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2009年4月

2009年4月24日 (金)

沢田研二 「桜舞う」

~from「俺たち最高」、2006

職場近辺の桜並木も、今週末にはすべて散ってしまいました。

いきなりですが、僕は20代までいわゆる「花を愛でる」という感性がほとんどありませんでした。幼少時、動物やら昆虫(おいおい)やらはずいぶん可愛がったものですが、植物にはまったく関心が無くて。
今思うと僕の出身高校なんて、そりゃ素晴らしい桜の大群に囲まれた場所にあったのですが、3年間通して、卒業式の時だって、咲き乱れている桜に何の感慨も抱かなかったんだよなぁ。

それが、30を過ぎたあたりから、何となく春になると桜が気になってくるようになって、その気持ちは年々強まっていくように感じます。
多くのジュリーファンの皆様の中にあって、僕はまだまだ若造の部類です。そんな僕がこんな事を言うのもナンなんですけど、やっぱり年をとった、という事でしょう。極論ですけど、桜ってのは自分の人生が先へ先へと進んだ分だけ、或いは大切な人との別れを経験した数だけ、どんどん愛おしくなっていく花なのではないか、と考えるからです。
でなければ、センスに欠けた僕が、こんな感慨を桜に抱くはずがないのです。

母親を亡くしたのが、やっぱり散りぎわのこの季節でした。もう10年近く経ちます。
闘病は1年近く、入院してからは半年くらい。相当田舎の病院でしたから、周りに大きな建物があるわけでもなく、すさまじい数の桜が咲いていたのを鮮明に覚えています。
花が咲く頃には、母親は既にモルヒネの副作用でそりゃあもう、ハイな状態(歌うわ踊るわ、大変)でしたので、本人が病院の窓から見える無数の桜をどのように感じていたのかは、ハッキリしないんですけどね。

やっぱり、死別っていうのは先に逝かれる方が圧倒的に(というか身勝手に)辛い。
昨年は、叔父が一人、高校の同級生が一人、先に逝きました。年々こういう話が増えてきます。これから、さらに加速していくんでしょう。

最近のジュリーの作詞に、死による別れを暗示したものが多いことは皆様お気づきかと思います。当ブログ「いい風よ吹け」の記事でも、そんなことを書きました。
僕がその系統のジュリーの詞に特に惹かれるのは、それらの作品が必ず「逝かれる側」「見送る側」の視点で描かれている、という事なんです。
若干「いい風よ吹け」の話と被ってしまいますが、せっかくのこの季節ですから。今日はアルバム「俺たち最高」から、切ないバラードです。「桜舞う」伝授!

大体(若い頃の)男ってのは勝手なもので「お前より先に死にたい」とかカッコつけて、奥様や恋人への愛情表現として熱く語りたがるみたいです。
僕も友人のカップルがそんな話をしているのを、実際に目の前で聞いていたことがありました。当時はその発言について、何も感じなかったんですけど。
ジュリーに堕ちた今となっては、その言葉がどれだけ女性に対してナンセンスなのか、解ります。
この手のジュリーの詞が、一番悲しいテーマを歌っているはずなのに、何故か爽快にすら聴こえてしまうのは、詞にこめられた優しさの為せるものだと思います。
相手を見届ける、という優しさです。カッコをつけないカッコ良さ・・・それは、今のジュリーの内面から滲み出てしまっている、もはや人格全体の魅力にすらなっているような気がするのですが・・・。

「桜舞う」では

♪君を残して、どうして行けるだろう♪

とか

♪君のあとから、僕は行く♪

といった部分に、すごく感動してしまうワケですよ。
つくづく、僕は男子のファンで良かったなぁ、と思ってしまうんです。深く考えずにカッコつける、という男性独特の欠点を、ジュリーの歌は戒めてくれます。

・・・って、カッコつけないうちに、曲の話にまいりましょうか。
これは下山さんの作曲作品です。このアルバムあたりから、作曲についても鉄人バンドのクレジットの占める割合が高くなってきます。きっと、「Pleasure Pleasure」(思わず綴りを再確認した爆)も、そうでしょうね(てか、まだこれがニューアルバムのタイトルと決まったわけでは・・・)。
下山さんの作曲作品は、それまでにも「新しい想い出2001」収録の「あの日は雨」がシングルにもなったりしました。アルバム1枚につき1曲、というのが定着していますが、「桜舞う」は本当に素晴らしいメロディーを擁する本格的なバラードで。間奏直後に転調が元に戻るあたりもとても美しいですし、現時点で下山さん作曲のジュリーナンバー最高作だと僕は思っております。

アルバム「俺たち最高」と言えば、やはり前作「greenboy」まで5枚継続した演奏スタイルからの、大幅な楽器構成変化について語らねばなりません。
それまでは、キーボードを排除したハードかつ無骨なロックサウンド。それが一転、シンセサイザーを最大限活用した新境地のサウンドへ。
しかも、ベース無し。これはちょっと物議をかもしたでしょうね。
ベースレスのサウンドというのは巷にも多くありますが、大抵はアコースティック系か、変則的な楽曲を扱うバンドに限られます。
ところが、ジュリーが演っているのは、相変わらずロックであるわけで。
ロックでベース無し、ってのは、冒険ですよ。叩かれ覚悟だったかもしれません。
ただ、前回記事で少し書きましたジュリーのフラット癖・・・それがこのアルバム以降皆無となっている点に注目してみたい、と。
歌う場所とかにもよりますが、ベースというのは一番「回りやすい」楽器で、残響音の返りによっては、周りの音と不協して聴こえてしまう事があるんです。当然、ヴォーカリストに与える影響ははかり知れません。

