2017年4月23日 (日)

沢田研二 「TOMO=DACHI」

from『ROCK'N ROLL MARCH』、2008

Rocknrollmarch

1. ROCK'N ROLL MARCH
2. 風に押されぼくは
3. 神々たちよ護れ
4. 海にむけて
5. Beloved
6. ロマンスブルー
7. やわらかな後悔
8. TOMO=DACHI
9. 我が窮状
10. Long Good-by
11. 護られている I love you

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さて、これから拙ブログでは『ジュリー祭り』セットリストからのお題を3曲続けて更新していく予定ですが、第1弾の今回は短めの変則的な内容となります。

先の記事で書いた通り、僕は今月15日から母親の17回忌法要のため久々に鹿児島に帰省しました。
故郷に帰るとどうしても少年時代の想い出が溢れてきます。今日はそんなとりとめのない想い出の中から、僕の高校時代・・・初めて「落語」というものに興味を持った時のことを書かせて頂こうと思います。
「落語」がキーワードと来ればお題にあやかる曲は、ジュリー自らの作詞で友人・桂ざこば師匠のことを歌った「TOMO=DACHI」で決まりですね。
アルバム『ROCK'N ROLL MARCH』から、よろしくおつき合いのほどを・・・。


僕の出身校は、鹿児島県霧島市にある国分高校(通学当時は市町合併以前の国分市)。
一応歴史ある県立の進学校なのですが元々は女子校で、僕が通っていた頃は生徒の女子率が7割近かったでしょうか(いや、別にそれが目的で入学したわけではないですよ!)。「勉強、勉強」という雰囲気はまるで無くて、良い意味でのんびりした校風でした(今はどうか分かりませんが)。
女子校時代の校歌が何と北原白秋・作詞、山田耕筰・作曲というのが、自慢できる特記事項かな~。

で、今も続いているのかは分からないんですけど、国分高校では年に1度『卒業生を送る会』なる行事が開催されていました。これは完全に「生徒主導」の仕切りで執り行うイベントで、毎年2年生を中心に生徒達がアイデアを出し合い、卒業を控えた3年生の在学の想い出となるような工夫が凝らされます。
高校生の考えることですから良くも悪くも斬新、恐れ知らずのアイデアが飛び交います。確か僕らが「送られる」年・・・誰が最初に言い出したのか「落語家さんを呼ぼう!」という話が持ち上がりました。
なにせ鹿児島の片田舎の、しかもたかだか高校生です。皆、落語家さんなんてほとんど知らないに等しいんですよ(少なくとも当時の僕はね汗)。
でもただ一人だけ、僕も含め全校生徒知らない者はいないだろう、という人がいました。
当時『笑点』司会者となって数年が経ち、全国区不動の人気を爆発させていた5代目・三遊亭圓楽師匠です。

高校生の行動力は凄いものです。なんと即座に圓楽師匠にオファーを出してしまったという・・・これが大人(先生)達の仕切りだったら、「それはさすがに無茶」のひと言で片付けられていたのかもしれません。
ところがさらに驚くべきことに、圓楽師匠からは素早い快諾のお返事が!
都会ならいざ知らず、鹿児島の、しかもド田舎の高校の『卒業生を送る会』のために、あの圓楽師匠が高座に来てくださるというのです。多くの生徒達はそれがどれほどの奇跡なのかすら実感していなかったというのも今考えれば失礼過ぎる話なんですけど。

当時僕は「落語」などまるで知らないに等しかったです。下手すると、大喜利と落語の区別すらついていなかったかもしれません。
予備知識の無いまま当日を迎えることとなりました。

圓楽師匠が用意してくださった高座は、最初から最後まで師匠独演の三部構成でした。
まず第1部では、「落語」の成り立ちやこれまでの歩みを面白おかしく教えてくださいました。
続く第2部では、特別落語に興味が無くても皆がチラッとは知っているとても有名な噺をしてくれた・・・と思います。明確に書けずすみません、実は第1部と第2部については内容をよく覚えていないのです。ただ、この第2部までは会場の生徒、先生方もひっきりなしに笑い、とても賑やかだったという印象だけは残っています。

空気が一変したのは第3部。
僕が強烈に打ちのめされ、その後「落語」に興味を持つに至ったのは、この第3部での圓楽師匠の高座が忘れられなかったからです。
鹿児島のド田舎の高校生のために遠路はるばるやって来た圓楽師匠が、第3部・・・つまり「大トリ」で何の噺をかけてくださったと思います?
少しでも落語に興味を持つ読者のみなさまはビックリされると思いますよ・・・何と、『死神』です。
素人、まして初めて高座を聞く高校生には、一体この噺のどこでどんなふうに反応し笑うのが正解なのかすら分かりません。ただただリアルに、本当にリアルに情景を語り話を進めてゆく圓楽師匠のほとばしるオーラ、熱気に圧倒されるばかり。師匠の前に、噺の肝である蝋燭が立ててあるのがハッキリ見えるんですよ。

そして最後の最後・・・師匠がその蝋燭の炎に向かって「あぁ・・・消えるぅ・・・」と呻き、ガクンと頭を落としました。会場はシ~ンと静まりかえっています。皆、「これで噺が終わり」ということも分かっていません。
沈黙の時間がずいぶん長かったような記憶がありますが、実際にはほんの数秒だったかもしれません。拍手も無いままにその沈黙は過ぎ、顔を上げにこやかな表情に戻った圓楽師匠は、『死神』の「オチ」の説明をしてくださいました。この噺の「オチ」にはいくつものヴァリエーションがあるのだけれど(例えば、蝋燭が消えた瞬間に派手に後ろにひっくり返る)、自身が受け継いだ『死神』はこういう終わり方をする、そしてそれを自分も後世に伝えてゆく、と。
これは一体どういう世界だ?凄いぞ・・・「落語」というのはこれまで僕らがかじっていたほんの少しの知識とは比べものにならないくらい深いのだ・・・。
と、多くの生徒達が感じたはずです。

後になって思えば、圓楽師匠としては高校生相手に『死神』をかければこういう状況(会場がオチも理解できず場が静まりかえって終わる)になる、と見越していらしたはず。それも含めての高座であったでしょう。
チャレンジ精神旺盛な師匠はオファーを受けて、高校生対策を練りに練り、見事たったの1日、たった数時間の間に落語の「いろはの”い”」から上級までを駆けてくださったのでした。

師匠が最後に「わたしゃあ国分高校を生涯忘れやしません」と言ってくださったのを、今でも昨日のことのように覚えています。
大学進学のため上京した僕はその後、池袋演芸場に数回(お客さんが僕と連れの友人2人だけ、という日もあったなぁ)、あと場所は忘れましたが銀座で「食事をしながら落語を楽しむ」会など、これまで何度かプロの落語家さんの高座を聞きました。
残念ながら先代圓楽師匠の高座を聞いたのはあの高校生の時一度きりとなってしまいましたが、「10代の高校生時に5代目・三遊亭圓楽師匠の『死神』を生で体感したことがある」というのは一生の宝物です。

そうそう、僕は「上方落語」は未だ体感したことが無いんです。NHK朝ドラ『ちりとてちん』に大嵌りしていた時に、知識だけはずいぶん蓄えましたけどね。
いずれ機会あらば、と考えています。


といったところで、思い出話はここまで。
今日お題にあやかったジュリーの「TOMO=DACHI」についても少し書いておきましょう。

ずっと気になってたんや
Am                Dm

会えたらどないやろか ♪
G7     E7        Am

ざこば師匠のことを歌った曲、ということすら『ジュリー祭り』後に知った僕が、アルバム購入時にこの曲を「関西弁?トリッキーでユニークな曲だけど、よく分からないなぁ」と思ってしまったのは致し方ありません。
今聴いて改めて感じるのは、題材やアレンジなどに『今、僕は倖せです』の頃のジュリーを重ねることもできるんじゃないか、という。
身近なテーマをロックする!というのは2000年代ジュリーの特性のひとつですが、「TOMO=DACHI」の詞には、ジュリーの周りにいる「人」の存在をひしひしと感じることができる好篇の意味で、72年のセルフ・プロデュース・アルバムからのジュリーの創作姿勢の一貫性、繋がりを思います。
「リズム=キメのリフ」を採り入れたアレンジも、「お前なら」を彷彿させますしね。

八島順一さんの作曲は、95年の「泥棒」にかなり近い手法だと思います。この2曲はあまりにイメージが違うので「えっ?」という先輩方も多いでしょうけど、「TOMO=DACHI」って「カッコイイ歌謡曲」にも通ずる、哀愁漂うキャッチーな短調のメロディーなんですよ。
同主音による移調を採用して全体の構成にメリハリをつけているのも「泥棒」との共通点。「TOMO=DACHI」の場合は、イ短調の曲がサビと間奏で明るいイ長調へと転調します。

ZACK ばらんな人や おもろいで
A        C#m7    F#m      D

BUT 泣かっしょんにゃわ
A      C#m7      F#m

はなしが良え シビレタで ♪
   D          F      G      A

躍動的なメロディーですよね。
ひとつ謎なのは、何故これほどまでドラムス・パートのミックスを抑えたのかなぁ、と。
いかな打ち込みのプログラミングとは言え、こうも極端なミックスは珍しい。僕などには気づけていない、白井さん一流の狙いが何かあるのかもしれません。
今後の考察課題です。


それでは、オマケです!
まずは、『ジュリー祭り』2大ドーム公演を前にしたジュリーが思いを語った、『読売新聞』夕刊記事から。


Img126

200815


続きまして、同じく2008年の資料。ジュリーの「TOMO=DACHI」と言えば当然この人もそう・・・客席から観る『ジュリー祭り』を楽しみにしているサリーの記事です。

Gsw


今回「TOMO=DACHI」の執筆をもって、昨年の『G. S. I LOVE YOU』に続き、『ROCK'N ROLL MARCH』についてもアルバム収録全曲の記事制覇成りました。
一応過去記事をすべてアルバム・タイトルのカテゴリーに移行しますが、少なくとも「Long Goog-by」の記事だけはいずれ機を見て書き直すつもりです。
「あのままだよ」と併せての記事ですし、あの曲をタイガースの「た」の字も知らない超・ヒヨッコ状態で書いてしまっているのは大いに問題アリですからね・・・。


それでは、次回からは通常の考察記事として、『ジュリー祭り』セットリストからお題を採り上げます。
全82曲の記事完全制覇まで残すは8曲。
意外や「これをまだ書いてなかったんか!」という重要な名曲が結構残っているんですよね~。
引き続き頑張ります!

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2017年4月20日 (木)

ザ・ワイルドワンズ 「涙色のイヤリング」

『All Of My Life~40th Anniversary Best』収録
original released on 調査中(汗)
or single『ハート燃えて 愛になれ』B面、1985


Wildones

disc-1
1. 想い出の渚
2. 夕陽と共に
3. ユア・ベイビー
4. あの人
5. 貝殻の夏
6. 青空のある限り
7. 幸せの道
8. あの雲といっしょに
9. 可愛い恋人
10. ジャスト・ワン・モア・タイム
11. トライ・アゲイン
12. 風よつたえて
13. バラの恋人
14. 青い果実
15. 赤い靴のマリア
16. 花のヤング・タウン
17. 小さな倖せ
18. 想い出は心の友
19. 愛するアニタ
20. 美しすぎた夏
21. 夏のアイドル
22. セシリア
23. あの頃
disc-2
1. 白い水平線
2. 涙色のイヤリング
3. Welcome to my boat
4. ロング・ボード Jive
5. 夏が来るたび
6. ワン・モア・ラブ
7. 想い出の渚 ’91
8. 追憶のlove letter
9. 星の恋人たち
10. ハート燃えて 愛になれ
11. 幸せのドアー
12. 黄昏れが海を染めても
13. Yes, We Can Do It
14. あなたのいる空
15. 愛することから始めよう
16. 懐かしきラヴソング
17. 夢をつかもう

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母親の17回忌は、80歳となっても元気バリバリな父親の仕切りで無事終わりました。

鹿児島の実家近辺は人通りもほとんど無く、平和な田舎町の風景は相変わらず。
弟一家と共に泊まった温泉宿『清姫温泉』は、13回忌の時に近くでひと晩中モーモー鳴いていた牛がいなくなっていて、これで今回はぐっすり寝られるかなと思っていたら、夜中に突然凄まじい雷雨が。
僕は「屋内で聞く雷の音には癒される」というタイプなのでむしろ心地よかったですが、カミさんは怖くてよく眠れなかったのだとか・・・本当に稀な集中豪雨だったようで、翌日鹿児島市内の鴨池球場で開催を予定していたホークス×バファローズ戦がグラウンド・コンディション不良のため中止となってしまったそうです。
でもその雨も昼には上がって、半袖がちょうど良い陽気に恵まれた帰省でした。平穏な故郷へと帰れる有難さをしみじみと感じながら、49℃の源泉にゆっくり浸かってリフレッシュしてまいりましたよ~。


加瀬さんは今年が3回忌ということになりますね。
命日である今日4月20日の更新、僕はブログを続ける限りこの日には何らかの形で加瀬さんのことを書いていこうと決めています。昨年はワイルドワンズの平和へのメッセージ・ソング「Yes, We Can Do It」について書きました。今年は再びワイルドワンズのナンバー・・・でも今度はちょっとほろ苦い恋のバラード「涙色のイヤリング」をお題に採り上げます。
まだまだ僕はワンズについては基本的なことから勉強中の身です。記述に誤りなどありましたらバシバシ御指摘くださいませ。


一昨年の悲報を機に改めて加瀬さんのことを色々調べていて、「その時初めて知った」加瀬さんの功績と言えば・・・1985年にリリースされた「ハート燃えて 愛になれ」というワイルドワンズの曲が、刑事ドラマ『私鉄沿線97分署』のオープニング・テーマであったこともそのひとつです。
中学生までは「刑事ドラマ」であれば何でも観ていた僕ですが、高校に入るとバンド活動が生活のメインとなってしまい、テレビドラマをあまり観なくなりました。前回記事で触れた『刑事物語'85』も、羽田さん作曲のメインテーマの印象は強烈でしたが、ドラマの内容自体は実はよく覚えていないのです。

『西部警察PARTⅢ』の後番組として84年から86年まで放映されたという『私鉄沿線97分署』はちょうどその同時期の作品で、こちらについてはまったく観た記憶がありません。
「ハート燃えて 愛になれ」はその第2期、85年にオープニング・テーマとしてお茶の間に流れていたとのこと・・・そしてさらに、同番組エンディング・テーマもワイルドワンズの曲が採用されていたと昨年知りました。それが今日のお題「涙色のイヤリング」です。

情報を得た時、僕は「あれっ?」と首を捻りました。手持ちのベスト盤『All Of My Life』はワンズの代表曲を基本年代順に収録したもの。でも、「涙色のイヤリング」はdisc-2の2曲目、「ハート燃えて 愛になれ」は同10曲目と収録配置が離れています。
しかも「涙色のイヤリング」は、ワンズ再結成間もないリリースのシングル「白い水平線」の次に収録されている・・・とすればリリースはだいたい81年くらいと考えるのが自然です。その曲が85年の刑事ドラマのエンディングとは一体・・・?
調べてみますとこの曲、85年のシングル「ハート燃えて 愛になれ」のB面曲でもあるらしいことが分かりました。いよいよもって『All Of My Life』収録位置との整合性がとれません。
これは何かある!と踏んだ僕は、今年になってこのようなCDを購入してみました。

Img388246

↑ 刑事ドラマのオムニバスCD『刑事ベスト24時』


収録曲の多くは「僕があまりテレビを観なくなった」時代の番組からの選曲がメインですのでちょっと思い切った買い物でしたが、このCDの売りのひとつが”『私鉄沿線97分署』のワイルドワンズAB面2曲の同時CD収載は業界初”とのことでしたから、購入前から「ある確信」は持っていました。
いざ聴いてみますとその確信は当たっていて、ここに収録されている「涙色のイヤリング」は、『All Of My Life』収録のものとはまったくの別ヴァージョンでした。

つまり、『私鉄沿線97分署』エンディング・テーマ「涙色のイヤリング」は、過去に一度リリースされた同曲をワイルドワンズがドラマ・タイアップのためにリメイクした作品ということになるのでしょう。
ワンズファンのみなさまにとってこの2つのヴァージョンの存在は常識かもしれませんが、僕は85年のリメイク・ヴァージョンを今年になって初めて聴いたわけです。
これがまた「ヴァージョン違いフェチ」な僕としてはたまらないパターンでしてね~。


「涙色のイヤリング」の曲調はいわゆる”3連バラード”の王道です。当然作曲は加瀬さん。
加瀬さんの”3連バラード”と言えばジュリーファンの僕が真っ先に想起するのは「おまえがパラダイス」と「きわどい季節」ですが、「涙色のイヤリング」はちょうどジュリーがこの2曲を歌う間に2つのヴァージョンをレコーディングしていることになりますか~。
「ロッカ・バラード」と言うには甘やかな曲ですが、「おまえがパラダイス」にも採り入れられている「ミミミミファ#ソ#ララララソ#ファ#ミ♪」(「涙色のイヤリングのキー・ホ長調での音階表記)という洋楽直系の王道フレーズも、Aメロ締めくくりの箇所にリード・ギター・パートとして登場します。

では、2つのヴァージョンはどのように違うのか。
ここでは『All Of My Life』収録のヴァージョンをオリジナル、『刑事ベスト24時』収録のヴァージョンをリメイクと記して話を進めていきましょう。
演奏はもちろん、編曲クレジットも違います。


