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2009年4月24日 (金)

沢田研二 「桜舞う」

from『俺たち最高』、2006

Oretatisaikou


1. 涙のhappy new year
2. 俺たち最高
3. Caress
4. 勇気凛々
5. 桜舞う
6. weeping swallow
7. 遠い夏
8. now here man
9. Aurora
10. 未来地図

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職場近辺の桜並木も、今週末にはすべて散ってしまいました。

いきなりですが、僕は20代までいわゆる「花を愛でる」という感性がほとんどありませんでした。幼少時、動物やら昆虫(おいおい)やらはずいぶん可愛がったものですが、植物にはまったく関心が無くて。
今思うと僕の出身高校なんて、そりゃ素晴らしい桜の大群に囲まれた場所にあったのですが、3年間通して、卒業式の時だって、咲き乱れている桜に何の感慨も抱かなかったんだよなぁ。

それが、30を過ぎたあたりから、何となく春になると桜が気になってくるようになって、その気持ちは年々強まっていくように感じます。
多くのジュリーファンの皆様の中にあって、僕はまだまだ若造の部類です。そんな僕がこんな事を言うのもナンなんですけど、やっぱり年をとった、という事でしょう。極論ですけど、桜ってのは自分の人生が先へ先へと進んだ分だけ、或いは大切な人との別れを経験した数だけ、どんどん愛おしくなっていく花なのではないか、と考えるからです。
でなければ、センスに欠けた僕が、こんな感慨を桜に抱くはずがないのです。

母親を亡くしたのが、やっぱり散りぎわのこの季節でした。もう10年近く経ちます。
闘病は1年近く、入院してからは半年くらい。相当田舎の病院でしたから、周りに大きな建物があるわけでもなく、すさまじい数の桜が咲いていたのを鮮明に覚えています。
花が咲く頃には、母親は既にモルヒネの副作用でそりゃあもう、ハイな状態(歌うわ踊るわ、大変)でしたので、本人が病院の窓から見える無数の桜をどのように感じていたのかは、ハッキリしないんですけどね。

やっぱり、死別っていうのは先に逝かれる方が圧倒的に(というか身勝手に)辛い。
昨年は、叔父が一人、高校の同級生が一人、先に逝きました。年々こういう話が増えてきます。これから、さらに加速していくんでしょう。

最近のジュリーの作詞に、死による別れを暗示したものが多いことは皆様お気づきかと思います。当ブログ「いい風よ吹け」の記事でも、そんなことを書きました。
僕がその系統のジュリーの詞に特に惹かれるのは、それらの作品が必ず「逝かれる側」「見送る側」の視点で描かれている、という事なんです。
若干「いい風よ吹け」の話と被ってしまいますが、せっかくのこの季節ですから。今日はアルバム「俺たち最高」から、切ないバラードです。「桜舞う」伝授!

大体(若い頃の)男ってのは勝手なもので「お前より先に死にたい」とかカッコつけて、奥様や恋人への愛情表現として熱く語りたがるみたいです。
僕も友人のカップルがそんな話をしているのを、実際に目の前で聞いていたことがありました。当時はその発言について、何も感じなかったんですけど。
ジュリーに堕ちた今となっては、その言葉がどれだけ女性に対してナンセンスなのか、解ります。
この手のジュリーの詞が、一番悲しいテーマを歌っているはずなのに、何故か爽快にすら聴こえてしまうのは、詞にこめられた優しさの為せるものだと思います。
相手を見届ける、という優しさです。カッコをつけないカッコ良さ・・・それは、今のジュリーの内面から滲み出てしまっている、もはや人格全体の魅力にすらなっているような気がするのですが・・・。

「桜舞う」では

♪君を残して、どうして行けるだろう♪

とか

♪君のあとから、僕は行く♪

といった部分に、すごく感動してしまうワケですよ。
つくづく、僕は男子のファンで良かったなぁ、と思ってしまうんです。深く考えずにカッコつける、という男性独特の欠点を、ジュリーの歌は戒めてくれます。

