に他の楽器のアレンジが組み立てられますが、『欲望』ではハーモニカの出番が他作品と比べ多くありません。そして、従来ならハーモニカが入ったであろう箇所をヴァイオリン・ソロが担っている楽曲が目立つのです。
『欲望』収録曲の中では「ハリケーン」が有名。強いメッセージがこめられた名曲ですので、興味のある方は是非。

あとは、ポール・マッカートニーの「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー」という、彼にしては意外と知られていないシングル曲があります。
部分的にオーケストレーションになりますが、要所はソリストが大活躍。

で、上記曲と「灰とダイヤモンド」を比較した時気がつくのは、ヴァイオリンのソロを主に楽曲の短調部分にフィーチャーしているという共通点ですね。
物悲しい雰囲気が似合う楽器なのでしょうか。

さて本題。
今回記事を書くにあたって僕が考察テーマの柱としたいのは、80年代ジュリーの作曲手法です。
(「灰とダイヤモンド」は変名のクレジット=李花幻が使用されていますが、ご承知の通りこれは作詞・作曲ともにジュリーのペンによるものです)

これまでいくつかの記事で書いてきました通り、70年代からジュリーの作曲能力は光っていました。
そして、80年代に入るとジュリーはそれまでの作風(アルバム収録曲に多くの自作曲を積極的に手がけています)に加えて、シングルヒットを狙った(セールス絶頂期ですから、宿命と言っても良いかもしれませんが)アップテンポの短調ナンバーを手がけ始めたのです。
「ス・ト・リ・ッ・パ・-」も「麗人」も尖った短調進行。もちろんいずれもシングルとして大きな成果を挙げたわけですから、ジュリーの能力が職業作曲家のレベルにまで達していたことはハッキリ証明されていますよね。

しかし僕がここでピックアップしたいのは、「ロマンティックはご一緒に」というB面曲なのです。
「麗人」と「灰とダイヤモンド」を繋ぐ線上にこのナンバーが位置づけられるのではないか、と考えているのです。

当時の状況は分からないのですが、ジュリーはこの「ロマンティックはご一緒に」をシングル用として作曲したのではないでしょうか。
「麗人」「おまえに”チェック・イン”」という流れを考えれば、次作として有力な楽曲構成。この曲がA面リリースされたとしてもヒットはしただろう、と僕は思います。
西平さんの作った「六番目のユ・ウ・ウ・ツ」のインパクトがあまりに強く、企画段階でAB面が入れ替わったんじゃないかなぁ。

「ロマンティックはご一緒に」の楽曲構成で、いかにもジュリーらしいガツンとした発想だなぁ、と思うのは、一瞬だけ長調に転調する箇所です。
ほんとに一瞬で

 

♪ HUSH!好きだから 好き ♪
     C         G                Am

の、CとGの部分。たったの2小節なんですけどね。
進行そのものは何てことないパターンなのですが、その挟み込み方が独特だと思うのです。

みなさま、頭の中で歌ってくださいました?
おや・・・この部分、何か別のジュリー・ナンバーを思い出しませんか?

そうです。
「灰とダイヤモンド」の

♪ Shalalala・・・・・許してあげる ♪
    D                  A             Bm

譜割りも一緒。キーこそ違えど、コード進行の理屈もまったく一緒なんですよ。
(「ロマンティックはご一緒に」はイ短調、「灰とダイヤモンド」はロ短調。ギターの2フレットにカポタストを装着すれば、「灰とダイヤモンド」のこの箇所のコード進行は「ロマンティックはご一緒に」とまるっきり同じになります)

サビ部にさりげなくプラスされた隠し味。作曲者がどちらもジュリー、しかも時代がさほど離れていないことから、2曲の狙いは同一のものだと僕は考えます。
「ロマンティックはご一緒に」の作曲アイデアに手ごたえを感じていたジュリーが、記念すべき独立第一弾シングルでその手法を自ら踏襲し、「灰とダイヤモンド」を自信を持って世に送り出した・・・僕にはそのように思えるのですが、いかがでしょうか。

「灰とダイヤモンド」は作詞もジュリーです。
同名小説、もしくは映画からアイデアを得たのでしょうか・・・詞の中に登場しないフレーズがタイトルになっている時点で、どことなく意味深な感じですが・・・。

歌詞の内容は、過去作品では見られない新境地・・・ズバリ「俺様」系!
しかも
「・・・しなさい」「かわいいよ」
の飴と鞭。
まるで、いかがわしい映像を撮っている監督のようだ・・・。

言葉遣いが丁寧語なだけに余計ドスが効く、というのは、やはりジュリーのヴォーカルだからでしょうか。
例えば「ダーリング」の場合だと
「・・・してくれ」の連呼ですが、こちらは荒々しい言葉遣いにも関わらず、懇願系に聴こえます。
いずれもヴォーカル表現力の為せるところでしょう。

あとは、ジュリーの実年齢ですかね。
ずっとジュリーファンを続けてこられたお姉さま方は、それぞれの人生を歩み年齢を重ねながらも、「ジュリーが好き」という点についてはずっと継続しているわけですから、その気持ち自体には「年齢の変化」がありません。
でも、対象のジュリーは年を重ね、目まぐるしく変化していきます。

独立して新たな一歩を踏み出したジュリーの姿は、長年のファンにとってさぞ大きな変化に見えたことでしょう。
そこへきて、「灰とダイヤモンド」のような男っぽく強引に女性を押さえつけるような(いえ、変な意味ではございません)歌詞。
タイガース時代のキュートなジュリーから追いかけ続けてきたファンとしては、惚れ直す、受け入れる、ビビりまくる・・・色々な受け取り方があったでしょうね。

そんな野性味溢れる歌詞を華麗に表現する「灰とダイヤモンド」のヴォーカルですが。

♪ おしゃべりに お戯れに あいつ、こいつ ♪
     Bm                 G          A               F#7

の「あいつ、こ~いつ~♪」の箇所など、ところどころにジュリー特有の若干フラットするロングトーン(これはこれで大きな魅力です。特に僕などは『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』のヴォーカルが大好きですから)が見られます。
ところが、ライヴ盤『正月歌劇』では、ジュリーの「灰とダイヤモンド」の歌唱にまったくフラット部分が無いのです。スパ~ン!と一発で最高音に辿り着くヴォーカルは、神々しささえ感じられるほどです。
これは、アルバム『架空のオペラ』の他の収録曲についても言えることなのです。

ジュリーが専属のバンドをバックにしたLIVE活動にこだわり、力を注ぎ続けるのは、この辺りに秘密があるのではないでしょうか。
「”歌う”ということが自分の一番したいこと」と、最近も語ってくれているジュリー。
一番自分の声が生かされるシチュエーションで歌いたい、とジュリーが考えるのは当然ですよね。

最後になりましたが、僕は「灰とダイヤモンド」のシングルB面曲「デビューは悪女として」がかなり好きです。
今となっては音源が入手困難という事情もあり、あまり話題にものぼらないナンバーですけど、いつかこちらの記事も書きたいと思っています。

それにしても、「灰とダイヤモンド」がリリースされた年に生まれた人が書いた楽曲をジュリーが歌う日が来るとはなぁ・・・。
毎年新しいものを歌い続けていくというのは、凄いことですねぇ。

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2010年7月26日 (月)

吉田Q 「二人の胸にも」

Sayonaralove

1. さよならラヴ
2. 二人の胸にも
3. 雨とサンシャイン

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来ません。
涙がこぼれちゃう」「いつかの”熱視線ギャル”」の作詞・作曲者である吉田Qさんの出演が決定している、ASAHI SUPER DRY THE LIVEの抽選チケットが来ませ~ん!

巷では、あちらこちらでチケットゲットの情報も聞こえてきたのに、都心の(一応ね)僕のとこは全くの音沙汰無し。ジュース親分のところにも、しょあ組長のところにも、ユリゲラー総統のところにも届いてないって・・・。
何故、シンジケート幹部大集合のジュリワン川口公演が、千葉フェス落選残念大会にならねばなら~ん!?

最後まで頼りにしていた、藍○主さんのスコア物販お手伝いの線も途切れました。もはや手立てがありません。
まさか、あれだけ応援した吉田Qさんのフェス晴れ姿を拝めない状況に陥るとは・・・思ってもみなかった。

当日、大丈夫かな・・・と、あらぬことも考えてしまいます。
いや、Qさん自身はどんな状況でも大丈夫だろうと思います。でも、Qさんを応援するお客さんは、どのくらい集まるのでしょうか。

今日は、この無念を記事にぶつけると共に、めでたく千葉に参加なさるみなさまに、Qさま応援の想いを託したいと思います(僕もギリギリまで何とか手は尽くしますけど・・・)。
大名曲「二人の胸にも」、畏れ多くも伝授!

この曲は、ASAHI SUPER DRY THE LIVEの公募アーティスト枠、一般web投票の”アーティストグッズ”プレゼント抽選品である3曲入りCD『さよならラヴ』の2曲目に収録されています。
僕はこちらの抽選にも外れ地団太を踏んでおりましたところ、見事当選したあるJ先輩が「これはDYNAMITEが保管しときや~」と、この名盤を一時僕に預けてくださったのでした。

鬼のように聴いて、「二人の胸にも」のあまりの名曲加減にビビりまくったわけですが、実はこの曲、ずっと以前からQさまのMY SPACEでは聴けていたのです。
当然僕は、少なくとも1回は聴いていたはずなのに・・・。
これほどの名曲とは、今回のCDでじっくり聴くまで気がついていなかったなぁ。

MY SPACEでの印象が薄かった理由は、ハッキリしていまして・・・。
「二人の胸にも」は、あの吉田Qさまの楽曲であるにもかかわらず、ヤンチャで人を喰ったような歌詞が1行も出てこないのです!
これは、ストレートなド直球のラヴ・ソングです。

「渚でシャララ/涙がこぼれちゃう」の試聴盤を入手後すぐにQさまのMY SPACEに辿り着き、「涙の京都駅」などを聴いた僕は、吉田Qというアーティストの魅力はまず”人を喰ったような歌詞”にある、と考えてしまったのでした。
無論その考えは今でも継続して持っていますが、ブログなどを通じてQさまを知っていくうち、その”剥き出しの純情”キャラにも惹かれるようになりました。

純情であればこそ、自分の恥ずかしい面をもさらけ出せる。それがQさまの歌詞の秘密だったのです。
ですからQさまは、道化のような我が様を高みの視点から笑い飛ばすこともできるし、一方では本当に切ない心情をストレートに描くこともできます。「二人の胸にも」、或いは「夕陽のエレジー」といった楽曲は、後者に属するのですね。

「二人の胸にも」は、誰もが共感できる普遍的な物語を、これ以上ない極上の覚え易いメロディーに載せ、甘く説得力のあるヴォーカルで歌いあげるという、ビッグヒット・シングルの要素がすべて備わっています。
ただ(あくまで僕のような経緯でQさまファンになった人限定のことですが)、パッと聴いた印象だと、吉田Qさん独特のアクの強さが抑えられ、目立たない可能性がなきにしもあらず。
しかしそれは逆に言えば、Qさまについて予備知識を持たない人にとっては、素直に
「なんてイイ曲なんだ!」
と思わせることができる楽曲であるとも考えられます。
スカウト受けする曲だと思うのです。

