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2009年12月

2009年12月29日 (火)

沢田研二 「憎みきれないろくでなし」

from『思いきり気障な人生』、1977

Omoikirikiza

1. 思いきり気障な人生
2. あなたに今夜はワインをふりかけ
3. 再会
4. さよならをいう気もない
5. ラム酒入りのオレンジ
6. 勝手にしやがれ
7. サムライ
8. ナイフをとれよ
9. 憎みきれないろくでなし
10. ママ……

--------------------

 

リクエストを下さりお待ちのみなさま・・・年内にお応えできず申し訳ありません。
しっかりした記事考案が固まるまで、今しばらくお時間を頂くことになりそうです。

・書きたいことが決まっていなかったり
(「灰とダイヤモンド」・・・ヴァイオリンパートを耳コピ、という凄まじいレビューをお書きになったあいら様に比肩しうるネタがまだ見つからない泣)

・書きたいことが検証されていなかったり
(「ジュリアン」・・・コード進行がキング・クリムゾンの「エピタフ」のオマージュだと思うんだけど、採譜に苦闘中汗)


・書きたいことが二転三転していたり
(「ロンリー・ウルフ」・・・歌詞が、主人公の男(=ロンリー・ウルフ)の在り方を肯定しているのか否定しているのか決められない涙)

など、他の曲についても諸々ありまして。
あり得ないくらいの大長文で1曲のみを語る、というのが売りですから(と、思う)、いい加減には書けないのですよ・・・。
いつか必ず。

 

え~と、今日は先日のブロマイドの話から思いついたネタなんですけど。

 

女性ファンと男性ファンでは、
「圧倒的に虜にされるジュリーの映像」
というのが、微妙にズレているような気がします。
僕にセンスが無いだけなのかもしれませんが・・・。

不肖DYNAMITE、有名な「タタミザムライ」の美しさがいまひとつ解らず、悔しい思いをしております次第。

で、僕が一番好きな映像というのが。
PVなら、「ポラロイドGirl」。
そしてTV映像だと、この↓「憎みきれないろくでなし」!

 

Rokudenasi1

 


浅学にて、出演番組がよくわからないんですけどね。

この映像のジュリー、なんというか、「男」全開なワケですよ。
ジュリーって、男の極みのような男だと僕は思っています。容姿が女性的な映像は、苦手・・・とか言ったらやはり石を投げられますか・・・。

 

おまえにチェック・イン」の記事にも似たような事を書きましたが、ジュリーのスゴさは、ノッてくるとその男力で周囲を巻き込み、普段は渋くキメているバンドメンバーのアクションが大変な状態になる、という絵でこそ計れるのではないでしょうか。
上映像での井上尭之さんも、相当キテます。

 

さて、今日はその「憎みきれないろくでなし」の楽曲記事にて、景気良く今年をシメさせて頂きたいと思っております。
爆発的大ヒットアルバム、「思いきり気障な人生」より、伝授!

このナンバー、ジュリーのセールス絶頂期にあっては結構地味な印象をお持ちの方が多いかもしれませんが(「勝手にしやがれ」の次だしねぇ)、これは日本ロック史上、最も重要な楽曲のひとつです!
お近くにガチガチのロックリスナー男性がいらしゃる方々、彼をジュリーにオトすなら、まず「憎みきれないろくでなし」を聴かせるべし。自信を持っておススメしますよ~。

 

作曲の大野さん、そして編曲・船山さん。お二人ともこの曲のバッキング・テイクを録った瞬間、「やってやったぜ!」と思ったに違いありません。
「憎みきれないろくでなし」は、あの時代の歌謡曲の範疇を考えますと「超」がつく異端児のナンバーなのですよ。

まずは作曲面。
ヤバイくらいに駄々をこねる進行です。

 

「決まり文句だね~♪」
の「ね~♪」が瞬間転調している、とか

 

「憎みきれない~♪」
の「い~♪」が瞬間ブルース音階である、とか。

 

理屈は解らずとも、「風変わりなメロディーだなぁ」というのは、みなさんお感じのはず。
最近でこそこの手法は珍しくありませんが(例えば、「サーモスタットな夏」などがこのテの一瞬転調の進化形です)、歌謡曲全盛、暗黙のルールもあったであろう当時としてはかなりの冒険です。
作曲当初の大野さんはシングルリリース、なんて頭になかったんじゃないかなぁ。
若き日の手紙」くらい、ヤンチャ(無茶)していますね。
やはり阿久さんの歌詞の影響があるのでしょう。「憎みきれないろくでなし」は、ねばって、ねばって、サビ!な構成なのですが、そのサビというのが

 

♪憎みきれない~~ろっくでなし~♪

 

という、歌詞にしてたった1行、譜面にしてたった2小節の部分なんですよねぇ。
洋楽でも滅多に見ない、独特の手法です。

 

さらに、アレンジ面。
ジュリー祭り参戦の相方・YOKO君が何処からか仕入れてきた話によりますと。
録音スタッフは、実は「憎みきれないろくでなし」の最後の仕上げアレンジに相当煮詰まっていたようです。
アイデアに詰まり皆で休憩していた時、表を自転車で豆腐屋さんが通りかかった。

 

ぷ~♪

 

「これだッ!」
大野さん達は「我が意を得たり!」と手を打ち、あのホーンセクションのアイデアが固まったのだそうです。

 

つまり、逆転のアイデアなんですよ。
ホーンセクションというのはバリバリとカッコ良く、オシャレなものであるというのが通常の発想。そこまでは誰しもが思いつくことです。
それでは、何か物足りない・・・と煮詰まっていた時の、豆腐屋さんの「ぷ~♪」で、

 

思い切りルーズに、マヌケに!

 

というアプローチが浮かんだのでしょうね。
カッコ悪いことがカッコいい、というアプローチの楽曲は、特にローリング・ストーンズのオハコでもありますが、洋楽にも例は多くて。
そしてそのアイデアは、阿久さんのブッ飛んだ歌詞にも、大野さんのトリッキーな作曲にも、ピタリと合致する最善のものだったというワケです。
(数十年後に登場したトカゲがそのコンセプトに合致しているかどうか、については未だ謎ですが・・・)

ビートルズの「Got To Get You Into My Life」のホーンセクション・レコーディングのプレイバックを聴いたジョン・レノンが、アイデアを出したポール・マッカートニーに「やったな!」と、うらやましそうに賛辞を贈った話は有名ですけど、それと似たような雰囲気が大野さん達を包んだものと想像できます。

 

最高に「ずる~っ」としたホーンセクションを施した「憎みきれないろくでなし」は、(おそらくそれを機に)水を得たように豪華な装飾が次々と重ねられていきます。

・2つの短調移行部・・・Bメロではストリングスを加えて柔らかい感じに。間奏では、ホーンを完全に抜いてエレキギター・ソロで押し、ハードな感じに。
とか、

・ルーズなハ長調部分を突起させるために、カウベル(やかんみたいな音の打楽器)を導入する。
とか、

・間奏でベースがハ長調部と同じフレーズをマイナースケールで弾いて楽曲を混乱させる(Am→Gの進行が、A→Gの1音落下転調に聴こえる、という不思議な効果が得られています)。
とか。

 

ここまでマニアックにやりたい放題の曲がヒットしてしまったのだから、ジュリーのロック史貢献度はスゴイものがあります。
70年代後半の阿久=大野=船山期というのは、様々な意味で「歌謡曲」にカテゴライズした方が語り良いのですが、そんな中、「憎みきれないろくでなし」は圧倒的にロック・ナンバーなのです。

 

では、最後に恒例の「教えて」コーナー(爆)。
先に挙げたTV映像なんですが。
尭之さんがハジけているのもすごく印象的なんですけど、それ以上に、左サイドで手持ち状態のカウベルを叩いておられる、↓このお方!

