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2009年3月

2009年3月29日 (日)

沢田研二「探偵(哀しきチェイサー)」

from『今度は、華麗な宴にどうぞ』、1978

Konndohakareina

1. ダーリング
2. 酔いどれ関係
3. ハッピー・レディー
4. 女はワルだ
5. 探偵(哀しきチェイサー)
6. ヤマトより愛をこめて
7. お嬢さんお手上げだ
8. グッバイ・マリア
9. スピリット

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ジュリー祭り参戦以来、公私共に激動の毎日でございます。
バタバタしている間に、3月も終わろうとしておりまして。
気がつけば、音楽劇「探偵~哀しきチェイサー」初日がもうすぐ間近に迫っているわけですよ。

 

実は、僕は少し前まではこの音楽劇にはほとんど興味が無かったのですが、先月のとある日にメイ様のところでACTのレポを拝読、大変感激いたしまして。
「ロッケンなLIVE以外のジュリーも観ておこう!」と、音楽劇「探偵~」のチケットをとろうとしたのですが、都合の良い東京公演日程は既にソールドアウトでございました。
まぁメイ様曰く、「ACTはお芝居もある歌、今回の音楽劇は、歌もあるお芝居」ということで、僕の想像とはかなり違った趣の舞台のようですが、観ておくとしたら今回、かと思ったんですけどねぇ。

 

今回の音楽劇「探偵~」は、初っ端大阪から始まる、というのが熱心なファンの間ではミソのようで。
ところが、大阪のチケットはどうも余りまくっているらしい。これは、関東のジュリーファンの方が熱心である、というのではなく、どうやら蘭ちゃんファンの関東者が大層張り切っておられるようで、微笑ましいお話ではありますが。

 

時間のある関西のみなさま、つかの間の恋よりいいものがあるかもしれません、観ときなさい・・・って、僕も全く知らんのですが、この音楽劇というジャンルについては。
とりあえず、「探偵~哀しきチェイサー」という楽曲が、70年代後期ジュリーバラードの代表作である、という確信はありますので、今日はそちらのお話を。

アルバム「今度は、華麗な宴にどうぞ」から、伝授!

 

以前少し書きましたが、数年前の僕には「第一期ジュリー堕ち」時代というのがありまして、まぁその時1度でもLIVEに足を運んでいれば、今頃は余裕で澤会会員になっていたと思われますが、残念ながらポリドール期の再発CDを聴きまくる、という閉塞的な行為に終始しておりました。
その頃の僕に、好きなアルバムを3枚挙げろ、と言ったら、まず迷わず「JULIEⅡ」、少し悩んで「ストリッパー」&「今度は華麗な~」と答えていたはずです。

 

作詞・阿久さん+作曲・大野さん+歌唱・ジュリーという黄金のトライアングル。これはジュリーの歴史を語る上で間違いなく大きなウェイトを占める作品時期かと思いますが、このトライアングルで完全に固められたアルバム、というのはたった3枚しか存在しません。逆に言えばそれだけ内容やセールスが濃かったという事なのでしょうが、時期的にはほんの一瞬のことなのですね。
「思いきり気障な人生」「今度は、華麗な宴にどうぞ」「LOVE~愛とは不幸を怖れないこと」。年代順に挙げるとこの3枚です。
阿久さんの追悼番組で、ピンクレディーの楽曲でコンビを組んだ都倉さんが語っておられましたが、70年代後半から80年代にかけての阿久さんの詞は、作曲家とのエキサイティングな創作やりとりを通じて、手を変え品を変え時には裏をかき合う、という非常にエキセントリックな進化・革新を身上とされていたようです。
「これでどうだ!」という阿久さんの詞に、どういう手管で作曲家が応えていくか。
この刺激的な関係は当然の如く、ジュリーという類稀なるヴォーカリストを巡って、作曲家・大野さんとの間にも怒涛に展開されています。

 

アルバム「思いきり気障な人生」で、まずは男の生き様を多角的に表現した阿久=大野コンビ。次作「今度は、華麗な~」においては、それまで描いてきた男の、具体的な生活臭に踏み込みます。
もちろん、普通にありえる男ではありません。荒唐無稽と言っても差し支えない、そんなバーチャルキャラクター的なハチャメチャな男が、ハチャメチャな行動の中に哀愁を漂わせる、という何ともややこしいテーマの詩作。
アルバム「今度は、華麗な宴にどうぞ」両面ラスト収録の「探偵~哀しきチェイサー」「スピリット」の2曲は、正にジュリーが歌うことによってのみ表現しうる、そんなありえない男の生活臭がリアルに描かれた、阿久=大野ナンバーの最高峰と言えます。
「スピリット」は、まだシチュエーションとして誰の人生にも起こりうる内容(・・・とは言っても、主人公の言動が突拍子もないことは確かだが)なのですが、「探偵~」の方は、まず現実にはあり得ないストーリー。ジュリー以外の人が歌ったら、楽曲として普通に成立するかどうか、すら怪しい(爆)。