Img386711

↑ 『All Of My Life』のクレジット

Img386712


↑ 『刑事ベスト24時』のクレジットおよび解説


オリジナル・ヴァージョンはとても柔らかな、「胸キュン」志向のミックス・バランスが特徴。良い意味で、鳥塚さんのヴォーカルもワンズのコーラスも演奏も「ぼんやり」しています。
これは80年代初期、女性アイドル歌手のアレンジ、ミックスで良く見られた手法で、ワンズに限らない「時代の個性」と言ってよいと思います。

対して『私鉄沿線97分署』エンディング・テーマであるリメイク・ヴァージョンは猛々しい、男らしい仕上がりです。
鳥塚さんのリード・ヴォーカルはダブル・トラック。僕は鳥塚さんのダブルトラックってとても好きですね。ジュリワンの「プロフィール」が大好物ですから。
楽器パートで一番印象をガラリと変えているのはドラムスでしょう。ドッカン、ドッカンとキックが鳴っています。まるでアリスタ時代のキンクスみたいに、コンクリートの壁の反響音が聴こえているんじゃないか、というくらい尖っていますよ。
また、2番サビ前のフィルも荒々しい名演。リメイク・ヴァージョンの「男っぽさ」を決定づけています。

ただし、逆にオリジナルの方が「男らしく」、リメイクの方が「柔らかい」パートもあり、それがそれぞれのヴァージョンの肝となっているというのが面白い!
オリジナルでは、加瀬さんのギターです。
この曲はいずれのヴァージョンも植田さんを中心としたコーラス・ワークをフィーチャーしたヴァースでフェイド・アウトするんですけど(この曲には半音上がりの転調が2度登場し、エンディング・コーラスは嬰ホ長調となっています)、オリジナルの方ではそこで加瀬さんの破天荒なトレモロ奏法が炸裂しまくっているのです。リメイクにはそのギターがありません。
一方リメイクでは、イントロに独立したストリングスのソロが配されています。初めて聴いた時には、それこそ「きわどい季節」が始まったのかと思いましたよ。
これがオリジナル・ヴァージョンにはありません。

このように、「明らかに違う」同一曲の別ヴァージョン比較が叶う曲は聴いていて本当に飽きません。
今、僕のお気に入りのワイルドワンズ・ナンバーのひとつ・・・ジュリーファみなさまにも、是非機会あれば2つのヴァージョンを聴き比べて頂きたい名曲です。

最後に、竜真知子さんの詞について。

指輪をしたままで
B7           E

抱きしめあった日   か  ら ♪
D#7               G#m7  F#7   B7

ということで、これは夏の日の危険な恋の物語・・・なんですけど、同シチュエーションを描いた作品が多い阿久=大野時代のジュリー・ナンバーと違って、加瀬さんのメロディー、鳥塚さんのヴォーカルには何故か「悲壮な禁断の色」がまったく感じられません。これはワイルドワンズならでは、の個性ではないでしょうか。

めぐり逢うのが  遅すぎた
      E      G#m7   F#m7  B7

二人すべて   知りながら
   G#m7  C#m   F#m       B7

ひと夏の あやまちにできない ♪
   E    C#m  F#m7  B7        E   A   E

竜さんの描く夏のバカンスの「二人」は、表面的には初対面であるように読みとれます。
でもね、鳥塚さんの歌を聴いていると、どうにも僕はこの二人が「久々の再会」を果たしたかつての恋人同士のように思われてならないんですよ。
ジュリーwithザ・ワイルドワンズでの、三浦徳子さんの「渚でシャララ」と同じ状況です。

つかの間の 歓び は
E        C#m  F#m7  B7

片方だけの イヤリング
   E     C#m  F#m7    B7

夏に揺れた  君の 涙の色 ♪
G#m7    C#m   F#m   B7  E  C#m  F#m7  B7

お互いの若い日をよく知る二人が思いもかけず再会を果たし・・・情熱は「あの頃」のままだけれど、人生経験を積んだ今はそれにもまして「互いの涙色を分け合う」までに熟している、と。
つまり、竜さんの詞を、ワイルドワンズが「かつての若者達」に届ける「大人のラヴ・ソング」と読み解くことはできるのではないでしょうか。
僕は『私鉄沿線97分署』を観た記憶は無いんだけど、ごく普通の人々の過去から現在に至る悲喜を描くことの多い刑事ドラマのエンディング・テーマとして、このバラードはピッタリだったんだろうなぁ、と思います。


それでは、オマケです!
今日は、いつもお世話になっているピーファンの先輩から以前お借りした『グループ・サウンズ・ヒット曲集』から数枚のショットを。
先輩方には見慣れた写真ばかりかもしれませんが、タイガースとワイルドワンズのショットがカッコ良いので、この機会に載せておきます~。


Gs101

Gs102

Gs103

Gs104

Gs105

Gs106


加瀬さん。
なんだかキナ臭い時代になってしまいました。50周年のジュリー、古希イヤーのジュリー、その後のジュリーをどうぞいつまでもお護りください・・・。


では次回以降の更新予定ですが、今年もこのあたりでそろそろ『ジュリー祭り』セットリストからいくつか記事を書いておかねば、と考えています。
「ジュリー70超えまでに、鉄人バンドのインストも含めた『ジュリー祭り』セットリスト全82曲のお題記事を書き終える!」・・・拙ブログ当面の最大目標達成までタイムリミットは約1年。残すお題は9曲となっています。
今年中に6曲、そして来年6月25日までに3曲の執筆を予定しておりまして、まずは2017年前半、ここで3曲ほど書いておきたいと思います。

第1弾の次回はちょっと変則的な内容となります。
『ジュリー祭り』セットリストからのお題にあやかりまして、個人的な「落語」にまつわる思い出話を書かせてくださいませ~(←お題曲バレバレ)。

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2017年4月14日 (金)

沢田研二 「片腕の賭博師」

from『チャコール・グレイの肖像』、1976

Tyakoruglay

1. ジェセフィーヌのために
2. 夜の河を渡る前に
3. 何を失くしてもかまわない
4. コバルトの季節の中で
5. 桃いろの旅行者
6. 片腕の賭博師
7. ヘヴィーだね
8. ロ・メロメロ
9. 影絵
10. あのままだよ

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朝、新聞でキナ臭いニュースを読み、浮かぬ顔のままに洗面所で「へ~くしょん!」とやった瞬間に首の真後ろが「ぴき~ん!」となって悶絶しました。
ただただ情けない・・・。

さて、気がかりだったツアー前半の抽選結果は、澤會さんからのハガキが到着していないので僕はなんとか第1希望通りに参加できそうです。やっぱりツアー初日に参加できるのは何より・・・ただし、今回ばかりは(完全にリリース年代順のセットリストにでもならない限り)、演目は覚えられても演奏順は覚えられそうにありません。最低でも50曲は歌うわけですからねぇ。
いつも速報を頼りにしてくださる地方の先輩方がいらっしゃるので、一応頑張ってみるつもりですが。
なにはともあれ、ツアー初日が今から楽しみです!

では本題。
『この曲のこの演奏にシビレる!』シリーズ、いよいよ締めくくり(また来年あたりこのシリーズ期間を設けるかもしれませんが)の第5弾は『ピアノ編』です。
僕が全ジュリー・ナンバーの中で「ピアノ」演奏のベストだと常々思っているのは「most beautiful」なんですけど、これは演奏が超絶過ぎて(僕にとっては高度過ぎて)未だどう紐解けばよいのか解らず記事執筆に踏み込めない名曲。
力及ばず今回も機は熟しませんでした。
まぁそれを言うなら他のどの曲であっても特に鍵盤演奏について詳しく書くのは僕には荷が重い、というのも正直なところではありますが、ここは明快に「ポップ寄り」な名演を選び、僕の持つ僅かな引き出しに寄せる形で考察できれば、と考えました。
採り上げるのは76年リリースの大名盤『チャコール・グレイの肖像』から、「片腕の賭博師」です。
僭越ながら伝授!


①「片腕の賭博師」あれこれ

荒木一郎さんの詞には、「サム」なる人物が登場する映画か何かのオマージュ元があるのでしょうか。そのジャンルに疎い僕ではそこまでは分からないのですが、細部に「洋画」のイメージ漂う名篇ですよね。

聞いたかいサムの噂を ネバダの賭博師さ
D                        G     D                     A

月曜の晩も えらい話題 さ ♪
G           D        A     G   D

唐突かつ楽曲の話題からは逸れますが、このチャプターでは将棋の話をしたいと思います。
荒木さんと言えばまず有名なのが「空に星があるように」。でも僕はこの「誰もが知る」スタンダード・ナンバーについてまったく詳しくありません。
それもそのはず、僕はこの曲がリリースされた66年の末、12月の生まれなのですから。リアルタイムの大ヒット曲、という空気が分からないんですね。
「ザ・タイガースについて数年前までほとんど何も知らなかった」のと同じです。

僕が荒木さんのお名前を初めて覚えたのは、音楽やお芝居ではありません。
ずいぶん前に、将棋関係の雑誌か何かで「将棋が強い芸能人」みたいな特集記事を読んだことがきっかけでした。萩本欽一さんなどと一緒に荒木さんが紹介されていたのです。
僕は大学時代に将棋道場に「腕試し」に乗り込んだ時、「いかにも」という感じのおじさんと激闘の末負かされたのはともかく、小学生に一方的な惨敗を喫した経験以後、いわゆる「見る将」ファンにおさまりました。道場で気軽に対戦できるレベルのアマチュアがこれほど強いなら、上級位、そして段位を持つアマチュアは到底僕などの及ぶところではない、と「リスペクトする側」に転じたわけですな。

今回改めて調べてみたら、荒木さんは何とアマ四段なのだそうです。これはもう素人からすると神様の領域。とんでもなく強いです。
それよりさらに強いのがプロ棋士なんですけどね。
荒木さんはカード・マジックの専門家でもありボードゲームやカードゲームに秀でた才をお持ちのようで、そんな荒木さんが「片腕の賭博師」のようなギャンブル・ロマンをジュリー・ナンバーの詞に託したことも大いに肯けます。
昨年からの将棋界は大きな問題、課題を抱えザワザワしていますが、将棋ファンというのは僕のような一般人ばかりでなく、荒木さんのように超ビッグネームの芸能人、政界・財界人、スポーツ選手・・・たくさんいらして、すべての棋士をリスペクトし応援しています。
若手プロ棋士では、藤井聡四段のようなニューヒーローも誕生しています。日本将棋連盟にはなんとかこの苦境を乗り越え、しっかりとケジメもつけ今後に生かし、ファンの期待に応えて欲しいと願ってやみません。

いや、関係ない話を長々と失礼しました(汗)。そういうことも書くチャプターなのだとご理解頂ければ・・・。

②楽曲全体の考察

前回はジュリーの「普通では考えられないコード進行」の話をしましたが、今回の「片腕の賭博師」については王道を逸脱しない、ジュリー作曲作品としては珍しい直球のコード進行で作られています。
と言うかおそらく作曲段階でジュリーがメロディーに当て嵌めていたコードは「D」「G」「A」「G7」の4つだけでしょう(もちろん、船山さんのアレンジ解釈により最終的にはそれだけではなく、演奏メインのヴァースでは「C」なども登場します)。
そんなオーソドックスな進行にあっても、ジュリーのメロディーの載せ方は特徴的。特に「G7」の箇所ですね。

例えばこの曲の歌メロの最高音は、先日「ジャンジャンロック」の記事で「とても太刀打ちできない」と書いた高い「ラ」の音よりさらに半音高い「ラ#」なんですが、これがキレイに「G7」に載っています。

だけど世間のヤツラは
D                    A

いつも見て見ないふりをする
G7                          D

それが良識ってものと
D                    A

何故か思ってるのさ ♪
G7                     D

理屈で言うとこの最高音の「ラ#」は、曲のキーであるニ長調のサブ・ドミナント・コード「G」のシャープ・ナインスということになります。つまり、本格的に曲の雰囲気を再現して弾き語りたい場合、サビの「G7」を「G7+9」で弾くと良いのですが、ジュリーは飄々とこのメロディーに「G7」を当てて作曲したのでしょうね。

ヴォーカルを聴くと、「見て見ないふりをする♪」「思ってるのさ♪」の箇所では声にドスを効かせるようなニュアンスがあり、これをして「さすがのジュリーとしても相当高い音なんだろうなぁ」とは思うんですけど、かと言って「ラ#」の最高音部の発声が特に苦しそうなわけでもなく無理をしている様子も感じられず・・・やっぱり凄いな、ジュリー!とひれ伏すばかりです。
ただし、この曲のジュリー・ヴォーカルは低音部の艶っぽさ、色っぽさこそが魅力、と個人的には考えます。「ネバダの賭博師さ♪」のあたりですね。
マイナー・コード抜きでこれほどの叙情性をメロディーに託す作曲センスは、ジュリー自身の持つヴォーカリストとしての天性に導かれていると言えそう。作曲の際、高低に声が「届く」というのはそれだけメロディーの幅が拡がることでもあるでしょうから。

アレンジは非常にドラマティック。加えてハッピーな雰囲気なんですね。
のちにアルバム『今度は、華麗な宴にどうぞ。』に収録される大野さんのナンバー「女はワルだ」とよく似た曲想、というのは僕だけの感覚なのかな?
後追いファンの僕はアルバム『チャコール・グレイの肖像』をCDでしか聴いたことはありません。先輩方がリアルタイムでこの「新作」を手にされた時、レコードをひっくり返してB面1曲目「片腕の賭博師」を聴いてパッと明るい気持ちになったのでは、と想像します。
全体的に陰鬱なイメージを纏う大名盤だけに、B面に配された「片腕の賭博師」や「ロ・メロメロ」(こちらは74年の「ママとドキドキ」を連想された先輩もいらしたのではないでしょうか)という「陽」のナンバーが果たす役割も大きい・・・でもそれは、本来LPレコードで聴いてこそ、の感覚なのかなぁと思っています。

③すべてが「大きい」ド迫力の生ピアノを聴けい!

僕は一応鍵盤が弾けますが、完全に独学です。
まず高校生の時にコードを覚えて、左手1本、右手3本~4本の伴奏で「弾き語り」をマスター。20代からはいわゆる本格的な鍵盤パートのコピーを志し、ビートルズの「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ」や佐野元春さんの「情けない週末」などから練習していきました。
それなりに弾けるようになって、一時はLIVEでもキーボードをメインに演奏していたのですが・・・独学なので変な癖がついていました。右手でコードを弾く時、親指をまったく使わないのです。
元々指が長く、ひとさし指と小指で鍵盤の「ド」から高い「ミ」までは届きましたから、親指を使わずに音符だけを見て運指を無視して覚えてしまったというわけ。
それが演奏上まるで理に適っていないことはもちろん、どれほど「見てくれが悪い」のかをLIVEの競演者の方が放ったひと言
「”豚の足奏法”って感じだよね」
で、初めて自覚した次第です(恥)。

さらに独学のハンデがもうひとつ。いわゆる「キーボード」での猛練習を過信して、軽い気持ちで人前で初めて「お店のピアノ」を弾いた時のことです。
「足?ピアノには足があるんか!」
「け、鍵盤が重い・・・スムーズに移動できん!」
ということで大恥をかきました。
以来、「キーボードは、腕前は三流ですが弾けます。でもピアノは弾けません」と言うようにしています。

余計な話が長くなりました。
「片腕の賭博師」は生のグランドピアノで録っているでしょう。あの重たい鍵盤がプロの腕によって軽やかに舞う華麗な演奏・・・この曲最大の魅力だと思います。
この曲は船山さんのアレンジ作品ですので、以下、ピアノ奏者を羽田健太郎さんとして話を進めます(もし大野さんだったらごめんなさい)。

勤務先で『ポエム・ジャパネスク三部作』のスコア出版があった時、羽田さんのことを偉大なピアニストとして認識した僕ですが、お名前はそれ以前から「作曲家」として知っていました。
でも僕の場合は「渡る世間~」ではなく・・・またか、とお思いでしょうが刑事ドラマです。
有名なのは『西部警察PARTⅡ』のメインテーマ(「ワンダフル・ガイズ」)で、もちろんこれは大名曲なのですが僕が最も好きな羽田さんの作品は『刑事物語’85』という渋い刑事ドラマ(主演は先日亡くなられた渡瀬恒彦さん)のメインテーマ。これが刑事ドラマのメインテーマとしては大変珍しいパターンで、主旋律をトランペットとフルートで分け合う「バラード」なのです。
この曲の「土台」とも言うべきピアノのフレーズがメチャクチャにカッコ良いんですよ。


Img385512

↑ 刑事ドラマのオムニバスCD『刑事魂・完結!(デカコン・ファイナル)』ライナーノーツより

僕の中ではこの「刑事物語’85」と「片腕の賭博師」のピアノの感動が重なります。
「片腕の賭博師」のバンド演奏は一見、スライドギターや重低音をブイブイ言わすベースが目立ちます。しかし船山さんのアレンジは「ピアノありき!」で、この手法が阿久=大野時代のジュリー・ナンバーのアレンジへと繋がっていくんだなぁ、とも思います。