 

Rokudenasi2

 


これ、どなたですか~?
僕が無知なだけで、有名な方なのでしょうか?
スゴイ演奏です。
狂乱の舞い、無我の境地。
楽曲アレンジのコンセプト、「カッコ悪いのが最高にカッコイイ!」を身体を張って表現する、最強のカウベルマン!こんなに情熱的にカウベル叩く人を、僕は初めて見ました。

このお方は、他に「サティスファクション」の映像(同時期だと思う)でも凄まじいアクションを見せてくれます。
挙句、ジュリーと一緒のマイクでコーラス参加しちゃったりとか。
ジュリーの男力にヤラレた状態であろう事は一目。

 

ジュリーにヤラレた男が多い分だけ、それはロックな楽曲とも言えるわけですよ!

という事で強引にシメますが、これが2009年ラストの記事になります。
遊びにきてくださったみなさま。
1年間、ありがとうございました。本当に、心の底からそう言える事に、自分で驚くばかりです。

ご承知の通り個人的に色々と実りのあった年でしたが、単純にジュリーファンとして思うことは・・・。
何と言っても、自分のような者が「じゅり風呂」(某所で最近覚えた用語)の一員としてみなさまの認知に至った、という奇跡。
こんな突然降って沸いたようなファンが、歴史の長い先輩方にお仲間として認めて頂けた、というのはスゴイ事だと思っています。
ジュリーの辿ってきた道のりを知れば知るほど、そう思います。

手抜きせずに、自分なりにフルに情熱を傾けた事が良かったのだ、と思っていますから、その点初心を忘れずに・・・と決意いたしまして。

来年もどうぞよろしくお願い申しあげます。
よいお年を~!

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2009年12月27日 (日)

お宝ですか?④

今年も残すところあと5日。
というワケで、年内最後の大型買出しに出かけたのですが。

上野→秋葉原→浅草

という「おのぼりさんルート」でございました。
上野アメ横で食料品を買い、秋葉原ラオックスではギターの弦を買い、浅草では・・・そう、半年ぶりにおじゃましてきました、マルベル堂さん!

6月5日、プレジャーツアーの渋谷初日におじゃました際は、ジュリー祭りの余韻そのままに、ド~ンと店頭に特集コーナーを設けられていたジュリーでしたが、その後変化はあったのでしょうか・・・?
「さすがにもうジュリー一色の状態は終わってるだろう」
と、さほど期待もせずに行ってみますと。
いきなり店先が

Maruberu2

この状態ですわ。
一番下には手書きで

「一緒にオリコン1位をとろう!
ジュリー with ザ・ワイルドワンズ」

嬉しいじゃありませんか~。

お店の方のお話によると、未だにジュリーのブロマイドは圧倒的に売れ続け、「なかなか他のコーナーに移動できない」との事で、相も変わらずマルベル堂さんでは、たくさんのジュリーが店先の一等地に陣取っているのでございました。

今日は別にお宝な写真をご紹介するワケではないのですが、東京の下町でジュリー熱が今でも絶えず燃え続けている・・・その証拠写真が、遠方のジュリーファンのみなさまにとっては「お宝」なのではなかろうか、と。
強引でしたか・・・。

ちなみに、カミさんが選んで購入したのは、これ。

Julie091227

実はこの他にもう1枚購入したのですが、そちらはあまりにもおめでたいショットなので、元旦にアップしたいと思います。
どうぞお楽しみに~!

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2009年12月25日 (金)

沢田研二 「everyday Joe」

from『耒タルベキ素敵』、2000

Kitarubeki

disc-1
1. A・C・B
2. ねじれた祈り
3. 世紀の片恋
4. アルシオネ
5. ベンチャー・サーフ
6. ブルーバード・ブルーバード
7. 月からの秋波
8. 遠い夜明け
9. 猛毒の蜜
10. 確信
11. マッサラ
12. 無事でありますよう
disc-2
1. 君のキレイのために
2. everyday Joe
3. キューバな女
4. 凡庸がいいな
5. あなたでよかった
6. ゼロになれ
7. 孤高のピアニスト
8. 生きてる実感
9. この空を見てたら
10. 海に還るべき・だろう
11. 耒タルベキ素敵

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何人かの方々からご指摘頂いております拙ブログの特徴といたしまして

「やたらと余計な深読み楽曲解説を書くわりには、ジュリーファンにとって常識とも言えるワキの知識に疎い」

というのがありまして。
まったくその通りで、それは本人自覚するところでもございます。

実は今日のお題についても、みなさまからすれば「そりゃ常識じゃん」という事を自分が知らないのではないか、とビビっている件が(汗)。

みかん様より、大名盤「耒タルベキ素敵」収録の、カッコよく尖がったロックナンバーをリクエスト頂いております。
「everyday Joe」、おそるおそる伝授!

まず早速、己の無知をさらけ出すことから始めてまいりましょう。
僕はこの曲「everyday Joe」、タイトルの意味・由来がまったくわかりません!
覚和歌子さんの詞だし、何かあるんだろうけどねぇ。
何故「everyday Joe」という連呼が歌詞の途中で登場するのやらサッパリ・・・この点、素直に土下座いたしまして先輩方にご教授願いたく、なにとぞ~!

以前より遊びに来て頂いている方々はご存知の通り、僕は「耒タルベキ素敵」のCDを長期紛失しておりました。
夏、部屋の大掃除でようやく発掘するまで、収録曲の作詞・作曲者はおろか楽曲それ自体の把握も曖昧なまま過ごしておりまして、正直「everyday Joe」という曲の構成をしっかり脳内に叩きこんだのは、CD盤を聴いて、ではありませんでした。

それは今年の春先のこと。DVD「ワイルドボアの平和」鑑賞時だったのです。

「ワイルドボアの平和」でのこの曲の演奏映像は大変素晴らしく、食い入るように観たものですが、そこで僕は「この詞は間違いなくジュリーだろう」と思ってしまい、ライナーで覚さんの作詞だと確認した時にはちょっとびっくりしましたね。
「everyday Joe」にとどまらず、2000年以降の覚さんの詞って、ジュリー自身の言葉のセンスを連想させるナンバーが多いような気がしませんか?
きっと覚さんはジュリーに、
「こういう日常のフレーズでも、メロディーに載せるとイイ感じでしょ?ジュリーもどんどん詞を書いて」
と、メッセージを送っていたんじゃないかなぁ。
考えすぎでしょうか。