 

大野さんは、この2曲をいずれもピアノのアルペジオを骨子としたバラード大作に仕上げておりまして、シングル「ヤマトより愛をこめて」を加えた3曲が、アルバム「今度は、華麗な~」の核となっています。
で、「探偵~」には作曲構成に素晴らしい工夫があるのです

基本的にはA+B+Cの構成。内訳は「Aメロ+Bメロ(ブリッジ)+サビ」なのですが、これが1番・2番と繰り返し。
バラード大作なわけですから、2番の後にダメ押しが来るのは必然・・・なのですが。
そういう場合って、普通、サビメロがもう一発来ますよねぇ。
ところが大野さん、ここにBメロを配置しました。「たんて~いがぁ~、見る夢はぁ~♪」の部分ですけどね。・・・1番・2番のBメロと全く同じ旋律なのですが、全く別物のコーダ大サビに聴こえます。この構成は、ちょっとスゴい。

 

やはりこの時代、都倉さんの言われるように、詞と曲の強烈な相互作用という創作手法があり、その中心に阿久さんがいた、というのは確かのようです。
加えて阿久=大野ナンバーの場合、そうして完成した楽曲をジュリーが歌う、という前提があったがために、お二人とも思いきり冒険ができたし、通常考えにくいアイデアを惜しげなくつぎこむ事ができたのでしょう。
それが行くトコまでイッってしまったのが次アルバム「LOVE~愛とは不幸を怖れないこと」になるのですが、そのお話はまたいずれ。

 

最強トライアングルの頂点作品、この機に是非。
しかし、そんな曲がタイトルになってる音楽劇って・・・一体どんなスゴい代物なのよ?

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2009年3月23日 (月)

PCのキーボードにビールをブチまけました

更新、滞ってすみません~。
リクエストも3人の方から頂いてるし、音楽劇始まる前に「探偵」の伝授もしたいのに。
連休はずっとバンド関連の作業に費やしましたぁ!

ひとまずしばらくの間は、これ見て笑って許して。
いてまえ隊さんが発見した、Co-coLo公式サイト痛恨の誤植。
青ウィンドゥの、ページタイトルを見てください。

http://www.co-colo.com/mailorder/2003-love&peace.htm

(4月註:その後、手が回ったようです。今御覧になっても面白くもなんともありません。ネタを明かしますと、記事アップの時点では、ウィンドウの作品タイトルが「正月コント」になってたんです。)

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2009年3月16日 (月)

沢田研二 CONCERT TOUR 2002 『忘却の天才』

~at 府中の森芸術劇場 2002. 10. 26

ようやく観ることができました。「忘却の天才」ツアーDVD。
実はこのツアー、チラホラとあちらこちらのファンサイトで調査した範囲だと、あまり評判がよろしくない。
「ジュリー、全然動けてない」という辛口の評価が多く、まぁ実際生で観た方々がそうおっしゃっているのですから、それはそうなんだろうなぁ、と。
しかし。
この辺が後追い組の強みとも言えるのですが、僕にしても、バリバリに動きまくっていた頃のジュリーをタイムリーで知らないわけで、「動かないジュリー」にも慣れちゃってる(「ワイルドボアの平和」とかね)し、それはそれでイイもんだ、と植えつけられてます。

だからソコは平気かな、と思ってて。
どうしても観たいなぁ、とずっと思っていたのは、僕にとって「忘却の天才」というアルバムが特別な作品だからなのです。

いや、「好きなアルバム」として言うなら、う~ん・・・全体の15位~20位くらいかなぁ。「サーモスタットな夏」とかよりは全然下位なんですけど。
じゃあ、何が特別なん?
って、この「忘却の天才」はねぇ、ジュリー祭りが終わってから、最初に買ったアルバムなのですね。
これを特別と言わずして。

以前から当ブログにお越しの皆様方にはホント繰り返しになっちゃうんですけど、ドームのセットリストに知らない曲が多かったのが、悔しくてねぇ。
「とにかく聴いてない最近のアルバムを聴いてみよう」と、試しに(恐る恐る)買った1枚。これがもしもショボい作品だったら、自分のジュリー堕ち度がここまで激しくなっていたかどうか。ハッキリ言って、運命の1枚です。
聴いてすぐに、こりゃ大傑作!だと思ったんです。未聴のアルバムの中で一番良いのを初っ端に聴いちゃったのかもな・・・と、そう思った(だから、この時点では全体の順位は10位以内よ)。その判断は、後に良い意味でメタメタに覆されてしまうのですが。

そこから先は、後追い組・中抜け組の皆様のほとんどが通る道へと、僕も一直線でございました。ヘヴィーな大人買い期間です。
「忘却の天才」が背中を押してくれたんですね。
ですから、2002年のジュリーには、大きな大きな感謝の気持ちがあるのです。2008年のジュリーと、同じくらい。
2002年、「忘却の天才」。
果たしてどんなツアーだったんでしょうか。あ、DVD収録は大トリの日じゃないんですね、これ。
10月26日・東京は府中の森芸術劇場、伝授!