・・・って、カッコつけないうちに、曲の話にまいりましょうか。
これは下山さんの作曲作品です。このアルバムあたりから、作曲についても鉄人バンドのクレジットの占める割合が高くなってきます。きっと、「Pleasure Pleasure」(思わず綴りを再確認した爆)も、そうでしょうね(てか、まだこれがニューアルバムのタイトルと決まったわけでは・・・)。
下山さんの作曲作品は、それまでにも「新しい想い出2001」収録の「あの日は雨」がシングルにもなったりしました。アルバム1枚につき1曲、というのが定着していますが、「桜舞う」は本当に素晴らしいメロディーを擁する本格的なバラードで。間奏直後に転調が元に戻るあたりもとても美しいですし、現時点で下山さん作曲のジュリーナンバー最高作だと僕は思っております。

アルバム「俺たち最高」と言えば、やはり前作「greenboy」まで5枚継続した演奏スタイルからの、大幅な楽器構成変化について語らねばなりません。
それまでは、キーボードを排除したハードかつ無骨なロックサウンド。それが一転、シンセサイザーを最大限活用した新境地のサウンドへ。
しかも、ベース無し。これはちょっと物議をかもしたでしょうね。
ベースレスのサウンドというのは巷にも多くありますが、大抵はアコースティック系か、変則的な楽曲を扱うバンドに限られます。
ところが、ジュリーが演っているのは、相変わらずロックであるわけで。
ロックでベース無し、ってのは、冒険ですよ。叩かれ覚悟だったかもしれません。
ただ、前回記事で少し書きましたジュリーのフラット癖・・・それがこのアルバム以降皆無となっている点に注目してみたい、と。
歌う場所とかにもよりますが、ベースというのは一番「回りやすい」楽器で、残響音の返りによっては、周りの音と不協して聴こえてしまう事があるんです。当然、ヴォーカリストに与える影響ははかり知れません。

例えばこれは経験者でないと解らないのかもしれませんが、ライブ会場の話で言うと、ステージと客席とでは、聴こえてる音って全然違うんですよ。
ステージで聴こえている音のことを「モニター」と言います。それをコントロールするのは、歌い手や演奏者の能力ではなく、機材の性能なんです。これは、極端な話、お金をかければかけるだけ良い。
今のジュリーは、その辺りの経費は抑え、その代わりにたくさんの土地で回数をこなす、という点に経費を注いでいるのではないでしょうか。
まぁ、昨年から徐々に潤ってきているはずですので、この先は解りませんけど。

その、ベースレスのアルバム作りですが、「俺たち最高」は上手いことやってます。これは白井さんの努力と情熱が大きいでしょう。
「桜舞う」にしても、ベースレスの違和感はほとんどありません。

僕がこのアルバムで「桜舞う」以外に好きなのは「遠い夏」と「weeping swallow」(6月26日註:「未来地図」が屈指の大名曲である事に今さら気づく。コレがアルバムNo.1)。
「遠い夏」はジュリー作詞作曲のかなり変テコな曲ですが、どうも僕は「涼しい夏の郷愁」というテーマにヤラレやすいらしい。詞については「時計/夏がいく」と同じ感覚で聴いてます。一見ふざけているような曲ですが、味わい深いです。
「weeping~」は、これも最近のジュリー作詞作品のもうひとつの核である「LOVE & PEACE」を掘り下げたメッセージソング。「希望」や「我が窮状」へと繋がっていく重要なナンバーですね。
GRACE姉さん×白井さん黄金コンビによる「now here man」もかなり好きな曲ですが、この曲に関してはベースレスがイタい。曲調的に、ランニングベースが求められていますからねぇ。でも、気にならない人は、気にならないのかな?

最後に。
そこまで強烈に推しているわけではないのですが、買っておいた方が良いです、このアルバムは。
「生きてたらシアワセ」が、売り切れ直後に中古で凄まじい値段に化けたのを目の当たりにしてますからね。「俺たち最高」も、プレス自体そんなに多いとは思えないのです。
何より、収録曲のLIVE率が高そうじゃないですか!
今年、「遠い夏」を演りそうな気がするんですけど。
ま、僕のセットリスト予想って、全然当たらないんですけどね。