さて、ではそろそろ本題、楽曲の仕組みについて語ってまいりましょうか。

まず、「everyday Joe」が、ロック史・金字塔の中の1曲、ジミー・ヘンドリックス「パープル・ヘイズ」のオマージュである事はご存知の方も多いでしょう。有名な曲ですからね。
しかしそれはあくまで白井良明さんが施したアレンジのお話。白井さんならではの、いい意味での遊び心です。
純然たるメロディーに関しては、「パープル・ヘイズ」とは様子の異なる構成です。
無論、作曲者であるムッシュ=かまやつひろしさんの頭の中に「尖った楽曲、アジテーション色のある仕上がり」という狙いはあったものと思いますが、この旋律、「パープル・ヘイズ」よりは断然、クリームの「ホワイト・ルーム」に近い作曲手法なのです。
特にAメロ。
歌メロは最高音から入り、同じ間隔で連なったメロディーの断片が、徐々にうねうねと低音部へ移動していきます。まさに、「やってられない♪」感がたっぷりの刺激的な導入部と言えるでしょう。

では、白井さんの「パープルヘイズ」オマージュによるアレンジを経た演奏面については、どのような特色が挙げられるでしょうか。
イントロのリードギター・フレーズが、オマージュとしては一番目立つ箇所ではありますが・・・。
ここでは何と言いましても、プロアマ問わず多くのロック・ギタリストが腕を磨く過程で必ず習得せねばならない、「ジミヘン・コード」と呼ばれる特殊な和音をご紹介せねばなりません。

ジミヘン・コード・・・「パープル・ヘイズ」で一気に大衆に膾炙した、ギターという楽器の表現能力でこそ生かされる和音です。
コード表記は「7+9(セブンス+ナインス)」、シャープド・ナインスとも呼ばれるこの和音を一言で表現するなら

限りなくマイナーコードに近いメジャーコード

です。

「限りなくマイナーに近いなら、それはすでにメジャーコードとは言えないのではないか」
などと、芥川賞選考委員のような事を仰るなかれ。「7+9」はメジャーコードを極限までハードに装飾した和音には、違いないのですよ。
でも、特にクラシック畑の方々の中には、僕が「everyday Joe」は長調だ、と言ったら「え~っ?」と首をかしげる方も多いでしょうね。
ジミヘン・コードは、それほどまでにロックギター経験者独特の解釈を要します。
とにかく、「everyday Joe」は嬰ヘ長調!譜面にしたら、ト音記号の横には#が6つつきますよ~。
もちろん、出てくる音符にナチュラル記号つきまくりですけど・・・。

ジミヘン・コードのフォームは、一般的に2通りの押え方があります。
嬰ヘ長調の「everyday Joe」に沿って、ここではF#7+9のフォームで説明しますと

① ひとさし指=4弦8フレット
   中指=5弦9フレット
   薬指=3弦9フレット
   小指=2弦10フレット
   (1弦、6弦はミュート=「弾かない」の意)

② ひとさし指=4弦8フレット
   中指=3弦9フレット
   薬指=1弦9フレット
   小指=2弦10フレット
   (5弦、6弦はミュート)

どちらのフォームで弾いても、ジミヘン度バリバリの響きとなり、「everyday Joe」感覚に浸ることができます。
これ以外にも、さらにハイポジションのフォーム(薬指で複数の弦をセーハする高度な押え方)が2通りあり、柴山さんも下山さんも、「everyday Joe」では4つのフォームを楽曲進行に応じて使い分けてプレイしていますね。同じ和音構成でも、フォームによって「鳴り」が違う・・・それこそが、ギターという楽器の最大の個性なのです。

ところで、これら4つのフォームに登場する個々の音は
ファ#・ラ・ラ#・ド#・ミ
の5つの音のいずれかです。

ファ#は嬰ホ長調のルート(ベース)音。ド#がドミナント、ミが7thの役割を果たしていますが・・・ジミヘン・コードの特殊性は、どのフォームで弾いても「ラ」と「ラ#」が同居して登場する点にあります。
先に述べた、「限りなくマイナーコードに近いメジャーコード」という表現は、この点を指しているのです。

基本から紐解きます。
シンプルな「F#」コードの和音構成は、「ファ#」「ラ#」「ド#」です。
一方これが「F#m」コードになると、「ファ#」「ラ」「ド#」。
つまり、「ラ」の音がシャープしていればFシャープ・メジャーコード、ナチュラルならばFシャープ・マイナーコード、と分別される理屈なのですが、ジミヘンコードでは、「ラ」も「ラ#」も同時に鳴っているのですね。
長調と短調の識別がややこしくなるのは、そのためです。

では、なぜ長調だと判断できるのか。
それは、サブ・ドミナントの和音としてB(シ・レ#・ファ#)が使用されているからです。
故に「everyday Joe」は、下地にF#→B→C#7というロックンロール・スリーコードを内包する楽曲と言えます。
しかしながら白井さんのアレンジにより、トニックのF#がジミヘン・コードに化けているため、よりヘヴィーな楽曲となり、マイナーコードのニュアンスが強く引き出されているワケです。

あ~、ずいぶん長くなってしまった・・・。
散々書いておいてナンですが、そんな理屈は解らずともまったく問題はありません。
ただ、伝えておきたいポイントがひとつ。
ジミヘン・コードの連打は、楽曲にトランス効果を与えます。
「everyday Joe」、CD音源では「ちょっと尺が長いな~」と感じる部分もある僕ですが、LIVE映像にはトコトン引きこまれました。
特に、DVD「ワイルドボアの平和」でのジュリーのヴォーカル、そして下山さんの弾きまくり映像は、本当にカッコイイ。これは、プリンスト・azur様のお墨つき。

生で聴いていたら、さぞかし・・・。
「歌門来福」セットリストに、期待の1曲です!

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2009年12月20日 (日)

沢田研二 「BACK DOORから」

from『パノラマ』、1991

Panorama

1. 失われた楽園
2. 涙が満月を曇らせる
3. SPLEEN~六月の風にゆれて
4. 2人はランデブー
5. BACK DOORから
6. 夜明け前のセレナーデ
7. STOIC HEAVY~盗まれた記憶
8. テキーラ・サンセット
9. 君の憂鬱さえも愛してる
10. 月の刃
11. Don't be afraid to LOVE

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本日12月20日は僕の誕生日でございました。
ジュリーマニア界では若手キャラで何とかゴマカしておりますが、もう43歳でございます。

40数年、不摂生の見本のような生活をしてきた僕が、ここへきてようやくマトモな食生活を送れるようになったのもジュリーのおかげ。
てなことで、今カミさんが誕生日祝いにスキ焼を作ってくれとります~。ぶっちゃけまして、今日は待ち時間更新です!