① やっぱり名盤、「忘却の天才」

編成は、2004年「クロックマダム&ホットケイクス」のツアーと同じなんですね。キーボードレスは、あの年だけかと思ってました。
ひょっとして、2000年から2005年までは全部こうなんですか?アルバムの作りから考えるに。

で、当然、「忘却の天才」収録曲は全て演ってるんですけど。
衝撃だったのは、アルバム聴いた段階でそれほど印象に残っていなかった2曲がメチャクチャ良かったんです~。
「我が心のラ・セーヌ」と「終わりの始まり」。

どちらも、演奏が神。ジュリーのヴォーカルも(これは全体そうなのですが)アドリブのシャウトが多かったり。
「ラ・セーヌ」は柴山さん、下山さん両名セミアコです。今まで見た映像だと、どちらかは必ずエレキだったんですけど。改めて・・・上手いなぁ二人とも。
「終わりの始まり」は、イントロで「あれっ、こんな曲あったっけ?」と思ったくらい、LIVEの方が全然ハジけてる気がしましたが。まぁこれは単に僕の勉強不足かもしれません。レコーディングテイクをもう一度聴いてみなくちゃ。

そして、アルバム中一番好きな「不死鳥の調べ」。
これは少し不安だったのです、観る前は。どう考えても録音向きの構成の曲で。ヴォーカルも、ブレスが結構キツそうだし。
杞憂でございました。
特に、間奏が8小節ずつ柴山さん→下山さんのバトルになってたのが良かった~。でも、カメラさんは追いきれてなかったね。

タイトルチューン「忘却の天才」についてもひとこと。
この曲はステージ映えしますし、今後のLIVEでもそのうち演ると思います。みなさん、ひとさし指クルクルポーズをしっかり覚えておきましょう。覚えないまま今年のツアーでヤラレたら、後悔しますよ~。
あと、府中のこのステージでは、依知川さんのベースに一瞬おそるべき神プレイがありました。

②キーボードレスで、往年のヒット曲はどうだった?

「クロックマダム~」DVDの記事でも述べましたが、キーボード無しのスタイルで演奏に影響が出るのが、70年代~80年代の大ヒット曲の数々。
さて、どういう風に料理してくれてるんだろう?
と、観始めてからというもの、ソコは興味深々だったワケですが。

コバルトの季節の中で」「あなたに今夜はワインをふりかけ」
この2曲はスゴかった。
何と、柴山さんがリードギターパートとキーボードパートを両方弾く(!)という荒技です。
特に「コバルト~」の1番の部分。全体の音数が少ないから、柴山さんは本当に大忙し。下山さん、その間お行儀良くず~っとお休みです。これは音色の関係上仕方ない。2番になってカッコ良く噛みこんできます。

憎みきれないろくでなし」は、「クロックマダム~」ツアーの時と同じアレンジで演ってましたが。
何?この曲って、間奏でジュリーが柴山さんにカラむのが最近のお約束なのですか?
今にして思えば、「クロック~」の時は柴山さん、この曲の間奏で必死の形相してたんだなぁ。
こちらでは、ジュリーのカラみに煽られてゴキゲン、安心してイッちゃってますね。

③動けてない・・・こともない?大きくてお茶目なジュリー

いや、動いてますよ。結構。
やはり、不評なのは体型のせいなのでは・・・?僕は男ですから、実際あまり気にならないのね、ソコは。これで声が全然出てなかったら「オイオイ」って思うけど、気持ち良く絶唱してますから。「あなたへの愛」の一番高い音(G#)がバロメーターなんです。ココがスッと出てる時は調子がいい時。
しかしね。
確かに、今まで観たジュリーの中で最も巨大であったのも、事実ですわ。
どこまでが顎で、どこから首?
加えて、右手の指が・・・なんだかとても短く見えるんですが。

