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2010年4月16日 (金)

沢田研二 「いくつかの場面」

from『いくつかの場面』、1975

Ikutuka

1. 時の過ぎゆくままに
2. 外は吹雪
3. 燃えつきた二人
4. 人待ち顔
5. 遥かなるラグタイム
6. U・F・O
7. めぐり逢う日のために
8. 黄昏の中で
9. あの娘に御用心
10. 流転
11. いくつかの場面

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今日は突然、どうしてもこの曲について書きたくなりました。
ジュリー歴の浅い僕が語るにはちょっと時期尚早かな、とも考えていたナンバーなのですが・・・少しだけ語らせてくださいませ。
アルバム『いくつかの場面』大トリのタイトルチューン、僭越ながら伝授!

みなさま、今朝のサンケイスポーツはチェックなさいましたか?
河島英五さんの豪華企画CDリリースについての記事が掲載されています。
その中に見慣れた素敵なお顔の写真が。
(てか、僕は一体、新聞などで”ジュリー”という文字にビクンと反応してしまう身体に、いつからなったのだろう・・・?)

News

で、このCDは「セルフ&カバー」という斬新な企画盤で、全16曲を河島さんのオリジナル音源と他アーティストによるカヴァー音源を、交互に並べて収録されているそうです。つまり収録曲数自体は倍、2枚組の作品となっています。
当然、「いくつかの場面」も河島さんとジュリーのヴァージョンが続けて収録されているわけです。
3曲目に河島さんの「いくつかの場面」、4曲目にジュリーの「いくつかの場面」という配置になっているようですね。

ところで僕はこれまで、河島さんの作品を購入した事がありません。
亡くなった母が大ファンだった河島さんのCDを、この機に買ってみようかな、と思っているところです・・・。

実は桜舞うこの季節、母の命日が近づいています。
母が、還暦まであと数ヶ月という状況で亡くなってからずいぶん経ちますが、7回忌以降は何をするでもなく漠然と命日をやり過ごしていました。

ところが昨年は違いました。
昨年のこの時期、僕は公私共に怒涛・激動の波に自ら飛び込んでいき、その渦中にあったのです。
「公」では、仕事で責任の重い立場に就いたり。
「私」では、まぁジュリーですわな~。
その余波で、意を決し腹をくくって部屋の徹底的な大掃除にとりかかることになったり(←ソレかい)。

自分の現況を母に報告したい気持ちになり、命日を少し過ぎてから、「桜舞う」の記事を書きました。

そんな気持ちになったのも、昨年が特別だったからだろうな、と思っていたのですが、今年もまたちょうどこの時期に河島さんのCDリリース記事を目にして、母の命日を思いながら過ごすことになったのです。
特に最近は、母よりは全然若いけれど、僕からすればずっと目上のお姉さま方と懇意にさせて頂いていたりしますし・・・。僕の日常生活感覚も、変わってきているのかもしれません。
これらのこと、ほとんどすべてジュリーの導きというのが、本当にスゴイ話だよなぁ。

さて、「いくつかの場面」。
ジュリーは当時、あの有名な”泣きテイク”のリリースに難色を示していたそうですね。
自身の歌に厳しくストイックな、ジュリーらしい逸話と言えます。
最終的には大野さんに押し切られたとか。
アルバムのタイトルチューンにまでなってしまいましたが、ジュリーの胸中に、このレコーディング・テイクの何が引っかかっていたのでしょうか。

ファン歴の浅い僕のことですからまた勘違いがあるかもしれないのですが、今は何となくその答がわかるような気がしています。

僕が生のLIVEで「いくつかの場面」を聴いたのは合計8回。
まず東京ドームでの「ジュリー祭り」。その後、「プレジャー×プレジャー」ツアーでは7回聴きました。

ジュリー祭りの時は、僕はまだまだ何も解っていませんでした。
遂に実現した2大ドーム興行で、ジュリーが「いくつかの場面」を熱唱することの意味。集まったファンの先輩方と、ジュリーの涙。
今日「FRIENDSHIP」の記事にコメントを下さった由菜様の、7年前のお話。それとまったく同じことが、あの日の東京ドームで起こっていました。
周囲で号泣するお姉さま方を、「うわ、泣いちゃった・・・」と3度見するYOKO君とDYNAMITE。
かすかにもらい泣きしましたよ、確かに。
でも、ジュリーや先輩のお姉さま方の涙の意味は、よく解っていなかったのです。
そんな状態でよくあれだけ大々的にレビューなど書いたものだ、と我ながら呆れたりします・・・。