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瀬戸口雅資のジュリー一撃伝授!」カテゴリの記事

コメント

アルバム『第六感』及びその1998年ツアーを聴いた折に,投稿者はひとまず[ジュリーファン]を退きました。
理由を今にして思えば、沢田氏のボーカルが年齢ゆえに重たくなっていったこと・白井氏による編曲の重厚さが肌に合わないこと、等が挙げられます。
なので、それ以降のアルバムには興味を持てませんでした。けれど、氏の還暦に触れてファンの立場を復活。このアルバム『俺たち最高』は購入しましたよ。

瀬戸口さまに同じく投稿者も、
『桜舞う』『weeping swallow』『遠い夏』〜三曲が好みです。
この時期だったでしょうか、沢田氏が婦人雑誌で「あと何回,夫婦で桜を観ることができるだろうか、と考えたりしますね…」と語っておられました。

投稿者も40代後半を生きる現在ではありますが、生の有限性・いのちの儚さ,に思いを寄せたりもいたします。小動物や草花の態は、それを告げてきますねぇ。

さて、アルバムに視点を戻しますが,投稿者は同題曲『俺たち最高』の詞を好きになれません。
「世相がどうであれ自分を最高と思って開き直り生きていこうぜ」というようなメッセージが込められているのでしょうが…、選ばれた単語の列びに,俗っぽさが臭うので、どうも受けつけない。
投稿者は、ZUZUの優雅な世界を,信奉しているからかな。。

投稿: 鉛筆 | 2009年4月25日 (土) 00時37分

おお、ありがとうございます!

勉強になりもうした

投稿: ぬこ好き太郎 | 2009年4月25日 (土) 00時59分

「桜舞う」は予備知識なしで、ライブで初めて聞きました。
久しぶりのジュリーでした。
最初は、あまり調子の良くない声に寂しさを覚えました。
(ジュリーはスロースターターだから大概そうなんだった。)
でも、数曲進むうちに、目も耳も釘付けに。

「桜舞う」が始まったとき
  ああ、来てよかった。
  ジュリーの歌はいつも心にすっと入ってくる
  不思議

 と思いました。

そのうち、ぼろぼろ泣けてきました。
同年代の身内が手術した後だったからかな。
(今も闘病中。奥さんが支えています。)

老けてきたジュリーを、見るのはつらいなと思っていた自分が愚かでした。
「WEEPING SWALLOW」も好きです。ボーカルが力強い♡

投稿: morie | 2009年4月25日 (土) 10時10分

久々にぽちっ直行の伝授ありがとうございます~
あぶなかったです、
Amazonでは出品者からしか買えなくなってる・・・

ベースレスについてなんですが
ド素人故の的外れな質問、笑ってください。。
あのぉ、ベースレスと、
ライブの時
ジュリーが耳に入れるヤツ(名前がわかりません)
使わないってこと
関係あります?
今ほとんどの人がステージで使ってますよねぇ。。。

それから、センスに欠けるとおっしゃいますが
いえいえ、
瀬戸口さんはロマンチストだと思いますよ~(*^ー゚)b

投稿: シロップ。 | 2009年4月25日 (土) 18時32分

二度目にのぞいて読み返してみて、
というか、二週間前に友人が自殺して、
すごくせつなくなっています。

>桜舞う季節

別の友人が四年前に自殺したのも、
四月でした。
西行の「願わくば花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」
というのが遺書の一部にありました。

思い出すと号泣します。

投稿: ぬこ好き太郎 | 2009年4月25日 (土) 22時00分

みなさま、コメントありがとうございます。

お気づきの方も多いと思いますが、最近ココログさんのランキング解析サービスを利用して、人気記事とアクセス地域のベストテンを公開しています。
新しい記事をアップするたび、多くの方が遊びにきて下さっている事が分かり、あらためて感激させられております。

鉛筆様

実は僕も、以前はジュリーの詞に使用されるフレーズの素っ頓狂さを甘く見ていました。
今は、そうではないのです。

どうもジュリーは、語感でフレーズを選んでいるようです。歌う際に一番生きる母音を、メロディーと合わせてひねり出しているのではないでしょうか。
近年のジュリーの作詞ナンバーが、曲先行のスタイルだと考えている旨、以前書きましたが、これがその理由のひとつです。