で、いくら何でも最後の最後、あの曲順はキツいでしょう。
「君のキレイのために」→「愛まで待てない」って!
動ける動けない以前に、生きてステージ終えられるかどうか、ジュリー(55歳)にとって問題はズバリその一点であったかと。
そこは上手いことやってます。この辺がプロですよね~。
「君のキレイ~」のエンディング、壁にへばりついて悶絶。直後に軽く「アイム・ソー・タイアード」なんてMC入れて、すぐさま「愛まで待てない」に突入しましたが、ここで裏技「自分スロー」が登場。
普通にそういうスローモーション画像処理に見えます(本当かよ)。走るべき箇所は断固走りますが、部分部分ではこうしてしっかりウケもとりつつ、無理せず頑張りました。

あとね、不評の原因・・・なんじゃないか、と思われるシーンを。
曲は「危険なふたり」。

柴山さんのハジけっぷりは素晴らしいのですが、問題はジュリー!
「年上のひと~♪」と歌いながら、前方のお客さんを次々に物色。
「美しすぎる~♪」は、「アカンて、アカンて」みたいなゼスチャーで、次の「ア~、ア~♪」はゲロ吐き声で歌うという・・・
これは、いくら何でもブラック過ぎないか~?

いやいや、楽しい作品でした。
積極的におススメしたいところではありますが、なにせこのDVD、現在はそう簡単には手に入らないという。

なんかね、貴重盤とか稀少グッズとかが多過ぎないですか、ジュリーの作品って。
こんなブログで多くの皆様に支持・叱咤して頂き、色々な恩恵に預かれる自分は本当に幸せ者。
ジュリー運を使い果たしてしまわないか、と少し心配でもあります。

僕の人生を変えた、2002年と2008年のジュリーに、感謝。

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2009年3月14日 (土)

PYG 「花、太陽、雨」

註:この曲の記事は、2020年12月3日に再度書き直しています。
楽曲考察としては、できましたらそちらの方を読んで頂けると有難いです(汗)。



親知らずを抜いてきました。
ご飯もキチンと食べてます。ツアーへ向け、楽曲知識のみならず身体の方も準備万端、万全にしておかねばなりません。現時点で告知のあるツアー前半部だけで、5ケ所もの参戦が確定しておりますので。
自らの意思で金銭面、健康面の自己管理をする、なんて生まれて初めてじゃなかろうか。

 

それはそれ、まぁ肝要なのはやはり楽曲の予習で。
3ケ月の猛勉強と親切な方々のおかげで、過去のアルバムについてはかなり網羅できました。

CoCo-lo時代がゴソッと抜けてますけどね(CD「架空のオペラ」がAMAZON最安値20云万円って、一体どうなっとるねん!)。

 

あとは、タイガース&PYGの勉強ですわ。
これについてはねぇ。楽曲の知識だけでは、イカンのよねぇ。
ライブで演るのは有名な曲が多いし、ベスト盤買ってみたら、ジュリー堕ち以前から仕事関係やら何やらで既に知ってた曲が大半で。
でも、リリース当時のジュリー(或いは他メンバー)をとりまく環境・・・これを知らないままだと、どこまで楽曲を理解できてるかどうか。
特にPYGは、作詞のメインが岸部兄さん(まだ、気軽に「サリー」と表記できない。この辺りも今後の課題だなぁ)ですから、尚更なんですよ。
以前「あのままだよ」の記事で少し触れましたが、岸部兄さんの詞って、どうもその時の個人的感情がハッキリ反映するみたいなのです。
PYGについては、結構試練のステージがあったとか色々噂は聞いていますが、タイムリーの知識でないと、どうも解りにくくて・・・。
今日の記事は、そんなPYGから。ズバリ、代表曲「花、太陽、雨」です。

 

夏ツアーのチケットで、今回大変なご好意を賜る事になったfuji様からのリクエスト。
実は、「御礼に何か1曲、お好きな曲の記事を書きます」と申し出ましたのが先週土曜の夜で、fuji様、最初は「遠い旅」をリクエストしようとなさったそうです。
で、日曜の朝に当ブログに来てみたら、何も言わないうちから「遠い旅」が既にアップされていて驚かれたとか。

そのお話を伺った時は、自分の神がかった行為に僕自身も驚きましたけどね。
じゃあ他のを1曲、ということで頂いたのが「花、太陽、雨」。

 

ついに来たか・・・。

 

試練が。
タイガースやPYGの有名な曲って、ずいぶん前に音楽業界でグループサウンズの復刻が当たってた頃に覚えたものが多くて。
その頃はまだジュリー堕ち以前ですから、個々の楽曲として音源を持っていて、どれがタイガースでどれがテンプターズでどれがPYGで・・・とか区別していなかったのですね。
今でも若干その影響が・・・。ライブDVD観てても、これはタイガースだっけPYGだっけ、みたいな。
こんな状況でまともな記事書けるんでしょうか。
しかし、やらねばならんのです。
大恩人の先輩からのリクエストなのですから。もう僕は、fuji様のためなら人の誹り受けて牢屋で死んでもかまいはしない・・・って、だからそれはPYGじゃなくてタイガースやって!