そして、一応猛勉強の末に臨んだのが、プレプレツアー。
ここでもセットリストに選ばれた「いくつかの場面」については、9・24渋谷ファイナルが一番素晴らしかったと思っています(6・6渋谷2日目も別の意味で衝撃でしたが)。
そして、「あぁ、ジュリーはこの曲をこういうふうに歌いたかったんだなぁ」という解釈が、自分の中に生まれたのです。

9・24渋谷ファイナルで「いくつかの場面」を歌うジュリーを観て、僕は”慟哭”よりも”優しさ”が強調されているように感じました。
”嗚咽”と言える表現は変わらずありましたけど。それも含めて、ジュリーはこの曲を「優しく歌う」ことで完成させたのではないか、と。

僕が気がつかなかっただけで、ジュリーはずっと以前のLIVEからそうしていたのかもしれませね。
みなさまは、どうお感じでしょうか。

そうは書きながらも、レコーディングヴァージョンの”慟哭”を強調したヴォーカルも大変素晴らしいもので、アルバムの大トリにふさわしい仕上がりです。
例え当時のジュリーに心残りがあったにせよ、今回の河島さんの「セルフ&カバー」リリースで多くの人がジュリーの「いくつかの場面」を知ることは、とても嬉しい。
この機に河島さんのヴァージョンと聴き比べるのも、楽しいでしょう。

さぁ今日は、たまたま目にした新聞記事がきっかけで突発的に「いくつかの場面」を採り上げ、母のことなど触れてしまいましたが、今の僕も決して”慟哭”とか、悲しい思いでこの記事を書いてはいませんよ。
優しくあらねば、と思います。

今回は、最近にしては文章が比較的短くて、みなさまの目にもいくぶん優しかった・・・でしょうか。
ココは今や、大長文が売りになってしまいましたからね~。
いつもおつきあい、ありがとうございます。

今後の予定は。
リクエストとお宝を1件ずつ記事に書いた後、「僕達ほとんどいいんじゃあない」ツアーに向けまして、恒例の”全然当たらないセットリスト予想”シリーズに突入いたします~。

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瀬戸口雅資のジュリー一撃伝授!」カテゴリの記事

コメント

DYさん、お邪魔します。情報をありがとうございます。
私、河島さんの企画版のことは、DYさんの記事を読んで、今初めて知りました。で、思ったのが『よくジュリーがOKしたな』と。河島さんの企画版だからOKしたんでしょうね。
「いくつかの場面」のライブでのボーカルが表現する“優しさ”は、これからどんどん深く包容力に満ちたものになっていくと思います。

投稿: 74年生まれ | 2010年4月17日 (土) 00時16分

DY様
私も今朝のモーニングショーを何気に見て通勤途中に反射的に買ってしまいました。
この曲を歌う時「できるならもう一度僕のまわりに集まってきて」のところで涙声になるジュリー。どんな形であれ去っていくものを止めることはできない、だからこそ今ここにあるものを大切にしたい、という気持ちが伝わってきます。
そして、思いがあれば「大きな時間」の中で再び巡り合えるかもしれない、という切ない願いも。
「当たらないセットリスト予想」楽しみにしております。(笑)

