沢田研二 「桜舞う」
from『俺たち最高』、2006
1. 涙のhappy new year
2. 俺たち最高
3. Caress
4. 勇気凛々
5. 桜舞う
6. weeping swallow
7. 遠い夏
8. now here man
9. Aurora
10. 未来地図
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職場近辺の桜並木も、今週末にはすべて散ってしまいました。
いきなりですが、僕は20代までいわゆる「花を愛でる」という感性がほとんどありませんでした。幼少時、動物やら昆虫(おいおい)やらはずいぶん可愛がったものですが、植物にはまったく関心が無くて。
今思うと僕の出身高校なんて、そりゃ素晴らしい桜の大群に囲まれた場所にあったのですが、3年間通して、卒業式の時だって、咲き乱れている桜に何の感慨も抱かなかったんだよなぁ。
それが、30を過ぎたあたりから、何となく春になると桜が気になってくるようになって、その気持ちは年々強まっていくように感じます。
多くのジュリーファンの皆様の中にあって、僕はまだまだ若造の部類です。そんな僕がこんな事を言うのもナンなんですけど、やっぱり年をとった、という事でしょう。極論ですけど、桜ってのは自分の人生が先へ先へと進んだ分だけ、或いは大切な人との別れを経験した数だけ、どんどん愛おしくなっていく花なのではないか、と考えるからです。
でなければ、センスに欠けた僕が、こんな感慨を桜に抱くはずがないのです。
母親を亡くしたのが、やっぱり散りぎわのこの季節でした。もう10年近く経ちます。
闘病は1年近く、入院してからは半年くらい。相当田舎の病院でしたから、周りに大きな建物があるわけでもなく、すさまじい数の桜が咲いていたのを鮮明に覚えています。
花が咲く頃には、母親は既にモルヒネの副作用でそりゃあもう、ハイな状態(歌うわ踊るわ、大変)でしたので、本人が病院の窓から見える無数の桜をどのように感じていたのかは、ハッキリしないんですけどね。
やっぱり、死別っていうのは先に逝かれる方が圧倒的に(というか身勝手に)辛い。
昨年は、叔父が一人、高校の同級生が一人、先に逝きました。年々こういう話が増えてきます。これから、さらに加速していくんでしょう。
最近のジュリーの作詞に、死による別れを暗示したものが多いことは皆様お気づきかと思います。当ブログ「いい風よ吹け」の記事でも、そんなことを書きました。
僕がその系統のジュリーの詞に特に惹かれるのは、それらの作品が必ず「逝かれる側」「見送る側」の視点で描かれている、という事なんです。
若干「いい風よ吹け」の話と被ってしまいますが、せっかくのこの季節ですから。今日はアルバム「俺たち最高」から、切ないバラードです。「桜舞う」伝授!
大体(若い頃の)男ってのは勝手なもので「お前より先に死にたい」とかカッコつけて、奥様や恋人への愛情表現として熱く語りたがるみたいです。
僕も友人のカップルがそんな話をしているのを、実際に目の前で聞いていたことがありました。当時はその発言について、何も感じなかったんですけど。
ジュリーに堕ちた今となっては、その言葉がどれだけ女性に対してナンセンスなのか、解ります。
この手のジュリーの詞が、一番悲しいテーマを歌っているはずなのに、何故か爽快にすら聴こえてしまうのは、詞にこめられた優しさの為せるものだと思います。
相手を見届ける、という優しさです。カッコをつけないカッコ良さ・・・それは、今のジュリーの内面から滲み出てしまっている、もはや人格全体の魅力にすらなっているような気がするのですが・・・。
「桜舞う」では
♪君を残して、どうして行けるだろう♪
とか
♪君のあとから、僕は行く♪
といった部分に、すごく感動してしまうワケですよ。
つくづく、僕は男子のファンで良かったなぁ、と思ってしまうんです。深く考えずにカッコつける、という男性独特の欠点を、ジュリーの歌は戒めてくれます。
・・・って、カッコつけないうちに、曲の話にまいりましょうか。