 

「花、太陽、雨」、サウンド面については、一応色々と、洋楽フェチならではの考察がありまして。
タイガースやジュリー70年代ソロとかもそうなのですが、殊にPYGは、英米で発信されたセンセーショナルな音作りを、瞬時にして取り入れています。タイムラグは1年未満。
ロックバンドとして最先端であろう、という気概が窺えるのです。
60年代末から70年代初頭にかけての音作りは、アフターサイケ時代と言われておりまして、いよいよロックが多様化し、それぞれ枝ごとに進化していくのですね。
「情熱の60年代」だとしたら、70年代は狂乱の時代。何でもアリです。例えば「花、太陽、雨」のイントロ。ある意味、聴く者を不快にさせる(不安に落とし込む)狙いで作られていますが、こういうアプローチがアリになったのがちょうどこの時期で。
突如としてドラムスのフィルインへと続くこのイントロ構成は、プリティ・シングスというバンドの「パラシュート」というアルバム冒頭に、オマージュの源を見ることができます。「パラシュート」は70年リリース、「指輪物語」にイメージ喚起されたという、いわゆる「ロック・オペラ」の名盤。「花、太陽、雨」とのタイムラグはほとんどありませんね。

プリティ・シングスはそれほど有名なバンドではありませんが、いかにも井上尭之さんが好みそうな求道者タイプの音作りをする連中で、デヴィッド・ボウイがこのバンドの大ファンであったことは良く知られています。

 

もうひとつ重要なのは、ジム・モリソン、シド・バレットといった才能がロックシーンに絡んでくる事により、「ネガティヴなカッコよさ」というスタイルが確立されたのが、ちょうど70年代初頭のことなのです。
彼等の登場がロックミュージシャンに与えた影響は、はかり知れないものでした。ジョン・レノンの過激さ、ミック・ジャガーの猥雑さ、というのがしごく健全に思われてしまったほどです。
彼等には「否定」というキーワードがあります。
社会のみならず、自分の存在をも否定しようとする。ライブに足を運んだ観客をも否定する。それにリスナーがシビレる、という非日常の魅力。
ただ、それ故に彼等は孤独であり、常に戦闘状態でした。80年代になり、「ネガティブ+ヘタレの美学」というスタイル(いや、それはそれで好きですよ僕は)がザ・スミスやアズティック・カメラなどのバンドにより進化確立されるまでは、リスナーからの同情・共感を否定する事でしか、70年代の天才達の生きる道は無かったのです。

 

長く「花、太陽、雨」と関係ない事を語っているようですが、これは岸部兄さんの詞について、僕の可能な範囲で考えたことなのです。
この詞って、自分に関わる事象を否定する事から入っていきますよね。

 

よろこびの時笑えない人
色のない花

 

憎しみだけのさかさまの愛
水のない雨

 

まずは、すべてを否定しようと試みます。
ところが、感情的には否定できても、対象の存在そのものを消し去る事はできない、という壁が立ちはだかるのです。
花であれ太陽であれ雨であれ、ネガティブな言葉で罵り否定する事はできますが、その意思だけで存在自体が消滅する事はない、と。
楽曲が進行するに連れて詞の内容が、「あなたの愛」も、そんな存在であるのだろうか、花や太陽や雨のように、消えない存在であるのか、あってほしい、という肯定の思考へと変化していくように思えるのですが、どうでしょうか。

 

最後の最後、「あなたの愛」と「花、太陽、雨」の発音が韻を踏んでる、とか、その辺はもう、言うだけ野暮な事ですね。

 

一応、僕が考察できるところを書きましたが、本当にこの曲に関してどの程度自分が解釈できているのか、自信がありません。
今回、先輩の皆様には、この「花、太陽、雨」リリース当時のジュリーや、岸部兄さん・尭之さん達がどんな状況にあり、どういう経験をしていたのか、教えて頂きたいと思っているのです。
僕の浅はかな理屈をくつがえすような新しい発見があるかも。
この曲は多くのファンの皆様にとって特別な1曲である、という認識でおりますので、是非ご意見をお聞かせ下さいませ。

 

乞、逆伝授!