例えばこれは経験者でないと解らないのかもしれませんが、ライブ会場の話で言うと、ステージと客席とでは、聴こえてる音って全然違うんですよ。
ステージで聴こえている音のことを「モニター」と言います。それをコントロールするのは、歌い手や演奏者の能力ではなく、機材の性能なんです。これは、極端な話、お金をかければかけるだけ良い。
今のジュリーは、その辺りの経費は抑え、その代わりにたくさんの土地で回数をこなす、という点に経費を注いでいるのではないでしょうか。
まぁ、昨年から徐々に潤ってきているはずですので、この先は解りませんけど。

その、ベースレスのアルバム作りですが、「俺たち最高」は上手いことやってます。これは白井さんの努力と情熱が大きいでしょう。
「桜舞う」にしても、ベースレスの違和感はほとんどありません。

僕がこのアルバムで「桜舞う」以外に好きなのは「遠い夏」と「weeping swallow」(6月26日註:「未来地図」が屈指の大名曲である事に今さら気づく。コレがアルバムNo.1)。
「遠い夏」はジュリー作詞作曲のかなり変テコな曲ですが、どうも僕は「涼しい夏の郷愁」というテーマにヤラレやすいらしい。詞については「時計/夏がいく」と同じ感覚で聴いてます。一見ふざけているような曲ですが、味わい深いです。
「weeping~」は、これも最近のジュリー作詞作品のもうひとつの核である「LOVE & PEACE」を掘り下げたメッセージソング。「希望」や「我が窮状」へと繋がっていく重要なナンバーですね。
GRACE姉さん×白井さん黄金コンビによる「now here man」もかなり好きな曲ですが、この曲に関してはベースレスがイタい。曲調的に、ランニングベースが求められていますからねぇ。でも、気にならない人は、気にならないのかな?

最後に。
そこまで強烈に推しているわけではないのですが、買っておいた方が良いです、このアルバムは。
「生きてたらシアワセ」が、売り切れ直後に中古で凄まじい値段に化けたのを目の当たりにしてますからね。「俺たち最高」も、プレス自体そんなに多いとは思えないのです。
何より、収録曲のLIVE率が高そうじゃないですか!
今年、「遠い夏」を演りそうな気がするんですけど。
ま、僕のセットリスト予想って、全然当たらないんですけどね。

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2009年4月20日 (月)

沢田研二 「若き日の手紙」

「JULIE SINGLE COLLECTION BOX ~Polydor Yeas」収録
original released on 1977 シングル「勝手にしやがれ」B面

さて今日のお題は、リクエスト伝授であると同時に、新カテゴリー「ジュリー・ヴォーカル徹底分析」シリーズのスタートでもあります。
当初、ジュリーのヴォーカルスタイルについて日頃から考えております事を、アルバム「ストリッパー」から1曲選んで書こう、と思っていたのですが、結論に至るまでに他のアルバム収録曲についても触れていかねばならず、その調子で書いてしまうとブログ記事の範疇を超えた大長文になってしまいます。
ここはひとつ順を追って、数曲に分けて書いていこうかと。

いずれにしても僕が書きたいのは、ジュリーヴォーカルの、音楽ジャンルにおける適性についてのお話なのです。
いきなり結論から言ってしまうと、ジュリーヴォーカルの適性は徹底的に洋楽系である、と僕は考えています。
それはロックに限らず、ジャズ、シャンソンといったジャンルも範疇に考えてのことで、まずはロック的観点から2曲ほど採り上げ、ヴォーカルの「語尾」という点について語ってまいりたいと思います。
今日はその1曲目。
大恩人・fuji様より、以前に「PYGの伝授がキビしいようでしたらこの中から」と、何曲か挙げて頂いた中の1曲です。シングル「勝手にしやがれ」のB面から、「若き日の手紙」、伝授!

ジュリーは、いわゆる歌謡曲で頻繁に使用される日本人的なロングトーンについては、得意であるとは言えません。
フラットしてしまう癖があるのです。
「フラットする」というのは、正しい音程よりも微妙に低い音を発声をしてしまうことで、歌の上手い人でも、間隔が開いたり楽曲に慣れていなかったりすると、どうしても発生してくる、文字通り癖のようなものです。
日本では、そういう癖を全く持たない歌手をして、より「上手い」と評価する傾向があります(と言うか、ありました。70~80年代の業界では。今は、録音機材でのフラット修正が可能です。例えば最近のアイドル歌手のCDを聴いて、「昔のアイドルに比べて歌うまいなぁ」と感じていらっしゃいませんか?すべてとは言いませんが、機材による修正はある程度介入していると僕は想像しています。自分の趣味の録音作業でも、何度かやりましたから・・・爆)。

フラット癖には2つのパターンがあります。
まず1つ目は、歌い手の音域に対して曲の音程が高めである場合。
これは仕方のない場合もあり、軽くAまでの音域を持つジュリーに関しては、それが原因でフラットするパターンはほぼありません。唯一、ライヴ歌唱時の話ですが、アルバム「愛まで待てない」収録の「強いハート」という曲のサビ最高音部で時折目立つことがあるくらいです。この曲は音程移動の難易度が高いですから。