12月20日、射手座。
射手座生まれの人は「情熱的で好きな事にはトコトン入れ込むが、飽きるのも早い」と言われます。これまで僕は、「それ、当たってるな~」と思い生きてきましたが、さぁジュリーについてはどうなるのか。やっぱりいつか飽きてしまうのか。

できればずっと、一生このテンションで行きたい。
で、飽きっぽい射手座の性分を心配しておりましたら・・・ジュリーブログの大先輩に、1日違いのお誕生日の方がいらっしゃった!
あのお方と同じ性分なら、ジュリーに関しては何も心配いりません。
勝手に安心してしまいました。ずっと続けられますね~。

 

さて、ジュリーは今の僕と同い年・・・43歳の時にどんな活動をしていたのか、と調べたら、「パノラマ」の年なんですね~。吉田建さんプロデュースで飛翔しつつも、徐々に「自分の言いたいこと」「歌い手としての在り方」が主張を覗かせ始めた時期です。
「彼は眠れない」「単純な永遠」2枚の完璧にプロデュースされたロック・アーティスト像を引き継ぎつつも、「個」のメッセージ性を渇望するようになったジュリー。
「Don't be afraid to LOVE」がその産声でもあり、それはその後「カラッジ」「チャイルド」といった楽曲へ受け継がれるのですが、それはまた別の機会のお話としまして。

今日は、「パノラマ」というアルバムのもうひとつの特色でもあります、日本のミュージックシーンの突起したジャンルで一目置かれる偉大なアーティストのペンによる楽曲を見事に歌唱表現するジュリーについて。
日本が誇るブルースマン・三宅伸治さんの「いかにも」といった鋭利な感性が光る隠れた名曲です。
「BACK DOORから」伝授!

 

「パノラマ」に起用された作家陣の中で特に目を惹くのが、「月の刃」のPANTAさん、そしてこの三宅伸治さんでしょう。
お二人とも、ロック界では「知る人ぞ知る」重鎮。しかし広くポップス界にまで名を知られているかと言うとそうでもない。つまり、突出したロック・パーソンであるワケです。
そんな人物が、ジュリーに楽曲提供している・・・それだけで、ジュリーがタダモノではない、という証明にもなります。
お二方とも、単なる「上手い歌手」のために曲を書く人ではないんですよ。

 

しかし僕は、ドーム以降に吉田建さんプロデュース期のアルバムをキチンと噛みくだいて勉強するまで、そんな事も知らなかったのですね。
普通のジュリーファンの方々が彼等を知らないのは仕方ありません。が、僕のように「ロックリスナー」を標榜している奴が、彼等ほどの才能がジュリーに楽曲提供していた事を知らずにドームを語っていたのは、恥ずかしい限りです。

 

「BACK DOORから」の演奏はレゲエのリズムを基調とします。
Aメロで刻みを入れるのはホンキー・トンク・オルガンの役割で、ギターとピアノが左右のチャンネルで装飾に回ります。このパート分担は建さんのアイデアでしょう。
そして、今日はみなさまに、「レゲエ」というジャンルにおけるベース、ドラムスの演奏特性について僭越ながら伝授いたしたい・・・それは「頭抜き」という特殊なものなんですよ。

 

ベース、ドラムスともにリズム楽器なワケですから、通常の楽曲では必ず小節の頭にアクセントをつけて演奏し、アレンジの土台と色を作ります。
しかしレゲエでは、単に「アトノリ」と言うだけではない、「小節の頭に音が入らない」という特殊な演奏で奇妙なグルーブ感を醸し出すのが特徴。しかも、

演奏技術が高くないと台無し

 

です。
腕に覚えのあるベーシスト&ドラマーさんの見せ場でもあるワケですね。
「BACK DOORから」は間違いなく、吉田建さんと村上ポンタさんの最強コンビでしょう。

小節の頭を抜くだけでなく、1拍目の裏からグルーブするベースライン。
3拍目、という最も重要なアクセントポジションにキックを配置したドラムス。
これがあればこそ、展開部のアレンジや、リードギター(おそらく柴山さん)直後の大胆なストリングス(シンセだけどね)&ヴォーカルソロが光るのです。
三宅さんの楽曲を、そうそう普通には仕上げられない!という建さんの気合が感じられるようですわ~。

 

そんな建さんの思惑を知ってか知らずか、突飛なアレンジ部ではちょっと余裕で歌うジュリーがニクい。
その代わり、押すべきトコはきっちりシャウトで爆発してくれます。必殺のかすれ声でね。

 

さて、アルバム「パノラマ」について、些細なことなんですが。
80年代ロックのレコードで、やたらこの手のジャケット(ナイフとフォークを持って、食事にかぶりつこうとしている)が流行しました。
僕の聴くようなマイナーなロックにも、いくつかありましたし・・・例えば、ミッキー・ジャップの「JUPPANESE」とか。
いや、このジャケットアイデアを一番最初にやったアーティストって誰なんだろ、と思って。
特許とられても不思議じゃないくらい、大流行しましたからね。

 

ちなみに流行した基本路線は、表で「まさにこれからかぶりつこうとしてるところ」、裏で「食べつくした後」の写真配置によるジャケットです。
「パノラマ」は、表こそこの踏襲ですが、裏ジャケでジュリーの胎内に球体が渦を巻いて吸い込まれていく瞬間(と僕には見える)をフィーチャー!
これは独特ですよ。カッコイイ!


でも、それならナイフとフォークは要らなかったんじゃないか~。

 

 

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2009年12月19日 (土)

沢田研二 「ハートの青さなら 空にさえ負けない」

from『新しい想い出2001』、2001

 

Atarasiiomoide

1. 大切な普通
2. 愛だけが世界基準
3. 心の宇宙(ソラ)
4. あの日は雨
5. 「C」
6. AZAYAKANI
7. ハートの青さなら 空にさえ負けない
8. バラード491
9. Good good day

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新たにジュリーブログさんへのリンクを追加させて頂きました。
すでにご存知の方も多いでしょうが、今回ごひいきにさせて頂くのは、「ジュリー王朝」さま。
日常の出来事やふとした感覚を、ほぼ毎日、ランダムに選出されたジュリーの楽曲を添えて綴っていらっしゃる・・・つまり、ジュリーナンバー全曲網羅という大偉業に一番近い位置・スピードで疾走していらっしゃるという、是非ともあやかりたいブログさんなのです。
それはまるでジュリーナンバー専門のラジオ番組のよう。
そして、管理人・かぱーじ様は先日、僕の入籍に合わせて、3曲ものジュリーの名曲について記事をアップしてくださいました。
身に余る光栄でございました。

 

今日はその3曲の中からお題を選ばせて頂きました。
偶然にも最近、シロップ。様よりリクエストを頂いていた楽曲。今日は御礼の意味もこめまして、記事を書きたいと思います。
アルバム「新しい想い出2001」から、おまパラ級のロッカ・バラードです。
「ハートの青さなら 空にさえ負けない」、伝授!