投稿: nekomodoki | 2010年4月17日 (土) 01時07分

DYさま、こんにちは。

私の住む地方都市の地下通路で、
ギターひとつ抱えて歩く河島さんとすれ違ったこと、
あります。
男の哀愁みたいなものが漂っていて、
ほんとにかっこよかったですよ。

私の母は、もうすぐ誕生日を迎えます。
でも、母は年をとりません、もう12年前から・・・。
DYさまの記事を拝見して、私も母を想いました。

9・24渋谷ファイナルでの「いくつかの場面」、
私は、ジュリーが慈愛に満ちたお釈迦さまのように見えちゃって、
その優しさに包まれ、
すべての痛みが消えていくような気がしました。
あのまなざしは一生忘れないと思います。
私も、DYさまと同じように感じていたのだと思います。

投稿: azur | 2010年4月17日 (土) 10時17分

沢田さんの”いくつかの場面”いいですよね。歌いやすいし、感情ものせやすいし、
とてもすきです。

投稿: ひろみ | 2010年4月17日 (土) 11時08分

河島英五さんの記事紹介ありがとうございます。
昨日は英五さんの命日だったんですね。

ジュリー祭り 京セラドームを
英五さんのお嬢さん アナムさん(アナム&マキ活動休止中)
お母さんと見た感想が当時アナムさんのブログにありました。
(朝日新聞には息子さんとありましたが?)

『お父さんのイメージそのままだった。』と。

♪いくつかの場面は
当時PYGのことを重ねて聴くことよりも
英五さんがホモ・サピエンス時代
きっと初期だったと思いますが
大阪フェスの前座で出た時帰れコールを受けたこと、
それが元になっているのかもと思っていました。

'07 ワイルドボアの平和コンサートのアンコールでこの曲を大阪フェスで聴いた時は
英五さんの七回忌の年でもあり、今のジュリーが歌うことで
30数年前この会場で繰り広げられた場面を想像してでした。 

投稿: くれーぷ | 2010年4月17日 (土) 11時48分

このアルバムで、沢田さんはサリーに仲間としての別れを告げたのですね。
時の過ぎゆくままに、といくつかの場面では同じ井上堯之バンドでもメンバーチェンジがあります。
どちらにしても、沢田さんのバンドとして、井上堯之バンドが一番だといまだに僕は思っています。
さて、沢田さんがプロデビューしてこのアルバムが発表されるまでの間の、いろいろな不条理を僕も同人化して想って聴いていました。
感情を入れすぎて、かえってどうしてこんなに…と思っていましたが、大野さんの指示ならそれもありかなとは思い直してしまいます。
河島英五さんのバージョンも聞いた事もありますが、それぞれ素晴らしく感じます。沢田さんが歌う酒と泪と男と女も、どこかのライブで聞いたような記憶があります。記憶違いかなぁ…。
どちらがオリジナルでどちらがカバーあるいはセルフカバーか、時系列に判然としません。
このアルバム発表後
30数年経過したわけですが、その間の沢田さんの出来事や思いは僕には想像出来ません。
デビューしてからの数年の出来事が、少年時代の僕には本当に不条理そのものに思えたからです。
あっさりとした表現の方が、かえって聴衆に響くと僕は思っています。
そういえば、この頃、沢田さんと森さん、布施さんと五木さんの4人でマイウェイを歌うテレビ番組がありました。
僕にとってはとても聞き心地の悪いナンバーでした。4人そろってそれぞれ感情移入し過ぎのナンバーに聴こえてしまったからです。

投稿: 船越誠 | 2010年4月17日 (土) 12時20分

>船越さん
読み聞かせや朗読もあまり感情を入れない方がいいと言いますものね。

4人のマイウェイ
夜のヒットスタジオ、4人は当時四天王と言われタキシード着て歌ってましたね。
後日ジュリーが『楽譜通りに歌ったのは自分だけだった。』と言った位ですから、4人揃える意識が少なかったかもしれませんね。