 

 

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2009年3月 8日 (日)

沢田研二 「遠い旅」

「JULIE SINGLE COLLECTION BOX ~Polydor Yeas」収録
original released on 1974 シングル「恋は邪魔もの」B面

ちょっと冷静になって考えてみますと。
夏のツアー開始までは、まだ3ケ月もあるのでした。
そう言えば、ちょうど今が、ジュリー祭りから3ケ月経ったくらいかぁ。
これから、この期間と同じ長さの日々を過ごさねば、渋谷の開幕戦はやってまいりません。
まだまだ、長い先の話なんですね。

というのも。
僕も年齢を重ねるに連れて、特にここ数年というのは、時間のたつのがグングン加速していく感じを味わっておったのですが。
いきなり時間の流れが遅くなった。
12月3日から現在までの3ケ月は、とにかく長かったんだよなぁ。
一日に3枚くらい、ジュリーの未聴アルバムをまとめて聴いたりとか、自分にそんな貪欲なパワーが残っていたのか!・・・と我ながら呆れるほどの集中力が出てまいりまして、日々の密度が濃かった・・・それが、時間がゆっくり過ぎるようになった一番の要因ではあります。
でも、それともうひとつ。

いかなネット上でのおつき合いとは言えど、こんな短期間で、それまで全く知らなかった方々と次々に言葉を交わすようになった事。しかもハンパな人数ではありません。
人生においてこんな経験、小中高や大学の入学とか、就職だとか、それくらいなもんでしょう、普通は。
「ゆったりとした時間を生きる=若返り」の良薬は、それまで見知らぬ、気の合う人達との新たな出会い・・・なのかぁ。
道理でジュリーファンの先輩方が若いワケですわ。

で、自分が実年齢として若い頃、何をしてた、何を考えてた、とかいう事を最近リアルに思い出します。
ジュリーの楽曲のせいなのです。
具体的に自分の経験と重なるわけでもないし、どちらかと言えば淡々とした悲しい曲なのに、何故か生き生きと、ここまで歩いてきた自分の道のりを甦らせてくれる曲。
・・・最近購入した「シングルコレクション」(3万円)で初めて聴いたシングルB面のレコーディングテイク数10曲は本当に傑作揃いなのですが、その中で、他を圧倒して、特別に好きになった曲です。
「遠い旅」、伝授!

シチュエーションとしては、生まれ育った町を捨て大きな夢を抱いて旅立った若い男女二人に降りかかる、小さくも切ない挫折を描いた物語。
視点は一応男子側にありますが、非常に客観的な詞で、激しい感情の露出は全く書かれていません。

「小さな肩が震える」
「おまえの顔が曇る」

歌い手(=ジュリー)の目に映る、連れの女子のちょっとした仕草や表情に、夢と現実の違いを見てとった主人公の男子の心は、次第に、捨ててきた故郷の町へと馳せていきます。
彼女と一緒にいて、ただ楽しかった日々。その想い出が望郷の思いとリンクしていくのです。
作詞は安井かずみさん。最後の最後に

「戻る方がいい」

と、言い切ってしまう客観性は、ZUZU最大の持ち味かと思うのです。
ZUZUこと安井さんは、別れの歌を書いてもどこかウキウキとした感じをも出してしまう素晴らしい詩人ですが、この「遠い旅」では、突き放した観点から、特に別れのシーンを描くでもなく、ここまで切ない詞をほんの一瞬の男子の心の動きだけで表現しきってしまうという。
う~ん、語り過ぎ?
余計な言葉がそぎ落とされて成立してる詞を、わざわざ説明するってのも、善し悪しですかねぇ。

作曲は、井上尭之さんです。これも素晴らしい
メロディーの美しさは、僕の大好きな「美しい予感」にも匹敵するほどで、アコギのアルペジオを主体に、ベース音がキレイにクリシェしたり跳ね飛んだりする作りも、2曲に共通する尭之さん独特のセンスです。
サビ部、ニ長調からト長調への移行という、ちょっと普通ではやらない転調があるのですが、流れは全く自然で違和感が無く、しかもアッという間に元調に戻って見事にAメロに着地します。
尭之さんのアルペジオを包むように、歌い出し部分からベース、ドラムス、オルガンが絡んできます。

みなさん職人芸でいて尚且つ愛情あふれる演奏ですが、特にオルガンは隠れた熱演。これまた素晴らしい!

で、ジュリーのヴォーカルが。
高いんだこれが。常々思っている事とは言え、70年代のジュリーの高音の抜け方は、神!
オマケのコード譜、「アルペジオでベースラインが弾きやすいように」と理由をつけて、オリジナルDのところをカポタスト2フレットのCで起こしていますが、実は、これはねぇ。
自分で弾き語る時は、カポタストつけないんです!