 

僕が「新しい想い出2001」というアルバムを初めて聴いたのは、まさに大人買い期間真っ只中の頃。
90年代~2000年代の作品を何枚かまとめて購入した中の1枚でして、正直、あまり期待はしておらず(曲数が少ないですし、密林さんのレビューもさほど高い評価ではなかったので)、掃除とかしながら何となく流して聴いたのが最初でした。
それが正解だったのかもしれません。
「駆け抜ける快感」とも言うべき良さを強く感じたのです。

 

ずっとジュリーを追いかけていて、タイムリーでこのアルバムをお聴きになったファンの方にとりましては、若干不満の残る内容であったことは想像できます。
何といっても「耒タルベキ素敵」の翌年ですしね~。「あれ、ずいぶん小ぶりで乱暴な作りだなぁ」とか、「ジュリーの写真が無いやん!」とか。
僕も、生え抜きのファンだったらそう思ったかもしれません。

 

しかし僕はラッキーでした。
思ってたより全然イイ!という感想は、作品への思い入れを高めるものなのですね。
しばらく通勤中にヘッドホンで繰り返し聴くことに。
「A. C. B.」のアンサーソングのような「大切な普通」から始まって、ストイックなまでにカッコいい「Good good day」まで、たたみかけるような構成がクセになりました。
中でも、ヴォーカルの凄まじさという点で強く推したいナンバーが、お題の「ハートの青さなら 空にさえ負けない」なのです。

 

購入前、収録曲のタイトルを確認した際にはこの曲、「うわ~大丈夫か!」と思いましたよ。このことは「バラード491」の記事でも少し触れましたが。
きっとジュリー自身のペンによる直球系の詞なんだろうなぁ、と一応覚悟はキメて買いましたけどね

ところが蓋を開けてみますと、作詞は覚和歌子さんで。
そうなると、考察の角度もずいぶんと変わってまいります。

 

覚さんの詞についてはこれまでもいくつかの記事で語ってきました。本当にジュリーにピッタリの世界を描いてくれる、しかも女性ならではの視点で・・・素晴らしい作詞家さんです。
ジュリーの心境にシンクロした詞を書く、という点では歴代ナンバーワンでしょう。
そこで、考えました。
この詞で歌われる「ハートの青さ」というフレーズは、ジュリーと覚さんの中で、イコール「ハートの強さ」なのではないでしょうか。

 

僕がこの1年必死でジュリーを追いかけてきて、一番感じ入りリスペクトするのは、ジュリーの心の強さです。
もちろん身体だって相当強いのですが、精神の強さはハンパじゃない。その比類無き「強さ」は、東京ドーム・ジュリー祭り以前に漠然と抱いていた僕のジュリー像を、根底からくつがえすほどのものでした。
例えば。
プレジャー×プレジャーツアー・大阪厚生年金会館にてジュリーは「死ぬ気がしない!」とおどけて宣言しましたよね。
冷静に考えて、無事60歳を超えた時に、「死ぬ気がしない」とか「あと10年は同じように活動できる」とか、大勢の人間の前で堂々と言えるものでしょうか。僕だったら無理です。むしろ「死にそうだ」「長くない」というような事を言って、逆に心の不安を打ち消そうと必死かもしれません。

大勢のファンの前で「自分は70歳になっても歌っているから」と約束してくれる事が、どれほど勇気のいることか。それをサラッと言ってのけるジュリーは、どれほどの精神力の持ち主なのか。僕がリスペクトするのは、ジュリーの音楽のみならず、そういう強さなのです。

 

おそらく覚さんは、そんなジュリーの「強さ」を「青さ」に置き換えたのでしょう。
「青い」というのは「ピュア」という事でもあるでしょう。純粋なものとそうでないものが戦ったら、間違いなく純粋なものが勝ちます。覚さんの中で、ジュリーは最強の男性であるかもしれません。

ただ、「強すぎると本人は持て余すだろうねぇ」というのが、いかにも女性らしい繊細な視点だと僕は思うのですが、いかがでしょう。

 

詞とヴォーカルが一体化したロッカ・バラード。CD音源ももちろん最高ですし、LIVEでは「クロックマダム&ホットケイクス」ツアーがオススメです。オープニングから数えて早2曲目、身悶えしながら絶唱・・・このLIVEステージはノッケから全開で声が出ているジュリーなのです。

 

作曲者でもある伊豆田洋之さんのコーラス、あと、バンドサウンドを聴き慣れていないとなかなか耳が行かないかもしれませんが、素直な長調進行の楽曲に敢えてブルース音階を絡めた白井良明さんの大胆なリードギターも、この曲の大きな魅力です。
伊豆田さんのコーラスについて、しばらく前に「ジュリーな毎日」のtomi様が記事を書いていらっしゃいました。「大トリサビ前のコーラスソロ(!)で伊豆田さんが何と歌っているのか?」という話題でしたね。
僕は御記事を拝見するのが遅れてコメント機を逃してしまいましたが、これは

 

Love you
Anyday I love you
Anytime I love you
Anywhere I love you, baby
All I do is love
How much I love you, dear hooo

 

ですね。
伊豆田さんは正確に発音する事よりも、コーラスとしての耳馴染みを重要視していますので、「Anywhere」と「I」の間に「う」の発音が入ったりとかしてますが、英文口語の流れとしてはこれ以外有りえないはずです。
最初の「Anyday」が「Everyday」に聴こえるのも然りで、「Everyday」だとしたら以降の流れが「Everytime」「Everywhere」になるのが必然ですから、これは「Anyday」でしょう。
今さらで申し訳なかったです・・・。

 

さて。
以下、蛇足ですが。

 

♪「初めて」は苦いだけじゃないんだ♪

 

この部分の詞、みなさまはどのように噛みくだいていらっしゃるでしょうか?
僕のような小心者はですね、「自らの意思で、初めて行うこと」というのはとても緊張するワケです。それが例え「初めて澤会さんに電話してみる」というような本当に日常の些細な事であっても。
楽しみと緊張が混ざり合ってドキドキして、胸の奥から不思議な感覚が湧き上がってくる・・・「苦い」のか「甘い」のか自分でも判別しかねますが、「初めての感情」というのは、特別なものだと思うのです。
そして、その事をやり遂げた瞬間に、複雑な感情から解放され、爽快な気分になります。

 

って、何を大げさな!
とお思いでしょうが、とにかく僕は昨日、生まれて初めて澤会さんにお電話しました。
緊張した~!
こういうのも、「ハートが青い」って言うんですかねぇ。

 

音楽劇インフォ&正月チケット落選通知の未到着についてお問い合わせさせて頂きました。
住所は無事に変更されておりました。ただ、澤会さんは通常、インフォなどについては発送のだいぶ前にタックシールを印刷していらっしゃるのだそうです。そのため行き違いが生じたのですね。

で、問題の落選通知。
これは、確認とれないんですって~。誰が落ちたか、解らないみたいなんです。
つまり、本当にランダムに抽選なさっているという事なのですね。
特に僕の場合は予約が初日と最終日の2日分でしたので、ややこしいみたいです。ただ、両方外していたら書留で振替用紙を送るはず、との事ですので、それはナイみたい。
どちらか片方が外れていた場合は、チケットが無事2日分届くか、1日分のチケットと振替用紙がコンビで到着するのか・・・それまでは本人確認できないんですって~。
新年早々ドキドキですな。

 

それにしても。
「住所変更されているか確認したいんです」と、苗字だけ名乗ってみました。
てっきり会員番号聞かれるかと思いきや、速攻で
「お客様の住所は11月○日付で変更登録が完了しております」
って・・・澤会のお姉さま、対応が神業でございました。
ナイとは思いますが「あぁ、あいつか~」と思われているのではないかとビビり、万が一にでも失礼のないように、とガチガチに緊張しましたよ~。

 

てなことで、お正月コンサートのチケットは
「1月6日より順次発送」
だそうですよ~!