2つ目は、語尾のロングトーンでフラットするパターンです。
日本の歌謡曲独特な唱法における、ロングトーン。この場合、音の高さは問題ではありません。フラット癖が出易い歌唱法なのです。
これ要するに、セールス絶頂時(70年代後半から80年代前半)のジュリーは、自らの苦手なヴォーカルスタイルで頑張っていた、という事なのですね。皮肉な話ですが、レコ大はまぁセールス的に当然としても、最優秀歌唱賞とかも獲得しちゃいましたし。

で、どのように頑張っていたのか、についてですが。

① まず、歌唱法を日本的なスタイルそのままにやる場合。
フラット癖は歌う回数をこなせば修正されていきますので、何度もチェックしながらヴォーカルテイクを録音していたでしょう。
ド派手な歌謡曲路線突入直後のアルバム「思いきり気障な人生」、そして「今度は、華麗な宴をどうぞ」の2枚の収録曲には、フラット箇所はありません。
ただ、あれだけヒット曲を連発すると、そのうちシャレにならないくらい多忙になってきた、のでしょうね。
「LOVE~愛とは不幸を怖れないこと」「TOKIO」の2枚は、フラット連発状態です(シングル曲についてはじっくり時間をかけたらしく、フラットはありません)。録音に割く時間の問題だったのでは、と思います。僕はそんなヴォーカルも、ひっくるめて好きなんですけどね。

② ヴォーカルスタイルをロック的に転換。
ずいぶん前置きが長くなりましたが、コレです、今日のお話のメインは。
あくまでも、楽曲構成がロック的歌唱を求めている場合に限りますが、ロングトーンの語尾で徐々にテンション上げていって、最後の最後にシャウト!
ジュリーが、ストーンズやビートルズから無意識に学びとったヴォーカルスタイルだと思われます。ショーケンの本能的なシャウトとは全くの別物です。

「若き日の手紙」を初めて聴いた時は、笑撃でした(変換ミスじゃないよ。でも、からかっているワケでもないです)。
何とはナシに「あぁ、いかにもこの頃の感じな曲だなぁ」と油断して聴いていた、2番終了直後。
他楽器が忽然と消え、ドラムスのみの伴奏で

♪一度くらい、無茶をしてみませんか~♪

と、やり出した瞬間、何かある!とは予感しましたが・・・
3度目のリフレインで

♪一度くらいぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいやぁっっ!!!♪

そりゃ、確かに無茶だ!無茶しとる!

ここから先、延々とリフレインなのですが、ジュリーのシャウトを合図に再び噛みこんできた各楽器は、それまでの叙情性を完全否定するほどの狂乱プレイへとなだれ込みます。
楽曲の雰囲気が激しくなるよ!という、合図。ジュリーがヴォーカルでその役目を果たしているのです。これは、ロック独特のアプローチで、当時いわゆる「上手い」と言われていた他の歌手には出来ない芸当でもあります。
ただ、楽曲がそういうヴォーカルを求めていない場合は、このスタイルは使えない(爆)。
例えば、アルバム「TOKIO」収録の「MITSUKO」も、かなりフラットが目立つ曲ですが、万が一

♪会えなくなる日がくるより先にぃぃぃぃいいいやぁっ!!!♪

・・・・・・と、それはさすがに、ブチ壊しですがな。
だからこそ「若き日の手紙」は当時歌謡曲の看板だったジュリーナンバーの中にあって、すごく異質な仕上がりで。
B面に回されたのも、アルバム収録だと浮いちゃう、と判断されたからなのかもしれません。

阿久=大野ナンバー時代は、良かれ悪しかれ制作サイドの固定イメージってのはあったんだと思います。それが爆発的にヒットしたから、しばらくは他の人の楽曲は立ち入れなかったんですよね。
それまでのジュリーナンバーは、割とロックなヴォーカルスタンスを応用できる曲も多かった。「若き日の手紙」以前にも、「さぁバック演奏、激しく行けぃ!」っていう合図的シャウトの曲、ありますよ。

♪外わぁ~、ふぶきぃぃぃぃいいいやぁっ!!!♪

とかね。
この歌唱法が、当時の日本歌謡界のお偉いドコには「歌の上手さ」として全く評価されなかったのです。
時代的にちょっと早かったんだよねぇ。それは歌についてだけじゃないですけど。

その後、加瀬さんがプロデューサー復帰したり、銀次兄さんがモロに洋楽系のアプローチを施したりして、ジュリーナンバーはどんどんロッケンになっていき、本当に適性のあるヴォーカルスタイルが復活→確立されますが、それはまた、次の機会に。

ヴォーカルの話ではありませんが、ちょっと「若き日の手紙」のサウンドについて補足を。
上記の「ぃぃぃぃいいいやぁっ!」の後の、ドラムスなんですけどね。
コンプレッサーというエフェクターがかかっています。よく聴けば、金属的な感じがおわかりになるはず。
音的に、丁寧さよりは激しさを選ぶ・・・トリップなイメージを演出するべく、1965年に「シー・セッド、シー・セッド」という曲でビートルズのスタッフによって初めて編み出されたミックス処理の応用です。
この辺りは、B面曲ならではの遊び心ですね。

さぁ、ツアー初日まで、あと1ケ月半。
一度くらい無茶をしてみるかぁ!