ひとりよがりな恋の終わりを自覚しつつも、最後まであがきまくる主人公・・・普段のQさまなら(いや、あくまで僕のイメージですけど)面白おかしくトリッキーな表現で歌うところ、この曲では素直に未練の心を投げかけてきます。
それは、「涙がこぼれちゃう」などQさまの多くの楽曲が「終った恋」の回記であるのに反し、「二人の胸にも」で描かれる物語が現在進行形(歌詞の最後の1行で恋が破綻する!才能のある人でないとこんな構成の詞は書けません)という点と無関係ではないような気がします。

歌詞、メロディーともに全編に渡って素晴らしいのですが、さすがはQさま、サビの強力なインパクトはあの「涙がこぼれちゃう」にもヒケはとりません。

♪ 今日も街には     別れの歌が
         D       Dmaj7   Bm     D7

  溢れるように聞こえてる 二人の胸にも ♪
      G           A7     D    E7    G    A7   D

すごく素直で素敵なメロディーなんだなぁ。
だからと言って、ありがちなコード進行かと言うとさにあらず。
ありがちなパターンだとBmとD7は逆になって、なおかつD7→B7と行きそうなものですし、ニ長調の曲でサビメロにE7が登場するのもかなり珍しいです(QさまはハッキリEで弾いてるかも)。イ長調の「雨とサンシャイン」でB7が多用されているのも同様の理屈で、これはQさま作曲手法の大きな特徴のひとつと言えるでしょう。

このサビ部がQさまのあの声と共に、それこそ”別れの歌”として街から流れてきたら・・・。
多くの通りすがりの人が、過去の恋に思いを馳せるでしょう。
さらに、例えば何となく冷たい隙間風に吹かれながらガソリンスタンドにやってきた車中の倦怠期カップルは、流れてきた「二人の胸にも」を聴くやいなや即座に互いに最上級の土下座をし仲直り、しかるべき場所に移動することでしょう。
「二人の胸にも」という楽曲のサビには、それくらいの威力があります。

しかしこの曲は「涙がこぼれちゃう」とは違い、そんなオイしいサビメロをいきなりガツンと頭に持ってきてはません。
丁寧に丁寧に、物語を伝えていくことから歌が始まります。

♪ どこか似てるようで どこか違うような
          D               F#m    Em         A7

  いくつ恋をした そんな街の二人でした ♪
          D         F#m      Em    G  A7  D

この導入部、全然カッコをつけていません
「初めて恋をした」的な優等生の要素が無いのです。だからこそ2番での激しい感情の昂ぶりが、虚構ではなく真に迫った心情表現として胸を打ちます。

あまり多くの箇所から歌詞を抜粋すると、いざQさまがビッグになった時にちとヤバいので、2番のあまりに男前過ぎる詞については、是非実際に音源を聴いてみて!(QさまのMY SPACEにまだ在ります)
そうそう、2番Bメロの最後は何度聴いても「誰を待ってるの?」と聴こえるなぁ。歌詞カードには「誰を見てるの?」って書いてあるんだけど・・・。

この曲、Qさまの楽曲の中で異色な点はもうひとつあって、ヴォーカルがダブルトラックなんですよね。
それがまた、イイ!

ジュリーで言うと、「人待ち顔」みたいな爽快なヴォーカルです。
しかも、ダブルトラックの真髄が最大限に生かされているのです。

例えば先述したBメロ部では、片方がキレイにアルトで(いや、男声ですけどね)ハモリます。メロディーと歌詞がピッタリ合って美しく、胸キュンですよ~。

そして、ダブルトタックの片方が忽然と姿を消す箇所が2つあります。
ひとつは3回目のサビ

♪ 胸のせつなさを 抑えられない ♪
     G    A7  D   E7  Em    A7

の「抑えられない」の部分。
歌詞は1番と同じなのですが、これまたさすがはQさま、歌メロを大胆に慟哭系の激しい音階に変えてきてます。
ヴォーカルが単独になることで、叫ぶようなニュアンスを強めることに成功しているのではないでしょうか。

もうひとつは、最後の一行。
この一行で、恋の物語は終わりを告げます。先程の箇所のような慟哭ヴォーカルではなく、寂しげにつぶやくように歌い、切なさ倍増です。
それまで二人(どちらもQさまだけどね)で歌っていたのが、ポツンと突然一人ぼっちになる、という構成。
もちろん狙ってそうしているワケです。
自分の声の一番良い伝え方を知り尽くしている・・・作詞・作曲からヴォーカルまで網羅するアーティストにとっては、大切なことですよね。Qさまは本当に才能の幅が広いです。

歌詞ではヤンチャな部分が無い、と言いましたけど、ヴォーカルについてはQさまらしいヤンチャな部分もあり、それがまたカッコイイ!
例えば、エンディング・ラスト1行の直前に
「よ~らい!」(”You're Alright”でしょうか)
と一発景気づけにシャウトするのが・・・品の良い不良性があって独特なんですよね~。

さぁ、ここまで絶賛してしまうと
「じゃあ、何故フェスの公募エントリーでQさまはこの曲を選ばなかったの?」
と尋ねたくなる方もいらっしゃるでしょう。
良い質問だ(何様?)。

結論から言えば、Qさまがエントリー映像に「雨とサンシャイン」を選んで歌ったのは、正解だったと思います。
何故なら、今回のQさまがギター弾き語りというスタイルだったからです。

低レベルながら、僕は20代の頃に数年間ギター弾き語りのLIVEをやっていたから分かることのですが・・・。
弾き語りスタイルって、言葉数が多く、畳み掛けるような歌の方がお客さんの食いつきが良いんですよ。
普通にイイ曲、美しい曲、というのは初見ではなかなか伝わりません。
バンド演奏と違って、お客さんはまず歌詞を追うんです。ただ、これまた初見で歌詞全体の構成や内容は把握してはもらえない。ですから
「おっ、なんかコイツ今面白い表現したぞ」
といった、引っかかりや仕掛けの多い詞を部分部分に散りばめた曲の方が印象に残るみたいなんですよね。

「雨とサンシャイン」を聴いた人が
「何て歌ってんだ?」
と引っかかってくれて、何度も観てくれる・・・Qさまはそこに期待したんだと思います。
かく言う僕だって
「薄着だって厚木まで急ごう♪」
のトコなんて、あれだけの回数観ても、最後の最後まで聴き取れませんでしたしね。

ただ、フェス本番では当然ながら5曲以上は歌うでしょうから、そういった楽曲の中に「二人の胸にも」のような直球を挟めば・・・これは相当光りますよ!
是非セットリストに加えて欲しい曲です。

・・・あぁ、やっぱり実際に観にいきたいなぁ。
あきらめないで、もう少し頑張ってみよう。

最後にひとつだけ。
QさまのCD、確実に鍵盤楽器が入ってるんだけど、メンバークレジットが無いんですよね。弾いているのはQさま自身なのかな?
(「さよならラヴ」のトランペットがQさまの演奏だったらひっくり返りますが)

「二人の胸にも」のイントロで
シド#レ~ド#シラ~、レミファ#~ミ~レ~♪
っていう、一部歌メロと同じ音階を弾くピアノが収録されています。

これ、すごくキレイで、必ず聴く人の耳に残る音だと思う・・・。
「しつこいかな?」なんて遠慮せずに、間奏でもエンディングでも弾いてほしかったなぁ。
・・・と僕としては思いますのよん。

(7月29日追記)
昨日仕事中に、桑田佳祐さん休養のニュースが飛び込んできました。Qさまが肩を落としていらっしゃるのでは・・・と考えるうち、ひとつ記事中で書き忘れていた考察を思い出しましたので、追記させて頂きます。

「二人の胸にも」のヴォーカルレコーディングのくだりについて。
女声アルトを模して歌われるQさまのユニゾン、或いはBメロのハーモニーは、サザンオールズターズにおける原由子さんのコーラスパートがやりたかったのではないか、と僕は考えています。
ヤンチャで男らしいヴォーカルを、優しい女性コーラスがサポートする。Qさまはそんなイメージを描きながら、この曲のヴォーカル処理を行ったのではないでしょうか。
あくまで僕個人の憶測ですけれど・・・。

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2010年7月23日 (金)

沢田研二 「MENOPAUSE」

from『greenboy』、2005

Greenboy

1. greenboy
2. atom power
3. Snow Blind
4. 永遠系
5. 笑う動物
6. ふたりの橋
7. GO-READY-GO
8. リアリズム
9. MENOPAUSE
10. 君の笑顔が最高

--------------------------

先週、4曲入りのニューシングル『涙色の空』のジャケット写真があちらこちらのお店で解禁になりましたね。
ジュリーが歌う夏(いや、夏とは限らないでしょうが)の空。どんなメッセージがこめられているのでしょうか。

で、アルバムのメンバークレジットも解禁になっておりまして、どうやら「鉄人バンド」という名称はもはや正式な呼称と言ってよさそうですが・・・問題はそのメンバー構成ですよ!

柴山和彦 guitar
下山淳 guitar
泰輝 keyboard
GRACE drums
伊豆田洋之 chorus

と、伊豆田さんがメンバークレジットされてたりします~。
まぁおそらくこれは鉄人バンドに伊豆田さんが加入した、ということではないでしょう。アルバムにコーラスで参加している、というクレジット解禁だと思います。

しかし嬉しいじゃあありませんか。
前作『Pleasure Pleasure』は、伊豆田さんの不参加が唯一寂しい点でしたから。

僕はドーム堕ち以前、近年のジュリーのアルバムにおいて伊豆田さんのコーラスが重要な核となっている事を、全然知りませんでした。『ROCK' N' ROLL MARCH』へは単発の参加だと思い込んでいたのです。
ドーム後の大人買い期、まず最初に購入した『忘却の天才』で、「おぉ~っ!」と。
伊豆田さんならではの魅力が溢れる1枚。
特にタイトルチューンの「忘却の天才」と「不死鳥の調べ」の2曲は、伊豆田さんのパート抜きでは成立しないようなナンバーですよね。

僕は高校時代、杉真理さん経由で伊豆田さんを知り、作品も聴きましたし、「和製ポール・マッカートニー」とも言われた伊豆田さんの声の素晴らしさはずっと心に残っていました。
でも、ジュリーとはまったく結びついていなかったなぁ。

大人買いを進めるたびに、ジュリーと伊豆田さんのハーモニーの相性の良さが解ってきました。
新作も、伊豆田さんのコーラスがどんな絡み方をしてくるのか・・・とても楽しみですね。

今日はそんな伊豆田洋之さんの作曲作品をお題に採り上げたいと思います。
アルバム『greenboy』から、「MENOPAUSE」、伝授!