投稿: くれーぷ | 2010年4月17日 (土) 14時30分

DYさま

こんばんは~。
ひとつだけ、話してもいい・・・。

この、いくつかの場面は、レコード吹き込みの為に、慟哭したのではなくて、吹きこみの為に何度か歌っているうちに、こみあげて来たというのが正解かと思うの。

何故かというと、これを吹き込んで、即、ジュリーは欧州の仕事に旅立たなければいけなかったのね。

帰国したら、大野さんが慟哭のほうをチョイスしてくれて仕事を進めてくれてあったというのが、記憶なの。

それと、詞に関しては、レコーディング直後の談として、ジュリーは素直に「ああいうかたが、僕をこういうふうにみていてくれたのがうれしい。」って語られていましたよ。

ここからは推察ですが、レコ―デイングの頃は、まだまだ若いし♪出来るなら僕のまわりに~の感情よりも♪ヤジと罵声の・・そちらの言葉が強く迫ったのかもしれないね。

プレプレ最終の「いくつかの・・」は、♪出来る~なら僕のまわりに・・って・・・ほんとうに穏やかな秀逸な歌い方だったね。


投稿: fuji | 2010年4月17日 (土) 23時39分

みなさま~。

今回も早速のコメント、どうもありがとうございます~。

74年生まれ様

おぉ、74年生まれ様でも見逃していらっしゃる情報がありましたか。
お知らせできて良かったです。

「いくつかの場面」は今後のLIVEでも何度か聴く機会があると思っています。
僕がその都度どういうふうにジュリーの歌唱に突き動かされるのか…楽しみです。

nekomodoki様

さすがの行動力ですね~。

「新聞に”ジュリー”という文字があるだけで気になってドキドキする」という感覚、少しずつですが僕にも備わってきているようです。

”全然当たらないセットリスト予想”シリーズの前に、nekomodoki様のリクエストにお応えいたします。
楽曲考察を確認するべく、今「"B"サイドガール」のコードを起こしているところです!

azur様

ジュリーの歌には、痛みを和らげる力が確かにあると思います。
歓びを倍加する力もあります。
ファンの思いこみかもしれないとは言え、そんなジュリーLIVEに足を運べる幸せを、もっともっとこの先感じていきたいと思います。

僕はジュリーファンになる前に母を亡くしまして、それが心残りですね~。
結構音楽に造詣の深い人でしたし、年代的にもTGをタイムリーで知っている世代ですから、色々な話が聞けたかもしれなかったのに…。
そこは残念ですが…まぁ、きっとジュリー祭り以降の僕の変わりようを見て笑ってくれている、とは思ってます~。

ひろみ様

良いですね~。

プレプレツアーではセットリストの核でした。
また近い将来、LIVEで聴けそうな気がしていますよ~。

くれーぷ様

あぁ、そうでした。
「ワイルドボア」でこの曲を歌っていますね。
そんな時期的な意味があったのですね…。

「ワイルドボア」は「ジュリー祭り」へと繋がる重要なコンサートだったのだなぁ、と僕は後追いで思ったわけですが、タイムリーで体験していらっしゃる先輩方は、「還暦でジュリーがやろうとしていること」に胸を躍らせたでしょうね。

それにしても。
僕も大阪フェスでのジュリーを一度聴いてみたかった…。
あの会場は特別だった、と多くの先輩方が仰っていますから…。

船越様

押し付けがましい感情的なヴォーカルは、僕も苦手です。
やはりある程度突き放した視点というものが、かえってエモーショナルに感じることが多いです。

ジュリーはデリカシーのあるヴォーカルですから、その点安心なのですが。

「時の過ぎゆくままに」と「いくつかの場面」は演奏陣が異なるのですか…。
まったく気がついていませんでした。
僕はまだまだ聞き込みが足りませんね…。

くれーぷ様

…ということは…。
それぞれが1曲通して4人の違いを堪能する企画ではなく、同時だったということですか。

それは確かに…厳しい。
あの曲をためる歌い方が僕は好きではなく、ポップスとして歌ってほしいと思っていますから。
きっとその状態だと、ためてためて歌うヴァージョンだったのでしょうね…。

船越様やくれーぷ様の感じたことが解るような気がいたします。

fuji様

ありがとうございます。
なるほど、何度か歌っているうちに込み上げてきた…確かにそうでしょう!