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2009年4月16日 (木)

WINGS 「SO GLAD TO SEE YOU HERE」

お題とは繋がりにくいかもしれませんが、今日は、「毎年アルバムを出し続け、そのツアーを敢行する」というジュリーが数十年継続して打ちたててきた偉業を称えよう、というお話。

で。
みなさま、ウィングスって、知ってます?
ポール・マッカートニーが、ビートルズ解散後に結成したバンドです。
日本でレコード出す時は、”ポール・マッカートニー&ウィングス”っていうクレジットでしたが、後期正式名称は、ただの”ウィングス”。
ポール&リンダ夫妻とデニー・レイン以外のメンツはコロコロ変わったりして、まぁやっぱりポール・マッカートニーのワンマンバンド、ではありますね。

今でこそジュリー方式(何だそれは)でバックバンド引き連れてのLIVEをやっているポールですが、70年代は、「LIVEをやるには正式にバンドを結成していなければ意味がない」という信念があったのです。それが”ウィングス”という形態を必要としたのですね。
そう、この頃のポールもジュリーと同じく、「1年に1枚アルバムを出して、そのツアーをやる!」という事が大前提の人だったワケです。
ただ、それが継続したのはウィングス時代を含めてそう長くはありません。あれだけの枚数をリリースしている人ですからね。毎年やるってのは、いくらLIVE好きのアーティストにとっても、相当な高ハードルなのです。
超一流のライヴ・アーティスト、ポール・マッカートニーとの比較からも、ジュリーの偉業がお解りでしょう。
昭和のジュリー20年→平成のジュリー20年→奇跡のジュリー・・・・・・も、20年やる気です、あの人は。

で、昭和のジュリーの話なんですけど。
今日採り上げるのは、「JULIE ROCK'N TOUR ’79」から。
このLIVEは「TOKIO」の年ですね。当時僕はまだ中学1年生です。ジュリーを「ザ・ベストテン」とかで何とはなしに見てた頃ですねぇ。
こんなロック・コンサートをやってる人だとは、思いもしていなかったです。

この頃のジュリーLIVEを生で知っていらっしゃる先輩方・・・何がうらやましいって、やはり惜しげもなく歌われる洋楽名曲のレパートリーを、数多く堪能されている、という事なのです。
しかもジュリー、その年々で、有名アーティストの旬なアルバムから、「えっ?」というような渋い収録曲を演ってるんです。タイムラグは、ほとんど無いですよ。しかも訳詞(というよりも勝手気ままな作詞←褒めてるんです)までつけて。
ジュリーやバンドのメンバーが、いかに精力的にセットリストに取り組んでいたか、想像できますよね。
今回の記事も、「ジュリー、まさかこんな曲を演ってたとは・・・」シリーズです。
「JULIE ROCK'N TOUR ’79」では、何と一発目に演奏されました。ウィングスの「SO GLAD TO SEE YOU HERE」、伝授!

この曲、ウィングス名義としてはラストアルバムとなってしまった「BACK TO THE EGG」に収録されているナンバーで、シングルでもなければ、数多くリリースされているポール・マッカートニーのベスト盤いずれにも収録されていません。
本当に、アルバムの中の、1収録曲なのです。
「BACK TO THE EGG」はなかなか話題性の多かったアルバムで、メンバーを一新し、演奏力と楽曲の必然的融合、というのがコンセプトとしてあったようです。それまでのウィングスは、良くも悪くもポールとリード・ギタリストの音楽的嗜好が微妙にズレていて、一部の楽曲については、消化不良の感が否めませんでした。
新メンバーの演奏ではその点、軸がブレていない・・・これは先行シングル「Goodnight Tonight/Daytime Nightime Suffering」リリースの時点で証明されていた事です。
さらに「BACK TO THE EGG」には、大規模なスーパーバンド”ロケストラ”の企画も練りこまれました。
名だたる大物プレイヤーを一堂に会しての、「ロック・オーケストラ」演奏。
参加ミュージシャンはジョン・ボーナム、ジョン・ポール・ジョーンズ、デイヴ・ギルモアといったスーパースター軍団であり、アルバムB面1曲目「ロケストラのテーマ」では、豪華メンバー勢ぞろいのPVも撮影され、ロックファンの垂涎を呼びます。
で、この「ロケストラのテーマ」以外に、「ついでにもう1曲録っとくか♪」みたいな感じでアルバムB面6曲目に収録されたのが、お題の「SO GLAD TO SEE YOU HERE」でした。

一応スーパーバンドの参加こそありますが、全プレイヤーに対して綿密な楽曲構成は指示されておらず、実は、つぎはぎだらけの「オマケ」的ナンバー。
アルバム3曲目収録の「WE'RE OPEN TONIGHT」のリフレインが、ウィングスのみの演奏によって楽曲後半に差し込まれたり、とか、リハ段階で録音されたと思われるジョン・ボーナムのドラムスがとってつけたように絡んできたり、とか、かなり強引かつ半端な仕上がりなのです。まぁ、いい曲ですけどね。

その強引な部分含め、「JULIE ROCK'N TOUR」では、ほぼそのまま忠実にカバーされています。「主役は俺さ~♪」なんていう詞を新たに作って、ジュリーは嬉々として歌い、シャウトします。