ピアノが主を張るのは、イントロと間奏の一部。
うまく説明できないんですけど・・・僕の感想は「大きい!」です。スケールの壮大さに加え、演奏者(羽田さんだと思っています)の身体の大きな躍動すら伝わってくるような・・・。
僕はきっと鍵盤を「手」だけで弾いているんだなぁ。プロのピアニストは当然のこと、幼少から教室などで習っていたという会社同僚など知人の演奏を見ると、例え弾いているのがシンセであっても、身体全体を使っているのが分かります。泰輝さんもそうですよね。
ピアノはギターやベースと違い、しっかり「基礎から先達に教わる」ことが重要な楽器なのでしょう。

そうそう、泰輝さんのお名前を書いて思い出しました。船山さんが「片腕の賭博師」に託したピアノ・アレンジはビリー・ジョエルを意識したんじゃないかな。「さすらいのビリー・ザ・キッド」や「キャプテン・ジャック」のような大作(いずれもアルバム『ピアノ・マン』収録。このアルバムには「ネバダ・コネクション」という名曲も収録されています。「片腕の賭博師」とは「ネバダ繋がり」ですね)でビリーが壮大に弾くピアノです。
可能性は低いでしょうが、いつか泰輝さんのピアノでこの曲を歌うジュリーを生体感したいものです。

ジュリーナンバーに限らず、世の名曲名演多しと言えど、特定の楽器について「弾いている演者の様子までもが目に浮かぶ」曲はそうそうありません。僕はそれを「片腕の賭博師」のピアノに感じます。
また、冒頭で荒木さんの詞を「洋画のイメージ」と書きましたが、それはピアノ にも言えそうです。イントロは雄大な光景を映すオープニングのように思えますし、 間奏では登場人物達の場面転換シーンのようです。
これまで頂いた過去のコメントを拝見しておりますと、この曲を特にお好きなジュリーファンの先輩方はとても多くいらっしゃるようです。是非今度はこの名曲を、ピアノに着目して聴き直してみてくださいませ~。


最後になりましたが、2月にアルバム『チャコール・グレイの肖像』から「何を失くしてもかまわない」の記事を書き、作詞の藤公之介さん繋がりで『沢田研二の愛をもとめて』なるラジオ番組についてみなさまに逆伝授をお願いしたところ、先輩方からコメントにて色々と教えて頂くことができました。
そして・・・いつもお世話になっている福岡の先輩が、何と番組放送当時ラジカセで録音しこれまで大切に保管されていた音源を送ってくださったのですよ~。
まだ聴き込みが足りず今回の記事では間に合いませんでしたが、今後75年から77年の曲をお題とする際、楽曲考察の貴重な参考資料となるでしょう。
この場を借りまして、改めて御礼申し上げます。


それでは、オマケです!
今日は76年の資料本として、『沢田研二/映画・パリの哀愁』から数ショ ットをお届けいたします。


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Pari202

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Pari206


もうご存知の方も多いかと思いますが、5月には『日本映画専門チャンネル』にて、この『パリの哀愁』がテレビ放映されるようですね~。


さて、5回に渡り書いてきた『この曲のこの演奏にシビレる!』シリーズは、ひとまずこれにて終了。
次回更新までには少し間を空けます。母親の17回忌法要のため明日から鹿児島に帰省するのです。
2013年、『PRAY』を聴いた余韻のままとり行なった13回忌から、早いものでもう4年が経ちました(「不良時代」のお題で旅日記を書いています)。
その時泊まった「夜中じゅう牛の鳴き声が聞こえてくる(笑)」というレトロな日当山清姫温泉に今回もお世話になることに・・・首を痛めたばかりですが、素晴らしい原泉の「あつ湯」で、心身リフレッシュしてきます。


次回更新予定は4月20日。
僕は昨年から、この日は毎年必ず加瀬さんのことを書いていこうと決めました。今年はワイルドワンズのバラード・ナンバーお題に採り上げるつもりです。
それでは、行ってまいります!

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2017年4月11日 (火)

沢田研二 「今、僕は倖せです」

from『JULIEⅣ~今、僕は倖せです』、1972

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1. 今、僕は倖せです
2. 被害妄想
3. 不良時代
4. 湯屋さん
5. 悲しくなると
6. 古い巣
7. 
8. 怒りの捨て場
9. 一人ベッドで
10. 誕生日
11. ラヴ ソング
12. 気がかりな奴
13. お前なら

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昨日、ツアー後半の申し込みを済ませてきました。
ジュリーファンの先輩方は、肝が据わっていらっしゃると言うのか・・・締切日近くまで熟考される”ギリギリガールズ”な方が多いようです。
反して僕はうっかり者かつ小心者ですから、日数の余裕があるうちに振込みたい派なのですよ~。

いや、今回は凄い枚数になりました。と言ってもその半分以上が、声がけさせて頂いた一般ピープルのみなさまの代行申込みなんですけど。
お正月に初ジュリーLIVE参加となったカミさんの仕事絡みのお姉さま4人のうち3人までもがリピ決定!『祈り歌LOVESONG特集』セットリストの洗礼を受けたのち、今年の有名シングル・オンパレードなジュリーを生で観てしまったら・・・もうジュリーの魅力からは逃れられないでしょう。してやったり、でございます。
あとは、前々から「一度はジュリーを観てみたい」と話してくれていた同世代の面々もこの機に大挙参加が決まり、こちらは反応が楽しみなようでもあり、怖いようでもあり・・・。
そして、年明けのNHKホールをサッパリと断念し決意した熊本遠征。
この時期に来年の予定など話すと鬼が笑うどころではないでしょうが、本当に楽しみですし、「熊本に行く」という特別な気持ちを今からしっかり整えていきます。


それでは、『この曲のこの演奏にシビレる!』シリーズ、第4弾は『エレキギター編』です。
これこそ幾多のジュリー・ナンバーに幾多の名演、数限りなくありますが、今日は僕自身の「音楽への目覚め」への原点回帰として、井上堯之バンド最初期(当時は「井上堯之グループ)での堯之さんのギターについて掘り下げてみたいと思います。
採り上げるのは、アルバム『JULIE Ⅳ~今、僕は倖せです』からタイトルチューンの「今、僕は倖せです」。
僭越ながら伝授!


①「今、僕は倖せです」あれこれ

エレキギターと言うと、個人的な好みではあるのでしょうが、僕の場合は「速さ」や「ハードさ」だけでは心はピクリとも動きません。
例えば、王道のエイト・ビート、16ビートであったり、調号の変化がオーソドックスな進行に載せてリード・ギターがソロをとる際、フレットのスケールを覚えているギタリストが「速弾き」を披露することが素晴らしい技術とは思えません。
極論するならそれは「指の運動」であるからです(もちろん突き詰めていけばそれも神技たりえますが)。

ところが、コードやリズムが変則の進行の楽曲だと、ギタリストはセオリーのスケールから外れて楽曲が求めている音階を探り、新たに自分なりのフレーズを考案、構築する必要が生じます。堯之さんはこの「構築力」に秀でたギタリストだと僕は感じます。
しかも、王道進行の曲でも堯之さんは同じように「楽曲の吟味」から単音を組み立てていきます。だからこそ堯之さんは「時の過ぎゆくままに」のフレーズに、自身が考案した「オリジナル」の拘りを語るのです。
スタイルは違えど、ジョージ・ハリスンもエリック・クラプトンもジミー・ペイジもそう。僕は絶賛の意を込めて、彼等を「古いタイプのギタリスト」と呼びたいです。
後年「速く弾ける」新たなタイプのギタリスト達が一世を風靡していきますが、僕にはいまひとつ響かない。「確かに凄いよ。でも楽曲愛や歌心は何処へいった?」と思ってしまうんですよね・・・。
僕はやはり、「ストイックに作りこむ」古いタイプのギタリストを好むようです。

では、そんなギタリストが真価を発揮するのはどんな楽曲でしょうか。
それはズバリ、「変な進行の曲」です。「あれっ?普通こうはいかないよね」という戸惑いに際して心燃やし、歌メロを吟味し、オリジナルのフレーズを考案して「応える」ことができる楽曲。

「沢田は、普通では考えられないようなコード進行の曲を作る」・・・堯之さんの有名な言葉ですね。これは「自分がギタリストとしての本懐を遂げられる」という賛辞、親愛の言葉ともとれるのではないでしょうか。
「許されない愛」シングル・ヒットのご褒美的な感じで製作の許可が出た、とのいきさつを聞く、全編ジュリー作詞・作曲によるアルバム『JULIEⅣ~今、僕は倖せです』。ジュリー自身は自然に作っているのでしょうが、バンドメンバーからすれば「え~っ、そう来るのか!」と感じる「普通では考えられない進行」の名曲がギュッと詰まったこのアルバムを、僕が堯之さんのギター名演1番手に挙げる理由はそこにあります。
その中でも、楽曲全体が世に2つと無い「オリジナル」のギター・フレーズで散りばめられ凝縮されたタイトルチューン「今、僕は倖せです」を、「堯之さんのギターと言えばこれ!」というテーマで今日は僕なりのアプローチで紐解いていきましょう。

②楽曲全体の考察

そんなわけで、ここでは何を置いてもジュリーの「普通では考えられないコード進行」について書いておかねばなりません。
参考資料となるスコアは手元に3つ。
まずは『沢田研二のすべて』。

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この本の採譜の大らかさはある意味凄い(笑)。
YOKO君とよく話すのですが、こういうスコアを使ってギター弾いていた世代のフォーク好きな先輩って、逆に斬新な感性が育つよね、と。
まぁでもこのスコア通りに弾いて、「今、僕は倖せです」でのジュリーの作曲の醍醐味を味わうのはちょっと無理ですわな~。

次に『沢田研二/ビッグヒット・コレクション』

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さきほどの『沢田研二のすべて』については、キーを「C」(ハ長調)まで引き下げることによって、初心者のプレイヤーに「歌いやすさ」「弾きやすさ」を提示した採譜だったのだ、と強引に解釈もできます。
しかしこちらは・・・何故かオリジナルより1音高いヘ長調で採譜、難易度を上げているにも関わらず、スコア通りに弾いていると非常に無気味なバラードに。
「僕が少年時代に憧れた会社、シンコーさんにもこんな時代があったんだなぁ」と逆に感慨を抱いてしまうほどメチャクチャな採譜です・・・。

最後に『深夜放送ファン別冊・沢田研二のすばらしい世界』。

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このスコアも収載曲によっては相当いい加減な採譜だったりしますが(先日ご紹介した「淋しさをわかりかけた時」など)、この曲についてはほぼ完璧でした。

と、色々書きましたが、3冊とも本当に貴重な資料なのです。これらを比較参照、研究して自分の楽曲理解度を深めることこそが肝要。
早速、ジュリーの「普通では考えられないコード進行」を挙げていきましょう。

ジュリーの個性が最も際立つのはBメロの転調。
ホ長調からト長調という理屈で、それ自体はよくありがちな転調なんですけど

理解ある人々に いつも囲まれて ♪
C               G     C                 B7

僅か4小節で「あれっ、今何かありましたか?」とでも言わんばかりに、涼しい顔であっという間に元のキーに戻ってくるという、これがジュリー流。
さらに、理屈上は「ホ長調からト長調」という同じ転調が、まったく違う形で登場するのがCメロです。

けど僕は欲張りなのです
      Am           G

いえいえまじめな話です
Am                   B7

欲張りな事は 罪深い事なのに ♪
Am         C        F#7           B7

ここは凄いですよ。「Am」の箇所までは、ジュリーが他の作曲作品でも多用する「サブ・ドミナントをマイナーに転換」のパターンでキーそのものは変わっていないと思わせておきながら、次に「G」に行っちゃうのですから。この「G」で初めて聴き手は「あっ、また転調したのか」と気がつきます。
これをもしホ長調のまま進行させるなら

欲張りなのです ♪
Am     E
(ミミファ#ミシシシソ#)

というコードとメロディーになるでしょう。
全然イメージ違いますよね。どちらが「今、僕は倖せです」という詞と合致しているかは言わずもがな。
これは、詞曲ともにジュリーのペンならではのメロディー、コード展開を擁した名曲なのですね。

それにしても、まだ20代前半の時点で

今、僕は倖せです 何よりも歌 がある ♪
E          A     B7    E          A   B7   E7

ジュリーのキャリア中最もプライヴェート色が強い、と言っても過言でない曲を、このフレーズで締めくくったジュリーの素晴らしさよ!
大げさに見得を切っているわけではない・・・ただ「僕が倖せなのは、歌うことと出逢えて、今も歌えているから」とのフレーズが、45年後の2017年現在のジュリーにそのまま纏っている奇跡。
いや、本当に「奇跡」と言う他ありません。その歌詞1行だけとっても、「今、僕は倖せです」は唯一ジュリーという歌手しか生み出せなかった名曲であったことを、ジュリー自身のこれまでの歌人生がそのまま証明しているのではないでしょうか。

③圧倒的な構成力と献身力、まるで第2の歌メロ・・・堯之さん渾身のリード・ギターを聴けい!

このアルバムのジュリーの詞曲には、つい数年前のジュリー自身の言葉などからも「あぁ、当時は拓郎さんみたいなスタイルへの憧れもあったのかなぁ」と思わせるものがありますが、堯之さん、大野さんがそれを「ロック」としてアレンジし仕上げている印象です。
「今、僕は倖せです」のアレンジは大野さんで、これは最初の1発録りの段階で「小節割り」と、ジュリーが作った以外の箇所(イントロや間奏など)の進行を決めたのが大野さんだったということでしょう。
後録りのリード・ギターについては、堯之さんがジュリーの歌、大野さんのアレンジを踏まえて自ら「作り込んだ」フレーズと見て間違いなさそうです。

少年時代の僕が初めての洗礼を受けた音楽が『太陽にほえろ!』のサントラであることは、これまで何度か書いてきた通り。
大野さんのペンによるすべての時代、すべての挿入曲に思い入れがありますが、特に好むのはやはり最初期の名曲群。堯之さん、大野さん、サリー、原田さんの4人編成時代ということになります。
この頃のサントラは、PYGの音と手法をそのままスライドさせ、ヴォーカリスト(ジュリーとショーケン)の代わりに管楽器のソリストを迎えて作り上げられたインスト、というスタイルでした。速水さんが加入した「テキサス刑事」以降はソロがギターとなる曲が増えていきますが、最初期は堯之さんが単音とバッキングを一手に担い、正に「楽曲ありき」の素晴らしい「オリジナル」なギター・フレーズを聴かせてくれます。サックスやトランペットの主旋律をどう生かすか・・・堯之さんってラジカルなイメージも強いですけど、ギタリストとしては「良妻賢母型」と言うべき卓越した献身性を秘めていて、それが僕の好みと合うのです。
「今、僕は倖せです」での堯之さんのエレキギターにも同じことが言えます。

アルバム『JULE Ⅳ~今、僕は倖せです』の井上バンド(グループ)の演奏は、まずジュリーのヴォーカルも含めて「せ~の!」で録られた後に、堯之さんと大野さんがそれぞれ1トラックずつを追加する、というレコーディング手法だったと考えられます。
ミックス処理から推測すると、「今、僕は倖せです」についてはセンターに配されたドラムス、ベース、アコギ、オルガン、ヴォーカルをまず一発で録り、堯之さんのエレキギター(右サイド)と大野さんのピアノ(左サイド)を追加したのでしょう。
この「追加トラック」での堯之さんの作り込み、練り込みが尋常ではないのです。

楽曲全体を通してほぼ休みなく鳴っている右サイドのエレキは、すべての音が徹底して
「ジュリーの歌がこうだから、こう弾くんだ!」
という「必然性の高い」フレーズに仕上がっています。ギタリストとしての主張よりも、「ジュリーの曲を弾いている」主張の方がずっと強いんです!
なおかつ完璧にヴォーカル・メロディーの間隙を突く構成力。演奏者がその腕をふるう以上に大切な、本当に成さねばならないこととは何なのか。この曲の堯之さんのギターにはそれを思い知らされます。
戦国武将好きの僕が勝手に例えるならば、堯之さんは越後の上杉謙信。謙信にとっての毘沙門天が、堯之さんにとってのロックであり、PYGであり、ジュリーであり・・・その音にはストイックな聖将の風格と威厳を感じます。真に「音に自らの心身一体と成す」ギタリストではないでしょうか。
ちなみに柴山さんは小早川隆景。誠実と人望の知将です。2つの巨星に甲乙つけようなどというのは、僕にはとてもできない話です。

名フレーズが次々と繰り出される中で個人的に「今、僕は倖せです」のギターで最も好きな箇所は

友達もいるし 適度に忙しいし
E     F           E        F

両親も健在だし ♪
E     A       B7

ジュリーの歌と「追いかけ合う」フレージング。
実はこの曲のジュリーの作曲で特に「変テコ」なのがこの箇所です。トニック・コードからいきなり半音上がって、また戻って、を繰り返す進行。堯之さんのギターは「いかにトリッキーなメロディーを秩序づけるか」に心血注がれ「作り上げられた」もの。
僕はそんな構成力と献身力こそ、ギタリスト・井上堯之さん最大の個性と見ますがいかがでしょうか。


それでは、オマケです!
72年『女学生の友』連載のフォトポエムから、季節は今と全然違いますが、第12回『愛の出発』をどうぞ~。


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では次回更新は、『この曲のこの演奏にシビレる!』シリーズひとまずの締めくくり、『ピアノ編』です。
お題は引き続き70年代ジュリー・ナンバーを予定。
とりあえず次回更新まではこのままのハイペースでまいります。どうぞお楽しみに~。

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2017年4月 8日 (土)

沢田研二 「噂のモニター」

from『彼は眠れない』、1989

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1. ポラロイドGIRL
2. 彼は眠れない
3. 噂のモニター
4. KI・MA・GU・RE
5. 僕は泣く
6. 堕天使の羽音
7. 静かなまぼろし
8. むくわれない水曜日
9. 君がいる窓
10. Tell Me...blue
11. DOWN
12. DAYS
13. ルナ

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先月「揺るぎない優しさ」の記事で写真添付しました会社倉庫近くの公演の桜は、先の木曜日に再び通りかかるとこのような感じになっていました。


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満開の桜を仰ぎ、「この国も、世界のどの国の人々も平和であれ」と祈るばかりです・・・。


さて、みなさまもそろそろ今年の全国ツアー後半の参加会場が決まった頃でしょうか。
僕は当初「夏からのツアーはとにかく数多く行く!」と意気込んでいて、3月に全公演日程のインフォを手にした時には、最終月の来年1月のNHKホールはすべて参加したいと考えていました。
しかし今回改めてインフォと払込票を眺めていて、「NHKホールは全部平日、全部第2希望を記入するのか~」と。そうしているとふと目に入ったのが
「1/14(日)熊本」
の文字。
ジュリーが九州に「あけましておめでとう!」と歌いに行くのはいつ以来なのでしょうか。このスケジュールにジュリーの熊本への思いを感じないわけにはいきません。
会場は、未だ改修工事中と聞くお馴染みの市民会館ではなく県立劇場となりましたが、ジュリーはこのお正月熊本公演に並々ならぬ気持ちで臨むでしょう。
考えれば考えるほど、「九州人である僕がこのタイミングを逃してよいのか」という思いが強くなってきました。カミさんも一緒に、そしていつもお世話になっているみゆきママ様も同行してくださることとなり・・・僕は年明けのNHKホール参加をサッパリと諦め、その代わり熊本公演に遠征する決意を固めました。
まだまだ先の話ですが・・・九州の先輩方、どうぞよろしくお願い申し上げます。

それでは本題です。
矢継ぎ早に更新しております『この曲のこの演奏にシビレる!』シリーズ、今日は第3弾の『アコギ編』。
採り上げるのはアルバム『彼は眠れない』から、個人的には収録曲中「Tell Me...blue」と甲乙つけ難い、最も好きな曲である「噂のモニター」です。
今回もチャプターに分けたコンパクトな文量を心がけてまいります。伝授!


