2022年5月20日 (金)

沢田研二 「WHEN THE LIGHT WENT OUT」

『FOREVER ~沢田研二ベスト・セレクション』収録
original released on single、1976 UK

Forever
side-A
1. 危険なふたり
2. 立ちどまるな ふりむくな
3. 巴里にひとり
4. あなただけでいい
5. 君をのせて
6. ある青春
side-B
1. 時の過ぎゆくままに
2. 許されない愛
3. あなたへの愛
4. 魅せられた夜
5. 今 僕は倖せです
6. 追憶
side-C
1. ウィンクでさよなら
2. 恋は邪魔もの
3. 燃えつきた二人
4. 胸いっぱいの悲しみ
5. 死んでもいい
6. 白い部屋
side-D
1. 悪い予感
2. WHEN THE LIGHT WENT OUT
3. ELLE
4. 愛は限りなく
5. 絆(きずな)

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ご無沙汰しております。
みなさま、ジュリーの全国ツアー『まだまだ一生懸命』先行発売争奪戦はいかがでしたか?

まぁまぁ関東中心圏のはずの我が家にインフォが届いたのはギリギリの発売前日金曜でしたが、ジュリーファンの情報網のおかげで事無きを得、前々日までには音楽仲間を動員した争奪戦の段取りを組めました。
結果僕は(自力ではありませんでしたが)7月の渋谷と11月のフォーラムを無事確保し、この購入システムとなって以来初めて、先行受付終了後日を安心して過ごすことができています。

「ツアー初日の渋谷」という大激戦のチケットを僕の分も一緒にとってくれた友人の佐藤哲也君(彼1人だけが渋谷に繋がりました)は、過去ジュリーLIVE3回参加の新規ファン。彼は今年お正月の渋谷も自力でゲットし参加していました。そして、あの怒涛のセトリにまんまと「完オチ」してしまったという流れで、今回の争奪戦は相当気合が入っていたようです。
今回僕はその恩恵にあずかることができました。

一方で希望会場の先行チケットがとれなかった、という方も多くいらっしゃるでしょう。
みなさまにおかれましては、一般発売等での今後のご健闘をお祈り申し上げます。


さて僕はそのチケット先行販売の翌日、スタッフとしてお手伝いさせて頂いた『PEEが奏でる「四谷左門町LIVE」』で無事任務を完遂、公演は盛況に終わって正にホッとひと息、という状況。
ブログ更新の時間がとれる日常に戻りました。

左門町のピーさんのLIVEについては、来月半ばくらいに満を持して長文記事をupする予定です。
ひとまず今月~来月上旬は更新復活の肩慣らしとして、『まだまだ一生懸命』セトリ予想とはまったく関係してこないであろうジュリーの隠れた名曲をお題に、短めの文量で書いていこうと思っています。

今日は「WHEN THE LIGHT WENT OUT」です。
どうぞよろしくお願い申し上げます。


デビュー以来、ジュリーが音楽的にも流行を常に先取りしセールスをリードしてきたことはご存知の通り。
ただそんな中、個人的に「むしろあと1年か2年リリースが遅かったら大ヒットしていたのでは?」と思える(一般的には)マニアックなジュリー・シングルが2曲あります。
いずれも「少しだけ時代を先取りし過ぎた」「1、2年後のリリースなら、世間の音楽流行にバッチリ嵌った」と考える完璧な名曲なのです。

ひとつは「muda」。
ブラス・アレンジを効かせたファンク・ロックで、シングル・リリース当時世間では、米米CLUBが「KOME KOME WAR」や「FUNK FUJIYAMA」のヒットで「和製ファンク全盛」を予感させていた時期だったのですが、同バンド「浪漫飛行」の爆発的大ヒットや、「イカ天」でのフライング・キッズ等フォロワー・バンドの登場による「一般リスナーもファンクに親しむ」ムーヴメントまでには至っておらず、最高にファンキーなジュリーの「muda」は「知る人ぞ知る」名曲に終わりました。
「たられば」の話をしてしまうと、これが「DOWN」くらいの時期にシングル・リリースされていたら、セールスも突き抜けていたと思うんですよねぇ。

そしてもう1曲がズバリ今日のお題「WHEN THE LIGHT WENT OUT」です。
76年イギリス発売のシングルですね。
こちらは日本ではなく海外セールスの話になりますが、状況は「muda」のケースとよく似ているのです。

「WHEN THE LIGHT WENT OUT」は明らかに、74年あたりからじわじわと世界的流行の兆しがあったディスコ・サウンドを意識して作られています。

75年にあのビージーズが「ジャイブ・トーキン」「ブロードウェイの夜」でシングル・ヒット連発。これによりビージーズはその後完全にディスコ路線へとシフト、76年には「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」が大ヒットしました。
「WHEN THE LIGHT WENT OUT」を盟友・YOKO君に初めて聴かせた際、彼が「ビージーズのアルバム『チルドレン・オブ・ザ・ワールド』(「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」収載)を思わせる名曲」と言ったのは僕もまったく同感で、ビージーズのアレンジをさらにソリッドに、さらにゴージャスに進化させた完璧なアレンジ、演奏、ヴォーカル(ジュリーのテンションは英国リリース曲の中で最も高いです!)だと思っています。

ただ、「愛の逃亡者」の見事なリベンジとなる筈だったジュリーのイギリス戦略、このシングルは2年ほど「早過ぎ」ました。
と言うのも「一般ピープルをも巻き込んだディスコ・サウンドの世界的ブーム」到来までには、翌77年末公開の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(トラボルタ主演、主題歌はこれまたビージーズの「ステイン・アライブ」)の爆発的ヒットを待たなければならないからです。

僕は『サタデー・ナイト・フィーバー』を全編通して観たことがないですし、その後の空前のディスコ・サウンド・ムーヴメントにもさほどの思い入れは持ちませんが、その流行なくしてストーンズの「ミス・ユー」(78年)やウイングスの「グッドナイト・トゥナイト」(79年)、キンクスの「スーパーマン」(79年)といった大好きな曲が生まれ得なかったことは理解しています。
ちなみにジュリー・ナンバーで言えば、「アメリカン・バラエティー」(「WHEN THE LIGHT WENT OUT」と並ぶジュリーのディスコ・ロック2枚看板)、「サンセット広場」(阿久さんの歌詞に「トラボルタ」「フィーバー」のフレーズが登場)という大名曲も生まれてはいなかったはず。
決して軽視してはいけないムーヴメントなのです。

もし「WHEN THE LIGHT WENT OUT」が78年リリースだったら、これほどの完成度を誇るディスコ・サウンド・シングルを、英国チャートは放っておかなかったでしょう。
フランス以上の成功も夢ではなかった、と考えるのですがいかがでしょうか。


後追いファンの僕はこの曲を、以前に大分の先輩から授かったカセットテープ(ジュリーの海外シングル曲を編集して作ってくださったもの)で初めて聴きました。
本格ジュリー堕ち後数年が経った頃で、「まだこんな未知の名曲があったのか!」と驚いたものです。

ジュリーのヴォーカルはもちろん、演奏のグルーヴ(特にベースが凄い!)、ホーン・セクションのミックス・バランス、意表を突くエンディング・・・どこをとっても完璧。しかもB面「FOOLING AROUND WITH LOVE」がまたディスコ・サウンドならではの素晴らしいソウル・バラード、ときています。
こんな名シングルが広く知られずにいるのも逆にジュリーの偉大さなのでしょうけど、現在普通に音源購入できないのは本当に勿体無い話ですよね。

「ELLE」「ROCK'N ROLL CHILD」等も併せ、『ジュリー海外シングル・コレクション』発売を切に希望します。


それでは、オマケです!
記事お題「WHEN THE LIGHT WENT OUT」と76年繋がりということで、福岡の先輩よりお預かりしている『ヤング』バックナンバー、76年2月号からどうぞ~。

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「2月号」ということは、先輩方がこれをリアルタイムで手にされたのは1月半ばくらいなのかな。
となると、LIVEはもちろんとして、みなさまは「もうすぐ公開」の
ジュリー主演映画『パリの哀愁』を楽しみに待っていらした時期?

そして現在・・・映画と言えば『土を喰らう十二ヶ月』のヴィジュアルが出ましたね!
公開の11月には『まだまだ一生懸命』ツアーで東京、奈良、京都の公演があります。MCで「もう観てくれた?」なんて話が飛び出すのかなぁ?
ジュリーファンにとって楽しみな秋になりそうです。


それでは次回更新は来月頭、ジュリー・ナンバーにお題を借りたゆる~い「旅日記」になると思います。

多忙そして人出の心配もあって、我が家はゴールデンウィーク中おとなしく過ごしました(1日だけ、ジュリー道の師匠の薫陶を受けに都内に出かけて、「ツアーの情報、まだですかねぇ」とかお話ししてました笑)。
その代わり、人出の少ない時期を狙って来週の土日にコロナ前以来となる夫婦旅行を計画しています。
もちろん油断はせず感染対策は万全に。
新潟の上越市というところに行って、上杉謙信公のパワーを貰ってきます!