普通歌録りはワンテイクでOK、という事はありえません。
何度も何度も歌って、「さぁ、どれにするか」という選択作業をするのが普通です。

すると…最終的に候補にあった中で、ジュリーは「慟哭」ヴァージョンに難色を示していたのが、大野さんの判断によりそのテイクが採用された…という事でしょうか。
つまり、別ヴァージョンが何処かに存在しているのですね。

プレプレファイナル…本当に行けて良かったです。
「いくつかの場面」は歌声も優しかったですし、表情も…。
穏やかな、説得力。
素晴らしかったです。

投稿: DYNAMITE | 2010年4月17日 (土) 23時48分

DYさま

エッ!そうだったの!?
ヒントって?どういう?と思っていましたら私の名前が!!!…キャッ!びっくりしたぁ!
うれし恥ずかしオロオロしちゃいました^^

「いくつかの場面」
優しく…抱きしめてほしい♪
ジュリーはどんなことを思って歌い心震わせているのでしょう?
奥深いですネ
それぞれに「いくつかの場面」があって 僕の周りに集まってきて♪のトコで中抜けしてごめんネって苦しくなります

「君が嫁ぐ朝」
最後の強がりな歌詞で涙声になっちゃうとこ ハンパなくリアル
あの花嫁を出すお父さんはジュリそのものに思えちゃう。誰かのお父さんになっているのでしょうか?
場面から景色になっちゃいました^^;

ジュリーって深い愛だなぁって思う今日この頃です♪

投稿: 由菜 | 2010年4月19日 (月) 12時50分

由菜様

本当に、由菜様のコメントで記事のヒントを頂いたのですよ~。

僕はすっかり忘れていたのです。
ドームで「いくつかの場面」が歌われた時に
「熱心なファンの人は、本当に泣くんだなぁ…」
などとしょうもない事をかんがえてしまっていた自分を…。
今は率先して泣いているというのに(おいおい)。

ただ、あの時のジュリーの涙は決して湿っぽいものではなく、
「明日も普通に生きていくよ、これからも普通に歌っていくよ」
という、穏やかな涙であったと、今でもそう思っています。
僕はジュリー祭りで、”人間・ジュリー”に堕ちたのですね…。

投稿: DYNAMITE | 2010年4月19日 (月) 23時05分

とうとうと言うかやっぱりこの歌とアルバムに来てしまいました

75年のこの年はジュリーが結婚しサリーがベーシストとしてピリオドをうちジュリーから離れてしまい色んな意味でジュリーが1人で旅立ち歩きはじめ、初の本格的ドラマに主演したりヨーロッパデビューに向けての年でした

当時、私は某局に関わっていて布施明さんの番組担当だったディレクターに呼び止められ「今度のジュリーの歌いいね。今までとは歌い方を変えたと思わない?」と云われたのが「時の過ぎゆくままに」でした(みんな私が生粋のジュリーファンと思っていたので)

同時にジュリーがアイドルから脱皮し更に輝きはじめた年でもありました。そんな背景があって歌われたのが「いくつかの場面」でした

私、最初はこの歌サリーかジュリー本人の作詞なのかと思ってました。全く他人から提供されたとわかった時は余程ジュリーを理解してる方なのかとそのタイムリーさに驚いたものです

当時はライブでこの歌を唄う時は結構、涙声だった様に記憶してます。そしてジュリー得意のパントマイムの様に大きく両手を広げ眼を細めながら嬉しそうに手を差し伸べ人々を抱きしめる仕草…

私はいつもピーやトッポをはじめタイガースのメンバーを思ってるのかなァと勝手に想像してたものです

日比谷の野音で比叡山で渋公で皆と肩を組みあいながら唄った事も…
なのにこの5年後にはそんな井上バンドとも離れるのですね。想い出深い忘れられない歌のひとつです(^^♪

投稿: hiko | 2012年12月26日 (水) 23時36分

hiko様

ありがとうございます!