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2009年12月14日 (月)

ザ・タイガース 「友情」

from『自由と憧れと友情』、1970

Jiyuutoakogaretoyuujou

1. 出発のほかに何がある
2. 友情
3. 処女航海
4. もっと人生を
5. つみ木の城
6. 青春
7. 世界はまわる
8. 誰れかがいるはず
9. 脱走列車
10. 人は・・・
11. 海の広さを知った時
12. 誓いの明日

---------------------

今から5、6年前のことでしょうか。
一般的にはあまり馴染みのないムーブメントだったのでしょうが、音楽業界では、映画「スウィング・ガールズ」に端を発した空前の”金管楽器ブーム”というものがありまして。
本当に老若男女問わず、突如金管楽器をイチから習得しようと無茶な考えを起こし、奮発してお金を使ったのです。

その中に、若干30半ば過ぎにさしかかった不肖・DYNAMITEもおりました。
僕は中学時代にブラスバンド部にいたのですが、選んだ楽器はスネアドラム。カッコ良さそうだから、という安易な理由でした。
20年後になって「もっと地道に金管とかやってりゃ良かった」と後悔しきり、カムバック青春とばかりに突然トランペットを購入します。
マウスピースで音が出るまで1週間。高いシの音が出るまで1ケ月。
会社のお昼休みに毎日練習いたしまして、半年くらいで「Gメン75」とか「西部警察パートⅡ」とか吹けるまでにはなりましたが、試しに録音して、冷静な耳で自分の出す音を聴いてみますと、やっぱり素人レベルなのですなぁ。
音に深さが無い。

どんなに体裁を繕った演奏であっても、スキルの無さというのは伝わるものです。
ブラス楽器は特にそうなのでしょうね。

・・・おや、何の話をしているのでしょう?
と、首をかしげるみなさまに、今日はお聞きしたいこともありまして、この記事を書いております。
以前より、みゆきママ様よりリクエストを頂いております。
タイガースの大名盤「自由と憧れと友情」から、これはタイトルチューンと位置づけても良いでしょう。
「友情」、伝授です!

つまり。
この曲の間奏サックスは・・・・・・???

僕の耳が劣っているのなら土下座しますが、これ、プロのサックスプレイヤーの演奏にはとても聴こえません。
悪い演奏では決してないですが、「スキルの無さ」が伝わる、ユラユラとした演奏なのですね。
僕はそれを批判したいのではなく、これがひょっとしたらタイガースのメンバー、或いは助っ人のGS繋がりのメンバーが「おし、オレがサックス吹くわ!」という自由度の高いレコーディング風景を証明する逸話として、演奏者が誰かを知りたいのです。


僕の好きな”ブリンズリー・シュウォーツ”という英国バンドでも、キーボード担当のボブ・アンドリュースの素人サックスをフィーチャーしたナンバーが2曲ありまして、それがまたトボけた味で良いんですよね~。
ただし、「スキルの無さ」はガンガンに伝わります。
それは逆に、「本当にメンバーが演奏している」という信憑性にも繋がるワケで、ロック黎明期・変革期にはそのような演奏自由度の高さ、という魅力があったのだと思います。
今だったら、当然のようにプロのプレイヤーに依頼するところですからね。

タイガースのメンバーだとしたら、タローの線が濃厚。
どなたか、当時のレコーディング事情に詳しい方~!情報お願いいたします。

いきなり間奏の話を引っ張ってしまい、すみません。
タイガース後期には、旬のアメリカンロックの洗礼を受けたナンバーが多くありますが、この「友情」という楽曲もその中の1曲です。
鬱々としたコード進行でなしに、寂寥感を表現する。「カラッとした寂しさ」とでも申しましょうか。


A♭(ラ♭・ド・ミ♭)→B♭(シ♭・レ・ファ)→E♭(ミ♭・ソ・シ♭)→Cm(ド・ミ♭・ソ)

これは「奪わないでおくれ~♪」の部分。ベタと言えばそうですが、シンプルな明るい進行の中に、どことなく哀しさが漂う「友情」のメロディーには、アメリカンロック独特の哀愁が感じられます。

一方アレンジは一転、ブリティッシュロックなのですよ。
一番の肝はアコギの単音です。
「友情」でレコーディングされたアコギの音色はローリング・ストーンズの「Tell Me」に代表される音作りで、これは初期ストーンズの得意技。
僕はその中にあって「友情」のアコギについては、「The Singer Not The Song」(いや、ひどい文法!しっかり調べて書け!とお思いでしょうが、本当にこういうタイトルの曲があるんです)のオマージュ、だと踏んでいます。

アコギのパッツンパッツンした単音は、いかにもタローが好みそうなスタイルなのです。僕は「はだしで」というナンバーでその事を学びました。

最後に。
コンセプト・アルバムにおいて、アルバムタイトルとタイトルチューン(アルバムタイトルのフレーズが歌詞に含まれる楽曲)の表記が違う場合には、アルバムタイトルの方を短めにし、タイトルチューンに種々装飾フレーズを持たせるのが一般的手法ですが、このアルバムでは逆になっています。
通例ですと、アルバムタイトルが「友情」で、収録楽曲の方が「自由と憧れと友情」となるワケです。
このアルバムの場合、安井さんの作詞に合わせて普通にタイトルが割り振られたのでしょうが、当時のタイガースの事情に若干通じてきた今の僕には、それだけで割り切れない思いもあるのです。
アルバムタイトルが「友情」だと、イメージを固定してしまう・・・そんな恐れを製作者側が抱いていたのではないか、というあらぬ邪推です。

当時と今では事情やシステムもかなり違うでしょうが、プロモーションとは、どこまでも計算ずくめのものです。
来年、GSというキーワードを背に、久しぶりにメジャーリリースするジュリー。
そのプロモーションは、楽しいことだけで埋め尽くされていてほしいですね。

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2009年12月11日 (金)

動くものに惑わされず、動かないものを見る

またまた楽曲の記事でなくてすみません。
昨日巷を駆け巡ったジュリーwithワイルドワンズの最新情報につきまして。
ジュリーファンのみなさまの反応もさまざまで、「手放しで喜べない」と複雑な思いにさいなまれていらっしゃる方々も多いようです。