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2022年4月20日 (水)

ザ・ワイルドワンズ 「ムーンライト・カクテル」

from『ON THE BEACH』、1981

Onthebeach

1. 白い水平線
2. ムーンライト・カクテル
3. ロング・ボード Jive
4. Dreamin'
5. 海と空と二人
6. 想い出の渚
7. 白いサンゴ礁
8. 夕陽と共に
9. 海は恋してる
10. 青空のある限り
11. 空に星があるように
-bonus truck
12. 雨のテレフォン
13. モノクローム

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今日は加瀬さんが旅立たれてから丸7年・・・毎年思うことですが、本当に早いものです。 

拙ブログでは毎年4月20日、ワイルドワンズ・ナンバーのお題記事を加瀬さんに捧げると決めています。
今年の更新に備えて購入したアルバムは、1981年リリースの『ON THE BEACH』。

ワンズの再結成については79年にシングル、アルバムのリリースがありますけど、後でご紹介する植田さんのインタビューを読むと、この『ON THE BEACH』製作から本格的に再結成、という認識のようです(記事タイトルは「ザ・ワイルドワンズ」としましたが、ここでの正式なバンド・クレジットは「加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ」)。

現時点で一番気に入っている、2曲目収録の「ムーンライト・カクテル」をお題に選びました。
今年もよろしくお願い申し上げます。


最初に『ON THE BEACH』というアルバム全体について、僕自身の勉強も兼ねて書いていきましょう。

まだまだワイルドワンズ白帯を自覚している僕が、今回まったく初めて聴いた1枚。
有り難いことに付属のブックレットには植田さんのインタビューが載っていて、リリース当時のことを詳しく語ってくださっています。
まずはそちらをお読みください。

Onthebeachcd2
Onthebeachcd3

※ 文末に記された年月日をご覧ください。CD再発に寄せて植田さんがこのインタビューを受けたのは、加瀬さんが旅立たれるほんのひと月前なのです・・・。言葉もありません。

僕としても「再結成間もないワンズってどんなだったんだろう?」と興味を惹かれ購入したわけですが、植田さんのインタビューを読みながら音を聴きはじめて、2曲目の「ムーンライト・カクテル」Aメロにさしかかったあたりで「あっ!」と思いました。
そうか、ワンズの再結成は単にGS回帰ブームの産物だっただけでなく、81年と言う時代がこのバンドの特性、音を求めたのだ!と。

植田さんの言葉にある通り、本格的な再結成の気運は日劇がきっかけだったでしょう。タイガース同窓会もそうですしね。

しかしそこに加えて、業界全体が彼等の個性を放っておかなかった、と想像します。
81年と言えば、大滝詠一さんのアルバム『A LONG VACATION』が大ヒットし、ナイアガラ界隈に留まらず邦楽界にマリン・サウンド、ビーチ・サウンドの一大ムーヴメントが起こっていました。
広義にはシティ・ポップの火付け役ともなったそのサウンド・ムーヴメントは、目利きの音楽人達がかつてのGSの雄・ワイルドワンズに抱いていたイメージとピタリ重なったのではないでしょうか。
植田さんが語る「オファーが増えた」大きな要因はそこでしょう。

『ON THE BEACH』はCDで言うと1~5曲目までが新曲、6~11曲目までがGS時代の名曲のリメイク&カバー曲という構成(12.、13曲目は同年シングルAB面をボーナス収録)。

Onthebeachcd1

新曲に着目すると(LPA面?)、もちろんオリジナルについては全曲加瀬さんの作曲で、1、2曲目の作詞が松本隆さんです。

松本さんは言わずと知れた『A LONG VACATION』の実質的なコンセプター。
新曲の中で、「ムーンライト・カクテル」は特に『A LONG VACATION』っぽくて(「カナリア諸島にて」に近いと感じました)、ワンズが以前から持っていたビーチ・サウンドの魅力を、ちょっと大人びたハイセンスな洒落っ気のあるアレンジとエフェクトで仕上げる手法です。
これこそ、時代が新生ワイルドワンズに求めた音だったんじゃないかなぁ。
(ワンズのこの路線は、CDではボーナス・トラック収録の同年末シングル盤「雨のテレフォン/モノクローム」に受け継がれ、『A LONG VACATION』をモロに意識したセンドリターンの深いディレイ処理を楽しめます)。

ちなみにアルバムの3曲目が植田さんの詞で、4、5曲目は三浦徳子さん。
僕は常々、ジュリーの『S/T/R/I/P/P/R』(81年)と『A WONDERFUL TIME.』(82年)での加瀬さんのプロデュースの大胆な変貌を安易に「邦洋問わず音楽の流行に敏感な加瀬さんが、パブ・ロックからシティ・ポップスへとシフトさせた」と考えていましたが、間にワイルドワンズの『ON THE BEACH』を挟むと、それが加瀬さんにとって自然な流れであったことが分かります(『WONDERFUL TIME.』ではなく『A WONDERFUL TIME.』っていうのも今にして考えれば・・・とか)。
日劇からの道程で80年の『G. S. I LOVE YOU』含め、一貫して三浦さんが噛んでいることや、銀次兄さんの尽力(『ON THE BEACH』では全曲のアレンジを加瀬さんとともに担当)など、その人脈からもジュリーの歴史と同時進行的に深い関わりを持つワイルドワンズの名盤、僕は本当に知るのが遅れたなぁと今思っています。

さて、僕が『ON THE BEACH』の中で「ムーンライト・カクテル」を特に気に入り今日のお題としたのにはまた別の理由もあります。
僕はワンズのことを2010年のジュリーWithザ・ワイルドワンズ結成きっかけで知っていきましたから、出発点であるジュリワンのアルバム、ツアーには今でも深い思い入れを持ちます。
「ムーンライト・カクテル」は、そのジュリワンにも繋がる曲だと感じたのですよ。

アルバム『JULIE WITH THE WILD ONES』の中で抜きん出て好きな曲が「プロフィール」(しかもこの曲、年齢を重ねれば重ねるほど沁みる!)。
「SUNSET OIL」なる作詞・作曲クレジットの謎は未だ解けないままですけど、鳥塚さんからジュリーへとリレーするヴォーカル、植田さんの絶妙なコーラス・・・僕にとっては「聴くと元気が出る歌」長年不動の第1位。
そう言えば2010年にNHK『SONGS』で「プロフィール」が採り上げられた時、柴山さんの鬼のアコギ・ストロークを観て僕は「これは”さらばシベリア鉄道”だ!」と盛り上がったっけ。これでジュリワンと『A LONG VACATION』も繋がった!(強引)

で、「ムーンライト・カクテル」の歌詞には「プロフィール」というフレーズが登場します。

籐椅子に もたれる君の プロフィール ♪
G7    C             Bm      Am7 D7   G

鳥塚さんの声で「プロフィ~ル♪」と歌われるだけで僕は萌えてしまうわけで。

あと、Aメロのコード進行に注目。

月灯りで洗うような濡れた瞳哀しく ♪
    G           Gaug         G6      G7

上昇型のクリシェ(和音の中の1つの音だけを変化させてゆく進行)です。
このポップな手法は世の楽曲に多く例があり、ジュリー・ナンバーでパッと思いつくだけでも「I'M IN BLUE」「単純な永遠」「失われた楽園」「Fridays Voice」「ロイヤル・ピーチ」等で採用されていますが、今は『JULIE WITH THE WILD ONES』の話をしていますから、この曲を挙げないわけにはいかないでしょう・・・。
ズバリ、「渚でシャララ」。

傷つけあうより ホホエミえらんで ♪
 G        Gaug       G6             G7

(「渚でシャララ」のオリジナル・キーはイ長調ですが、ここでは「ムーンライト・カクテル」と比較しやすいようにト長調に移調し明記しています)

加瀬さんがジュリワン本気のプロモーションに向けた看板シングルの「渚でシャララ」を作曲しながら、「そう言えばこのパターン、昔ワイルドワンズでもやったっけ」なんて考えていらしたかどうか・・・楽しく妄想できます。


僕は確かにワンズについては後追いも後追い、少しずつ勉強している最中ではあるんですけど、『ジュリー祭り』以降ジュリーのLIVEに通い続けて特別に心に残っている公演は、『ジュリー祭り』を別格とすると、2010年のジュリワン八王子、2015年の『こっちの水苦いぞ』ツアー・ファイナル(東京国際フォーラム)の2本が突出しています。
いずれも「加瀬さんへの思い」抜きには語れないステージなのです。
アルバム『ON THE BEACH』は、「ムーンライト・カクテル」のジュリワンへの繋がり、さらにはそのジュリワン・ツアーで何度も生体感した「白い水平線」も収録されていて、僕の個人的な加瀬さんへの思いを甦らせてくれた名盤でした。

ワイルドワンズは翌1982年、『ON THE BEACH '82』というアルバムをリリースしているようで、こちらも近々に購入したいと思います。
さらに、じゃあ『ON THE BRACH』に先んじて79年にリリースされているアルバム『アンコール』は一体どういった経緯で?ということも僕はまだ知りません。もしかするとCD再発盤ならばそのあたりを解説するライナーがついてるかも・・・これまたいずれ購入しなければ。

加瀬さん。
僕の「ワイルドワンズ探究の旅」は、ゆっくりですがこれからも着実に進んでゆきます!

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2022年4月 8日 (金)

沢田研二 「痛み」

from『TRUE BLUE』、1988

Trueblue

1. TRUE BLUE
2. 強くなって
3. 笑ってやるハッ!ハッ !!
4. 旅芸人
5. EDEN
6. WALL IN NIGHT
7. 風の中
8. 痛み

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僕は今年も5月15日に開催が決まっているピーさんの四谷左門町LIVE(年長のタイガースファンの友人であるYOUさんが毎年主催)をお手伝いするので、今かなり忙しくしています。
例の尿管結石騒動で準備作業中断期間もあったため、現在急ピッチで追い込みをかけているのですが・・・。

ウクライナの惨状、そして当たり前のように侵略、虐殺がまかり通っている酷い現状をニュースで見聞きするうち、やはりこの曲は今採り上げなければ、との思いに駆られました。
急遽、更新いたします。


「80年代ジュリーの祈り歌アルバム」と言ってもよい名盤『TRUE BLUE』。

確か『OLD GUYS ROCK』ツアーの和光市公演で、開演前にたまたま近くの席の先輩お2人がこのアルバムについて「当時はピンと来なかったけど、今聴くとすごくいい」とお話されているのを耳にしました。
僕はリアルタイムのファンではないけれど、その先輩方のお話がよく分かるような気がします。

『ジュリー祭り』後、怒涛のように未聴のジュリー・アルバムを聴いていった僕も、当初『TRUE BLUE』は地味な印象が拭えずほとんどリピートしていませんでした。遅ればせながら再評価し大好きな1枚となったのは、ジュリーが『PRAY FOR EAST JAPAN』の歌作りにシフトしてからのことです。
『TRUE BLUE』って、近年のジュリーの創作姿勢と不思議にリンクする名盤なんですよね。

お題の「痛み」はジュリー自身ではなく松本一起さんの作詞ですが(作曲は篠原信彦さん)、以前「WALL IN NIGHT」の記事に書いたように、僕には『TRUE BLUE』ラスト収録の3曲(「WALL IN NIGHT」「風の中」「痛み」)には共通のコンセプトがあるように思え、特にジュリーの「祈り」を強く感じます。

とは言え、歌について感じること、歌詞解釈はその時々で違っていて。
例えば「WALL IN NIGHT」の記事を書いた時僕は『PRAY FOR JAPAN』と結びつけるようにして上記3曲の流れを聴いていました。
それが今は・・・。
僕には「痛み」がまるで独裁者を糾弾し憐れむような歌のように聴こえています。