①「噂のモニター」あれこれ

とは言っても新規ファンの僕はこの曲について特に逸話を何も知らないんですが・・・(汗)。

リリースされた89年は写真週刊誌全盛期だったでしょうか。アルバム『彼は眠れない』『単純な永遠』の作詞家陣には偶然なのかどうか、「スーパースターの孤独と苦悩」をコンセプトとするような名篇が多く、それをして僕はベルリン時代のデヴィッド・ボウイとの共通点としています。「世間」や「社会」といった要素に冷ややかな視点があり、敵視と紙一重のユーモアも感じられるのです。
サエキけんぞうさんの「噂のモニター」はその顕著な例と言えましょう。
ただ、当時こうした「誰かに見張られている」テーマというはごくごく一部の「有名人」にしかリアリズムを持たなかったかもしれません。

30年近い時が経ち、一般人である僕らの間で「監視社会」への危惧が語られ始める時代となりました。
この機に、「噂のモニター」を「現実感のない物語」ではなく「自分の身にも起こりうる、監視社会を題材とした」曲と捉え、ジュリーファンそれぞれがその状況を想像しながら聴いてみるのもアリではないでしょうか。

②楽曲全体の考察

「孤独という名の狂気」スレスレのトリッキーな歌詞、ブルース進行を土台に展開、進化するメロディーと構成、そしてジュリーのヴォーカル・・・僕はこの「噂のモニター」と、次作『単純な永遠』収録の「気にしてない」によく似たイメージを持っています。
いずれも「日替わり・ジュリーで一番好きな曲」の常連。単に僕の好みなのかもしれませんが、まず楽曲として詞曲アレンジすべてが文句なくカッコ良い上、こういうタイプの曲こそがジュリーの魅力を最も引き出すんじゃないかなぁ。

王道の進行であれば本来は

俺の体を切り刻む噂 熱い体を切り刻む噂
F#                           B7                     F#

すじ書き通り流せよ
C#7            B7

おまえのねらいはわかっているさ ♪
C#7                   B7              F#

とコードを載せればF#(嬰ヘ長調)のブルース。実際、歌メロはこの王道進行にも載るのです。
しかし建さんは大胆に捻って

すじ書き通り流せよ
C#7            E

おまえのねらいはわかっているさ ♪
A                       E                F#

としました。
よりシャープに、尖った雰囲気になります。「おとしどころ」を事前に決めてスクープする「モニター」達への皮肉を込めたサエキさんの詞とも噛み合っていますね。

アレンジは、左右に分かれてミックスされたアコギ2トラックを土台にエレキギターが3トラック、そしてストリングス。
アルバム『彼は眠れない』は楽曲ごとのクレジットがありません。それぞれの曲で誰がギターを誰が弾いているのかは謎なんですが、ブッとい狂乱のリード・ギターは下山さんのような気がするなぁ。下山さん、今でもこんな感じの空間系のエフェクトかけますから。LIVEでの「そのキスが欲しい」もそうでした。
あ、パッと聴きだと「ベース?」のように聴こえる薄い単音(最高に渋い!)は、エレキをミュート気味に弾いているトラックのようです。こちらは佐橋さんのように思える・・・結局僕の耳では分からないんですよね。

ロックなコード進行にストリングスを「カマす」攻撃的な手法は、ビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」以降流行し今では定番化しています。
そんなストリングスを間奏のソロ・パートとして押し出すアレンジを僕は佐野元春さんの「愛はシステム」で学びました。佐野さんのこの曲をご存知の方は、そう言えば「噂のモニター」と「愛はシステム」ってなんとなく似てるな、と思ってくださるはず。いずれもブルース進行を採り入れた曲です。

そしてジュリーのヴォーカル。
曲全体を通して完璧にカッコ良い中で僕が特に惹かれるのは、1番での「うわさ♪」の発声です。
先述の「気にしてない」にも共通して見られる、ファルセットではない「別の喉を使った」ような裏声スレスレで吐き捨てる表現力は、正に「ロック」としか言いようがありません。これはジュリー天性の資質らしく、「叫ぶように囁く」スタイルはタイガースの「誰れかがいるはず」にまで遡ることができます。
「噂のモニター」は、もしかしたら多くのジュリーファンの間では「ちょっと風変わりな曲」として愛されているパターンの名曲かもしれません。それは正しい解釈ではあるんですけど、実は「ロッカー」的には「ポラロイドGIRL」や「DOWN」以上にジュリーの魅力が明快に分かり易い曲と言えます(タイトルチューンの「彼は眠れない」もそうですが)。
もしみなさまの周囲に普段ロックを聴いている若いお兄さんがいたら、是非この曲を聴かせてあげてください。見事に釣れると思いますよ~。

③キレッキレのツイン・アコギを聴けい!

いや、わざわざ僕が「聴けい!」などと言わずとも、この曲では誰しもがアコギに耳がいくはずです。曲が始まってしばらくの間は、「ド#ミド#ミファ#♪」というエレキのリフ以外、アコギしか鳴っていませんから。

アコギは良いですよ~。1本あればアンプが無くても誰でも鳴らすことができます。簡単なコードのフォームをいくつか覚えれば、「花咲く~娘~たちは~♪」と弾き語るまでに1日とかかりません。
最初の頃は指に弦の跡がついて痛いですが、次第に指がギターに鳴れていきます。

「卑怯者」の記事で、僕が初めて演奏を始めたのはドラムだと書きましたけど、学校以外・・・つまり自宅で最初に手にした楽器はアコギです。中学生の時、父親が母親の誕生日にプレゼントした「YAMAKI」というメーカーのアコギと教則本を横取りしたのでした。
それこそ1日中弾いても飽きず、教則本に掲載されていた「小さな日記」「マルセリーノの歌」「太陽がいっぱい」などの練習曲をマスター、ギターと同時に自然にスコアの読み方も深めていきました。

さて、エキゾティクスの時は「俺のベースを聴け!」的な主張が強かった建さん、EMI期のジュリー・プロデュースを任される頃にはアレンジャーの才能が開花していて、「楽曲全体の音」作りに心血を注ぐことに。
自ら作曲した「噂のモニター」では何とベースレス、2本のアコギを押し出したアレンジを施します(先に書いた通り、レコーディング音源のアコギは誰の演奏なのか分かりません。ただただキレッキレのストロークに圧倒されるばかりです)。

建さんがベースのみならずギターも弾けることはずいぶん前から知っていました。僕はLOSER(初期)時代の泉谷しげるさんのLIVEを生で観ていますからね。
泉谷さん、チャボさん、下山さん、そして建さんの弦楽器隊4人が全員アコギを持って横並びとなり、「アコギってこんなにロックなんだぜ!」と魅せつけてくれた名曲「野良犬」の演奏シーンを今でもよく覚えています。『イカ天』審査員としてたびたび発言していたように、建さんは「ロックなアコギ・ストローク」が大好きなのですよ(「風来坊」「THE WEED」といったバンドのアコギを絶賛していました。建さんは決して「辛口」だけの審査員ではなかったのです)。
「噂のモニター」のストロークでは、ギターの「いろはの”い”」とも言うべき「ブラッシング」という基本のテクニック・・・ギターを覚えたばかりの初心者が一番早く身につける技術かと思いますが、この基本中の基本テクニックを真のプロフェッショナルが駆使すればこうなるのだ、と思い知らせてくれます。

擬音で表現すると「じゃ~、つく、じゃ~、つく♪」と鳴っている「つく」の部分がブラッシング。リズム・ストロークに右手の腹の部分でミュートした音を適所に織り交ぜ、パーカッションのような効果を出すテクニックです。
これを僕のような素人がやると、まずミュート音の「圧」が違いますし、ブラッシング箇所のリズムが甘くなる・・・プロはそこを「正確かつエモーショナル」にリズム打ちするから「キレッキレ」に聴こえるわけです。
「噂のモニター」のアコギ・ストロークは、プロの演奏の中でも極上と言えるほどの切れ味。だからこそ、Tレックス直系のエレキのさりげないカッティングがあれほど効いてくるし、印象に残るんですよね~。

ただね、「謎」がここにもひとつ。
この曲のキーは嬰ヘ長調(F#)で間違いないんですけど、普通に「F#→B7・・・」と和音通りに弾いても、この曲でのアコギの響きにはならないんです(僕の技術不足はひとまず置いといて、の話)。
おそらく変則チューニングなんだと思う!
「1音半下げ」のユルユル・チューニングの「A」で弾いてる、と言われても驚きませんが実際はどうなのでしょうか。普段から幾多のジュリー・ナンバーの名曲で僕がブチ当たっている大きな「謎」のひとつです・・・。

最後に。
今年の全国ツアーでアルバム『彼は眠れない』から歌われるシングル、「ポラロイドGIRL」は鉄板でしょう。でも、もう1枚のシングル「DOWN」は?
僕はまだ生でこの曲を聴いたことがないのですよ。
次作『単純な永遠』収録の「世界はUp & Fall」と共に、セットリスト入りを切望しています。


それでは、オマケです!
今日は、昨年書いた「僕は泣く」の記事のオマケコーナーの続きとなります。89年繋がりということで『KURT WEILL』のパンフレットから数枚どうぞ~。


Kurtweill03

Kurtweill09

Kurtweill11

では次回、『この曲のこの演奏にシビレる』シリーズ第4弾は『エレキギター編』です。
鉄人バンドの音で本格ジュリー堕ちした僕にとって「ジュリーのバンドのギタリスト」と言えば、そりゃあ柴山さんと下山さんです。ただ、ここはひとつ自分の原点に立ち返ってみよう、と。

僕は本来どんな音楽に憧れて自らも演奏人を志したのか・・・これまで何度も書いていますが、僕が流行歌よりも、ビートルズよりも早く目覚めた「音楽」は、『太陽にほえろ!』のサウンドトラックでした。
両手にも満たない年齢の頃に、それとは知らず注入された井上バンドの音。
あの『太陽にほえろ!』の音楽が最も近しい仕上がりで反映されているジュリー・アルバムは、間違いなく『JULIEⅣ~今僕は倖せです』でしょう。
次回はこの名盤の中から、僕なりに「堯之さんのギターならこの1曲!」と考える大好きなジュリー・ナンバーをお届けしたいと思います。

更新頻度が早過ぎて申し訳ないのですが、とりあえずあと2曲ぶんはこのペースで突っ走りますよ~。

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2017年4月 5日 (水)

沢田研二 「ジャンジャンロック」

『JULIE SINGLE COLLECTION BOX~Polydor Yeas』収録
original released on 1981 シングル『ス・ト・リ・ッ・パ・-』B面


Strippersingle

disc-34
1. ス・ト・リ・ッ・パ・-
2. ジャンジャンロック

--------------------

いきなりですが、「揺るぎない優しさ」とは正反対の「復興相」の発言に怒り呆れています。
彼にとって、「復興」とは一体何なのでしょうか。



失礼しました。ひとまず気をとり直しまして・・・。
全国ツアー後半のインフォ来ましたね!
自分の参加会場については、今週いっぱい熟慮し週明けには申し込みを済ませたいと思っています。
あとは、声がけして「是非」と言ってくださった一般ピープルのみなさまの分を間違いないよう記入すること。そんなこんなで今回はかつてないほどの枚数を申し込むこととなり、ひとまずの立替も合わせ今月はなかなかの金額が手元から飛んでいきますな~。
いやいや、幸せなことです。

さて、前回「卑怯者」の記事は執筆前に「とにかくコンパクトに!」と考えていたのに、土曜に1日中家に籠って下書きしたせいか、結果長文となってしまいました。
勢いだけで書くとこうなっちゃうんですよね~。

お正月の『祈り歌LOVESONG特集』ファイナルでのジュリーの「頑張れ!」エールを伝え聞き感化された僕は、少なくとも全国ツアーが始まるまでは、「今頑張っている人のために頑張る」期間として、記事の更新頻度に重点を置きたいと思っています。
でも、常に長文だと僕自身が大変ですから(汗)、今回は「コンパクト化」を真剣に考えてみました。
今取り組んでいるのは、「この曲のこの演奏にシビれる!」シリーズ。そこで、文の枝葉を少なくするため、記事を大きく大きな3つのチャプターに分けて書いてみようと思います。それは

①お題曲にまつわる(時に個人的な)あれこれ
②楽曲全体について(ジュリーのヴォーカル、歌詞、メロディーなどの考察)
③推奨・この楽器パートを聴けい!

というもの。これなら(いきなり話を飛ばせるので)常識的な文量におさまるやもしれません。
中には「長文大好きなので食い足りない」と仰る読者のかたもいらっしゃるかもしれませんが、そんなあなたは少数派(いやいや、ありがたいことでございます)。
しばらくはタイトに、コンパクトに、そのぶんどんどん更新していこうと思います。
よろしくお願い申し上げます。

では、「この曲のこの演奏にシビれる!」シリーズ、第2弾の今日は「ベース編」。
お題はエキゾティクス期シングルB面の大名曲、「ジャンジャンロック」を採り上げます。伝授!


①「ジャンジャンロック」あれこれ」

これはYOKO君が大好きな曲のひとつ。まぁ、彼以外にも「これ大好き!」と仰る先輩を知っていますから、総じてジュリーファンの人気が高い曲なのでしょう。
もちろん僕自身も特に好きな1曲です。

でもねぇ、YOKO君が熱烈に「大好き」と言ってる曲って、僕からすると一体何を基準にすればそのラインナップになるんだ、という印象です。
例えばポリドール期で彼が特に傾倒しているナンバーは、「古い巣」「コバルトの季節の中で」「バタフライ革命」「MITSUKO」「WOMAN WOMAN」「ジャンジャンロック」・・・この6曲に何らかの共通点を見出せる人がいたら教えて欲しいですよ。
ただ、それぞれ単独に考えれば当然どれも名曲ですし、「ジャンジャンロック」をYOKO君が愛している理由はよく分かります。だってこの近田春夫さんの詞、18~20才くらいのYOKO君の実生活そのままですから。

   ジャンジャン雨降り ブラブラひとり
C7  Bm

パチンコするにも金がない 仕事やめちまったのさ
Bm                            Em              Bm

店のオヤジと喧嘩 即クビだぜ ♪
      F#7                            Bm   F#7

YOKO君の場合、「店」は花屋さんだったそうで。
僕はその年齢の頃の彼とはまだ出逢っていませんが(知り合ったのはお互いが20代半ばの時、弾き語りライヴハウスの競演者として)、彼が田舎から「街に出てきて二年目」くらいまでのエピソードの数々は何度も酒席で聞きました。
当時の彼の武勇伝聞くだけで、軽くひと晩飲めますよ。万一今後機会あれば是非お試しあれ(笑)。

②楽曲全体の考察

『ス・ト・リ・ッ・パ・-/ジャンジャンロック』は両面ジュリー自身作曲のシングル。しかもいずれも短調のハード・ロカビリーということで、当時多忙を極めていたジュリーが限られたプライヴェートの時間に熱心にストレイ・キャッツを聴いていたことが窺えます。
そう言えばYOKO君のギタリストとしてのバイブルはブライアン・セッツァーの教則映像でした。「ジャンジャンロック」は詞曲ともに彼の好みだったわけですか。

で、アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』にはジュリーの作曲作品が「ス・ト・リ・ッ・パ・-」「渚のラブレター」「バタフライ・ムーン」と3曲収録されましたが、これが悉くキーが高い!
いずれも普通の男声ではとても太刀打ちできない高い「ラ」の音がメロディーの最高音となっています。
DVD『Zuzusongs』で「ラヴ・ラヴ・ラヴ」を歌い終えたジュリーが「いや~、高っかい!」ということで年齢ネタのMCを展開、「昔はGどころかAも余裕で出てた」と語っていますよね。この「A」が高い「ラ」の音を指しています。アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』の自作3曲でジュリーは余裕で最高音を出しているばかりか、確実に歌の最大の聴かせどころになっているのですから凄まじい。
「渚のラブレター」について、アレンジャーの銀次さんが(おそらくリズム録りの段階で)キーを下げてレコーディングする予定を忘れて録ってしてしまったという逸話は有名ですが、結果としてそれは「ナイスうっかり」で、「取り消せるBaby♪」の神がかったジュリー・ヴォーカルが生まれたことはみなさまご存知の通り。
「渚のラブレター」よりレコーディング作業が後だったと思われる「ス・ト・リ・ッ・パ・-」「バタフライ・ムーン」の時には、もう銀次さんの頭の中に「ジュリーの声に負担がかからないようにキーを下げる」気配りは完全に消え去っていたでしょう。

そしてこれは「ジャンジャンロック」にもまったく同じことが言えます。
あまりになめらかに歌っているのでパッと聴き「キーが高い曲」とは感じていませんでしたが、今回採譜していざジュリーと一緒に歌ってみると・・・

とび出しナイフがポケットで
      Em             Bm

何かつぶやいているよ
F#7              Bm     B7

遠くにきこえるパトカーのサイレンにまじって ♪
   Em            Bm              F#7               Bm

サビ全体がメチャクチャ高くて息も絶え絶えになる上、最後の最後、「サイレンに♪」の箇所で高い「ラ」の音が矢継ぎ早に登場してギブアップ。
これを楽々歌っているとは、ジュリー恐るべし!