僕も、そんな方々の気持ちはよく分かります。
「鉄人バンドとのツアーはどうなってしまうのか」
あるいは
「渚のシャララ、なるタイトルから想起するイメージが今のジュリーにそぐわないような気がする」
などなど。
正直なところ、僕もまずはそう思いました。
ただ、今回のメディア露出、改めてその破壊力を実感していることもまた事実です。
僕のような業界最末端のところにまで、ジュリーとはまったく関係ないルートからリリース情報が錯綜して回ってくる・・・そういう事が、あちこちで起こっているものと考えられます。

先行シングル「渚のシャララ」・・・この楽曲タイトルは、プロモーション戦略にはうってつけと判断されたのでしょう。
古き良き時代の音を思い起させ、多くの浮動票をとりこむ狙いです。
これが例えば、「NAPOLITAIN」というタイトルだったとしたら、いかにそれが優れた楽曲と言えど、プロモにはなり得ない。それだけのことです。
ジュリーファンとして僕は、その狙いをゴクッと飲み込む。そういうスタンスが望ましいと思いました。
もちろん期待するのは、アルバムに収録されるであろう、「NAPOLITAIN」級の、ジュリー寄りナンバーだったりするワケですね。

僕は大学時代、今は亡き川原栄峰先生の講義を受けました。
哲学専修には進まなかったため、1年間のおつき合いでしたが、本当にすごい方でした。
先生はハイデガーの権威ですが、僕の受けた講義は哲学の初歩の初歩とも言うべき、1年生時の一般教養としての哲学でした。
講義初回に教わったのが、今日のお題の言葉。

動くものに惑わされないで、動かないものを見る

スライドを使った講義で先生は、二等辺三角形の頂点を左右にずらしながら、
「形が変わってしまうとそれを見ている人はとまどうけれども、どのようにずらしても三角形の面積は不変」
と教えてくださいました。

ジュリーは常に変化し続け、新たなことに取り組み、熱心なファンと言えどもついていく事は大変です。
しかし、ジュリーがどのような変化をしようとも、みなさまも「ジュリーが好き」という不変の気持ち(三角形の底辺)をお持ちのはず。それをしっかりと胸に抱き、来年に向かおうと僕は思っています。

そして、いつかジュリーの動きがひとつの大きな線となり、ジュリーの歴史を通じて「不変のもの」が見えてくるでしょう。

改めて宣言させて頂きます。
僕はジュリーwithワイルドワンズを応援します!

寝ぼけ眼で講義に出席、カックンカックンと頭を揺らしていた19歳の僕に向かって、川原先生が仰ったお言葉が思い出されます。

「キミキミ~。眠いか~?コーヒーでも紅茶でも飲め~。まわりくどい話をしてごめんな~。今はわからなくてもいいんだぞ~!」

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2009年12月 5日 (土)

沢田研二 「ミネラル・ランチ」

from「サーモスタットな夏」、1997

Samosutatto

1. サーモスタットな夏
2. オリーヴ・オイル
3. 言葉にできない僕の気持ち
4. 僕がせめぎあう
5. PEARL HARBOR LOVE STORY
6. 愛は痛い
7. ミネラル・ランチ
8. ダメ
9. 恋なんて呼ばない
10. マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!

 

----------------------

純粋に楽曲についての記事は、久しぶりですね(汗)。
本日のお題は、アルバム「サーモスタットな夏」から。
少し前にあいら様のお家で話題になっておりました、某バンド繋がりでね。

74年生まれ様より、藤井尚之さん作曲の2曲のうちどちらか、という事で以前リクエストを頂いておりました。
僕にとりましては、思い入れが深いのは「ミネラル・ランチ」、ミックスの特性や和音構成で語るべき点が多いのが「言葉にできない僕の気持ち」。
どちらもとてもいい曲なんですよね。

迷った挙句、今回選んだのはこちら。
決してシングル大ヒット的な作りではないけれど、繊細にして流麗な構成を持つ珠玉の小品。こういう曲が収録されていればこそ、「サーモスタットな夏」がコンセプトアルバムとして光を放てるのです。
「ミネラル・ランチ」、伝授!

 

74年生まれ様がリクエスト時、「作曲者・藤井尚之さんの再評価を」との動機を持っていらっしゃったのですが、これはその頃の僕がさかんに八島順一さんのことを、「ジュリーに堕ちる以前は完全スルーの人だった」と書いたことを受けてのお言葉だったのでしょう。
ところがところが。
意外に思う人も多いでしょうが、僕は、藤井尚之さんがいらっしゃった「千鳥格子」(ジュリーファン以外の検索を避けるための表記です、ゴメンナサイ)というバンド、タイムリーで観ていた高校時代から、大好きだったのですよ。
もちろん、そこまで熱心なファンではなかったですが、同時期に活躍した自称ロックなアーティストやバンドより、よっぽど好きでした。

 

プロモート・コンセプトに基づいた専業の作詞・作曲家陣を擁してヒット連発、しかし次第に「俺たちはもっとロックしたい!」という渇望が顔を見せ始め・・・という流れは、ちょっとタイガースを連想するところでもありますね。

 

僕の知る限り、尚之さんの作曲家としてのキャリアは「千鳥格子」リーダーの亨さんと比較して随分遅く、バンドがスターダムに駆け上がって以降に、作曲作業を習得したものと想像できます。
そして、尚之さんの才能が大衆に膾炙する形で開花したのは「NANA」という楽曲だった、と思っています。
こんなカッコいい曲が普通にシングルとして流行るのが千鳥格子の醍醐味、と、僕は大いにセールスに期待をしましたが、歌詞についてNHKさんから変な横槍が入ってしまい、ヒットはしたけれど頭打ち・・・数十年後に多くの再評価を得た「幻の名曲」と化しました。
ロックな楽曲でこういうパターンって、悔しいですよねぇ。


「ミネラル・ランチ」「言葉にできない僕の気持ち」いずれも和音進行のパターンがギタースケール独特のものですから、尚之さんは普段、ギターで作曲しているのではないでしょうか?
鍵盤による作曲だと、こうはなり得ない。
「ミネラル・ランチ」で言いますと、Aメロのリードギターはずっと同じフレーズを弾き続け、ルート音によって和音表現が変化していくアレンジになっていますが、これはギターの開放弦を活用して作曲されたメロディーの為せる業なのです。
尚之さんはおそらく、流暢かつハードに単音を弾きこなすギタリストではなく、開放弦を上手く使いながら、天性の音感でもって自在にフレットのポジショニングを変えて弾き語るタイプのギタリストなのでしょう。
それはこの「ミネラル・ランチ」が、開放弦の自由度が高いト長調で作曲されている事からも成り立つ推測です(調ごとの開放弦の自由度については、「
明星」の記事をご参照くださいませ)。

 

リードギターの音色は、平坦なフランジャーとサスティンの短いディストーションの組み合わせ。
ちょうど千鳥格子さんの「I LOVE YOU、SAYONARA」で似た感じのギターサウンドを聴くことができます。