人は欲望だけ追いかけて
   C  D        G         E7

人は自分のため武器を持つ
   C     D        G         Em

誰一人として他人の幸せ
     C       D       G   Em

奪う事なんてできないのに何故
     C       D         G         E7

僕は普段、文中で歌詞引用する際は最後に「♪」をつけるのですが、2012年以降のジュリー・ナンバーにはそれを躊躇われる歌が多くなってきました。
今回の「痛み」でも同じ感覚を持ったのは、それがジュリーの「祈り歌」の特性だからかもしれません。

以前「un democratic love」の記事を書いた時に僕は「反日」の謗りを受けた経験があります。
これは本当に遺憾も甚だしいのですよ。自分の愛国心は相当なものだ、と自覚していますから。
同性の友人に政治的な考え方が違う人が多く、それでも親しく時に彼等と闊達に議論ができるのは、大げさに言えばお互いの「憂国の士たらん」とする志を認め合っているからです。

ただし僕は愛国であっても、「選民思想」を持ったことはありません。
日本民族が他民族より優れているとか、特別に選ばれた民族であるとは思っていません。我が国の歴史を重んじ誇りを持つことと、倨傲・大風な優越感に取り憑かれることはまったく別、という考えです。

どの国どの民族であっても、「我が民族は特別だ」との思想は結局それを掲げる個人の「自分は特別だ」に帰結する危険が高い・・・もちろんそれも人にはよるでょうが、選民思想というのは結局個人のコンプレックスから来るものなのだろう、と思っています。
いえ、コンプレックスを持つこと自体は悪いことではありません。
プーチンは身体が小さい方だったからこそ柔道に打ち込み「柔よく剛を制す」を会得したと言います。
そこまでは良い、むしろ素晴らしい。

しかし権力者となり長期政権の保身に走り選民思想を掲げる独裁者となった今。

此の世に一人で生まれてきたけど
        C       D         G         Em

誰でも一人で生きてはゆけない
      C      D         G         Em

「自分は特別」に帰結した者は「最終的には自ら以外を殲滅してしまい世界にたった1人とり残される」愚かな運命の歩みに気づけないのでしょうか。

夜明けを忘れて
G

世界は幕切れに向かう
G                  D7

そうなる前に、今すぐ戦争を止めること。
彼がウクライナ、ロシア双方の民の痛みを知り、引き返すための選択肢はそれしかありません。


最後に、「痛み」の音楽面について少し。
ト長調の王道進行によるバラード。このメロディーならばラヴ・ソングとの相性の良さを考えますが、そこに意外や痛烈な詞が載せてくる手法、これまたジュリー近年の「祈り歌」との共通点と言えるかなぁ。
アルバムがジュリーのセルフ・プロデュースですから、そのあたりの狙いも松本さんと打ち合わせがあったのかもしれませんね。

僕はよくジュリーナンバーの「詞曲の乖離」パターンでの逆説的な素晴らしさを書くことがありますけど、そもそもこの手法は歌い手の力量が無いと成立しないと思っています。

「痛み」に限らずアルバム『TRUE BLUE』を通してのジュリー・ヴォーカル・・・聴くたびに、後追いファンの僕は前作『告白-CONFESSION』から後作『彼は眠れない』までの3枚がたった3年(1年おき)にリリースされているという事実に驚かされます。

佐野元春さんが確立し大沢誉志幸さんなど幾多のヴォーカリストも踏襲、和製ロック界を席巻していた「ら行」「た行」のイングリッシュライクな発音・発声に挑んだ『告白 CONFESSION-』。
イカ天ブームに沸くセールス戦略の最中、吉田建さんをプロデュースに迎え「本物の実力」で切り込み多彩な表現を駆使した『彼は眠れない』。

その2枚の間にあって、まるでロックなテクニックに一切執着など無いかのような「歌」声でリリースされた『TRUE BLUE』の存在は光ります。
もちろん前後2枚でのジュリーのヴォーカル・テクニックは素晴らしい。しかし、じゃあジュリーの声や歌の本質の姿は?と問われれば、『TRUE BLUE』のヴォーカルの方だと思うんですね。

「痛み」のメッセージは、そんなジュリーの声で届けられるのです。
このヴォーカルでなかったら、コーダ部で大胆にバンドのインストに転換させたり、エンディングにS.E.を配するアレンジ・アイデアも単に奇をてらったように聴こえてしまうかもしれません。


間違いなくウクライナのことが関連していると思いますが、アクセス解析を見ると拙ブログでは先月から「脱走兵」(act『BORIS VIAN』)の記事が、特にジュリーファンではない一般の方々からも多く検索され読まれているようです。
世にある様々な反戦歌が今、再評価、再認識される動き・・・その一例なのでしょう。

ブログに来訪してくださった一般のみなさまにも、この機にジュリーの「痛み」という歌を知って頂ければ・・・と、切に思っています。

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2022年3月25日 (金)

沢田研二 「護り給え」

from『告白 -CONFESSION-』、1987

Kokuhaku_20220325094801

1. 女びいき
2. 般若湯
3. FADE IN
4. STEPPIN' STONES
5. 明星 -Venus-
6. DEAR MY FATHER
7. 青春藪ん中
8. 晴れた日
9. 透明な孔雀
10. 護り給え

-----------------

ようやく尿管結石が治まり(CT検査ですべての石の排出を確認)、復活いたしました。
腎臓内にはまだ予備軍の石が残っていますから今後再発の怖れもあれど、痛みも熱も無い平凡な日常をひとまず取り戻しました。
発症から1ヶ月・・・同時に2個の石が尿管に落ちたため、通常より長い闘病となったようです。

いやぁ年が明けて1月からバタバタし始めて、2月3月と酷い目に逢いましたよ・・・。

まず1月中旬、勤務先でコロナ陽性者が出てしまいましてね。結局2部署で各1名、計2名の陽性に留まりはしましたが、1人は再度の検査で陰性となったり、色々と分からないことも多くて。

僕の立場で一番大変だったのは、会社として保健所や得意先とやりとりして様々な対処をしなければならなかったことです。
感染者に落ち度があるわけでもなく、とにかくこのコロナという奴自体が迷惑この上ない!
保健所経由で国が定めた菌の付着期間を聞くと、プラやビニールが80時間、ダンボールは24時間って・・・ダンボールについてはいかにも経済流通に気を遣ってそうな甘い感じで、疑問を持ち出すとキリが無いんです。
ですから最終的には対象問わず社員総出で徹底的に消毒作業する、という方法をとるしかありませんでした。大変だった・・・。
もちろん僕も含めて、社員はすぐに抗原検査を受けました。陰性判定とは言え、僕としてはちょうどその週末にジュリー渋谷公演というタイミングの出来事だったわけで、2月の瞳みのる&二十二世紀バンドの箪笥町公演も併せてさすがにLIVE参加は自粛せざるを得ず・・・本当に無念の欠席となりました。
なにより僕のために渋谷のチケットを探してくださっていたみなさまにはご迷惑、ご心配をおかけしてしまいました。この場を借り心より御礼、お詫びを申し上げます。

幸い僕はツアー初日のフォーラム公演には参加でき、ジュリーの新生バンドお披露目には立ち会うことができました。
今回はそれで満足としなければならないでしょう。

さて、その後の尿管結石騒動については本文で触れることとしまして(笑)、今日は本当に遅くなりましたがジュリー『初詣ライブ』振り返りも兼ねての更新です。

セトリ1曲目の「護り給え」を記事お題に選びました。
理由は、セットリストの中で唯一僕のLIVE初体感ナンバーだったことと、過去に書いたお題記事が特殊な内容で、楽曲考察に触れていなかったこと。
そして、僕自身が今回の闘病生活で色々と考えさせられたタイミングの1曲であったこと。
この機に「護り給え」という隠れた名曲を改めて採り上げます。よろしくお願い申し上げます。


①80年代ジュリーの「祈り歌」

今回のセトリ、2011年の大震災を受けて『PRAY FOR EAST JAPAN』(のちに『PRAY FOR JAPAN』にシフトして以降のジュリー・ナンバーが「核なき世界」1曲のみというのは意外に思いました(でも、オリジナル音源時点でギター1本体制のこの曲をバンドで披露してくれたのですから、それだけで濃密な『PRAY FOR JAPAN』の印象は残ります)。
そのぶん、冒頭の2曲「護り給え」「神々たちよ護れ」は『初詣ライブ』における「祈り歌」の括りと考えて良いでしょうね。

ジュリーの「祈り歌」は自分のためだけの祈りではない・・・もっと言うと「他者の苦難のために祈る」コンセプトの含みが重要なのかなぁと思います。
「護り給え」では例えば

愛を彼岸に  送り給え ♪
C  D    G  Em   Am7  D7  

このあたりの歌詞部で僕はそれを感じます。

実は前回「護り給え」の記事を書いた時にも同じような心境になったのですが・・・僕は2月14日の明け方に突然尿管結石を発症。
痛い痛いとは聞いていたけど想像以上の痛みにのたうち回り、救急車のお世話になってしまいました。
尿管に2個落ちた石のうち1個は2週間後に落ちて(トイレで「カタン!」と音がしたので分かりました。空き缶と空き缶が軽くぶつかるような独特の音でしたな~)、痛みも一時消えたので「やれやれ」と思ったのもつかの間、数日後には残る1個がまた暴れだし激痛が復活、さらに腎盂腎炎も併発して高熱が続き一時はどうなることかと思ったのでした。

で、そんな苦しみの中で僕はまず、ただひたすら自分自身のためだけに「どうにかしてくれ」「助けてくれ」と祈っていたのです。
そんな時起こったのが、あのロシアによる(と言うかプーチンによる)ウクライナ侵攻。
たかだか数ミリの石の痛みなど、戦争に巻き込まれる人々の苦しみに比べていかほどのものなのか、と。

当初から次の記事お題と決めていた「護り給え」を繰り返し聴くたびに僕はそんなことを考え、今もとにかく彼の地の平和を祈り続けています。

現在の世界情勢を受けてジュリーはこれから『PRAY FOR THE WORLD』(または『PRAY FOR THE EARTH』)へと進むような気がします。
いつなのかは分からないけれど、新譜もまたきっとリリースしてくれるはず。その内容は間違いなく「祈り歌」なのでしょうし、僕らファンが歌を受けとめて考えることも今まで以上にシリアスになってくるのでしょう。