だって、高過ぎて声ひっくり返るんだもん、「たぁびの~♪」の「の」が。

さて、伝授したは良いけれど、みなさまに「3万円払ってシングルコレ買いなさい」とまではさすがに言い辛い。
そこで。
DVD「1999年正月コンサート」、コレです!
ちょっと変ですよ、この時のセットリスト。「遠い旅」の他では、「ママとドキドキ」とか、アンコールで「夜の河を渡る前に」とか。

これらの曲が好きな人にはタマらんでしょうが、地味と言えば地味。まぁ、僕は当然タマらん派です。
あと、MCで延々とタイガース(阪神の方)の話をしてます。
ノーカットで収録したDVDスタッフの方々に、惜しみない拍手を送りた~い!

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2009年3月 4日 (水)

ロック・ゴーとロック・ロックは外せん!

ジュリー、8月までのツアースケジュール、出ましたね。
おそらく来年からは結構慣れて、ツアーは2日ほどの参戦で満足できるようになる気もしますが、今年は無理!
自分を制御できませぬ。
とれるかどうか解りませんが、渋谷の6・5、6・6は外したくない。八百万の神様、どうか~!

あと、関西を一度観てみたい。お客さんに独特のノリがあると聞いていますし、関西限定のMCも聞きたい。
関西には、ご挨拶させて頂きたい方々もたくさんいらっしゃるし。
大東か、神戸のいずれかを野宿で。ただ、交通アクセスがサッパリ解りません。!

そして、可能なら直接お会いして御礼をしたい方がいらっしゃる愛知方面。
しか~し!芸術劇場は金曜なのか・・・。愛知県安城市ってのが、よく解らない・・・何処?

まだある。大宮、立川のどちらか。これはYOKO君と相談か・・・。

トドメはワケわからん場所へ大遠征か。
多少だが土地感がある熊本か博多、或いは、そのまま道に迷って帰って来れなくなるかもしれない黒部とか鳥取とか。

と楽しく想像してみたものの。
破産しないよう、上手いことやんないとな・・・。

とにかく!
初っ端の渋谷だけは譲れ~ん!

みなさまも一緒に、頑張りましょ~!

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2009年3月 1日 (日)

沢田研二 「湯屋さん」

from『JULIEⅣ~今 僕は倖せです』、1972

Julie4

1. 今 僕は倖せです
2. 被害妄想
3. 不良時代
4. 湯屋さん
5. 悲しくなると
6. 古い巣
7. 
8. 怒りの捨て場
9. 一人ベッドで
10. 誕生日
11. ラヴ・ソング
12. 気がかりな奴
13. お前なら

--------------------

 

「きめてやる今夜」、渋谷・神戸とも大盛況、大興奮、大絶賛の中、無事終了しましたようで何よりです。
無念の欠場となってしまった瀬戸口ですが、先輩の皆様のそれぞれに個性的なレポートや、愛のあるコメントに助けられ、何とか少しばかり参戦していたような気分になってきました。
仕上げに今回のセットリストの中から1曲伝授致しまして、自分の中の「きめ今」を完結させたいと思います。よろしくおつきあい下さいませ。

 

選曲、迷いました。まず「ブラウン・シュガー」を考え、「アイム・ダウン」「朝日のあたる家」「ツイスト・アンド・シャウト」・・・散々迷いましたが、ここはやはりロッケン・ジュリーとロッケン・YUYAに敬意を表して、直球投げとこうか、と。
アルバム「JULIEⅣ~今僕は倖せです」から、痛快なロックンロール・ナンバー「湯屋さん」、伝授!

 

風呂屋の息子・湯屋ちゃん♪
とは、もちろんシェケナ御大・内田裕也さんのこと。作詞はジュリー、作曲もジュリー。と言うより、この「JULIEⅣ」収録の全13曲は、すべてジュリー自身が一人で書いたナンバーなのです。

 

最近、「シングル・コレクション」を購入したり、70年代のLIVE音源を聴いたりして一番驚いたのは、ジュリーが当時、自身の書いたオリジナル曲の発表の場を求めて奮闘、そのクオリティーを強く主張していた、という事実。
考えてみれば、阿久=大野ナンバーでガッチリ固められていた時代を除き、ジュリーは常に作詞・作曲という仕事に貪欲に取り組んでいたのでした。ちょっと見逃しがちな歴史ですね。
ただ、ソロデビュー当時はそんなジュリーの優れたオリジナル曲も、レコード戦略の面からなかなかアルバム収録のOKが出ず、LIVEのみの演奏や、レコーディングされたとしても、シングルB面でのリリースに甘んじていたようです。
最近「シングル・コレクション」で初めて聴いたジュリーの作曲作品はどれも非常に凝っていて、「A面を食ってやる!」くらいの気合を感じました。ファーストシングル「君をのせて」のB面がジュリー作詞・作曲であった事だけでも、充分驚きましたが。