僕が最も好きな伊豆田さん作曲のジュリー・ナンバーは、御自身のコーラスまでをも計算し尽くした「ハートの青さなら 空にさえ負けない」(『新しい想い出2001』収録)ですが、こちらは既に伝授済み。
そこで『奇跡元年』でLIVE体験している「MENOPAUSE」を今回は抜擢したワケですが。
この曲が『奇跡元年』のセットリストに選ばれた意味って、すごく大きいと思うのです。

まず、2大ドーム興行を目前に控えたジュリーがNHK『songs』にて
「やりたい曲を数えたら88曲あった」
と発言していて、実際に『ジュリー祭り』で歌われたのは80曲だったということを思い出す・・・その点から、「MENOPAUSE」に対する思いを語らせて頂きたいのですが・・・。

年末のドーム興行が大成功に終わり、ほとんど間隔の無いスケジュールで敢行された正月コンサート『奇跡元年』は、ドームのセットリストと重複していない曲が9曲ありました。
そのうち、「ヘイ、デイヴ」については平尾さん追悼の意味で急遽セットリストに加えられた、と考えるとしますと、残り8曲はジュリーが事前に「やりたい曲」として挙げながらドームの選曲から漏れてしまったナンバーなのではないだろうか・・・僕はそう考えています。
その中に、「MENOPAUSE」というちょっと意外な楽曲も含まれていたわけです。

『奇跡元年』に参加した頃の僕は、短期間の大人買いでどうにかこうにかジュリーファンとして体裁を整えたばかりのヒヨッコで(いや、心の底からつくづくそう思う)、「MENOPAUSE」のイントロが始まった瞬間には一瞬、「愛まで待てない」だと勘違いしてしまいました。
アルバム『greenboy』は購入済みだったのですが、実はそれほど聴いていなかったのです。

当然「MENOPAUSE」という曲に対する考察も何らしておらず、タイトルの意味を調べたのも、『奇跡元年』直後のことでした。

メノポーズ=更年期障害。

僕はまだ、その言葉の意味を身を持って知ってはいません。

しかし、いかにジュリーファンの間で若手と呼ばれようが、僕も一般的に言えば立派にオッサンです。今で言うところの”ウンチクのおじさん”です。
一部シンジケートでは、あの吉田Qさまに「おじさん」と呼ばれたDYNAMITEが落ち込んでいるのではないか、という噂があるそうですが(何でわざわざ群馬でそんな話題が・・・)、そんなワケはありません。
僕がおじさんであるのは、厳然たる事実ですから。
今となっては僕を「お兄たま」などと言ってくださるのは、プリンストのazurお姉さまくらいなものです。

ということで、僕もそろそろ身体のあちらこちらがおかしくなってくる頃です。
先日、会社の健康診断がありましたが・・・胆嚢と腎臓に石があることが分かっています。
いざ痛くなったら、地獄らしいですねぇ。
お医者さんにも脅かされました。「のたうちまわるよ」と。

まぁ僕の父親もサイレントストーンを持っているので、遺伝的に石が出来やすい体質なのでしょうが・・・。
その日が来たら来たで、仕方ない。
それまではあんまり考えないようにしよう。

うれしいこと見つけて。笑うこと見つけて。
楽しいことを考えよう。
それが、「MENOPAUSE」という曲で、ジュリーが教えてくれたこと。

楽しいこと・・・か。
そういえば、少し前にside-Bのコメント欄にも書きましたが、健康診断で測定された僕のサイズは、身長171cm、体重51kg。
つまり僕の場合は、いわみ先輩とは少し違って、今の自分の写真とタイガース時代のジュリーの写真をパソコン上で腰周りを中心に重ね合わせることにより、タイガース時代のジュリーの体重を検証することが、可能なんだなぁ~。
きっと自分>ジュリーという事実が判明し、当時のジュリーは50kg未満!という数字がはじき出されるのでしょう。
・・・楽しそうだけど、身体のサイズ以外の(顔ですね)あまりの違いに世を儚み神の不公平を嘆き、立ち直れなくなる可能性があるので、やめておきます。

とにかく、『ジュリー祭り』であれだけのステージを見せ、わずかな期間を置いて『奇跡元年』に挑んだジュリーが歌う「MENOPAUSE」は、
「確かに自分は60過ぎのオッサン、老人。でも自信を持って、これからもガンガン行くで!」
と宣言するにふさわしい選曲だったのではないでしょうか。

「MENOPAUSE」がリリースされた2005年、年齢から考えてもジュリーに思うところは多々あったでしょう。
しかし、そんな「老い」を題材にした歌詞を、敢えて疾走するロック・ナンバーに載せてきた・・・それこそがジュリーのメッセージ。だからこそ僕等ファンはそれを前向きに捕らえ、しっかりと受け止めることができるのです。

さて、その”疾走するロックンロール”。
伊豆田さんのペンによる楽曲構成を掘り下げてみましょう。
キーはF(=ヘ長調)。

F→B♭→F→B♭→F→C

というコードカッティングが、全編に渡って”テーマ”といった感じで繰り出されます。アルバム『greenboy』にはこのように、単音ではなくコードチェンジ構成のリフを擁したナンバーが多いのです。

「MENOPAUSE」の伊豆田さんの作曲は、ピアノ或いはキーボードによるものだと思われます。
ギターでの作曲なら、このリフは近いところの調だとEで組み立てるのが自然ですからね。
ギターはシャープ(#)な楽器、鍵盤はフラット(♭)な楽器。作曲手法についての話ですが、僕にはそんな感覚があります。


Bメロは1音上の和音であるGを起点にしていて、いかにも尖ったロック・ナンバーの趣きですが、サビは一転、メロディー重視ですね。

♪ ちゃんと向き合いましょ きっと乗り越えるよ
     F                               Dm
  
  時間かけよう、メノポーズ  hey, hey, hey ♪
     B♭ G7         C              C7

そして、2度繰り返されるサビメロの後半から、リードギターが低音で噛んできます。ありがちな音階とは言え、なかなかカッコイイです。
作曲の伊豆田さん、編曲の白井さんとも、この曲については短い演奏時間でギュッと引き締まったイメージというのが頭にあったように感じます。

ジュリーの詞では
「ため息を吐こう♪」
という表現が斬新です。
2番に登場する「ため息をつこう♪」というのが通常の表現かと思いますが、1番と3番は「吐こう」なのです。
より深刻な感じがしますね。

しかし「吐く」ではなく「吐こう」というのがポイント。
自分とともに、同じように年をとっていくパートナー、家族、友人、そしてファンとの信頼関係を思わせます。
普通、他人のため息を聞くのは憂鬱なものですし、他人の前でのため息は遠慮したいものですが、ジュリーは

♪ 一緒に ため息を吐こう ♪
    D♭       E♭       F

と、言ってのけます。
年とって色々あるけど、お互いにしっかり向き合って乗り越えよう、ということなのでしょう。
この辺りは、人生の手本にしたいところです。

実は僕はアルバム『greenboy』は購入当初、さほど夢中になれませんでした。
僕の苦手な(今は克服しましたが)、”すべての楽器が大音量で鳴っている”アレンジミックスに抵抗があったのです。
『奇跡元年』後、生の「MENOPAUSE」に感動して何度もアルバムを聴き返すうち、『greenboy』は、年齢の不安に勇気を与えてくれるという、21世紀のジュリーの魅力の一面が強調され突起した素晴らしい作品だと気がつきました。
その意味で、「GO-READY-GO」や「atom power」も、「MENOPAUSE」と同系列のナンバーだと言えるでしょう。

こういうことがあるから、「ジュリーはLIVEだ!」と声を大にして言えるわけです。

『秋の大運動会~涙色の空』では、どんな曲で新たな発見があるのでしょうか。
2階最後列でいいから、初日当たれ~!

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2010年7月20日 (火)

沢田研二 「sur←」

from『sur←』、1995

Sur

1. sur←
2. 緑色の部屋
3. ZA ZA ZA
4. 恋がしたいな
5. 時計/夏がいく
6. さよならを待たせて
7. あんじょうやりや
8. 君が嫁いだ景色
9. 泥棒
10. 銀の骨

----------------------------

板橋のレポートを執筆途中なのですが・・・。ここで本館の楽曲記事をひとつ。

今回の板橋LIVEの打ち上げは、偶然居合わせた5人のうち4人までがブログなど何らかのジュリー発信源を持つメンバーだったのですが、そのせいか、「他のブロガーさんに刺激されて記事を書くことがある」なんていうお話も出ました。

それは当然ながら僕にもあって、一番分かりやすい例は、あの物語の件。
でも、実はしょっちゅう刺激をいただいているブログさん達の中には、お互いに連絡を取り合うようなことはまだ全然無いのだけれど、そういった「刺激を受ける」という意味では
、日々楽しく拝見していたりするじゅり風呂さんがいくつかあったりします。
それは、そのブロガーさん達が、あるアルバムや曲について記事をお書きになると、僕はそれを無性に聴きたくなる、という非常にシンプルなことなのですが・・・その逆パターンもどうやらあるみたいで・・・ほぼすべてのそんなブログ様は僕にとってジュリーファンの大先輩でいらっしゃいますから、とにかく大変光栄なことです。

というワケで、毎度のそんなパターンのおかげで昨日久しぶりにじっくり聴いたアルバム『sur←』。
今日はその中から、タイトルチューンの「sur←」をお題にお届けしたいと思います。伝授!

突然ですが、僕はロックファンであると同時にSFファンでもありました(過去形なのは、最近の新作はほとんど読んでいないからです)。
一緒にバンドを組んで以来25年になろうかという幼馴染・ウンベルケナシ君とは、元々はSFファン同士としての友人だったりします。

ロック・ミュージックとSF文学は非常に相性がよろしい。
それぞれが辿った歴史も似ています。黄金の60年代、狂乱の70年代、そしてニューウェーヴの台頭。

ジュリーの作品の中にも、SF的なものがたくさんあります。
『TOKIO』『BAD TUNING』の頃にはそれっぽい楽曲が目白押し。時代を経て、吉田建さんプロデュース期では、『BEAUTIFUL WORLD』以外の4枚すべてに、アルバム全体を通してSF的コンセプトが感じられますよね。
この辺りはまぁ、一般的に言う「SF=サイエンス・フィクション」の世界なワケです。

ところが、SFというのは「サイエンス・フィクション」にあらず、「スペキュレイティヴ・フィクション」(=思弁小説)である!などという主張の元に、ブライアン・オールディスやハーラン・エリスン、J・G・バラードなどのニューウェーヴ作家達がノシてきて以降、SFというジャンルも複雑な細分化を見せます。
で、80年代中頃には、「ファンタジー」「サイバーパンク」という2つの柱が新たにニューウェーヴにとって代わり、SF界を牛耳ってしまうのです。

「ファンタジー」についてはみなさま、お分かりですね。
ジュリーと縁の深い大作家・栗本薫さんも、日本を代表するファンタジー作家の旗手でした。僕にとっては、Qさま言うところの「桑田先輩」にあたるのが栗本さんだったりします。

栗本さんのライフワークであった『グインサーガ』(細かい分類で言うと、”ヒロイック・ファンタジー”と呼ばれるジャンルの物語です)が完結しなかったのはとにかく残念。御本人の無念もいかばかりか・・・。
この壮大な物語に登場する”イシュトヴァーン”という戦士は、20代のジュリーそのもののイメージなんですよ。
何故なら、幼少時代に船乗りとしての成長過程を体験している孤児、というキャラクター設定が・・・僕にとっては『JULIEⅡ』の少年を喚起させるワケです。
しかも、本人まったくノン気なのに、色男も醜男もこぞって彼に群がってきます(いや、決してそういう話がしたいわけでは)。

・・・するってぇと30代のジュリーはアルド・ナリスで、40代がスカール、50代がカメロンで60代がアキレウス。来るべき70代がアンダヌ・・・いえ何でもありません。
あ、分かる人にしか分からない話をしてました。ごめんなさい。

話を戻します。
それでは一方の「サイバーパンク」というのはどんな代物か。
これが、僕にとってはジュリーの曲で言うと「sur←」
ということになるのですね(アルバム『第六感』収録曲のいくつかも、それに近いイメージがあるのですが)。

「sur←」という曲には、文字通り”シュール”な歌詞がついています。

・唇にキスのたび薔薇が開く
・空にしたグラスから羽根が生える
・カタログの時計からベルが響く
・ウィンドーのギターから波が寄せる

このようなカッ飛んだフレーズが、最初から最後まで羅列し続けて疾走するのです。その止まることのないアイデアの泉・・・これは、さすが覚和歌子さん。
そんな覚さんのフレーズには、SF小説をヒントにしたと思われる箇所が(他の楽曲でも)多くありますが、「sur←」で最も目を引くのは