さて、記憶があやふやなんですけど、遅れてきたジュリーファンの僕は「護り給え」という曲をオリジナル音源(ただし正規のCDではなく先輩からアルバム音源のみを授かったもの)とほぼ同時にDVD『ワイルドボアの平和』で知ったんじゃなかったかな。
2009年だったと思います。

あの頃はとにかく85~94年のジュリーのアルバムはどれも入手困難でした(今はめでたく再発され、僕も正規品で揃えることができています)。
ですから後追いファンにとって「貴重な未知の楽曲」はそれだけで魅力的、LIVE映像ヴァージョンの存在は嬉しかったですね。

『ワイルドボアの平和』ツアーは2007年で、今回15年ぶりのセットリスト入りということになりますか。
そこで、15年前の映像と『初詣ライブ』の体感記憶を比べてみることにしましょう。

『ワイルドボアの平和』は決してド派手なセットリストではないものの、個人的にかなり好きなツアーDVD作品のひとつです。購入当時、ちょうど鉄人バンドへの特別な思い入れが芽生え始めていたことが大きいのですよ。
2007年の時点ではバンド名称こそ無いものの、メンバーは同じですから。
セトリも「坂道」或いはPYGの「淋しさをわかりかけた時」などレア曲が採り上げられていますしね。

加えて、新規ファンの僕にとっては「護り給え」も新鮮なレア曲だったというわけです。

今観返してみると、ここでの「護り給え」は2012~15年の鉄人バンドのステージを彷彿させる「祈り歌」であり、ツアー・タイトルの「平和」を象徴する1曲だでもあったのかなぁと考えます。

一方『初詣ライブ』。
ステージにドラムセットがあるだけで開演前からワクワクしていて、いざ1曲目。すわさん達のコーラスから始まってね・・・バンドサウンドを待ちわびている僕らお客さんは、まぁ焦らされる焦らされる(笑)。そしていよいよ平石さんのドラムがバ~ン!と噛んできた時の感動!

ポイントは、最初のコーラス・ワークがオリジナル音源や『ウィルドボアの平和』ヴァージョンには無い、新生バンドによる特別なアレンジであったこと。
イントロ数秒まで僕は、同じ8分の6のワルツでコーラス・ワークから始まる「Pray~神の与え賜いし」かと思って聴いていたくらいです。

「護り給え」のような曲で久々のバンド復活を味わえたというのは、のっけからロック全開!という曲よりむしろ効果的だったんじゃないかなぁ。
もちろんオープニングの祈祷を受けて1曲目に配したジュリーのコンセプトだったとは思いますが、サウンド面としても憎い選曲でした。

さぁこうなってくると、「TRUE BLUE」はいつ来る?などと僕は考えてしまいます。
「TRUE BLUE」に限らずとも、特に『告白 -CONFESSION』と『TRUE BLUE』のCO-CoLO期アルバム2枚は「80年代ジュリーの祈り歌」の宝庫です。
今回の「護り給え」が、そうした名曲達をジュリーがこれから少しずつバンドのLIVEで歌ってゆく・・・その幕開けであらんことを、と僕は勝手に期待しているのです。


②新生バンドは『七福神』?

それでは、ここから『初詣ライブ』振り返りです。
今回は何と言っても久々のバンドスタイル、楽しみにしていた以上に脳も身体もシビレ圧倒される、素晴らしいステージでした。
立ち位置は下手側から依知川さん、高見さん、平石さん、柴山さん、すわさん、山崎さん、斎藤さんで、ジュリーを半円形で7人のメンバーが取り囲むような感じ。
絵としては、柴山さんとコーラスのお2人が高い位置にいるのがポイントかな。いやぁ豪華です。

ジュリーはMCで「バンド名をつけることはまだ決めていない」と語ったそばから「七福神」とか「ウルトラセブン」とか「七草」(初日フォーラムは1月7日公演でした)とか冗談交じりにバンド名の候補を挙げていましたが、個人的には「七福神」に1票!

まず意外だったのは、すわさん&山崎さんが文字通りの「コーラス隊」に徹していたこと。
特筆すべきは「恋のバッド・チューニング」でしょう。僕はこれまでこの曲を2015年「KASE SONGS」オンパレードとなった『こっちの水苦いぞ』ツアーで体感していました。しかしあの時ジュリーは「バッ、チューニン、バッ、チューニン♪」のコーラス・パートを歌っていたんですね。
今回そこは当然すわさん達がやってくれますから、本来の主メロである追っかけの「バッ、チューニ~ング♪」をジュリーが歌うことができたのです。
これは本当に良かった!

僕の貧弱な予想に反し、ジュリーは「コーラス隊がいるから」というセトリ構成には拘らず、これまで通りその時その時での自然なチョイスに2人をチャレンジさせる、という手法をとったようです。
この先どんな進化が待っているのか、楽しみです。

楽器陣はね、良い意味でこんな個々重視のバンド・スタイルはジュリーも初めてなんじゃないかな。
それぞれが思うようにやってよ、みたいな話があったのかどうかは分かりませんけど、オリジナル・フレーズに忠実な柴山さんと斎藤さん、自由な解釈で楽曲イメージを一新させる高見さんと平石さんと真っ二つに分かれていたのがスリリングでしたね~。
依知川さんが「さて俺はどっちについたものか」とでも言いたげにニコニコしながら全体のバランスをとっていたり、演者1人1人の嗜好がよく表れていたと思います。

キーボードの斎藤さんは、音色まで含め「完コピ」の職人でした(柴山さんの場合は曲によってフレーズが同じでも音色は違うことがあります)。
「憎みきれないろくでなし」「ポラロイドGIRL」などは複数のパートが入り組む状態で完璧にオリジナルのフレーズ、音色を再現してくれますから、ファンとしては抜群の安心感があります。
少しだけフレーズを変えてくるのがピアノ・パートの時(ピアノは専用の別鍵盤を用意されていましたね)。入魂の音符足し!といったところでしょうか。
「サムライ」のピアノ・ソロなどは、みなさまも強く印象に残ったでしょう。

そんな中、今回僕が推したい斎藤さんのピアノ演奏は「神々たちよ護れ」。
ビリー・プレストンかニッキー・ホプキンスか、という・・・ビートルズとストーンズ双方のピアノ・ロックを彷彿させる名演で、個人的にとても好みの演奏でした。

平石さんのドラムはポンタさん以上に「自由」でした。
昨年のセトリ予想記事で僕は「ス・ト・リ・ッ・パ・-」はドラマーによって聴こえ方が変わる稀有な曲、と書いたのですが正にそれを実感。
GRACE姉さんの「ス・ト・リ・ッ・パ・-」が

つっ、たん!つっつ、たん!

と聴こえていたのに対し、平石さんは

どんど、どんだ!どんど、どんだ!

と聴こえます(分かりにくくてすみません)。
硬めのチューニングかつPAに頼らない完全生音勝負。GRACE姉さんが楽曲を包むようなスタイルとすれば、平石さんは楽曲に切り込む感じでしょうか。
もちろんお2人ともそれぞれ逆のスタイルはできるのですが、「ジュリーLIVE」に臨むスタンスの違いが表れたのでしょう。
これはやっぱりジュリーから今回のバンド結成に際し「自由にしていいよ」とサジェスチョンがあったんじゃないかと僕は思うなぁ。
今後も平石さんの大暴れから目が離せません。

さらに「自由」と言えば高見さんのギターですよ。
平石さんと違うのは「大暴れ」ではなくこれが高見さんの「天然」なのだと(当然絶賛しているのですよ!)。
「そのキスが欲しい」のバッキングなんて、ヴァースの途中でエフェクター変えたりしてましたからね。演じながら探求していく、というのかな・・・「やっぱこっちか、うんうん」みたいな。

「LOVE(抱きしめたい)」では
「え~っ、そこでギター弾く?しかもキーボードとユニゾンと見せかけて別の拍に着地?」
というように、とにかく新鮮そのもの。
「憎みきれないろくでなし」では間奏ソロでジュリーに迫られてましたけど(堯之さんとよくやってたやつね)、高見さんはそれでもなんだか余裕、自然体なんだなぁ。なにせBARAKAの海外ツアー殴りこみに向けて「スティ-ヴ・ハケットとジャック・ダニエルが飲みたいな」と言って力みもなくほのぼのしているようなお方ですからね。
メチャクチャ魅力的なギタリストです。

依知川さんのベースは安定感、グルーヴとも期待通り・・・いや期待以上!
演奏中にBARAKAの2人に送る視線に「パイセン感」が滲み出るのも楽しかったです。
思うに「核なき世界」のバンド・アレンジをリハ段階でリードしたのは依知川さんかもしれません。ガッツリとアレンジの土台に徹していましたから・・・他メンバーの見せ場を一手に支えるようなベースライン、感服しました。

そして柴山さん。3年に渡るギター1本体制での貢献は計り知れず(LIVEのみならずCD音源も)、それは柴山さん以外の他の誰も成し得なかったことだったのだ、と改めて振り返った上で今回思ったのが、「バンドマスター」としての柴山さんは最高だよなぁと。

特に印象に残った2曲があります。
「そのキスが欲しい」で、前方にカッ飛んできての間奏ソロ部含めてまったくフレットを見ない!(すなわち笑顔を客席に浴びせ放題)とか、「A・C・B」の「うん・たん、うん・たん、うん、たんたん!」の手拍子リードとか。
こういうシーンは、やっぱりギター1本体制では見ることができなかったのです。
「永遠のバンド・キッズ」柴山さんの演奏スタイル復活は、ジュリーファンとして本当に嬉しいです。

もちろんこの「七福神(仮)」、まだまだ伸びしろありまくりです。
これからどんな進化を魅せてくれるのか・・・全国ツアーのチケットも厳しい争奪戦になりそうですが、僕としても今回参加できなかった音楽仲間(結局、佐藤哲也君が渋谷に参加できたのみ。YOKO君他数名は涙を飲みました)に「新バンド最高!」と伝えてありますし、「次こそは皆と一緒に観たい」という気持ちが強く、次の全国ツアーまで期待を膨らませて待っていたいと思います。


③ジュリー・ヴォーカルとセトリ総括

 (セトリ一覧はこちら!)