「第六感」以降にブランクがおありでしたら、2000年の「来タルベキ素敵」だけでも聴いて頂きたいと思います。
僕もずっとハードロックは苦手でしたから、おっしゃる事はすごく良くわかるのです。
でも、勿体ないですよ~。
2000年代のアルバムには、とても勇気をもらっています。

ぬこ好き太郎様

タイミング悪かったでしょうか?
「桜舞う」を聴くのが辛くなってしまいましたか?
そうならないことを祈ります。名曲ですから。

音楽は時に残酷です。
記事と少し関連しますが、僕は母を亡くして以降、ジョン・レノンの「MOTHER」という曲が全く聴けなくなりました。
それまでは、圧倒的に好きな楽曲だったのです。

以前「あのままだよ」の記事の際、「MOTHER」とのアレンジ比較を書こうと思ったのですが、結局書けませんでした。
触れることができなかったのです。

幸い、ジュリーの楽曲にそういう曲は未だありません。
この先も、すべての曲が、生きる力となってほしいものです。

morie様

LIVEで予備知識なく聴いた曲に、ガツンとヤラレてしまう感覚、わかります。
僕は「奇跡元年」で聴いた「希望」がそういう曲でした。

「桜舞う」は確かに強烈だったことでしょう。

僕は、LIVEでの「若い頃のジュリー」を知らないので、逆に70年代の映像を観るのが辛い(爆)。これはカッコ良すぎて反則だろう、と。
今のジュリーは、理想の老後、みたいな感じで観てます。
この辺りは、新参組の特権かもしれませんね。

シロップ。様

あ、やはりそろそろ品切れになりますか、「俺たち最高」。
当記事が購入のきっかけになれたのなら、良かったです。
たぶんもうすぐに中古価格が1万円を超えますよ。「生きシア」の時みたいに。

で。
LIVEの時耳に入れるヤツって…。
何でしょう?
全く気づいていません。お恥ずかしい。
打ち込みのサンプリングを聴いているのではないか、とは思いますが。
曲によっては、LIVEでも打ち込みがバックで制御している曲もありますから。
ベースレスと関係は無い…と思いますが自信ありません。
お答えできずすみません(汗)。

自分は、ロマンティックなセンスとはかけ離れたヤツなんです…。
熱いことは熱いですが、冷静な観察眼がありません~。

投稿: 瀬戸口雅資 | 2009年4月26日 (日) 02時26分

申し訳ありません。。
皆様「桜舞う」の真剣な思いを語られてるのに
的外れはいつもの事ながら、
今回はまた一段と意味不明そして
お恥ずかしいコメントを残してしまいました。
瀬戸口さんの は? というつぶやきが
聞こえた気がします。。。

弁解させていただくとですね。
>>ベースというのは一番「回りやすい」楽器で・・・
ヴォーカリストに与える影響ははかり知れません。

ここで、
なるほどジュリーはベースがあると歌いづらいのか・・と思い。
「耳に入れるヤツ」ってイヤーモニターって言うんですってね。
それをジュリーはつけたくない(つけてないですよね?)。
で、ベースを入れなければ、イヤーモニターなしでも
ヴォーカルは大丈夫と。
そんな経緯で、ベースレスになったんですか?
という趣旨の質問だったんです。
そんな理由じゃないですよね、ベースレスにしたのは。
こらからはもっとちゃんと、書く前に考えます。。


投稿: シロップ。 | 2009年4月26日 (日) 16時10分

シロップ。様

いや、お気になさらず~。
考えて書く必要なんてないですよ。どうか思ったことをそのまま書いてください。
軽かろうが重かろうが、記事にコメントを頂ける皆様には、いつも感謝しております。

楽曲の受け取り方に絶対なんてないのですから。
何でも書いてくださいね。
僕自身は結構打たれ強いハートを持っていますから、気にするなんて事は、ないですよ。

それで。
僕は、イヤーモニター、知りませんでした、ホントに。

ベースがジュリーの声と被ってしまう、というのも、ベースレス体制のひとつの要因としてあるみたいです。
これは、奇跡元年でお隣になった女性の方から教えて頂きました。
ジュリーのLIVEは、やはりヴォーカルメインですからねぇ。
ただ、その方も個人的にはベースがあった方が好き、とはおっしゃっておられましたが。