思えば、翌1980年に来日公演が決定していたウィングス。
ご存知の方も多いとは思います。結局ポールがヤバいモノを持ち込もうとして入国時に逮捕されてしまい、この日本公演は幻と消える事になってしまうのですが、多くの日本人アーティスト達が、こぞってウィングスの来日を心待ちにしていました。
おそらくジュリーや大野さん達も、観に行く気満々だったのではないでしょうか。「SO GLAD TO SEE YOU HERE」は、ジュリーのそんな期待感を反映したセットリストだったのかもしれません。

この日本公演中止をきっかけに、ポール・マッカートニーはアルバム制作スタンスを一変し、ウィングスも解散。ポールのLIVEツアーも、しばらくお休みとなりました。

その後、30年が経とうとしています。
その30年の間、一方のジュリーは・・・毎年アルバムを出してそのツアーをやる、というスタンスを、頓挫させる事はありませんでした。
「奇跡のジュリー」と銘打った、2009年。「歌う曲はたくさんあるから、しばらくニューアルバムは作らない」なんて話もありましたが、やっぱりアルバム作っているらしい、という嬉しいニュースが飛び込んできた、4月。

「ビートルズには間に合わなかったけど、”沢田研二”は健在」
とは、今夏アルバムツアーに臨んでの、ブログ「ジュリーな毎日」tomi様の名言ですが、云十年前の心意気を未だ持ち続けているジュリーのスタンスに、ファンはもっと誇りと感謝を持ってよいのではないでしょうか。
二度と歌われる事はないであろう「SO GLAD TO SEE YOU HERE」を実体験されている先輩方の、長い年月引き続いてのLIVE参戦にも、拍手を。

ツアー新参者としても、自分がこの先どんな楽曲の”証人”になるのか、とても楽しみにしているのです。

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2009年4月11日 (土)

沢田研二 「あの女(ひと)」

~from「CO-CoLO1~夜のみだらな鳥達」、1986

CO-CoLO時代のジュリーのアルバムについては、ずっと聴けないでいた間、まず先入観としてマイナスのイメージがありました。
リリース時の僕はまだ10代後半で、ジュリーをアイドル歌手として見ていた時期ですが、「TVで全然見かけなくなってきたなぁ」と漠然と思ったりはしていまして。年をとって飽きられ、売れなくなってきたんだろう、などと考えていました。
事務所から離れて独立したとか、そういう事情は一切知らなかったのです。

ジュリー祭り以降、その頃のジュリーの様々な事情についても何となく把握はしてきましたが、それでもCO-CoLO時代の作品に対しての、マイナスの先入観はなかなか消えてくれませんでした。
だって、評判が悪すぎるんですもん。
売れなかった、とか、地味、とか、果ては暗黒期、とか。

そんな評判の中に「私小説的」というのがあって、それがちょっとひっかかってはいました。
「私小説的」ってのは別に悪い言葉ではないと思うのだけど、何故かマイナス要因として挙げられている・・・ははぁ、これは、音源作品とは別の意味での評価なんだろうな・・・と思いまして。
それに、エキゾチックスと離れてしまった事により、ジュリーのロック的要素が好きだったファンが少し引いてしまった可能性もあるでしょうし。
当時のジュリーをタイムリーで知らない分、ひょっとしたら新規ファンの自分の方が冷静な聴き方ができるのかもしれない・・・そう思えてきた最近になって、ようやく音源を聴く機会に恵まれたのです。

結論から先に申しますと、確かに地味ではありますが、「CO-CoLO1~夜のみだらな鳥達」「告白~CONFFESION」の2枚は、相当気に入りました。「TRUE BLUE」は、違和感があって、現時点ではよく解らないんですけど。

今日はそんな中から、アルバム「CO-CoLO1~夜のみだらな鳥達」から、ズバリ「あの女(ひと)」を採り上げます(うわ~大丈夫か~)、伝授!

まず、勘違いな話から。
「私小説的」なんていう評価にこだわっていたものですから、このアルバム、全部ジュリーの作詞作品だと思って聴いてしまいました。
次作「告白~CONFFESION」は事実そうなのですが、「CO-CoLO1~」でのジュリー作詞作品は3曲のみで、「あの女(ひと)」は浅川マキさんの詞です。
思い込みとは恐ろしいもので、「あの女(ひと)」をジュリーの詞だと勘違するとは・・・ハナから最も濃い聴き方をしてしまいました。

「うへ~!いくらなんでも具体的過ぎ~」

と、こうなるワケです。
素晴らしく美しい詞ですが、これはちょっと聴くのがキツい人もいるんじゃないか・・・と。

♪ あの女(ひと)の部屋を出ると 非常階段を降りる
  地下駐車場に行く頃には
  僕はもう あの女(ひと)が解らない ♪

こんな情景描写→感情吐露を、思い入れたっぷりに、あの声で歌い上げるジュリー。僕は男ですから、良い意味での「うわ~!」だったんですけどね。
この曲でのジュリーのヴォーカル入れ込み度は相当なレベルで、歌い方は「船はインドへ」「いい風よ吹け」と同じような、慟哭のスタイルです。
そりゃ、本人の詞とも思うわな。