♪ 塞いだ君の空を こじあけるニューロマンサー
        F#m                D                     C#7

ここです。
「ニューロマンサー」というのは、サイバーパンクという新たなジャンルを創出し、80年代中盤、SF界の話題を独りでさらっていった作家、ウィリアム・ギブスンの出世作大長編のタイトルなのです。
最大の神秘は人間の内面にある、というテーマのみならず、今でいうヴァーチャル・リアリティーをいち早く小説で描いた作品と言われています。「ニューロマンサー」「カウント・ゼロ」「モナリザ・オーヴァードライヴ」と続いた作品群が映像・音楽といったジャンルに影響を与えた例は邦洋問わず、数知れません。
またギブスンはかなりの日本贔屓で、YMO『テクノドン』のレコーディングにも関わりを持ったほどです。

サイバーパンクSF小説は、刺激的で才気に満ちた”言葉”を無数に散りばめて内へ内へと展開させていくのがその醍醐味のひとつで、ギブスンの「ニューロマンサー」はまさしく「sur←」で覚さんが連打するシュールなフレーズ群を彷彿とさせるような名編なのですね。

様々な極彩色のイメージが精神世界で四散するような「ドギツさ」。それが「sur←」で覚和歌子さんが狙ったコンセプトだと思います。
相当に突き抜けている歌詞だと言えますが、70年代後半の阿久=大野時代のスーパーマン的な突き抜け方ではなく、もっと聴き手の地肌に直接浸み込んでくるようなジュリーの「匂い」や「存在」を表現してくれるような詞です。

”スーパースター”と呼ばれる者が抱えるごく当たり前の、それでいてすこぶる危険な苦悩と絶望・・・かつてデヴィッド・ボウイが演出したそんなテーマは、ジュリーにも当然ながらピッタリのコンセプトと言えます。
それは、『単純な永遠』で一度掘り下げられた後、セルフ・プロデュース期最初の作品『sur←』で再び触れられることになったのですね。

「sur←」の作曲は大村憲司さんです。
このアルバムの段階では、白井良明さんとジュリー・ナンバー・アレンジメントの覇権を争ってガチンコ勝負しているように感じます。気合の入ったプロの仕事ですね。

基本的にAmのワンコードでグイグイと押し、ブリッジで嬰ヘ長調→イ長調と転調を経て再びAmに舞い戻る。それが「sur←」の楽曲構成です。
嬰ヘ長調部では

♪ 煮つまりかけてる そのイメージをビッグ・バン ♪
    F#m                    D                   E7


イ長調部では

♪ 途方もないのが愛だから
    A                       F#m 

理解しようとしちゃ駄目さ ♪
D                             C#7  E7

このように、E7コードを利用して何度もAmのトニックである「ラ」の音に回帰しようと、楽曲が尖った動きを見せます。

トランスするAmの繰り返しと、突然挟み込まれる転調の変化。
作られた”クール”ではなく、情熱の行き場を求めて迷い戸惑うように歌われる「sur←」のひんやりしたヴォーカルは、ジュリーが到達したいくつもの境地の一角だと言えるでしょう。

『sur←』にはタイトルチューンのこの曲以外でも、曲間無しで続く「緑色の部屋」がやはりサイケデリックなナンバーで、サイバーパンクな「sur←」と表裏一体の魅力を持っています。
実はこの「緑色の部屋」という曲も、あるSF小説を想起させるのですが、それはまたいずれの機会に。

ところで。
よくジュリーのLIVEで、「お腹が見えた」というのがことさらに話題になり狂喜乱舞され、果ては物議を醸し出す、という状況がさかんに起こっていることを最近になってようやく僕は覚えたのですが・・・。
みなさま、ジュリーのお腹が大好きなのですね。

ということは、このアルバム『sur←』の歌詞カード。
ちょうど「泥棒」と「銀の骨」が記載されてある見開きページのジュリーの腹出しショットも当然大好物である、と思って間違いないですか?
眼福ショットなのですよね?

僕、この写真初めて見た時はちょっとショックでしたけど・・・。
ヒヨッコですか?

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2010年7月16日 (金)

明日は板橋

ということで、暴れてきます。

長野の時は、
「僕がきちんと観て、みなさまにお伝えしなければ」
と使命感バリバリでしたが。
今回は僕の知るだけでも、他に5人のじゅり風呂管理人さんが参加なさるようですので、僕は安心して、暴れることを優先したいと思います。
いやいや、一応、レポは書きますけどね。

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さて、『秋の大運動会~涙色の空』初日&Qさまフェス。
チケット当たれ~当たれ~。
・・・と念じ続ける日々なのでございますが。
実は、ソロのファイナルについては、外れて大宮の神席、というパターンに期待していたりするわけです。
そういう人、結構増えてきてるんじゃないかな?

今日はそんな大宮ソニックシティーのチケットに関連する小ネタをひとつ。

我が家では細かい食料品などで、生協さんの通販宅配を利用しております。
って、結婚するまでは生協さんにそんな通販宅配システムがあることすら全然知りませんでしたが。

で、先日。
生協さんが毎月くださる通販カタログを見ていたカミさんが、「あっ!」と声を上げたので、「なんだなんだ」と見にいきましたら・・・。

Seikyou_2

『秋の大運動会~涙色の空』、大宮ソニックシティーのチケットが掲載されているではないですか~!
しかも、さすがは生協さん、定価よりも若干お安いです!

写真は還暦よりも前のものだけどね・・・。



P. S.
今回の板橋までは、side-Bの方にレポ書きますからね~。
あと、コメント欄はネタバレオッケ~です。相模大野の感想など、本記事にてお待ちしております!

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2010年7月14日 (水)

沢田研二 「恋なんて呼ばない」

from『サーモスタットな夏』、1997

 

Samosutatto

 

1. サーモスタットな夏
2. オリーブ・オイル
3. 言葉にできない僕の気持ち
4. 僕がせめぎあう
5. PEARL HARBOR LOVE STORY
6. 愛は痛い
7. ミネラル・ランチ
8. ダメ
9. 恋なんて呼ばない
10. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!

 

------------------------------------

 

今週末は板橋。
長野では2階席からじっくりとステージを俯瞰して楽しみましたが、今度は1階最後列という暴れ放題のお席ですから、体力も使うことでしょう。
しっかり体調管理していかねば。

 

YOKO君、満を持して参加の川口までネタバレ禁止(一応ね)となっております拙ブログ。
今回は何事もなかったかのように、通常の楽曲記事をひとつはさみますね。
覚和歌子さんの詞が大好きなナンバーについて、書こうと思います。

 

☆  ☆  ☆

 

例えば。
みなさまが、毎日の通勤行き帰りの道のりで、どういう僥倖かは分からないけれど、ジュリーとすれ違うことが時折あったといたしましょう。

最初にすれ違った瞬間は「ドキ~ン」と心臓バクバク。
その後も、いつか勇気を出して声をかけようと思いつつも、意外とそんなことは実際にはできないんじゃないかなぁ。
そのうちに、月に何度かのすれ違いを、胸を痛くしながらやり過ごし、ドキドキしながら、悶々としながら・・・何気ない日々の中に訪れる一瞬が、いつしかすごく大切なものになってきます。

 

何度かすれ違ううちに、ジュリーもこちらの顔を覚えて、ふと目が合ったり。そんなこともあるかもしれません。

 

僕は、こういった女性独特の崇高な(恋愛と呼べるのかどうか・・・)思いは想像でしか分からないのですが、そんな状態はごく普通に有り得ることだと思います。
まぁ、ジュリーとすれ違うなんてことはさすがにそうそう無いにしろ、相手がジュリーではなく、一般の男性だった場合で考えた時にね。

 

ジュリー・ナンバーの女性作詞家作品はどれも素晴らしいですが、今日は覚和歌子さん作詞の、痛いほどに胸キュンな楽曲をお題に採り上げ、是非ともジュリーファンのお姉さま方に感情移入して頂こう、というお題です。
大名盤『サーモスタットな夏』から。
「恋なんて呼ばない」、伝授!

 

人称は男性なんだけど、視点は女性。これが女流作詞家のジュリーナンバーの魅力には違いないのですが。
さらにひねって、
「対象の男性(=ジュリー)も、自分と同じふうに考えていたらな・・・」
という、いかにも女性っぽい素敵な技が炸裂している(と、僕には思える)ジュリーの楽曲が、2曲あります。

 

ひとつは、朝永彼方さん作詞の「夜明けに溶けても」。
こちらはラブラブな感じですね。

 

そしてもうひとつが覚和歌子さん作詞のこの悲しく胸キュンな「恋なんて呼ばない」だと思っています。

 

2曲共に、意外なほどみなさまの話題にのぼりません。
アルバムの最後の方に収録されていたりして、スタンスが地味なんでしょうかね~。「恋なんて呼ばない」の方は、シングルカットもあったみたいなのですが・・・。

 

♪ 触れずに話さずに ときめく  この瞬間(とき)を ♪
            Bm7 E7  A         Bm7 E7              A

 

お互いの存在には気がついていて、時折訪れる一瞬の出会いにときめいているけれど、二人の世界は交わることが無いまま。
たまらなく愛しい瞬間。その、刹那の描写。
これが「恋なんて呼ばない」で炸裂する、覚さんの作り出した素晴らしい物語です。

 

♪ 今、君の唇は動いて 何かを伝えようとしている
            A          F#m           Bm7              E7

 

涼やかに瞳は輝いて ニつの宇宙が出会いそうさ ♪
       A            F#m           Bm7                E7

 

すれ違う二人は、それぞれのポケットに激しい情熱(=光る石)を隠し持っています。それが相手に差し出された時、世界は一体どうなるのか。
そんな、一瞬の思いを捕らえた覚さんの言葉が、ジュリーの歌声に載せて、限りない静寂の中でどんどん広がっていきます。
素敵な詞だと思いませんか・・・?