最後に。
たった今、大量に溜め込んだ本やら雑誌やらを片付けて掃除しておりましたら、
「来ルベキ素敵」
無事、一番下から発掘されましたことを御報告しておきます~。
畳の上で保護色化しておりました(爆)。

投稿: 瀬戸口雅資 | 2009年4月26日 (日) 17時00分

こんばんは。

ホントすみません、
遠慮なくまたお邪魔します~

よかったです!
「耒タルベキ素敵」発掘記念日ですね。
埋蔵されたままじゃジュリーにも
申し訳ないですよねぇ、
なんだか。

おかげ様で当方にも
「俺たち最高」到着しました。
HMV早っ。。。

投稿: シロップ。 | 2009年4月26日 (日) 21時37分

こんばんわ。
今日の強風でお隣の八重桜が一気に舞い散り、道が桜色に・・うらめしくもドライな「桜舞う」でした。
私も場違いかと恐縮しつつ、コメントさせていただきます。
「残響音の返り」だったのですね。ライブ後半盛り上がっている最中に起きるあの不協和音は。
全く音に詳しくない私はベーシストの間違いを疑っていました。(依知川さんごめんなさい、です)ところがベースがなくてもまたまた・・。今度は大輝さん?それともPA?とにかく謎でした。あれが続くとちょっとテンションが下がります。
機材の性能で解消できることなのですね。演奏者のせいではないと割り切れば、あまり気にせずに聴けるようになるのでしょうか。
長年の疑問だったものですから、ありがとうございました。

投稿: M・U | 2009年4月26日 (日) 23時13分

今日もコメントありがとうございます~。

シロップ。様

おかげさまで。
文庫やら雑誌やら新聞やらの下から、あの紙ジャケが忽然と出現した時は感動いたしました。

ジャケは覚えていましたが、あの複雑な折りたたみ方式はすっかり忘れてましたよ。

「俺たち最高」、着きましたか~。
アレは角が鋭く尖ってますからご注意を。

M・U様

おそらくそれ、打ち込みのサンプリング音源だと思うんですよ~。自信はないですけど。
「奇跡元年」渋谷2日目では「約束の地」で音が回りまくってましたが、多分鍵盤系のサンプリングかと。
でも鉄人バンドのみなさんプロですよね。全然焦らないですもの。

CCレモンホールは、ステージと客席の音がかなり近いと思われます。
回らない音で聴きたい場合は2Fがオススメと聞いたこともありますが。
でも、1Fがいいですよねぇ…。

投稿: 瀬戸口雅資 | 2009年4月27日 (月) 20時20分

「おかあさん、ぼくがいなくなったらどうする。ほんとにいなくなったら、なく。なかなかったらへんだよ。ぼくがかえってきたら、うれしなきして、わらう。そしたら、ぼくもわらうよ。そして、もとに、もどる」

〜1969年の春(1968年度末)に
小学1年生。我が所属組40名に配られた作文集より、不肖なる私の詩です。本人は[作文]のつもりでした。。
(40人のうち誰かが画面をご覧でも、本名は内緒にね。)

担任教諭に記念文集のために「作文せよ」と求められた授業時間を覚えています。40分のうち30分程は考えており、ふと或るふたつの歌が頭の中を流れてきたのです。
テンプターズの『おかあさん』そして、タイガースの『青い鳥』
当時の流行歌2曲が相まって,文(詩)を綴れた、というわけです。

さて、詩には題がありません。今、付けるとしたら…
『おかあさん』
『青い鳥』
『おかあさんと青い鳥』

瀬戸口さまにお選びいただきたく存じます。。

投稿: 鉛筆 | 2009年4月29日 (水) 22時51分

鉛筆様

うわ!
小学1年生でこれは、反則ですよ。神童レベルです。『眩暈』冒頭ばりのインパクトがありますよ!

僕が6歳の頃なんて、「個」対「個」で家族を見れていなかったですよ。
家を出るなんて想像もしてなかった…。

投稿: 瀬戸口雅資 | 2009年4月30日 (木) 07時09分

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