CO-CoLOというバンドの演奏も、今回初めてじっくりと聴きました。
渋いです。確かに、エキゾチックス時代と比較すると真逆とも言えるアプローチですから、多くのファンの戸惑いがあったのは仕方ない事かもしれません。
そういった方々にも改めて聴き直して頂きたいのですが、彼等の一番の特徴は、同じ進行のヴァース演奏であっても、ジュリーのヴォーカルの有無によって各楽器の表現が全く違う、という点です。
通常、ヴォーカルの無い間奏部って、リードギター、あるいはキーボードなどの「ソロ」という概念があり、ソリスト以外の演奏者は歌メロ部と同じ演奏をする、という手法なのです。
CO-CoLOの演奏はその点がちょっと変わっていて、リズムの取り方であったり、グルーヴであったり、間奏部では、とにかく全ての楽器が表現を変えてきます。
これは「あの女(ひと)」に限らず、その他多くのCO-CoLO楽曲に見られます。
逆に言うと、「派手な間奏ソロの印象が薄い」という事にも繋がりますので、気をつけて聴かないと、曲によっては単調な感じを受けてしまうかもしれませんね。その点注意して聴いてみてはいかがでしょうか。
「あの女(ひと)」の場合、1番と2番の間、主役のソロ楽器はありません。
しかし、妙なグルーヴを感じるはずです。ギター、ピアノ、シンセそれぞれ少し変化をつけた演奏をしていますし、何よりベースは、それまでの1番での演奏とは全然違う弾き方で、かなり大胆な小節の頭抜きがあったりします。そして、その雰囲気を加味したまま、1番とは違ったラインで2番へなだれこんでいくのです。

CO-CoLOの演奏は、AORと評されることが多いようです。
もちろんその通りではありますが、まぁ一筋縄ではありません。僕としては、エキゾチックスがイギリス的なら、こちらはアメリカ的、といった切り口で聴きたいところです。
「あの女(ひと)」では、ニール・ヤングの「SOMEDAY」という曲を彷彿させるピアノアレンジが効果的で、「あぁ、イイ時代のアメリカだなぁ」と感じました。

アルバム「CO-CoLO1~夜のみだらな鳥達」の他の収録曲についても少しだけ。
1曲目「Bサイドガール」と2曲目「夜のみだらな鳥達」は、とても美しい繋がりを持つメドレーになっていて新鮮でした。ただ、そのためシングルカットが出来ないという・・・。2曲とも、シングルになってもおかしくない素敵な曲です。
「カッコイイ!」系の曲も入っていますよ。3曲目「無宿」と、7曲目「流されて」。「無宿」はジュリーの詞ですが、言葉の載せ方がカッコいいです。コーダ部では、尺の長いフレーズをまくしたて、字余りっぽく小節の頭で「む・しゅ・く!」と叩きつけます。
あ、「流されて」はねぇ、ヴォーカルもハジけてるし、カッコいい演奏だけど・・・。メンバーのみなさま、あの合いの手はキメですんで、恥ずかしがってちゃ、ダメ~!この辺が、「ロックと、ちゃう」と言われれば、確かにそうなんですけど。
アルバムラスト収録「闇舞踏」も、トーキングヘッズみたいなカッコ良さですが、ジュリーの詞は、ちょっと開き直り系ですね(爆)。
色々と突っ込む隙がある・・・って、それも好盤たる要素のひとつではないでしょうか。恋する男の、メロメロなアルバムです(「告白~」になると、メロメロとはちょっと違う・・・)。

それにしても。
この時期の大名曲「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」の録音ヴァージョンは、どうやって手に入れたら良いのでしょうか。
誰か教えて~。

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2009年4月 5日 (日)

沢田研二 「アルシオネ」

~from「耒タルベキ素敵」、2000

突然ですが僕は、「いわゆる無骨なロック楽曲のバックでアコースティックギターがガッシャンガッシャン元気よくコードを弾いてるアレンジフェチ」(長いよ)なのです。

意識こそしていませんでしたが、たぶん、中学時代ビートルズを聴きまくっていた頃にその嗜好はすでに刷り込まれていたのでしょう。
だからこそ、ロックパイル(ニック・ロウ)の「Cruel To Be Kind」を聴いて、その後ポップス寄りのパブロックにハマっていったんだと思います。

2000年リリース、ジュリーの記念碑的2枚組アルバム「耒タルベキ素敵」(耒の字がどうしても変換できず、Web上から拾ってまいりました)には、そんな曲がたくさん収録されています。硬派なアレンジに支えられて、威勢良く弾き倒すアコギ、この組み合わせが好きなんですよねぇ。DVDで「生きてる実感」を演ってる時も、下山さんばかり見てしまう、という。

今日はそんな「耒タルベキ素敵」の楽曲群の中から、アコギの使い方が一番僕好みの名曲を。
当ブログのコメント常連さん第1号(たぶん)のシロップ。様のリクエストです。感謝をこめて、「アルシオネ」伝授!