 

結局、すれ違いざまに女性の微笑みを受け、「つつましく宇宙が満ち足りた」のを見てとった男性は

 

♪ 光る石  をそっとしまう     夕   暮   れ  時 ♪
        C#m7 F#m C#m7 F#m  Bm Bm7 E7 A

 

情熱を晒さないまま、いつものように相手とすれ違うだけ。
タイトルの「恋なんて呼ばない」というフレーズが、最後の最後、ここへ来てようやく連呼されるのです。
悲しい決意、なのでしょうね・・・。

 

自分が辛い以上に、相手(男性)の辛さに思いを寄せて表現する、覚さんの詞。
ジュリーの噛みしめるようなヴォーカルは、いつにも増して「歌の世界に入り込む」というジュリー最大の才能を感じさせてくれます。
ちなみにこの曲で僕が最もシビれるジュリーのヴォーカルは

 

♪ 煙るようなジャスミン 匂い立    たせてる ♪
     Dmaj7     C#m7         Dmaj7  C#m7  F#7    F#m

 

のトコ。
スッと抜くような感じが、カッコ良過ぎます。

もちろん、これまで書いてきた歌詞の受け取り方は僕の個人的な感想で、覚さんの詞にどのような世界を感じとるかは、人によって異なるかもしれません。
色々な受け止め方ができるのが、優れた詞の魅力とも言えるのでしょうから。

 

さて、楽曲構成です。
八島順一さんの作曲作品の素晴らしさ、特にジュリー・ヴォーカルとの相性の良さについては、過去に「愛しい勇気」の記事などで語りまくってきましたから、ここでは白井良明さんのハイセンスなアレンジに注目してみましょう。

まず、アルバム『サーモスタットな夏』は白井さんアレンジのジュリー作品にあって、実はかなり異色なのです。
先行シングル「オリーブ・オイル」と「ダメ」の2曲を除き、60年代回帰とも言えるチープな音色・ミックスが敢えて施されています。

 

「恋なんて呼ばない」で説明いたしますと。
まず、楽器構成・ミックスが左サイドから順に

 

・アコースティック・ギター①
・ピアノ
・エレキギター①
・シンセサイザー(ムーグ系)
・エレキギター②
・ベース
・ドラムス
・リードヴォーカル
・コーラス
・タンバリン
・エレキギター③
・シンセサイザー(オルガン系)
・アコースティック・ギター②

 

サラリとしたアレンジの楽曲ながら、このように意外と音数自体は多いんですよ。
エレキギターは3つのミックス配置ですが、トラック数は2つかもしれません。ほんの一瞬だけ、左右でツインリードになる箇所がありますから、そこだけPAN(左右ステレオ配置を確定する機能)を振ってるのかも。

 

この音すべてが常時鳴っているわけではない、というのが重要な点です。
エレキギターが登場するのは楽曲のず~っと後で、サビ直後の

 

♪ 立ちつくす    ただ二人 ♪
     F    G    A     F   G   A

 

で、5弦6弦のみの渋いバッキングの箇所から。その後も、要所要所にしか姿を現さないのです。
エンディングからフェイドアウトまで弾きまくる尺の長いリードギターは、パブロック好きの僕にとってはたまらなく渋い!ブリンズレー・シュウォーツのギターを思い出します。

 

イントロでは左右のアコースティックギターが同じアルペジオ(指さばきが武骨です!)を弾きますが、Aメロに入ると右サイドのみが残ります。そうしておいて、2回し目から左サイドの単音が効果的に噛んできます。

 

すべての楽器が爆音で鳴っているアレンジもそれはそれで魅力がありますが、細かい音が埋もれてしまったりすることもあるんですよね。
白井さんが『サーモスタットな夏』で強く主張しているのは、さりげなくも美しい音の噛み合わせなのです。
次作『第六感』以降、ハードなアプローチに邁進していく白井さんが、挨拶代わりにまず刀を抜いた「ムーンライダース流のセンス」。
『サーモスタットな夏』はその意味でも、とても貴重なアルバムだと思います。

 

ところで、この「恋なんて呼ばない」は、アルバムツアーのセットリストでは本割のラストで歌われていますね。
『REALLY LOVE YA!』ツアーでの「幻の恋」とかもそうなのですが、それまで激しくロックしていたジュリーが、最後に汗をしたたらせながら、穏やかな表情で静かなアルバム収録曲を歌う絵は、LIVEの構成としては最高ですよね。
その後にアンコールがあるから、とも言えるんですけど。

 

今年のツアー用新譜は・・・4曲入りのシングルかぁ。
少し淋しいけれど、毎年ジュリーの新曲が聴ける、というシアワセに間に合って良かった!

8月1日の川口のレポートが終ったら、ソロツアーへ向けて”恒例・全然当たらないセットリスト予想”シリーズにとりかからなきゃ・・・。
今回は、”これ演ったらDYNAMITE失神”という、「日替わりマイフェイバリット・ジュリーナンバー」羅列で、テンション高く攻めてみようかな~。
絶対LIVEで演らなそうな曲ばかりになっちゃいそうですが。

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2010年7月11日 (日)

ジュリワンin長野 簡易速報

行ってまいりました~。
長野は大変良い街でございました。新幹線なら大宮から1時間しかかからないですし、東京近辺のみなさまには今後の遠征の穴場としてお勧めしたいですね~。
十割蕎麦の麺のコシは、間違いありません。

LIVE詳細については、これから別館の方で執筆にとりかかりますが、ひとまずとり急ぎの情報です。
(YOKO君、若干ネタバレすまん)

・大阪のレポなどでは「疲れが感じられる」とあったジュリーの声ですが、長野は完璧なヴォーカル・声量・高音を見せてくれました。その代わり、植田さんの声量が落ちていました。お疲れでないと良いのですが・・・。

・期待していた体重ネタは無し。しくしく。

・「熱視線ギャル」の腰ヒネリは、渋谷よりもさらにツイスト気味でカッコ良かった!

・地方会場ということで心配していたのですが、2階席はアンコールまでスタンディングこそ無かったものの、大変良い感じで盛り上がっておりました。特に、鉄人バンドのインストでみなさまが積極的に手拍子していたのには感動しました。

・ということでたいそうゴキゲンな柴山さん、終始大ハシャギで、メンバー紹介の時にはあまりにもベタベタなキメポーズまで披露、「チビ太ポーズ」か「コメットさんポース」か、今命名に悩んでいます。ちなみにカミさんは遂にこの夜、カズラーデビューを宣言いたしました。

・2階席の雰囲気をリードしたのは僕などではなく、「き」列25番にいらっしゃった、ごくごく普通のお父さん!奥様の制止を振り切って遂に立ち上がり大暴れするその御姿は、2階席後方で「立とうか、どうしようか」と迷っていた僕等に大きな勇気をくださいました。

・「TOKIO」の手拍子、フリは完全に加瀬御大のお墨つきを頂いたようですね。

・「危険なふたり」、で遂に”年上のひと・物色→ゲロゲロヴァージョン”を観ることができました~!

・お会いしようと思っていた地元の先輩方とは全員、無事にご挨拶することができました。しかもお世話になりっ放し。ありがとうございました。

やっぱりジュリー遠征は、独特の楽しみがありますね!
それでは、side-Bのレポート記事更新まで、しばらくお待ちくださいませ~。

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2010年7月 9日 (金)

長野のレポ、頑張ります!

いよいよ、明日。
ジュリーwithザ・ワイルドワンズ、長野公演に遠征してまいります!
八王子からずいぶん経った気がします。長かった~。

ジュリーが「また長野に来たいな」と思ってくれるような素敵なLIVEになるよう、地元のみなさまと一緒に頑張って盛り上げたいと思います。
状況が許せば、アンコールからは立ってみようかな(つまり、踊るってことね)。

レポートは、side-Bの方に執筆いたします。
あ、でも今回はせっかくの機会。ついでに1泊して遊んで帰ってきますので、レポ執筆は月曜からになると思います。御了承くださいませ~。

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それはそうと、今日はちょっと凹みました。
Qさま出演のASAHI SUPER DRY THE LIVEのチケットのことなんですけどね。

業界ルートで楽勝ゲット、Qさま応援団で抽選外して途方に暮れていらっしゃる方の分も何とか自分が!などと決めてかかっておりましたところ・・・。
今日、会社のレミ○ロメンさん&藍○主さんのスコア担当編集者の若手から話があって、今回のフェス、レコード会社の仕切りではないので、事務所さんの販売・配券ルートが無いらしく、都合がつかないらしいんですよ~。

最悪、物販のお手伝いで何とか潜り込みたいけど・・・。それもあるかどうか分からないのです。

抽選当てるしかないのか・・・。
千葉フェス、ジュリーソロ初日、千秋楽と連続で抽選。全部当たるなんて、無理だよねぇ。

Qさま観に行けなかったらどうしよう・・・。
でも、確か今回のフェスのチケット抽選って、一人2枚だったよね?
シンジケートの輪に望みを託そう!

それでは。
長野・ホクト文化ホールで景気づけしてきます~。

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2010年7月 8日 (木)

ザ・タイガース 「生きてることは素敵さ」

from『THE TIGERS 1982』、1982

Tigers1982

 

1. 十年ロマンス
2. 新世界
3. 抱擁
4. 時が窓をあけて
5. めちゃめちゃ陽気なバンドのテーマ
6. 夢の街
7. 野バラの誓い
8. BA-BA-BANG
9. ライラ
10. 生きてることは素敵さ
11. LOOK UP IN THE SKY
12. 朝焼けのカンタータ

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このところ、結構な矢継ぎ早の更新になっております。

というのはね。
今週末から僕は、八王子以来1ケ月半ぶりにジュリワン・モードに突入する予定なのですよ。

長野→板橋→川口。
来週からはまた、side-Bの方でLIVEレポ執筆にかかりきりになると思います。その間こちら本館の記事が滞ってしまいそうなので、今のうちにガンガン書いておこうというわけ。
・・・って、一体いつまでネタバレ禁止状態なんだよ、このブログは!
(←川口までです)

 

まずは、長野遠征。
チケット売行で苦戦しているという彼の地で、「何とか盛り上げたい」という地元の先輩から、今回僕は使命を頂いた、と解釈しております。
地方会場の2階席ですから、おそらく立てないでしょう。
でも、率先して2階の雰囲気をリードする!くらいの意気で臨みたいと思っているのです。


さてさて。
いやぁ、先日「グッバイ・マリア」の記事を書いて以降、日頃お世話になっている何人かの先輩方の波状攻撃に遭っております。
何かと言いますと

「DYNAMITEは、そろそろ音楽劇デビューしてもいいんじゃあない?」

 

という愛の鞭でございます。
そして・・・ある先輩から「サヨナラのマリー」歌詞全文のメールを頂くに及び、ついに堕ちました。
来年、「探偵~哀しきチェイサ-」を観劇しようと思います。

 

考えてみますと、確かに僕にはまだまだ”未知のジュリー”が多いのです。
音楽劇ももちろんそうですが、極めつけは”タイムリーのタイガース”ということになるでしょうね。
GS時代に間に合わなかったのは、年齢的に仕方がない。でも、1982年の同窓会は充分突っ込めたはずなんだよなぁ。一番幅広く音楽を聴いている時期だったし。

リンクさせて頂いております、『G. S. I  Love You!』の27年ロマンス様は、僕と同世代のお方ですが、きっちり”同窓会堕ち”していらっしゃる。
うらやましいですね・・・僕にもチャンスはあった、ということですから余計に。

来タルベキ機会を逃さないようにしなければ。

 

では、本題です(イントロが長くてごめんね~)。
少し前にザ・タイガースのアルバム『自由と憧れと友情』から、シローのリードヴォーカル・ナンバー「出発のほかに何がある」を採り上げて記事を書いたところ、多くのジュリーファンの先輩方から感想やコメントを頂き、大変嬉しく思いました。
ジュリーファン=タイガースファンという図式が果たして拙ブログの読者のみなさまに通用するのかどうか、僕にはずっと解らないでいたのです。
ジュリーのリードヴォーカル以外の楽曲を採り上げるのは、僅かですが勇気のいることだったのですよ~。

 

「出発のほかに何がある」の記事ではシローのヴォーカルについて、トッポとの対比を書いた上で絶賛しました。
ただ、当然ですがトッポのヴォーカル・ナンバーもまた違った素晴らしさがあるわけです。

僕としてはまず、Aメロ=ジュリー→サビ=トッポというリレー形式のタイガース・ナンバー「忘れられた子守歌」にトッポの声の魅力を感じています。あのジュリーと並び立ってなおかつ存在感を発揮するのですから、ただ事ではありませんよね。

 

では、終始トッポがリードヴォーカルをとっている楽曲についてはどうか、というのが本日のお題。
「花の首飾り」や「廃虚の鳩」はちょっと直球過ぎて今の僕にはまだまだ畏れ多い。
ここはひとつ、同窓会アルバム『THE TIGERS 1982』から僕の大好きなナンバーを採り上げてみたいと思います。
「生きてることは素敵さ」、伝授!