いやぁ、「怒涛」「圧巻」と表現するにふさわしい豪華セットリストでしたね。

僕のセトリ予想は当然のように外れまくりでした(辛うじて「ス・ト・リ・ッ・パ・-」と「ROCKN'ROLL MARCH」の鉄板曲だけが当たり)。
「護り給え」「神々たちよ護れ」と2曲続いた時点では「こりゃあ、いかにもお正月LIVEという感じのマニアックなセトリが来るぞ!」と思ったのですが、最初のMC以降(3曲目から)のジュリーLIVE王道ナンバー畳み掛けには息つく間も無いと言うか、圧倒されっ放しでした。
冒頭2曲+「核なき世界」以外はファンにとってお馴染みのLIVE定番曲&ヒット曲ばかり。
また(お客さんの年齢にもよりましょうが)、ジュリーLIVE初心者にとっても半分以上は知っている曲だったでしょうから、これはもう「ヒット・パレード」なステージと言ってよいでしょう。
ここまで徹底した王道セトリって、稀じゃないですか?

多くのみなさまが想像していらっしゃるように、新メンバーに「やってみたい曲」を募った結果そうなったのかもしれません(もしそうなら、「ス・ト・リ・ッ・パ・-」は平石さんのリクエストだったと思う!)。

しかし、よく考えてみますと。
今回「時の過ぎゆくままに」も「勝手にしやがれ」も「危険なふたり」も「TOKIO」も「許されない愛」も「追憶」も「ダーリング」も「ヤマトより愛をこめて」も「”おまえにチェック・イン”」も歌っていないんですね。それでも「ヒット・パレード」の説得力充分というのは・・・ジュリー、一体どれだけヒット曲を持っているのか、という話。

終演後にお会いした「はじめまして」の先輩がお話ししてくれたのですが、以前1度だけ旦那さんを誘って夫婦でLIVEに参加されたことがあったそうで、その時のセトリで旦那さんが知っていたのは「勝手にしやがれ」1曲だけだった、と。
以来、旦那さんは誘っても参加してくれないとのことで、「今回のセトリなら大喜びだったはず」とね。
もしそれが叶っていたら、きっと「今回は歌わなかった」他の有名曲を求めて次のツアー再び参加の意欲を持たれたのではないでしょうか。
僕だって、ジュリーLIVEデビューがあの『ジュリー祭り』だったからこそ本格的にジュリー堕ちして、その後ずっとLIVEに通うようになったわけで、あれが『』ツアーのようなセトリだったらどうなっていたかな・・・自信は持てないんです。

すなわち今回の『初詣ライブ』、初めてジュリーLIVEに参加したお客さん(もちろんそういう方々はいらしたでしょう)を一発で虜にした、「また来たい」と決意させた・・・間違いなくそんなセトリだったと思います。

それもこれも、ジュリーの今も変わらぬヴォーカル・インパクトあればこそ。

僕は最近、若い人達の間で「口から音源」というヴォーカリストの実力を讃える表現があることを知りました。
吉田Qさんの「夜桜デート」が今年になって突然バズり、曲のLIVEヴァージョン映像までを観た若者達の多くが「口から音源」なるコメントをYOU TUBEに残しているのです。
おそらく、オリジナル音源を聴いて歌を気に入っても、LIVEになると「あれ?」となってしまうパターンのヴォーカリストが今は多いのでしょうか。

その点ジュリーは間違いないのですね。
キーを下げている曲も中にはあったとは言え(僕は絶対音感を持ちませんが、鍵盤を上から見降ろせる2階席での参加でした)、オリジナル音源でお馴染み有名ナンバーでの、リリース当時と遜色ない声の艶。そこに加えてLIVEならではの臨場感ですから。
個人的には今回「憎みきれないろくでなし」「恋のバッド・チューニング」が双璧でした。
みなさまはどの曲のジュリー・ヴォーカルが印象に残りましたか?



さて、春を迎えるこの季節、「まん防」も解除されGWにかけて人出の増加は避けられないでしょう。
しかしこのコロナ禍、決して収束したわけではありません。たとえ重症化リスクが低くなっているとは言っても(ちなみにこうした報道で言われる「重症」なる言葉にも気をつけなければなりません。重症化率を致死率が上回っているというのが現実。酸素ボンベをしていても「重症」と呼ばなかったりしますから。「重症」=「危篤」くらいには把握しておくべきです)、例えば僕が尿管結石の激痛で病院にかつぎこまれた時も、到着してすぐには処置して貰えないのです。
まず鼻に棒をねじこまれPCR検査の結果待ちで、約1時間はのたうち回りながらただただ待機。陰性の結果が出てようやく看護士さんが座薬を入れてくれたのでした(初日はそれも効かず点滴に移行したんですが)。

これがもし命にかかわる一刻の猶予もないケースだったら・・・さらに、もしコロナ症状無自覚でありながらその時の検査で陽性反応が出てしまっていたら・・・考えるだけでもゾッとします。
これからたとえ花見や旅行に出かけるにしても、1人1人が油断せず充分に感染対策を心がけ、無責任な行動をとらないことが肝要だと思います。

また、先の16日の地震に被災された方々、現地で怖い思いをされた方々に、この場を借りまして心よりお見舞いを申し上げます。
関東圏の我が家も大きな長い揺れを感じました。報道によれば2011年のあの大震災の余震の可能性が高いとのことで、本当に怖いです。
みなさまの無事を祈ります。

そして最後に。

STOP KILLING、NO WAR!

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2022年2月25日 (金)

ジョン・レノン 「ブリング・オン・ザ・ルーシー」

from『ヌートピア宣言』、1973

Mindgames

ビートルズ解散後のジョン・レノンのソロ・アルバム(ヨーコとの連名クレジットも含む)の中、『ヌートピア宣言』(現邦題は『マインド・ゲームス』)の一般評価は高くはないのだけれど、僕はこれが一番好き。
穏やかなラヴ・ソングが多数を占めるアルバムだからこそ、鮮烈なプロテスト・ソング「ブリング・オン・ザ・ルーシー」が際立つのだ。

「今すぐ人殺しをやめろ!」
「やめろったらやめろ!今すぐにだ!」

と、ジョンは歌う。
10代の僕に大きな影響を与えた1曲である。

55歳となった僕は今、身体の痛みの中届いた最悪のニュースに接し、ただひたすらウクライナの平和を願っている。



長らく更新が途絶え申し訳ありません。
DYNAMITEは現在、尿管結石と格闘しています。

石のサイズ的には小さめなので粉砕手術の選択肢は無く・・・日々強い鎮痛座薬を使い仕事をし、夜にそれが切れると今度は軽い飲み薬で激痛を僅かに軽減しつつとにかく水を飲みまくり、石の自然排出を待つしかないのです。

今回の僕の場合は石が同時に2個尿道に落ち、しかもそれがくっつくようにして雪だるまのような形状になっているため、通常のケースより排出に時間がかかっている様子。先日は尿道を拡げる薬も処方されました。
担当医の見立てでは排出まで1ヶ月とのことで、いい加減もうそろそろ出てきて欲しい・・・。

痛みによる睡眠不足と食欲不振でかなり弱っていますが、なんとか頑張ります。

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2022年1月11日 (火)

吉田Qさんの「夜桜デート」、突如バズる!

『幸せの黄色いジャケット』、2014

Yellowjacket
1. QQQQ
2. 夜桜デート
3. 焼肉食べちゃうよ
4. 雨とサンシャイン
5. 女は女でつらいのよ
6. 黄昏の僕ら
7. 夕陽のエレジー
8. 横浜ブギ
9. 涙がこぼれちゃう

----------------

先日J友さんにメールで教えて頂くまで全然知らなかったのですが・・・。
2014年のリリースから8年が経とうという今、吉田Qさんの名曲「夜桜デート」が突然バズっているようです。

お正月放送の『情報モトム』がその始まりでした。
出演された霜降り明星のせいやさんが、学生時代にカラオケJOY SOUNDさんで耳にしたという想い出の「長年の謎の楽曲」の情報を

「”春ですね~♪アァハン”しか覚えていないんです」

という細い細いヒントを頼りに視聴者に広く求める、という内容(視聴期限がありますが、現時点ではこちらから無料で番組を観ることができます。8分45秒くらいから)で、「春一番」のウルフルズのカバー・ヴァージョンが候補に挙がるなど様々な情報が錯綜するも苦戦(結局、何万という情報提供者の中、たった1人だけ「これじゃないですか?」と言ってくれた人がビンゴだったとか)、遂にはJOY SOUNDさんの協力を得てとうとう見つけたその曲こそ、Qさんの「夜桜デート」だったんですね(リリース当時の「夜桜デート」とJOY SOUNDさんのコラボ、楽曲考察についてはこちらの記事でどうぞ)。

せいやさんは後日オールナイトニッポンでもこの話題に触れ(ずいぶん前からラジオでせいやさんはこの話をしてたらしいですが、記憶違いだろう、みたいな流れになってたみたいです。radikoのタイムフリーはこちら、1時間19分45秒くらいから)何と言ってもあの天下の霜降り明星の発信ですから、You Tube「夜桜デート」のMV
は再生回数が急増、コメント欄も大変なことになってます。


もしや、と思って久しぶりに拙ブログのアクセス解析を見てみると・・・。
拙ブログが最も賑わうのは、ジュリーLIVE初日後の数日間。正に今がそうで、ジュリーファンのみなさまがセトリ入りした曲の過去記事を読んでくださる、という期間限定の繁盛パターンなんですけど、「過去1週間」「最近3日」で調べたアクセスでは、それらジュリー・ナンバーが居並ぶ記事閲覧数ランキングの上位に、先にリンクも貼った「夜桜デート」収録の吉田Qさんファースト・アルバム『幸せの黄色いジャケット』レビュー記事が堂々と食い込んでいるという。
これについてはジュリーファンの方ではなく、せいやさん経由で「夜桜デート」を知った一般の方が検索ヒットしてくださったのでしょう。

僕はM-1優勝の時に霜降り明星を知ったクチですが(生放送をカミさんと大笑いしながら観ていました。その後も霜降り明星のことは夫婦でずっと応援していて、どちらかと言うとカミさんが粗品さん派、僕がせいやさん派です)、せいやさんは近大生時代にグループサウンズに嵌ったこともあったほど昭和ポップスに詳しく、何よりサザンオールスターズの大ファンでいらっしゃいますから、Qさんの嗜好や音楽性とはそりゃあ相性バッチリでしょう。

せいやさんの特技「細かすぎる記憶力」がきっかけで、今回Qさんの隠れた名曲が多くの人に知られ脚光を浴びることとなり、僕は本当に嬉しい・・・。
せいやさんには是非、『幸せの黄色いジャケット』と『JULIE WITH THE WILD ONES』のアルバム2枚を聴いて頂きたいなぁ(サザン好きのせいやさんには「いつかの”熱視線ギャル”」がドンピシャな気がします)。

それにしても、何がどう繋がっていつ陽の目を見ることになるのか・・・「歌」って分からないものですねぇ。

5年前の下北沢LIVEの打ち上げでQさんは
「もし自分の歌が売れることがあるとしたら、晩年だと思うんですよねぇ・・・」
と言っていたっけ。
Qさんより17コ年上の僕はそれを受けて「その時僕はもうこの世にはいないかなぁ」なんて淋しいことを言ってしまいましたが、いやいやもっと速くに「その時」はやって来るのかもしれません。

2022年、これから迎える桜の季節。
Qさん、チャンスです!
「夜桜デートは黒歴史」なんてもう言わないで~。

売上枚数200枚からの大逆転音楽人生は、M-1ドリームにも比するはず!