凄いなぁ…そんなお仕事をされていたのですね~。

ジュリーがこの曲を歌う時にタイガースのメンバーを…このお話は昨年お正月のジュリーのソロコンサートの時に何人かの先輩が仰っていました。セトリ1曲目がこの曲だったんです。客席にはピー達もいて…今思えばその年の秋からの老虎ツアーと繋がりますものね。

そうそう、来たる1月3日、Eテレ午後11時から放映の『亀田音楽専門学校』、ゲストに平井堅さんを迎える「胸キュンコード学」というコーナーで、題材曲として「時の過ぎゆくままに」がエントリーされているようです~。

投稿: DYNAMITE | 2012年12月27日 (木) 12時45分

♪DY様

そうなんですゥ~。去年の正月ジュリコンにまさかピーが!しかも客席にw(゚o゚)wな~んて思うはずないじゃないですか。10数年前の渋公正月に全部行ってた頃なら私も遭遇出来たのに…(;д;)

解禁後ならともかく既に決定してるとは言え、正式なツアー前に公の場に現われるなんて考えもしませんでしたもの。その衝撃出来事をジュリ友さん達から聞いた時は正直そんなの反則だァ。ひど~い。私も逢いたかったよ。゜゜(´□`。)°゜。でした

でもピーが帰って来てジュリーはホントに嬉しいんだなァと感じました。少なくともTG時代からのファンや私のようにジュリーを応援してきたピーやメンバーのファンからすれば確実に客席の方が気になるじゃないですか。
ライブの感覚をつかんでほしいもあったのかしら?ピーが行きたかったのかジュリーが呼んだのかどっちかはわからないけど正月の初日にとはビックリしました(サリー&タローはいつもなのですけどね)

ソデとかモニター室とかでなくて客席ですものね。言葉は悪いけど自分より注目される可能性、大でしょう。だからホントに喜んでるのねェと思いツアーが始まってジャスティンだけでなくハシャギ回るジュリーはピー大好きオーラがいっぱいでしたもの
確かに昔から2人は仲よかったものね。と思い出したもんです

とスミマセン。話がTG&ピーになっちゃった
そうなんですか。ピーの前でこの歌を唄ったんですか。サリー&タローも含めお互い、どんな気持ちが行き交ったのでしょうね
井上バンドと離れてからは結構、長い間この歌だけでなく封印して唄わなくなっていた曲が多かったですよ(当然というか無理ないのですが)

30年前、最後の日劇公演をきっかけに同窓会の活動が始まりジュリーはここぞとばかりに馴れ親しんだ音とコーラスやハーモニーに浸ってましたね。ホント気持ち良さそうに唄ってました。早ければ来年の今頃は、今度はピーのドラムとトッポのリードギター&歌声を聴けるんですね。と、また話が…(人><。)

75年はジュリーの謹慎もありましたね。色々あったけど、ふり返るにはまだ早い(青春ではないけれど)今だと中井さんや多くのGS仲間を思うと、かなりグッと来ます。引退してるので井上さんのギターは叶わないけど、せめて速水君のギターと大野さんのキーボードで…と願うのは贅沢でしょうか(^^♪

投稿: hiko | 2012年12月28日 (金) 16時55分

hiko様

そうなんですよねぇ~。
ピーファンの先輩方はあの頃一様に、「信じられない!」と仰っていましたね。
普通に人前に出てくる、というまずそこからして奇跡だ、と。

ピーはとても自然体だったらしく、お客さんからの拍手にも最初は「えっ僕?」という感じで、自分に向けてのものだと分かると丁寧にお辞儀。
ジュリーの曲に合わせてリズムをとっていた、とのことですからもうこの時点でドラム慣れはしていたのでしょう。

思えばその後オフィシャルサイトが立ち上がって…それがまだ昨年のことですか!
ピーファンのみなさまにとって、相当濃密な2年間だったことと思います。そしてそれは来年も続くのですね…。

投稿: DYNAMITE | 2012年12月29日 (土) 19時44分

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