近田さんの詞もカッコイイです。
「不良少年のイノセンス」のコンセプト自体はアルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』収録の「DIRTY WORK」や「想い出のアニー・ローリー」と共通しますが、女性の三浦徳子さんとの違いは、「原体験」とも言えるリアルさ。
それはかつてジュリーの「不良時代」や速水さんの「バイ・バイ・バイ」など、井上バンド時代によく描かれていた曲達の主人公その後の物語のようでもあります。
男性がこのテーマを描くとこうなるんですね。

当時ジュリーも近田さんの詞には共感を覚えていたようで、後で添付する『快走通信』のインタビューで「ジャンジャンロック」について語ってくれています。
「ジャンジャン」は雨降りのジャンジャン以外に、「皮ジャン」のダブル・ミーニングもあるみたいですよ。

③建さん渾身のランニング・ベースを聴けい!

僕は20代後半、かけもちしていたバンドのひとつでベースを弾いていて、吉祥寺の曼荼羅や下北沢のガソリン・アレイなど、お客さんの目が厳しい箱でLIVEに出させて貰っていたので、メチャクチャ練習していました。ジャズのランニング・フレーズを反復し、それこそ「ジャンジャンロック」のようなスタイルも勉強しましたし、「俺はベースは結構弾ける!」と思い込んで(勘違いして)いた時期もありますが・・・まぁこの曲の建さんの演奏を聴くと、当然ながら僕などの及ぶところではないと言うか、とにかく凄まじいです。

ランニング・ベースは複数の小節をひと塊と捉え、その中のコード・チェンジにどれだけのヴァリエーションを自然な音階移動と運指で表現できるか、その上でリズム楽器としてしっかり曲の土台となりソロ楽器をバックアップできるのかが勝負。
その点建さんの安定感&冒険心はハンパない!
しかもこの当時の建さんは「主張」も強い(EMI期になると、「Tell Me...blue」や「プライド」のように「縁の下の力持ち、でもよ~く聴くと凄いことしてる」、という感じに変化していきます)ので、その神技も「音」として分かり易いです。
「ジャンジャンロック」ですと、1番締めくくりの方の「電光ニュースを見上げれば♪」の「ば」から始まる長尺の「この曲でここだけ」なフレージング。ハイフレットからうねうねしながら下降してゆくベース、気をつけて聴けばみなさまも必ずフレーズは聴きとれます。

かと言って建さんは、やみくもな音階移動にうつつを抜かしたりはしません。楽曲全体の俯瞰力も素晴らしいのです。

ジャンジャンジャン ジャンジャンロック
Bm

ジャンジャンジャン ジャンジャンロック
Bm

ジャンジャンジャン ジャンジャンロック
Em(onB)

ジャンジャンジャン ジャンジャンロック
Bm

街に出て来ておいらも ちょうど二年目 ♪
      F#7                                        Bm

この「Em」でのBのオンベース解釈。ジュリーが「ジャンジャンジャン、ジャンジャンロック♪」と歌う箇所で建さんは、途中でコードが変わっているのにひたすら「シ」の音だけを弾き続けるのです。
「Em」のところで普通にルートの「ミ」の音に移行したら、行儀が良くなり過ぎて詞曲の「ヤサグレ感」が弱まってしまうと思うのですよ。このあたりの機転は建さんの持って生まれた「センス」なのでしょうね。

あとはBメロと間奏、こちらはなかなか気づきにくいですが(特に間奏ではどうしてもピアノとリード・ギターに耳が行きますからね)、単なるランニングではなく、「タッカ、タッカ、タッカ・・・♪」というシャッフル・リズムを高速で奏でます。
「タッカ」の「カ」の音はロカビリーのウッド・ベースであればスラップ音、エレキベースであればピッキングで演奏されるはずのもの。建さんはそれをエレキの指弾きでやってのける!というこれまた神技。僕はピックベースの演奏もそれはそれで好きですけど、建さんの「あくまで指!」な拘りの凄腕にはやはり憧れます。

これまでジュリーが共演してきた幾多のプロフェッショナルの中で、最もその演奏が「凄い!」と思うミュージシャンは?と問われたら、僕は迷いに迷った末に「吉田建さんのベース」と答えるでしょう。
技術と才能に裏打ちされた、破天荒なまでの演奏スタイルを前面に押し出しつつ、「バンマス」の存在感もあったエキソティクス期の建さん。
その演奏を生で体感されているジュリーファンの先輩方が羨ましい限りです。


それでは、オマケです!
今日は、先ほど文中でも触れた81年の『快走通信』(日産ブルーバードの記事がメインなのですが、売り物ではなくフライヤーなのでしょうか?大分の先輩から授かった貴重な資料です)掲載のインタビュー。
ただでさえデカい紙面に見開きでレイアウトされた記事を強引に4分割してスキャンしましたので見辛いと思います。すみません(汗)。
4枚ぶんをうまいこと繋げば全文読めるはずです。


Kaisou8101

Kaisou8102

Kaisou8103

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では 次回更新は、『この曲のこの演奏にシビレる!』シリーズ第3弾、『アコギ編』です。
またまた建さんのことをたくさん書くことになりそう。

エキゾティクスの頃の建さんはとにかく「俺はベーシスト!」の主張が強いのですが、プロデュースを任されたEMI期には楽曲至上の手法に転じ、次回お題曲では何と、自身の作曲作品にも関わらず(いや、自身の作曲だからこそ、なのかもしれませんが)でベースレスでアレンジしているほど。これがまた素晴らしい!
ベースに代わり建さんのセンスを押し出しているのがアコギなのですね~。

アルバム『彼は眠れない』から、僕が特に好きな名曲のお題でまたすぐにお会いしましょう!

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2017年4月 2日 (日)

沢田研二 「卑怯者」

from『HELLO』、1994

Hello

1. HELLO
2. DON'T TOUCH
3. IN BED
4. YOKOHAMA BAY BLUES
5. 卑怯者
6. RAW
7. ダーツ
8. Shangri-la
9. 君をいま抱かせてくれ
10. 溢れる涙

---------------------

桜満開、とはいかない週末でした。
今日はお昼に出かけて神田川周辺を歩いてみたんですが、本格的に桜並木を楽しむまでにはあと数日かかりそうですね。

さて、今年の新譜2曲の記事も書き終え、今回からまた様々な時代のジュリー・ナンバーをお題に、タイトな文量でビッシビシ更新してまいります。

4月前半は「この曲のこの演奏にシビレる!」シリーズと銘打ちまして、まだ記事にしていない曲の中から特に僕の好きな素晴らしい演奏が聴けるものを選んでゆくという趣向で、まず第1弾の今日は「ドラムス編」。
僕は2008年12月3日、東京ドームでの鉄人バンドの演奏でジュリー堕ちしましたから、これまでジュリー・ナンバーのレコーディング、ライヴに関わってきたドラマーの中ではやはりGRACE姉さんが一推しです。
ただ、GRACE姉さんがレコーディングした曲はリアルタイムですべて記事を書き終えています。そこで今回は、アルバム1枚きりの参加ながら、その個性的な音で唯一無二の輝きを放つ湊雅史さんのドラムス演奏に焦点を当ててみたいと思います。
アルバム『HELLO』から・・・そう言えば、この曲にタイアップがあったことを先日知ったばかりです。
「卑怯者」、伝授!


ドラムの話の前に、まずは楽曲考察を簡潔に。
昨年末に「HELLO」の記事で書いたように、僕はこのアルバム購入当初は、秋元康さん作詞の収録曲に若干の抵抗を覚えていました。阿久さんのダンディズムを引き継いだような詞のシチュエーションが94年当時のジュリーにはそぐわないのではないか、空回りしているのではないか、と感じたからです。

でもその後繰り返しアルバムを聴くうち、そうではない、と。これは正にこの時代のヒット・チャートのトップを駆けていた秋元さんと後藤次利さんの尽力なくして成しえなかった1枚だと思えてきました。
「チャート関係なく、自分の歌いたいことを歌う」ために翌年からセルフ・プロデュースに打って出るジュリーに、秋元さんや後藤さんがキッチリと「締めくくり」を提示したかのような名曲が「HELLO」であり「卑怯者」ではなかったか、と今は考えています。そのあたりについては「HELLO」の記事もご参照ください。

再評価が叶った今、僕が特に惹かれる歌詞部は

置手紙さえ残さずに
A                       F#m

夢でも見ていたみたいに ♪
      D          E           A

ここなどは、あの70年代、80年代に狂騒じみた感慨を持ちつつ「断ち切る」感覚がありますし

卑怯者! 指をさし  俺をせめるのは
       A      D       C#7    Ddim      F#m  F#m7

愚かな正義と知ってる ♪
D      E                 A

ここはジュリーの矜持に
も繋がる・・・今タイムリーな言葉で言うなら「60過ぎて地位もなにもない」。
ジュリーはずっとずっと前から、大切な人のためなら矢面に立つ(自らを攻め立てられる立場に置く)ことに躊躇いを持つ人ではありません。後追いファンの僕はジュリーwithザ・ワイルドワンズでのテレビ出演時の演奏シーンについて考えて初めて、ずいぶん遅れてそんなことを考えたものでした。

一方では、この詞で秋元さんが描くのはギリギリのダンディズムが辛うじて支える「自虐」でもあります。「別れ」の状況にはリアリズムもあります。
かつて僕は「ヤマトより愛をこめて」がダンディズムで「LOVE(抱きしめたい)」はリアリズム、と書いたことがありますが、秋元さんはまるでその双方を、阿久さんの描いた歌の主人公が年齢を重ねて40代後半となった姿を重ねたかのように訥々と語ります。この点は「HELLO」よりも「卑怯者」の詞に強く感じることです。

後藤さんのメロディーは、いわゆる「歌謡曲」寄りであるかもしれません。
ただし採譜してみますと、、王道のメロディーに配したコードはメチャクチャ手ごわい!
特徴的なのはディミニッシュによる代理コードの多用です。先述の歌詞部に登場する「Ddim」以外にも

見慣れた街を後にして
A                          F#m

夜明けの列車で 俺は出てゆく ♪
          D       E    Fdim   F#m    E

の「Fdim」であったり

今ならおまえは やり直せるはず
      Dmaj7         A       C#m7  F#m

どんなに別れがつらくても ♪
   D       Bdim              F#m    B7

の「Bdim」であったり。
緻密に練りこんでいるんですよね。さすがです。

キーはイ長調ですが、イントロとエンディングに独立したギター・リフ(「A7」)を配した構成も大好き。ちょっとインドっぽいと言うかサイケっぽいと言うか、不思議な音階のリフ・フレーズに、僕はXTCの「Earn Enough For Us」という曲でのアンディ・パートリッジの演奏、アレンジを連想しました。
これがもしシタールに近い音色だったら、前年リリースの「Come On!Come On!」のような感じに仕上がっていたのかな。

それでは、今日のメインテーマである湊さんのドラムスについて書いていきましょう。
ガッチガチのセメント・チューニング。演奏時のインスピレーションでアドリブを繰り出すスタイルで、「同じ曲を二度と同じようには叩かない」とまで言われることもあるという「感性型」にして「超・攻撃型」のドラマー、それが湊さんです。

僕は湊さんが在籍したDEAD ENDについてほとんど知らなかったこともあり、初めてアルバム『HELLO』を聴いた時(特に「Shangri-la」が強烈でした)、「このドラマーは一体?」とクレジットを見て(その当時は『HELLO』の歌詞カードも普通に読めたなぁ・・・遠い目)湊さんの名前を頭に刻み込みました。
ただ、その後も含めて僕にとって湊さんのドラムスは、ジュリーのこのアルバムだけに集約されてしまっています。湊さんのことを語るならば本来はもっと手を拡げて勉強しなければならないところですが・・・今回はご容赦ください。
実は、湊さんの年齢を把握したのがつい先日のことなのです。なんとなく「大ベテラン」「大御所」のイメージを勝手に持ち続けていたんですけど、GRACE姉さんのツイッターをたまたま拝見して(こちら)、「えっ、湊さんってGRACE姉さんが「くん」付けで呼ぶような年齢なの?」と驚き、ネットで調べてみた次第。
なんと、僕とたった1学年しか変わりません(湊さんは早生まれですので、誕生年は僕と同じ1966年)。ということは、『HELLO』参加時はまだ20代ですか。凄い!

「卑怯者」のレコーディングでも、もちろんリハを重ねての本番だったのでしょうが、湊さんの演奏はテイクごとに細かなニュアンスが変化していき、「その一瞬」でしか繰り出せなかったフィルや打点を僕らは正規音源として今CDで耳にしていることになります。

湊さんの演奏が「何か他の人と違う」伝わり方をするのは第一に皮を「硬く」張った状態にして叩くチューニング。スネアの音が最も分かり易いでしょう。残響音が少なく、一打一打の主張が強くなっています。
第二に「インスピレーションによるアドリブ」。これは特にハイハット(LIVEだと、向かってスネアの右隣にセッティングしてある二重のシンバル。2つのシンバルをを閉じると「チッ、チッ♪」と鳴り、開くとに「シャ~♪」と鳴ります。開閉は左足で操ります)に注意して聴けば伝わりやすいと思います。
例えば1番Aメロ、歌詞1行目で「裏」や「裏の裏」を刻んでいるのが閉じた状態。「置き手紙さえ♪」で突然(そこで入れるか!と驚かされます)「シャ~♪」と鳴るのがオープン・ハイハットです。
これらの開閉が規則性なく自由に、しかも刺激的に繰り出される演奏が湊さんならでは。
また

世界 中が敵でもいい
C#m  D           A     F#m

おまえだけはきっとわかるだろう ♪
C#m   D       Bm    D            E

このブレイク部のスネアを打つタイミング、面白いですよね。これも湊さんがその瞬間に何らかの着想を得て生まれた演奏です。

加えて、フィル・フレーズの素晴らしさは言わずもがな。
やっぱりロールを絡めたフィルが目立つ中、僕が好きなのは一番最後の「卑怯者!」の直後に「しゃたん!」と鳴る2打です。
サビでジュリーが「卑怯者!」と歌う箇所は曲中計6度登場しますが、湊さんがフィルを入れてくるのは最後だけ。
後藤さんが施した「しゃかしゃん!」というS.E.とかぶってしまっているのが残念です。セオリーには反しますが、最後だけはS.E.を抜いた方が素晴らしい仕上がりになったのでは、と思いますがいかがでしょうか。

下手の横好き&典型的な器用貧乏タイプの僕は色々な楽器をやりますが(いずれも腕前は三流です)、最初に入れ込んだのはドラムでした。
小学校の鼓笛隊でスネアをやったのがきっかけで、『太陽にほえろ!』のサントラでバンドサウンドに憧れ(つまり、僕には井上バンドのDNAがそれとは知らず幼少時に注入されていたのです)その後ブラスバンドでドラムスを始め・・・「本格的にやってみたら」と言ってくれる人もいましたが、ギターに出逢ってからはそちらに気持ちが行ってしまい、ドラムの練習をしなくなりました。
元々才能なんて無いわけですから稽古不足で上達が望めるはずもなく。
それに僕は当時から腰が弱かったですからね。ドラムスって、腰への負担が半端ないと言われます。
かつてPONTAさんが『イカ天』のゲスト審査員に出演されていた時、ある出演バンド(名前を忘れてしまいました)のドラマーが素晴らしい演奏を魅せてくれた回がありました。そのドラマーが撮影当時に腰を痛めながらの熱演だったと知ったPOANTAさんは「いいドラマーほど腰からやられるものだ」と、賛辞も込めて気遣いの言葉をかけていらっしゃいました。
たとえ口には出さずとも、PONTAさんもGRACE姉さんも、そして湊さんも、腰の不調を抱えながらずっと活動を続けていらっしゃるのかもしれません。