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2022年1月 8日 (土)

とり急ぎ、初日セットリストです!

行ってまいりました、ジュリーの『初詣ライブ』東京国際フォーラム初日!

開演前の神事やセットリスト含めて、なるほどこれは正に『初詣』なLIVEなんだなぁ、と。
『ジュリー祭り』が初のジュリーLIVE参加だった僕にとっては、バックバンドがガラリと変わったステージというのがまず初体験でして、いやぁ新鮮でした。

今回もケンケンジ姉さんにセトリメールを頼まれておりまして、終演後の乾杯の前に慣れないスマホと格闘。「スペース」の開け方が分からず英語タイトルの曲がズラズラと単語がくっついた状態の表記でお送りすることに・・・姉さんすみませんでした~。

それでは、こちらでもとり急ぎセットリストのみ明記しておきます。
以下、セトリとはまったく関係の無いタイガースの画像を貼っておきますので、ネタバレしたくない方は画像の下からは読まないでくださいね。

Img609

(今回のフォーラム公演には客席にサリーさん、ピーさん、タローさんが駆けつけており、トッポさんは銀座でLIVEだったそうで・・・これにてめでたく寅年が明けた、といったところでしょうか)

1「護り給え
Kokuhaku_20220108162101

2「神々たちよ護れ
Rocknrollmarch_20220108162101

MC
「恵比寿、広尾、六本木・・・あ、日比谷線や!」
からの

3「そのキスが欲しい
Reallyloveya

4「THE VANITY FACTORY
Gsiloveyou

5「ス・ト・リ・ッ・パ・-
Stripper_20220108162401

6「6番目のユ・ウ・ウ・ツ
Royal3

7「カサブランカ・ダンディ
Royal

8「憎みきれないろくでなし
Omoikirikiza_20220108162501

9「恋のバッド・チューニング
Badtuning

10「ポラロイドGIRL
Karehanemurenai_20220108162601

11「サムライ
Omoikirikiza_20220108162501

12「LOVE(抱きしめたい)
Love_20220108162701

13「世紀の片恋
Kitarubeki

14「核なき世界
Oldguysrock

15「A・C・B
Kitarubeki 

~アンコール~

16「ROCK'N ROLL MARCH
Rocknrollmarch_20220108162101 

17「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!
Samosutatto_20220108163201

オーラスの渋谷の前になるか後になるかはまだ分かりませんが、このセットリストの中から1曲をお題に選び、LIVEの感想を交えながらの記事を書くつもりです。

渋谷も行きたいなぁ・・・。

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2022年1月 1日 (土)

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

760116

↑ 76年お正月『沢田研二ショー』(日本劇場)パンフレットの最新アルバム広告ページより。
 『初詣ライブ』初日に向けて、個人的スーパーダイブ曲「U.F.O.」セトリ入りへの僅かな期待をこめて。


毎年お正月休みは、大好物のお雑煮を食べて、寝て、箱根駅伝を観て、食べて、寝て・・・とやってるうちにあっという間に過ぎ、「え~っ、もう明日から仕事なの?」と寂しくなるのが常ですが、今年はお正月休みが明けて仕事が始まり、金曜日がやってくるのが待ち遠しい、楽しみで仕方ない、という。
『初詣ライブ』まであと6日の元旦です。

2022年が、ジュリーと新生バンドにとっても、ジュリーファンのみなさまにとっても佳い年でありますように。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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2021年12月28日 (火)

ザ・タイガース 「夢のファンタジア」

from『THE TIGERS CD-BOX』
disc-5『LEGEND OF THE TIGERS』


Tigersbox_20211224182201
1. タイガースのテーマ
2. スキニー・ミニー
3. 白いブーツの女の子
4. 愛するアニタ
5. 南の国のカーニバル
6. 涙のシャポー
7. 涙のシャポー(別テイク)
8. 傷だらけの心
9. 730日目の朝
10. 坊や祈っておくれ
11. Lovin' Life
12. 誰もとめはしない
13. 夢のファンタジア
14. ハーフ&ハーフ
15. 遠い旅人
16. タイガースの子守唄
17. あなたの世界
18. ビートルズ・メドレー(ヘイ・ジュード~レット・イット・ビー
19. 明治チョコレートのテーマ
20. あわて者のサンタ
21. 聖夜
22. デイ・トリッパー
23. アイム・ダウン
24. 雨のレクイエム
25. ギミー・シェルター

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年末、いきなり寒くなってきましたね。
一昨日は高校駅伝の中継で京都の天候を知り、驚きました。あんなに雪が降っていたとは。
みなさまお住まいの地はいかがでしょうか。路面凍結、交通の混乱等充分お気をつけください。

とにもかくにも、『初詣ライブ』各開催日が良いお天気であることを、今から祈りたいです。

さて、ここ数年はジュリー人脈のレジェンド達の訃報が相次ぎ、僕自身の年齢も含め時の流れを痛感せざるを得ませんが、今年9月のすぎやまこういち先生の旅立ちはメディアでも特に大きく報じられました。
すぎやま先生の偉大な功績は、いまさら語るまでもないこと。
例えば、『帰ってきたウルトラマン』の主題歌を初めて耳にした時の「なんだか今までの(テレビヒーローものの)歌と違う!胸がワクワクする!」という褪せない想い出は、僕の世代共通のものではないでしょうか。

今日は改めてすぎやま先生のご冥福をお祈りしつつ書いていきます。

拙ブログでは、ジュリー関連のすぎやま作品でお題記事未執筆の曲が僅かながら残っていました。
大好きなアルバム『JULIE Ⅱ』に収録された「嘆きの人生」も候補に挙げつつ考えた末、今回はやはりタイガースのナンバーで(「すぎやま先生と言えばザ・タイガース」という話を書きたいので)、作詞一般公募による明治製菓とのコラボレーションから生まれた名曲「夢のファンタジア」をお題とすることにしました。
今年ラスト更新、よろしくおつき合いください。

Fantasia1
Fantasia2

(ちなみにこのピクチャー・レコードって、ちょうどCDくらいのサイズなんですよね。時代が経ってから取り出して、間違ってCDプレイヤーにかけてしまった、という先輩方はいらっしゃいませんか?)


①84年に求められた「ザ・タイガース」オマージュ

すぎやま先生の旅立ちを報道したテレビ・新聞等では、「ドラクエ」の文字が大きく躍りました。
先生の代名詞として、それは今なら当然でしょう。例えば僕の勤務先にはすぎやま先生監修によるドラクエのスコアがいくつかあり長年の主力商品となっていましたが、先生の訃報を受けさらに大量の販促注文が殺到、特に『ドラゴンクエストI~V全曲集』というピアノスコアはあっという間に在庫が底をつき、報道から数日のうちに重版をかけなければならなくなるほどでした。
他のギタースコア、ウクレレスコア、ブラスバンドスコアも現在まで継続し多数の出荷が続いています。

「すぎやま先生と言えばドラクエ」・・・それが90年代から現在までに至る音楽業界ひいては一般認識であることは間違いありません。
ただし、「ドラクエ」が一世を風靡する以前、80年代まではどうだったのでしょうか。

これはもう「すぎやま先生と言えばザ・タイガース」であった筈なのです。

そこでこのチャプターでは、ジュリーファンのみなさまがおそらくご存知ないであろう、ザ・タイガースへのオマージュとして84年にリリースされた、すぎやま作品の名盤をご紹介させてください。

ズバリ、田原俊彦さんのアルバム。
タイトルは『メルヘン』といいます

Marchen1

たのきんリアル世代とはいえ田原さんの音源には詳しくなく有名シングルを数曲知っているのみ、という状態だった僕が10年ほど前にその存在を知った当アルバムは、全作詞・岩谷時子さん、全作曲・すぎやま先生の書き下ろしによる、「童話」をモチーフとしたコンセプト・アルバムです。

僕は古書店巡りが趣味で、『明星』や『平凡』付録の歌本も相当集めてきています。
もちろん『ジュリー祭り』以降はジュリー・ナンバー掲載号を狙って購入しているわけですが、なにせ筋金入りのスコアフェチですから、他歌手の懐かしいヒット曲を弾いてみたり、まったく知らない曲のメロ譜やコード譜を追いかけて「こういう曲だろう」と一度解釈してからオリジナル音源をYou Tubeで探し答え合わせをする、なんていう楽しみ方をしているわけです。

で、確か2011年の老虎武道館公演の前に神保町に寄って購入した『YOUNG SONG』84年8月号(掲載のジュリー・ナンバーは「渡り鳥 はぐれ鳥」。歌手クレジットがジュリーと新田さんの連名になっています)の「アルバム特集」ページで『メルヘン』全曲のスコアと出逢いました。

Marchen2

まずジュリーとも縁深い作詞・作曲のクレジットに興味惹かれ、スコアを追ってみると・・・。

なんだこの斬新な進行!
僕レベルでは音源無しの楽曲解釈は無理!

