沢田研二 「若き日の手紙」
「JULIE SINGLE COLLECTION BOX ~Polydor Yeas」収録
original released on 1977 シングル「勝手にしやがれ」B面
さて今日のお題は、リクエスト伝授であると同時に、新カテゴリー「ジュリー・ヴォーカル徹底分析」シリーズのスタートでもあります。
当初、ジュリーのヴォーカルスタイルについて日頃から考えております事を、アルバム「ストリッパー」から1曲選んで書こう、と思っていたのですが、結論に至るまでに他のアルバム収録曲についても触れていかねばならず、その調子で書いてしまうとブログ記事の範疇を超えた大長文になってしまいます。
ここはひとつ順を追って、数曲に分けて書いていこうかと。
いずれにしても僕が書きたいのは、ジュリーヴォーカルの、音楽ジャンルにおける適性についてのお話なのです。
いきなり結論から言ってしまうと、ジュリーヴォーカルの適性は徹底的に洋楽系である、と僕は考えています。
それはロックに限らず、ジャズ、シャンソンといったジャンルも範疇に考えてのことで、まずはロック的観点から2曲ほど採り上げ、ヴォーカルの「語尾」という点について語ってまいりたいと思います。
今日はその1曲目。
大恩人・fuji様より、以前に「PYGの伝授がキビしいようでしたらこの中から」と、何曲か挙げて頂いた中の1曲です。シングル「勝手にしやがれ」のB面から、「若き日の手紙」、伝授!
ジュリーは、いわゆる歌謡曲で頻繁に使用される日本人的なロングトーンについては、得意であるとは言えません。
フラットしてしまう癖があるのです。
「フラットする」というのは、正しい音程よりも微妙に低い音を発声をしてしまうことで、歌の上手い人でも、間隔が開いたり楽曲に慣れていなかったりすると、どうしても発生してくる、文字通り癖のようなものです。
日本では、そういう癖を全く持たない歌手をして、より「上手い」と評価する傾向があります(と言うか、ありました。70~80年代の業界では。今は、録音機材でのフラット修正が可能です。例えば最近のアイドル歌手のCDを聴いて、「昔のアイドルに比べて歌うまいなぁ」と感じていらっしゃいませんか?すべてとは言いませんが、機材による修正はある程度介入していると僕は想像しています。自分の趣味の録音作業でも、何度かやりましたから・・・爆)。
フラット癖には2つのパターンがあります。
まず1つ目は、歌い手の音域に対して曲の音程が高めである場合。
これは仕方のない場合もあり、軽くAまでの音域を持つジュリーに関しては、それが原因でフラットするパターンはほぼありません。唯一、ライヴ歌唱時の話ですが、アルバム「愛まで待てない」収録の「強いハート」という曲のサビ最高音部で時折目立つことがあるくらいです。この曲は音程移動の難易度が高いですから。
2つ目は、語尾のロングトーンでフラットするパターンです。
日本の歌謡曲独特な唱法における、ロングトーン。この場合、音の高さは問題ではありません。フラット癖が出易い歌唱法なのです。
これ要するに、セールス絶頂時(70年代後半から80年代前半)のジュリーは、自らの苦手なヴォーカルスタイルで頑張っていた、という事なのですね。皮肉な話ですが、レコ大はまぁセールス的に当然としても、最優秀歌唱賞とかも獲得しちゃいましたし。
で、どのように頑張っていたのか、についてですが。
① まず、歌唱法を日本的なスタイルそのままにやる場合。
フラット癖は歌う回数をこなせば修正されていきますので、何度もチェックしながらヴォーカルテイクを録音していたでしょう。
ド派手な歌謡曲路線突入直後のアルバム「思いきり気障な人生」、そして「今度は、華麗な宴をどうぞ」の2枚の収録曲には、フラット箇所はありません。
ただ、あれだけヒット曲を連発すると、そのうちシャレにならないくらい多忙になってきた、のでしょうね。
「LOVE~愛とは不幸を怖れないこと」「TOKIO」の2枚は、フラット連発状態です(シングル曲についてはじっくり時間をかけたらしく、フラットはありません)。録音に割く時間の問題だったのでは、と思います。僕はそんなヴォーカルも、ひっくるめて好きなんですけどね。
② ヴォーカルスタイルをロック的に転換。
ずいぶん前置きが長くなりましたが、コレです、今日のお話のメインは。
あくまでも、楽曲構成がロック的歌唱を求めている場合に限りますが、ロングトーンの語尾で徐々にテンション上げていって、最後の最後にシャウト!