歌詞も素晴らしい、メロディーもキレイで(この曲も「届かない花々」同様、媚のない泣き曲です)、もちろんジュリーのヴォーカルも抜群に良い。アルバムの中でこの曲が一番好き、という方も多いのではないでしょうか。
僕もその一人ではありますが、聴き方がちょっと変。
一番好きな箇所はイントロ、浮遊感のあるシンセに護られてジャカジャカと鳴ってるアコギに、ベースとドラムスが突然絡んで、ヴォーカルに雪崩込むところなんです。

アレンジについては、白井良明さんに一任されていたのか、作曲者の伊藤銀次さんのサジェスチョンがあったのか、そこは定かではありませんが、オマージュ楽曲として、デヴィッド・ボウイの「スターマン」が挙げられます。これは、いかにも銀次兄さんの好みっぽいんですが。
「スペース・オディティ」から「ジギー・スターダスト」までのデヴィッド・ボウイは一貫して、どんな激しい曲でも、どんな壮大なバラードでも、果てはどんな変テコな曲であっても、とにかく元気良くアコギをかき鳴らします。
そこへ、ミック・ロンソンのギターを始めとする、妥協の無い尖った音が噛んでくるのが、アレンジの持ち味なのですね。

メロディーは全然違う曲なのですが、なぜ「アルシオネ」に「スターマン」へのオマージュが取り入れられたのでしょうか。
これはおそらく、歌詞に喚起されたアイデアだと思います。
「星」という単語からだけでなく、「天空を見上げる」とか「夜空から落ちてくる」というイメージ。
ストリングスが不協ギリギリの音階を奏でているのも、その産物のひとつです。

これは、ひとつには「耒タルベキ素敵」というアルバムが、パロディー的要素を多分に含んだ作品である事も踏まえての考察でもあります。
まずは、ジュリー自身の楽曲歴史のパロディー。大沢誉志幸さん作曲の「君のキレイのために」を挙げる間でもなく、その点については僕などよりもジュリーファンの先輩方の方がより楽しんでアルバムを聴いておられるはずです。
もうひとつ、このアルバムには、結構直球の洋楽パロディーがふんだんに盛り込まれているのですね。
「キューバな女」はサンタナのビッグ・ヒット「哀愁のヨーロッパ」であり、「everyday joe」はジミー・ヘンドリックスの「パープル・ヘイズ」であるとか。この2曲は洋楽にさほど詳しくない方でも、「あれっ、どっかで聴いたことあるような・・・」と感じるかもしれません。
「アルシオネ」も、実は結構な直球パロディーなんですよ。興味のある方は、「スターマン」の音源を探してみてくださいね。イントロ注目です。

あと、GRACE姉さんがジュリーに詞を提供し始めたのがこのアルバムからで、いきなり「アルシオネ」みたいな傑作を書いちゃうんですから、スゴい人です。本職ドラマーさんですよ・・・才媛です。
姉さん、宇宙ネタ、というか浮遊ネタがお好きのようで、この「アルシオネ」のパターンを応用したのが、次アルバム「新しい想い出2001」収録の「心の宇宙(ソラ)」、浮遊感を突き詰めたのが「忘却の天才」収録の「不死鳥の調べ」、といったように、彼女の詞もどんどん進化していきます。アルバム「耒タルベキ素敵」は、詩人・GRACE女史の出世作でもあるわけです。

で、最後に。
もう懺悔のしようもありませんが、僕は以前書きました通り、CD「耒タルベキ素敵」を紛失中であります。一応、音源も歌詞カードもさる筋から揃える事はできました(感謝)が、決して良い事ではありませんし、イバれる話でもありません。恥じ入る次第なのです。
思うところもあり、ここ1ケ月、人生で初めて自らの意思で部屋の掃除などしております。それでも現時点まで発掘には至っておりません。
ジュリー祭りの相方、YOKO君曰く
「プラケースのCDなら考えにくいが、ダブルの紙ジャケってのがポイント。おそらく「週刊プロレス」のページの間に挟まったまま捨てられたのであろう」
との名推理。

否定できん・・・。

あ。
本文とは関係ありませんが、音楽劇「探偵~哀しきチェイサー」参戦のみなさま、おつかれさまです。楽しいお芝居だったようですね。
拙ブログの「探偵~」伝授ページのアクセス数に、ちょっとビビっておりますです・・・。

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2009年4月 2日 (木)

沢田研二 2004-X'mas Concert「師走-RomantiX」

~at 東京国際フォーラムA 2004. 12. 25

トカゲ降臨の年の、クリスマス。
あんだけアホやらかしといて、その数ヶ月後にいきなりRomantixもないもんだ、などという微妙に不謹慎な感じで購入したDVD。
珍しく購入前にセットリストを見まして、曲目にソソられたのです。
「違いのわかる男」とか、「夢見る時間が過ぎたら」とか(なら、「明日は晴れる」ツアーDVDを買えよ!)。
いや、1曲目「Espresso Cappuccino」ってどんな感じよ?とか思いましてね。
まぁ、季節外れのクリスマス気分で、ハッピーに観れましたです。

このLIVEは「いてまえジュリー」さんのBBSで強力に勧めていらっしゃる方がいらして。
実際観てみますと、「あぁ、なるほど!」と。
柴山さんのカッコ良さは、今まで観たDVDの中で一番でした~。って、もちろんそれだけではないでしょうが、柴山さんに関しては達人のお方だって事は知っておりましたから。

で。
果たしてあの尋常ならざるトカゲ祭りから時を経ずして、年の瀬のロマンティック・ステージは成ったのか?
ジュリー曰く「広い!デカい!誰や?こんなトコで演る、言うたんは?あ、ワシや」
広い広い、東京国際フォーラムAのステージより、伝授!