ということでYou Tubeで1曲1曲探し、そのクオリティの高さ、コンセプト・アルバムとしての完成度に感銘を受けた、という流れです(CDを買おうと思ったのですが当時既に廃盤で入手困難のようでした。それは今も変わりません)。
注目すべきはこの『メルヘン』特集に寄せて、ディレクターさんのお話が載っていたこと。

Marchen4
Marchen5

84年当時の業界のプロフェッショナルにとって「すぎやま先生と言えばザ・タイガース」であったことが、このお話からも明快ではありませんか。

Marchen3

変幻自在の進行を繰り出すすぎやま先生の作曲に加え、トータル・コンセプト重視、しかもタイガース・リスペクトが随所に感じられる岩谷さんの詞も素晴らしいですし、緻密なアレンジ(「夢のファンタジア」に近いです)や、田原さんの「語り」から導入する曲もあったり、タイガースファンの琴線をくすぐる仕掛けが満載の名盤。
もし中古ショップ等でCDを見かけることがありましたら、みなさま手にとってみてはいかがでしょうか。


②中後期唯一!ファンタジー系タイガース・ナンバー

それではお題「夢のファンタジア」について。

タイガースが活動した67~71年は、邦洋問わずロック・ポップス・ミュージックの大変革期でした。
世界中のバンド(日本ではGS)がサイケデリック→フラワー・ムーヴメントへと傾倒し、やがてハード・ロックやプログレッシブ・ロックが台頭。
そんな中でタイガースをトッポさんからシローさんへのメンバー交代とは別に、すぎやま先生メインライター時代を「初期」、村井邦彦さん→クニ河内さんメインライター時代を「中後期」とするならば、ちょうどその狭間にヒッピー文化と結びつくカウンター・カルチャーの波があり、タイガースは音のみならずコンセプト含めた楽曲スタイルをこの時大きく変化させたと言えそうです。
この場合の「初期」は、橋本さんの歌詞も併せて、彼等の人気を決定づけた「ファンタジー系」のすぎやま作品抜きに語ることはできないでしょう。

ただしそのファンタジー性(「メルヘン性」と置き換えてもよい)は空想的、寓話的なものではなく「日常のふとした情景や心情(恋愛)にファンタジーを見る」というコンセプトであり、楽曲としてはデビュー・シングル「僕のマリー」や3枚目の「モナリザの微笑」が分かりやすい例かと思います。

カウンター・カルチャーの影響を受け、タイガース(彼等自身と言うより製作サイドと作家)は、その後「ファンタジー」から離れていきました。

そんなタイガースの音楽性の変化とは別の時空間で独立して生まれたかのような歌達・・・それが69年「明治チョコ・タイガースの歌(第3回)」企画の5曲です。
作詞が一般公募というのがポイントで、当選を果たした作詞者がタイガース・ファンであったが故にその奇跡は起こりました。
そして、「初期」タイガース上記2曲のようなイメージで書かれ公募された(ように僕には感じられます)であろう松島由美子さんの名篇に、他でもない、すぎやま先生が久々に作曲を受け持つことで、後期唯一のファンタジー系タイガース・ナンバー「夢のファンタジア」が誕生したわけです。
初恋のときめきを「ファンタジア」と捉え、その悲しい結末を短調のバラードでタイガースが歌う・・・「雨」のフレーズもあって、まるで「モナリザの微笑」の返歌のような名曲ではないでしょうか。

それにしてもこの明治製菓企画5曲のリリース、なんとコード付メロ譜が添えられているというね。
素晴らしい時代だったんだなぁ。

Fantasia3

「夢のファンタジア♪」と歌うところ、王道と言えば王道ながら「A♭maj7→G7→Cm」の流れはじみじみ良いんですよね。
ギターならばここは右手ルート親指のフォーフィンガーで、左手「A♭maj7」を1弦3フレットひとさし指、2弦4フレット中指、3弦5フレット薬指、ルートの6弦4フレットをネック上から親指(4、5弦はミュート)のフォームで弾くとメチャクチャ雰囲気が出ます。
続くドミナント・コードが「G」ではなく絶対に「G7」でなければならない、というすぎやま先生作曲の奥深さがよく分かるのです。
ギターをやる人は是非お試しください。
(と言いつつ、指の負傷のため僕は現在このフォームの「A♭maj7」がうまく押さえられないのですが)


③「タイガース・ナンバーの作詞」という特別な人生

僕は高校時代、故郷・鹿児島では有名な歌人でもある末増省吾先生(母校の国分高校で現代文・古文担当)に師事し俳句を学びました。
量産はするけれどセンスに欠ける僕の句を先生が添削し仕上げてくださるのですが、中には初稿の跡形もないほど全文に渡り添削される場合もあって、明らかに僕自身の創作能力を遥かに越えた名句となってしまったりするものですから
「これはもはや僕の句ではなく、先生の句なのでは?」
と思い尋ねたものでした。
しかし先生が仰るには「最初の着想がオマエなんだから、これはオマエの句なんだ」と。

僕は結局大成叶わず不肖の弟子となり先生はもう僕のことなど覚えていらっしゃらないでしょうが、世の俳人師弟の鍛錬ってすべからくそういうパターンみたいです。

明治製菓の作詞公募におけるなかにし礼さんの「補作詞」にも同じことは言えると思います。
ただ僕の場合と違うのは、当選作品いずれもオリジナルの段階で優れた名篇であること。
なかにしさんの補作詞はいわゆる「添削」ではなく、最終的にプロの作曲家が寄せたメロディーに載るように言葉を合わせ仕上げる、という作業だったのでしょう。

『TIGERS CD-BOX』の高柳和富さんの解説によれば、製作の順序はまず公募当選作を決め、その後で作品を割り振って名だたる作曲家にメロディーをつけて貰う、との流れだったったようです。
でも公募段階のオリジナル詞を見ると、メロディーとの言葉数とずいぶん乖離がありますから、正確には「当選作の世界観をイメージして作曲されたメロディーに、なかにしさんがオリジナルの着想を生かしうまくメロディーに載るようにフレーズを整える」経緯であったと僕は考えます。
「作詞」のクレジットは、あくまで当選された方々のものなのです。

それにしても、あの時代にタイガースの作詞者として選ばれる、というのはどんな感覚だったのでしょうか。
「うれしはずかし」なんて生易しい歓びではなかったでしょうね。
僕には想像もできません。きっと彼女達はそれだけで「特別な人生」を得たのだ、と思うばかりです。

ピーさんが芸能界復帰後まもなく「僕らの曲の作詞をした人のことを僕らが知らないのはおかしい」と思い立ち、「花の首飾り」の菅原房子さん、「白夜の騎士」の有川正子さんのその後を追ったことは有名ですよね。
僕などは残す明治製菓企画の5人の作詞者についても「どれほどの才媛だったのだろうか」とか、ピーさん復帰を機に実現したザ・タイガース再結成への道程で、彼女達はどんな思いを抱いたのだろうか、LIVEには参加されたのだろうか、というところまで考えたものです。

「あなたの世界」の伊藤栄知子さんについては、タイガースを通じて彼女のお友達の方からコメントを頂けたことがありました(拙ブログ過去記事「シー・シー・シー」および「あなたの世界」のコメント欄をご参照ください)。
若くして天国へと旅立たれた伊藤さんは、タイガースの作詞採用以後もずっと詩を書いていらしたそうです。

今日のお題「夢のファンタジア」の松島さんはじめ他の4人の方のことは何も分かっていないのですが、松島さんのこの詞は特にタイガース・デビュー間もない時期への愛情とリスペクトに満ち満ちていて、その後も長くタイガース愛を持ち続けていらっしゃるのでは?と想像しています。

また、膨大だったであろう公募作品の中には、当選作以外にも素晴らしい詞が多くあったはずです。
もしかしたら、このブログを読んでくださっている先輩方の作品も?
「タイガースの作詞」に青春のエネルギーを捧げたすべての人に今、幸あらんことを・・・と改めて願います。


それでは、オマケです!
今日は『グループ・サウンドのすべて』というスコア付のムック本(写真のページのみ以前添付したことがります)に寄稿された、すぎやま先生の文章をどうぞ~。

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ということで、2021年のブログ更新はこれにてラスト。そして僕は明日から冬休み。
年が明ければすぐにジュリーのお正月LIVEがある、という状況に、久々の胸躍る年末です。

僕は初日フォーラムへの参加は確定していますが、渋谷はまだ(YOKO君達友人のぶんも含めて)ゲットできていません。
「ぴあ」のリセールも渋谷はとんと見かけない、と言うかアクセス集中で該当ページに辿り着くことすらひと苦労。ジュリーの変わらぬ人気、新生バンドへのファンの期待も実感できて、それは嬉しい悲鳴とも言えるのですが。
お正月LIVE、今から本当に楽しみですね。

それではみなさま、よいお年をお迎えください。

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2021年12月20日 (月)

沢田研二 「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」

from『明日は晴れる』、2003

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1. 明日は晴れる
2. 違いのわかる男
3. 睡蓮
4. Rock 黄 Wind
5. 甘い印象
6. Silence Love
7. Hot!Spring
8. ひぃ・ふぅ・みぃ・よ
9. 100倍の愛しさ
10. 夢見る時間が過ぎたら

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ジュリーから遅れること数ヶ月(?)、この度遂にガラケーを卒業しスマホデビューいたしました。

どのみち来年3月にはガラケーのサービスは終了するので「やむなし」と言えばそうなのですが、僕の場合も変更に至った経緯はほぼジュリーと同じ。
2日ほどブラックアウト期間がありまして、その間にご連絡頂いた方にはお返事無しの状態になっているかと思います。申し訳ありません。
au→auの機種変でしたから旧アドレス、旧電話番号ともそのまま生きております。今後ともよろしくお願い申し上げます(と、いうことで引き続き、渋谷のチケット3枚探し中でございます汗)。

いやしかし、僕のようなアナログ人間に初めてのスマホは扱いが難しい。
「はじめてスマホ」というプランにしたのですがそれでも勝手が分かりません。
あくまで先方の尽力により、家族やYOKO君をはじめとする友人数人とはLINEも通じたものの、他のみなさまにこちらからどのようにコンタクトすればいのか皆目・・・という状況で困っています。
まぁ、そのうち慣れるでしょう。


さて本日12月20日は僕の誕生日。
55歳になってしまいました。
無事に生きれば還暦までもうあと5年というところまで来て、そりゃあ身体も色々出てくるわけだ・・・。
そんな時「自分と同い年のジュリーはこんなに元気だったんだ」と実感することはとても励みになります。
ですから毎年この日は「現在の僕の年齢の年にジュリーはどんな歌を歌っていたか」というテーマで楽曲お題を選び更新することにしています。

ジュリーが55歳の年にリリースしたアルバムは、『明日は晴れる』。
2002年から06年まで続いた変則パッケージ作品の中でも特にゴツくて(盾型)、収納場所が悩ましい1枚。
中身もパッケージに劣らずゴツいパワー・ポップ系ながら、優しい詞の歌が多くメッセージ性の強い名盤だと思います。
今日は収録曲の中から記事未執筆だった「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」を採り上げての更新・・・日々スマホと格闘していたため下書きの時間が無くほぼ一気書きです。あちこち脱線しながらいつもよりライトな内容となりますが、よろしくおつき合いくださいませ。


①タイガース(阪神の方)はいつ優勝するのか(泣

のっけから脱線話です。
例年は本当に近くなってから考えることなのですが、「今年の誕生日更新はアルバム『明日は晴れる』からのお題だな」という意識が僕には5月くらいからあって。楽しみで楽しみでね。

と言うのも今年のプロ野球、セ・リーグは開幕から阪神タイガースがまさかまさかの絶好調。
以前から僕は

「Rock 黄 Wind」は、阪神が優勝した年に書く!