個人的には、「観る」側としても特にドラマーへの憧れは今でも強いです。
アルバム『HELLO』での湊さんの演奏を聴くと、「演奏してて爽快なんだろうなぁ」と思います。
湊さんの個性は、楽器に詳しくない人にもとても分かりやすいですから、この機会に是非ドラムスに気をつけて「卑怯者」を聴いてみてください。

最後に。
今年の全国ツアー、このアルバムのタイトルチューンにしてシングル曲「HELLO」は歌われるでしょうか。
昨年末に『祈り歌LOVESONG特集』のセットリスト予想として記事を書いたばかり(やっぱり当たりませんでした)の「HELLO」は、僕がまだ生で聴いたことが無いシングル曲のひとつです。
リリースは「YOKOHAMA BAY BLUES」と両A面扱いですよね。ジュリーはどちらかと言うと「YOKOHAMA~」の方がお気に入りのようですから、選ぶとすればそちらに気持ちがいくのかなぁ。
この先一度は「HELLO」の方も聴いてみたいのですが、下手すると今年がラストチャンス?
是非、期待したいです。


それでは、オマケです!
現在、94年の資料ネタが尽きてしまっているので、「卑怯者」というフレーズからの連想ということで・・・若きジュリーが演じた「坂本竜馬暗殺犯」(いや、秋元さんの描いた主人公はそういう意味での「卑怯者」ではないんですけど)の記事を。
福岡の先輩からお預かりしている『ヤング』のバックナンバー、82年9月号から2ページどうぞ~。


820901

820902

ジュリーがこんな役を演じたことがあるなんて、この記事を目にするまで僕はまったく知りませんでした・・・。


いやはや、今回は「コンパクトに」と心がけて書いたのにやっぱり長文になってしまいました。
「長過ぎて最後まで読めん!」とのお言葉、よく伺います。なんとか次こそは~(汗)。

それでは、『この曲のこの演奏に痺れる』シリーズ、次回第2弾は「ベース編」です。
盟友・YOKO君の大好きな・・・と言うか歌詞の内容が彼の若かりし日々そのまんま、というシングルB面の名曲を採り上げます。どうぞお楽しみに。

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2017年3月30日 (木)

沢田研二 「揺るぎない優しさ」

from『ISONOMIA』、2017

Isonomia

1. ISONOMIA
2. 揺るぎない優しさ

--------------------

今日は暖かい1日でした。会社の倉庫近くの公園の桜は、今朝の時点ではこんな感じ。

1703300817

明日朝もこのルートを通るつもりで、どのくらいになっているのか楽しみです。
それとは別に、週末には何処かへ出かけて桜を観にいこうと思っています。土曜は天気が悪いらしいので、日曜かな~。まだ「満開」ではないのでしょうが。


さて、前回「ISONOMIA」の記事に書いた通り、僕は今年の新譜2曲について、政治性や社会性を掘り下げてジュリーの歌詞を紐解くことは最早ナンセンスなのではないか、と考えさせられています。
ジュリーのメッセージはごく自然な「人の望み」なのだ、との思いが強くなっているのです。
「ISONOMIA」の記事を書いた翌日、普段からリスペクトしているJ先輩の新譜についての文章をSNSで拝見することができました。
その先輩はいつも新譜リリースやLIVEツアーの度に簡潔かつ本質を突いた素晴らしい考察を書かれるかたで、もうそのまま商業誌に掲載しても良いんじゃないかというくらい僕はその文章に惚れ込んでいるのですが、今年の新譜についてもまた素晴らしいものを読ませて頂いた、と思いました。

先輩は今回ジュリーが「ISONOMIA」なる言葉に託したのは「政治なんてものよりももっと単純(シンプル)な、まっとうな感覚の「願い」であると書かれました。
まったくその通りだと僕も思います(でも僕は前回記事でそういう表現がうまくできませんでした)。
そして「目からウロコ」だったのは、その先輩はお正月に「ISONOMIA」を聴いた時点で「なんとなく国歌のようだ(どの国の、ということではなく)」と感じていたそうです。
なるほど、なるほど・・・言われてみますと本当にそう思えてきます。そうか・・・ジュリーの「ISONOMIA」は、ジョン・レノンの創作に重ねて例えるなら
「イソノミアン・インターナショナル・アンセム」
ということになるのでしょう。

ですから僕は今日の「揺るぎない優しさ」の記事でも、政治的なこととは距離を置いてジュリーの歌詞を考えてみたいと思いますが・・・ただ1点だけ、この枕で触れておきたいのが「震災避難者への住宅支援打ち切り」の問題です。
「揺るぎない優しさ」とは何なのかを考える時、とても重要な問題だと思うからです。

あの震災から今まだ6年。
国は何故そんなに区切りをつけようとするのか、つけたがるのか、理解できません。「この政策はまだ道半ば、これからも継続してゆく」というのは「被災者支援」についてこそ言うべき言葉ではないのでしょうか。
仮設住宅に暮らす被災者の方々の多くが、まだ留まって暮らしてゆきたい」と考えている現実があります。特に福島第一原発周辺地域から避難された方々が、「心身とも安心できる場所で暮らしたい」と望むのは人として当たり前のこと。それは指示区域からの避難、自主避難に関わらず、です。

支援の打ち切りに、「見捨てられてしまうのだろうか」との思いを抱える避難者の方々は当然多くいらっしゃるでしょう。そんな中、「国がやめる、というなら地方自治体が何かできないか」の観点から、住宅、医療などの支援政策を強く打ち出しているのは沖縄県。
全都道府県の中で、福島県はじめ被災地の東日本各県から最も距離が離れている沖縄県をして、何故それらを成し得る志があるのか・・・僕らは今その点をよくよく考える必要があるでしょう。

それでは本題です。
それでは今日のお題「揺るぎない優しさ」。ある意味タイトルチューン「ISONOMIA」をも凌ぐこの名曲について、「脳を熱くして」書いていきたいと思います。伝授!


僕はこの詞を大きく分けて、前半は「被災者の方々の代弁」、後半は「ジュリー自身の決意」というふうに捉えて聴いています(もちろん、ジュリーの意図はそうではないかもしれません)。
とにかく僕はこの歌詞中で、2番の

負けないぞ 脳よ熱くなれ ♪
      D                             E

この箇所が凄く好きなんですね。白井さんのメロディーもここが一番好きです。
「脳よ熱くなれ」・・・ジュリーらしい表現だけど、さぁどういう思いが込められているんだろう?
それが僕の「揺るぎない優しさ」歌詞解釈のとっかかりとなりました。

お正月LIVE初日のMCを思い出します。「震災関連の歌を歌うことについて」あれこれ言われることもある、という感じのことをジュリーは言ったんですね。
でも、全セットリスト22曲を2012年からの新曲で貫き通し、ツアー・タイトルを『祈り歌LOVESONG特集』としたジュリー。今思い返しても、凄いものを観せてくれたなぁと思います。
誰が何と言おうと、自分はこれをやる、と。
かつて、これからの新曲について「もうこのテーマ以外は歌にしない」と言ったジュリーです。雑音も入ってくるのでしょうし、ジュリーを案じアドバイスしてくれる身近な人達もいるのでしょう。それでもジュリーは、歌い続ける限り最後までこの姿勢を変えずやり通すでしょう。
そんな決意を僕は先述の歌詞部に見ます。

熱い純粋な思いこそがその原動力。ジュリー自身がその道にあって挫けそうな時、しんどくなった時
「いやいや、被災者の人達のことを考えたらなんだこれくらい!すべての被災地のために、俺よもっと滾れ!」
という鼓舞。それが「負けないぞ」「脳よ熱くなれ」ではないのでしょうか。
「絶対に忘れない」
「見捨てたりしない」
「区切りなんてつけない」
「ずっと寄り添ってゆく」
と、そんなふうに考えれば

六年無駄に生きてない 六年無理に笑ってない
A     E          F#m    E      A  D        A      E

もっと優しくできたら ずっと一緒に生きていたら
A      E      F#m   E        A    D          A        E

優し さだけが突き刺さる ♪
C#m  D             E       A

このサビの歌詞の何と躍動的で頼もしいことか。
もちろんここも「被災者の代弁」としての要素も考えられますが、僕はジュリーの「ずっと一緒に生きていたら」を、この先への決意と受けとめたいです。

前回記事で、今年のジュリーは「怒り」を封印してきたように感じる、そのためか、歌声やメッセージから「政治性」が退いているように思う、と書きました。
ずっと一緒に生きてゆく、届けるのは「優しさ」。
もっともっと、優しくなれないか。優しくできないか。
「突き刺さる」というのは一見怖い言葉のようですが、これはもう、「届けたい」一心、被災者の方々の癒えない悲しみを慮っての表現と僕は捉えてみました。

では、この楽曲自体についてはどうでしょうか。
「纏まりの良いポップ・ナンバーに聴こえながら実は細かな仕掛け満載!・・・白井さんさすがの1曲です。
まずはキーがどうなっているかと言うと・・・イントロのコードはC。「ドシラソファミファレ♪」という下降するキラキラしたテーマ・フレーズ(クレジットにキーボードの記載が無いので、これは白井さんがギターで弾いているのでしょうねぇ。どうやってあんな音出すんだろう?ただ、お正月LIVEでは泰輝さんが鍵盤で再現していたと思います)が載って、この時点ではハ長調のように聴こえます。

ところが続いて登場するコード・リフ。「じゃっ、じゃ、じゃ~ん♪」のリズムに合わせてひとさし指を立てて大きく前に腕を突き出すお正月でのジュリーのアクションも記憶新しいですが、ここは「D→G」。「いきなり1音上がりのニ長調に転調か!」と思わせます。
そのまま同じ進行でAメロに突入。この時点で僕は完全に「D」をトニック、「G」をサブ・ドミナントのニ長調と把握して曲を聴いていました。
しかし!

今日も翳んでる 地震もある記憶も
D           Em      C        D       G

ここで楽曲全体のキーが正体を現します。
この曲はイントロからずっとト長調だったのですよ。Gがトニック、Cがサブ・ドミナント、Dがドミナント。
白井さん、聴き手へのミスリードを狙っていると思います。まるで本格ミステリーのような進行ですから。
「C」「D」「G」「Em」・・・ト長調王道のシンプルな4つのコードだけを使ってこんな複雑怪奇な変態進行(←当然、褒めています)が組み立てられるものなんですね。

仕込みは万端、いよいよ曲はサビへと向かいます。
今度こそ1音上がりの転調。その繋ぎ目こそが「揺るぎない優しさ」のメロディー最大の聴かせどころ。

濁流の君よ生き還れ
   D                           E

ドミナントがDからEへ切り替わってのト長調からイ長調への転調です。
伊豆田さんの絶妙なコーラスで、「F.A.P.P」の転調移行部を連想した人もいらっしゃるのでは?

サビはイ長調の王道ポップス進行。転調後のサビで視界が開ける感覚は白井さんの得意技ですが、その中でも今年の「揺るぎない優しさ」のサビは特に美しく潔いメロディーだと思います。
こうしてみると、やはり白井さんも昨年までのバンドメンバー同様ジュリーから「PRAY FOR EAST JAPAN」のコンセプトをリクエストされ、今年の2曲を作曲したのではないでしょうか。
悩み、嘆き、怒り・・・それらすべて含んで到達する力強い決意、だと思います。そこにジュリーが載せた「優しさ」のフレーズに、曲が後押しされているようです。

サビが終わるとト長調に戻って「D→G」のコード・リフ部に戻ります。ただし、イントロでは「C」のコードに載せていたテーマ・フレーズをここに再度登場させた白井さん。リスナーはまたしてもそれと知らずに白井さんの術中に嵌っています。
同じ音色のフレーズ、イントロのリフレインと思いきや、奏でられる音階は「ドシラソファミファレ♪」から「レド#シラソファ#ソミ♪」に変わっているのです。
このパターンのフェイクはかつてジュリー作曲の「睡蓮」や、宮川彬良さん作曲の「神々たちよ護れ」でも採り入れられていました。「睡蓮」は確実、もしかすると「神々たちよ護れ」についても、それはアレンジ段階での白井さんのアイデアだったのかもしれない、と今回「揺るぎない優しさ」を聴いて考えた次第です。

さぁ、そんな白井さんの名曲がどのようなレコーディング音源に仕上がったか・・・今年は演奏メンバーもガラリと変わりました。おなじみのステージ・バンドの音がCDで聴けないのは寂しくもありますが、「揺るぎない優しさ」の演奏は本当に素晴らしいです。

ギターは当然白井さん、ベースが『JULIE with THE WILD ONES』以来となる上田健司さん。磐石の弦楽器布陣に加えて、ドラムスは初のジュリー・ナンバー参加となるオータコージさん。なんとなんと、3人のプロフェッショナルによる共演でこの曲の演奏を先導し楽曲を音の面から色づけしているのは、一番若いオータさんのように僕には聴こえました。これには驚きました。
白井さんのメロディー、アレンジのポップ性からすると、「揺るぎない優しさ」はもっとキュートな仕上がりになって不思議はないんですけど、どうですかこの破天荒なラウド感、美しいメロディーを包むロック魂。
オータさんのドラムスに引っ張られるようにして、白井さんのギターも上田さんのベースも最高にカッコ良いモッズ・サウンドになっているという・・・ヴォーカルのジュリーとバックの3人がお揃いの「青・赤・白」のスーツを着て演奏するPV映像すら妄想できるほどです。
そう、これはザ・フーのサウンドに近いです。その点については「ISONOMIA」よりさらに鮮烈。

元々ザ・フーはコード・リフ・ロックの王者でもあります。60年代で言うとストーンズやキンクスなどもコード・リフをオハコとしますが、あくまでギタリスト主導。
でも、フーの場合はドラマー(キース・ムーン)による「キメのリフに向かう」直前までのお膳立てのフィルで大暴れする曲が目立ちます。

そこで改めて「揺るぎない優しさ」をオータさんのドラムスに着目して聴いてみましょう。
普通ならばこの構成なら
「つつたつ、つつたつ、どん、じゃっ、じゃ、じゃ~♪」
と、リフそのものをオカズと捉えて直前まではエイト・ビートで叩くところです。
ところがオータさんは
「どんたかたかたかたかたかどこどこどん、じゃっ、じゃ、じゃ~♪」
と行くんです。
その効果で、キメのリフのリズムがギター、ベース、ドラムスで揃った時の破壊力が増すというわけ。
こんなドラム叩かれたら、そりゃあジュリーも「ワシもリフの箇所では身体の動きでバンドの音符割りに合わせにゃ!」と思ってしまうはずですよ~。

オータさんのドラムスの見せ場はまだまだあって、1番Aメロ1回し目のタム攻撃がこれまたキース・ムーンばりのモッズ魂が炸裂する名演。
さらには2番Aメロはうってかわって「じゃ、じゃ!」の全楽器刻みの裏で鬼のキック連打です。
しかもエイト・ビートへと移行するフィルの繋ぎ目でキックが止まってない!こんなに足クセのききわけがない(←ドラマーにとっては最高の褒め言葉のはずです)ドラムスは久しぶりに聴いたように思います。
ベテランの白井さんと上田さんも、今回オータさんのドラムスに「乗った!」といわんばかりの一体感。「揺るぎない優しさ」は数あるジュリー・ナンバーの中で演奏面においても特筆すべき1曲となりました。

僕はオータさんのドラムスを意識して聴くのはたぶん今回が初めて(それと知らずに何かの曲を聴いたことがある可能性は相当高いですが)。
色々と調べると、いとうせいこうさんと「NO NUKES」フェスに出演されるなど、ジュリーとは普段からの志も共鳴できる演者さんなのかなぁ、と。
今後継続してのジュリーの新曲への参加を楽しみにしたいと思います。


僕は今年もジュリーの新譜を大いに気に入って繰り返し聴いています。
もちろん2曲いずれも政治や社会問題と無関係な歌ではない・・・むしろ関係は大です。でも、考察記事でそうしたことを中心に書かなかったのは、僕の中に「無関心」や「諦念」が無くなったからだとも思います。
僕は、ジュリーのメッセージに含まれる様々な事柄について「歌を聴いた時」だけでなく、もう普段から考えられるようになりました。そうして暮らしていると、雲の上の上、遥かに遠い憧れの存在であるジュリーがとても近しい人のように思えてくる時があります。
その僕の感覚は、昨年の「un democratic love」が決定的だったかなぁ。
同じ気持ちは今年の新譜でも継続しています。まだまだ悩み迷いながら、ではありますけど。

気になるのは夏からの全国ツアー。「ISONOMIA」は間違いなく歌われるでしょうが、カップリングの位置づけとなる「揺るぎない優しさ」はどうでしょうか。
CD音源を聴く前と後では生で体感した時の印象もずいぶん違いますし(2009年の『Pleasure Pleasure』収録曲がそうでした)、この名曲をお正月ただ1度しか聴けないままでは寂し過ぎます。
ここはやっぱり「今年の新曲」は2曲とも歌ってくれる、と予想したいです。僕が参加できなかったお正月LIVEの何処かの会場では、「シングル(A面)曲50曲以外も少し足す」という感じのMCもあったと聞いていますし、それなら「プラス数曲」の中に「揺るぎない優しさ」は入ってくるのではないでしょうか。
期待したいと思います。


それでは次回から、また時代を行き来しながら数々のジュリー・ナンバーの名曲についてビッシビシ更新していきます。
まず4月前半は、「この曲のこの演奏に痺れる」シリーズとして数曲を採り上げたいと思っています。
ジュリー・ナンバーの演奏はどれも素晴らしいのですが、まだ記事にしていない名曲の中から、特に好きな演奏パートを楽器ごとに厳選し1曲ずつ書いていこうという趣向です。
もちろん「楽器ごとに」とは言ってもたった1曲に絞れるはずもなく、「数あるミュージシャンの、数ある名演の中からこの機会に」という採り上げ方になりますが。

次回の第1弾は「ドラムス編」。
ジュリーはこれまで本当に多くの凄いドラマーを迎えてレコーディングしステージを共にしています。
僕個人としてはやはり「現在のジュリー」を支え続けるGRACE姉さんと、デビュー50周年の1年目を飾ったザ・タイガースのドラマーであるピーの2人を熱烈推し。
ただ、今日オータコージさんのことを書いたように、まだまだ素晴らしいドラマーの名演によるジュリー・ナンバーの傑作は幾多の例があります。
その中で、「このアルバム1枚きり」参加のレア度、「この人の音は圧倒的に違う」という類稀な個性に着目し、湊雅史さんの演奏を採り上げてみたいと思います。

もちろん書くのは楽器演奏のことだけではありませんが、とりあえずしばらくの間は文量よりも更新頻度を第一とし、今度こそ(汗)短めのコンパクトな記事でどしどし書いていきます。よろしくお願い申し上げます。
ということで、次回お題はアルバム『HELLO』から!