① クリスマスならではの演出とバンド編成

まずは、「クロックマダム&ホットケイクス」のツアーと同じメンバーが登場します。必然、ノッケからロッケンなナンバーが続くわけなんですが。
7曲目、「明日は晴れる」の後に、突如ステージが暗転します。
着替えにはちょっと早いぞ、と観ておりますと、ここから3曲がピアノ弾き語りコーナーでございました。
これは明らかに、クリスマスLIVEを意識した演出ですね。
「ユア・レディ」「遠い夜明け」「CHI SEI」というラインナップ(かの様~、いらっしゃってますか~?以前「早く見つけなさい」と御教授頂きました「ユア・レディ」の映像って、コレですよね?良かったです~)。
グランドピアノを弾いていらっしゃるのは、深町純さん。不勉強で、全く知らない人でしたが、かなり独特の個性をお持ちの作曲家・演奏家でいらっしゃるようです。
なかなか愉快なおじさまで、登場した時は一瞬、長髪の大竹まことさんがピアノ弾いてるのかと思いました(って、見た目の話かい!)。

Siwasu4

↑ この3曲、ジュリー文字通りの熱唱です。今まで何とも思っていなかった「CHI SEI」という楽曲が、僕の脳にしっかり刻みこまれました。改めて、素晴らしい歌唱力です。

その後のセットリストは、再びバンドスタイルでのロッケンナンバーへと移行しますが、深町さんはシンセに切り替えて全曲参加してます。
本来のCD音源ではキーボードの出番が無い曲のプレイがカッコ良く、「違いのわかる男」はエレクトリックピアノの音色でリードギターとユニゾン、「A. C. B.」では「ん・たん!ん・たん!ん・たんたん!♪」のハンドクラップを奏でてくれます。

クリスマス演出は、もうひとつあります。
ズバリ、人工雪です。

Siwasu6

↑ 尋常じゃない大量の白吹雪がジュリーの頭上から襲いかかってきまして、LIVEを生で観た方々の中には「いくらなんでも降らせ過ぎ~」と思った方もいらっしゃったでしょうが、実はそのシーンの演奏曲が「Snow Blind」なんですよねぇ。
このコンサートは2004年末ですから、アルバム「greenboy」収録のこの曲は、その時点では誰も知らない新曲だったわけです。ですから、観客の反応もイマイチではあるのですが、「Snow Blind」という楽曲の内容からすれば、このくらいのドカ雪じゃないと説得力が無い、という事だったのでしょうね。

② トカゲの次は、ハリネズミ降臨!

現時点ではどなたからも賛同頂いておりませんが、冒頭2曲のジュリーの衣裳、僕にはハリネズミに見えるんですけど・・・。

Siwasu1

↑ このトゲトゲが。それに、ちゃんと尻尾もあるしねぇ。
少なくとも、動物モチーフだとは思うんですけど。「ぴゅ~ぴゅ~ぴゅ~」って鳴くし。
で、2曲目「忘却の天才」ラスト近くで、ジュリー何やら尻尾の付け根のあたりをゴソゴソと。
これは、何かシカケがある!と固唾を呑んで見守っておりますと、

Siwasu2

↑ ちょっと画像が解りにくいかな?
最後の「いいじゃん夢みたいで~♪」の瞬間、衣裳が爆発し、トゲトゲが上空に噴出するという荒技。
このハリネズミ、興奮が頂点に達すると自爆する習性があるようです。

飛び散ったトゲトゲは、雪のようにヒラヒラと舞い落ちてゆくのでした。

③ カズさんのイッてしまうキャラって、この時からなのでは・・・

膨れ上がったトカゲと向き合ってソロを弾く、という試練が、柴山さんの中に眠っていた何かを目覚めさせたのでしょうか。
そりゃ、きめ今には敵わないでしょうけど、かなりイッてます、このLIVEの柴山さん。
以前とはアクションの派手さが違いますね。
世界に名だたるギタリストの多くがそうであるように、柴山さんも、気持ちが入ったソロを弾いてる時に、指と一緒に口が動くようになりました。
ギターをお弾きにならない方々には解りにくいかもしれませんが、チョーキングの時に縦に口を開く、というのは身体的に連動する行為のような気がするんです。
にしても、大胆です。

Siwasu3

↑ このシーンは、6曲目「我が心のラ・セーヌ」。
CD音源の白井さんのプレイもかなりスゴいですが、このLIVEでの柴山さんのソロは、相当キテいますよ。その点については、「忘却の天才」ツアーよりこっちの方が良いです。セミアコのアンサンブル、下山さんとの呼吸もバッチリです。

そして。
「A. C. B.」ね。
手拍子の煽りも、年々派手になってきてはいますが、ここでは何と言っても間奏のカメラ目線、「俺を映せ!」と言わんばかりのアクションでしょう。

Siwasu5

↑ 動きが早すぎてキャプチャーできませんでしたが、この直後にカメラ指差しポーズ(!)でソロを終えます。必見です!

結論です。
単純に、素敵なステージです。もちろん、基本ロッケンではあるのですが、前述のピアノ弾き語りコーナーの3曲、あと、本割ラストの「Snow Blind」「さよならを待たせて」と続く2曲、このあたりに、確かにRomantixが見えました。
アンコールが終わった後にも、楽しいオマケがあります。

そして・・・依知川さんの勇姿も、目に焼きつけておきましょう。
長髪を振り乱しての重厚な演奏、的確なコーラス。
いつかまた、ジュリーのLIVEに参加してくれると良いですね。

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