 

『THE TIGERS 1982』というアルバムは、名盤と言って良いと思います。1982年という年代も反映しながら、タイガースの郷愁もしっかり組み込まれています。
一番好きな曲は圧倒的に、「朝焼けのカンタータ」。
あとは、ジュリー→トッポとヴォーカル・リレーされる「新世界」が、僕の中にできつつあったタイガースのイメージと合っていてとても気に入っています。

しかし、最初にアルバムを通して聴いた時、一番心に強く残ったのが、トッポのオリジナル「生きてることは素敵さ」だったんですよね。
繰り返し何度も聴いて、コードを起こして、アコギ弾きながら一緒に歌いました。
歌いたくなる曲、なのですよこれは。

 

少し僕とタイガースにまつわる過去を振りかえってみますと。
ザ・タイガースというバンドについて全く知らなかった僕が、初めて彼等をテレビで観たのが、同窓会メンバーによる「色つきの女でいてくれよ」。
もちろん番組は、ザ・ベストテンでした。

そこで、「沢田研二が昔いたバンド」としてようやく認識したワケですが、本当に何にも知りませんでした。
立ち位置を見て
「あぁ、このバンドでは沢田研二はナンバー2だったんだな。ルックスで見出されてソロで開花したのか」
などと勘違いしたり。

で、とりあえずメンバーのニックネームを覚えようとして、真ん中の人を
「マッポ、マッポ」
と言ってたら母親が
「違うよ!!」
と(爆爆)。

 

今思えば、その時の母の口調がずいぶん強かったような気が。

僕がジュリーに堕ちた時には母はすでに亡くなっていましたから、母とジュリーやタイガースについて話したことなどなかったのですが・・・。
元々音楽好きで、ストイックで変わり者でアートな感じの男性歌手が好みだった(と、思う)母は、ひょっとしたらタイガースのメンバーの中ではトッポがお気に入りだったのかもしれません。

以前「いくつかの場面」の記事で書いたように、母は河島英五さんが好きだったのです。
一見、トッポと河島さんは全然違うようですが、
「お~♪」
という朗々とした聖歌っぽい発音は、ちょっと似ていたりしませんか?

 

トッポの声は、タイガース時代と同窓会期では少し違うようです。
タイガース時代にあった強烈な主張、「伝える」ということへのこだわりは、同窓会期に至るとかなりソフトになり、力を抜いて歌っているように感じられます。
このあたりについては、27年ロマンス様のブログに素晴らしい御記事がございますので、是非ご覧になってくださいませ。

トッポという人はそれでも、歌の力で何かが起こる、何かが変わる、聴く者に何らかの衝動を持ってもらえる、ということを強く信じているようなシンガーだと、僕は考えています。それは同窓会期でも変わっていないように思うのです。
以下、新規ファンの安易な感想ですが・・・。

 

「生きてることは素敵さ」は、同窓会で復活したタイガースから、かつてのファンの人々へのメッセージをこめたナンバーです。それは間違いありません。
僕はこれまで結構難しめの洋楽ロックを聴いていたりしましたから、復活したバンドがファンに直接あたたかなメッセージを送るというシチュエーションの楽曲は、なんだか生ぬるく、企画っぽく感じるのが常だと思っていました。
ところが、「生きてることは素敵さ」を聴いた時には、ゾクゾクとたまらなく感動するものがあり、自分でも意外に感じたのです。

 

何故なのでしょう?

 

ひとつには、ジュリーに堕ち、ジュリーを通じてタイガースというバンドを真剣に聴くようになり、歴史的な背景が少しは解ってきたということもあるでしょう。
でも、それだけじゃないんだなぁ。

 

僕はこの曲を聴いた時、トッポがファンに対してではなく、ジュリーに向けて語りかけているような錯覚を覚えたのでした。

 

♪ 夢のようだね 君とまた会えるなんて
     A                  Bm D                 E7
   君は今も昔と 変わらないだろうか ♪
     A           Bm  D       E7         A

 

こんなふうにトッポがジュリーに言える日が、1982年に実際にあったのだ・・・。
そんな勘違いかもしれない思いが、ス~ッと胸に入り込んできました。それが大きな感動の原因だったのです。

 

かつてジュリーとトッポの間に軋轢があったことは、後追いの僕でも知っています。
でも、それってごく普通のロックバンドの在り方ですよ。相反する個性が同居するからスーパーグループなのだし、その個性は表裏一体とも言えます。融合した時の魅力は、計り知れない。
ビートルズだってストーンズだって、そういうことはあったのですから。キンクスに至っては、実の兄弟だというのに・・・。

 

ただ、タイガースの場合はセンセーショナルに語られ過ぎていますね。
スキャンダラスに軋轢が取り沙汰されるのは、ファンのほとんどが女性という要因もあると思います。でもそれが悪いことではありません。そんな中で折り合っていく、個性的な男の友情って、きっとあるんですよ。

 

♪ 目を閉じると今でも あの日の君がいるよ
     D               A        F#m              A
  風に吹かれて 笑っているよ ♪
     A    C#m    Bm D  E7     A

 

こんなシンプルな歌詞が心に深く響くのは、トッポがタイガースの一員だったから。
僕は「生きてることは素敵さ」という曲を、そんなふうに聴いているのです・・・。

 

・・・いやいや、ずいぶん生意気を申しました。

 

親切なJ先輩のご好意で、僕は今年の初めに同窓会コンサートの映像を観ることができました。
繰り出されるヒットチューン、気合の入った洋楽カバー。
そして
「新しいアルバムの収録曲を・・・」
というジュリーの紹介で演奏が始まった「生きてることは素敵さ」を、僕は食い入るように観ました。

 

ん?
ギターを弾くトッポのコードフォームが、僕が起こしたコードと違うぞ・・・。

 

・・・えっ?もしかして・・・。

カポかましてる~~~!

 

・・・Aの曲を2カポでGプレイって!
どんだけC#mを遠くに感じてんねん!と最初は吹きだしてしまいましたが・・・。
丁寧に丁寧に弾き語るトッポを見ているうちに
「あぁ、この人は絶対に自作のこの曲をミスタッチしたくないんだ」
と感じました。

 

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(追記)
記事更新直後、J友さんから「カポって何ですか~?」とのメールを頂きましたので、ここで不肖DYNAMITEの柔指ショットを織り交ぜて解説いたしましょう。

 

Capo1

 

↑ これが「カポ」です。正式名称は「カポタスト」。
さっきコイツの写真撮ってたらカミさんが「それなんなの?」と言うので「ギターに付ける道具だよ」説明したところ、
壊れたカバンの部品かと思って捨てるとこやった!
ですと・・・。頼むよ~涙。

 

で、分かり易いところで「Bm」というコードを例に説明しますが

 

Capo2

 

これが「Bm」のフォーム。ひとさし指で2フレットの6つの弦を全部押さえて(この状態を「セーハする」と言います)るから、押さえるのが大変そうでしょ?
そこでさきほどのカポタストを

 

Capo3

 

このように2フレットに装着。
そうすると、カポタストが弦をすべて押さえてくれるのです。
そうしておいて

 

Capo4

 

初心者が一番最初に覚える簡単なコードフォームのひとつ、「Am」を押さえてあげれば、2フレットのカポタストのおかげで、「Am」よりも1音(フレット2つぶん)高い「Bm」の音が出るのです。

 

これを
「Bmのコードを2カポAmでプレイする」
と言います。

 

アコースティックギターの場合は、プロでもカポタストを使用して演奏する人はたくさんいますが、エレキギターの場合はよほどのことがない限り、普通カポタストはつけないものなのです。
以上、ウンチク終わり!
------------------------

 

そして曲は進み、間奏のリードギターへ。

 

1音1音確かめるように、大切に音を繋いでいくトッポ。
見ているDYNAMITEもハラハラです
(←コラコラ)
大丈夫・・大丈夫・・・。

やったぁ、完璧!!

 

と、僕も思ったけど、間奏を弾き終わったトッポ自身も心の中でガッツポーズしたのでしょう。
安堵のあまりヴォリュームコントロールへ手を伸ばすのが遅れ、続く3番Aメロのヴォーカルへの入りが間に合いませんでした~。

いいじゃあないですか、こういうの!
生で歌って、生で弾いてるってことだもんね。タイガースのトッポが、タイガースの新曲をね。

また近いうちに、そんな日がやって来るのかなぁ。
末席ながら、是非この目で確かめたい。いえ、
本当に文字通りの末席希望なんです。

こればっかりはね。
思いが違うの、分かってますから!

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2010年7月 6日 (火)

沢田研二 「サムライ」

from『思いきり気障な人生』、1977

 

Omoikirikiza

 

1. 思いきり気障な人生
2. あなたに今夜はワインをふりかけ
3. 再会
4. さよならをいう気もない
5. ラム酒入りのオレンジ
6. 勝手にしやがれ
7. サムライ
8. ナイフをとれよ
9. 憎みきれないろくでなし
10. ママ・・・

 

--------------------------------

 

前回記事にて、どうやらDYNAMITEは『思いきり気障な人生』というアルバムを軽視しているらしい、という話が沸き起こり、物議をかもしている(いや、ただ単に「意外よねぇ~」というお話らしいのですが)ようでございます。

まぁ正直に申しますれば。
ジュリーにとってある意味”最強”の時期とも言える、阿久=大野時代のオリジナル・アルバム3枚について。

僕はまず『今度は、華麗な宴にどうぞ』は、間違いなく大名盤だと思っていて、ジュリーに興味を持った普通の人にはこのアルバムを最初に薦めます(すでにロックに浸かってしまってる男性だと、それが『BAD TUNING』になります)。


そして、ファンの間ですら一部に「クドい」という批判すらも聞かれる『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』については、個人的に凄まじく嵌ってしまい、敢えて多くの人には薦めませんが、自分の中ではとても大切な1枚、というスタンスです。
特に真冬に聴くこのアルバムの質感は最高で、「この感覚が分からない人は気の毒だ」といった高慢なことを考えてしまうほどです。

で、『思いきり気障な人生』。
実は、ジュリーのすべてのアルバムを個人的に評価する際、このアルバムは下から数えた方が早い・・・それは事実です。
原因は、自分なりにいつくか考察できます。

まず、1曲目のタイトルチューン「思いきり気障な人生」。
良い曲だとは思いますが、『今度は、華麗な宴にどうぞ』の完璧な世界を先に堪能してしまった僕としては、この時点で大野さんはまだ阿久さんの歌詞のすべてを咀嚼に至っていないような気がしてしまったのです。
本当に、それを感じるのはこの1曲だけなんですけど。

 

そして、これが最も大きい要因なのですが。

「既に知ってる、有名な曲が多過ぎる」

という贅沢きわまりない感想が、僕の『思いきり気障な人生』の評価に大きく影を落としてしまっているのですよ・・・。
しかしながらこの感想が、後追いの新規ファン独特の悪しきものだ、という自覚はしっかりと持っています。

タイムリーで聴いていたら、これほどまでにショッキングで心躍る決定的1枚に、震えるほどに身を焦がしたことでしょう。
そして、その中でも大好きになった1曲のアルバム収録曲が、アレンジも新たに追加でシングル・カットされ大ヒットする・・・そんな事態を迎えたことでしょう。
先輩方は、必ずその道を通ってこられたのではないか、と確信いたします。

ということで。
アルバムの1収録曲から、日本歌謡界を代表する、誰もが知っている大ヒットシングルへ。
これこそジュリーナンバーの中で、最大の成り上がり曲でしょう。
「サムライ」、伝授です!