ジュリーが、ストーンズやビートルズから無意識に学びとったヴォーカルスタイルだと思われます。ショーケンの本能的なシャウトとは全くの別物です。
「若き日の手紙」を初めて聴いた時は、笑撃でした(変換ミスじゃないよ。でも、からかっているワケでもないです)。
何とはナシに「あぁ、いかにもこの頃の感じな曲だなぁ」と油断して聴いていた、2番終了直後。
他楽器が忽然と消え、ドラムスのみの伴奏で
♪一度くらい、無茶をしてみませんか~♪
と、やり出した瞬間、何かある!とは予感しましたが・・・
3度目のリフレインで
♪一度くらいぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいやぁっっ!!!♪
そりゃ、確かに無茶だ!無茶しとる!
ここから先、延々とリフレインなのですが、ジュリーのシャウトを合図に再び噛みこんできた各楽器は、それまでの叙情性を完全否定するほどの狂乱プレイへとなだれ込みます。
楽曲の雰囲気が激しくなるよ!という、合図。ジュリーがヴォーカルでその役目を果たしているのです。これは、ロック独特のアプローチで、当時いわゆる「上手い」と言われていた他の歌手には出来ない芸当でもあります。
ただ、楽曲がそういうヴォーカルを求めていない場合は、このスタイルは使えない(爆)。
例えば、アルバム「TOKIO」収録の「MITSUKO」も、かなりフラットが目立つ曲ですが、万が一
♪会えなくなる日がくるより先にぃぃぃぃいいいやぁっ!!!♪
・・・・・・と、それはさすがに、ブチ壊しですがな。
だからこそ「若き日の手紙」は当時歌謡曲の看板だったジュリーナンバーの中にあって、すごく異質な仕上がりで。
B面に回されたのも、アルバム収録だと浮いちゃう、と判断されたからなのかもしれません。
阿久=大野ナンバー時代は、良かれ悪しかれ制作サイドの固定イメージってのはあったんだと思います。それが爆発的にヒットしたから、しばらくは他の人の楽曲は立ち入れなかったんですよね。
それまでのジュリーナンバーは、割とロックなヴォーカルスタンスを応用できる曲も多かった。「若き日の手紙」以前にも、「さぁバック演奏、激しく行けぃ!」っていう合図的シャウトの曲、ありますよ。
♪外わぁ~、ふぶきぃぃぃぃいいいやぁっ!!!♪
とかね。
この歌唱法が、当時の日本歌謡界のお偉いドコには「歌の上手さ」として全く評価されなかったのです。
時代的にちょっと早かったんだよねぇ。それは歌についてだけじゃないですけど。
その後、加瀬さんがプロデューサー復帰したり、銀次兄さんがモロに洋楽系のアプローチを施したりして、ジュリーナンバーはどんどんロッケンになっていき、本当に適性のあるヴォーカルスタイルが復活→確立されますが、それはまた、次の機会に。
ヴォーカルの話ではありませんが、ちょっと「若き日の手紙」のサウンドについて補足を。
上記の「ぃぃぃぃいいいやぁっ!」の後の、ドラムスなんですけどね。
コンプレッサーというエフェクターがかかっています。よく聴けば、金属的な感じがおわかりになるはず。
音的に、丁寧さよりは激しさを選ぶ・・・トリップなイメージを演出するべく、1965年に「シー・セッド、シー・セッド」という曲でビートルズのスタッフによって初めて編み出されたミックス処理の応用です。
この辺りは、B面曲ならではの遊び心ですね。
さぁ、ツアー初日まで、あと1ケ月半。
一度くらい無茶をしてみるかぁ!