と宣言しておりましたから、遂に来た!と。

どちらかと言うと弱気な阪神ファンを自覚する僕が、梅雨くらいまでは「今年は間違いない!ブッちぎりで優勝DA~!」と確信するほどの強さでした。
拙ブログ的には話として出来過ぎ、運命的なんですよ。だって、「Rock 黄 Wind」をアンコールに配したジュリー55歳のツアー『明日は晴れる』は、日程が進むたびにそのセットリストに呼応するかのごとく阪神がどんどん勝っていって、最後にはジュリー・ツアーも阪神もお祭り騒ぎ、圧倒的な優勝を飾りお祝いした年なのですから(まぁ、遅れてきたジュリーファンの僕はリアルタイムで当時のツアーを体感できていませんが、DVDはしょっちゅう観ます。レビュー記事はこちら!)

そうか、僕が55歳になって『明日は晴れる』からお題記事を書く年まで待っていてくれたのか、我が愛するタイガースよ・・・。

などと早々に「その気」になるのも無理ない展開。
だから本当は今日の更新は「Rock 黄 Wind」がお題になるはず・・・だったのです。

ところが、夏くらいからかなぁ。雲行きが怪しくなってきて、ジャイアンツと競りはじめたなと思っていたらスルスルとスワローズが上昇してきてね。
この3チームが終盤優勝を争うパターンになると阪神は優勝できない、そして最後に優勝を攫うのは何故かヤクルト、というトラウマが過去の体験上僕には染み付いているのですが、正に今年もその通りとなりました。
それにしたって今年は・・・ゲーム差ゼロですよ。勝ち数だけなら阪神の方が上なんですよ。
悔しいじゃあありませんか・・・。

果たして僕がこうして元気にブログを続けられているうちに、阪神は優勝するのでしょうか。「Rock 黄 Wind」の記事を書く日は来るのでしょうか。
優勝できる力はここ数年で整ってきている、とは思うのですが。

いずれにしても、イケイケな確信からあっという間に「弱気な阪神ファン」へと逆戻りした・・・僕にとってはそんな2021年後半でしたな~。


②「数字がつくジュリー・ナンバー」CDを作ってみた

ジュリーほどの長いキャリア、しかも基本的に毎年新譜をリリースし続けるというスタンスの歌手になると当然ながらその楽曲数は厖大です。シャッフルで全曲一気聴きするとなると何日かかることやら。
ですから基本アルバム単位で聴くことになりますが、それとは別に個人的に自分用の編集盤CDを何枚も作って聴く、という楽しみ方ができるのもジュリーのキャリア、持ち歌の多さならではです。
みなさまも「LIVEセトリCD」はよく作成されているのではないですか?

僕がよく作るのは、何らかのテーマを決めて通勤時間に合わせた15曲入りの編集盤(15曲にすると、通勤時間BGMとしてちょうど良い長さになります)。
例えば「歌詞に人名が出てくる歌」「同じく地名が出てくる歌」果ては「アルバムのラスト収録曲ばかりを集めた」CDなどを作ったことがあります。

で、今日の更新に備えて先週作ったのが「タイトルに数字の入っている歌」特集でした(いつもなら更新に向けてお題曲収録のアルバムを聴くのですが、今回は「Rock 黄 Wind」を聴くのが悔しかった笑)。

どんなテーマで作るにせよジュリー・ナンバーには相当な該当曲が見つかりますから、15曲におさめるとなれば泣く泣く外す曲もあって、その時の気分で「聴きたい!」と考えた厳選集CDとなります。各年代からバランス良く選曲、ただし僕の場合はシャッフル感覚が好きなので敢えて曲順は年代ランダムに作ります。
結果、このようになりました。

1.「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」
2.「十年ロマンス」(ザ・タイガース)
3.「15の時」
4.「三年想いよ」
5.「1989」
6.「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」
7.「SPLEEN~六月の風にゆれて」
8.「ゼロになれ」
9.「24時間のバラード」
10.「目抜き通りの6月」
11.「背中まで45分」(シングル・ヴァージョン)
12.「午前三時のエレベーター」
13.「君にだけの感情(第六感)」
14.「8月のリグレット」
15.「100倍の愛しさ」

なかなか盛り上がる編集盤でしたよ~。
アルバム『明日は晴れる』にはちょうど記事未執筆の該当曲が2曲あり、CDの最初と最後に配しました。
毎日の通勤中にこれをBGMとしながら「さて、どちらにしようか」と考えていたわけです。

「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」「100倍の愛しさ」いずれもこの時期のジュリー・ナンバーらしいメッセージ性、パワー・ポップの要素があり「名曲」を再確認した上で、今回はGRACE姉さんの詞とカースケさんのドラムスが印象的な「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」を選んだ次第です。


③「ひぃ、ふぅ、みぃ、よ」と数えるのはどんな時?


やっとお題曲の話です(汗)。

僕は(ジュリーと同じく)GRACE姉さんの詞が大好きですが、曲によっては時に「え~とこれは、ジュリーの詞だっけGRACE姉さんだっけ?」と分からなくなり再確認することもしばしば。
特に「平穏な日常」を描いた作品でそのパターンが多いみたいです。

対して「これはGRACE姉さん!」と迷うことなく明快に系統だてられる歌達もあって。僕の中で「星・宇宙系」と分類されているGRACE姉さん一連の名作群を2000年から時代順に並べていくと

「アルシオネ」
「心の宇宙(ソラ)」
「不死鳥の調べ」
「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」

と、見事に1本の線で繋がります。

「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」は夜空の星を数える歌。
ここで考えるのは、僕らが何かをカウントしようとする時「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ、いつ、む・・・」と数えるのはどんな時だろう?という。
僕の場合は仕事なんかで本とかペラとかを数える際には、普通は「1、2、3、4・・・」か、或いは2つ跳びで「にぃ、し、ろ、ぱ・・・」とやります。いずれにしてもスピード重視ですな。
さっさと数え終わりたいな、と気持ちが焦って却って躓きやすいんですけど。

一方「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ・・・」の数え方には、ゆったりした時間の感覚があります。
どう考えても最後まで数えきれないもの、数の答が出なさそうなものを漠然とカウントする、数えること自体が目的ではないと言うか、「結果が知れない」ものに対しての数え方なんじゃないかと。
ゆっくりと、ひとつずつ・・・そんな感じです。
対象が良いことあれ悪いことであれ、ハッキリとは分からないもの。例えば、このコロナ禍終息までの日数。いつかその日が来る、と信じて日々指を折る「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」であったり、世界の危機を憂う学者が「終末時計」の秒針がじりじりと進んでゆくのを見つめる「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」であったり。
僕にはそんなふうに思えます。

GRACE姉さんの「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」は決してハッピーな内容とは言えません。
星を数える時に都会の明かりが邪魔になったり、自然、地球、宇宙を脅かす何者かへの糾弾ともとれるメッセージ・ソング。それでも歌詞全体に豊かさや癒しがあるのは、あくせくした日常の「時間」からの脱却が感じられるからじゃないかなぁ。

「時間は最大のミステリーだ。それが分かれば宇宙の謎もすべて解ける」
と言ったのは誰でしたっけ?
でも科学者ならざる僕ら凡人ならば、時間を解明するでもなく「忘れる」ことで「謎」(解決できないこと)から解放されているのかもしれません。
それが「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」と星を数えてみる時。勝手な解釈ですけど、そんな歌なのかな。

白井さんの作曲はかなりの変化球です。
ホ長調のメロディーを「Cmaj7」に着地させるとは・・・五線譜だと臨時のナチュラルが満載となりそう。
進行の理屈としては短調寄りなのです。
でもこの曲での白井さんは理屈関係なく、ギター独特の「鳴り」を生かしたフォーメーションのクリシェ移行でコード展開させているようで、作曲手法は「ISONOMIA」に近いのではないでしょうか。

あと、僕はこのレコーディング音源でのカースケさんのドラムがとても気に入っています。
タムの噛ませ方が60年代ロック幾多のドラマーの名演を連想させるんですよ。リンゴ・スターっぽくもあり、キース・ムーンっぽくもあり。
他ジュリー・ナンバーでGRACE姉さんの「限 界 臨 界」や、オータコージさんの「揺るぎない優しさ」にも同じような感触を僕は持っています。

僕が現時点でアルバム『明日は晴れる』からLIVE体感できているのは、「明日は晴れる」「睡蓮」「Rock 黄 Wind」の3曲のみ。
開幕まで3週間ほどに迫った初詣ライブでは「睡蓮」のセトリ入りが堅いと考えていますが、まだ未体感でアルバムでも特に好きな「違いのわかる男」「夢見る時間が過ぎたら」にも期待しています。
「ひぃ・ふぅ・みぃ・よ」はちょっと難しいかなぁ。まぁ、僕のセトリ予想なんていざ蓋を開けたら毎回ピントが外れまくっているんですけどね。


それでは、オマケです!
今日は2003年『音楽専科』のインタビュー記事。
これは当時50代のジュリーにそれぞれ20代、30代、40代のインタビュアーが話を聞く3部構成の記事で、30代、40代のインタビュアー部は過去記事にて添付済(こちらこちら)。
残っていた20代のインタビュアー部をどうぞ~。

20032
20033
20034
20035
20036

記事中で『OLD GUYS ROCK』ツアーから始まった柴山さんとのギター1本体制を予感させるようなジュリーの言葉があったり、なかなか興味深い内容ですよね。


それでは次回、年内にあと1本更新の予定です。
昨年の最後の記事は、シローさんの追悼で「野生の馬」を書きましたが、今年も追悼の記事で1年の更新を締めくくることになります。

お題はザ・タイガースのナンバーで。
よろしくお願い申し上げます。

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