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2017年3月24日 (金)

沢田研二 「ISONOMIA」

Isonomia

1. ISONOMIA
2. 揺るぎない優しさ

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ずいぶんご無沙汰してしまいました(汗)。
全国ツアー前半の申し込みも終わり、みなさまも今は「さぁ、後半どうしようか」とスケジュールと睨めっこしている最中でしょうか。

僕は前半の申し込みは2会場に抑えました。と言うのも、新年の目標に掲げた通り今年のツアーは1人でも多くの友人、知人に生のジュリーLIVEを体感して貰いたく・・・方方に声がけした結果、それらすべてが後半日程の会場に集中しましてね。
後半は凄い枚数の申し込みとなる予定です。払込票の会場振り分けがどうなるか分かりませんが、参加氏名記入欄が足りないかも・・・「○○夫妻」とか「誰それ2枚」とか、なんとか工夫するつもりですが(笑)。

前半に申し込んだのは、初日NHKホールと大宮。
ただ、これがいずれも抽選という・・・初日の第2希望を京都、大宮の第2希望を静岡としたので、落選したらいずれも遠征ですな~。
大宮は例によってYOKO君と2人分の申し込みですが、さすがに彼は落選振替の静岡までは来れないのでその時はカミさんと行き、せめてYOKO君のぶんだけでも八方手をつくして大宮のチケットを探し求めなければならなくなるでしょう。
そんな事情もあって、今回はどちらかと言うと落選するなら初日の方がまだ良いかな、と思っています。京都に参加となったらお会いしたい人もたくさんいますし、久々の「ネタバレ我慢」の試練も悪くはないかなぁ。
2会場ともすんなり当選、というのが理想ですけどね。


さて本題です。
今年も3月11日のリリースとなった5ジュリーの50周年メモリアルな新譜『ISONOMIA』。
みなさま聴かれましたよね。僕はもう100回以上はリピートしているはずです。
今年も気合入れて全曲(と言っても今回は2曲のみ・・・ちょっと寂しい気もします)考察記事を書くわけですが、想定外に執筆に時間がかかっています。

2曲ともに「前を向いた力強い新曲」と言って良いでしょう。僕は2015年の『こっちの水苦いぞ』までの4枚と昨年の『un democratic love』の間で劇的に歌の受け止め方が変わって、「前向き」の明るさについては昨年から感じていました。
聴いていて元気が出てくる感覚、血沸き肉踊る感覚。でも『un democratic love』への僕のその感想に先輩方の賛同は少なかったです。「苦しい」「切なくなる」とのご感想の方が圧倒的に多かった・・・ただ、今年の新譜はそうではないでしょう。
曲調も明るく、ジュリーの歌に悲壮の空気はありません。個人的には昨年から既にジュリーはそうだった、と思っていますがひとまずそれは置いておいて、「これならファン以外の一般の方々にも是非聴いて欲しい」と多くのジュリーファンが考えることのできる、そんな新曲が今年は届けられたのではないでしょうか。

「にもかかわらず」なのかむしろ「必然」なのか・・・僕が何をそんなに考え悩んだかと言うと。
昨年と違って、この新曲のジュリーの詞に「政治性」「社会性」を持ち込みたくない、それはもうナンセンスなのではないか、と思ってしまったのです。
この素晴らしいヴォーカルに「これは政治的な歌」だと念押しする必要がそもそもあるのか?と。
昨年の僕は、特に「un democratic love」の考察でここぞとばかりに歌の政治性、社会性を掘り下げたものです。そうすることに何も躊躇いはありませんでした。
でも今年は・・・。
同じように素晴らしい歌でも、僕は昨年のジュリーには「怒り」を思いました。諦念や慟哭をまったく感じないのは今年の2曲も同じですけど、今年のジュリーは「怒り」を封印してきたようです。

「怒り」を肝に据えてジュリーが届けるのは「優しさ」。
何のために歌うのか、誰のために歌うのか。周囲から色々と言われることがあっても、いやいや「被災地のために、もっと滾れ自分!」と自らを鼓舞し(これは「揺るぎない優しさ」最大の聴きどころである「負けないぞ、脳よ熱くなれ♪」の1音上がり転調部を聴いて僕が感じたことです)、伝えたい言葉が究極に「被災者第一」「常民第一」に向かった結果、逆にジュリーの歌声から「政治性」がサッと退いていったように思えてならないのです。

ただただ、ジュリーの今の歌がそこにある感覚。
力強いけど過剰な力みはない。淡々としているようで凄まじくエモーショナル。
素晴らしい音楽、歌声です。ロックってやっぱり、外見も中身も志も作品も「カッコイイ」人がやってこその音楽なわけで、その意味では、この国でジュリーにしか踏み込めない道がこの新譜に開けています。
まず今日はタイトルチューンの1曲目「ISONOMIA」。
正直、歌詞解釈には「こうだ!」というところまで今の僕は辿り着けていませんが、今年も大いにジュリーの歌に元気づけて貰えたので、魂込めて書きます。伝授!


みなさま、「ISONOMIA」なんて言葉をこれまでご存知でしたか?僕はまったく知りませんでしたよ・・・。

実は僕は昨年12月早々にJASRACさんの登録を見て、今年の新譜のタイトル、クレジットを把握しました。
すぐに「ISONOMIA」の意味を調べると、「古代イオニアの政体」なる難しい解説があり、その政体とは「自由と平等が対立せず、自由であることがそのまま平等であり、逆もまた真」・・・う~ん、なかなかひと呑みにはできません。
耳慣れぬ言葉なので僕はその時「イソノミア」の5文字がなかなか覚えられず、忘年会でお会いした先輩お2人に新曲のお話をした際にも「え~と、え~と」となかなかタイトルが出て来ず、携帯でカンニングして「白井さんの作曲で、イソノミアって言うらしいです」とお伝えしたら、先輩のうちのおひとりが「磯の宮」と聞き違えて大笑い。おかげで僕はその日以降「磯の宮→ISONOMIA」と連想でタイトルを覚え込むことができたわけですが、お正月LIVEアンコール前の新曲紹介MCではジュリー自身も、「”磯の宮”ではありません、みたいなことをMCで言ってくれたりしてね。
「無支配」という意味なのだ、と。

言葉の意味を調べた時には、これは相当に政治性の強い歌詞だろうと予想しました。おそらく「格差があった方が都合が良い人達」を批判する内容なのかなと。
でもお正月に聴いた時は歌詞の細かな部分は把握できず、今回改めてCDでじっくり聴いてみると、意外や政治性の強さは感じず・・・もちろん社会性の高いメッセージ・ソングではありますが、「武骨なロック」として構えることなくいい歌だなと感じたのが第一印象。
そのぶん、解釈も難しいのです。
昨年の「un democratic love」のように、「ジュリーの歌詞一字一句すべてが腑に落ちる」という感覚は無いので、ウンウンと唸りながらジュリーのメッセージを読み解こうとしました。

テーマは原発。これはハッキリしています。
僕は最近よく思うんですけど、「脱原発」を望む考え方って果たして「政治的」なんだろうか、と。
頭をフラットにしてこの問題を考えた時、原発に反対する人達の「反対」理由はよく分かります。政治的な考え方はさておいても、「あんな事故が起こったんだから、もうやめようじゃないか」ということですよね。
でも、今なお「原発推進」を唱えるの人達の「推進」理由はよく分からない・・・それが正直なところ。
経済系の新聞が揃って「推進」であるからにはそれなりに理由があるんでしょうけど、細かく論説を読んでみても「そりゃあそうかも」と思える文章には出逢ったことがありません。むしろ何かを伏せているような違和感を感じることの方が多いです。
それがジュリーの歌う「欲望」なのでしょうか。

そこで「ISONOMIA」。

原子力 no!no! 無支配OK! ♪
D    E   F     G     F     G   A

ジュリーは「ISONOMIA=無支配」の対義語を
「原子力=支配」
としました。思えばジュリーは2013年リリースの「Fridays Voice」で既に「原発=支配」を歌っていますよね。
では、「ISONOMIA」に相い対する支配者とは誰なのか。ジュリーは「HIERARCHY」だと歌います。
とすればやっぱりこれは「格差社会」へのアンチテーゼ、政治性の強い歌ということにもなるのかな。
どうもうまく頭が纏まりません・・・。

解っちゃいないから止められない
D                        E

恥知らぬ人間の性 ♪
   A                 D

この表現などはかなり痛烈ですよね。大衆に膾炙したフレーズ「分かっちゃいるけどやめられない」を転じて、「解っちゃいないからやめられない」。
ジュリーが「止められない」と詞で漢字を当てはめているのは、本来「とめられない」との発音で歌いたいからでしょう。お正月がどうだったかは最早確認の術もありませんが、夏からのツアーでは「とめられない」とハッキリ歌うことも考えられます。

この記事執筆時点で稼働中の日本の原発3基のうち2基は、九州電力・鹿児島川内原発にあります。
そして、今年のジュリーの全国ツアーには鹿児島公演が組まれています。なかなかイイ感じのスケジュール(木曜日の祝日)ではありますが、今年は4月に母親の17回忌で一度帰省する予定があるので、懐の事情で僕は無念ながら参加を断念・・・ジュリーには是非、宝山ホール公演で「恥知らぬ」現知事に「解っちゃいないからとめられない」をお見舞いして目を覚まさせて欲しい、と考えてしまいます。
でもね、本当は「ISONOMIA」ってそういう過激な歌、声高に政治性を掲げる歌ではない、と思うんですよ。
今、「原発やめよう」という声はきっと政治などは関係なく、この国の「豊かな海」「豊かな里」「豊かな山」を愛する気持ちから出ているものがほとんどで、ジュリーもそうなのだと感じます。

さらに言うと「豊かな人」「faithful」とは僕らからすれば正にジュリーその人のこと。
「faithful」って素敵な英フレーズです。辞書を引くと「誠実な」とあり、「信頼できる人」こそ豊かな人=ジュリーと言って良いのではないでしょうか。
「ISONOMIA」は、「信頼できる人が歌う、信頼できる歌」だと思います。色々と考えあぐねて記事執筆が遅れましたが、僕はひとまずそんなふうにジュリーのこの詞、この歌を聴いているところ。
腑に落ちる歌詞解釈については、2015年リリースの「泣きべそなブラッド・ムーン」の時のように、みなさまからのコメントを拝見して「そうか!」という目からウロコなパターンを期待しています(他力本願汗)。

では次に「音」について。
こちらは「完璧」とまでは言えませんが、合ってるのかどうなのかは分からないなりにも、もう最初から最後までギター弾けるようになってますから!
やっぱりギター1本の伴奏というのは、コピーも燃えるものがありますね~。

それにしても、デビュー50周年に放つシングルにエレキ1本で歌う曲を持ってくるとは・・・。
攻めてますよ、ジュリーも白井さんも。
まずCDで聴いて驚いたのは、「音源にハンドクラップは入ってないのか!」と。
僕はてっきり白井さんのアレンジが「ギター+ハンドクラップ」に仕上がっていて、お正月にバンドメンバーがそれを再現してくれたものとばかり考えていました。
記憶がハッキリしないのですが、バンドが先導してくれたハンドクラップは基本「2、4」の裏拍で、Aメロ1回し目の「ここ!」という箇所で「ん・た・たん!」と変えてきていたように覚えています。てっきり「音源はこうなっているよ」と伝えてくれているんだろうな、とその時には思い込みましたが違ったんですね。
あの手拍子は、1人で伴奏する柴山さん以外の3人のメンバーが事前にお客さんのために練り上げてくれたパフォーマンスだったわけです。

とすれば、あの「キメ」の手拍子には理由づけがあるはずで、これは
「シンプルに聴こえるかもしれないけど、ジュリーの歌は同じメロディーを繰り返してはいないよ」
と、曲の「肝」を教えてくれていたんですね~。「ここは力強く!」というメロディーの箇所で手拍子に変化をつけてくれたんじゃないかなぁ。

自然の  底力   は 何よ  り強い ♪
A     Aadd9  Asus4  A   Aadd9  A  B(onA)

Aメロの歌詞1行目と2行目(続く3行目と4行目も同様)はそれぞれ全く異なる旋律。
ギター・リフでグイグイと攻めながらも、長年ジュリーのアレンジに携わってきた白井さんは「歌の表現者」ジュリーの真髄を心得ていて、「開放するメロディー」と「溜めるメロディー」の2パターンを用意しました。
バンドメンバーはその「開放」のメロディー(1番で言えば1行目と3行目)に手拍子の変化を以って、白井さんの工夫を伝えてくれたのではないでしょうか。
これはCDを聴いて初めて分かったことです。

ギター・リフの進行がこれまたトリッキーで、トニックにadd9とsus4を絡めるコード・リフまでは王道なんだけど、最後に「じゃ~ん♪」と突き放す和音がね、ギターならではと言うか、白井さんらしいと言うか。
先述の通り、コード表記するなら「B(onA)」とするしかないと思いますが、単にBの構成音(「シ・レ#・ファ#」)にルートのA(「ラ」)を加えただけでは白井さんの弾いている音にはならなくて、ここでは不協スレスレの「ミ」の音が同時になっています。
これを鍵盤で弾くと、左手で「ラ」、右手で「シ・レ#・ミ・ファ#」となり、結構気持ち悪い響きになりますが、ギターでは「ミ」の音を1弦開放で「他の音をぼんやりと包みこむように鳴らす」ことが可能。なんとも不思議な魅力が漂う和音となります。
これはジュリーのヴォーカルの語尾が明快に伸びている(「シ・レ#ファ#」のBでラの音を歌う、という時点で難易度高し。それをごくごく普通にロングトーンで澱みなく聴かせるジュリーは凄い!)からこそ生きる伴奏の響き、とも言えましょう。

さらに、「同じメロディーを反復させない」白井さんのこだわりは、サビ部でも強烈に表れています。
いや、音階を違えているのは最後の1音だけなんですけど、本当に目立つところですからお気づきの方も多いでしょう・・・「ISONOMIA」のサビは1番、2番、3番すべて着地の音階が違うんですよね。
1番の

無支配ISONOMIA♪
F#m D      E      A

は、「ファ#~ソ#~ラ~シ~、ド#~レド#~シ~ミ~♪」というメロディー。この曲の最高音である高い「ミ」の音に跳ね上がっての着地です。
それが2番「支配者HIERARCHY♪」では「・・・ド#~シ~ド#~♪」と宙に放り投げるような感触の着地。
3番「無支配ISONOMIA♪」では「・・・ド#~シ~ラ~♪」と端正にトニックまで下降するメロディーでバシッ!と〆てくれます。
ジュリーは当然作詞の際に3つのメロディーの違いに気づいていたはずですから、詞と合わせて考えると、「高らかに声を上げる」1番、「支配に疑問を投げかける」2番、「地に根を張る志を歌う」3番、とそれぞれの音階を合わせた解釈もできそうです。

白井さんのジュリーへの楽曲提供は、2009年の「満タンシングル」(ジュリー談)『Pleasure Pleasure』のタイトルチューン「Pleasure Pleasure」以来ですから本当に久しぶり(その間、白井さんのソロ名義で「聴こえなかったシグナル」でタッグを組んでいますが)。
白井さんは大いに張り切り、過去の自身作曲のジュリー・ナンバーを超えてやろう、と考えたでしょう。
ジュリーへの提供曲で白井さん自身が「エポックだった」と語っているのが「ROCK'N ROLL MARCH」。今年の「ISONOMIA」にはこの曲との共通点が多く、なおかつその時にはやれなかったことをやってしまおう」という意欲が見られます。

お正月LIVE大トリで初めて「ISONOMIA」を体感した時、エレキ1本の伴奏にド肝を抜かれた僕は、「爆音のエレキ弾き語りでメッセージ・ソングをブチかます」ニール・ヤングのスタイルを連想しましたが、実際にCDを聴いてみると、ニールとはちょっと違いました。
荒々しいけど緻密、ラウドだけど知的・・・この曲のギターの組み立てにはザ・フーのサウンドを想起させられます(カップリングの「揺るぎないやさしさ」の方てはギターのみならずドラムスもそうです)。
ただ、メロディーについてはそれだけじゃなくて。
パワーポップのようでもあるし、オールディーズのようでもあり・・・とにかく、立ち上がりたくてムズムズするこの感覚は何だろう、と。
で、3番の最後のトニックに着地するサビメロを聴いて、「あっ、クイーンの”RADIO GA GA”と雰囲気がよく似ているんだ」と気がつきました。音階も譜割も、フレーズの置き方も。

クイーンのナンバーには、「お客さんがキメのハンドクラップで参加しステージと一体になる」LIVE定番曲が2つあります。「RADIO GA GA」と「ウィ・ウィル・ロック・ユー」です。
僕は昨年クイーン+アダム・ランバートの日本武道館公演を観ましたが、もちろんこの2曲は本割のトリとアンコール1発目という重要な位置で演奏されました。「RADIO GA GA」で総立ちのお客さんがハンドクラップと共にステージに熱を送り込んだあの感覚は、お正月の「ISONOMIA」と重なります。
そうか・・・白井さん、去年のあの武道館にいたに違いない!(←推測です汗)

「ROCK'N ROLL MARCH」が「ウィ・ウィル・ロック・ユー」なら「ISONOMIA」が「RADIO GA GA」でも不思議ではありません。
還暦のジュリーと、デビュー50周年のジュリー。白井さんが捧げたエポックは、いずれも「ステージの熱気」。LIVE歌手・ジュリーへのリスペクトではないでしょうか。

タイガースのデビュー曲「僕のマリー」から、最新シングル「ISONOMIA」まで・・・ジュリーが選ぶ50曲。インフォメーションにもある通り、今年の全国ツアーで「ISONOMIA」は間違いなく歌われるでしょう。
クイーン+アダム・ランバートの武道館じゃないけど、ジュリーは「ISONOMIA」をセットリスト本割トリで歌ってくれる、と僕は予想しておきます!