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コメント
(心境変化で送信源アドをマントラふうに改新した投稿者です)
今回の文章は、分析力と音楽知識に基ずく御解釈による評論ですね。御熱心さに敬服いたします。
『憎みきれないろくでなし/俺とお前』のドーナツ盤を買った後に,『勝手にしやがれ』を購入したので、
このB面曲を聴いた時には「なんじゃこりゃー」と叫ばざるをえない感じを受けました。いや,ウケちゃったと表記すべきでしょう。「音楽コントか?」ですよねぇ…。若い人達から,ビジーフォーのパフォーマンスを先駆けていた、と誤解を招く程に突拍子な楽曲構成ですよね。
本題の、歌唱法の癖および持ち味,についてですが…
歌手は[唄う楽器]とも云えましょう。
思うに「沢田研二は、動くオルガン」でしょう,声質で定義するならばです。テナーサックスのような石原裕次郎でもなく,ヴァイオリン声さだまさし、でもない…。
[高音部が♭気味の]オルガン或いはアコーディオン、だから大野克夫メロディーに相性が良いし,cobaにも尊敬される。
投稿者独自のイメージですけどね、どうでしょうか?。的ハズレではないでしょ…。
投稿: 鉛筆 | 2009年4月20日 (月) 03時46分
瀬戸口さま
・・・・・ながっ
ジュリーのフラットシャウトに今度からは注目して聴いてみます。
長い伝授ありがとうございました。
活字離れは、ここで解消させていただいております。
(書き逃げなので、名前は伏せ字で)
投稿: しゃ● | 2009年4月20日 (月) 13時07分
こんばんは~
ジュリーの声をガン聴きしてるつもり
でも、ぜんっぜんわかりません(ノд・。)
フラットしてる。。。
そんなことがわかる程、深く広く、
ジュリーを聴いて行きたいですわ。。。
そして「日本人的なロングトーン」とは?
謎は深まります。。。
投稿: シロップ。 | 2009年4月20日 (月) 19時35分
みなさま~
早速のコメントどうもありがとうございます!
☆
鉛筆様
楽器に例えるとは…思いつきもしませんでした。
確かにジュリーはオルガン。或いはホンキートンク・ピアノですか。
タッチが自由なイメージですね。
それと、裕次郎のテナーサックスはドンピシャです~。
☆
しゃ●様
解りやすい伏せ字、ありがとうございます。
文章、ツメが甘かったです。
ジュリーは、シャウトする事によって、フラットを解消しているのです。
ですので、フラットシャウトってのは、ナイのですよ~。
フラットを堪能されるなら、「想い出を作るために愛するのではない」の「ないのです~♪」の「す」にご注目を~(書き方ややこしいって)。
☆
シロップ。様
フラット、わからない、という人の方が多いです。
YOKO君もそう言ってた事、あります。
僕が思うに、ジュリーにとってフラット癖は決して欠点ではありません。
以前mukumuku888様がコメントにて
「ジュリーはずっとヘタだヘタだと言われていた」と悲しげに書いていらしたので、今回は逆説で攻めてみたのです。
布施明さんの「ぃぃぃいいやぁっ!!!」は、あり得ないのだ、という記事なんです。
ややこしくてすみません~。
まだまだ伝授が甘いようです~。
投稿: 瀬戸口雅資 | 2009年4月20日 (月) 21時13分
瀬戸口さんの分析すごいなー、すごく勉強になります。
このブログを読んで、「若き日の手紙」を初めて聴いてみました。テクニカルな話はよくわかりませんが、徐々に盛り上がっていって最後にシャウトが炸裂するところがポール・マッカートニーの「Back Seat of My Car」っぽいとちょっと思いました。
でも、ジュリーのこの曲のような無茶なw展開にあまり驚きを覚えなかったのは、ポールのバラエティに富んだ曲の数々をたくさん聴いてきたせいでしょうね。
なんだか逆説的になってしまいますが、「The McCartney Years」のDVDを改めて見ながらジュリーの音楽的センス、先見性に驚く日々であります。
これからもブログ楽しみにしてます!