 

そうやってジュリーが磨き上げていった才能を一気に解放させる時が初めて訪れたのが、アルバム「JULIEⅣ」。前年の「許されない愛」大ヒットを受け、事務所がご褒美として「好きなように1枚アルバムを作ってよし」と、プロデュースまでジュリー自身に任せたという流れだったようです。
ジュリーは喜んだでしょう。目に見えて、好き勝手やってます。
この頃はまだ、「PYGのジュリー」として自身を位置づけていた事もあり、ジュリーはある意味内輪ウケとも言えるプロデュースに走ります。
「歌謡曲では、ラブ・ソングを歌うのが当たり前」という商業戦略からも解き放たれ、ほとんどの楽曲で「友情」、あるいは「家族」といったプライヴェートな人間関係をテーマに作りこまれたアルバム・・・ジュリーの歴史において、ここまで徹底して不良少年なコンセプトを持つアルバムはこの1枚のみです。

 

そうなるとジュリーも、恩人・裕也さんの事を歌わないわけにはいきません。
70年代のジュリーは、最近とは逆で、まず詞を書いた後にメロディーをつけていく、という作曲方法だったと推測されますが、裕也さんに捧げる詞「湯屋さん」に合わせてジュリーが選んだコード進行は、ズバリロックンロール!シンプルなスリーコードを骨子に、痛快の極地を目指しました。
スリーコードのロックンロール楽曲のスゴイところは、例えば初対面のバンドマン同士が「あの曲知ってる?」と、いきなりセッションを始め、会話するよりも早く、演奏を通じてお互いすぐに打ち解け合ってしまう、という魔法の力を持っているという事です。
そんな楽曲を、普段から気の合っている仲間同士で演奏すれば、どうやったってパーティーになります。「湯屋さん」から滲み出る、何とも楽しげな雰囲気は、ジュリーがこの曲をスリーコードのロックンロールに仕上げた時点で、既に約束されていたと言えます。
イントロのちょっとひねってウキウキした感じや、3番でCからDへ跳ね上がる転調などは、リハを重ねていくうちにバンドメンバーでアイデアを出し合って固められていったのでしょう。
間奏のリードギターが、通常のミドルエイト(8小節)どころか、48小節もの尺を取っているのもポイントで、24小節ずつ、それぞれスライドのアコギとエレキギターの叩き合いになっています。
この間奏部、「きめてやる今夜」の演奏では一体どのような流れだったのか、個人的には非常に気になるところです。
また、この手の楽曲では「やたらと元気のいいコーラス」というのも外せません。できるだけ複数で、ラフに歌うのがカッコいいのです。ですから、「きめ今」で観客一体となってコーラスをやった、とお話を伺った時には、うらやましくて仕方なかったです(半泣)。

 

僕は、ジュリーが大先輩・大恩人の裕也さんの事を「ちゃん」付けで歌うのがイイんだよなぁ、と思います。
僕自身、会社の若手の連中や、年下の音楽仲間にタメ口叩かれるのが好き、という変なヤツで、さすがに職場では「瀬戸口さん」と呼ばれますが、食事や飲みに連れていくと全員呼び方が「せとやん」に変わる(笑)。
散々後輩にいじり倒されて、結局食事代は全額持つ。まぁこの年で独身だから出来る事なのでしょうが、そんなキャラは自分自身で気に入っている、数少ない面のひとつです。
比較するのは大変おこがましいのですが、裕也さんもそんな人なのかなぁ、と思ったり。69才まで生きているとしたら、そんな風でありたい、とも思います。

 

アルバム「JULIEⅣ~今僕は倖せです」、他の収録曲の話をしますと、まず一番有名なのは「不良時代」。ドームでは第2部の1曲目でした。おかげでトイレ行きそこねました。
同じくライブ率の高い曲が「涙」。演奏時間の短いバラードで、これもドームで演りましたね。第2部の3曲目でしたが、瀬戸口はここでトイレに行きました。ジュリーごめんなさい!
タイトルチューンの「今僕は倖せです」。とても良い曲です。ちょっと変わったコード進行、この辺りは作曲家・ジュリーの主張が見えます。
他では、当時の洋楽アレンジへのオマージュが窺える「ひとりベッドで」と「お前なら」が好きで、「ひとりベッドで」での、意表をつくアコギ単音とベースのユニゾンによる瞬殺ブレイクにヤラれ、自作曲でその部分だけパクったりしてます。

 

あと、文句なく楽しげな歌詞カードが素晴らしい。これもパクりました。
歌詞部(ジャケも)はジュリーの直筆。非常に自己主張の強そうな、尖った字を書くんですね(笑)。
それでイイんです。ロッカーなんですから!

 

 

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