それでは次回お題は当然、「揺るぎない優しさ」です。
あの震災から6年。この曲の考察では、避難を余儀なくされた人達への住宅援助打ち切りの問題について少し触れたいとは考えています。
ですが今回冒頭に書いたように、僕は今年の2曲について社会性、政治性を絡めて歌詞を紐解くことに抵抗も感じています。その解釈は自分の肝に秘めていれば良い、発信するのは為政への批判ではなくて、「優しさ」のみで良いのではないか、と思い悩みます。

その上で色々と考えるのがなかなか難しい・・・うまく考察を纏めることができるかどうか怪しいですがとにかく気合だけは入れて、脳を熱くして書きます。
1週間ほどお時間くださいね!

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2017年3月10日 (金)

沢田研二 「EDEN」

from『TRUE BLUE』、1988

Trueblue

1. TRUE BLUE
2. 強くなって
3. 笑ってやるハッ! ハッ!!
4. 旅芸人
5. EDEN
6. WALL IN NIGHT
7. 風の中
8. 痛み

---------------------

まだインフォが来ません・・・。
我が家はだいたい澤會さんの封筒は首都圏のみなさまより1日遅れで届くパターンが多いのですが、2日以上遅れた、というのはちょっと記憶にありません。
今年の全国ツアー・・・ジュリー50周年のメモリアル・イヤーをたくさんの人に観て欲しくて、友人、知人にスケジュールを知らせ申込日を決めて貰わなければならないんだけど、大丈夫かなぁ。
まぁ、おとなしく待つしかありませんが・・・。


ということで、新譜リリース直前の「プチ・みなさまからのリクエスト伝授!週間」、ひとまず締めくくりの今日のお題は「EDEN」です。
最初にお断りしておかなければならないのは、これから僕が書くのはあくまで『TRUE BLUE』に収録されたアルバム・ヴァージョンの「EDEN」(ニュー・リミックス)についての考察記事だということです。

本来なら2つ存在するヴァージョンの比較考察などしたいところですが、僕は未だシングル(B面)のヴァージョンを聴いたことがないんですよ・・・。
前回に続いてkeinatumeg様のすばらしい御記事を参照させて頂くと(
こちら)、どうやら「EDEN」はシングルとアルバムとでは単なる「ミックス違い」とは言い切れないようで、keinatumeg様は「演奏も別物」との可能性に言及していらっしゃいます。今後機会あれば(と言うかユニバーサルさん、CO-CoLO期まで含んだ『B面コレクション』の企画を是非お願いしますよ~)じっくり聴き比べたいと思っていますが、とりあえず今日はアルバム・ヴァージョンに絞って書いてみたいと思います。

リクエストをくださったのは、今では僕にとって「ジュリー道の師匠」とも言える存在のJ先輩。
と言ってもリクエストのお話があったのはもうずいぶん以前のことで、「アルバム『TRUE BLUE』から石間さんの曲を」ということでした。
長らくお待たせしてしまった最大の理由は、僕自身の『TRUE BLUE』という作品への評価が遅れまくっていたことです。それが今では「CO-CoLO期のアルバムの中では一番好き!」なまでになっているのですから、ジュリー道は本当に奥深い。
『TRUE BLUE』は「新曲を聴く直前に気息を整える」には最も適したアルバムのようにも思えます。
頑張って書きたいと思います。僭越ながら伝授!


最初にアルバムについての話を少しだけ。
僕が『TRUE BLUE』を「大好きな名盤」と思うようになるまでには2つの段階がありました。
まず第1は、一昨年のEMI期全オリジナル・アルバムのリマスター復刻。それまで僕はCO-CoLO期のアルバムを正式な形で購入しておらず、音源のみを所有している状態で、特に『TRUE BLUE』については歌詞カードのコピーも手元に無く、そのため明らかに聴き込みが不足していました。
そうした経緯の反動なのでしょうか、改めて購入し揃えた『架空のオペラ』含むCO-CoLO期の4枚の中では『TRUE BLUE』のリピート率が圧倒的に高くなり、「こんなに素敵なアルバムだったか!」と遅まきながら再認識、「WALL IN NIGHT」の考察記事を書いたのです。

第2段階は、個人的なことですが昨年10月に人生初の外科手術で内痔核の切除を行い、聞きしに勝る術後の痛みの中で「不思議な鎮痛効果があり癒される」ジュリー・アルバムとして『MIS CAST』と共に繰り返し聴いていたのが『TRUE BLUE』。
その中でも特に心を穏やかに落ち着かせてくれた名曲が「EDEN」でした。

「EDEN」の鎮痛効果には、3つの成分があります。
ひとつは、困難の中にあっても己をしっかりと持ち、「陽気な無頼」でエールを送ってくれるような大津あきらさんの歌詞。
さらには、全ジュリー・ナンバーの中で最もネイチャーで本格的なレゲエのリズムを採り入れた石間さんのメロディーとCO-CoLOの演奏。
そして、ジュリーの素晴らしいヴォーカル。
この3つです。

まず、『TRUE BLUE』というアルバムは、どの曲も歌詞が良いんですよね。しかもこの時期限定的な独特の味わいがあるように思います。
90年代後半から2000年代にかけては、覚和歌子さんやGRACE姉さんの詞がジュリーの生き方とリンクし、まるでジュリー自身の作詞作品のように聴こえる、ナンバーが多く見られますが、この『TRUE BLUE』では先んじて男性の詞でそれが起こっていたようです。
「WALL IN NIGHT」の記事にも書いた通り、僕がリマスターCDを購入し改めてこのアルバムのクレジットを見て驚いたのは、ジュリーの作詞作品が「風の中」唯1曲であったこと。音源だけ所有していた時点では、なんとなく収録曲の半分以上はジュリーの作詞のように聴こえていましたから。

「EDEN」の主人公は今、苦境にじっと耐える時期に身を置いていて、それでも無頼に「笑い飛ばす」「歌い飛ばす」矜持を忘れてはいません。
こんなふうに「心めかして」困難に立ち向かえたら・・・と、そんな憧れ、理想の人間像が浮かびます。
で、これは今だから思えることなんですが

素敵なお尋ね者 いなくなったね
Em                    D

寂しんで 楽しんで 心めかして ♪
   Em          G            D

僕は以前からこの歌詞部が凄く好きで、特に「素敵なお尋ね者」という表現に惹かれていました。それは、「愚かで横暴な正義をふりかざす保安官に立ち向かうウォンテッド・ガンマン」のイメージがあったんですけど、今はこれ、「スマートな無頼漢」を表したフレーズのように思えています。
ジュリーの「無頼」はどちらかと言うと寡黙なものですが、昔からジュリーの周りには「素敵なお尋ね者」的な弁も立つ無頼漢がたくさんいたんじゃないか、と。裕也さんや加瀬さんがそうかもしれないし、特にイメージがピタリなのは、かまやつさんなんですよね。
「EDEN」の主人公はそんな無頼漢が生き辛くなり少なくなってゆく世を嘆いてもいるような・・・。
ただ、そこで単にじっと孤独に耐えるだけではなく

焦らず探せば エデンが見える ♪
D          Em    G              D          

この「探せば」が重要だと思うんですよね。
光を見出すのは自分の力だと。「探す」を「目標を持つ」に置き換えても良いかもしれません。
昨年の術後の僕は正にそんな感じで「EDEN」に癒されていました。今もこの大津さんの詞には、人が辛い時、苦しい時、痛い時の人生のエールを思います。

次に、ズバリ!なレゲエ・サウンドに仕上がった石間さんの曲とCO-CoLOの演奏について。
『TRUE BLUE』に寄せた石間さんの作曲作品2曲がいずれもレゲエ・ビートというのはなかなか興味深いです。ジュリーにはレゲエを採り入れた曲も意外と多いですけど(「メモリーズ」「バタフライ・ムーン」「ボンボワヤージュ」「SAYONARA」など)、アルバムに2曲というのは珍しい。そして、「EDEN」はそれらの中で最もネイティヴなレゲエに近づいた特殊な1曲です。

僕はボブ・マーリーなどの本家レゲエはさほど詳しくなくて、どちらかと言うと自分が好んで聴く洋楽バンドの曲達の中に時々見かけるレゲエ・スタイルのナンバーで勉強していったという感じ。
初めて「レゲエ」なるジャンルを意識させられたのは、ストーンズのアルバム『ブラック・アンド・ブルー』に収録されているエリック・ドナルドソンのカバー「チェリー・オー・ベイビー」で、その後キンクスの「ブラック・メサイア」が大好きになったり、ポリスのアルバム『白いレガッタ』を聴いて「なんじゃあこりゃあ!」と衝撃を受けたりしながら血肉としていきました。

「自由度が高いんだけど、譲れない大切な決まりごと(裏拍アクセント)がある」
「パッと聴きラフなようでいて、実際の演奏はメチャクチャ難しい!」
「リフレインに誘われる眠気がクセになり癒される」

それが僕の持つレゲエのイメージです。
「自由度」については後でジュリーのヴォーカルに絡めて書くとして、ここでは「実は難易度の高さハンパない」点を書きたいと思いますが・・・さてみなさま、どの箇所でも良いですからこの曲の途中から「1、2、3、4・・・」とスッと数え始めることができますか?
どこが「1」だか分かります?
「あれれ?」となりませんか?

普段僕らが聴いているロック、ポップスのバンド・サウンドは、「小節頭の1拍目をバスドラ(キック)とベースでビシッと合わせる」のが基本中の基本です。アマチュア・バンドの稽古もまずはそこから始まります。
ところがレゲエではその肝心要の1拍目をわざと「抜く」んですよ。その点をほんの数打以外最後まで徹底しているジュリー・ナンバーは「EDEN」だけ。先程この曲を「ネイティヴのレゲエに最も近づいた特殊な1曲」と書いたのはそのためです。

例えばイントロ。
キックの音が聴こえてきますね。2、4拍目の裏拍を刻んでいます。他楽器が噛みこんでくると「裏の裏」も登場します。でも、初っ端のシンコペーション2打目以降は素直に「1拍目」を刻むことはありません。
「EDEN」のリズムは徹頭徹尾「裏」ノリなのです。これはベースについても同様です。

さらにアレンジで言うと、曲のクライマックス・・・リフレインに載せたアドリヴ演奏で聴き手が「落ちる」頃合を見計らって、ギターやキーボードなどの「装飾担当」パートがサ~ッと退き、ベースだけが明快に残るという手法。「EDEN」ではジュリーが「It's gonna be good」とトーキングを始めるあたりのアレンジですね。これまたレゲエの本道です。
それまで特に演奏を意識せずにゆらゆらと曲に身を任せていた聴き手が、とり残されたかのようなベースのフレーズに気がつく瞬間、いやぁ最高なんですよ。これが癒されるんです。
このベースをはじめ、僕らがそうそう容易くカウントをとれないほどレゲエの演奏は難易度が高い・・・「EDEN」はCO-CoLO期の全ナンバーの中でも演奏の素晴らしさ、凄さは筆頭格ではないでしょうか。それでいて、能天気なキーボードの音色や賑やかなパーカッションなど、難しいことを考えるのが馬鹿らしくなるほどの暢気さ、陽気さがこの曲の「音」の魅力なのだと思います。

最後に、ジュリーのヴォーカルです。
「素敵なお尋ね者」「スマートな無頼」を感じさせるのはやっぱりこのジュリーの声ですな~。
独特の閉塞感はあるけど「怖れ」は無い。力みも無い。良い意味で『告白-CONFFESION』から僅か1年後のヴォーカルとは思えない歌い方・・・このジュリーの自由度を引き出したのはまず石間さんのレゲエ・アプローチな曲想だったと思いますが、当然それだけではありません。

世のレゲエ・ナンバーって、ヴォーカル録りする時の気分で自由にメロディーを組み立ててアドリブっぽく歌っているんだろうなぁ、という印象があります。元々の作曲のメロディーもそんなに煮詰めていないんじゃないかなぁ、と。
ジュリーの「EDEN」も、そういう意味では自由度は高いと思うんです。ラストの「エデンが見える♪」の発声とか、1番「運ぶだけっっさ!」みたいなニュアンスとか。
でも、レコーディング現場の思いつき、って感じは受けない・・・ここがジュリーの几帳面さ、真面目さなのではと僕は大いに惹かれます。
あらかじめメロディーの自由度をリハで吟味した上で、「ここはこういうふうに歌う」と決めてから本番に臨んでいる感じを受けるんですよ。でなければ

ボンヤリ ノンビリ でもイカシテル
D                 Em   G            D         

シッカリ バッチリ だけどアブナイ ♪
D                Em   G                D

この字ハモ後録りコーラスが神技すぎます!
「アブナイ」の後の「ない、ない♪」も、発声からメロディーから「こう!」と決めてなければこんなにピタリとハモれないのではないでしょうか。
ちなみに、あまり語られることは少ないのですが、ジュリーの「自分ハモリ」はどの曲も本当に素晴らしいです。天賦の才ももちろんとして、几帳面な性格をそのまま反映している部分もあるんじゃないかなぁ。
「真面目で几帳面なジュリー」「陽気で無頼なジュリー」、この2面を同じように感じられる「EDEN」のヴォーカル・・・貴重な名曲だと思います。

『TRUE BLUE』はキャリアの長いジュリーファンの間では「CO-CoLO期ならこれ!」と仰る先輩も多く人気が高いようです。しかし、少し前の僕がそうだったように新規ファンの評価は今ひとつのような。
多くの人の再評価を望みたい名盤。特に・・・苦境に挫けそうな時、「EDEN」は効きますよ!


さて、ジュリー自身も「EDEN」はアルバムの中で特にお気に入りの曲のようで、ラジオでは「い~でん」の話をしてくれたり、「ぼんやり、のんびり」な雰囲気もジュリーの性に合っているんだな、と感じます。
でも、あくまでシングルとしてもB面曲ですから夏からのツアーで歌われることはなさそう。いつか生で聴ける日は来るのでしょうか。

アルバムからの「シングル」となるとタイトルチューンの「TRUE BLUE」。こちらはどうでしょう?
う~ん、50曲のセットリストの中に噛み込むのは厳しいかな~。待ち望んでいるファンも多いと思うし、是非柴山さんのアコギで聴いてみたいものです。


それでは、オマケです!
時期としては1年前の資料ということになりますが、『不協和音』Vol.6から、CO-CoLO各メンバーの貴重なインタビューをどうぞ~。


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では次回更新はいよいよ今年の新曲です!
さすがに新曲についてはじっくり腰を据えて考える時間が必要で、ハイペースでの更新とはいきません。かなりお待たせしてしまうかと思います。

その間のお留守番画像として、今日のお題「EDEN」の歌詞にあやかった若き日のジュリーのショットを3枚、最後に置いておきますね。



Pic0013

ぼんやり♪


Paper263

のんびり♪


005

でもイカしてる♪


アマゾンさんに予約しておいた『ISONOMIA』が、今年は発売日に先んじて今日届けられました。
でも、ここはじっと我慢・・・封を切り歌を聴くのは明日「3月11日」になってからにしたいと思います。

それではみなさまもご一緒に、これからしばしの新曲どっぷり週間といたしましょう!

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