投稿: まっか | 2009年4月21日 (火) 01時08分
瀬戸口さ~ん
その、恩人は止めて下さいね。 (笑
ジュリーの埋もれている宝を表に出して下さり、私達は瀬戸口さんに感謝、感激しながら勉強していますので。 (頬笑
近年のジュリーの良さも教えて頂きましたので。
若き日の分析も、どうも有難う。
この曲、ジュリーに「1度ぐらい、無茶を・・」と後押ししてもらい、擦り切れるまで聞きました。
辿り着くまでのフラット感ですね。
だから、若ジュリーは儚げで、けなげでとなるのですか。
瀬戸口さん、勝手と若き日のレコーディング時、ジュリーは鼻かぜをひいてませんか。?
その声さえ微妙に色っぽいね。
それと、架空のオペラ時のジュリーの声質も、更に絶品ですね。
心地良いのは、全編、大野さんのアレンジはジュリーの声と相俟っているからかな。なんて思ったのですが、瀬戸口さんは如何でしたか。
投稿: fuji | 2009年4月21日 (火) 09時52分
わ。。
はずかしぃ。たまに来て書くんじゃなかったぁぁ。
でも おかげでよくわかりました。「す」ですね。「す」。
投稿: しゃん | 2009年4月21日 (火) 10時13分
私もジュリーのフラット癖(?)、嫌いじゃありません。むしろ好きです。
下手なのじゃなくて、ほんの少し、ホントにほんの少し、不安定さがあって、その微妙な不安定さにどうしようもなく惹かれるからです。
いかにも「完璧ですっ!」という歌唱なら、こうも惹かれはしないだろうと思うのですよ。
だからきっと当時のスタッフも、その癖は無意識の色気のうちだと判断して、そのままテイクしたのではないかと、勝手に思っていたりします(笑)。
投稿: 白兎 | 2009年4月21日 (火) 21時47分
みなさま、いらっしゃいませ。
今日もコメントありがとうございます~。
☆
まっか様
いや、「バックシート」は名曲ですわ。
ポール版「感情ドライブ」です。
構成凝ってますし、箇所ごとにヴォーカルニュアンスが全く違うんですよね。
ジュリーナンバーには、ポールやジョージのソロ期とリンクする曲が結構あります。
「マッカートニーイヤーズ」、東京ドームの相方・YOKO君に貸し出したまま、半年経ちます。
そろそろ取り戻さねば。
☆
fuji様
若輩者ですが…近年のジュリーの魅力を伝授できているなら、こんな嬉しい事はないです~。
ホント、「近年」は僕自身12月以降に知った魅力ですから、その分文章も熱くなってるかもです。
この曲確かに、ジュリー風邪ひいてるっぽいです。
喉より鼻にきちゃう人みたいですね。
それにしても、fuji様。
無茶…なさったのですね。
☆
しゃん様
「す」で思い出しましたが。
フラット解消法のひとつに、音を2つに分ける、ってのがありまして。
例えば「す~~~~」と伸ばすのではなく、
「すう~~~~」と伸ばすと、「う」の部分で正しい音程に辿り着けるのです。
でも、ジュリーはその歌唱法がキライのようで、
あくまでビシッと語尾の1音のみを伸ばします。
この辺も洋楽系。
次回は「語尾を伸ばすのではなく、ブッた斬る!」唱法について、書きます。
課題曲は、しゃん様お気にの「FOXY FOX」で行きますよ~♪
投稿: 瀬戸口雅資 | 2009年4月21日 (火) 21時55分
瀬戸口さまの恩人さんとの通信に、差し出口を恐縮ながら記入いたします。
ラジオでジュリーが語っておりました…