これは下山さんの作曲作品です。このアルバムあたりから、作曲についても鉄人バンドのクレジットの占める割合が高くなってきます。きっと、「Pleasure Pleasure」(思わず綴りを再確認した爆)も、そうでしょうね(てか、まだこれがニューアルバムのタイトルと決まったわけでは・・・)。
下山さんの作曲作品は、それまでにも「新しい想い出2001」収録の「あの日は雨」がシングルにもなったりしました。アルバム1枚につき1曲、というのが定着していますが、「桜舞う」は本当に素晴らしいメロディーを擁する本格的なバラードで。間奏直後に転調が元に戻るあたりもとても美しいですし、現時点で下山さん作曲のジュリーナンバー最高作だと僕は思っております。
アルバム「俺たち最高」と言えば、やはり前作「greenboy」まで5枚継続した演奏スタイルからの、大幅な楽器構成変化について語らねばなりません。
それまでは、キーボードを排除したハードかつ無骨なロックサウンド。それが一転、シンセサイザーを最大限活用した新境地のサウンドへ。
しかも、ベース無し。これはちょっと物議をかもしたでしょうね。
ベースレスのサウンドというのは巷にも多くありますが、大抵はアコースティック系か、変則的な楽曲を扱うバンドに限られます。
ところが、ジュリーが演っているのは、相変わらずロックであるわけで。
ロックでベース無し、ってのは、冒険ですよ。叩かれ覚悟だったかもしれません。
ただ、前回記事で少し書きましたジュリーのフラット癖・・・それがこのアルバム以降皆無となっている点に注目してみたい、と。
歌う場所とかにもよりますが、ベースというのは一番「回りやすい」楽器で、残響音の返りによっては、周りの音と不協して聴こえてしまう事があるんです。当然、ヴォーカリストに与える影響ははかり知れません。
例えばこれは経験者でないと解らないのかもしれませんが、ライブ会場の話で言うと、ステージと客席とでは、聴こえてる音って全然違うんですよ。
ステージで聴こえている音のことを「モニター」と言います。それをコントロールするのは、歌い手や演奏者の能力ではなく、機材の性能なんです。これは、極端な話、お金をかければかけるだけ良い。
今のジュリーは、その辺りの経費は抑え、その代わりにたくさんの土地で回数をこなす、という点に経費を注いでいるのではないでしょうか。
まぁ、昨年から徐々に潤ってきているはずですので、この先は解りませんけど。
その、ベースレスのアルバム作りですが、「俺たち最高」は上手いことやってます。これは白井さんの努力と情熱が大きいでしょう。
「桜舞う」にしても、ベースレスの違和感はほとんどありません。
僕がこのアルバムで「桜舞う」以外に好きなのは「遠い夏」と「weeping swallow」(6月26日註:「未来地図」が屈指の大名曲である事に今さら気づく。コレがアルバムNo.1)。
「遠い夏」はジュリー作詞作曲のかなり変テコな曲ですが、どうも僕は「涼しい夏の郷愁」というテーマにヤラレやすいらしい。詞については「時計/夏がいく」と同じ感覚で聴いてます。一見ふざけているような曲ですが、味わい深いです。
「weeping~」は、これも最近のジュリー作詞作品のもうひとつの核である「LOVE & PEACE」を掘り下げたメッセージソング。「希望」や「我が窮状」へと繋がっていく重要なナンバーですね。
GRACE姉さん×白井さん黄金コンビによる「now here man」もかなり好きな曲ですが、この曲に関してはベースレスがイタい。曲調的に、ランニングベースが求められていますからねぇ。でも、気にならない人は、気にならないのかな?
最後に。
そこまで強烈に推しているわけではないのですが、買っておいた方が良いです、このアルバムは。
「生きてたらシアワセ」が、売り切れ直後に中古で凄まじい値段に化けたのを目の当たりにしてますからね。「俺たち最高」も、プレス自体そんなに多いとは思えないのです。
何より、収録曲のLIVE率が高そうじゃないですか!
今年、「遠い夏」を演りそうな気がするんですけど。
ま、僕のセットリスト予想って、全然当たらないんですけどね。
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