 

アルバム『思いきり気障な人生』のリリースは、1977年11月ですから、その時点で、「さよならをいう気もない」「勝手にしやがれ」「憎みきれないろくでなし」の3曲は既にシングルとして世に出ていたことになります。
飛ぶ鳥を落とす勢いの、77年のジュリー。
タイムリーなファンは、残る7曲を楽しみにアルバムを購入したことでしょう。
そして、多くの先輩方がB面2曲目の「サムライ」に痺れただろうなぁ。

 

LPのB面1発目が「勝手にしやがれ」。その後を受けて、流麗なピアノのイントロから始まる渋いバラードが「サムライ」です。
そう、シングル化される前の「サムライ」は、美しくも迫力のある3連符バラード。つまり、泣きのナンバーだったのですね・・・。

 

♪ ありがとう、ジェニー お前はいい女だった ♪
          G        Em             G                 Em

 

この導入部ヴォーカルのセクシーなことよ!
阿久=大野時代の幕が開き、まさに今始まったばかりの、ジュリーの新たな「男」っぽい世界。
ありえない程に気障な歌詞を歌って違和感の無い、ジュリーの途方もなく大きな才能とスケール。このアルバムに至って、全人類がそれに気がついた。
中でも「サムライ」は、そんな条件を最初から充分に備えていたのです。

 

演奏・歌唱ともに徐々に力が入って行き、沸点を迎えるのが

 

♪ 片手にピストル 心に花束 唇に火の酒 ♪
     Em                  D            C

 

という、あまりにも有名なフレーズ部分。
そしてみなさまご承知の通り、シングル化にあたって「サムライ」がガラリと様相を一変させた最も大きなアイデアは、この強力なサビ部をいきなり冒頭に配置するという、今考えてみれば大ヒットへ向けての絶対的な手法でした。

 

アルバムヴァージョンでは、それまでピアノの物悲しげな演奏に合わせて淡々と進んできた気障なジュリーのヴォーカルが、一気に”3連符ロッカ・バラード”へと転換する衝撃のサビ部到達感が味わえます。
「頂点」とか「境地」に達するヴォーカルが大好きな僕にとっては、実はアルバムヴァージョンの「サムライ」の方が好みだったりするのですね。

 

あと、アルバムヴァージョンは演奏の自由度が高くて、各パートにちょっとした遊び心があったりします。
そんな中で僕が一番シビレるのは

♪ 男はいつでも 悲しいサムライ ♪
      C                 G  B7 Em

の部分で、「えっ?」というタイミングで「ドコドコドン!」と暴れるドラムスです。
歌で言うと2番ですよ。
3分36秒あたり。
この「突然オカズ」って、90年代のLIVEで、ポンタさんが3連符ナンバーでよくやる必殺技なんですよねぇ。
この「サムライ」レコーディング音源のドラマーがポンタさんってことはないのかなぁ・・・。キックの圧力とか、いかにもなんですけど。

と、アルバムヴァージョンばかりに肩入れしているようですが、楽曲としての完成度で言うならば、やはりシングルヴァージョンが上でしょうね。

 

アルバムヴァージョンとの比較、サビ部の冒頭配置以外の大きな相違点として挙げられるのは、テンポです。
シングルヴァージョンの「サムライ」はかなりテンポアップして演奏され、最早”バラード”とは言えなくなっていますね。
楽器編成はほぼ同じですが

♪ 寝顔にキスでも してあげたいけど ♪
   C                        B7     Em

 

から始まるBメロ部に、ビートルズ「アイ・ウォント・ユー」ばりのメチャクチャにハードな音色でエレキギターのアルペジオが絡みます。これが抜群に効いていて、シングルヴァージョンに慣れている方々は、アルバムヴァージョンの同じ箇所を聴いた際、「なんとなく音が薄いなぁ」と感じてしまうのではないでしょうか。
シングルヴァージョンでは、ホーンセクションやベース、ドラムスはカッチリと演奏されます。「譜面通り」といった演奏ですね。
ただ、1番と2番の間のピアノ・ソロの2回し目がお洒落に音数を多くしていたり、タンバリンの手数とミックス音量が強調されていたり・・・これらは楽曲の全体像をハキハキさせるためのアイデアでしょうか。

 

僕もねぇ、『思いきり気障な人生』をタイムリーで聴いていたなら、「サムライ」は相当特別な曲になっていたと思うんですよ。
まずアルバムで好きになって、シングルヴァージョンを聴いて更に「うぉ~!」っていう感じでね。
でも、僕が40歳を過ぎてからこのアルバムを聴いた時、すでに「サムライ」は”超”がつく有名な曲。
「あなたに今夜はワインをふりかけ」も合わせ、アルバム収録中半分の5曲までが、言うなれば「スタンダード・ナンバー状態」だったワケです。

後追いファンとしては、何と贅沢なことにその点が、アルバムの評価をいまひとつ上げ切れない要因になってしまったんですよね。
通して聴いてみて惹かれた楽曲と言えば、まったく初体験の「ナイフをとれよ」と「ママ・・・」。
いや、この2曲は今でも相当に好きなんですけどね。

 

しかしここまで語ってきたように、「歴史的大名盤」だということは、きちんと理解しておりますので・・・どうぞご容赦くださいますよう・・・。

 

そうそう。
僕が「サムライ」で一番好きな箇所は

 

♪ はんぱなワインより 酔わせてくれたよ ♪
            C        Cm             G         Em

 

と、優しく歌うジュリーのヴォーカルなんですけど。
C→D7→Gと行かずにC→Cm→Gと柔らかく進行するのは、今で言うところの「Qさま流」ってヤツですね。「いつかの”熱視線ギャル”」の記事で、このコード進行について書いたっけ・・・。

 

以上、「サムライ」についての複雑な思いを伴った個人的評価が象徴しているように、後追いファンの僕は、ジュリーがソロアーティストとして日本歌謡界のトップ中のトップへと駆け上がった最初のアルバム『思いきり気障な人生』を、正当に評価する機会を逸してしまっています。
ただ、それでもリリース当時の先輩方の
「どうだ見たか、これがジュリーだ!」
という会心の手応えを、時代を越えて僕などが容易に想像できるなんて、音楽としてスゴイことですよね。

 

そういえば、『ジュリー祭り』で「勝手にしやがれ」を聴いた時
「なんだかんだ言っても、やっぱり名曲!」
と、しみじみ思いました。
『思いきり気障な人生』って、そんなアルバムなんでしょうね。

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2010年7月 4日 (日)

沢田研二 「グッバイ・マリア」

from『今度は、華麗な宴にどうぞ』、1978

Konndohakareina

1. ダーリング
2. 酔いどれ関係
3. ハッピー・レディー
4. 女はワルだ
5. 探偵(哀しきチェイサー)
6. ヤマトより愛をこめて
7. お嬢さんお手上げだ
8. グッバイ・マリア
9. スピリット

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さて、最近じゅり風呂界で話題になっておりますのは、先日澤會さんより届きましたる音楽劇「探偵~哀しきチェイサー」のスケジュール・インフォメーション。
今回の音楽劇は、佐野→名古屋→神戸→福岡→札幌→仙台→新宿と、いつもより多めに廻って開催されるとのことで、特に東北、九州のファンのみなさまは大層喜んでいらっしゃるかとは思うのですが・・・。

 

多くのじゅり風呂さんが書いていらっしゃいますが。
来年春の予定を、今、決めなさいと・・・?

容赦無いですなぁ、ジュリー。ワーカ・ホリックってワケじゃないでしょうけど、本当によく働く人です。だから、ファンもついていくのが大変。
僕等凡人は、来年の春なんてまだまだ先のことで、身の周りのことすらどうなっているかも自信が持てないと言うのに。
ジュリーという人は一体どのくらい先まで見据えて生きているのでしょう・・・。
しかも、しっかりと。毅然と。粛々と。

 

しかしまぁファンとしては、ジュリーに案内されたからにはどれだけ先のことだろうが検討せざるを得ないわけで。
みなさま何とか予定を立てていらっしゃるようです。

 

実は、僕はまだジュリーの音楽劇を一度も観たことがありません。
ジュリーに対する興味が、楽曲や歌唱・演奏に偏っているのです。ジュリーファンの中で・・・しかもここまで暑苦しいブログなど執筆していながら、「ジュリーの容姿にまったく興味が無い」と断言できてしまうというのも、実際のところどうなんでしょ。
「実物を近くで見たい」という欲求が無いんですよ。「歌っているのを間近で感じたい」というのはあるんですけどね。

 

ただ、音楽劇について全くのスルーかと言うと、そうでもありません。先輩方は、「歌がスゴイんだから、行くべき!」と熱心に僕に勧めてくださいますし・・・。
確かに、歌がメインなら観てみたいとは思います。

 

実は、2009年の時の「探偵~哀しきチェイサー」、先輩方のレポートなどを拝見して、すごく引っかかっていることがあります。
僕の大好きなある曲を、かなり変わった形ではありながら、サワリをお披露目したというではありませんか・・・。
今回も、同じ光景が見られるのでしょうか。

 

2009年の音楽劇を観た方々なら、「あぁ、アレね」とお分かりになったかと思います。
本当に大好物の曲。今日は「さよならのマリーへ」ならぬ、「グッバイ・マリア」がお題です。
アルバム『今度は、華麗な宴にどうぞ』から、伝授!

 

「グッバイ・マリア」・・・僕にとっては「特別に好きなジュリーナンバー」のひとつ。
「探偵(哀しきチェイサー)」の記事でも触れましたが(曲の方ね)、アルバム『今度は、華麗な宴にどうぞ』は、3大バラードを要所に配し、痛快なポップチューンがその間隙を縫って次々に繰り出される、という構成が見事な大名盤です。
よく、ジュリーに興味を持った新規ファンが、有名ドコということで『思いきり気障な人生』を最初に購入した、という話を聞くことがありますけど、僕は『今度は、華麗な宴にどうぞ』の方が先でしたし、後追いとしてはそれで大正解だったと思っています。

 

カッコ良すぎるポップチューンは、シングル大ヒットの「ダーリング」を別枠とすれば、「酔いどれ関係」「ハッピー・レディー」「女はワルだ」「お嬢さんお手上げだ」、そして「グッバイ・マリア」の5曲という事になります。
いずれも、いかにもアルバム収録曲という素朴さも持ちながら、実は阿久=大野ナンバーの最新化系。
特にこのアルバムは大野さんが凄い。ヒットメイカーとしての完全覚醒がここにあります。
(本記事としては蛇足ですが、一方の阿久さんが凄いのは次作『LOVE~愛とは不幸をおそれないこと』です)。

 

覚え易く、ちょっと胸にキュンとくる。それでいて躍動感があり、踊れる。
ずっとジュリーを追いかけてきたタイムリーなファンのみなさまも、「ジュリーの片腕に大野克夫あり!」という気持ちを抱いたのではないでしょうか。本当に、この時期のジュリーにここまでピッタリの曲を提供できる人が、PYGを経て井上堯之バンドにいた、というのは運命としか言いようがありません。

 

「グッバイ・マリア」は、先に挙げたキャッチー系の5曲の中では比較的尺が長く、「もうすぐアルバムが終わるよ」という”トリ前”の役割をも果たしています。

 