「『勝手にしやがれ』をレコーディングした日は、唄う前に水泳しててね。だから,あのレコードは鼻声なんですよ」
というわけなり。
ついでに、斉藤ノブさんがラジオで喋っていたこと…
「大野克夫さんからスタジオに呼ばれて[何か物足りないんだよ。派手な感じで好きなように叩いてくれないか]と言われたのを覚えてますよ」
だそうです。
(いつか、ロンリー・ウルフを題材に,大野克夫サウンドの特質を解明、よろしく御伝授お待ち申し上げます。。)
投稿: 鉛筆 | 2009年4月22日 (水) 01時09分
みなさま~。
コメントどうもありがとうございます。
☆
白兎様
おひさしぶりです~。
昨夜はタッチの差でコメントに気づかず、レスできませんでした。
大変失礼いたしました~。
引き続き遊びに来て頂けているようで、嬉しいです。
僕も、スタッフのみなさんはジュリーのヴォーカルは、こうだからイイんだ、って思っていたと考えていますよ。
ただ、ジュリーのフラット癖は、明らかに70年代後半に集中していますから、
やはり、いわゆる歌謡曲との相性は、良くなかったんだとも思います。
曲ではなく、アレンジの問題かと。
ギターとストリングス、微妙にチューニングが違ったりしてますし、
あと、ベース音が「回ってる」んですよ。
これについても、いつか考えをまとめて書きたいなぁ、と。
現在のベースレススタイルの謎にも迫ったりして。
また遊びにきてくださいね~。
☆
鉛筆様
初めて知りました。
水泳直後、だったのですか…。
斉藤ノブさんのはパーカッションは、「勝手にしやがれ」の命ですね。
昨年放映の「SONGS」では、しっかりそのアレンジ配慮がありましたよね。
「思いきり~」では、ノブさんもそうですが、羽田健太郎さんのピアノが特徴あります。
大野さんはロックなタッチ、羽田さんはクラシックなタッチです。
「サムライ」のシングルヴァージョンとアルバムヴァージョンを聴き比べると楽しいですよ。
一番違うのはピアノのタッチだと思ってます~。
投稿: 瀬戸口雅資 | 2009年4月22日 (水) 21時19分
ジュリぃの歌唱で改めて感動したのは"勝手にしやがれ"でした。3回の♪ア~ア、ア~ア♪が全く意味が違う、という事。僕の解釈としては1回目はストーリー・テラーとして、2回目は内省的な、そして3回目の大爆発!ヤケッパチです。子供心に3回目の大サビが好きでした。これには改めて"沢田研二"を見直す好いきっかけになりました。同じメロディーでも"One Man and A Band"では違いますモンね。
投稿: taktm70 | 2013年3月28日 (木) 11時55分
taktm70様
ありがとうございます!
「勝手にしやがれ」の「アァ…」のそれぞれの違い…言われてみますと本当にそうですね。
子供心にその辺り、無意識にではありますが気づいていたようで、僕は3度目の「アァ…」が好きでした。今になってそれが「ヤケッパチ」のカッコ良さだったのだと分かります。
表現力に秀でた歌い手は多いですが、ジュリーはこの若さで「ヤケッパチ」をむき出しに晒した姿がカッコイイことを本能的に悟り、またできてしまう人だったのですね。
2回目が内省的、という解釈には「なるほど」と思いました。確かに少しトーンが暗めに聴こえます。
また是非他の記事にも遊びにいらしてくださいませ!
投稿: DYNAMITE | 2013年3月28日 (木) 21時46分