実はこのリードギターについては、LIVE映像で「えっ?」と思ったことがあるんです。
DVD「サーモスタットな夏」では普通に柴山さんが流れるようなフレーズを弾いています(サイドギターは大橋さん)。
この曲の単音ギターの音色は、柴山さんのスタイルにとても合っているんですね。
ところが、その後DVD「爛漫甲申演唱会」で観た「ミネラル・ランチ」。
アコギが柴山さん、リードギターのエレキが下山さん、という配置だったのでびっくりしました。

「ミネラル・ランチ」に限らず他の楽曲でも、アコギとエレキのアンサンブルの場合には、エレキ=柴山さん・アコギ=下山さんというスタイルが基本。しかしこのLIVEでは互いの役割が逆に・・・。
下山さんがリードギターを弾く「ミネラル・ランチ」は、非常にベタ~とした変態路線で(いや、ほめてますからこれ)、CD音源とかかなり異なった趣でした。
この演奏は貴重で楽しかったですが、何故この配置になったんだろう・・・と思っておりましたら、間髪入れずに続いた次曲が「あの日は雨」だったんですね~。さすがにこの曲の粘っこいリードギターは下山さんじゃなきゃ!ですから、そのための「ミネラル・ランチ」配置転換だったようです。

 

CD音源のリード・ギターフレーズについて、さらに余計な推測を申しますと。
これは、白井さんのアレンジ段階で装飾されたものではなく、尚之さんが作曲デモ段階で組み立てたメロディーではないか、と僕は思っています。
音階移動がいかにもサックスっぽいんですよ~。下がって、上がって~な感じが。
おそらくグリッサンドのような感じで尚之さんが口でハミングして、デモを作ったのではないでしょうか。
最終的にその部分は、詞ではなくギターフレーズが載って生かされたのでしょうね。

 

朝永彼方さんの柔らかい詞も、とてもメロディーに合っています。
「言葉にできない僕の気持ち」の硬質な感じのメロディーに載せた覚和歌子さんの詞もまた然りですが、やはりジュリーナンバー、女性作詞家陣にハズレ無し、ですね。

 

「ミネラル・ランチ」はこのように、楽曲構成面に掘り下げるべき要素を多く持つ作品なのですが、多くの他のナンバーと同じく、音源を聴いていますと、理屈をこねるのがナンセンスに思えてきます。ジュリーのヴォーカルが、賛辞の言葉を超えてしまうからです。
特に「ミネラル・ランチ」は、「サーモスタットな夏」というアルバムにあって重要なピロートーク路線(収録位置からも、「オリーブ・オイル」と対を為す楽曲と考えて良いでしょう)ですから、乙女のみなさまにとっては、理屈どころではないというワケでしょうね。

 

この曲は、エンディングでしつこく引っ張るのも特徴のひとつ。
「サーモスタットな夏」ツアーでは、引っ張って引っ張って・・・次曲「PEARL HARBOR LOVE STORY」イントロの波音へと繋がります。カッコイイですよ~!

 

今回は「ミネラル・ランチ」を中心に記事を書いてまいりましたが、今後機会があれば、藤井尚之さんもう1曲の作曲作品「言葉にできない僕の気持ち」についても深く掘り下げてみたいと思います。
通常美しさを求めて使用されるクリシェ進行が、この曲ではクールな表現のために使われて作曲されておりますので、その辺りを語ってまいりたいと。
いつになるやら、ではありますが、どうぞお楽しみに。

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2009年12月 3日 (木)

東京ドーム「ジュリー祭り」1周年にあやかりまして、ご挨拶

長い間お留守にしまして申し訳ありません。
無事に引越しを終え、昨日ネット環境も復旧いたしました。

お休みの間、コメントや個人メールを書いてくださったみなさま、ありがとうございます。とり急ぎこの場を借りまして、御礼申しあげます。
まだ新住所をお知らせできていない方々、申し訳ありません。なるべく早くお知らせのお手紙かメールを差し上げます。

ブログ継続にあたり、ご批判もあるようですので、あらためて申しあげます。
拙ブログは決して格調高いものではありません。謙遜しているわけでも何でもありません。本当に、これまでそうやってきたのです。
多くのジュリーファンが仲良く集う場所であることにも、僕は誇りを持っております。今後もそのような根幹を持つことを前提に続けてまいります。理論武装ような音楽解説の場には、方向転換できかねます。それをお望みの方は、僕に託すのではなく、ご自身にて発信をなさるべきだと思います。

僕のブログの方向性は、他人に流されているわけではないのです。僕自身の意思で、こうなっています。もちろん日々勉強させて頂き、色々な事を教わったりしながら、ということです。
だいたい僕は基本的に、他人に影響されたり、他人と自分を比較する事は、ほとんど無いタイプなのです。
唯一、僕に影響を与えたのが「ロック」というジャンルであり、ちょうど1年前のジュリー祭りについても、それは大きく当てはまった、という事ですね。

2008年12月3日のジュリーに、僕は何を教わったのか。
これについては、後追いファンである僕は、多くの先輩方とは違う感想を持っていると考えています。
僕は今さらながら「日常」という言葉に打ちのめされました。
あれだけのパフォーマンスをやってのけたジュリーが、最後に「明日からまた一歩一歩日常を歩いていく」と言ったそのことが、僕にすさまじい衝撃を与えました。
今までどんなロッカーからも、そんな言葉は聞いたことがありませんでした。
むしろ、似たニュアンスの発言をするアーティストについて僕は「ロックではない」と断じていたように思います。

ところが、還暦のステージにて、どうしようもなく刺激的なロッカーである事を証明してみせたジュリーが、すぐさま「日常に戻る」ことを口にしたのです。
僕ははじめ、意味が解らずに戸惑いました。
そして、数日が経ち、ジュリー祭りのレポートを執筆する段階になってあらためてジュリー祭りを振り返った時、そのMCが一番僕の心に残っていた事に気づいたのでした。

以来、僕は無意識にジュリーの言葉を実践しようと心がけていたのだと思います。それは別に観念的な事ではなく、ごく自然にそうなっていったのです。
見栄を張ることをしなくなり、それまで見向きもしなかった些細な日常にベストを尽くしてみるようになりました。
本当に、「仕事と趣味」、この2つでしか成り立っていなかった僕の生活は、そうする事であっという間に変わっていきました。

私事にて恐縮ですが、僕は本日、入籍いたしました。本来ブログでこのような事を書くべきではありませんが、ジュリーによって導かれた僕の「日常」の変化を表す最たるものとして、お世話になった先輩方・同志の方々にもご報告申しあげたいと思ったのです。
12月3日という日付は、ささやかながら僕の主張を通したものです。もちろん、ジュリー祭り1周年という記念日ということですが、「大安」でなく「友引」というのが今の僕の気持ちに、とてもしっくりきたのです。

「結婚する」と言った時の友人や職場同僚のひっくり返る様はそのまま、それまでの僕がいかにそういう事からかけ離れていたかを示す物差しにもなりました。
今の僕の日常を違和感なく認めて頂けるよう、今後も努力するのみです。
ブログにつきましても、今まで通りの「自分が素直に見たジュリー」という方向性にて、みなさまの叱咤激励を頂きながら続けてまいります。

今後とも、どうぞよろしくお願い申しあげます。

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