♪ 少し栗色に染まった 長い髪の毛をなびかせて ♪
    C             Am          Em              Dm7      G7

 

長調の曲なのに、Aメロ導入からすでに何か哀愁を漂わせています。これが大野流。メロディーはあくまでも愁いがあり、ハキハキとしたキメのリズムを所々に挟み込んだり、テンポに変化を持たせたりして、躍動感を加味していきます。
例えば

 

♪ おいで もう一度戻って まだ夜のうちだから ♪
     C                G Em Am     Dm7 G7        C

 

というサビの直後にギターのキメフレーズがあったりとか

 

♪ あぁ、グッバイの  マリアだと 名のったひとよ ♪
  C     F         Fm Em       A7    F       G7  C

 

の部分などは、相当に美しいメロディーながら、前後よりもテンポの刻みが唐突に速くなり、「ちょっと待てよ」とばかりに、去ろうとする女性を強引に引き止める瞬間をも想像させてくれます。続く

 

♪ 別れだけじゃない~ ♪
    Am                 Em

 

では、今度は目一杯テンポを落として、じっくりと女性の説得に当たっていますしね。

 

こういったことから考え、僕は70年代後半の大野さんの作曲手法は、まず詞ありき、だったのではないかと考えています。
阿久さんがジュリーに対して投げかけた世界と、ジュリー自身の突出した個性との橋渡し役。大野さんにしか出来ないことは、たくさんあったでしょうね。

 

後に、『架空のオペラ』制作時のジュリーの発言にあったように、やはり大野さんの作るメロディーとジュリーのヴォーカルは相性が良いのでしょう。
力を入れて歌う箇所、スッと引くようにして歌う箇所、シャウト、慟哭、そして吐息。
何のサジェスチョンが無くとも、ジュリーは大野さんのメロディーに合わせて自在に表現を変えているように感じられます。阿久さんの詞が素晴らしいというただそれだけでは、こうは行かなかったはずです。

 

さて、「グッバイ・マリア」はそんな完璧過ぎるポップチューンゆえに、”なんかちょっとあの曲に似てる”と感じる箇所も多いのです。
これは、優れたポップソングの宿命のようなものですけどね。オマージュですとか、そういうことではありません。ポップに纏めようとした結果、前例や後例が多くなってしまうのです。

 

僕が「グッバイ・マリア」を最初に聴いた瞬間に、「おっ!」と思った2つの箇所を挙げてみましょう。
まずはイントロのギターリフ。
これは『今度は、華麗な宴にどうぞ』リリースから数年後にデビューしたアイドル歌手・岩井小百合さんの代表曲「恋・あなたしだい」を想起させます。
アイドルソングと侮ってはいけません。「恋・あなたしだい」は大変優れたポップン・ロールの名曲。横浜銀蝿さんの全面バックアップの為せるところです。
ちなみに僕は”ベストテン世代”ですが、その中でも俗に言う”なめ猫世代”に当たります。

 

そして、Aメロ途中の

 

♪ しらみかけた街の中を  駆けていくあのひと ♪
         C       Em7 Am  Am(onG)      F        G7

 

ココ!これは何と

 

♪ 黙り通した年月を 拾い集めて暖め合おう ♪

 

と歌われる「襟裳岬」のブリッジ部とそっくりなメロディー。
偶然とは言えオイシイ箇所でかぶったなぁ、と最初に聴いた時は驚いたものです。

 

2009年の音楽劇「探偵~哀しきチェイサー」への準備ということだったのでしょうか、ジュリーは2007年の『生きてたらシアワセ』ツアーで試し斬りとばかりに同曲をセットリストに組み込みました。そして同時に、同じ『今度は、華麗な宴にどうぞ』収録曲ということで、「お嬢さんお手上げだ」をも採り上げて歌ってくれたんですよね(僕は観てないけど・・・)。

 

だとすれば、来年の音楽劇へ向けて今年のツアー『秋の大運動会~涙色の空』でも、「探偵(哀しきチェイサー)」の試し斬りがあるかもしれません。そして、せっかくだから『今度は、華麗な宴にどうぞ』からもう1曲、ってジュリーが考えてくれたら・・・。
「グッバイ・マリア」は最有力かと考えます。
軽やかに、気持ち良さそうに歌うジュリーの姿が、目に浮かぶようではありませんか~。

 

最後に、僭越ながら御報告。
僕、板橋に先んじて、来週の長野公演に参加してきます。幸運にも行けることになりました。
2階席で、ちょっとオールスタンディングは無理かと思いますが、普段見知らぬ土地で体感するジュリーLIVEは、都心とは違った良さがきっとあるでしょう。とても楽しみです。

長野公演のチケット販売状況はどうやら苦戦しているらしく、現地のジュリーファンの先輩方は、「空席が目立ったりしたらどうしよう」とご心配の様子。最終的に満員になってくれると良いのですが・・・。
僕にどこまでできるか分かりませんが、ジュリーwithザ・ワイルドワンズ+鉄人バンドが少しでも気持ち良く演奏できるよう、微力ながら盛り上げていきたいと思っています~。

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2010年7月 1日 (木)

沢田研二 「遠い夏」

from『俺たち最高』、2006

Oretatisaikou

1. 涙のhappy new year
2. 俺たち最高
3. Caress
4. 勇気凛々
5. 桜舞う
6. weeping swallow
7. 遠い夏
8. now here man
9. Aurora
10. 未来地図

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つい先日、ワールドカップのパラグアイ戦がもうじき始まろうかという6月29日夜。
午後7時から9時くらいにかけてのことですが。
大阪でジュリワンが大盛り上がりを見せていたであろう同刻、僕の住む埼玉県南部地方を、メチャクチャ激しい雷雨が襲いました。

稲光が走った瞬間、暗闇に包まれている景色が一瞬だけ白昼のように明るくなり、間髪入れず
「どんがらがっしゃ~ん!」
と凄まじい轟音が続きます。
近くに住んでいる職場の同僚に昨日聞いた話だと、信号機に落雷して大変だったみたい。

でね。
実は僕はカミナリ大好き青年
(←コラコラ)なのでございます。
夏のカミナリ全開の夕立が特に好き。

蒸し暑い部屋の窓を開け放ち、降りしきる豪雨、轟く雷鳴を見つめているだけで身が洗われるようで、とても涼しく心地よい・・・それは、季節感などの趣に乏しい感性の僕が唯一「夏」をいとおかしく感じる瞬間であり、最も好きな風景なのです。

当然、その日も嬉々として窓を開け、ボ~ッと外を見つめていたのですが。

「ピカッ!」
「ギャ~!!」
「がらがらがっしゃん!」
「うぎゃ~!」

・・・と、なんか、情緒を破壊する擬音がすぐ近くで聞こえる・・・。

何のことはない。
カミさんはカミナリが大嫌いらしく、一刻も早く窓を閉めて欲しがっていた、という話でございました。
てか、そのビビリ具合に逆にビビるんですけど。

仕方ない。
カミナリ堪能をあきらめ、夕立の匂いのする「夏」の情緒を求めて僕が聴いたジュリー・ナンバーは・・・。

アルバム『俺たち最高』から。
「遠い夏」、伝授!

作詞・作曲ともにジュリー。
変な曲です。
僕は「変な曲フェチ」ですからこの手のナンバーは大歓迎なのですが、みなさまの間ではどんな評価なのでしょう、「遠い夏」って。

まず、これは一体何長調なんだ、というね。
ジュリーのことですから、ギターコードをつまびきながらの作曲作業だったのでしょう。
以前拙ブログコメント欄にて、井上堯之さんが「ジュリーは普通では考えられないようなコード進行の曲を作る」と発言していたことを教えて頂きましたが、それを言うなら「遠い夏」という曲は圧倒的です。

譜面なんて、ジュリーの頭には無い。
こういう場合はギターコードから楽曲を分析していくしかありません。

♪ 青空 白い雲 風そよぐ 木陰 ♪
    F        G         A            B

何と、1音ずつ和音がガッタンガッタンと上昇していくという、シンプル故に斬新過ぎるAメロ。
音階だと、「ファ・ラ・ド」→「ソ・シ・レ」→「ラ・ド#・ミ」→「シ・レ#・ファ#」ということになりますね。恐ろしいことに、この段階では誰にも調は特定できません。
曲の正体は、続くBメロで明らかになります。

♪ 遠い夏に還って行く 夕立から逃れていた ♪
    G        F            G            F             G

というワケで、まぁ強引に「遠い夏」を譜面表記するなら、一応シャープ1個のト長調で纏めたいところ。ただ、追加のシャープ、ナチュラルなどの記号はメチャクチャ多くなります。
そして息つく間もなく

♪ 白いもやに囲まれてく  囲  まれてく ♪
    A♭    B♭ E♭       G7 A♭B♭   C


音階だと「ラ♭・ド・ミ♭」→「シ♭・レ・ファ」→「ミ♭・ソ・シ♭」→「ソ・シ・レ・ファ」がG7まで。
「ラ♭・ド・ミ♭」→「シ♭・レ・ファ」→「ド・ミ・ソ」がCまで。この部分も1音ずつの上昇進行になっています。

このように、臨時フラット記号だらけになってしまうサビ部だけは、変ホ長調に転調させて譜面表記した方が無難かもしれません。
それにしてもこのサビ最後のCコードが、そのままAメロ冒頭のFコードのドミナントになってるのがニクいなぁ、ジュリー。
これでますますAメロがワケわからなくなるのです。

とらえどころのないメロディーの曲って、一度聞いただけでは覚えられませんよね。
ですから何度も聞く→クセになる→大好きになる・・・どうやら僕はそんなパターンで「遠い夏」に嵌ったようです。

無論、そんな変てこな曲に載せたジュリーの作詞にも惹かれています。
涼しい夏を感じることのできる素晴らしい詞です。ただこれは「田舎」を知っている人限定の良さかもしれませんね。
最近のジュリーの詞作は、カッコをつけずに自分のフレーズで勝負する、という点が大いに後追いの僕を惹きつけるのですが、「遠い夏」で言うと

♪ 大きな 月が出て 蛾が群れる 街灯 ♪

の「蛾」というフレーズ選択に「おおっ!」と思うのですよ。
「美しい詞を書こう」という姿勢なら普通避けるような言葉です。しかし、ジュリーは純粋に自分の幼少の夏の記憶を辿ったのでしょう。
ポツンと立った街灯。その頼りない光に群れる蛾を描いたこの部分で、僕はハッキリと夏の夜を駆ける沢田研二少年の姿が瞼に浮かびます。
作り手の情景が浮かぶ詞は、やっぱり素晴らしいのです。

アルバム『俺たち最高』は、初のベースレス作品ということで、発売当初は賛否あったでしょうね。
それはおそらく制作サイドの中でもあったと思います。
経緯はどうあれ、ジュリーの「LIVEで再現可能な音作り」というスタンスを男気で受け入れた白井さんのアレンジは、入魂です。
「遠い夏」では、ピアノの左手を強調したアレンジで、低音をカバーしていますね。左サイドに振られたアコースティック・ギターの熱演ストロークも見逃せません。

昨日澤會さんから届いた、最新のジュリー・インフォメーション。
音楽劇「探偵~哀しきチェイサー」のスケジュール、その裏面にCD販売の案内も掲載されておりまして、『俺たち最高』はまだ在庫があるようです。

『生きてたらシアワセ』はジュリー祭り直後の品切れで、今ではずいぶん中古値が上がっちゃいましたけど・・・。
『俺たち最高』は、そうなる前に買っておきましょうね。

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